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「花ちゃん、何か悩み事?」
「うん……実は昨日、KEYsのブログを見たんやけどね」

 休み時間にトイレへ行った帰り、同行した勇魚にそう答える。
 合宿で和歌浦のみゆきに教わった作詞の話。あまり実行できてない気がして、『あちらはどんな感じやろ』と見てみたら、意外な事実を知ったのだ。
 どの学校も、この大詰めの時期には色々な決断があるのだと。

「ま、部活でみんなに話すで」
「そう?」

 と言いながら教室に戻ろうとすると、他のクラスの子が声をかけてきた。

「あ、勇魚ちゃん! と花歩ちゃん!」
「ラブライブ応援してるで!」
「おおきに! うちめっちゃ頑張るで!」
「あ、ありがとー(私、ついでみたいに言われてへん?)」

 応援してもらえるだけで感謝すべきなのは分かっているけど……。
 勝ちに執着はしない勇魚だが、それはそれとして実力は着々と上がっている。
 底抜けに元気で明るくて、皆も応援しやすいのだろう。

(って、勇魚ちゃんに嫉妬しても仕方ないやろ。もっと心を広く!)
(あ、でも……決闘の曲なんやから、少しは敵対心燃やした方がええのかも)
(『おのれ勇魚ちゃんめ! 絶対負けへんで!』)
(ううむ、いつもニコニコの勇魚ちゃんには難しいなあ)
「おーい、丘本さん」
「は、はいっ!」

 背後から自分の名前だけを呼ばれ、大喜びで振り返る。
 が、そこにいたのは教師だった。

「確か日直やったろ。次の授業で使うプリント、印刷室から運んどいてもらえる?」
「あ、ハイ。承知しました……」
「花ちゃん、うちも手伝うで!」
「いいっていいって。プリントくらい一人で運べるから」

 自分の中の何かに動かされて、つい断ってしまった。
 勇魚がいないと何もできないとは、思われたくなかったのかもしれない。


(うっ、結構分量あるなあ……)

 二回に分けて運ぶべき量だが、正直めんどくさい。
 結局横着して、分厚いプリントの束を抱えてよろよろ教室へ向かう。
 素直に勇魚に頼ればよかった……と後悔していると。

「もー、どこの先生や。可愛い子にこんな重いもの運ばせて」
「い、いえ、私が手抜きして……って桜夜先輩!」

 荷物の重さが半分になったと思うと、今日も美少女な先輩が、紙束を抱えて笑っていた。

「す、すみませんっ。ありがとうございます!」
「ええでー、昨日の応援メッセージのお礼や。花歩は立火の方が良かったかもやけど」
「めめ滅相もない! 私は桜夜先輩のことも大好きで……」
「あはは、冗談やって。ほら、早よ行かへんと休み時間終わるで」

 少し早足で並んで歩きながら、桜夜はチラチラと視線を送ってくる。
 その意味を察して、花歩は曖昧な表情を作った。

「何でもします券の使い道ですよね。今考えてますので……」
「もー、早よしてや。私もうすぐ卒業なんやで」
「そ、そんなこと言わないでくださいよ。まだ先やないですか」
「えへへ、寂しがってくれるんやな」
「当たり前ですよ……」

 照れ笑いを返す目の前の先輩は、改めて考えると立派な人だと思う。
 最後かもしれないセンターを、快く後輩に譲ったのだから。

(部長もやけど、ほんまに後輩思いやなあ……)


 *   *   *


「追加のバトンを調達してきましたが」

 二本のバトンを手にした晴の声で、本日の部活動は始まった。

「留め具は入手できませんでした。
 そこで確認ですが、三年生の期末テストは小規模になるそうですね」
「そやでー。簡単な小テストくらいや」
「あとは帰って受験勉強しろってことやな。はあ……」

 溜息をつきつつも、昨日の一件で少しは勉強する気になった桜夜だが。
 晴は心を鬼にして、敢えて逆のことを言った。

「空いた時間でバトン教室に行きませんか」
『!?』
「こういうときに大都会大阪は有利です。短期でも通える教室が見つかりました」
「待ってください、さすがに勉強が優先でしょう。特に桜夜先輩は」

