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 翌日の放課後も、勇魚は中庭のベンチで引き続き悩んでいた。
 明日からはゴールデンウィークに入ってしまう。
 できれば今日中に決めてしまいたいが……。

「あれ、勇魚やん」

 そんなところへ、ジュース片手につかさが通りがかった。

「つーちゃん! 部活行かへんの?」
「今日はサボり。そう毎日毎日練習してられるかってーの」
「そうなんや! それならうちと少しお話しよ!」
「まあ、ええけど」

 促されて隣に座り、ジュースのパックにストローを差しこむ。
 部長に連絡は入れているとはいえ、堂々とサボることに眉をひそめられるかと思ったが、勇魚は変わらず笑顔のままだ。
 基本、他人を悪くは言わない子なのだろう。

「つーちゃんってめっちゃ友達思いなんやね!」
「何やねん藪から棒に……って、もしかして夕理とのこと聞いた?」
「うん! バスの中で、花ちゃんが話してくれたで」
「花歩のやつ口かっるいなー……」
「なんで? 別に隠すことないやん!」
「そうやけどさあ」

 ストローを口に入れようとして、少しためらってから、つかさは目を逸らして小声で尋ねた。

「あ、あのさ。その話聞いたとき」
「うん?」
「藤上さん……あたしのこと、何か言うてた?」
「姫ちゃん?」



 勇魚は腕を組んで記憶を再現しようとする。

「うーん」
「あ、もういい。悩まな思い出せへん程度の反応やったわけね」

 まだほとんど会話もしていないのだから、それも当然なのだろうけど。
 少ししょぼんとしてジュースを飲んでいるつかさの顔を、勇魚が覗き込む。

「姫ちゃんのこと、気になるの?」
「は!? なな何であたしが!? 全然これっぽっちも!」
「そうなん? 気にしてあげてよ、同じ部の仲間やねんから~」
「いや、まあ……」

 あまりに素直に受け取られて、つかさとしても困ってしまう。
 ただ、あまりに素直な子なものだから。
 何を言っても許してくれる気がして、つい嫌味めいたことを口にした。

「よく藤上さんと友達でいられるよね」
「え?」
「だってさあ……あの人って完璧すぎるし、あたしも勇魚も、藤上さんに勝てるとこ一つもないやろ」
「………」
「それでよく対等でいられるなって……」

 勇魚は固まっている。
 つかさはもう一口ジュースを吸い込むと、後悔とともに笑顔を作って撤退に転じた。

「って、幼なじみやったらそんなん気にするわけないか。ごめんごめん、冗談」
「そっか――そうやったんや」
「え?」

 深刻そうな勇魚を見て、不謹慎ながら暗い安堵が浮かぶ。
 悩みなんてなさそうなこの子も、自分と同じ部分があったのだろうかと。

「もしかして痛いとこ突いちゃった? いやー悪い事したなー」
「ううん、つーちゃんの言うてることとは、少しちゃうと思うけど」
「何や、ちゃうんかい……」
「でも、似たようなもんかもしれへん!
 おおきにつーちゃん。うち、姫ちゃんのとこ行ってくる!」

 勇魚は弾かれたようにベンチから飛び降りると、そのまま猛然と走り出した。
 方角はつかさがサボる気だった、西の端の部室だ。

「……何やねん、もう!」

 少し迷ってから、つかさもその後を追った。


 *   *   *


「姫ちゃん!」

 部室へ飛びこんできた勇魚に、ミーティング中だった姫水は驚いて振り返る。
 他の部員の視線も集まる中、勇魚の目には一人しか映らない。
 藤上姫水。
 誰よりも大切な幼なじみ。
 七年間の別離を経てなお、二人の立ち位置は変わっていなかった。

「――姫ちゃんはいつだって、スポットライトを浴びる人」
「勇魚ちゃん……?」
「うちは、それを応援して助ける人。
 そういうもんと思ってたんや、ずっと……」

 皆から愛されるのも。
 喝采を浴びるのも。
 それは全て姫水であるべきで、自分ではないと。

 そんな固定観念が生まれていたことに、ようやく気付いた。
 いつから?
 たぶん幼稚園の劇で、白雪姫と小人に分かれてから、少しずつ――

 長く長く積み重なった枷に、囚われた胸を押さえて、勇魚は俯く。

「これって良くないことなんやろか」
「……そんなことはないよ。勇魚ちゃんがそうしたいなら、私は喜んで応援を受け取る」

 ステージの目前で立ち尽くす幼なじみに、姫水は泣きそうな目で一歩近づく。
 別に悪いことではない。裏方もファンもいてこそ、スクールアイドルは成り立つのだから。
 勇魚が本当に望むのであれば、悪いことではないけれど……

