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「甘っ!」

 一杯のバタービールを回し飲みし、夕理の正直な感想に皆が笑う。
 姫水も一口飲んで、口についた泡を拭いてお礼を言った。

「ごちそうさま、彩谷さん」
「いえいえ。一杯だけで悪いけど」

 この後にコースターなのを考えると、大量摂取はよろしくない。
 決して姫水と間接キスとか、そんなことを考えたわけではない。
 まあ当然ながら、全員口をつける場所は変えているのだが……。

「よし、トライウイザード見てから並ぶか!」

 残った液体を飲み干し、カップを捨ててつかさが先導する。
 時刻は六時。そろそろ空も赤く染まってきた。

 近くの広場で『ライバル校と魔法の腕を競う』という、ラブライブにも通じる短いショーを見てから、城の看板を確認する。

『フォービドゥン・ジャーニー 50分』

「ま、こんなもんやろ。今日最後の行列、準備はええかー」
「おー!」

 花歩がノリよくつかさに返し、一同はホグワーツ城の敷地に乗り込む。
 外周部に並びながら、つかさは少し深呼吸して、姫水との会話に再挑戦した。

「そういや藤上さん、テストどうやった?」
「それなりに手応えはあったわよ。彩谷さんは?」
「あたしもそれなりかなー。ていうか古典の問題ってさあ」

 こんな当たり障りのない話、いくら続けても心が近づけた気にはなれないけど。

(でも、もう危ない橋渡って失敗したくないねん)
(今日はこのまま無難に終わらせよう……)

 後ろにいる夕理には、情けない姿に映っているだろうか……。

 列は城内に入り、姫水と夕理は感心したように中を見渡す。
 中の絵が動く額縁や、様々な魔法アイテム。
 ハリー、ロン、ハーマイオニーの三人が、アトラクションの設定を説明する。
 そしてロッカーに荷物を預け、いよいよ一同はホグワーツの上空へと飛び出す――。


 *   *   *


「技術の進歩ってすごい!」

 外に出た時、夕理は柄にもなく興奮していた。
 ニヤニヤしている花歩とつかさ、にこにこ顔の勇魚に気付き、こほんと咳払いする。

「ま、まあ、単なるコースターよりは良かったってことや」
「素晴らしい映像技術だったわね。本当にハリーポッターの世界の中みたいで……」

 姫水も両手を合わせて称賛する。
 CGで描き出された空や建物が、ライドの高速移動に合わせて目まぐるしく動き……
 そして襲ってくるドラゴンや、クィディッチの試合風景、共に空を飛ぶハリー達は、今の姫水には現実より現実らしかった。

仮想現実……バーチャルリアリティー
(何か病気を治すヒントがあるかもしれない)
(もう一度乗りたいけど、さすがに無理よね……)

 もう七時だというのに、未だに行列は長く続いている。
 名残惜しそうな姫水に、帰ろうとしたつかさが振り返った。

「藤上さん?」
「あ、また乗りたいなあって」
「ほんま!? 気に入ってもらえた?」

 嬉しそうなつかさに、少し心が痛む。
 彼女は本当に、このテーマパークが好きなのだろう。
 自分もその気持ちを共有できたらいいのに。

「それやったら、またいつか乗ろうね」
「うん、そうね。機会があったら」

 既に日は落ち、明りに照らされるホグズミード村は、来た時とは全く違う姿を見せている。
 後ろ髪を引かれつつも、一行はハリーポッターの世界を後にした。


 *   *   *


「夕理、足大丈夫?」
「うん、平気や」

 つかさが声をかけてくれて、疲れた足の痛みが和らぐ。
 残るイベントはあと一つ。もうすぐここを通るパレードを見たら、後は帰るだけだ。

「ゆ、夕理ちゃん」

 と、花歩が少し緊張気味に声をかけてくる。
 その隣には、さらに固くなっている勇魚がいる。

「今日、勇魚ちゃんってどうやったかな。結構仲良くできてたと思うんやけど」
「何や、花歩が画策してたん?」
「あ、あはは。ほら、一年生の結束を高めるためにも」
「ゆ、夕ちゃん!」

