「き、岸部さん、ちょっといい?」
「私たち聞きたいことがあって……」
中間テスト目前となり、空気もピリピリしている二年二組。
話しかけてきたクラスメイト二人に、読書していた晴は顔を上げた。
「何?」
「テスト範囲でどうしても分からへんとこがあんねん」
「岸部さんてめっちゃ頭ええんやろ? よかったら教えてもらえへんかなって……」
「別にええけど、回数制限はつけさせてもらうで」
「!?」
聞くとは思わなかった単語に驚く二人に、晴は淡々と理由を説明する。
「中学の時、次から次へと質問されて、私の自由時間が大いに侵害されたからな。
しかもそういう奴に限ってろくに礼も言わへんし。
なので一回だけなら何でも教えるが、年に一回限りとさせてもらう」
なるほど、と納得した二人は、しばし顔を見合わせている。
そのうち片方が、恐る恐る値切りを仕掛けてきた。
「さ、三回くらいにならへん……?」
「それやと誰に何回教えたか、全部覚えとかなあかんやろ」
「あ、そっか、それも大変か。うーん……」
実のところ晴の記憶力ならそれくらいは覚えられるが、そこまで労力を払うつもりはない。
小声で何か相談していた二人だが、今回は諦めたようだった。
「分かった、もうちょっとピンチの時のために取っとくわ」
「その時はよろしくね」
「了解」
これでいい。
必要以上に好かれも嫌われもせず、適度な距離を取りながら、この教室で過ごしていく。
晴の目標は順調に達成されており、満足しつつ読書に戻る。
授業を聞けば十分な晴は、テスト勉強などは無縁のものだった。
* * *
「あ、天名さん、ちょっといい?」
「テスト範囲で分からないところが……」
クラスメイトに話しかけられるのは、入学以来初めてかもしれない。
夕理が顔を向けただけで、びくりと反応される。
そんなに怖い相手と思われているのだろうか。
それでも聞いてくるあたり、よほど切羽詰っているのだろう。
「どこ?」
「お、教えてくれるん?」
「早よして」
「は、はいっ。ええと、数学なんやけど……」
机に置かれた問題集を一瞥し、指で差しつつ解説する。
「この公式を使えばこうなるから、こうしてこう……」
「え、何でそうなるの?」
「……この前授業でやったばかりやけど」
「え、ええと……」
「ちゃんと授業聞いてる? 復習はした?
人に聞く前に、まず最低限の努力は必要やと思うんやけど」
「も、もういいです! ありがとう! ごめんね!」
二人は問題集を引ったくると、大慌てで逃げていった。
遠ざかった先から、小声の愚痴が耳まで届く。
「ほーら、やっぱり天名さんになんか聞くだけ無駄やったろ」
「ううう、ほんまやな……」
(……何やねん、もう)
ちゃんと最低限の努力をして、学習意欲もしっかり持つなら、教えることにやぶさかではないのに。
向こうが悪いのに、こっちが悪者にされる。
でもいい。もう慣れた。
学校は勉強をするところだ。
勉強さえきちんとしていれば、高校生としては合格のはずだ……。
* * *
「小都子ー、ここ分からへんのやけど!」
「お願い小都子、助けて!」
「はいはい。順番にね」
人当たりよく丁寧に。
教師よりも分かりやすいと評判の小都子に、いつまで経っても人だかりは絶えない。
ずっとイライラしていた隣の席の忍は、あまりに図々しい生徒たちにとうとう切れた。
「あんたらええ加減にしたら!? 小都子、自分の勉強全然できひんやないか!」
「うわわわ。ご、ごめん小都子! また暇なときに教えて!」
「ええよ、気にせんといてな」
退散していく友人たちに手を振ってから、小都子は申し訳なさそうな顔を隣人に向ける。
「ありがと忍。ごめんね」
「ほんま周りにいい顔しすぎ! そんなに善人に見られたい?」
「あはは……そう言われてもしゃあないかもね」
自虐的に笑う彼女に、忍の胸を後悔が襲う。
小都子が心配なだけで、別に責めたいわけではないのに。
鉛筆を一回転させて、探るように友人に尋ねる。
「……部活、今年は楽になったんやろ? 一位は狙わへんの?」
一位でも狙うなら、他人にばかりかまけている時間もなくなるのに。
そんな期待も、小都子の諦めたような目に阻まれる。
「友達関係を全部犠牲にしても、私はあの子には勝てへんと思う。
そうなるくらいなら、今の状況の方がええのかなって」
「……ふうん」
「忍は熱心に勉強してるんやね」
「小都子に頼りたくないからね」
そう言って、忍は問題集に没頭し始めた。
せっかく彼女が作ってくれた時間だ。自分も頑張ろうと、参考書を取り出す小都子だが。
頭に浮かぶのは過去の記憶だった。
(あれから、もう一年かあ……)
==============================================
(二位!?)
