「よし、練習してくるで!」
ゴールデンウィーク最初の日。トレーニングウェアに着替えた花歩は、自分の部屋で気合を入れた。
家族旅行は連休後半なので、今日から三日間は特に予定はない。
双子の妹が少し呆れた顔で見ている。
「初日から自主練? 休みの日は素直に休んだら?」
「ふっふっふっ、初日だからこそ敢えてやねん。いかにも努力家って感じがするやろ!」
「まあ、花歩がそれで満足ならええけど」
おどけてはいるものの、内心では花歩も少し焦っている。
(つかさちゃん達は次のライブに出て経験を積んで……
私はその間も補欠で裏方。
何もしなかったら離される一方や)
置き去りにならないよう、部長が自分の時間を割いて特訓したりもしてくれている。
だが今度からはそこに勇魚も加わる。花歩ばかりを見てはいられなくなるのだ。
部長の意には反するかもしれないが、できる限り自分で努力するしかない。
「じゃ、公園行ってくる」
「無理したらあかんでー」
妹の声に頷いて、花歩は外へと飛び出した。
少し屈伸して、長居公園へとランニングを始める。
(勇魚ちゃんと姫水ちゃんはもう伊勢やろか)
見上げた東の空は、抜けるように晴れ渡っていた。
* * *
「姫ちゃん、こっちこっちー!」
「ひめちゃーん!」
勇魚と汐里の姉妹が、火除橋の前で手を振っている。
手を振り返す姫水は、連れてきてくれた二人の大人に目を向ける。
ここは三重県の伊勢神宮。
朝から車を飛ばしてやってきた佐々木家は、しきたり通りまずは外宮から参拝していた。
「すみません、家族だんらんの場にお邪魔してしまって」
「何言うてるんや、姫水ちゃんはうちの娘みたいなもんやで」
「こーんな小さい時から知ってんねんから」
勇魚の両親は朗らかに笑いながら、親指と人差し指で小さな距離を作る。
微笑む姫水も、幼い頃の記憶は持っている。
物心ついた時から、よく可愛がってもらっていた、それを記録として覚えてはいるが――
そんな恩人ですら、今の姫水には現実味を感じられなかった。
「この先はトイレないみたいやで」
「お父ちゃんちょっと行ってくるわ。汐里は平気か?」
「しおりもいくー」
「ほなお母ちゃんと行こか」
三人が用を足しに行き、待っている勇魚の前で、姫水はぽつりとこぼす。
「私みたいな薄情な人間を、ここの神様は許してくれるのかな……」
「姫ちゃん」
連休早々ブルーになっている幼なじみの顔を、勇魚は下から覗き込む。
「病気のこと、やっぱり周りには話したくない?」
「………」
「部のみんなもクラスのみんなも、正直に言うたらちゃんと受け入れてくれると思うで」
「それは……」
「お医者さんも言うてたやないか。これは脳の風邪みたいなもので、姫ちゃんのせいとはちゃうって。風邪引いたら誰でもそう言うやろ?」
姫水は苦しそうに俯く。
逆に、言わないなら周りを騙しているということだ。
自分ではWestaの皆に仲間の情などないのに、仲間の仮面をかぶっている。
結局やっていることは、東京にいた頃と何も変わらない、けど――
「……ごめんね勇魚ちゃん。私、我がままばかりで」
「……そっか」
たとえ表面的でも、平穏な学校生活を崩したくない。
長年身に付いた演技を、続けている方が楽なのだ……それを止めるのが怖い。
「ごめんなさい……」
「だったらせめて、罪悪感持つのはやめよ? 精神衛生上よくないで!」
「……うん……」
「神様に告白して、あとは開き直っといたらええんや! いつかただの笑い話になるやろ!」
明るく話す勇魚に、何か答えようとしたところで、家族が戻ってきた。
いつものように笑顔を作って、ごく自然に火除橋を渡っていく。
勇魚に言われた通り、今日のところは伊勢の主神に許しを請おう。
天照大神。我慢の限度を越えると天岩戸にお隠れになるので、そうなる前に何とかしないとだけど……。
* * *
大阪城の北東にある大阪ビジネスパーク。
そのビルの一角で、午前の講習を終えた立火と桜夜は、やつれた顔で昼食に出た。
「私はもうあかん、後は立火に任せた……」
「まだ半日しか経ってへんやろ! これが七日間あるんやで!」
「ううう……他のみんなは休日を楽しんでるのに……」
「何言うてんねん、一番大変なのは小都子やろ」
「あー……お父さんの後援会の旅行だっけ」
行きたくもないイベントに付き合わされている後輩を思い、二人の心はしゅんとなる。
今頃は支持者のおっちゃんおばちゃんに囲まれて、愛想笑いを浮かべているのだろう。
「小都子って大人ウケ良さそうやもんなあ」
「あいつの苦労を考えたら、私らなんてしょせん自分のためにやってる事やで!」
「しゃあない、午後も頑張ろ……。お昼どうする? 京橋まで行く?」
「せっかく来たんやから、そのへんで探してみよか」
