(何でこういう日に限って、早く目が覚めるんやろ)
(部活行く必要なくなったのに……)
七時の時針を眺めながら、つかさはぼんやりと考える。
八月の朝は既に暑苦しくて、再度眠ることはできそうにない。
冷房を入れてから、ベッドに寝ころんだまま昨日の朝のことを思い出した。
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合宿翌日の休みも終わり、部活再開の日。
月曜から土曜まで毎日毎日、十時から十五時までの練習が、この先一か月続くのだ。
八時に鳴った目覚ましを止めて、つかさは起き上がろうとしたのだが……。
前日夜更かしした頭には、急に理不尽に思えてきた。
(改めて冷静に考えると、なんかおかしくない?)
(何で夏休みに毎日登校せなあかんねん!)
好きなだけ寝てていいし、平日にいくらでも遊べるのが夏休みではないのか。
それをわざわざ制服に着替えて、やりたくもない練習をしに行くなんて。
どうせ菊間の言う通り、いつかはついていけなくなるのに……。
(……行きたくない)
そう思ってしまった以上は、無理して行く必要はない。
手を伸ばしてスマホを取ると、寝ころんだままメッセージを打ち込んだ。
『今日休みまーす。
ていうか夏休みは基本遊びたいので、部活は火・木だけ出ますね。
シクヨロー』
重くしたくはないので、敢えて軽い文章にして部のグループに送る。
週二日も出勤するだけで十分な譲歩だ。バイト以上に働くのだから、文句を言われる筋合いはない。
ないのだけど……。
(……藤上さん、あたしのこと軽蔑するやろか)
(いやでも、あたしのスタンスは部長さんが説明してくれてるはずやし)
(藤上さん優しいし……Zzz)
二度寝しながら、つかさは都合のいい夢に落ちていく。
誰もが憧れる完璧な優等生と、ちょっとチャラくて適当な遊び人との、よくある物語だ。
『ねー姫水! たまには部活サボって遊びに行かへん?』
『え? サボりなんて良くないわよ』
『これやから優等生は。たまには息抜きせな、周りの期待に押し潰されるで』
『そ、そうかしら……なら、少しだけ』
『よし行こ! あたし、遊ぶ場所いっぱい知ってんねん!』
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(ううう……改めて思い出すと恥ずかしい)
夢の中では親密にイチャイチャしていたが、現実では自分一人だけサボる間に、姫水は真面目に成果を出していた。
『女優が羽鳥静佳さんを演じてみました』
『女優が瀬良光さんを演じてみました』
そんなタイトルの二つの動画が、昨日公開された。
合宿の時よりさらに再現度を上げたそれには、称賛のコメントが多数ついている。
Westaの知名度アップにも大いに貢献するだろう。
夏休みにご苦労様なことだ……。
スマホを切ってカレンダーを見上げる。
なにわ淀川花火大会。それが本日夜の予定だ。
同行者は例によって晶と奈々だが、姫水も誘おう誘おうと思っている間に当日になってしまった。
(うーん……やっぱ今日だけでも部活行こうかな。藤上さん誘いに)
(でも変にやる気があるとか思われても困るしなあ……)
昨日自分が送ったメッセージと、それへの部長への返信を改めて見る。
『分かった。夏休みやもんな。
部活休む分、思いっきり夏をエンジョイせな承知せえへんで!』
怒ってはいないようだけど、本心ではどう思ってるのだろう。
やはり、花火大会のためなんて理由で行くわけにはいかない……。
などと考えながら昼までダラダラ過ごして、部の昼休み中に姫水に連絡しようか迷っている時。
つかさの方へ電話がかかってきて、相手は奈々だった。
『ごっめーん! 私、藤上さんと花火行くことになったから!』
「はあああああ!?」
思わず絶叫するつかさに、奈々は喜々として説明する。
『誰が一緒に行くか六組の中で争奪戦やってんけどー。
うち一人がどうしても行けなくなって、私がその座を勝ち取ったってわけや。
さっきのゲーセンでの死闘、つかさにも見せたかったなー』
「前から思ってたけど、六組の連中おかしいやろマジで……」
『私たちは楽しんでるんやからええの!
