「そんな感じで、初デートは曲作りで終了しました」
『もう、休む時は休め言うてるのに~』
電話向こうの部長の声は、そう言いながらも少し嬉しそうだ。
夜に勉強していた小都子の家に、立火から電話がかかってきたのが少し前。やはり心配だったのだろう。
『けどなあ小都子。何も言われへんかったら三人分六千円払うつもりやったの? 金銭感覚おかしいやろ』
「ううう……でもほんまに美味しいお店ですし、初めての後輩にちょっと奮発しようって……」
『ははは、小都子でも浮かれることがあるんやな。確かに後輩は可愛いもんやな』
立火の後輩が少し赤くなったところへ、共通の後輩の話題が続く。
『花歩は明後日から家族旅行やったっけ』
「はい、連休最後の方が空いてそうとかで。明日は暇やから、図書館で作詞の本借りてくる言うてました」
『どいつもこいつも働き過ぎやっちゅーねん!』
「ふふ、歌詞の意見を夕理ちゃんに全却下されたのが、やっぱり悔しかったみたいです」
『はあ……夕理も一つくらい採用してやったらええのに』
「情に流されて作品に妥協するなんて、夕理ちゃんらしくないですから」
『まあねえ』
今も夕理は、今日の意見を受けて曲を練っているのだろう。
その努力が分かるだけに、週明けに部員たちへ披露する日が少し不安になる。
小都子好みの曲ではあるけれど、皆の、特に立火と桜夜の好みに合うかどうか……。
(――まあ、余計なこと言うて先入観与えるのもあれやな)
曲にはそれ以上触れず、小都子は話題を変えた。
「先輩の方は講習は大変ですか?」
『いやー、大変は大変やけど』
ひたすら勉強しているだけと思いきや、立火の声が妙に弾んだ。
『実はこっちも、少しおもろい事があったで』
==============================================
四日目の講習が終わり、桜夜は机の上で死んでいた。
「おーい、帰るでー」
「どうしよう……先生の話、全く理解できひんかった……」
「おいおい……何のために親に受講料出してもろてんねん」
泣きそうな桜夜は、八つ当たりのように机を叩く。
「そもそも何で英語なんか勉強せなあかんの!? 将来役に立たへんやん!」
「他の科目よりは役に立つと思うけど」
「勉強するくらいなら海外旅行なんて行かへんし! 無駄や無駄!」
「とりあえず来年の受験には役に立つんやから、それで十分とちゃう?」
唐突に割り込んできた声に顔を向ける。
他校の制服を着た眼鏡の女生徒が、いつの間にやら近くに立っていた。
「おっと失礼。隣の特進コースで講習受けてた者や」
「はあ、それは頭のおよろしいことで……」
「英語分からへんの? よかったら教えよか?」
「ほんまにっ!?」
桜夜は大喜びで立ち上がるが、立火は渋い顔で引き留める。
「気持ちはありがたいけど、コイツ想像以上のアホやで? 軽々しく教えるなんて言うたら絶対後悔……」
「ちょっと立火! 人の厚意は素直に受け取るもんやろ!?」
「なあに、Westaの主力二人とお近づきになれるなら安いコストや」
場の空気が一変する。
薄く笑っている相手に、立火は警戒を帯びた目で尋ねた。
「……ファンってわけではなさそうやな。自分もスクールアイドル?」
「うだつの上がらへんグループやけどね。予備予選で30位とか、そのへんが定位置や」
「そっかー。まあ私らも昔はそんなもんやったで。これからこれから」
桜夜は呑気に返すが、立火は緊張を解こうとしない。
だって眼前の女生徒からは、諦めなど微塵も感じられない。
むしろ野心を帯びた目を眼鏡の奥に潜ませたまま、冷たい声で条件を提示してきた。
「そんなわけでギブ&テイクといかへん?
