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「ようやく来た。見て見て、可愛いやろー」

 息を切らせた立火の前で、桜夜は浴衣を見せながらくるりと回る。

「さっさと話片付けて、屋台で何か食べよ! 花火の場所取りもせななー」
「桜夜……」

 社の向こうに祭の音を聞きながら、立火は息を整えた。
 冗談であることを願って尋ねる。

「ほんまに、引退する気なん?」
「立火こそ、何で引退せえへんの?」

 本気で疑問のように問い返され、思わず口ごもる。

「いや、だって、ここで投げ出すのも無責任……」
「部活って義務とちゃうよね?」
「……せやな」
「楽しむためにやるものやろ?」
「せや……」
「地区予選、辛い思いしかしてへんやないか!
 もう沢山や、割に合わへん!」

 キレた桜夜の言葉に、何も言い返せない。
『立火が辞めるまで、私は絶対に辞めない』
 あの日の指切りをずっと守ってくれた彼女を、泣かせてしまったのは事実だ。
 とはいえ桜夜も責めたいわけではなく、笑顔に戻って立火の手を握る。

「てことで一緒に引退しよ。残り少ない高校生活、適当に勉強しながら楽しく過ごそ! ね!」
「それは……」
「……あかんの?」

 ここへ来るまでの間、立火は何度も自問した。
 あんな目に遭って、まだ懲りないのかと。
 今も再度考えてみる。
 それでも――いざ引退と言われると、立火の魂は全力で抵抗した。

「ごめん、やっぱり引退したないのが本音や。
 アホと思われても、どうしても全国に行きたい。
 今の私にそんなん言う資格ないのは分かってるけど……」
「ふーん……」
「……分かってる、桜夜に強制はできひん。あの指切りは忘れてもらっても……」
「アホなの!? しまいには怒るで!」

 既に怒ってる桜夜の両手が、今度は立火の胸倉を掴む。
 目の前に近づいた顔は、泣き笑いのようにも見えた。

「今になって立火を見捨てるくらいなら、去年とっくにそうしてる!」
「桜夜……」
「つまり立火がまたラブライブに出るなら、私を地獄の道連れにするってことや。
 それを分かった上で、進むのかどうかを決めてもらうで!」
「ぐ……!」

 指切りは、今や呪いのようだった。
 桜夜に嫌々ついてこさせるなんて、絶対にできない。
 だとすれば、この先が地獄ではないことを――
 進む先にハッピーエンドがあることを、証明しなければならない!

「あ、あれや。負けるって決めつけることはないやろ。
 要は勝てばええねん。勝ちさえすれば何倍もの喜びになって返ってきて……」
「アホか、ただのギャンブルやないか!
 パチンコ屋のおっさんだって同じこと考えてるわ!」
「で、でも今回は最悪やったから、次は上がるだけで……」
「そう油断してたらもっと悪くなるパターンやろ!? 予備予選で負けたら私らどうすんの!? 死ぬの!?」
「た、楽しいこともあったやろ!? 歌やダンスはそれ自体楽しいやろ!?」
「ならラブライブには出なくてもええな! ファンだけ集めてライブやった方が楽しいし!」
「ぐぬぬ……」

 今日の桜夜はやけに冴えている。
 この先どれだけ頑張っても、全国に行けずに終わる可能性はある。
 努力が報われない可能性があるのは、立火も否定できないのだけれど……。

「……去年も全国には行けへんかったけど、ここまで辛くはなかったやろ」
「せやな。泣きはしたけど。
 まあ先輩たちが主役で、私ら脇役やったし」
「ちゃう……そういうこととちゃうんや」

 自分に何が足りなかったのか、ようやく立火も分かりかけてきた。
『精一杯やった。悔いはない』
 どこかで負けて終わる部活の大会で、ハッピーエンドがあるとすればそれしかないのだ。

 襟を掴まれている両手を握り、真っすぐに相方の瞳を見る。

「今回あかんかったのは、実力が足りなかったことでも、晴の提案を蹴ったことでもない。
 私に、迷いがあったことや!
 ふらふらして、信じることも諦めることもし切れへんかった。
 せやから今、めっちゃ後悔してるんや!」

