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 翌日の昼休み。
 夕理が孤独にお弁当を食べ終わった頃、見計らったように晴が現れた。

「ほな先生、玉稿有り難くお借りするわ」
「やめてください嫌味ですか。どうせ素人の作った曲ですよ」

 嫌々といった感じの夕理の手から、楽譜を受け取り素早く目を通す。

「おっ、歌詞ついてるやん。これなら徹夜せえへんでも済みそうやな」
「私は曲と歌詞を同時に作るタイプなんです」

 鼻歌で頭から演奏してみる。
 爽やかで明るい、スクールアイドルの教科書のような曲だ。
 Westaのカラーではないが、それでもバラードやラブソングでなかっただけマシと思うべきだろう。
 そう考えながらふんふん歌っている晴の顔を、夕理が怪訝そうに覗き込む。

「先輩、楽譜読めるんですか? それやったら自分で書けば……」
「勉強してどうにかなる程度のことはどうにかするし、努力を惜しむことはしない」

 歌い終わった楽譜を、晴は丁寧にクリアファイルに挟む。

「けど芸術的なセンスはどうにもならない。せやから私たちには天名が必要なんや」
「………」
「これから作業するけど、見に来る? どうやって一日で作る気なのか、ほんまは興味あるんやろ」
「そ、それは、まあ……」

 スクールアイドルの作業現場というものを、夕理は実際に目にしたことはない。
 今まで見てきたのは完成したライブだけで、裏でどんな作業があるかは伝聞でしか知らないのだ。
 そんな状態で色々と批判していた自分に少し後ろめたさを覚え、ごまかすように夕理は勢いよく席を立つ。

「見に行くだけですからね! 入部するんじゃありませんから!」
「分かった分かった」



 部室には既に、花歩以外のメンバーが揃っていた。
 三人とも昼食は手早く済ませ、完全スタンバイ状態である。

「では私が歌うので、静かに」
「OKや」

 静まった部室の中、スマホを机に置いた晴が、楽譜を片手に歌い出した。

「なっ」

 夕理は思わず後ずさる。ハスキーで意外といい声だが、それはともかく眼前で自分の曲を歌われるのはさすがに恥ずかしい。
 歌い終わり、録音を終了したところで部員たちが拍手する。
 立火と小都子は驚きと喜びの表情で、桜夜は渋々と。

「へえ、ほんまに曲って作れるんやな! 私そっちはサッパリやから、なんか魔法みたいや」
「あ、当たり前やないですか。どんな曲も誰かが作ったものですよ……」

 立火の言葉に反駁する夕理だが、この状況ではどうにもキレが悪い。
 持ち上げられて気まずいところへ、晴が作曲者を尊重して質問してくる。

「何か解釈のおかしかった箇所はある?」
「い、いえ、ないです」
「ほな私たちは歌の練習や! テキパキやるで!」
「はいっ」
「まっ、桜夜ちゃんの美声を聞かせたるわ」

 ステージメンバーの三人は、録音した曲を再生しながら、頭に叩き込むことに集中し始めた。
 そして晴は少し離れた場所で、ノートパソコンを起動する。
 スマホで楽譜の写真を撮り、ファイルをパソコンに転送したようだ。
 立ち上がったソフトを夕理が後ろから見学する。状況的にDTMだろう。

「手書きの楽譜でも取り込めるんですか?」
「100%は無理やけど、天名の書き方が綺麗やからいい精度が出そうや。駄目な箇所は手動修正やな」

 手早くソフトの操作を始めた晴だが、昼休みの残りが少ないことに気付き、夕理への説明を優先することにした。

「振り付けやけどな」
「は、はい」
「ここに過去五年分の振り付けを、個々の動きに分けたものが入っている」

 晴が開いた文書ファイルは、簡単な人体図に動きの矢印をつけたものだった。
『指、まっすぐに』
『ターン素早く』
 そんな補足説明もところどころに書かれた画像が、十や二十ではなく、スクロールしないと見きれないほど並んでいる。

「でもって、私の頭にも全て入っている。その中から曲に合ったものを取り出して並べていく。もちろん去年のものが優先や。三人の身体が覚えてるからな」
「そ、それで振り付けになるんですか?」
「あくまで骨組みで、普段はこれをベースに全員で新しい振りを考えたりすんねんけどな。今回はできるとこまでやな」
「い、衣装は! さすがに一日で作れませんよね!?」
「それも資料室に五年分があるから、その中から選ぶだけ」
「なっ――要は使い回しやないですか!」
「使い回しというのは表現が良くないな」