ってことでごめんね、この埋め合わせは必ず!』
「はあ、もうええわ……。好きなだけ藤上さんと楽しんできて」
『そこまで落ち込むなんて……つかさ、そんなに私を愛してくれてたんやな!』
「切るで」
『そういや藤上さんの動画見た? ほんま藤上さんってマジ神』
通話を切ってスマホを放り投げる。
まあ、何も知らずに姫水に連絡して、すげなく断られるよりは良かった。
もう高望みはせず、晶と二人で楽しもう……と決意したのだが。
今度はその晶から電話がかかってくる。
「もしもし晶? 奈々のことならさっき聞いて……って何か声おかしない?」
『すまんつかさ、実は……』
「え? 風邪!?」
クールな晶もウィルスには勝てず、39度の熱でダウンしてしまったらしい。
『奈々も行かれへんのにほんま悪いんやけど……』
「いいっていいって、誘う相手ならいくらでもいるから。
お見舞い行こうか? いい? 分かった、しっかり休んで治すんやで」
通話を終えて天井を見上げる。
友達は多いし、声をかければみんな一緒に行ってくれそうだが、いざ誰をと思うと選ぶのが難しい。
離れつつある夕理を引き戻すことはできないし、花歩は岐阜のおばあちゃんちへ行っていると聞いた。
いっそ居間でゴロゴロしている姉でも……と血迷ったことまで考えてしまう。
(ってアホか! 高校生にもなってお姉ちゃんと花火なんて!)
(あ、待てよ。よく考えたら……)
(藤上さんが六組の連中と行くってことは、勇魚はフリーなんやな……)
* * *
「つーちゃん! 誘ってくれて嬉しいで!」
待ち合わせの駅で、小さな体が大喜びで抱き着いてくる。
何だか消去法で選んでしまったが、ここまで嬉しそうだと悪い気はしない。
「ま、たまには二人で遊ぶのもええやろ……ってもう一人連れてきたの?」
勇魚の影から顔を出したのは、勇魚をさらに小さくしたような女の子だった。
「つーちゃんは初めてやな。ほら汐里、ご挨拶や」
「さ、ささきしおりです! ごさいです!」
「おー、しっかりした妹ちゃんやな。五歳ってことは来年小学校?」
「う、うんっ」
「あたしはつかさや。汐里ちゃん、花火いっぱい見よな」
「うん、はなびだいすき!」
「そっかー」
あまり子供と接したことはないが、元が器用なのですぐ仲良くなれた。
にこにこしている勇魚と一緒に、さっそく淀川の河川敷へと向かう。
「ねえ勇魚、部活のことやけど……」
「うん?」
「あ……いや、後でええわ」
これから花火を楽しもうという時に、わざわざする話でもない。
帰りにでも聞こう……。
淀川といえば大阪を代表する川。
市の北部を流れているので、南部に住む勇魚たちはあまり縁がないが、今日はその広さに歓声を上げる。
打ち上げを待ちながら、河川敷は既に屋台で賑わっていた。
「つーちゃん、あれほしい!」
「いきなりやなあ」
屋台の綿あめを指さす汐里に苦笑する。
買い与えて良いものか迷っていると、勇魚が慌てて割って入った。
「し、汐里。お母ちゃんからお金もろてるから、欲しいものはお姉ちゃんに言うてや」
「じゃあおねーちゃんこうて!」
「でも夕ご飯まだやないか。いきなりお菓子やなくて、まずお腹にたまるものを……」
「おねーちゃんのケチ! つーちゃん、おねがいやー」
「あはは、勇魚も苦労してんねんな」
汐里にズボンを引っ張られ、つかさは笑いながら相手と同じ目線にしゃがむ。
「なら綿あめはあたしが買うとくから、汐里ちゃんは夕ご飯用意してくれる?」
「うー……うん」
「あたし、あそこに見えるオムそばとか好きやなあ。汐里ちゃんはどう?」
「オムそば! たべたい!」
「よし、買い物は任せた!」
「うんっ!」
つかさの指令を受け、汐里は元気にガッツポーズを取る。
勇魚の手を引いて、さっそくオムそば屋台へ歩き出した。
「おねーちゃん、ちゃんとついてきて!」
「あ、うん……。なんかうち、姉としての自信なくなってきたで……」
「あはは、ドンマイドンマイ」