 握った手が熱くなっていく。
 ただ一人の相方に、立火は懸命に説得を試みた。

「けど、こんな事はこれっきりや。
 冬のラブライブでは絶対迷わへん!
 全国へ行ければそれが一番。
 でも行けなくても、後悔だけはせえへんようにするから!」
「立火……」

 ほだされかける桜夜だが、慌てて頭を振る。
 そんなもの、確実な保証とは言えない。

「口先だけやろ! 言うだけで後悔せずに済むなら誰も苦労せえへんわ!
 ほんまに立火は辛い思いをしない?
 ほんまに私たちは幸せになれるの!?」
「なれる!!」
「っ!」

 立火の腕は、無我夢中で桜夜を抱きしめていた。
 必死だった。
 どうしても、この子と一緒に先へ進みたいと――
 そのためにできる保証は、ただ叫ぶことしかなかった。

「私が責任を持って、桜夜を幸せにする!!」



 必死だったので、立火は気付かない。
 抱きしめられた桜夜が、耳まで真っ赤になっていることを。
 しばらくそうしていたが、あまりの蒸し暑さにどちらともなく体を離す。

「ど……どうやろ」
「え? あ、うん……」

 恐る恐る尋ねる立火に、桜夜はもじもじしながらうなずいた。

「ま……まあ、立火がそこまで言うなら……」
「ほんま!? 続けたいって思ってくれる!?」
「さすがにプロポーズされたらね。断れるわけないやん」
「うんうん……うん?」

 一瞬聞き流しかけた立火だが、聞き捨てならない単語があった。
 少し冷や汗を流しながら、まだ赤い桜夜を問い詰める。

「ちょっと待て。プロポーズって何の話や」
「いやー、熱烈やったな。一生を懸けて私を幸せにしてくれるんやなー」
「一生なんて誰も言うてへんやろ! 部活の話や部活の!」
「まーまー。そんなに照れへんでも」
「えーい、もうやっとられんわ!」

 この件はギャグとして流して、立火は小指を差し出した。
 いつかとは逆の、左手の側を。

「ほな……冬のラブライブも頑張るってことで!」
「しゃあないなー、ほんま立火は私がいないとあかんねんから。
 約束通り、どんな結果に終わったとしても、私たちを幸せにしてね!」

 二つ目の指切りが結ばれる。
 これで両手とも繋がって、完全に運命共同体だ。
 せっかくなので、目の前の小さな鳥居にも柏手を打つ。
 ラブライブ前の重圧からも、その後のどん底からも、ようやく解放された気分だった。