「でもね勇魚ちゃん、あなたは看護師になるんでしょう」
「うん……」
「望むと望まざるとに関係なく、いつかは主役にならなきゃいけないの。
 勇魚ちゃんだけでなく、誰だっていつかは、自分の人生の主役に」
「せやね……せや」

 仕事がサポートかどうかの話ではなく、精神のあり方として。
 ただ姫水を応援しているだけでは、いつかは置いていかれるのだ。
 μ'sを助けた三人の裏方たちも、きっと今は自分の人生を歩んでいる。

「姫ちゃん」

 顔を上げた勇魚は、ずっと続いてきた関係を、敢えて壊そうとしていた。

「うちは、姫ちゃんと対等になりたい」
「勇魚ちゃん……」
「そのために、うちもステージに上がる。
 姫ちゃんと一緒に歌って、姫ちゃんと一緒に踊りたい。
 姫ちゃんが見ている景色を、うちも見てみたい!」
「うん……!」
「勇魚ちゃんっ!」

 二人が駆け寄ると同時に、花歩も横から勇魚に抱き着いた。
 自分は何もできなかったけれど、それでもいいのだ。
 花歩の大事な友達が、一歩前に進んだのだから。

「花ちゃん! 色々遠回りしてごめんね」
「ええねん、絶対すごいスクールアイドルになろうね!」

 同時にそれは、廊下で聞き耳を立てていたつかさには、面白からぬことだった。

(クソッ、何やねん……あっさり乗り越えてるやないか……)

 自分と同じと思ったのは、本当に束の間だった。
 やっぱり幼なじみは、自分なんかとは距離が違うのだ。
 たとえ姫水が相手でも、簡単に対等になってしまう。

(ああもうやめやめ! 何であたし、藤上さんのことばっか意識してんねん!)

 逃げ出すように、早足でその場を去っていく。
 同時に部室の中では、見守っていた上級生たちに、勇魚が元気に声を上げた。

「立火先輩! 入部試験をしてください!」
「んん!?」
「色々とご面倒をかけてもうたし、このまま入部するのも何なので!
 うちがWestaに入ってもええか、試験をお願いします!」
「おもろいやないか、そういうノリは大事やで」

 部長は楽しそうに笑うと、入部希望者にびしりと指を突きつける。

「よし、その気持ちを学校中に伝えるんや! その強さで合否を決める!」
「はいっ! なら、そのへんに残ってる人に伝えてきます!」
「いやいや、そこまで原始的でなくてええから……ちょっと放送室行こ」

 そうして部長は勇魚を伴い、廊下に出ていく。
 程なくして、放課後の校内に放送が鳴り響いた。

『あーあー、毎度お騒がせするで、Westaの広町立火や!』

 生徒たちが何事かと顔を上げる中で、スピーカーからの声は続く。

『うちに入部したいって一年生が、思いの丈を伝える言うてんねん。
 スクールアイドルは生徒の応援が命!
 学校に残ってる人は、これも縁と思って聞いてあげてや!』

 他の学校なら怒られるところだが、この学校ではこの程度のノリは許される。
 すぐさま、少し幼い声が後に続いた。

『一年三組、佐々木勇魚です! スクールアイドルになりたいって、今本気で思ってます!』
『では抱負をどうぞ』
『えっ! うち頭悪いので、考えるのに半日くらいかかります!』
『遅いわ! もっと手っ取り早い方法はないの』
『うーん……それやったら歌います!』

 考えたのは数瞬。曲を決めた勇魚が、マイクへ向かって迷わず告げる。

『うちの好きなグループが、去年に地区予選を突破したときの歌……』
(こいつ……味なことを)

 放送室の機器の前で、立火の唇が少し上がる。
 自分たちの悲願が予選突破だと、入学式翌日に話したとき、この子も見学していたのだ。
 今度は花歩の付き添いではなしに、勇魚は大声で曲名を口にした。

『”MIRACLE WAVE”!』


 校内に歌声が響く。
 50点、と夕理が呟く通り、技術的にはまだまだだ。
 それでも元が元気な曲なこともあり、勢いだけは伝わってくる。
 小都子が目を閉じて、感慨深そうに言う。