 姫水がすぐに抗議する。何だか最近、こんな役回りばかりさせられている気がする。
 期待通りの反応を受けて、晴は用意していた答えを返した。

「遅れる分は私が勉強を見る。私の自由時間が消えるが致し方ない。
 二人だけでも自在にトワリングできれば、観客の評価は上がり。
 三年生の見せ場も作れて。
 先輩を差し置いてセンターになった、お前たちの後ろめたさも薄れるという一石三鳥。
 これが私にできる、勝利のための最後の策や」

 静寂は数瞬だけ。
 立火も桜夜も、晴の手を握りつつバトンを受け取った。

「ありがとう晴! 必ず期待に応えてみせるで。桜夜は心配やけど」
「大丈夫やって。バトン教室、面白そうやん! 別に勉強したくないから言うてるのとちゃうで」
「そちらは私が容赦なく鍛えますのでご心配なく」
「うへえ、よろしく」

 部員たちも安堵の息とともに、進化していく曲の姿に心が燃えてくる。
 期末テスト前の部活停止まで、あと一週間。
 最後に残った懸案について立火は尋ねる。

「勇魚、衣装の方はどんな調子や」
「はいっ、また考えてきました!
 もっと戦いの雰囲気をということなので、大阪城で昔の鎧を見てきました!」

 勇魚が見せたデザインは、鎧武者の部品を減らしつつ可愛くした感じだ。
 だいぶ良くなったと思うんですが、と不安そうに言う姫水の前で、立火はうなる。

「う~~ん」
「ダメですか!」
「いや、確かにかなり良くなってきてるとは思うで。
 けど今回は決戦なんや。何度も悪いんやけど、最高で究極の衣装をやな」
「はいっ、最高で究極ですね! 頑張って考えてみます!」

 実はこれで三度目のダメ出しだ。
 自分なら心が折れているかもしれない、と花歩は思う。
 でも勇魚は、部長たちの意見を聞きつつ、めげずに再挑戦に取りかかっている。

(ほんま、勇魚ちゃんはメンタル強いなあ……)

 そんな親友の姿を見て、花歩の心も決まった。


 *   *   *


「KEYsは私たちとは逆の方針を採っていました」

 帰りのミーティングで、花歩はおもむろに話し始めた。

「具体的には部内でオーディションをして、受かった人だけを地区予選のメンバーにしたようです」
「ふうん……まあ、少数精鋭も一つの道やな」

 立火としては違う道だが、旬の選択に異を唱える気はない。グループそれぞれだ。
 ちら、と花歩は横目で夕理を見る。
 オーディションの合格者の中に、柚の名前はなかった。

「夕理ちゃんは知ってた?」
「知ってた。半月前の話やから」
「そ、そう。情報遅くてごめん。
 それで思ったんです。この前の神戸戦、私のライブは全く話題になってへん。
 せっかくメンバーに加えてもらったのに、これやったらいないのと同じやんって!」
「いやいや、花歩は作詞やツッコミを頑張ってて……」と桜夜。
「それってステージにいる必要ないですよね!?
 なので結論を言います。今日から私だけ居残り練習をさせてください!」

 部内の空気は、あまり歓迎するものではなかった。
 特に小都子は、去年の一件もあって複雑な顔をしている。
 花歩としても安易な手だとは思う。一度そういうことを始めると、歯止めが効かなくなってブラック一直線なのかもしれない。
 でも、今はこれしか思いつかなかった。

「毎日一時間だけ、地区予選までの間だけです! お願いします!」
「……分かった、花歩も自分なりに悩んでのことやろ。無理はしないって条件で認める」
「は、はい! ありがとうございます!」
「ただし――」

 立火は腕組みしつつ、にやけそうになるのを抑えて言う。
 部長の立場上は厳しい態度だが、こんなに一生懸命な後輩が、嬉しくないはずがないのだ。

「一人でやっても効率は良くないやろ。私も残って付き合うで」
「い、いえいえいえ! 決してそんなつもりは! 部長は受験勉強をしてください!」

 嘘である。本当はほんの少しだけ期待していた。
 でもさすがに駄目だ。センター試験まで二ヶ月もないのだ。
 気持ちを押し殺して辞退する後輩に、先輩は笑いながら答えた。

「それやったら、部室で一時間勉強して帰るかな。
 別に家で勉強するのと変わらへんからな。
 それで気になったときだけ助言するくらいは、別にええやろ?」
「ぶ、部長お……」

 この人はどこまでイケメンなのだろう。
 こぼれそうになる涙をぬぐい、花歩はありがたく厚意を受け取る。
 あと問題なのは――

(お願い勇魚ちゃん、空気読んで!)

