時は遡り朝九時半。
立火は机に問題集を広げながら、一年生たちに思いをはせていた。
(みんな楽しんでるとええなあ……)
一方の自分は、中間テストが終われば即受験勉強である。
桜の咲く季節まで、安息が訪れることはないのだ。
と、スマホが鳴り、取り上げてみれば桜夜からのメッセージだった。
『遊園地行きたい』
渋面を作り、即座に返信を送る。
『勉強しろ!』
数秒して少し長い文が返ってきた。
『遊園地行きたい行きたい行きたい行きたい行きたい!』
無視していると、とうとう電話がかかってくる。
仕方なしに受けた途端、盛大な悲鳴が鳴り響いた。
『行きたいよおおおおお!!』
「やかましいわ! テストで周りに迷惑かけたの、反省してないんか!」
『してるってば! 昨日の夜は一時まで勉強してたし!』
「あ、そうなん……」
『せやけどもう吐きそうや! 遊園地行かないと死ぬ!』
(加減を知らないやっちゃなあ……)
こういう時に嘘を言う桜夜ではない。実際に一時まで机に向って、限界を超えたのだろう。
いくら受験生でも、一週間全く休みなしは確かにキツい。
溜息をついて、壁の時計を見上げる。
「しゃあない、ぱっと行ってぱっと帰ってくるで。どこ行くねん。ひらパー?」
『財布の中に千円しかない……』
「それでよく遊園地行こうとか言えるな! 千円で楽しめるとこなんて……」
USJができてから、関西の遊園地は潰れまくっている。
万博跡地にあったエキスポランドも、ジェットコースターの事故で閉園になった。
大阪府に残っているのは
「……入園料タダのとこに行く?」
* * *
大阪のお隣、奈良県
家から四十分ほどをかけて、立火と桜夜は近鉄の生駒駅に降り立っていた。
「うっわ、来るの何年ぶりやろ」
駅から伸びるペデストリアンデッキの上で、桜夜はきょろきょろと周囲を見渡している。
そんな相方を眺めつつ、立火は眼前にそびえる642mの生駒山を見上げた。
「私は近所の子供連れておととし来たで。最近は結構盛り返してるみたいや」
「へー。私が来たときはガラガラやったけど、よく生き残れたよね」
「親会社が近鉄やから、なんとか維持して欲しいもんやな。よし、登るか!」
「え?」
デッキを降りて参道へ向かおうとする相方の腕を、桜夜が慌てて引っ張った。
「いやいや、何のためにケーブルカーがあんねん」
「金ないんやろ?」
「ケーブルカー代くらいはあるから! あの動物顔も久しぶりに見たいし!」
「ったく、後で後悔しても知らんで」
結局、連絡橋を渡ってケーブルカーの駅へ向かう。
生駒ケーブルは今年で何と100周年。日本最古を誇るケーブルカーである。
さっそく切符を買おうとして、桜夜はうっと息をのんだ。
(あれ、片道360円もするんやったっけ。ICOCAも使えへんし……)
このレトロなケーブルカーに、ICカード読み取り機などあるはずもない。
桜夜が引きつった顔で提案する。
「や、やっぱり登りだけ使って、帰りは歩こっか!」
「へー。どういう心境の変化?」
「いやテストで体なまってるし、やっぱりスクールアイドルとして体力向上をやな」
「はいはい」
笑っている立火に恥ずかしくなりつつも、犬とも猫ともつかない顔の車両を見るや、喜んで駆け寄る。
「立火ー、写真撮ろう写真!」
「大はしゃぎやなあ。結局こいつ猫やったっけ?」
「ミケって書いてあるで」
* * *
途中の宝山寺駅で乗り換え、急勾配の山中を通り終点に到着する。
駅を降りればそこはもう生駒山上遊園地。
ゲートも入園券売り場もなく、出入りはいくらでも自由である。
USJの混雑とは比べるべくもないが、立火の言う通りそこそこ賑わっている。
勉強のストレスから解放された桜夜は、幼児退行したように満面の笑顔で駆け出した。
「わーい遊園地遊園地ー!」
「子供か!」
とはいえ遊園地自体は完全に子供向けなので、むしろ桜夜の態度が正しいとも言える。
立火が周囲を見渡しても、目に入るのは親子連ればかり。
自分が少し場違いな気がして、早足で相方に追いつくと、桜夜はにこにこと聞いてくる。
「ねえねえ何乗る? 飛行塔? 空中ブランコ?」
「乗る気なん!? 高三にもなって!?」
「当たり前やろ、何しに遊園地来たんや!」
「いや、景色見に……。せ、せや、まずは腹ごしらえせえへん?」
「うーん、確かにちょっとお腹すいたかも」
そんなわけでレストランへ向かう。
これまたレトロな建物で、支払いは券売機だ。
(一番安いのはきつねうどんと蕎麦かあ……でもラーメン食べたい)
欲望に忠実に、桜夜はみそラーメンのボタンを押した。
一方の立火はカツカレー。
「これでラブライブに勝つ!」
「まーたそんなベタな」
「ベタなのが大事なんや。帰りも宝山寺で戦勝祈願してくで!」
「もー、せっかくの遊園地なのに殺伐としないで」
料理を受け取り、外のテラス席に座る。