中間テストの結果が帰ってきたとき、一年生の小都子は目を疑った。
親の反対を押し切り、少しレベルの低い高校へ進んだ。
だからといって増長していたつもりはないが、当然一位と思っていたのは、どこか思い上がっていたのだろうか。
「小都子ー、どうやった?」
「あ……こんな感じ」
と、できるだけさりげなく成績表を見せる。
「二位いい!? すっご、小都子って頭ええんや!」
「あ、あはは……」
友達は誉めてくれるが、小都子の顔色は冴えなかった。
親は当然、一位を取ると思っているだろう。
どう言い訳しようか……。
(ていうか、一位は誰なんや……)
住之江女子高校では、成績を廊下に貼り出すなどという陰険な真似はしない。
なので、各人に聞くしかないのだけれど……。
* * *
部活に行くと、先日入部したマネージャーが部室の隅でパソコンを叩いていた。
Westaのホームページは全面的に作り直されたが、まだ拡充しているらしい。
何か予感がして、こっそり近づき小声で尋ねる。
「岸部さん、中間テスト何位やった?」
「一位やけど」
(やっぱりか――!)
本人は鼻にかける様子もなく、平然と作業を続けている。
小都子は動揺を抑えきれず、少し震える声で話を続ける。
「へ、へー、頭ええんやねえ。何でこの高校選んだん?」
「近いから」
傍迷惑な、と思ってしまった。
自分の頭に合ったところへ行けばいいのにと、自分自身を棚に上げて。
「なになに、どしたんー?」
三年生の波多野が、ぱたぱたと近づいてくる。
お喋りな先輩で、桜夜と仲がいい人だ。
「あ……岸部さんが、学年トップやそうで……」
「えっマジで!? トップって初めて見た。ほんまに人間?」
「どの学年にも一人はいますよ。珍獣じゃあるまいし」
あはは、と笑ってから、波多野はくりんと小都子へ顔を向ける。
「で、小都子はどうやったん?」
「に、二位です……」
「ええー!? うちの部すごくない!? 一年生の一位と二位がいるって!」
なんだなんだと他の部員も集まってくる。
話を聞いて、桜夜が恨めしそうな目で見てきた。
「どういう頭の構造しとんねん。半分こっちに分けてほしいわ」
「あはは、桜夜はほんま頭悪いもんなー」
「波多野先輩も決して良くはないでしょ!」
笑い出す部員たちの中で、小都子の笑いだけが引きつっていた。
旧帝大に行く、なんて大見得を親に切ってしまったけれど。
もしかして自分の頭は、そこまで良くはなかったのだろうか……。
* * *
「――これはどういうことなんや」
その日の晩、父親から詰問された。
「住之江女子ごときでトップも取れへんとは……」
「い、いや、しゃあないねん。えらい頭ええ子が同じ学年にいてね? 事故みたいなものというか」
「大学受験はそういう連中と競うことになるんや。その時も同じ言い訳をする気か?」
「それは……」
しゅんとなる娘に、父はまだ色々言いたそうだったが、結局おもむろに立ち上がって一言だけ口にした。
「……次は頑張りなさい」
「はい……」
言われた通り、次の期末テストでは死ぬ気で頑張ろうとしたら、いきなり練習時間を夜七時まで延ばされた。
それでも睡眠時間を削って必死で勉強したのに、順位に変化はなし。
その後は練習が激しくなり、小都子の成績は落ちていって、晴と競うどころでは――
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(――あかん!)
