・レミット・マリエーナに関する個人的設定
パーリアから西へ遠く離れた地に位置する小国マリエーナ。歴史は古いものの逆に言えば国としての寿命は末期に近く、近隣の大国に挟まれながらそれぞれがにらみ合いを続ける場所としてかろうじて生きながらえる状態だった。国の命運はいつ途絶えても不思議でなく、未来もなく、沈滞した空気が狭い国土を覆っている。そしてそんな国であるにも関わらず、澱みの溜まった宮殿では日々権力争いが続いていた。
レミットが生まれたのは城下町の薄汚れた一隅。今はもうほとんど記憶にない。母親は美人だったことだけは覚えているが、あまり家にいなかった。ここの住人はみな貧しいはずなのに、母だけはいつもどこかを遊び歩いていた。そして少し大きくなったレミットは周囲からの冷たい視線に気づく。
6歳のとき、母親がどこかに消える。代わりに兵士が数名やってきて、脅えた目のレミットを王宮へ連れていった。
今の国王が王子だった頃街娘に手を出して生まれたのがレミットだったらしい。今までは金で誤魔化していたのが政争の関係でそうもいかなくなったようだ。
父親としてレミットが引き合わされた男は一瞥しただけで退出を命じた。兄姉と言われた人たちも皆同じだった。きらびやかな服から冷たい目だけが見える。母親はその後どこへ行ったか分からなかった。
要は王家の体面上これ以上外に置いておけなかっただけ。国王の過去の恥の証として、継承権もなく、ただ血を引いてるから仕方ないとの理由で王宮に閉じこめられる。会うのは事務的な家庭教師と、ちらちらとこちらを見ながら意地悪な笑みを浮かべる大臣や侍女。レミットは訳の分からないままその後も邪険に扱われ続けた。
敵意には敵意で返すようになった。王女の地位をひけらかせば相手は苦い顔をしつつも従うようになる。そうしてレミットは満足した。その後すぐに心から嫌になった。ただ理由と結果を理解するにはレミットは幼なすぎて、自分の鬱屈を冷笑するだけの周囲にぶつけて、すぐに一番の嫌われ者になった。
10歳の時。
レミットの侍女が嬉々として報告に来た。今度生まれた第2王子の息子の侍女に異動になったそうだ。第何位かは忘れたが、レミットと違って継承権があるそうだ。自慢げに語る侍女にレミットは無言で返した。
代わりにやってきたのはおどおどした若い女性。侍女としての訓練を受けたわけでもないただの平民。王宮の掃除係として雇われたはずがいきなりこんな役に回された。レミットが軽んじられている証拠だった。
「アイリス・ミールと申します。姫さまの身の回りのお世話を申しつかりまして…。姫さま?」
「帰ってよ」
「はい?」
「帰りなさいよ!バカ!」
それがレミットの最初の挨拶で、仰天したアイリスはその後も不慣れな王宮でおろおろするばかり。2人とも味方はなく、周りからは冷たい目で見られ、お互いはすれ違ってしばらくは不毛の時が流れた。
しかしアイリスは辛抱強かった。のんびりしていると言うべきか。レミットがつんけんしても困った顔をするだけで、やはり同じように優しく接してくれた。本当は良い子なのだと、信じるというより自然な前提として思っていたのかもしれない。
すぐにレミットは善意に気づいた。段々アイリスの名を呼ぶことが多くなり、時には無理を言って困らせるようになった。それがアイリスに自分を見てもらうためだと気づきも気づこうともしなかったが。ただ他に行動は思いつかなかったのだ。
アイリスは話を聞いてくれたし、話をしてくれた。
それだけのことがすごく嬉しかった。
アイリスから聞いた城の外の話。普通の朝起きて食事と仕事をして夜寝る生活。あるいは普通でない魔術師や剣士や冒険者の話。それは今いる場所とも以前いた場所とも、まったく違う素敵な世界に聞こえた。もちろん多分に理想化されていただろう。それでもただ王宮が嫌だっただけのレミットに、初めて「外に出たい」と思わせるようになった。
城の外に出て何ができるというわけでもない。自分には何の能もない。蔑まれてきたからそれは知ってる。だから思うだけで実行に移すまでにはまたしばらくかかった。そもそもアイリスがついてきてくれるか自信がなかった。アイリスと離れるくらいなら城の中にいたいし、1人で出ていっても本当に何もできない。
12歳になって、レミットの時間の中で白と黒はさらにはっきり分かれるようになった。アイリスといるときは白、いないときは黒。
アイリスへの信頼だけが強くなっていく。アイリスは優しいから…一緒に来てくれるのではないだろうか。長い時間をかけて決心したレミットは、おそるおそる切り出した。
「ここから出ていきたい」
それは一日だけどこかへ行きたいというものではなく、永久にここへ戻らないという意味で言ったのだ。アイリスは驚いて「それは無理です」と断った。
レミットはしょぼんと立ち去ったが、あまりショックはなかった。やはり夢物語だったのかもしれない。
そんなレミットを見てアイリスは数日考えた。本当にこの城にいることがこの子にとって良いことなのだろうか?答えは明々白々で、とてもそうは思えなかった。
