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第11話 連休閑話

「じゃ、あたしは帰ります」
「え!?」

 円陣が終わるやいなや、つかさは爽やかな笑顔で帰ろうとする。
『熱血に屈したわけとちゃうからなボケェ』という、強い意志が感じられた。

「あ、えーと、部員はこれで打ち止めやろうし! 今日は練習やめて団結会にしよか!」

 せっかく一つになりかけた心を離したくなくて、立火はそんなことを言ってしまった。
 練習嫌いの副部長はもちろん大歓迎だ。

「お、立火もたまにはええこと言うやん。つかさはどう? 用事ある?」
「まあ、それやったら付き合いますよ」

 部員たちも喜んで――夕理だけは複雑そうに――帰り支度を始める。
(ちょっとホワイト部活にしすぎやろか……)
 明日の土曜もゴールデンウィークということで休みにしたし、部長としては練習量が不安になる。
 今年の連休は並びが悪く、四日後にはまた学校なので、そこで挽回するしかあるまい。


「団結会ってどこへ行くんですか?」

 まだ明るい校庭に出て、歩き出したところで姫水に尋ねられる。

「どっかの展望台がええな。姫水に今の大阪の姿を見せたろやないか」
「わざわざ済みません」
「ええんやで、アホと何とかは高いところが好きやから」
「それを言うなら煙と何とかでしょう。私をアホに入れないでください!」
「夕理のツッコミもシャープやなー」

 立火は感心しつつ、姫水の肩にぽんと手を置いた。

「姫水の欠点はツッコミ力が足りないとこや。そこは他の一年生を見習うんやで!」
「は、はあ……頑張ります」
「姫ちゃん、何でやねんって返しといたらええよ」
「な、何でやねん」

 下らないことを言いながら、九人のスクールアイドルはぞろぞろと駅へ歩いていく。

「あ、でも展望台言うたら……」と、花歩が口を開く。
「あべのハルカスですよね! 実はこの前寄り道して、もう姫水ちゃん連れてっちゃいました」
「そっかそっか、ハルカスは人気やもんなー。行ったばかりなら他のとこにしよな」
「それやったら大阪らしく……」と、勇魚が嬉しそうに言う。
「やっぱり通天閣ですね! うち、あそこのビリケンさん大好きです!」
「うんうん、キン肉マンの展示もあるしね。けどハルカスとあんまり場所変わらへんやろ」
「となると……」とつかさが怪訝そうに尋ねる。
「梅田のスカイビルですか? 今から梅田はちょっと遠いんとちゃいますか」
「せやな、ここ住之江区やし。もっと近くにあるやろ、ほら」
「???」

 本気で疑問符を浮かべる一年生たちに、悲しみに満ちた立火の声が響いた。

「コスモタワーを忘れないであげて!!」


 *   *   *


 大阪府咲洲さきしま庁舎。通称コスモタワー。
 大阪港にそびえる地上252mのそれは、展望台の高さは日本第4位。西には海が広がり、東には都市が広がる、一粒で二度お得なスポットである。

「しかも入場料は700円とそんなに高くない! どうや姫水、東京の何たらツリーより、こっちの方がええやろ!」
「どちらが良いかは個人の好みですが……」

 姫水は周囲を見渡してから、少し首を傾けた。

「何でこんなにガラガラなんでしょう?」
「うん……まあ……せやね……」



 自分たち以外にほとんど客のいない状況に、立火の声も小さくなっていく。
 平日だからというわけではなく、土日もこんなものである。

「アクセスが悪いのもあるが、経緯が経緯だけに印象悪いんとちゃうか」
「経緯ですか?」

 晴が姫水に説明する中、立火は耳をふさぐ振りをする。

「この超高層ビルはバブルの時に1200億円で建てたが、バブル崩壊で管理会社は破綻。仕方なく役所の一部を移して何とか埋めてるものの、今でも1/3は空き部屋で、管理費で赤字続きという惨状や」
「1200億円……」
「今度ホテルが入って八割方埋まる言うてたやん!」
「それでも赤字らしいですけどね」
「姫ちゃん姫ちゃん、難しい話より景色見よ?」