子供連れでどうなるかと思ったが、普段見られない勇魚を見られたのは儲けものだった。
二人を見送ってから、つかさも恥を捨てて綿あめ屋に並ぶ。
「そのプリキュアのをください。え? ちゃいます、知り合いの子供にですって!」
オムそばと綿あめ、追加で焼きとうもろこしとクレープで腹を満たしたが、まだ花火まで時間がある。
何かゲームでもしようかと、屋台を眺めていたところ……。
「あれやりたい!」
「わ、ミニオンや! うちもやろうかな!」
ミニオンの人形や最新ゲーム機が並ぶのは、言うまでもなくクジ屋である。
つかさは無言で二人の肩を掴むと、少し離れた場所で小声で言った。
「ええか二人とも。ああいうのは当たりは入ってないんや」
「え……」
「つ、つーちゃん、汐里の前でなんてことを! もっと人を信じなあかんで!」
「テキ屋を信じてどうすんねん。社会の厳しさを教えるのも姉の役目やで」
「え、ほんまに入ってへんの……?」
「って当の姉が世間知らずかあ。あたしの言うことを信じなさい!」
『はーい……』
「わかればよろしい。ほら、型抜きあるやん。クジよりあっちの方が面白いやろ」
そう言われてもピンとこない汐里は、型抜きは初めてらしい。
屋台の前までやって来たが、勇魚も気が進まないようだ。
「うち、これ苦手なんや。いっつもすぐ割れんねん」
「そうなの? 裁縫は得意やのに」
「ちょうどトイレ行きたいから、二人でやっててもらっていい?」
「ええよー。なら汐里ちゃん、あたしがやり方教えてあげるね」
「うんっ!」
つかさの丁寧な指導のおかげで、汐里はすぐ型抜きに熱中し出した。
板状のお菓子を、線に沿って綺麗にくり抜く遊び。このお菓子は今は大阪の一社でしか作ってないらしい。
慎重に慎重に、少しずつ削っていって……。
パキン
「あーーーー!!」
「あはは、まあ初めてにしては良くやったで。もう一枚やる?」
「うう……つーちゃんがやって」
「おっけー、ま、あたしの本気を見たってや」
つかさはすいすいとミッションを成功させ、景品のポッキー一箱をもらった。
汐里はすっかり尊敬した目でつかさを見ている。
「つーちゃんすごい……」
「いやいや、大したことないって。はい、このポッキーは汐里ちゃんにあげる」
「つーちゃん! だいすき!」
「ははは、モテモテで参ったなあ」
こんなに子供に懐かれるとは、自分でも意外だった。
いつか姉に相手が見つかったら、姪と仲良くするのもいいかもしれない。
と、結構経っているのに、まだ勇魚が戻らない。
不安な顔になる汐里だが、すぐにつかさへ電話がかかってきた。
その声は勇魚ではなかったけれど。
『ぐへへへ、お前の可愛い友達は預かった』
「何してんすか桜夜先輩……」
『そっちにプリティーな妹ちゃんがいるんやろ? 勇魚を返してほしくば、その子を引き渡すんや!』
『や、やめてください先輩! うちはどうなってもいいので、汐里だけはぁー!』
『いえーい幼女幼女! ……あいたっ!』
後ろから頭を叩かれた音がして、スマホを奪ったらしき誰かの、ハスキーな声が聞こえてくる。
『お前ホンマ、そろそろマジで通報するで』
『ううう、冗談やのに』
『もしもし、桜夜のクラスメイトや。友達は折を見て返すから、悪いが少し貸してくれ』
「あ、はい。了解っす」
『……自分、Westaの部員やろ』
「え……はあ、そうですけど」
『いや、いきなりすまない。私は去年Westaを辞めたから、今はどうなんやろと思て』
「あ……そうやったんですか」
辞めそうだから聞かれたのかと一瞬思ったが、つかさの状況まで知るわけがない。
単なる一部員として聞いているのだろう。
「まあ……いい部やと思いますよ。休んでも怒られへんし」
『そうか、なら良かった。言えた義理でもないけど、応援してるで』
通話を切って、色んな人がいるのだと今さら実感する。
辞めた後でも桜夜と花火大会に行けるというのは、つかさにとっては示唆的だった。
いや、別にまだ辞める気はないけど……。
「お姉ちゃん、今は先輩と一緒にいるみたいや」