そう言ってエスカレーターを降りる二人は、先ほどから自分たちに注がれていた視線に気付かなかった。
壁の陰で、二人の女子高生が小声で話している。
「あれが住之江女子の部長と副部長か」
「同じビルで講習とはラッキーやったな。どうする暁子?」
「ま、連休中に一度挨拶しとこか」
「うちの予備予選突破のためには、Westaさんには叩き落とされてもらわなあかんからね」
* * *
「ちーっす」
「おひさー」
連休三日目。つかさは中学時代の友達と会っていた。
うち二人は住之江女子だが、三人は別の高校へ進んだので、ひと月ぶりの再会である。
「それにしても、つかさがスクールアイドルとはねえ」
「ま、カロリー消費もええしね。あたしこれ頼もーっと」
ファミレスの六人席で、つかさはメニューの大きなパフェを遠慮なく指し示す。
「くそっ、ええなあ。こっちは高校入ってから体重増えちゃって……」
「運動をせえや運動を」
「今度ライブやるんやろ? 見に行っていい?」
「ええでええで、一緒につかさの晴れ姿を笑ってあげよ」
と、右隣に座る
つかさも軽く笑って返した。
「笑いたければどーぞ。そう大したもんでもないけどね」
「でも大勢の前で歌って踊ってやろ? つかさって度胸あるんやなあ」
「べっつにー……たかが部活やし、失敗したってどうって事でもないやろ」
店員を呼んで注文を伝え、ドリンクバーで飲み物を調達した後も、話題は引き続きつかさの部活だった。
「なんか裏話とかないの? アイドルならではのドロドロとか」
「何を期待しとんねん。まあ、敢えて言うなら……」
カフェオレを喉に流し込んでから、つかさは軽くため息をつく。
「あたしの後から、やたらハイスペックな女が入部してきてさあ。ちょっとやり辛いっていうか……」
「あー、そういうの嫌やな」
「んん? それ藤上さんのこと?」
左隣の奈々がジュース片手に突っ込む。
彼女は同じ学校だが、クラスはつかさとは別で、そのクラスとは――
「そういや奈々は六組やったっけ」
「藤上さんめっちゃいい人やで! うちのクラス、ほぼ藤上さんファンクラブ状態やねん」
「うわあ……それもどうなの」
「えー? 話せば誰でもそうなるって! つかさも毛嫌いしないで仲良くしたら?」
「別に毛嫌いはしてへんけどさあ……」
他の子たちも興味を引かれたのか、話は姫水のことに移っていく。
つかさも適当に相槌を打ちつつ、先ほどの言葉を反芻する。
(仲良くなんて……まあ、もし向こうがそうしたいなら構へんけど……)
(あたし遊ぶところ一杯知ってるし、藤上さん連れてってあげてもいいし……)
(それで二人で遊んで……お揃いのアクセ買ったり……とか……)
妄想にふけっているつかさを怪訝に見ていた晶が、思い出したように事実をバラす。
「そういやつかさ、藤上さんに見とれたって言うてたよね」
「はあ!? い、言うたっけそんな事!? 記憶違いとちゃう!?」
「いやいや、先週の話やろ。何そのごまかし方」
「へぇ~、私らも詳しく聞きたいなぁ~」
「いや、ちょっ……」
他の全員から詰め寄られ、結局散々にいじられる羽目になった。
(くそっ、それもこれも藤上さんのせいや!)
(やっぱり、あんな奴と仲良くできひんわ!)
自分でも逆恨みと思いつつ、憮然としながらつかさの連休は過ぎていく。
* * *
「というわけで連休の谷間やけど! みんなご無沙汰やねえええ!」
平日。大喜びで部室に飛び込んできた桜夜に、花歩たちは少し引く。
「テ、テンション高いですね……」
「いやあ部活って楽しいなあ! 連休なんて二度と来なければいいのに!」
「現実逃避しても、明後日からはまた講習やからな」
「ぐおおお……」
五人の部員の前で桜夜が苦悩しているところへ、遅れてつかさが入ってくる。
「ちわーっす。あれ、まだ全員来てへんの」
「小都子と勇魚は恒例の衣装替えやで」
「そういやしてませんでしたね」
「彩谷さん。それ伊勢のお土産だから、良かったらどうぞ」
「え、あ、ありがと」
机の上の高級海老せんべいを姫水に指し示され、つかさは少しぎくしゃくと、小都子の魔法瓶からお茶を入れる。
せんべいをかじっている夕理の隣に座り、お茶を飲んで一息ついた。
「ミュシャはもう行ったの?」
「まだや。明後日に行くことになった」
「そっか。楽しんできてね」
「う、うん……小都子先輩に迷惑かけへんようにせな……」
自信のなさそうな夕理に、花歩が横から首を伸ばす。
「ま、私も一緒やから! 夕理ちゃんは大船に乗ったつもりでええよ」
「花歩かあ……」
「ちょっと不安やな……」
「何でやねん!」
「次に鳥羽のミキモト真珠島てとこへ行きまして! 海女さんが真珠取りの実演してくれはって、めっちゃカッコ良くて! あと水族館のダイオウグソクムシが……」
「そ、そう。あのね勇魚ちゃん、もう少し小さい声で……」