 勇魚に促され、姫水は北西へと目を向ける。
 大阪湾の海岸に沿って、大阪市の左には兵庫県が続く。

「ずっと向こうは神戸やで! 六甲山、懐かしいなー」
「また羊に会いたいよね。でもそれより」

 姫水は目の前の島を指さすと、立火と晴に尋ねた。

「そこにある広大な空き地が気になるんですが」



「あ、うん……あれはね……」
夢洲ゆめしま。大阪五輪を見込んだものの誘致に失敗。コンテナ埠頭とコンビニが少し使ってる以外はほぼ塩漬けや」
「万博が! 万博が来るから! あとカジノが!」
「ほんまに万博来るんですかね」
「東京がオリンピックやるなら、大阪も何かやらないと不公平やろ!」

 立火が無茶な理屈を述べているところへ、先へ行っていた夕理がシュババと戻ってくる。

「万博はともかくカジノは反対です!」
「別に私らが行くわけでもないしええやん……なんか金持ちが勝手に金落としてくんやろ? 知らんけど」
「どう言い訳してもギャンブルですよ!? 恥を知るべきです!」
「競艇場がウリの住之江区民に向かって言われてもなあ」
「競艇場といえば」

 姫水が思い出したように、学校近くの施設の話を晴と始める。

「向かい側に商業施設がありますけど。通学で使うバスの終点に」
「オスカードリームな」
「あそこもこの前行ったら閑散としてたんですが……」
「大阪市交通局が民間委託して223億円で開発したものの大赤字。銀行との間で泥沼の裁判になった挙句、たったの13億円で民間に払い下げられた」
「もうやめて! 大阪人のライフはとっくにゼロや!!」
「ひ、姫水ちゃん。そんな暗い話より、景気のいいところを見ようよ」

 引きつった笑顔の花歩に誘われ、北東へと移動した。
 安治川の河口には、昔つかさと夕理が乗った天保山の観覧車が見える。

「ちょっと見えづらいけど、あの観覧車の向かい岸にあるのがUSJや! そのうちみんなで行こうね」
「そうなんだ、あれが噂の」
「でもなー、あそこまた値上げしくさったやろ」

 苦虫を噛み潰した顔の桜夜に、花歩は苦笑して返す。

「まあ値上げしてもみんな行きますからね」
「それがあかんねん! それやから私たちは舐められるんや!
 花歩! こうなったらストライキとして、もうUSJ行くのやめよ!?」
「え、嫌ですよ……。年間パス持ってますし……」
「年パスぅぅ!? 何で二万四千円も払えるの!? 金持ちか!」
「お、お年玉ですってば。受験で使う暇なかったから、自分への合格祝いに」
「あーお年玉かー。お年玉ねー」

 桜夜は腕組みすると、心底分からないという風に首をひねる。

「私も結構もらってた気がするんやけど、二月になったらほとんど消えててん。世の中不思議なこともあるもんやで……」
「ただのダメ人間やないですか……」
「ああもう! 団結会なのにさっきからゼニの話しかしてへんやないか!」

 立火は姫水の手を引くと、東側に広がる大阪中心部を見せた。
 眼下には真っ赤な港大橋。
 左手のかなたには梅田の高層ビル群が、右にはハルカスが屹立し、背後には生駒山地が連なる。



「どや、これが水都大阪の姿や!
 淀川、安治川、尻無川、木津川、大和川!
 縦横無尽に水路と八百八橋が交差する都市! 世界にもそうそうないで!」
「確かに、水の上に浮かぶ都みたいですね」
「せやろー? 東京ではこんな景色は見られへんやろー」
「あの立火先輩、先ほどから気になっていたんですが」

 何かの限界を越えたように、姫水が軽く手を挙げた。
 その目は微妙に笑っていない。

「もしかして東京がお嫌いなんですか?」
「ギクリ」
「おっ、ええとこに気付いたな姫水」

 桜夜は姫水の肩を抱くと、ニヤニヤしながら相方を親指で指した。

「コイツ東京を親の仇みたいに憎んでんねん。夜道を歩く時は気い付けるんやで」
「そうだったんですか……」
「ち、ちゃうねん!」

 部員たちから白い目、あるいは困った目で見られ、立火は必死に弁解を始める。

「そんな本気とちゃうって! ほ、ほら、何となく東京をライバル視しとけば話が盛り上がるやろ!? プロレスやねん!」
「へー。ほー」
「桜夜ぁぁぁ!」

 叫んでから、立火の目は恐る恐る姫水へと向く。
 そこにあったのは慈愛に満ちた微笑だった。

「東京にも大阪にもそれぞれ良いところがあるので、お互い認め合えたらいいですね」
「ぐああ! 一年生に大人の対応をされた!」
「ほんまアホやなー」

 頭を抱えている立火を桜夜がからかっている間に、部員たちは南側へと歩く。
 南東の方向を小都子が案内した。

「あっちが学校、その南が堺やね。ここからは分からへんけど、仁徳天皇陵もあちらの方向」
「世界遺産を目指してるんですよね」
「近畿で大阪だけ世界遺産がないからねぇ。で、目線を手前に戻して……」