 再びDTMの作業に戻った晴が、画面を見たまま悪びれずに言った。

「これこそが歴史ある部の強みや。先輩たちの五年間の蓄積が、私たちの試練に力を貸してくれている……とでも言うとこか」
「き、詭弁です!」
「♪さあ空を見上げよう~! 翼はためかせて~!」
「わわっ」

 もう曲を覚えたのだろうか。歌の練習が開始される。
 さすがにこれ以上は恥ずかしさに耐えられず、夕理は部屋の入口まで後ずさった。

「わ、私もう戻ります!」

 作曲者が逃げ帰った後も、歌声は特別教室棟に響き続ける。
 一回ごとに錬度を増しながら。


 *   *   *


 放課後の部活で、花歩は見ていることしかできなかった。
 それでも飽きはしなかった。
 バラバラだった部品が、少しずつ形になっていく美しさに心が踊った。
 あっという間に二時間が過ぎ、通常の帰宅時間になる。

「さて花歩はここまでや。また明日な」
「あ、あのっ」

 もう少しだけこの人たちといたくて、我儘とは思いつつも抵抗を試みる。

「わ、私もいたら駄目でしょうか? 何もできひんのは分かってますけど、せめて一緒に……」
「花歩」

 ぶっ通しの練習で疲れもあるはずなのに、部長はおくびにも見せず、花歩の肩に手を置いた。

「気持ちは嬉しいけど、花歩が頑張るのは今やない。いつかその気持ちが必要になる時がくる。その時まで取っておくんや」
「で、でもっ……」
「それに明日のライブはあの子だけやなくて、花歩にもカッコいいとこ見せたいねん」
「そーいうこと。桜夜ちゃんの華麗な姿を楽しみにしとくんやでー」

 三年生たちの言葉に、それ以上言い返すことはできなかった。
 気の利いたことを言おうとして、結局「頑張ってください!」としか言えなくて、唯一の一年生は部室を後にした。
 夕焼けに染まる視聴覚室に、四人の部員が残る。

「小都子は何時までいられそう?」
「八時が限界ですね。家には連絡しましたけど、それ以上は勘当されそうです」
「無理せえへんで早目に帰るんやで。桜夜はまあ……満足するまで付き合ってもらおか」
「扱いが雑! もー、帰るの大変やから泊めてな」
「晴もチャリやから何時でも大丈夫やろ」
「大丈夫です」

 シンプルに答えて夕食の準備を始める晴に、桜夜がからかうように言う。

「ていうか晴、この前はブラック部活がどうとか言うてたやん」
「どんなホワイト企業でも、緊急時の一時的残業はあり得るものですよ。働いた分は後日休ませてもらいますけどね」
「せやな、ここが力の入れどころや。これ食べてもう一頑張りしよか!」
「私、お茶入れますね」

 机に並んだ四つのコンビニ弁当を前に、少し楽しそうな小都子が魔法瓶を取り出した。


 *   *   *


(あの人たち、まだ練習してるんやろか……)

 自室で授業の予習をしていた夕理が、壁の時計を眺める。
 針は七時を指している。

(まさかね。もう帰ったやろ)
(どうせ大したことのないライブ見せて、『でも一日でここまでやったのは凄いやろ?』って言いたいだけなんや)

 そんな子供だましに引っかかるものか。
 明日は厳しく評価させてもらう。
 ……まあ、一日でやれというのはちょっと酷かったとも思うけど。

(いやいやいや、私は悪ないで! あの人たちがそれでOKしたんや!)

 頭を振ってから、予習を続けようとして……
 机の横のコルクボードに目が止まる。
 きっちりと整列した、十枚の写真。
 すべて、夕理とつかさの二人だけが写ったものだ。

『夕理は、スクールアイドルが好きなん?』

 あの幸せだった頃、この部屋で響いた言葉が、脳裏に再生された。


 *   *   *


「夕理は、スクールアイドルが好きなん?」

 中学一年生のつかさはそう尋ねた。
 初めて彼女を自室に招いて、自分の好きなものを見てもらった時だ。
 タブレットに映る、スクールアイドルたちの輝く姿を。

「せや。プロのアイドルは結局はお金稼ぐためにやってるやろ? アイドル自身に罪はないけど、やっぱり不純な感じがすんねん」
「ふうん」
「その点スクールアイドルはお金関係ないから! 純粋に誇りと名誉のためにやってるんやで!」