 まるで告白する女の子のように、上ずった声が勇魚の口から溢れ出た。

「うち、夕ちゃんのことめっちゃ好きやねん! 夕ちゃんは、うちのこと苦手?」
「いや、そんなストレートに言われても……」

 自分なんかが他人から好かれるということに、夕理は実感が湧かない。
 つかさは特別だし、小都子と花歩は阿倍野での約束の結果だけど、この子は何なのだろう。
 嘘のない本心なことは、見れば分かるけれど……。

「まあ……今日で苦手意識はだいぶ消えたかも」
『ほんまっ!?』

 花歩と勇魚が同時にハモり、ずずいと近づいてくる。

「それやったら、勇魚ちゃんのこと下の名前で呼んであげて!」
「お願い! 『勇魚』って呼んでほしい!」
「ち、ちょっ……」
「ほら、姫水ちゃんも推して推して!」
「そ、そうね。天名さん、勇魚ちゃんはとてもいい子で、友達として末永くお付き合いいただけるものと……」
「お見合いおばさんか!」

 困り果て、思わずつかさへ目を向けるが、彼女は優しく微笑むだけだ。
 今回ばかりは助けてもらえない。
 自分で決めないといけないのだ。

「何て言うか……急にそんなこと言われても困るし……」
「あかんの……?」

 子犬みたいな目を向けられ、焦った夕理は早口でまくし立てる。

「そもそも、まだ佐々木さんを一人前のスクールアイドルとは認めてへんし!
 裏方として頑張ってたのは見たけど、それではまだ半分や!
 せやから――名前で呼ぶのは、一緒のステージに立ってからやな!」
「え――」

 照れたように明後日の方を向く夕理の前で、勇魚がみるみる破顔する。
 それはいつかの将来、必ず呼んでもらえるということだ。
 花歩も安堵しつつ苦笑いしている。

「もー、夕理ちゃん引っ張るんやから」
「ええねん花ちゃん! うち、早くそうなれるように頑張るね!」

 えいえいおー、と拳を突き上げる勇魚を、姫水が微笑ましく見ている。
 そして夕理が向けた視線の先で、つかさは安心しつつ、また少し距離を置いたように見えた。
 夕理に友達が増えるたびに、つかさはどんどん離れていく。
 姫水のところへ行くかどうかに関わりなく。

(でも……それは必要なことなんや)

 夕理が自分に言い聞かせている間に、花歩が喜びの声を上げる。

「あ、パレード来た!」

 夜のUSJに音楽が鳴り響き、電飾に彩られた巨大なキャラクター達が行進してくる。
 皆で楽しく眺めていたが、スヌーピーが遠くに見えるや、花歩は慌ててスマホを取り出した。

「みんな、最後に写真撮ろう! 写真!」
「んー、夜やからなー。ブレても泣かないように」
「夕ちゃん夕ちゃん、ほらほら前へ!」
「佐々木さんの方が小さいんやから前やろ」

 大急ぎで並んでいる間に、スヌーピーは近づいてくる。

「夕理ちゃんごめん、ちょっとしゃがんで! 姫水ちゃんはもうちょっと右!」
「こう?」
「ああああ、通り過ぎる! 撮るで! 3、2、1、アクション!」



「とほほ……後ろ姿やないか。つかさちゃん、ピースで耳作るのやめて……」
「あはは、可愛いやろ?」

 花歩とつかさの他愛ないやり取りに、勇魚と姫水が笑っている。
 そして夕理は――

(ああ――どうしよう)

 頬が勝手に緩むのを、どうしても止められなかった。
 次々と訪れるパレードの前で、誰かに尋ねてほしいと思った。
 『楽しい?』って。
 今なら聞かれても大丈夫だから。


 *   *   *


「あー! 面白かったー!」

 ゲートを出て、大きく伸びをする花歩を、勇魚と夕理が挟み込む。

「花ちゃん、誘ってくれてありがとね!」
「まあ、一応お礼言うとくわ」
「いえいえ、えへへー」

 花歩はえいっ、と二人の腕に抱きつき、夕理の抗議を受けながら、駅への道を歩いていく。
 それを姫水と共に、保護者ポジションで見ているつかさだが……
 内心ではまた渦が巻いていた。

(このままでええんか!?)

