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夢のビートルズ完全コピーバンドTHE BADBOYS

日本の音楽史にその足跡を残す!


<THE BADBOYSの貴重なプロモーション用写真>

【左からポール・清水仁、リンゴ・城間正博、ジョージ・川端孝博、ジョン・廣田龍人】

 


バッドボーイズ誕生秘話:

廣田龍人[リッキー](ジョン)と清水仁(ポール)は、大阪の中学校の同級生で、ビートルズ大ファンの清水とバンドを組むに際し、「ジョン・レノンに似ている!」と言われ乗せられて、ジョンになったとのリッキーの回顧談。バッドボーイズ誕生の裏話として、以下のようなものがあります。

..... この二人が同じ中学に通い、その頃日本でも少しブームになり始めたビートルズを知るのに時間は掛からなかった。何とか貯めたお金で二人はエレキギターを買い、毎日毎晩ビートルズのレコードをすり切れるまで聴いていた。高校へ進学した二人は別々の学校になるが、どうしてもビートルズの音楽から離れられず、メンバー集めに走り回り、その頃大阪に乱立していたダンスホールにオーディションを受けにいくことになる。高校生なのでメンバーの頭は丸坊主、それが原因なのか誰も相手にしてくれない。そこでリッキーはカツラを使用してオーディションにパスする。彼ら二人のそれからは学校そっちのけでいろいろなグループを作り替え、ダンスホールへの毎日になっていく。

ある時、ダンスホールでリッキー達と一緒に出演していたグループに川端孝博(ジョージ)がいた。顔がジョージ・ハリソンに良く似ていたため、彼は絶対に自分たちに必要だと感じ、すぐに楽屋で口説き、同じグループのメンバーにしてしまった。ポールの清水はそれまでギターを弾いていたのだが、川端孝博の加入により、ベースギターに転向した。

さて、最後はリンゴ・スター役についてである。リッキーが部屋で寝ていると、弟が友達といやに騒々しい。リッキーが「うるさい!」と一言、部屋に入ると、そこに自分たちの探していた"リンゴ・スター"がいたのだった。リッキーはいきなり言った。「おまえドラム叩けるか?」城間はびっくり声で「君が気に入るかどうかは知らないけれどね?」

1969年、遂にリッキーをリーダーとして、ザ・バッド・ボーイズが誕生した。.....

元来バッドボーイズはビートルズ一本で活動している訳ではなかったのですが、このような背景で川端孝博(ジョージ)・城間正博(リンゴ)が加入した後はビートルズコピーが本格化していき、関西で知名度が高まります。そして、サブミュージック・パブリッシャーズの上野博氏にスカウトされ1973年5月に東京へ進出、活動の活発化と共に徐々に注目され始め、同年10月遂にレコードデビューを果たしました。


エポックメイキング:

バッドボーイズがいかにビートルズに似ていたか?これはとても重要なテーマです。

今では「な〜に、ビートルズコピーバンドは六本木キャヴァーンクラブ他その筋のライブハウスへ行けば、いつでも観れるし聴けるさ。他のカヴァーバンド(例:Revolver)と何が違うの?アマチュアだってまあまあのご時勢じゃない?!」と言われる諸氏・諸姉が大半であると思います。確かに、それも一理あり、ライブハウスのステージでも音作りがいろいろとできる今日この頃ですよね。サウンド的には昔とは格段に作りやすくまた良くなっているのも事実。でもそのスピリットは?

バッドボーイズがデビューした1970年代初頭のあの頃でさえ、ビートルズタッチのバンドは「起きなよスージー」で1974年日本コロンビアからデビューした「レモンドッグ」(実際私は彼らの演奏も目の前で見ました)や自称ビートルズファンと語っていたかの「ずうとるび」をはじめいくつかあることはありましたし、それ以前にも数年前にCD化されて再版された東京ビートルズ(アレンジ曲はビートルズサウンドを継承しているとはとても思えないが、1964年3月結成のこの日本最初のビートルズコピーバンドのShe Loves Youは当時としては聴くに耐えうるものだったかも知れません【試聴後の感想】)、ビートルズフリークのバンド・ムーンドックスやタックスマンまで日本のバンドのビートルズを夢見る気持ちは遡ります。
後に、チューリップもビートルズサウンドの忠実な再現を試みた作品「すべて君たちのせいさ!」(ビートルズ曲を13曲カバー)を1976年にリリースしていることはチューリップファンならずともご存じのことでしょう。海外でも1970年代の終わりからビートルズの歴史をサウンドとコスチュームで追うBEATLEMANIAが誕生し、ビートルズのパロディ版のRUTLES等も出現、その後コピーバンドも彗星のごとく結成/解散をしてきました。