「これからどうする? そのへん散歩する?」
「その前にやることあるやろ。女の子の誘いを断るなんてサイテー」

 きょとんとする立火の前で、桜夜は一切躊躇せず、スマホでどこかへ電話をかけた。

「もしもし花歩? 立火を連れ出したで!
 合流して、一緒にお祭り楽しもう!」

 その名前に、立火は思わず身じろぎするが……
 桜夜の手がスマホを相方に向ける。
 流れてくる後輩の声は明るかった。

『良かったです!
 夕理ちゃんにも振られて凹んでたんですよー。
 すぐ三人でそっちに向かいます!』

 場所を指定してから電話は切られ、立火は小さく息をつく。
 一方の桜夜は口をとがらせていた。

「ほんま夕理って付き合い悪いやっちゃな」
「まあまあ、騒がしい場所は嫌いなんやろ。せや、つかさも来てるかも」
「連絡してみる!」

 さっそく電話するが、返ってきたのは慌てふためいた声だった。

『どうぞお二人でお幸せに! お邪魔はしませんので!』

 それだけ言って一方的に切られて、二人で顔を見合わせる。

「なんや今の」
「やっぱり結婚しろってこと?」
「いつまでそのネタ引っ張んねん!」

 何にせよ、天神祭はまだまだこれから。
 陸渡御も全て出払い、少し静かになった天満宮で、並んで歩く相方を見る。
 顔を上げて、また挑戦に付き合ってくれる彼女を。

「あのな桜夜。まだ言うてへんかったけど」
「ん、何?」

 ありがとう、とか、お陰で立ち直れたとか。
 改めて言うのは、やはり照れくさかったから。
 別の言葉で、色んな思いを代弁した。

「……浴衣姿、可愛いで」

 桜夜は再び真っ赤になってから、ぽかぽかと立火を叩き始めた。

「もー! 何でいきなり誉めるんや!」
「何やねん! 誉めなかったら怒るくせに!」


 *   *   *


「び、び、びっくりしたあ」

 つかさは冷や汗をかきながら、通話を切ったばかりのスマホをしまった。
 普段クールな晶もちょっと焦っている。

「覗いてたのバレてた?」
「そうではないみたい。いやー、それにしても……」

 立火が深刻な顔で急いでいるのを見て、声もかけられず、つい後をつけたのが少し前。
 誰もいない神社の裏で、いきなり抱き合って幸せにするだの叫び始めたのには、さすがに仰天した。
 晶が困惑気味に天満宮の方を振り返る。

「何なん? あの先輩たち、デキてんの?」
「うーん、ただの漫才コンビと思ってたんやけど……。やっぱりデキてんのかなあ」
「うひゃー! うひゃー!」

 まだ興奮している奈々が、急に拳を握って悔しがり始めた。

「くっ、録画しておけばよかった! それをおかずにご飯十杯はいけたのに!」
「こらこら、盗撮はあかんで。ていうか、藤上さんのファンとちゃうんかい」
「それとこれとは別腹や! イケメン立火先輩と美少女桜夜先輩、大好物に決まってるやんか!」
「奈々ってほんまミーハーやな……」

 呆れる二人だが、興奮して暑くなったので、かき氷でも食べようと屋台へ向かう。
 その途上、つかさは脳内で合掌した。

(かわいそうな花歩……)
(武士の情けや。この件はあたしの心の内に留めておくで!)


 *   *   *


 同情されているとは露知らず、部長に会うため花歩はウキウキで大川沿いを歩く。
 一緒にいるのは昨日までボランティア続きで、さすがに休めとあちらの部長に言われた勇魚と姫水。
 そして夏期講習を終え先ほど合流した芽生である。

「ほら姫水さん、あれが船渡御ふなとぎょ

 芽生の指し示す先、川べりの柵に群がる見物客の向こうを、一隻の船が遡上してくる。
 浴衣の老若男女が船上に座り、岸へと手を振り、太鼓を叩いている者もいる。
 その後からも、神輿やお囃子を乗せた船が次々と。

「あれがそうなのね。やっぱり、子供の頃に見てたかも」
「見覚えあるやろ? うちら一緒に見に来てたんや!」

 幼い日の記憶を呼び覚ましながら、幼なじみたちは笑い合う。
 それを見ている双子も微笑んで、屋台で賑わう川べりを歩いていた時だった。

「部長!」

 真っ先に見つけたのは花歩だった。
 六時を過ぎ、夕暮れが迫る人ごみの中に立火はいた。
 少し気まずそうなものの、予選前と同じ元気な姿で。

(桜夜先輩……)

 姫水の瞳には、隣にいる桜夜も映る。
 笑顔を作るのに少しだけ努力しつつ、話しかけようとしたのだが……
 その先輩は姫水の横を通り過ぎ、真っすぐ芽生に駆け寄った。

「うわー、双子ちゃん! ほんま花歩にそっくりや!」
「初めましてですね。芽生です、よろしくお願いします」
「うんうん、可愛えなー。やっぱり時々入れ替わったりするの?」
「してみたいんですが、なかなか機会がなくて」
「……先輩」

 いきなり後ろから、姫水の手に頭を鷲掴みにされた。
 恐る恐る振り向くと、後輩が氷点下の微笑を向けている。

「こっちはどんな顔で会うかずっと考えてたのに、スルーですかそうですか」
「そ、そうやったの? もう予選から四日も経ってんねんしー、引っ張りすぎやって!」
「先輩は三歩歩けば忘れるニワトリですか?」

 ますます温度が下がる姫水を勇魚がなだめるのを、立火と花歩が笑って見ている。
 と、不意に二人の目が合った。
 立火はもう視線を外すことなく、大事な後輩と向かい合う。

「言い訳はせえへん。花歩を失望させた分は、今後の行動で取り返すで」
「し、失望なんてしてないですよ!? 私こそ、何もできなくて歯がゆくて……」
「そう? 罵ってくれてもええねんで、このダメ部長!って」
「言いませんってば! とにかく、元気になってくれて良かったです!」