思い出しかけた記憶に瞬時に蓋をする。
辛いことなんてなかった。
Westaのことが好きで、そのために入学したのだから。
(私は、部のことが大好き)
(この学校が好き……)
自分に言い聞かせている間に、先生が来て授業が始まってしまった。
どれだけ必死に勉強しようと、晴はテスト勉強なんて全くせずに、軽々と小都子の上を行く。
それを思うと、必死になることに虚しさを感じざるを得なかった。
徐々に迫る大学受験のためには、こんなことでは駄目なのだけれど……。
* * *
「こんなに早く帰るって変な気分やなー」
「せやねー」
部活のない放課後に、花歩と勇魚は廊下に出る。
姫水を呼びに六組へ向かうと、手前の五組からつかさが出てきた。
「つーちゃん! 今帰り?」
「せやで。これから遊びに行くけど」
「ええ!? 来週中間テストやで!?」
「テストなんてフツーは一夜漬けやろ? 二人とも真面目やなー」
簡単に言って、つかさはさっさと帰っていく。
花歩の渋い顔と勇魚の苦笑いが互いに向き合った。
「まあ、つかさちゃんは要領ええからね……」
「うちらは地道に頑張ろうね!」
そうして姫水の教室を覗き込むと……
いつものように大人気の彼女は、六組の生徒たちに囲まれていた。
「藤上さん藤上さん、一緒に勉強会しよ!」
「何を抜け駆けしとんねん! 藤上さんは私と!」
「うーん、三人くらいが限界かしら」
「わ、分かった! すぐに調整するから待ってて!」
十人以上いる生徒たちは、お姫様を困らすまいと大急ぎで選抜を始める。
その間に、教室の入口にいる二人に、姫水は軽く頭を下げた。
「今日はクラスの人と勉強会していくから。ごめんね」
「うんっ、うちらは先帰ってるね!」
「に、人気者は大変やね~」
仕方なしに二人で昇降口へ向かう。
幼なじみが人気で勇魚は嬉しそうだが、花歩は少し心配になる。
勇魚は勉強が大の苦手。姫水が助けてくれると思っていたが、あの様子では難しそうだ。
かといって自分は教えられるほど頭良くないし……と思いながら歩いていると。
「晴先輩や!」
昇降口の前で、帰ろうとしていた晴を見つけ、勇魚が子犬のように駆け寄る。
あんなことがあった後でも、普通に先輩としては大好きなようだった。
「今お帰りですかっ」
「何や。しばらく顔見ずに済むと思ったのに」
「もー先輩、冗談ばっかり!」
「は、ははは……」
花歩だって別に顔を見たい相手ではない。
だがせっかく会ったからなのか、校内が勉強一色だからなのか、晴が急に話題を振ってきた。
「気い早いけど、文系理系はもう決まってる?」
「あ……二年になるときに選ぶんでしたっけ」
花歩の記憶では、上級生は一組と二組が理系、三組以降が文系だったはずだ。
二年二組の晴は理系、三組の小都子は文系となる。
「決まってへんのやったら、ぜひとも理系に来てくれ」
何の話かと思ったら、勧誘だった。
「年々希望者が減っていて、このままでは一クラスにされかねん。実に嘆かわしいことや」
「やっぱり難しいイメージがありますもんね」
「おまけにどこかの割烹着のせいで、理系女子の印象は地に落ちたからな」
「嫌な事件でしたね……」
と、考え込んでいた勇魚が、結局わからなかったようで晴に尋ねる。
「うちは看護師になりたいんですけど、これって理系なんでしょうか!」
「医学やから理系やな。結構なことや。理系科目は得意?」
「いえ、めっちゃ苦手です! 化学とか全然わかりません!」
「それで看護師はあかんやろ……。ちょっと付き合え。少し勉強を見てやる」