「せんぱい?」
「んー、年長さんのお友達。そのうち帰ってくるから、先に花火のとこ行こか」
「うんっ!」
そろそろ空も暗くなる中、今日会ったばかりの二人は手を繋いで、人ごみの中を歩いていく。
(高校最初の夏休みで、やることが子守かあ……)
(まあ、可愛いからええねんけど)
元気に歩く汐里を見ながら、いつかの光景が重なっていく。
その顔を覗き込んで、優しく尋ねた。
「勇魚のこと、いいお姉ちゃんやって思う?」
「う、うん……いつもやさしくて、いっしょにあそんでくれんねん」
「勇魚らしいなあ。汐里ちゃんもいい妹やと思うで」
「ほんまっ?」
「うん、どこかの誰かさんよりはずっと」
つかさがこの子と同じ、五歳だった時。
こことは別の花火大会へ、連れて行ってくれた姉を追想する。
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「おねえちゃんのアホー!」
アホなのは妹の方だった。
買い物の間、動かず待っていろと言われたのに動いたのだから。
必死で探した姉は、今のつかさより一歳下だったのに、大人の態度で優しく言ってくれた。
「ごめんねつかさ。ほら、チョコバナナ買えたから、一緒に食べよ?」
「いらない! もうおうちかえる!」
「まだ花火見てへんやん。うーん、困ったなあ。他に欲しいものある?」
「……おんぶして」
「え、足疲れちゃった?」
「うん……」
本当は嘘で、単に姉にくっついていたいだけだった。
姉も分かっていたのか、微笑んだままチョコバナナを渡して、よいしょと背負ってくれる。
五歳児なら結構重かったろうに。
二人でバナナを食べながら、ぴったりと姉の体にへばりつく。
「つかさは甘えん坊やなあ」
「うう……そんなんとちゃうもん」
「甘えてくれるのは嬉しいけど、お姉ちゃん来年は高校生やからね。
花火大会は彼氏と来たいかなあ」
「えー!? かれしってだれや!」
「ちょっ、揺らさんといて!」
浴衣を掴んでがくがく動かす妹に、姉は困りつつ歩く速度を落とす。
「彼氏というのはね……うーん、妹の教育的にどう言うたらええんや」
「なかよしさんのことやろ!?」
「まあ、そんな感じやなー」
「それやったら……」
姉を誰にも渡すまいと、必死に首に抱き着いた。
「あたしがおねえちゃんのかれしになる!」
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「ぐおあああああ!!」
「つーちゃん!?」
突然頭を抱えて悶絶するつかさに、汐里は仰天して飛び上がる。
つかさはぜえはあと肩で息をして、大丈夫という風に手のひらを向けた。
「ち、ちょっと黒歴史を思い出しただけや。気にしないで」
「???」
「ほ、ほら、もうすぐ花火始まるで。このへんで見よか」
「うんっ」
ぎりぎりに来たにしては良い場所が取れたが、目の前はかなり混んでいる。
打ち上げた空が汐里に見えるかどうか……。
ヒューーー パパパパパン
天神祭より派手な花火が上がり、一気に歓声が湧く。
が、汐里はしょんぼりとうつむいた。やはり無理だったようだ。
「ほら、汐里ちゃん」
「え?」
しゃがんで背を向けたつかさに、汐里は少し戸惑っている。
ほら、と手のひらを上下させて、つかさは背中越しに笑いかけた。
「妹は遠慮なんてするもんやないで」
「う、うんっ!」
小さな体がつかさの背に乗り、同じ目線まで持ち上がる。
その視界は、即座に光の饗宴で埋め尽くされた。
「きれいやー!」
「やっぱり花火はスターマインやなあ」
ほどなくして電話が鳴って、場所を聞いた勇魚が人をかき分けてきた。
「ただいまあ」
「お勤めご苦労さん」
「わ! ええなあ汐里、つーちゃんにおんぶされて」
「えへへ、ええやろー」
ぎゅっと首に抱き着かれて、少し暑かったけど、こういうのも悪くなかった。
鳴り響く音と光にしばらく身を委ねてから、勇魚が小声で話しかける。
「つーちゃん、重かったら代わるで」