「あ、はい! すみません!」
困り笑いを浮かべながら、小都子は資料室の扉を開ける。
これで五人目。そしておそらく最後だろう。
これまでの四人のことを思い出しながら、小さな一年生を部屋へ招き入れる。
「うちのサイズに合うのあるでしょうか?」
「確か初代のメンバーに、同じくらいの背丈の人がいたはずや。少し待っててね」
小都子は積まれた段ボール箱をよけると、一番下にあった箱を開け、小さめの衣装を取り出した。
いかにも正統派な、スクールアイドルらしい衣装だ。
「ちょっとμ'sっぽいですね!」
「μ'sの秋葉原ライブの後、雨後の筍みたいに生まれたグループの一つがWestaやからね。やっぱり影響あるのかも」
「そうやったんですね! なんだか縁を感じます!」
小都子に見られているのを気にする様子もなく、制服を脱ぎ始めた勇魚は、思い出したように口にする。
「そういえば姫ちゃん、μ'sの人に会うたことあるみたいです」
「え、直に!?」
「はいっ!」
「そっか、東京に住んでたんやものねぇ」
スクールアイドルの歴史はまだ浅いけれど、その十年にも満たない期間に、様々な出来事が凝縮されている。
繋がっている不思議な縁を感じながら、小都子は後輩の着替えを見守った。
「ううむ、ダンスだけならまあまあやけど……」
部室に戻った勇魚が、衣装姿で披露した初パフォーマンス。
部長としてはお世辞のひとつも言ってやりたいが……
それでは本人のためにならないと、正直に論評する。
「課題は歌やな」
「勇魚ちゃん、今度私と練習しましょうね」
「あと歌と同時にやると、ダンスもあかんくなるな」
「勇魚ちゃんは昔から、二つのことを同時にするのが苦手で……」
「保護者か!」
桜夜が突っ込むほどの姫水のフォローの一方で、当の本人はあっけらかんとしている。
「最初はこんなものですよ! これから頑張ったらええんです!」
「う、うん、前向きで結構やな」
「いざとなったら勇魚だけ口パクでええやろ」
「は、晴先輩~! そんな殺生な~!」
涙目になる勇魚だが、すぐに気を取り直して質問する。
「そういえば、晴先輩は連休はどうされてるんですかっ?」
「お前に言う必要はない」
「あうう……」
またも勇魚は涙目にされ、姫水が少しむっとして何か言おうとする。
慌てて立火が、無理に作った笑顔で話題を変えた。
「そ、それよりどうや? 初めての衣装は」
「はいっ、やっぱりスクールアイドルの衣装ってええなって思います。手作りで!」
「せやろー? というわけで、次のライブでは新衣装を作るで!」
立火はホワイトボードを引っ張ってくると、かかっているカレンダーを手のひらで叩いた。
「連休明けに夕理の新曲が完成するから……するよね?」
「します。もう八割はできています」
「いやホンマ、苦労ばかりかけて申し訳ない……で、その曲に合った衣装を、月曜にみんなで考える!
来週中に衣装作り!
土曜は他校のライブを見学!
再来週はひたすら練習して、金土とライブや!」
「他校というと……」
部長が口にした言葉に、花歩が嬉しそうに反応する。
「聖莉守ですか!? その日にライブって妹が言うてました!」
「そのつもりやったけど、Number∞も同じ日にライブぶつけてきよったんや」
「うわ」
大阪市の一位と二位が食い合う事態は、三位のWestaとしては好都合ではある。
とはいえこれはあくまで前哨戦。その程度で本番の結果は変わらないだろう。
「どっちを見学するかはまた後で考えよ。ほな、練習始めよか!」
ライブメンバーはジャージに着替え始め、花歩と勇魚はチラシ作りのために晴のところへ行く。
あの二人もいずれ出られるよう、後で鍛えなければならない。
一方でライブが終われば中間テストがあり、六月になればもうラブライブ本番だ。
(はあ、一年が五百日くらいあればなあ)
内心でぼやきつつ、貴重な連休の谷間を練習に費やしていく。
連休の谷間が貴重やなんて、きっと二度と思わへんやろな、と苦笑しながら。
* * *
(JRの堺市駅……南海の堺駅ではなく……)
連休後半が始まった。
何度も確認した待ち合わせ場所を、夕理は自分でもしつこいと思いつつ再確認する。
つかさ以外の人と、特に年上の人と遊びに行くという、生まれて初めての経験まであと少し。
自室の鏡を前に、髪や服を改めてチェックするが、これで問題ないのか自信がない。
(――そろそろ出かけよ)
まだ少し早いが、大阪環状線が突然止まらないとも限らない。
部屋を出ようとして、少し迷って……
結局机まで引き返すと、イヤホンをポーチに突っ込んだ。
(別に、聞かせるつもりはないけど)
(何があるか分からへんから念のため)
(念のためや!)
同じポーチにはスマートフォンが、作りかけの新曲を入れて眠っている。