「え、いいんですかっ!?」
「理系を目指す途中で挫折されたらかなわんからな」
大喜びしかける勇魚だが、取り残される友達を思ってその顔が曇る。
「あ、でも花ちゃんは……」
「わ、私はええよええよ! 気にしないで行ってきて」
いくら晴の頭が良くても、こうズバズバ言う先輩には教わりたくはない。
どうせ家に帰れば、頼りの妹がいるのだし。
「ていうか私、たぶん文系選ぶと思うし。何となく楽そうやから」
「文系に用はない。帰れ」
「とほほ。とにかく私は芽生に教わるから、また明日ね」
「う、うん、それじゃね! 先輩、どこで勉強しましょうか!」
「お前の教室でええやろ」
嬉しそうな後輩と素っ気ない先輩は、来た廊下を戻っていった。
花歩は靴を取り出しながら、その姿を見送る。
(結局あの二人、何だかんだで相性ええんかなあ……)
「花歩?」
声に振り返ると、夕理が歩いてくる。
本当、部活は休みだというのに、よく部員と会うものだ。
* * *
「私は法律の方面に進むつもりやから、文系やな」
校門へと歩きながら、先ほどの一件を聞いた夕理はそう答えた。
「え、夕理ちゃんて将来は検事なんや」
「別に法曹は検事に限らへんやろ……まあ検事とは思うけど」
「ええやん、似合ってて。悪をばっさばっさと切り捨てそう」
「大阪地検は大嫌いやけどね。証拠捏造したから」
似合ってはいるけど……と思いつつ。
もう一つの可能性を、花歩はさりげなく聞いてみる。
「音楽の道には進まへんの?」
「……自分にそんな才能がないことくらい分かってる」
夕理の足は少し早くなるが、すぐに立ち止まり、空を見上げて断言した。
「でも、趣味としてはずっと続けるつもり!」
「――うん」
夕理のこういうところには、少し憧れる。
将来やりたいこともなく、進路なんて何も決まっていない花歩は特に。
そう考えながら隣を歩く友達に、夕理が不審そうな目を向ける。
「というか、いつまで付いてくるんや。バス停は向こうやろ」
「いやー、この前は付き合ってもらったから、今日は夕理ちゃんに付き合おうかなって」
「単に一人で帰るのが寂しいんとちゃうの」
「あっはっはっ」
「……別にええけど」
なんて言っていた夕理だが、駅からは普段使うニュートラムではなく、花歩が帰りやすい地下鉄に乗ってくれた。
いつかと同じように、並んで座って地下を揺られていく。
「二人で乗るの、難波にリボン買いに行ったとき以来やね」
「せやな」
「あの時はねー、ほんまにこの子と仲良くなれる日が来るのかって、本気で心配やってんけど」
「まあ、ほとんど会話もなかったしね……」
「でもあれから一か月で、私たちずいぶん仲良くなったよね!」
「え、そう?」
「そうやろ! そこは同意して!」
そうなのだろうか……と真面目に考え始めた夕理に、相変わらずやなあと思いつつ。
真面目に考えてくれるところも、今では割と好きになっていた。
「とにかく夕理ちゃんに認めてもらうために、毎日作詞頑張ってるんやで」
「いやテスト勉強しいや」
「でも勉強中って、どうしても他のことやりたくなるやろ? その時は歌詞を考えて、歌詞に詰まったら今度はテスト勉強に切り替えるという、非常に画期的な……」
「画期的なやり方でも何でもないから! どっちかに集中したほうが絶対ええから!」
「えー、そうかなあ」
夕理は軽くため息をついて、少し弱気の表情になる。
「私の方は難航してる」
「え、歌詞の話?」
