「私がスクールアイドルやってる理由? 昨日立火が言うてた通りやで」
翌日の昼休み。桜夜がクラスメイト二人とお昼を食べているところに、勇魚が弁当箱を持って質問に来た。
三年生の教室でも平気な度胸に驚きながらも、喜んでランチの席に加える。
「可愛いからですね! うちもそう思います!」
「せやろー? 私はアイドルになるため生まれてきたようなもんやから!」
「それならプロ目指したらええやろ」
「い、いやプロはちょっとね……責任重そうやし……」
「このヘタレが」
「うるさいっ」
友達の一人から突っ込まれ、桜夜は渋い顔で応じる。
もう片方の背の高い友達が、助けるように会話に入った。
「私は桜夜ちゃんがスクールアイドルで良かったよ。こんな近くで応援できるんやもの」
「
そんな二人を眺めながら、背の高くない方から再び突っ込み。
「けど、それやと全然その子の参考にならんやろ。もう少しないの」
「というと?」
「『始めた理由』はそれでも、『今も続けてる理由』は別やろ?」
「……まあね」
桜夜は少し迷っていたが、仕方なさそうに勇魚へ顔を向けた。
「他の人に言うたらあかんで? ちょっと恥ずかしいから」
「はいっ! うちは口が軽そうに見えて、結構固いです!」
「入部した後なんやけどね……」
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最初の一年間は、楽しいことばかりだった。
一年生は桜夜を含めて五人。特に立火とは妙に気が合って、部内でもコンビとして扱われていた。
部長も割とお笑い系の人で、MCに漫才を取り入れるようになったのもこの頃だ。
予備予選であっさり負けたときも部長はへらへらと笑っていて、それに二年生たちが不満そうだったのが、少し気にはなったけれど。
進級するとき一人が親の都合で転校してしまったが、新一年生も五人が入部して、二年目も平和に過ぎていくと思っていた。
状況が変わったのは、新三年生と晴の活躍で予備予選を突破した後だ。
「地区予選に向けて、練習を夜七時まで延ばす」
泉部長の言葉に、他の三年生から異論は出ない。事前に話し合っていたのだろう。
二年生の
「それは全員強制ですか」
「出たくなければ出なくてもいいが、そいつはもうWestaのメンバーではないと思ってほしい。悪いが意欲のない奴に構っている余裕はないんや」
下級生たちは顔を見合わせるが、誰も何も言えなかった。
帰りに立火と駅まで歩きながら、つい愚痴が出てしまう。
「家に着くの八時になるやんか~。それからご飯食べてお風呂入って……いつ勉強したらええの?」
「どうせ勉強なんてしてへんくせに」
「立火は元から体育会系やからいいけどさあ! こっちはか弱い乙女やねんで!」
「しゃあないやんか、私らは大阪市の代表になったんや。恥ずかしい演技は見せられへんやろ」
駅で別れるとき、立火は元気づけるように言ってくれた。
「私は家近い分余裕あるし、できるだけ桜夜のことフォローするから。ちょっと頑張ってみよ?」
「ううん……立火がそう言うんやったら」
そうして一か月の猛練習の後、初めて参加した地区予選は21位。
努力の割には報われなかったが、とにかく一段落ついたと思った矢先……
「この雪辱は冬のラブライブで晴らす! 毎日七時から朝練やるで!」
(ええええええ!)