私たちは予選を突破したことがないし、経験も足りない。
木ノ川さんの英語を見る代わりに、色々聞かせてもらえたら助かるんやけど」
「何や、そんなことか。何をアホ言うてんねん」
「ちょっ、立火!?」
「あらら、あきまへんか」
「取引みたいなことせえへんでも、聞きたいことがあるならなんぼでも話したるわ。
同じスクールアイドル同士、それが人情ってもんやろ」
立火の態度にもはや警戒はない。
眼鏡の女生徒は一瞬呆気に取られていたが……
すぐに冷静さを取り戻し、くっくっと喉を鳴らした。
「さすが強豪校の部長は気前がええな。
けど未来の大阪商人を目指す身としては、やはり貸し借りなしでいきたい」
「まあ、どうしても苦行に足突っ込みたいなら止めへんけど……」
「苦行って何やねん! いやーほんま親切な人で嬉しいわー。お名前聞いていい?」
相手は金縁眼鏡の位置を直すと、自信に満ちた態度で名乗りを上げた。
「
今は無名やけど、近いうちに大阪中を驚かせたるで」
==============================================
『とかカッコ付けてたけど、いざ教える段になったら桜夜の物分かりの悪さに切れかけとったわ』
「あ、あはは……」
その光景を想像して思わず苦笑する。
ただまあ、桜夜の受験については小都子も心配で仕方ないので、良い出来事だったのは確かだ。
「京橋の学校……去年のラブライブでは、特に記憶にありませんね」
『心機一転でグループ名も変える言うてたな。けど、只者ではなさそうやったのは確かや』
「そんな強敵に情報提供したんですか。また晴ちゃんにお小言くらいますよ」
『はっはっは、敵は大きい方が倒しがいがあるんやで!』
立火は笑ってから、名前の出た相手を思い、少ししんみりとする。
『晴のやつ、ほんま連休何してるんやろなあ』
「ちゃんと充実した時間を過ごしてますよ」
『ん、その反応は何か知ってるな?』
「ま、まあまあ。一人で羽根を伸ばしてるんやから、詮索しないでおきましょうよ」
『せやなあ』
元々晴は、集団内で過ごす練習のためだけに学校へ来ているのだ。
誰とも関わらず過ごせる休日の方が、彼女の本当の時間なのかもしれなかった。
『おっと、長話になってしもたな。ほな週明けに、新曲楽しみにしてるで!』
「はい……それでは、お休みなさい」
『おやすみー』
通話を切ってから、電話の前にLINEでやり取りしていたメッセージを改めて見る。
『今日はほんまに楽しかったです! また三人で遊びましょうねー!』
『誘っていただいてありがとうございました。月曜までにもっと良い曲にします』
小都子にとっても忘れえない日になった。
明後日はクラスの友達と約束があるが、他の二日間は特に予定はない。
コピーさせてもらった夕理の曲を聞きながら、静かに読書でもして過ごすとしよう――。
* * *
みどりの日、姫水は家で一冊の本を開いていた。
『アルフォンス・ミュシャ画集』
図書館から借りてきたそれを、一ページずつめくる。
めくる手は徐々に重くなり……
とうとう停止し、本を閉じて溜息をつく。
何も感じない。
この世界的な名画すら、今の姫水には遠く色あせた存在でしかなかった。
(ミュシャの絵、あんなに大好きだったのに……)
小都子たちと一緒に行かなくて良かった。
もし原画を見ても同じ状態だったら、ショックと自己嫌悪で吐いていたかもしれない。
先ほども図書館で花歩を見かけたが、後ろめたさに逃げ出してしまった。
伊勢でもそうだが、暗い気持ちでいるのは本当に精神上良くないと思う。
けど今の姫水に、楽しいことなんて何も……
「ひーめーちゃーん、あーそーぼー!!」
インターホンが鳴ると同時に、聞きなれた大声が響いた。
急いで玄関に向かい、扉を開ける。
いつもの朗らかな笑顔が、今日も出迎えてくれた。
「こう休みばっかでもヒマやね! 何かして遊ぼ!」
「うん……」
またこうして頼ってしまう。
けれど現状仕方ない。勇魚以外に何も現実感を得られない今、楽しいことは勇魚がいることだけだ。
「何して遊ぼうか」
「トランプ! 飽きたら散歩とかもええな!」
「なんだか、昔と全然変わらないね」
「せやねー。ま、それもええやろ!」
子供の頃のように笑いながら、姫水の休日は過ぎていく。
たぶん明日も明後日も同じように。
今の姫水には、それ以外に何もないのだ。
* * *
「あれが渦潮……かなあ……?」
鳴門海峡の遊覧船で、花歩が目を凝らす先に海流が白く波を立てる。
渦を巻いていると言われればそうも見えるし、ただの潮の流れにも見える。
「今日はあんまりハッキリ見えへんみたいやねえ」
「ま、渦潮と思っておけばええやろ。渦潮渦潮!」
適当なことを言っている両親に笑いながら、波に揺れる遊覧船のように、花歩の思考も揺れていく。