「何度書き直しても、結局つかさのことになんねん……」
「うわあ、重症やね」
「そ、そういう花歩はどうなんや。広町先輩が浮かんだりせえへんの?」
「え……」
夕理から矢が飛んでくるとは思わなかった。
花歩が好きなのは立火であると、他者からはっきり口にされたのは初めてかもしれない。
頭をかきながら、ごまかすような笑いを浮かべる。
「ど、どうなんやろうねー。単にかっこいい先輩に憧れてるだけなのかなって、自分では思うんやけど」
「まあ、それならそれでもええんとちゃう」
「うん……」
でもこんなことを言われてしまったら、今後の作詞では意識してしまいそうだ。
そして二人とも内心では分かっている。
どちらも多分、姫水の歌詞には勝てないと。
「ていうか夕理ちゃんも、勉強しないで曲作ってるやん」
「ぶ、部活禁止期間は今日からやろ! 帰ったら勉強に集中する!」
「ほんまかなー。最近の夕理ちゃん、作曲マニアみたいな感じやし」
「なっ……!? 言うに事欠いてなんてこと言うねん!」
「あはは、冗談冗談」
じゃれあっている間に大国町駅に着いてしまった。
あっという間の、十分間の乗車。本当に、一か月前とは大違いだ。
「じゃあね、夕理ちゃん。お互い頑張ろう」
「せやな、色々と」
「……せやね、色々と」
微笑んで手を振る夕理を乗せ、四つ橋線は走り去っていく。
御堂筋線に乗り換える途中で、スマホに芽生からLINEが来た。
『熱季に勉強教えるから、少し遅くなる』
「ぎゃああ! 頼みの綱が!」
熱季への好感度がまた下がりながら、肩を落として長居へと帰る。
自力で頑張るしかなさそうだった。
* * *
テスト一日目が終わった。
テスト期間中は午前で放校。皆が帰宅していく中、三年五組では立火と景子が言い合っている。
「いやー、全然でけへんかった。三年生のこの時期でこれはヤバいで」
「は? 何言うてんの? 立火より私の方が絶対ヤバいから」
「またまた、こっちの方がヤバいに決まってるやん。もう百倍はヤバい」
「君ら仲ええなあ」
感心したように呟く未波が、壁の向こうの六組へ目を向ける。
「ヤバいといえば木ノ川さん、今朝見かけた時はやけに余裕そうやったけど、あれ大丈夫なん?」
「え、そうなの? あいつが余裕のわけないやろ……ちょっと様子見てくる」
「彼氏は大変やなあ」
「誰が彼氏や誰が」
景子にからかわれながら隣のクラスへ行くと、案の定、桜夜が机に突っ伏して死んでいた。
友人の
「あ、広町さん……」
「立火、お前の彼女どうにかしてやって」
「どいつもこいつも……桜夜、何があったんや」
声に反応した桜夜が飛び起き、泣きながら立火にすがりつく。
「立火ぁぁぁぁ! 私たち連休中ずっと講習受けたよね!?」
「受けたな」
「全然効果なかったんやけど! あれ詐欺やろ! お金返してほしい!」
「効果って……。今回のテスト範囲と講習の範囲、あんまり重なってへんやろ」
「あれ? そうやった?」
「アホやアホやと思ってたけど、ここまでとは……」
額を抑える立火に、えへ、とごまかし笑いを浮かべる相方だが、こういう顔は全く可愛いとは思わない。
「で、今日のテストは全滅だったと?」
「ハイ……」
「どないすんねん! 次の曲、お前がセンターなんやで!」
「え、そうなの?」
「ラブソングなんやからそうなるやろ!」
立火が口にした音楽ジャンルに、恵と叶絵は意外な顔をした。
「え、次ラブソングなんや」
「この前の意識高い曲といい、去年のWestaとは違うのばっかやな」