 一度は諦めたはずなのに、帰るとなると未練が湧いてくる。

(あたしの目的、全然達成されてへんやんか!)
(あ、あたしだって、藤上さんに『つかさ』って呼んでほしいのに……)
(勇魚にできたことが、何であたしにできないんや!)

 とはいえ今さらどうしようもない。
 何もできないまま駅の改札をくぐり、ホームに降りる。

「うわあ」

 夕理のうんざりした声の通り、ホームには人が溢れ返っていた。
 勇魚が笑いながら慰める。

「こればかりはしゃあないって! 大した距離でもないやろ!」
「まあね……」

 そうこうしている間に電車が来て、客は車内に詰め込まれていく。

「向こうの方が空いてそうだから、あっちに行くわね」
「うんっ!」

 姫水は隣の車両に向かい、勇魚が手を振る。
 反射的に、つかさの体も釣られるように動いていた。
 最後の一発逆転を狙って。

(藤上さん綺麗やから、痴漢とかに遭うかもしれへんし)
(そうでなくても混んでて大変そうやし、そこをあたしが颯爽と助けて)
(あたしのこと認めてもらえれば……)

 後から思えば、かなり冷静さを欠いていた。
 無理に車内に入ってはみたものの……

「彩谷さん、こっちに来たの?」

 そう言う姫水の周りは女性客ばかりで、痴漢などいる様子はなく。
 吊り革は全部埋まっていて、逆に自分の方こそ掴まる場所がない状態だった。

「まあ、うん……ってうわあ!」

 いきなり電車が動き出す。
 普段なら何てことはないが、一日歩いて並んで疲れた足は、つかさの体を支えきれない。

「危ない!」

 今日初めて、ほんの少しだけ焦った姫水の声が響くと同時に――
 左手で吊り革を掴んだ彼女が、右手でつかさを抱き留めていた。

(あああああああ!?)
「大丈夫?」
「へ、へへへ平気やっ! お構いなくっ!」

 ライブの時に続いて、またこんな事に!
 パニックになりつつも体勢を立て直すつかさの前に、右腕が差し出される。

「ここ、掴まっていていいわよ」
「はあ!? な、ななな何言うてんの!?」
「恥ずかしがっている場合じゃないでしょう」
「ううう……」



 また転ぶわけにもいかず、姫水の腕を抱きしめる。
 最後に大ラッキーなのかもしれないが、喜ぶ余裕なんて全然ない。
 自分の激しい心音が、彼女にバレないかだけが心配だった。

(ていうかあたし、藤上さんに自分の胸押し付けてるやん! 痴女か!)
(でも動けへんし……)
(藤上さん、少しくらいドキドキせえへんかな……)
(ってするか! 女同士なのに!)
(……藤上さん……)

 間近に見る彼女の顔は、相変わらず吸い込まれるほど綺麗で。
 次々と浮かぶつかさの思考は、一つの疑問に集約される。

(結局あたしのこと、どう思ってるんやろ……)

 その思いが通じたのかどうか。
 姫水は目と鼻の先にいるつかさへと、優しく微笑んだ。

「今日は、少し見直したわ」
「え!?」

 失敗続きだった気がするが、知らない間に何かしていたのだろうか。
 期待に浮き上がるつかさの気持ちの前で、言葉が続く。

「天名さんのこと、ずっと気遣ってたでしょう? 本当に大事に思ってるのね」
「………」

 浮き上がった気持ちがどぼんと沈む。
 たはは、と内心で苦笑しながら。

(評価されるとこ、そこかあ……)