BEATLEMANIA レモンドッグ RUTLES チューリップ 東京ビートルズ


しかし、バッドボーイズがエポックメイキングなバンドとして、ビートルズそのもの+各メンバーを真似ることに対する恥も外聞もなく、ストレートになりきって徹底的に演奏を成し遂げたことには大いに賞賛を送りたいものです。
バッドボーイズのメンバー4人の呼び名も、ビートルズと同じ「ジョン!」、「ポール!」、「ジョージ!」、「リンゴ!」とそれぞれ呼ばれていました。(但し、名字で呼ばれたことはさすがにありませんでしたね。「レノン!」などとは決して。)当時リッキーは、「ビートルズの陰に隠れて、バッドボーイズのオリジナルを発表できない。しかし、ビートルズはすばらしい。」とコピーバンドの持つ宿命とも言える二面性に確かに悩んでいたようです。
当時、吉田拓郎・小田和正・バズ・イルカを担ぎ出し、シンコーミュージックからデビューした甲斐バンドをバッドボーイズの弟分とうたったり、英国グラムロックのSLADEの前座を務めたり、なんとか一つの道を切り開いていこうとしていたところは十分に感じとれます。デビューアルバムの「MEET THE BADBOYS!」はビートルズの元メンバー各人に郵送され、1975年春にはイギリス・ロンドンで「SHE LOVES YOU」をシングルカットする計画もあったりと、企画面では積極かつ斬新であったことを付け加えます。


今、ビートルズコピーバンドのステージを観て感激のあまり涙して、声援を送っている大勢の人がいるでしょうか?(最近のライブハウスでそのような光景には残念ながら出会っていませんね。)ええ、その当時はおりました。純粋だったのでしょうか?

その頃の状況は、バッドボーイズのステージを見に来る人たちのほとんどは、間違いなく同時にビートルズのファンでもあり、1973年頃と言えばビートルズ解散からまだ数年しか経っておらず、ポールマッカートニーのBAND ON THE RUNが大ヒットする前でもありました。当然バッドボーイズの各メンバーに本家ビートルズを重ねて声援を送っていた事も事実です。実際、ステージ前に一つお手並みを拝見と少々見下して「コピーバンドがなにさ!」との様相で来た少女達がステージ終了後には、ジョン!ポール!ジョージ!リンゴ!と涙して感動していたことがつい昨日のように思い起こされます...。


イギリスでの評判:

当時(1974年)の話としてこのような興味深い東芝EMIのコメントが残っています。あのジョージ・マーチン氏が、もしバッドボーイズのレコードをプロデュースしていたら、一体どうなっていたでしょうか?かなり興奮しますね〜。


ビートルズのプロデューサーで有名なジョージ・マーチン氏は、イギリスへ渡った東芝EMIのスタッフに向かって、「ぜひ、バッドボーイズのレコードを送って欲しい。そして私が日本へ行った時、生演奏を聴いてみたいものだ!」と語り、イギリスEMIのレーベルマネージャーのスチュアート・ワトソン、フリープロデューサーのクリス・トーマス、パブリシストのサイモン・バークレー他、多数のイギリス音楽業界で活躍する人々の間でバッド・ボーイズの噂がささやかれ、レコード購入の問い合わせが日本までもやってきたのである。

 


オリジナル曲への挑戦と終焉:

リッキーは、「ビートルズの陰に隠れて、バッドボーイズのオリジナルを発表できない。しかし、ビートルズはすばらしい。」とコピーバンドの持つ宿命とも言える二面性に悩んでいたと先に述べましたが、オリジナル曲を発表できないと言うことは、新しい別のファン層を開拓できないことと同じで、最大のチャレンジであったことは紛れもない事実でした。「僕と踊ろう」や「あいつのせい」、他にも「渚の二人(未発表)」などオリジナル曲もいつくかあり、当時のメモからもオリジナル曲の歌詞の走り書きなどがあり、チャレンジは続けていました。ただ、ビートルズ曲の演奏があまりに見事なため「バッドボーイズ=ビートルズコピー」との印象が根付いてしまったようでした。

ビートルズサウンド系の曲といえば、九州のビートルズコピーのアマチュアバンド「フライングエレファンツ」がリリースしたCD「BRICK ROAD」は、見事な位ビートルズサウンドを随所に散りばめてあります。ボーカルもコーラスもです。バッドボーイズはその名を全国に知られたれっきとしたプロフェッショナルバンドであるが故に、それがまたそこから脱皮できなくなってしまったと推察します。脱ビートルズでの飛躍を目指しながら、一方ビートルズで観客を魅了し、という二つ相反する状況で動きが取れなくなってしまった。初期の頃、何度か演奏の場を提供してくれたせんだみつお司会のTV番組「ギンザ・ナウ」に最後に出演したときにSGT. PEPPER'Sの衣装で演奏し、コピーバンドの限界を確かに感じてしまいました。

何事につけても、最初に行なう者たちには試練があり見えない先への挑戦があります。それに恐れず挑んだバンド・バッドボーイズ。次世代のミュージシャン達へ与えた彼らの果たした功績は大きい。さらに、キャヴァーンクラブをはじめとする多数あるビートルズ曲専門のライブハウスとそこで演奏するコピーバンド群も、その火付け役となったのはバッドボーイズであることを忘れてほしくはありません。(当時はアシベやルイードのようなところしかなく、そこでバッドボーイズは演奏をしていたのだから...。)


         


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