前の話 次の話 目次へ 感想はこちらへ

第14話 ネクストソング

「はいこれ、昨日のライブの感想」
「え!?」

 ライブ明けの日曜日、花歩の部屋。
 今日は何をしようか考えていると、芽生がレポート用紙四枚を差し出してきた。
 そういえば昨晩、机に向かって熱心に何かしていた。

「うわ、ありがとー! 昨日これ書いてくれてたんや」
「記憶の新しいうちにと思って」

 芽生らしく細かいところまで、詳細な感想が書かれている。
 特に気になったので、夕理の新曲への評価を読んでみた。

『うちの部長は誉めていましたが、私はそうは思いません。
 自分の理想ばかり追求して、地に足がついていない印象を受けました。
 もっと聞く人のことを考えてください』

「……もうちょっとこう、手心というか……」
「手心を欲しがるような子とちゃうんやろ?」
「まあ、そうなんやけど……」

 ぱらぱらと紙をめくって、最後の一文が目に留まった。

『丘本花歩をステージに上げるべきです。
 花歩の愛らしさは天下に響き渡るほどですので
 実力はともかく、観客を和ませること間違いなしです』

「うおおい! 何書いてんねん!」
「まあ、その部分は冗談やけど」
「け、消して提出するからね!」

 焦る姉に、妹は紅茶を飲みながら楽しそうに笑う。
 一生懸命消しゴムをかけていると、質問が飛んできた。

「花歩は今日は何するん?」
「うーん。中間テストが不安やから、少し勉強しようかなあ」
「そう、分からへんとこがあったら教えるからね」
「で、できた妹すぎる……」

 双子にしてくれた神様に感謝しつつ、他のメンバーの休日を思う。
 夕理はまた頑張って曲を作っているのだろう。
 部長は受験勉強だろうか。
 勇魚と姫水は、暇なら勉強会に誘ってみようかな……。


 *   *   *


 いつもの現実感を欠いた朝を迎え、母が用意してくれた朝食を口に運ぶ。
 ライブの動画を見たらしき母が、目の前で感激している。

「やっぱり姫水はステージに映えるわね! 輝きが違うっていうかね!」
「そう、ありがとう」
「あ、で、でも無理に役者へ戻れとは言ってないからね? 姫水の好きにしていいのよ?」
「うん、言われなくてもそのつもり」

 あれ以来、母はやたらと神経を使って、腫れ物のように娘に接してくる。
 そのくせ心の底では、ステージママの夢を諦めきれないのがダダ漏れだった。
 なのでスクールアイドルについては大歓迎らしい。

 自室に戻り、自分でも動画を確認する。
 正確には動画へのコメントを見て、参考にしようとしたのだが……
 そのうちの一つに、少し現実に引き戻された。

『大阪でも頑張っている姿を見られて嬉しいです。心から応援しています。弥生』
(弥生さん!?)

 この弥生とは、あの広小路弥生なのだろうか。
 アクセス元は分からないが、でも内容的に、姫水に向けたとしか思えない。

 東京でただ一人、姫水の演技が通じなかった子。
 今回も同じで、だから姫水のパフォーマンスには何も言及していないのかもしれない。
 でも、その上で応援すると言ってくれて、少し心が温かくなった。
 スクールアイドルをしていれば、こういう接点もあるのだと。

「姫ちゃん姫ちゃん!」

 インターホン越しに勇魚の声が響く。
 玄関を開けると、勇魚が動画の映るスマホを掲げてきた。

「この弥生って、前に姫ちゃんが言うてた!」
「うん、たぶん弥生さんだと思う」
「そっか! 良かったね姫ちゃん!」
「うん……」

 演技でなく微笑む姫水に、勇魚も嬉しそうだった。
 現実感を持つまでには至らなくても、少しでも心動かされる相手が、勇魚以外にもいるのだ。
 家に上がり、姫水の部屋に向かいながら希望を口にする。

「うちも会ってみたいな、やっちゃんに!」
「そうね、私も会って欲しいけど……そういう呼び方になるんだ……」

 箱入りお嬢様のあの子が聞いたら、目を丸くして驚きそうだ。
 その光景を想像して、姫水はつい笑ってしまう。

 彼女の方も、いつか勇魚に会いたいと言ってくれていた。
 あの時は全く余裕がなかったけれど、今なら素直に受け取れるから――
 まずは姫水自身が、現実の彼女と会えるように頑張らないと。


 *   *   *


「一緒に遊んでくれるのは嬉しいねんけどー」

 若者の街をブラブラしながら、友達はつかさの顔を覗き込んでくる。

「ライブの後で疲れてるんとちゃうの?」
「平気平気。疲れるほど真面目にやってへんから」
「ならええんやけど」

 ここは難波の北西にあるアメリカ村。
 一時は廃れかけていたが、最近はインスタ映えで盛り返している。
 あきら奈々ななという二人の友達と、古着屋などを眺めつつ、話はライブの感想になった。