「去年はバク転ばかり話題になったけれど、こうして聞くと歌詞もええよね」
「心が欲しがる輝きを、君に見せる、か……」

 晴の視線が、スピーカーを見上げたままの姫水へと向く。
 その姫水の両目から――
 一筋、二筋と、涙が流れ落ちていた。
 隣にいた花歩が、驚いてその顔を見る。

「姫水ちゃん? 泣いてるの?」
「……うん。まだ私、普通に泣くことができたみたい」

 このためだったのだ。
 何をしたいのかも分からなくなってしまった姫水に、せめて自分の本当の気持ちを見せようと。
 そのために勇魚はこの数日、必死に悩んで、そして見つけ出したのだ。

(勇魚ちゃん、本当にあなたは……)

 対等になりたい。
 それは姫水だって同じだ。勇魚に助けられてばかりではいたくない。
 涙を拭いもせず、心に未来を誓う。
 今は自分のことで精一杯だけど、いつか勇魚を助けられるようにと。


(うるさい! やめろ!)

 家に帰ろうとしていたつかさは、思わず校庭を蹴りつけていた。
 放送は外まで届き、運動部員たちが面白そうに歌に耳を傾けている。
 このまま勇魚は受け入れられ、幼なじみ同士で仲良くするところを見せ付けられるのだろう。

(あ……あたしには関係ないし!
 藤上さんとは知り合ったばかりで、向こうからは名前覚えられてるかも怪しいし。
 ただ同じ部の人ってだけで、部活を辞めれば何の接点もなくて……)

 退部……。
 その二文字が頭をかすめるが、さすがに現実的ではない。
 一か月も経っていないのに辞めたら、いくら何でも夕理や小都子に申し訳が立たない。
 このまま帰宅したら、本格的に居場所がなくなる気がして……
 つかさは180度回転し、仕方なく校舎へと戻っていく。


 *   *   *


「ただいまー」

 放送室から戻ってきた二人を、温かい空気が出迎えた。

「どうでしょうか! うち、合格ですか!?」
「うんうん、可愛いから満点あげちゃう!」
「桜夜が試験官はあかん。次期部長の判断を聞こうか」
「もう、その呼び方やめてくださいよ」

 困り笑いを浮かべながらも、小都子は勇魚の前で試験結果を言い渡す。

「合格や、勇魚ちゃん。
 あなたの溢れるほどの想い、私たちみんなに伝わったよ。
 ようこそ、スクールアイドル部に!」
「小都子先輩……!」

 涙を浮かべる勇魚の手を、もう泣くのをやめた姫水が優しく握り、晴も満足そうに微笑んでいる。
 一人夕理だけがげんなりしているのを、花歩が一生懸命励ましている。
 そんな部室を見渡しながら、立火の口から感慨がこぼれた。

「これで、新入部員が五人……か」

 先月に、寒々しい部室で話していたことを思い出す。

『作曲者を含め、最低五人は欲しいですね。それで元の人数に回復できるので』
『よし、まずはそれが目標やな』

 最低目標どころか、かろうじて五人集めるのがやっとだった。
 それでも今の部室は、十分な熱気を感じられる。
 花歩、夕理、姫水、勇魚。
 それぞれの想いは方向こそ違えど、例外なく強いことを知っているのだから。

「ま、つかさが欠席なのがちょっと残念やけど」
「いますよー」
「あれ!?」

 扉からひょいと顔を出したつかさに、立火は驚きと喜びの混じった声を上げる。

「今日休みとちゃうんかったん?」
「まあ、何と言うか……新人の歓迎くらいは同席しようかと」
「つーちゃん!」

 つかさの姿を見るや、勇魚は子犬のように駆け寄ってきた。

「さっきはおおきに!」
「いや、あたし嫌味言うただけやし……」
「彩谷さんがどうかしたの?」
「うちが姫ちゃんとの関係に気付けたの、つーちゃんのおかげやねん!」
「そうなんだ。よく分からないけど、ありがとう」
「べ、別にっ」

 姫水から初めて名前を呼ばれた上、お礼まで言われた。
 勝手にほころぶ顔を部員たちに、特に夕理には見せたくなくて、そっぽを向いてしまう。

 そんなつかさを中に引き入れ、九人が集まった空間で、部長は高らかに宣言した。

「よし、みんな円陣組むで!」


 *   *   *


「そういや、今年はやるの初めてやなー」

 机を動かしてスペースを空ける中、桜夜は軽い風を装いながらも、内心では気合を入れている。
(このポジション取りは重要やで!)
 今までの経験上、一度組んだ並び順は、何となくその後の円陣でも引き継がれてしまう。
 夕理が隣にでもなったら最悪だ。
 片側は立火として、もう片側に来て欲しい子へ手招きする。