 もちろん、全く評価されないよりはずっと良いのだけれど。
 後ろめたさに目線を落としつつ、正直に告白した。

「今だけやねん」
「え?」
「次にユニバに来る頃には、花歩とも勇魚とも普通に友達になれてるやろ。そしたら、あたしはお役御免かなって」
「それって……」
「早よ手を引きたいんや」

 姫水は少し驚いてから、かすかに下がった声音で言う。

「バスで一緒に帰った時、天名さんの歌詞を読ませてもらったわ」
「そっか……」
「あの子は本当に、あなたのことを想ってるんだなって……」
「夕理にはもっと相応しい相手がいるはずや。あたしみたいな不純な人間やなくて」
「そう……私が口出しすることではないけれど……」

 姫水はそれ以上は言わず、残念そうに窓の外へ目を向けた。
 そして、もうつかさを見ることはなかった。

(唯一もらえてた評価も、これで失くしたんやろか……)

 それでも、この件に関してだけは嘘は言えなかった。
 物理的には接触しながら、心の距離は近づけない二人を、満員電車は運んでいく。


 *   *   *


「ばいばーい!」
「また明日!」

 長居組の三人を乗せて、電車は弁天町駅を去っていった。
 二人きりになったところで、つかさはちゃんと聞いてくれる。

「どう? 楽しかった?」

 たとえ『楽しくなかった』と言っても、つかさなら笑って適当に流してくれる。
 だからこそ、夕理にとって特別な人だったのだけれど……
 今日はもう、その必要はなかった。

「うん――楽しかった。全体的には」
「良かった良かった、一安心や」
「でも、万事が高すぎると思う! どれだけがめついねん、これやから大阪は!」
「まあまあ、そのお金で任天堂エリア作ってんねんで。マリオ知ってる? マリオ」
「ヒゲのおじさんやったっけ」
「そうそう。再来年にはオープンするんちゃうかなー」

 そして階段を降りたところで、重い宿題を言い渡される。

「他の子とも楽しめるって分かったんやから、次は夕理から誘ってみたら?」
「せ、せやな……考えてみる」

 改札を通り過ぎ、駅の外に出る。
 このまま別れれば、お互い気持ちよく一日を終えられるのだろうけど……
 どうしても許容できず、夕理からも尋ねた。

「つかさはどうやったん?」
「そら楽しかったで? あたしユニバ好きやし」
「……藤上さんのこと」
「あはは、夕理は厳しいなあ」
「ご、ごめん……大きなお世話なのは分かってんねんけど……」

 心配させないようにつかさは笑うけれど、その目は少し伏せ気味だった。

「まあ、簡単にはいかなそうなのが分かったかな」
「わ、私から藤上さんに言うてもいい? つかさと仲良くしてって。今日、花歩がしたみたいに」
「気持ちは嬉しいけど、たぶん意味ない。優等生的に対応されて終いや」
「そう……なんやろか」
「あの優等生の仮面を引っぺがさな、どうにもならへん……」

 最後の方はもう夕理を見ておらず、一人で考え込んでいるようだった。
 気落ちする夕理に、はっと気付いてひらひらと手を振る。

「ま、気長にやってくから、ほんま心配しないで。じゃ、また部活で」
「うん、また……」

 聞いたところで何ができるでもなかった。
 彼女の背中が遠ざかっていく。
 何か、少しでもいいから、自分にも何か――

「き、今日はありがとう!」

 思わず叫んだ声に、振り返ったつかさが軽く手を上げ、また背を向けて帰っていく。
 今日、何度も気遣ってくれた。
 勇魚たちのことも大事だし、前より仲良くなれたとは思うけど。
 やっぱり、つかさがいたから楽しかったのだ……。


 ポーチから家の鍵を出す時に、本日の戦利品が目に入る。
 小都子へのお土産と、花歩へのプレゼント。
 今日の出来事は、明日以降にも繋がっていく。
 そう思うと疲れた足も少し軽く、マンションに入り玄関を開けて……
 誰もいない家に、夕理は元気よく電気をつけた。

「ただいま!」

 ――いい休日だった。



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