「つかさも良かったけど、やっぱり藤上さんやなあ」

 姫水と同じ六組の奈々が、両手を組んでうっとりとしている。



「あの衣装も藤上さんデザインなんやろ? もうマジで天才! まさに神!」
「奈々は完全に信者やな。まあ、つかさがあんな可愛い恰好したのは超ウケたで。藤上さんに感謝や」
「ほっとけ!」

 晶に笑って突っ込みながらも、その実姫水の名前が出るたびに、つかさの内心は屈辱に燃えていた。

(マジでムカつくあの女!)

 ライブは成功したというのに、昨日は悔しくてよく眠れなかった。
 こちらはアイツのことばかり考えているのに、アイツはこちらを気にも留めていない。
 こんな不公平があっていいのだろうか。

(いやまあ、逆恨みなのは自覚してるけど……)
(理由はどうあれ、自分のパフォーマンスを犠牲にしてまで、あたしのこと助けてくれたのは確かやけど……)
(……優しいな、藤上さん……)
(ってちゃう! そういうことではなくて!)

 姫水を頭から追い払うため、今日は二人を呼んだのだ。
 タイミングを見て、さっそく用件を切り出した。

「ところで聞きたいんやけど、近いうちに合コン……」
「あれ!? このお店閉めちゃうんや」

 奈々が声を上げた先では、アクセサリー屋が閉店セール中だった。
 50%オフという張り紙に、彼女は大いに惹かれている。

「ちょっと見てこ?」
「ええよ」
「うん……(あんまりアクセ買う気分とちゃうけど……)」

 店内に入ると、つかさが見る限り大した品はなさそうである。
 が、商品台の一角にある、二千円のブローチが目に留まった。
 そこに輝く、緑色の宝石が。

翡翠ひすい……)
「何かええもんあった?」

 話しかけてくる晶に、ついびくりとしてしまう。

「あ、いや、これ二千円って、本物の翡翠とちゃうよね?」
「どうなんやろ? 一応天然石とは書いてあるけど。翡翠好きなの?」
「は!? ヒスイなんて全然好きとちゃうけど!?」
「え、そう……」

 変な反応を返してしまい、ごまかすように視線を左右する。
 目ぼしいものはなかったのか、奈々がガッカリ顔で戻ってきた。
 三人で店を出ようとするが、つかさの後ろ髪が引かれる。
 引かれすぎて、首が折れそうになり……
 二人には先に出ていてもらって、結局、翡翠のブローチを手に取った。

 会計を済ませる間、内心で頭を抱えていた。

(あああああ!! あたしキモい!!)
(あいつと同じ名前ってだけで!! 欲しくなるとか!! マジどうかしてる!!)

 しかし買ってしまったものは仕方がない。
 後生大事に包みを抱え、そそくさと二人のところへ戻る。
 晶が不審の目で見ているっぽいのは、きっと気のせいだろう……。


 タピオカドリンクを買って、三角公園に座って写真を撮る。
 一口飲んでる間も、先ほどのブローチの重みを感じる。
 我ながら頭がおかしいと思う。
 なので今度こそ待ったなしで、用件を切り出した。

「奈々さあ、近いうちに合コンとかない?」

 突然言われて奈々はむせかけたが、嬉しそうにつかさへと向く。

「えっ、つかさ来てくれるん? そういうの興味ないと思ってた」
「まあ、そろそろ彼氏の一つも作らなあかんかなーって」
「わー、つかさが来てくれるなら百人力や! さっそくセッティングを……」
「どういう心境の変化?」

 いきなり晶が、真剣な目で問いかけてくる。
 思わず視線を逸らしてから、つかさは半笑いで返事を投げた。

「せ、せやから彼氏の一つでも」
「そういうの面倒っていつも言うてたやん。最近のつかさ、何かおかしいで」
「いや、ちょっ……」
「もー、何やねん晶! つかさが行きたい言うてるんやからええやろ!」
「ほんまに行きたいならええけどさあ……。もしかして、好きな奴できたんとちゃう?」

 かあああああ……
 抑える間もなく赤くなる頬が、回答を如実に物語っていた。
 奈々まで釣られて赤くなり、大声を上げる。

「ええー!? つかさが!?」
「ち、ちゃうっ……あんなやつ全然っ……」
「うっわ、つかさ超可愛い」

 恥ずかしさに両手で顔を覆うつかさに、遠慮のない評価が下される。
 同時に、当然のように浮かぶ疑問が、奈々から晶へ投げられた。

「んん? でも好きな人ができたのに、何で合コン?」
「よくあるパターンやったら、手の届かへん相手を好きになって、諦めるためにって感じか」

 つかさの目の前が真っ暗になった。
 晶に言葉にされたことで、改めて認識する。

(手の届かへん、相手……)

 分かってる。
 何でも完璧なあの子に対し、自分は何一つ勝てないし、真剣になれるものもないチャラい人間。
 手が届くことも、振り向いてもらえることもない。

 そんな相手を好きになったなんて、絶対認めたくない。
 姉がいつもしているような不毛な恋なんて、自分には無縁のはずだったのに!