 言ってから、もしかして気分を害してないかと心配になる。

「そ、その、もしつかさに好きなプロがいたらごめんやけど……」
「まあ最近はピンとくる人いないから、別にええよ」

 ほっとする夕理に、つかさは優しく笑ってフォローしてくれる。

「あれやろ。うちのお父さん、プロ野球より高校野球の方が感動できるって言うてたけど、そんな感じやろ」
「た、多分そうなんやろな。野球知らへんけど……」

 曲を作ってみようと思ったのはその少し後。夏のラブライブが終わり、結果が出た頃だった。
 優勝したグループの曲が個人的に気に入らなくて、自分ならこんな曲にする!という空想が湧きあがってきた。
 それに加えて、ひとつの下心が後押しした。
 もしかしたらつかさが、凄いって誉めてくれるかもしれないと。

 バイオリン教室は中学に上がるときに辞めてしまったが、久しぶりに引っ張り出して鳴らしてみる。
 作曲はどのグループも苦労しているらしく、ネット上にはスクールアイドル向けの作曲講座がいくつもあった。
 それらを参考に、近くの公園で弦をかき鳴らし、楽譜を少しずつ埋めていく。
 四苦八苦の末、ようやく完成したのは一カ月の後だった。

「え! 夕理が作ったの!? 曲を!?」

 恐る恐る楽譜を見せると、つかさは夕理の願望通り、大いに感心してくれた。

「言うても、あたしには見てもさっぱり分からへんけど……」
「そ、そやね。どうしよ……」

 見せた先を考えておらず、困っているところへつかさが提案する。

「ちょっと夕理、歌ってみてよ」
「ええ!?」
「今からカラオケ行こ。ほらほら」
「う、うん……笑わんといてね……?」

 そうしてカラオケボックスに響いた自作の歌は、つかさの拍手と称賛を受けた。
 嬉しくてその晩は眠れなかった。

 とはいえ調子に乗って二曲目、三曲目を作っては聞かせるうちに、彼女の反応は徐々に鈍くなっていった。
 元々それほど興味もなかったのだろうから、仕方のないことだろう。
 そうして完全に飽きられる前に、とある出来事により二度と聞かせることもなくなったのは、むしろ良かったと言える。

 その後も空虚な日常を埋めるために、時々作ってはみたけれど。
 誰の耳にも入らないまま、ノートごと机の奥底にしまわれていき……
 いつか古紙回収にでも出され、溶けて消え去るだけと思っていた。


 *   *   *


「レディース&ジェントルメン!」
「いやジェントルメンはおらへんけど」
「ならレディースのお二人さん!」
「それやと暴走族の方のレディースみたいやん!」

 アイドル衣装の立火と桜夜が、眼前で下らないことを言っている。
 全く面白くなくて、観客の片方は早くも渋い顔である。

「あなた方の、そういうおちゃらけたMCが私は嫌なんです」
「まあまあ、これがうちのスタイルやから。ほな、そろそろ味わってもらうとしよか」
「大阪市三位の実力、甘く見たらあかんで!」
「私たちの歌が、天名さんの心に届きますように!」



 立火、桜夜、小都子はよく通る声を上げてから、すっとポーズを取って静止する。
 傍らでは晴がノートパソコンを手に、今まさに音楽を開始しようとしている。

 会場は、ところどころ雑草の生えた校舎裏。
 二つのパイプ椅子のみの観客席に、それぞれ一年生が座っている。
 うち部員の方は、期待と信頼に満ちた握り拳を作った。

(先輩たち、今朝も早くから練習してはったんや! 絶対に成功させてくれるはず!)