「んー……このままでええわ」
だってあの日の姉は、電車に乗るまでずっと背負っていてくれたのだから。
* * *
「うち、つーちゃんちの子になるー!」
「し、汐里……。お姉ちゃんちょっとショックやで……」
「あはは。ま、子供は目新しいものが好きやから」
帰りの駅。手を掴んで離さない汐里に、つかさはしゃがんで話しかける。
「そういや藤上さ……姫水ちゃんも花火来てたみたいやから、帰りにどこかで会えるかもや」
「ひめちゃんも!?」
汐里はぱっと手を離して、きょろきょろと周りを見渡し始めた。
「うち、ひめちゃんめっちゃすき!」
「そっかあ、あいつ子供までたぶらかしてんのかあ」
あたしもたぶらかされてんねんけどな、と内心で苦笑する。
とにかく汐里は帰る気になってくれたし、電車ももうすぐ来る。
最後に、棚上げしていた話を勇魚に尋ねた。
「あのさ勇魚、部活で……」
『あたし部活休みまくりやけど、みんなどう思ってる感じ?』
『特に藤上さん、あたしのこと何か言うてた?』
前にもそんなことを聞いた気がする。
そして今回は、つかさは口を閉ざす方を選んだ。
(どうせ何も言うてへんやろ)
(楽しかった花火大会の気分を、わざわざ暗くする必要もないか……)
「いや、何でもないで」
「そ、そう? あ、花ちゃんの歌詞は完成したで!
田舎に行く前に絶対書き上げるって、昨日頑張ってたんや!
次に来るのは火曜やったっけ? めっちゃいい曲やから、楽しみにしてて!」
「ん……そうやな。一応あたしもメンバーやしね」
フラワー・フィッシュ・フレンド。二人のデビュー用の曲で、自分は脇役。
週二回程度の練習でも、まあ何とかなるだろう。
電車が入ってきたので、つかさは再度しゃがんで汐里の頭を撫でた。
「じゃあね汐里ちゃん。またいつか遊んでや」
「うんっ! ぜったいやでー!」
指切りをして、電車に乗る二人を見送る。
朝には予想もしなかったイベントだったけど、いい思い出になった。
* * *
一つだけ空いていた席に妹を座らせ、勇魚はほっと安堵の息をつく。
(き、聞かれなくてよかった……)
『彩谷さんは、もうステージから降ろした方が良いんじゃないですか?』
昨日の部活動で、姫水が容赦なく放った言葉がそれだった。
別に怒っていたわけでなく、淡々と意見を述べただけなのが、せめてもの救いだけれど。
『お、落ち着くんや姫水。つかさは元々、こういう条件で入部してて』
『それは承知していますが、こうもやる気のない人がいては、全体の士気にも関わるでしょう』
『まあ、つかさの気持ちはよーく分かるで。私も夏休みくらいダラダラしたいなー』
『でも桜夜先輩は、そう言いながらも練習はするでしょう。そういうところは好きですよ』
『そ、そお?』
三年生たちは反論され、小都子はおろおろするばかりで、夕理も針の上のむしろみたいな顔をしている。
場を収めたのは、勇魚が尊敬する晴だった。
『いずれは外す必要も出てくるかもしれんけど、今は時期尚早や。
何かの拍子で、つかさがやる気を出さないとも限らんやろ。
可能性がゼロに近いとしても、今あえて消す必要はない』
『……分かりました。部としてそういう方針なのでしたら』
それ以降は姫水も何も言わず、動画撮影を真剣にこなしていた。
花歩が複雑な顔をしていたのを覚えている。
どうしたらみんなが幸せになれるんやろ……なんて考えているとスマホが鳴る。
当の姫水からのメッセージだった。
「姫ちゃん!」
「ひめちゃーん!」
途中駅で降りて待っていた姫水が、姉妹の笑顔に迎えられて乗車してくる。
「こんばんは。二人とも花火は楽しかった?」
「めっちゃ楽しかったで!」
「あのねあのね、つーちゃんがいっぱいあそんでくれた!」
つかさがどれだけ頼もしくて素敵なお姉さんだったかを、汐里の幼い口は一生懸命に話した。
そう、彩谷さんが、と微笑んで返す姫水は、幼なじみにも内心がよく分からない。
喋り疲れた汐里が一休みする間に、勇魚は自分の気持ちを正直に話す。