「勇魚ー、おいでおいで」
「はいっ。えへへ、よろしくお願いしますっ」
「ほんま可愛ええなー、飴ちゃんあげちゃおう」
「え、桜夜先輩も飴ちゃんを?」

 桜夜は机上の鞄に手を伸ばすと、中からペロペロキャンディーを取り出した。

「これあげるからお姉さんちに来ない? うへへへへ」
「いかがわしい飴ちゃんはやめろ!」
「桜夜先輩……」

 立火からは怒られ、冷たい目の姫水には勇魚との間に割って入られる。

「それ以上近づかないでください、勇魚ちゃんに」
「い、いや姫ちゃん、先輩はギャグで言うてはるんやで。たぶん……」
「せ、せやねんギャグギャグ! も~、東京の人は冗談が通じひんのやから~」
「本っっっっ当に冗談なんですね!?」
「姫水、目ぇ怖いで……」

 桜夜に迫る姫水の意外な一面を横目で見つつ、つかさは距離を取ろうと通り過ぎる。
(もう藤上さんのこと考えたくないし、夕理のとこ行こ……)
 自分の右隣へポジションを取った友達に、夕理は嬉しそうに顔を向けた。

「つかさ」
「こういう円陣ってよくあるの?」
「せやな、スクールアイドルは大抵やんねん」

 言ってから、夕理の目線も声量も下に落ちる。

「私が円陣組めるほど溶け込めてるのか、あんまり自信ないけど……」
「何言うてんの、あたしよりは溶け込めてるやろ」
「徐々に絆を深めていくのも、スクールアイドルの醍醐味やからね」

 すっと夕理の左隣へ位置を取った小都子が、反対側の勇魚ともども、二人の手を取る。

「みんなで仲良くしていこうね?」
「はいっ先輩! よろしくね、夕ちゃん!」
「まあ……よろしく」
「円陣といえば掛け声ですよね。伝統とかあるんですか?」

 花歩は尋ねながらも、さりげなく立火の左へ寄った。

「うちは方針が毎年違うから、掛け声も都度変わんねん。今年の分はちゃんと考えてあるで!」
「部長のお手製なんですね! そういうのっていいですね」
「とか言いつつ、ちゃっかり部長さんの隣ゲットしてんねんな。花歩もやるなー」
「も、もう、別に下心とかないってば!」

 左隣のつかさにからかわれながら、花歩も円陣に加わる。
 かくして、八人の輪が完成し……
 一人離れた晴が、撮影のためにスマホを構えている。
 それに部員たちが何も言わない状況に、勇魚は複雑な目を向けた。

「晴先輩……」
「お前はそっちを選び、私はこっちを選んだ。それだけの話や」
「はい……でもうち、先輩と一緒に裏方もやりたいです! その気持ちも本当です!」
「分かった分かった。振れる仕事は振るから」
「は、はいっ!」

 この八人プラス一人という形が、誰に恥じることもないWestaの九人なのだ。
 それを改めて心に留めつつ、部長は円陣について全員に説明する。

「……掛け声はそんな感じで。手はこう、ボールを掴む形で上に向けてやな。これは燃え盛る炎を表してんねん」
「なんか中二っぽい……」
「何でや! カッコええやろ!」

 桜夜の文句を受けつつも、めいめい右手を胸の前に揃えてくれた。
 立火はメンバーを見渡し、胸が詰まりながらも真っ直ぐに口にする。



「みんな、うちの部に来てくれてほんまありがとう。
 正直なところ、去年に比べたら部長も部員もまだまだ力不足や。
 でもこれから一生懸命頑張って、すぐに追いつき追い越せると信じてる。
 そして必ず、この九人でアキバドームへ行くで!」

 いつも隣にいてくれる桜夜。
 部を支えてくれる二年生。
 そして紆余曲折を経て集まってくれた一年生たち。

 皆の右手が円陣の中央に伸ばされ、一つの大きな炎を形作る。



「燃やすで! 魂の炎!!」

 立火が叫ぶ。
 晴がシャッターを切る中、八つの右手は空へと掲げられた。
 メンバーが作った聖火の下、全員の声が唱和する。

『Go! Westa!!』



 ここからが本当のスタート。
 大阪市の一角に集う、九人のスクールアイドルたち。
 その戦いが今、幕を開けたのだ。


<第10話・終>

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