 心の中で懸命に祈る。
 夕理に言われてデリカシーも気にし出したのだ。きっと二人きりにしてくれるはず。
 そんな願望を前に、親友は満面の笑顔を見せて……

「さすがは花ちゃんや! うちも一緒に練習してくで!」
(あああああああああ)

 花歩は内心で崩れ落ち、姫水たちも困った顔をしている。
 いや、これで正しいのだ。二人組の振り付けが多いのだから、一緒に練習した方が効率的だ。
 今は色ボケしている場合ではない……と花歩が必死に自分を説得していると。
 意外にも助け舟を出したのは桜夜だった。

「立火ばっかりずるーい! 勇魚の練習は私が見たるで!」
「ほんまですかっ! うち、嬉しいです!」
「いやいや、桜夜こそ勉強せなあかんやろ」
「せやから勉強しながらコーチするってば。立火と同じやろ」
「まあ、そうなんやけど……」
(うぇーーい! 桜夜先輩ありがとうございます! 勇魚ちゃんほんまにごめん!)
(ど、どうしよう……)

 大歓喜の花歩の一方、姫水は迷っている。
 花歩を立火と二人にしてあげたいのは山々だが、桜夜に後輩の指導なんてできるのだろうか?
 思考の末、自分も付き合う選択を取った。

「私も一緒に帰りたいので、一時間残ります。せっかくなので桜夜先輩の勉強をお手伝いしますね」
「おっ、それなら安心や!」

 桜夜よりも立火の方が大いに安堵していた。
 そしてつかさが、やれやれと頭をかく。

「もー、こんなんあたしも花歩を見習うしかないやろ。一番練習が必要なのあたしなんやから」
「つかさちゃん……」
「つかさ、私も手伝うで」
「……うん。お願い夕理」

 元より帰宅後や早朝に自主トレはしていたつかさだが、学校に残れるならその方がいい。
 床があって暖房があって、大きな音を立てても怒られない、素敵なレッスン場なのだから。
 結局七人が居残りすることになり、小都子は思わず苦笑する。

「私だけ定時では帰りづらいねぇ。それでも帰るんやけどね」
「す、すみません。こんな空気にしてしまって……」
「ううん、自発的な行動までは止められへんからね。花歩ちゃん、お互いにやりたいことをしよう」
「は、はいっ!」

『下校時刻になりました。戸締りをきちんとして、気を付けて帰宅しましょう』

 六時の放送が流れるが、後で生徒会に届けを出せば大丈夫。
 小都子と晴は、部活だけが人生ではないと真っすぐ帰っていく。
 残る三組は、それぞれ別の部屋で練習を始めた。


(ううっ、こんなに恵まれた環境でええんやろか)

 言い出しっぺということで、花歩が部室を使わせてもらえた。
 静かな視聴覚室に立火と二人きり。
 先輩は部屋の後ろの方で、問題集を広げている。その真剣な顔につい見とれて……

(ってアホー! 何のためにこんなことしてるんや!)
(部長の前なんや、気合い入れて練習するで!)

 スマホから曲を流し、一人で歌い踊り始める。

『最後の戦いの幕が開く 誇りと魂の全てを懸けて
 鍛え励んだ私の力 今! こそ! 解き放つ時!』

 指に留められているバトンとはいえ、綺麗に回すのはなかなか難しい。
 曲に合わせて握ったり振ったりも混ぜつつ、できるようになるまで反復する。
 そして傍目には真剣に勉強している立火は、その実は花歩が気になって仕方なかった。

(花歩……頑張れ)
(あの精鋭揃いの大阪城ホールでは、確かにお前はまだ力不足や)
(同じ一年生がセンターになって、悔しい思いもしてるかもしれへん)
(けど、努力はいつか必ず報われるんや……!)