「作曲担当の思し召しやからな。けど、私はアリやと思ってる」
去年の熱い曲や笑える曲は、もちろん立火も好きではあったが、一点だけ引っかかっていた。
これでは桜夜のポテンシャルを、十分に生かせないのではないかと。
初めて出会ったときに感じた、アイドルに相応しい、可愛く女の子らしい美少女。
その真価を発揮する曲が、ついに来たと思ったのだ。
「なのに赤点まみれ補習まみれやったら、ラブライブどころではなくなるやろ!」
「ううう、そんな風に思ってくれてたやなんて……。ごめん立火ぁ、私どないしょ……」
「叶絵ちゃん、今からでも勉強見てあげられへん? 私はあんまり頭良くないし……」
「冗談はよしこさんやで。桜夜に勉強教えるなんて、砂漠に水を撒くようなもんや」
恵の懇願はすげなく断られる。叶絵は常に学年二十位以内をキープする秀才だが、去年さっさと部に見切りをつけたように、無駄なことはしない主義だ。
万事休すと思われたが……。
「頼む叶絵! もうお前だけが頼りなんや!」
立火がいきなり床に土下座した。
それを見て、慌てて桜夜も隣に土下座する。
「ちょっ、そういうの逆に腹立つんやけど!」
「この通り! 昔の仲間のよしみで!」
「私はもう辞めたんや! 部内で何とかしたらええやろ、晴とか小都子とか!」
「桜夜の怠惰が原因やから、晴は絶対助けてくれへん。小都子もさすがに三年生の範囲は無理や! お前の情にすがるしかないんや!」
「ふざけんな! 何で今さら私がスクールアイドル部のために……!」
被害者面するつもりはないが、去年いきなり練習がブラック化しなければ、叶絵だって辞めずに済んだのだ。
立火や桜夜のせいではない。でもWestaへのわだかまりは正直消えていない。
そんな叶絵の肩に、長身の恵が後ろから手を置く。
「部のことはともかく、私たちは桜夜ちゃんの友達やろ。桜夜ちゃんのセンター曲、見てみたいと思わへん?」
「……まあ、見ものではあるな」
「それやったら、これもファン活動の一つやと思って。私からもお願いや、叶絵ちゃん!」
「ちっ……」
桜夜は土下座したままプルプル震えている。
今回を逃したら、もうセンター曲はないかもしれない。
自分たちは三年生で、もうすぐ卒業なのだから。
「わぁーったよ、今回だけやで!」
「うわああん叶絵ええええ! ありがとおおおおお!」
「鼻水をつけるな、美少女のくせに!」
抱き着いてくる桜夜を引っぺがし、すぐに叶絵の目は氷のようになった。
「ただし私は容赦はせえへんからな。今から夜まで徹底的にやる。立火、見張り頼むで」
「ああ、少しでもサボるようなら私がしばいたるわ」
「あ、あはは。お手柔らかに……」
「『お手柔らかに?』」
「いえー! どうぞ厳しくお願いしますぅー!!」
引きつった笑顔で地獄に赴く桜夜の耳に、唯一の癒しとして恵の声が届く。
「みんなお昼まだやろ? 私、コンビニで何か買うてくるね」
「お願い!」
教室を出ていく前に、恵は友人たちを振り返る。
形はともかく、ラブライブのために三人で協力している姿を。
(叶絵ちゃんが辞めへん場合の、三年生三人のWestaも見たかったなあ……)
クールな叶絵が入っていれば、きっとバランスも良かったのに。
バレー部の自分が言っても詮無いことだけれど。
(でも、次は桜夜ちゃんのラブソングなんやな)
(それなら予備予選は余裕で突破しそう!)
校内には同じように、勉強している生徒がぽつぽつ残っている。
その姿を横目に見ながら、恵は買い出しへと出て行った。