 小都子が引き戻した指の先には、タワーの直下にニュータウンが広がる。

「そこのポートタウンが晴ちゃんの家」
「おい、勝手に人の個人情報を明かすな」
「ええやないの。晴ちゃんだけ教えないなんて不公平やろ」
「チャリ通学ですか?」
「せやな。大雨の時は電車使うけど」
「そうなんですかー」

 軽く言いながらも、つかさは内心で安堵する。この先輩と電車で鉢合わせなんてしたくない。
 逆に勇魚は、眼下の団地を見ながら嬉しそうな顔を晴に向けた。

「先輩のおうちに遊びに行っていいですか!?」
「いいわけないやろ。プライベートでお前らと付き合う気はない」
「うう……わかりました! 許してもらえるように頑張って仲良くなります!」
「人の話理解してへんな……」

 話題を変えるように、晴は海沿いの一角を指し示す。

「あそこの船、フェリーターミナルや」
「あ……」
「登校するとき、南港大橋の上から例の釣り場が見えるで」

 勇魚と姫水が、顔を見合わせて微笑みあう。
 姫水が引っ越す直前、二人で自転車で逃げようとした場所。
 あのときは遙かな旅路に思えた距離も、今はこうして視界に収まる程度だ。
 歳を重ねたことを実感しつつ、新たに知り合った人たちとともに、しばし大阪の景色を眺めていた。


 *   *   *


 展望台を降りて、隣の商業施設で八人はハンバーガー屋に入った。
 プライベートで付き合う気のない晴は、ここで離脱して帰宅している。

こっちATCも平日は人少ないなあ……」
「土日は賑わってるからええやろ! 南港開発は失敗なんかしてへん!」

 番号札をもらって席で待つ間、言い合いをしている三年生に、横からつかさがちょっかいを入れる。

「でも本当ならこのへん、東京のお台場みたいになる予定だったんでしょ。それ考えたらショボいですよね」
「ええの! お台場なんて行ったことないから分からんし」
「まあ、あたしもないですけど」

 ちら、とつかさは姫水の方を見る。
 展望台では彼女とは一言も話さなかった。
 今の話題的に姫水に振らないと不自然だと思うが、誰も振ろうとしない。
 仕方なく、できる限り平静を装いつつ、思い切って話しかけてみた。

「藤上さんは行ったことある? お台場」
「うん。テレビ局があるから、仕事で何度か」
「へー、やっぱここより賑わってるんやろ?」
「比べるものでもないと思うけど、施設は多いわね。あと虹ヶ咲学園って大きな学校があって……」
「虹ヶ咲!」

 その単語に夕理が反応する。

「あそこのスクールアイドルもなかなかの曲者揃いや」
「さすが夕ちゃん、詳しいんやね!」
「特にかすかすって子が、私たちと同い年なのにもう頭角を現し始めてて……」
「うどんに入ってそうな名前やな!」

 会話は夕理と勇魚に移っていき、姫水は微笑んで聞いている。
 つかさもそれに加わりはせず、内心でこっそり安堵した。

(なんや、あたし藤上さんと普通に喋れるやんか)

 変に意識しすぎだったのかもしれない。
 とにかく表面的にでも、波風立てずにやっていかないと……
 などと考えている間にハンバーガーが届く。

「みんな連休どっか行くの?」

 包み紙を開けながら、立火が部員たちに尋ねた。
 勇魚が元気よく手を上げる。

「はいはい! うちと姫ちゃんは伊勢志摩の方へ家族旅行です!」
「ええとこ行くやないか。伊勢神宮とか?」
「はいっ、Westaの予選突破をお祈りしてきます!」
「ううっ、いい部員を持って私は幸せ者やなあ」