アイリスは皆から好かれていたので兵士の何人かも協力してくれそうだった。やっぱりお供しますとアイリスが言ったとき、逆にレミットが驚いた。嬉しかったが、どこか現実感がなかった。
閉塞した国マリエーナは警備兵の規律も緩んでいる。
その夜アイリスとレミットは黒いマントに身を隠してあっさりと城の外へ出た。思わずレミットは振り返る。ずっと自分を閉じこめていた檻はあまりに何事もなく自分の後ろにあった。
アイリスの知り合いだという隊商の馬車に乗せていってもらうことになる。
検問らしい検問も行われておらず、国境も難なく突破した。未だに脱出したという実感が湧かない。
「ね、ねえ。誰か後追って来ないのかな」
「それは…大丈夫だと思いますよ」
どこへ行ったか分からない王女を捜すにはそれなりの人手がかかる。レミットにそんな価値はない。何か適当な理由をつけて「行方不明」ということにされるあたりか。
はっきり言えばレミットは厄介者なのだ。邪魔にも関わらず王女なので排除もできない。
どこかでのたれ死んででもくれたら王宮の人たちには万々歳だろう。
「‥‥‥‥」
アイリスはそんなことは口には出さなかったがレミットには何となく理解できた。あんなに嫌だった王宮から抜け出せたのに、今は素直に喜べなかった。
自分の存在ってなんだろう。
何もできないし、誰からも必要とされない。何でいるんだろう。
「姫さま、これからどこへ行きましょうか?」
「どこって…」
行くあてもないまま、レミットは馬車に揺られていた。
隊商は東へ東へと進み、マリエーナから遠く離れたところで2人を下ろした。レミットの持っていた宝石を売って旅費に替える。旅をするには十分なお金だった。
「もっと東に…」
でも何も楽しくない。行くあてなんてどこにもない。ただ王国から離れるだけで、その先に何があるでもない。
アイリスはこまめに動いてくれた。宿の手配をし、次の街へ出る街道馬車を探し、必要なものを買いそろえる。レミットには何もできなかった。手伝おうとしたけど、何をどうしたらいいかすら分からない。街によっては自分と同じくらいの子供たちが宿屋や店で働いている。自分は役立たずだ。
「アイリス、まだ用意できないの!?さっさとしなさいよ!」
「は、はいっ。申し訳ございません」
それを誤魔化すためアイリスにこんなことを言う自分が嫌だ。アイリスには本当に悪いことをしてると思う。自分のせいでこんな見知らぬ土地を引きずり回されてる。もうアイリスは自分を嫌いになってるかもしれない。
でもアイリスだけは手放せない。アイリスと一緒にいたい。わがままだけど、アイリスがいてくれないと嫌だ。だからアイリスに罪悪感を感じながら、やはりレミットはアイリスを引っ張り回した。そんな旅が楽しいわけがなかった。
「‥‥‥‥‥」
「…姫さま、お城へ戻りますか?」
「や、やだっ!」
「そうですか…」
次の街はパーリアという名前だった。
街の入り口で馬車を降りると、1人の吟遊詩人が話しかけてきた。
「やあようこそ、パーリアの街へ」
「…誰よあんた」
「申し遅れました、私吟遊詩人のロクサーヌと申します。レミット・マリエーナさん」
「なっ…!」
アイリスと一緒に驚きの声をあげる。こんな遠い地で追っ手ということもないだろうが。
「そ、そうよ。わたしはマリエーナの第3王女レミット・マリエーナよ。何の用よっ!」
「いやぁ、星の動きであなた方が来ることは分かっていました。まあ私の話をお聞きなさい」
ポロロン。
リュートを弾いて詩人は語り始める。この世に存在する魔宝の話。どんな願いも叶えられるという。しかし手にするのは容易でない…
「まあ…。本当なら素敵なお話ですね」
「…ほ、本当のわけないじゃない。行くわよアイリス、こんな変なのに付き合ってられないんだからっ」
「は、はい姫さまっ」
ずかずかと街の中へ入りながら、レミットの頭には今の話がこびりついていた。どんな願いも叶えられる。どんな願いも?
ポロロン。
そんな彼女を見送りながら、再度ロクサーヌはリュートを鳴らす。世界に多くの旅人がいる。今この街に立ち寄った旅人たちを、新たな旅へ、そして本当の旅へ導くのが自分の役目。そこで何を見つけるかは彼ら次第…
迷子の女の子は道を見つけることができるのだろうか?
そしてレミットは街の中でアイリスとはぐれてしまったが、そこで「変な男と性悪の妖精がケンカを売ってきた」(レミット談)。アイリスやロクサーヌと再度合流した後、彼らも魔宝を求めていると聞きレミットの決心は決まる。とにかく対抗して魔宝を集めることにした。
ただの口実かもしれないし、目標が欲しかっただけかもしれない。でもそれでもいい。仲間を集めて、アイリス以外の人と同行する。必ず魔宝を手に入れる。もう誰にも馬鹿になんてさせない。
こうして物語の旋律は始まる。
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