「参加するかどうかは自主性に任せるが、本気でやりたい奴は当然参加するものと信じている」
(いやそれ事実上強制ですやん……)
直後、叶絵が再び手を挙げた。
「すみません、部長」
「何や」
「辞めます」
その言葉自体も桜夜にはショックだったが、それより隣で蒼白になっている立火が心配だった。
三年生たちは覚悟の上だったのだろう。部長は引き留めもせず静かに言った。
「……そうか。今までご苦労やった」
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「で、その時あっさり辞めたのがそいつや」
桜夜は目の前でパンをかじっている友人を指し、勇魚を驚かせた。
「はーい、私が叶絵でーす」
「そ、そうやったんですか……あの、辛くなかったんですか。スクールアイドル、やりたかったんですよね?」
「そうは言うてもしゃあないわな。合わないなら他にやりたいことを見つけるしかないやろ」
「そういや部活辞めた後は何してんの?」
「主にゲーセンで音ゲー。全国ランク結構高いんやで」
「へー、お金かかってそう」
「それは言わんといて……」
気さくに会話する桜夜と叶絵を、恵が優しい目で眺めている。
「部活辞めても、こうして友達でいられるのって何かええよね」
「そうですね! 友情は永遠なんや!」
「まあ私は悪いことをしたつもりはないし」
「もう一人あやかって子がいたんやけど、そっちは会うたび申し訳なさそうにしてくるから、逆に話しかけづらいねん」
溜息をついて、少し弁当箱の中身を片付けてから、桜夜は話を再開する。
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夏休み中、朝から晩まで厳しい練習が続く。
一年生も櫛の歯が欠けるように、一人また一人と退部届を出していった。
「桜夜ァ! 何回同じ失敗したら気が済むんや!!」
「ひいいい! すみませぇぇぇぇん!!」
「まあ落ち着け伊達」
「ちっ!」
「けどな桜夜、いい加減できるようになってもらわな困るで」
恐縮するしかない桜夜に、立火が恐る恐る部長に声をかける。
「あの、ここ難しいですし私がやった方が……」
「出しゃばるな立火。桜夜ならできる思て割り振ってるんや」
「……はい」
「あやかも何を他人事みたいに見てるんや! さっきの少し遅れてたやろ!」
「はっはい! すみません!!」
二学期になると三人目の一年生が辞め、マネージャーの晴を除けば、小都子が唯一の一年生になった。
「小都子って大人しそうに見えて、意外と根性あるんやなあ」
「どうせ私は根性ないですよ……」
「で、でも桜夜も辞めずに頑張ってるやないか! いつか報われる日がくるで!」
「………」
「……ごめん、あんまり助けられなくて」
「ちょっ、暗くなるのやめて! 立火はいつもみたいにアホなこと言うてたらええんや」
「せ、せやな」
駅までの短い下校路で、立火と冗談を言い合うのが唯一安らぐ時間だった。
しかし駅で別れて地下鉄で三十分揺られ、そこからさらに家まで歩く頃には、すっかり気力も萎えている。
(あかん。死ぬ、死んでしまう……)
よろよろとベッドに倒れ込み、手近にあった鏡に自分を映す。
目の下にはクマができて、肌にも張りがない。
(ひっどい顔……美少女が台なしや……)
こんな顔をするためにスクールアイドルになったんじゃない。
立火には悪いけれど……
頭の中では、退部届の書き方を考えていた。
翌日。朝練は体調不良と偽って休んだ。
放課後に重い気持ちで部室へ向かうと、暗い顔のあやかが逆方向へ歩いてくる。
「あやか? 部室行くんとちゃうの?」
「あ、桜夜……」
あやかは反射的に目を逸らすと、か細い声で言った。
「……さっき部活辞めた」
(しまったァァァァァ! 先越されたァァァァァ!!)
「ほんまにごめんなさいっ!」
泣き顔で走り去るあやかを、呆然と見送る。
桜夜の方こそ泣きたい気分だ。
おずおずと部室を覗くと、既にメンバーは揃ってる。
「何してるんや桜夜。早よ練習始めるで!」
「は、はい……」
あやかが辞めたというのに、部長を始め五人の三年生は一切揺るがない。
何事もなかったかのように、フォーメーションの修正と練習の継続が行われる。
これなら、自分がいなくなっても同じではないのか……。
家まで帰る体力もなく、立火の部屋に泊めてもらった。
風呂上がりに、部屋の主は畳を叩いて力説してくる。
「確かに練習は厳しいけど、その分実力はついてる! ランキングも上がってるやないか!」
「そうだけどさあ……」
「……桜夜も辞めたいん?」
「まあ……そんな気分にならないこともないというか……」
どうしても煮え切らない回答になってしまう。
だって桜夜まで辞めたら、二年生は立火が一人ぼっちだ。
正直、タッチの差で逃げていったあやかが恨めしい。
「ね、ねえ。良かったら一緒に退部……」
「私は辞めへんからな!」
分かり切ってはいたものの、立火の根性は甘い道を許さなかった。
「野球を捨ててまで始めたスクールアイドルなんや。それを途中で放り出したら、中学時代の仲間に合わす顔がない……!」
(誰やねん! 知らんわ!)