「ちゃうって言うてるやろ! 何度も言わせないで!」
「ち、ちょっと落ち着いて……」

 奈々の制止も聞かず、切羽詰まった顔でつかさは叫んだ。

「とにかく奈々、合コン開いて!
 あたしこの歳で処女やから、あんなやつに惑わされるんやと思う!
 もういっそのこと、適当な相手で捨てちゃおうって……」
「つかさのドアホー!!」
「へぶっ!!」



 思いっきりビンタされ、三角公園の宙をつかさの体が舞う。
 追いすがった奈々が、泣きそうになりながら、つかさの胸ぐらを掴んできた。

「何を自暴自棄になってるんや! もっと自分を大切にして!」
「だ、だって……」
「こんなつかさを、合コンになんて絶対行かさへんからね! 男に渡せるわけないやろ!」
「奈々……」

 つかさの頭も多少は冷静になった。
 奈々はミーハーで男好きだが、根は優しくて友達思いの子だ。
 そんな彼女が本気で怒っているのだから、自分の方がおかしかったのだ。

 そして晶も、タピオカを噛みつつ黙考してから、現実的な提案をしてくる。

「とりあえず、お友達から始めたら?」
「え……」
「なんやハードな相手っぽいけどさ。まずは友達を目指したらええやん。それならまあ可能性はあるやろ?」
「そ……そうなんやろか……」

 ベンチに座り直し、気を落ち着かせようとドリンクを飲む。

(友達……)

 それで自分の心は満足できるのだろうか。
 奈々の前で例えが悪いけれど、例えば六組の生徒たちと同じ扱いになるのが、それが本当に望みなのか。
 勇魚のような、特別な一人には決してなれないのに。

 だが、晶と奈々が心配そうにつかさを見ている。
 これ以上は我が儘も言えず、つかさは妥協したように笑みを浮かべた。

「せ、せやな。お友達目指して、ちょっとアタックしてみるわ」
「私らにできることがあれば協力するからさ」
「私も! 私もやで!」

 そう言ってくれる二人の存在は本当に嬉しい。
 藤上姫水が現れて以来、すっかり挙動不審なつかさなのに、変わらず友達でいてくれる。
 だからせめて今だけは、器用な遊び人に戻らないと。

「よし、目標もできたしこの話は終わり!
 今日は全部忘れて、思いっきり遊ぶで!」
「おー!」

 立ち上がるつかさに合わせて、奈々も立って右腕を上げる。
 その瞳が、片側だけ赤くなったつかさの頬を捉え、慌てて軽く手で触れた。

「た、叩いちゃってごめんね。痛かった?」
「平気や。奈々の愛のムチで、すっかり目が覚めたで」



 お礼とばかり、つかさの手も奈々の頬を撫でる。

「こんなあたしやけど、これからも仲良くしてくれる?」
「う、うん……」

 その頬は両側が赤くなり……
 微笑ましく見ていた晶が、横からつかさに茶々を入れた。

「何? 女落とす練習?」
「ちゃうわ!」


 *   *   *


 夜まで遊んで、帰宅するなりベッドに倒れ込む。
 今日一日楽しかったけれど、連続ライブの翌日にこれは、さすがに体力がゼロになった。
 寝たままの姿勢で、手元に残ったブローチを取り出す。

(これ、どないしよ……)

 友達になりたいだけなら、こんなものを持っているのは気持ち悪いと思う。
 でも使ってもいないアクセサリーをゴミに出すのは、おしゃれ好きとして許容できない。
 姉にあげようかとも思ったけれど、いてほしい日に限って実家にいない。

(しばらく、持ってるしかないか……)

 翡翠、ひすい、姫水……。
 その名前が混じりながら、つかさは眠りに落ちていく。
 テストが終わったら、あの子を遊びに誘ってみよう。
 とりあえず、お友達から始めるために。

 彼女と出会ってから一か月。彼女が東京に去るまで十か月。
 残る時間で、自分の望むものに手は届くのだろうか――。



前の話 次の話 目次へ 感想はこちらへ