 部長が感涙にむせぶ一方で、勇魚は家族扱いの姫水に残念そうな顔をする。

「姫ちゃんちのおばちゃんも一緒に来たらええのに」
「うーん、たぶん気まずさに耐えられないから……」

 他の部員たちも、それぞれ予定を口にした。
 花歩も家族で淡路島と鳴門へ、小都子は父親の後援会の旅行に付き合わされ、つかさは半分は遊びで半分はバイト。

「休みにもバイト? 熱心やなあ」
「この時期は時給いいんですよ。そういう部長さんの予定はどうなんです?」
「私? 連休中はずっと桜夜と一緒や」
「え゛」

 花歩が思わず動揺するが、浮かない顔の桜夜を見てピンと感づいた。

「あ、もしかして……」
「うんまあ、GW特別講習ってオチなんやけどな」
「あああああ!」

 絶望の叫びを上げた桜夜が、涙目で立火に懇願する。

「ねえ、やっぱり考え直そ!? 何で高校最後のGWに、休みなしで勉強せなあかんねん!」
「高校最後だからこそやろ受験生!」
「木ノ川先輩に大学へ行く気があったとは意外です」
「やかましいわ夕理!」

 涙目の桜夜をよそに、立火は重々しく腕を組んだ。
 その脳内は数ヶ月前に卒業した人たちを思い出している。

「去年は三年生が五人いたが、十二月の地区予選まで活動した結果、二人が浪人の憂き目にあった」
「そりゃ十二月まで部活やってたら落ちますよね……」
「しかし今年はもっと先、二月の全国大会まで行くつもりや。なおかつ大学に受かるには、今のうちに勉強しとくしかないんや! 聞いてるか桜夜?」
「へーい」

 ぶすっとした桜夜は、憂さ晴らしのように後輩へ質問を投げる。

「で、夕理は何か予定あんの?」
「何だか悪意を感じる質問ですね……。私はずっと作曲をしてます」
「七日間ずっと?」
「七日間ずっとです」

 部員たちは気まずそうに顔を見合わせる。
 皆それぞれ自分のために連休を使うのに、この子だけは部のために働き続けると言う。
 立火が少し焦って休息を勧めた。

「休みの日やねんから無理しなくてええで? 曲作りが大変なら、平日の練習を免除して作曲の時間を……」
「大きなお世話――いえ、お気遣い無用です。私の趣味でもあるので」

 これ以上は問答無用とばかりに、ポテトをかじり始める夕理に
(つかさちゃん、一日くらい誘ってあげたらええのになぁ)
 と、小都子は思うが、つかさは素知らぬ顔だ。
 部活や下校が一緒になった分、それ以外では距離を置いている節がある。
 夕理の心をつかさ以外にも向けさせるためには、必要なことなのかもしれないが……

「そや。夕理ちゃん、ミュシャの絵は好き?」
「え? はあ、割と好きですが……」
「連休のどこかで、一緒にミュシャ館へ行かへん?」

 堺アルフォンス・ミュシャ館。
 ミュシャのコレクターであった土居君雄の遺族から、かつて土居が住んでいた堺市が寄贈を受けて開いた小さな美術館だ。
 つかさ以外と遊びに行ったことのない夕理は、小都子の誘いに戸惑い慌てる。

「あ、あの、ほんまに気を遣わないでください。私は作曲だけしていたらいいので」
「一日くらいは気晴らしせえへんと、良い曲もできひんやろ? 夕理ちゃんが嫌ならしゃあないけど」
「い、嫌なんてことはないです! それなら……はい」
「決まりやね。一年生のみんなもどう?」
「はいっ、ご一緒させてください!」

 花歩は快く応じたが、他の一年生の反応は鈍かった。

「すみませーん、もう予定が全日埋まってます」と返すつかさに夕理はしょぼんとして。
「ええと――」と一瞬躊躇した姫水は「ごめんなさい、引っ越しの片づけが少し残っているので」と頭を下げ。
(姫ちゃん……)と心配そうな勇魚が「美術館みたいな静かなとこは苦手なので! また誘ってください!」と笑顔で断る。

「そ、そう……」

 人望がないのかと不安になる次期部長だが、二兎を追うものは何とやらである。今回は夕理との親睦に専念することにした。

「ほな、後で二人には空いている日を連絡するね」
「小都子先輩と私で、『夕理ちゃんと仲良くし隊』の結成ですね!」
「なんか可哀想な子の担当みたいやないか……」

 ぼやく夕理だが、本人の言う通り、嫌なわけではなさそうだった。
 ヒヤヒヤしながら見ていた立火は、皆が楽しい連休を過ごせそうなことに、心からほっとする。

 全国の強豪の中には、連休中も朝から晩まで部活をするところもあるのだろう。
 練習量ではお前らに負けないと言われれば、その通りですとうなだれるしかない。
 だがもう決めたのだ。今年は休む時は休むと。
 それで敗北したら、部長である自分が全責任を負うと……。



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