自分の知らない人たちを持ち出され、無性に腹が立ってくる。
ぷいと横を向いて、当てつけのように言う。
「へー。なら立火は、私が辞めても構へんのやな」
「……桜夜がそうしたいならしゃあないやろ」
「何やねん、それ!」
怒りが沸点を越え、思わず立火に掴みかかっていた。
畳に押し倒す形になり、髪が橋渡しのように立火の体に落ちる。
「めっちゃ腹立つ! 立火にとって私ってその程度なわけ!?」
「そっちこそ何やねん! 私にどうして欲しいんや!」
下から言い返す立火の顔は、少し自暴自棄に見えた。
仲間が次々と去っていって、立火が傷ついていないわけがないのだ。
それが分かった今、一人にしておけるわけがなくて。
だったら、どうして欲しいかなんて――
「私がいないと寂しいって言って!!」
そんな叫びが、桜夜の口から打ち下ろされていた。
ぽかんとする相方の顔に、雫のように次々言葉がこぼれていく。
「……嘘でもええから、私に一緒にいて欲しいって言って」
「桜夜……」
「そしたら私、それをモチベに頑張るから……」
言ってから恥ずかしくなり、そそくさと身を離す。
立火も起き上がり、互いに目を合わせないまま、気まずい空気が流れた。
しばらくして、ぽつりと立火の返答が届く。
「……嘘なんて言えるわけないやろ」
「せやな……」
「桜夜がいなくなったら、本気でへこむに決まってるやろ」
「え……」
振り向くと、すぐ目の前に立火の顔があった。
畳についた手に、彼女の手が重ねられる。
二人きりの狭い部屋で、立火は正直に、本当の願望を伝えてくれた。
「辞めないで、桜夜。勝手なこと言うけど、最後まで二人でやり切って卒業したい」
――ふ。
緊張は長続きせず、互いに何となく笑い出す。
笑いに紛れて、こっそり涙を拭ってから、桜夜は小指を差し出した。
「ほな指切りや」
「うわ、高校生にもなって?」
「ええの! 私根性なしやから、これくらいせえへんと決心鈍るの!」
照れくさそうに小指を絡める立火に、桜夜は宣言する。
人生でこうまで真剣になったことはないというくらい、真剣な気持ちで。
「立火が辞めるまで、私は絶対に辞めない」
「それ、最後まで続けるってことやで」
嬉しそうな相方の顔を見て、この日、桜夜の運命は決まった。
そうまでして臨んだ地区予選は13位。
喉元過ぎれば何とやらで、あの厳しかった練習も今ではいい思い出だ。
今年の活動はかなり楽になったし、もう辞めるなんてことはあり得ない。指切りの意味はなくなったのかもしれない。
それでも桜夜の中では、いつまでも有効のつもりだった。
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「って、うわあああ恥ずかしい~~!」
のたうち回る三年生に、後輩は感激で目を潤ませている。
「先輩の理由が一番わかりやすいです! やっぱり友達のためなら頑張れるんや!」
「桜夜ちゃん、広町さんのこと大好きやもんね」
「いや好きとかやなくて……あくまで相方っていうか……」
言い訳のようにごにょごにょ言いながらも、その相棒のことを思う。
今は隣の教室で、同じようにクラスメイトとお昼を食べているのだろう。
「立火は強いから、一年の三六〇日くらいは一人でも平気やと思うねん。
でも五日くらいは落ち込んだりもするから、私が支えられたらなって……」
また顔が赤くなり、桜夜は一年生に食って掛かる。
「私にここまで話させたんや! 絶対入部してくれるんやろな!」
「え、ご、ごめんなさい! それは別の話なので!」
「ええやんかー、勇魚は可愛いから大歓迎やで。私ちっちゃい女の子大好きやねん」
「とりあえず通報しとこか?」
「変な意味とちゃうから!」
「せやね……小さい子の方が可愛いもんね……」
「あーもう、恵はすぐそんな顔する。大きい女の子も可愛いってば!」
友達同士、楽しそうな三年生たちを見て、勇魚の顔もほころぶ。
姫水や花歩のためだけに入部する。それだって間違いではないのかもしれない。
でもこうして、別の道を進んでも仲のいい人たちを前にすると、それが必須とも思えなかった。
もう少し聞き回ってみよう。