 もう片方は、既に冷めた顔である。

(アホらし。早よ終わらんかな……)

 ――その思考は、鼓膜に打ちつけられた音に中断させられた。


『♪さあ空を見上げよう 翼はためかせて

 希望の星めがけて 今こそ飛び立とう』


(え――)

 形になっていた。
 スクールアイドルのライブが、目の前で現実化していた。

 もちろん動画で見たような、ラブライブ全国大会のパフォーマンスには遠く及ばない。そうでなければ練習時間というものに意味がなくなる。
 それでも、明白に非難できるほどの穴がない。
 装飾こそ少ないものの、綻びも見当たらない天幕が、夕理の五感へ一気に覆い被さってきた。
 それは夕理の想定していたハードルを、軽々と飛び越えていた。


『♪広がる光の海へ つながる音の波へ

 私たちはきっと 寄り添っていける』


 三人の上級生が、スムーズに動きを繋げていく。
 これが使い回しの継ぎはぎだなんて信じられない。
 昨日までただの文字だった歌詞が、情感を込めて歌い上げられる。
 一字一句、夕理の書いたままに。

(私の、曲が――)

 そして技術どうこうとは別に、演じられているという事実自体が胸を撃ち抜いた。
 夕理なりに頑張って作った曲。
 でもそれは無意味な努力で、日の目を見ることなんて永遠にないと思っていた。
 それが今、歌として、ダンスとして、演奏として形になり。
 自分一人ではなく、隣にいる観客とともに、この場で共有されている……!

(ああ……終わっちゃう)

 素人中学生が作っただけあって短い曲だ。あっという間に終盤に差し掛かる。
 もっと聞いていたい。
 そう思っている自分が信じられなかった。
 ゆっくりと音が消え、三人の動きも止まった。


 晴がパソコンの蓋を閉める。
 それと同時に、立火たちもポーズを解き、場の空気が弛緩する。

「わーーー!」

 花歩が満面の笑顔で拍手しているが、肝心のもう片方は、膝の上で拳を握って俯いている。

(さて……どうやろ)

 晴としては最も可能性の高い手段を採ったつもりだが、それでも100%などあり得ない。
 決めるのは夕理の心だ。他人の計画通りに動くものではないし、動いていいものでもない。
 桜夜と小都子も固唾を飲む中、立火が一歩前へ進み出る。

「これが私たちの実力や。正直な感想を聞かせてほしい」
「そ、その……」

 一年生はパイプ椅子に座ったまま、目を左右させて、ようやく声を絞り出した。

「サ、サビ前の部分、もう少し動きに凝れたのでは?」
「そこは思ったけど時間切れやな。他には?」
「えっと……そのう……」

 何も思いつかなかった。
 もちろん、もっと改善できる箇所はいくらでもある。
 けれどいずれも、一日という時間制限では元から不可能なものだった。
 何とか粗を探そうとして――
 その行動こそが、敗北の証であることに気付いて、とうとう夕理は降参した。

「あーもう私の負けですっ! 皆さんの力はよく分かりましたっ!」
「それやったら――!」
「い……いいですよ。入ってあげても」

 不本意そうに横を向いた作曲者の口から、部員たちが待望した言葉が漏れる。
 裏庭にわっと歓声が上がった。
 立火と花歩は笑いながらハイタッチして。
 桜夜は得意満面で調子に乗る。

「こらこら一年生、言い方ってもんがあるやろ。そこは入れてくださいお願いしますとモガガ」
「さ、桜夜先輩、ええとこなんですからここは自重して」

 小都子に口を塞がれた桜夜を呆れた目で見ながら、全面降伏でないことを強調するように、夕理は部長へと強く釘を刺した。

「でも私は書きたい曲しか書きませんからね! 歌詞も一字一句変えさせませんから!」
「ま、まあそのへんはおいおい調整ということで……」
「あーっ、ごまかそうとしてる! 私が入るからには、健全で高校生らしい曲しか許しませんよ!」
「ほんまにコイツ入れて大丈夫なの?」

 そんなことを言っているツインテールに、前言を撤回したくもなるけれど。
(でも――これでいいんやろな)
 夕理は張り詰めていた気を緩めて、自身を納得させる。
 だって……

『……あたしと同じ部にするの?』

 唯一の友達の、あの声が呆れを含んでいたと思うのは、夕理の被害妄想だろうか。
 何にせよ、彼女をストーカーのように追いかけることはせずに済んだ。
 ……だから、これで良いのだろう。

 そんな一年生の内心も知らず、立火は安堵の息をつく。

「とにかく、これで新人二名やな」
「いや三名ですよ、部長」

 晴に言われて、三日前の約束を思い出す。
 軽口の延長のような言葉だったが、約束は約束だ。

「そっか。これもう喋ってもええんやろか」
「いいんじゃないですか。夕理を獲得した後ですし」
「?」

 きょとんとする夕理に、立火は笑顔で説明する。
 彼女が喜んでくれることを期待して。

「あのな夕理、実は彩谷と話してたんやけど……」



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