 花歩はそう言って、再び両手を差し出した。
 あの日の安居神社と同じように。

「もう一度、ここからスタートですね!」

 立火は胸が詰まって言葉にならず、黙って両手をぱしんと乗せた。
 四日前、同じ動作から始まった一日のことは忘れない。
 苦い感情とともに、何度も思い出すのだろう。
 だとしても――敗北を糧にして、部活というものは続いていくのだ。

 手を離し、桜夜たちに声をかけて、花火の会場へと歩き出す。
 隣では祭の船たちが、ゆっくりと川を航行していく。


 *   *   *


 混雑を避けて、銀橋から少し遠くに来た。
 花火からは遠いが座れる空間で、立火と双子姉妹は腰を下ろして待つ。
 近くでは勇魚にちょっかいを出そうとした桜夜が、例によって姫水に阻止されている。

「そうか。小白川と剣持も続けるんやな」

 待つ間、芽生から聖莉守の話を聞いていた。

「二人とも確実に推薦をもらえますからね。受験は心配ないようです」
「くっ、羨ましい……と、簡単に言えるもんでもないか」

 これも普段の積み重ね。それがない立火は地道に頑張るしかない。
 鏡香もエスカレーターで難波大学へ行くのだろうし、引退はしないだろう。
 次の冬、十二月に、今度こそ三人で最後の勝負が行われるのだ。

(今回はすっかり差をつけられたけど……次はこうはいかへん)

 ライバルを思う部長の横顔に、花歩も同い年の子のことを考える。

「熱季ちゃんは、お姉さんと一緒のステージに上がれるんやね」
「それだけを目標に頑張ってきたからね。
 瀬良さんには負けへんって、よく居残りで練習してるで」
「ひ、光ちゃんに!?」
「そう。同じ一年生、あいつにできることが自分にできひんわけがないって。
 Westaはどう? そういう一年生はいる?」
「うう……」

 花歩と立火の目が気まずそうに合う。
 意識の高い夕理すら、そんなことは言ってなかった。
 乱暴な熱季だが、向上心は認めざるを得ない。

 日の落ちた夜の公園で、花歩は少し考え込んでから、背筋を伸ばして言った。

「部長に憧れてるだけの一学期は終わりました」
「あ、うん。やっぱり幻滅したやろな……」
「そ、そういうことではなくて!
 これからは、私もカッコよくなりたいってことです! いえ、なります!」
「花歩……」

 四ヶ月間の部活動を経た後輩を改めて見る。
 今まで、裏方や応援で頑張って支えてくれた。
 だが、確かにもう頃合いかもしれない。
 同じ舞台で共に戦う、次のステップのために。

「文化祭で、デビューしてみるか」
「え……」
「学校の中やし、一年生の初舞台には最適や。
 小都子も去年はそうやった。
 夏休み中頑張れば何とかなるやろ。もちろん、勇魚も一緒にや!」
「は……はい! やります! やらせてください!」

 妹が見守る前で、花歩の心は踏み出した。
 いよいよ――いよいよ、ステージに立つ日が来る。
 文化祭は九月の半ば。これからの夏休み、明確な目標ができた。
 さっそく勇魚にも教えようと、立ち上がりかけた時だった。

 ヒュルルルル…… パン!
 夏の夜空に、一つ目の花が開く。
 伊丹空港の関係で高さはないが、川を行く船渡御と相まって、独特の風景を作り出す。
 周囲からも歓声が上がる中、花歩は決意を込めて宣言した。



「この花火みたいに、私の最初の花を綺麗に咲かせてみせます!」
「おっ、上手いこと言うやないか」
「えへへー、歌詞も諦めてませんし!」
「でも広町先輩、メンタルの方も鍛えてやってくださいね。
 花歩は昔から緊張しいで、小学校の時の演劇なんて……」
「も、もう芽生! 余計なことまで言わなくてええから!」

 花火は間を空けながら、次々大阪の夜を彩る。
 桜夜たちも隣に座って、一緒に光の祭典を見上げた。
 千年以上も続いてきた天神祭。
 その中の今日という日を、復活の狼煙のろしとするために。



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