USJのレストランのようにお洒落ではないが、山の上だけあって眺めは抜群だ。
眼下に広がる大阪平野を見ながら、桜夜が麺をもぐもぐしつつ聞く。
「前来たときは動いてないジェットコースターがあったけど、撤去されたんやろか」
「されたんちゃうの。一度くらいは乗りたかったなあ」
「いや怖ない? こんな山の上で古いコースターって」
などという話の最中に、視線を感じて顔を上げる。
トレイを持った男子高校生二人が、桜夜を見てひそひそ話していた。
「な、なあ、あの子めっちゃ可愛くね?」
「どっかのアイドルとちゃうんか」
ふふーん、と桜夜が髪をかき上げると同時に、その二人はくるりと背を向ける。
「けどいくら可愛くても、こんな所でラーメンすすってる女は御免やな……」
「せやな……」
「ああ!?」
「やめろって」
席を蹴って立とうとしたが、立火に手を引かれ留められる。
仕方なく座り直して、憤懣やるかたなくメンマをかじった。
「何やのあいつら! 休みの日に男二人で、寂しい奴らやな!」
「おーい、完全にブーメランやでー」
* * *
腹もふくれたので、再び遊園地へと繰り出す。
遊具はひとつ乗るのに300円から500円。
もちろん長い行列などなく、いたって平和なものである。
「サイクルモノレールも気持ちよさそうやなー。立火に漕がせたら楽やし」
「ははは、上から叩き落としたろか? ところで参考までに聞くけど、お金残ってんの?」
「何言うてんねん、まだ大して使て……」
そう言って桜夜は財布を開ける。
十円玉が一枚。
終わり。
「何でや!?」
「ケーブルカーが360円、ラーメンが630円、計990円」
「……立火ぁ……」
「私は金の貸し借りはせえへんからな」
「300円だけでええから! 来月のお小遣いもらったらすぐ返すから!」
「そもそもお前、小遣いかなり貰ってるんやろ!? 何でいつも金欠になるんや!」
「ほんまになー、何で月末ってこうなんやろね? 私も謎でしゃあないねん」
「お前と結婚する奴がいたら、真っ先に財布を取り上げろって言うとくわ」
立火は深く溜息をつくと、遊具の間をぶらぶら歩きだした。
「何に乗りたいんや」
「え……」
「金は貸さへんけど、次のセンターへの激励におごったるわ」
「うわああん立火あああ!! じゃあ一番高いやつ」
「お、そろそろ帰る時間やな。いやあ充実した休日やった」
「嘘です! 一番安いのでええから!!」
暖かい春の終わりに、遊具を楽しむ子供たちを見ながらしばし散歩する。
一通り見て回ってから、桜夜が指さしたのは昔ながらのメリーゴーランドだった。
「これ!」
「正気か……。いや桜夜ならこれが正気やな……」
「私もプリンセスやからね! お姫様度で姫水に負けられへんねん」
「何を張り合うてるんや何を。乗りたいならええけどな」
立火が買ったチケットを拝んで受け取り、喜々として白馬に座る。
近くの子供からジロジロ見られているが、本人は気にする様子もない。
むしろ『似合うやろ?』みたいに得意顔だ。
(ま、確かに絵にはなるんやけどな)
その姿を残したくて、頼まれる前にスマホを取り出した。
「立火、写真ー……って、あ、撮ってくれるん?」
「ん、あれや、うちのブログのネタになるやろ」
「せやな、ファンに私の可愛さを届けないと! 綺麗に撮るんやで」
「はいはい……っと」
シャッターを押すと同時に、木馬たちは動き出す。
本気で楽しそうに回っている桜夜を、眺めるだけの遊園地も乙なものだった。
* * *
遊園地の端まで来た。
展望広場の直下は東大阪市の町並みで、その向こうは――
「まずは市内全てのスクールアイドルが相手や」
遥か大阪市を見渡しながら、立火が呟く。
それだけでも100グループ近くあり、並の県より遥かに多い。
その中で上位四枠に入らなければ、先輩たちと同じ舞台にすら立てないのだ。
「今の人気やと、悔しいがナンインと聖莉守の予選突破は安泰やろな。
淀川中央の爽wingか、鶴見緑地学園のGreenTeaPod。このあたりと残りの枠を競うことになるか……」
「ダークホースとか出てきたりして」
「さすがにこのタイミングは勘弁して欲しいわ」
立火は笑うが、その瞳に笑みはなく、ずっと遠くを見つめていた。
その横顔を目に映しながら、桜夜は少し寂しくなる。
(デートの時くらい、私だけを見てくれてもええのにな)
けれど、それが立火なのも分かっていた。
安心させるように、ぱんぱんとその背を叩く。
「まっ、私に任せなさいって。おごってもらった分はきっちり働くで」
「……ああ。よろしく頼むで!」
夏のラブライブ、予備予選まで一か月を切った。
立火が部長になって最初の関門。
そこに待つのは歓喜か絶望か、はたまた――。
桜夜の財布に残った十円玉は、帰りに立ち寄った宝山寺に賽銭として投げられた。
『どうか全国に行けますように!』
<第15話・終>