「うち、やっぱりつーちゃんと一緒にライブがしたい」
「勇魚ちゃん……」
「文化祭はもちろん、冬のラブライブも、今の一年生五人で輝きを見つけたいんや」
先輩たちももちろん大好きだけど、この五人も勇魚には特別なのに。
でも姫水からは、寂しそうな微笑が返ってくる。
「勇魚ちゃんのその気持ちが、彩谷さんに届いてるといいんだけどね」
確かに、選ぶのはつかさの方だった。
何も言えないでいる勇魚の手を、不意に汐里がぎゅっと握る。
お互いに笑って、繋いだ両手をぶらぶらさせながら、姉妹は夜の大阪を帰っていく。
* * *
「たっだいまー。あれ、お父さんとお母さんは?」
「ビアホールに飲みに行ったで」
「夏をエンジョイしてるなあ」
居間でゴロゴロとテレビを見ている姉の隣に、そっと座る。
いつからだったろう。
姉にベタベタするのが急に恥ずかしくなって、素っ気なく接するようになったのは。
決して嫌いになったわけではないのに……。
「お姉ちゃんは行かへんかったん?」
「うん、まあ、来月は職場の健康診断やからね。少しお酒は控えようかなって……」
「健診の時だけ控えてもしゃあないやろ」
「ううっ、そうなんやけど」
……こういうちょっとダメな部分が見えてきたのも、距離を置いた理由かもしれないけれど。
(子供の頃は、世界最高のお姉ちゃんやって思ってたのになあ)
(まあ汐里ちゃんも、大きくなったらあたしに幻滅するのかもね)
(好きな人と同じ会場にいたのに、何もできなかったあたしには……)
「……イカ焼き買うてきたけど、食べる?」
「食べるー。花火綺麗やった?」
「うん、見に行った甲斐はあった」
「あーあ、私も一緒に行く相手がいればなあ」
大阪のイカ焼きは他県と違い、イカの切り身を入れた粉ものだ。
まだ温かいそれを二人で頬張って、少しテレビを見てから、つかさは勇気を出して口にした。
「あの、さ。お姉ちゃん」
「ん?」
「めっちゃ今さらとは思うんやけど……子供の頃、花火見に連れてってくれて、ありがと」
「え……」
姉の口からイカが落ちかけて、慌てて手で押し込む。
「ど、どないしたん。熱でも出た?」
「いやっ、何というか……追体験みたいなことをして、お姉ちゃんの気持ちが多少分かったというか……」
つかさは赤くなりながら、スマホで写真を出して姉の前に叩きつける。
「ほ、ほら。この子、友達の妹! 今日ちょっと面倒見たんや!」
「うっわ可愛いなー。
そっかそっか、つかさもこれくらいの頃は素直やったなあ」
「今はひねくれた妹ですいませんね」
「あはは。ベタベタしてこなくなった時は、そういう年頃なんかなあって寂しかったけどね。
でも私から見れば、つかさはいつまでも可愛い妹やで」
伸ばしてくる姉の手から一瞬逃げかけたが、今日くらいはと仕方なく撫でられてやった。
今の自分に不満なんかないはずなのに、笑顔で撫でてもらえていた昔を、急に懐かしく感じる。
「……お姉ちゃんは、昔に戻りたいとか思ったりする?」
「うーん、今さら学生に戻って勉強したいとは思わへんなあ。
あ、でも夏休みだけはうらやましい。暑い中仕事行くのめっちゃしんどい」
「社会人にはないの?」
「うちの職場は三日だけ」
「うわきっつ。そう考えると、あたしは貴重な時間を過ごしてるんやなあ」
他愛ない会話なのに、少しだけ引っかかっていた棘が消えていく。
姉は気付いたのかいないのか、優しい目で妹を見ていた。
Westaの皆は間違っていないし、つかさも間違ってない。
二度とないこの夏、自分が本当にやりたいことをすればいい。
(明日は奈々に埋め合わせさせよう。二人で美味しいプリンでも探して、晶のお見舞い行って……)
(……あと、どこかで一日くらい)
(お姉ちゃんと買い物行ってもええかな……)
そういえば、ライブを見に来てくれたお礼もまだ言ってない。
冬のラブライブでは、もう見せてあげることはできないかもしれないけれど。
きっとお姉ちゃんは、そんな妹でも許してくれるだろう――。