(『渦潮』……『ぐるぐる回る』……『回る季節』……いや『巡る』か……)
「こら花歩」
隣の芽生から頬を突っつかれ、我に返る。
「また部活のこと考えてるやろ」
「あ……えへへ」
「旅行中くらいはやめようね。メリハリは付けた方がええよ」
「はーい……」
連休初日こそ目いっぱい自主練をしたが、その後は色々あって大したことはできなかった。
さらに作詞までなんて、自分でも手を出しすぎとは思う。
芽生の言う通り、旅行中は素直に楽しんで英気を養わないと。
「ねー! あれもしかしたら渦潮かも!」
渦潮を探し回って両親に声をかける姉の姿を、妹は眼鏡越しに追いかける。
花歩がいきなりスクールアイドルを始めると言ってから、もう一カ月が経った。
(まあ、花歩に熱中できるものができて良かったけれど)
姫水も勇魚も次々と入部してプチブームの感もあるが、芽生はそこまで没頭はしていない。
聖莉守のライブも上級生が中心で、一年生は手伝いだけだ。
来年の今頃には、姉と競えるくらいになれたらいいのだけど。
(……って、私こそ部活のこと考えてるやないか)
芽生は苦笑しながら、花歩の背中を追って船上を移動した。
頭の上を、大鳴門橋の長大な姿が通り過ぎていく。
* * *
(なかなかの掘り出し物やったな)
連休最終日。
団地の一室で、晴は美濃焼の花入を戸棚に飾り、満足そうに頷く。
ゴールデンウィークは全国的に陶器市の季節。
岐阜県で昨日まで行われていた、土岐美濃焼まつりでの戦利品だ。
(はよ社会人になって稼いで、有田や笠間にも行きたいもんや)
高校生の身では交通費が痛く、安めの花入とマグカップしか買えなかった。
そしてもう一つ、小都子に頼まれた皿を、明日忘れないように鞄に入れる。
『あれ、岸部さん。それ清水焼?』
『そうやけど。よく分かったな』
部室でお茶を飲むため持参した湯飲みから、小都子に陶磁器趣味がバレたのがほぼ一年前。
いちいち他人に知られるのも面倒なので、今のところ二人だけの秘密である。
『晴ちゃん、また陶器市行くの?』
『今回は美濃』
『ええなあ、織部焼もあのへんやな。いいお皿あったら買うてきてくれへん?』
『小都子の好みなんて私は分からんで』
『そこは晴ちゃんの審美眼を信じるから、お願いっ』
そんな会話はつい先日。
いつもお茶をもらっている借りがあるので、引き受けざるを得なかった。
小都子から受け取った二千円で、緑釉輝く織部焼の皿を入手したのが昨日のこと。
連休の七日間、誰とも関わることなく充実した毎日を過ごした。
この皿だけが唯一の他者との接点ともいえる。
(ま、この程度は仕方ない)
志野焼のマグカップにコーヒーを入れ、残り一日の自由時間を何に費やすか考える。
読書か、プログラミングの勉強か。
前者は小都子と被る気がして、結局後者を選んだ。
キーボードを叩きながら、連休最後の日は静かに過ぎていく。
明日からはまた学校が始まる。
自分は引き続きマネージャーとして、影に徹して立火を支える。
そして来年は、小都子を支えるのだ。
* * *
「いやー! 連休が終わるぅぅぅぅ!!」
この世の終わりみたいな悲鳴を上げている姉を、つかさは冷ややかな目で見ていた。
「つかさぁぁ! お姉ちゃん会社行きたくない!」
「知らんわ! どう転んでも明日は月曜なんや! あ・し・た・は・げ・つ・よ・う!!」
「ぎゃああああ!!」
姉は大ダメージを受けて床にのびた。
ソファーの上のつかさはため息をつくと、リモコンを手に取りテレビをつける。
つかさだって登校したくない気持ちは同じである。
最終日の夜、全国的にこんな嘆きが繰り広げられているのだろう。
(まあ嘆いて連休が伸びるわけでもなし、前向きに考えないと)
(久し振りに会う友達もいるし……)
一瞬だけ浮かんだ姫水の顔を、慌てて振り払う。
まだ友達と言えるほど会話をしていない。
(そう夕理! 夕理とこんなに会わへんの、初めてやな)
昨年や一昨年の連休は、一日二日くらいは一緒に過ごしていた。
今年誘わなかったのは、もちろん小都子に安心して任せられたからだ。
こうして、徐々につかさの手を離れていくのだろう。
(あたしにベッタリだったことなんて、そのうち忘れるんやろな……)
寂しいわけではない。そうなって欲しいし、そうなるべきだ。
つかさだって、幼い頃はそこに転がっている姉にベタベタしていたが、今では黒歴史だ。
「ほらお姉ちゃん。一応まだ連休なんやから、休みらしくテレビでも見たら?」
「ううう……何か面白いものやってる?」
「何もやってへんなー」
居間でダラダラと過ごしながら、夜は刻一刻と更けていく。
夕理が明日どんな曲を持ってくるのか、来週末のライブがどうなるのかなんて……
つかさは興味の外に追いやり、つまらないテレビを見ながら連休最後の時間を過ごす。
自分にはこれがお似合いやと、そう思いながら。
<第11話・終>