 問題集は全く進まない。
 結局椅子から立って、後輩の方へ近づいていく。

「花歩、今の動きやけど」
「あ、はいっ! ……ってまだ五分しか経ってないやないですか。勉強に集中してくださいっ」
「まあまあ、これが済んだらやるから。ここはこうした方がやな」
「全くもう……こうでしょうか?」

 花歩も本心では嬉しくて、素直に立火の言葉を聞く。
 こうしていると、最初のPVを思い出す。
 あの頃と今では、花歩の実力は雲泥の差になったけれど。
 二人の関係は当時から、いや部長の手を取って入部した時から、根本的には変わっていなかった。

(憧れの先輩と、ただの後輩のまま)
(もちろん仲は縮まってる……とは思うんやけど)
(私、このままでええんやろか……?)


 一方、問題なのは桜夜と勇魚の方だった。

「ここはキラーンとしてキュピーンや!」
「はいっ、よく分かりました! さすが桜夜先輩や!」
(あああ、またそんな適当な指導を……勇魚ちゃんは素直に信じちゃうし……)

 他に人のいない三年生の教室で、姫水としては気が気ではない。
 正直自分が指導した方が、十倍は効果があると思うが……。

(でも私たちは家でも練習できるものね)
(桜夜先輩と一緒にいられるのはあと少しなのだし……)
(困ったところもある先輩だけど、勇魚ちゃんを好きでいてくれるのは、やっぱり嬉しい)

 結局しばらく見守ってから、頃合いを見て声をかける。

「先輩、そろそろお勉強の時間ですよ」
「え~? 勇魚を一人で練習させるなんて可哀想や~」
「いえ、花ちゃんも一人で頑張ってますし! それに先輩が同じ部屋にいてくれるだけで心強いです!」
「ううっ、なんて健気な子なんや。寂しくなったらすぐ言うんやで」

 座って参考書を広がる桜夜に、隣に座った姫水は小声で尋ねる。

「ちなみに先輩、今まで後輩を指導したことは?」
「そんなん立火に任せっきりに決まってるやろ。つまり勇魚には、私の初めてをあげるわけやな!」
「変な言い方をしないでくださいっ。はあ……それでは勉強しますよ。
 センター試験は使わない大学なんですよね。それならまだ挽回はできますので」
「勇魚はほんまに可愛ええな~」
「よそ見してる場合ですか? 確かに可愛いですけど!」
「いたたた、ほっぺた引っ張らないで!」

 と、夜の学校のどこかから、執念に満ちた声が聞こえてくる。

「でやぁー! 姫水に届け、あたしの想い!」
「そ、その調子やで、つかさ!」
(手伝わされる天名さんも大変ね……)

 それでもあの子は不平ひとつ言わず、つかさのために尽くすのだろう。
 自分も今は、この先輩のために尽力することにしよう。


 *   *   *


 翌日。部室に置かれた大きな鏡に、花歩は目を見張る。
 立火が得意げに胸を張った。

「家から持ってきたで。これがあった方が練習もはかどるやろ。
 割ったら婆ちゃんに怒られるから気いつけるんやで」
「ぶ、部長、私のためにそこまでっ……」

 感涙にむせぶ一年生を、小都子たちも微笑ましく見守る。
 だがひとり晴だけが、冷たい目でじろりとにらんだ。

「花歩のためだけにですか」
「し、しゃあないやろ、一個しかないんやから!
 勇魚はほら、桜夜が何とかするから」
「天六から姿見なんか持ってこられるわけないやろ!?
 でも鏡のように美しい桜夜ちゃんの瞳が、いつも勇魚を映してるで」
「えへへ、うちはそれで十分です。ありがとうございますっ」

 海のように心の広い勇魚のおかげで、晴もそれ以上は言わなかった。
 花歩も多少は後ろめたさを感じつつ、勇魚がいいならと自分を納得させる。
 姫水は……何か嫌な予感がしていた。

 地区予選まで、あと練習できるのは十四日間。
 二時間の懸命な通常練習の後、今日も一時間の居残り練習が始まる。
 鏡に映る自分を見ながら、どうすれば観客の心に残るのか、花歩は必死で模索する。
 さすがに疲労もたまって休憩中、頭に浮かぶのは昨日の続きだ。

(つかさちゃんは、好きな人にちゃんと好きって言ったんや)
(私はどうするの? このまま部長が卒業するのを黙って見送るん?)

 二人きりの静かな部屋で、立火が鉛筆を走らせる音だけが聞こえる。

『好きです、部長』



 今、この場でそう言ったら、二人の関係はどうなるのだろう。
 でも、この期に及んで未だに、花歩は自分の心が分からなかった。
 この気持ちは単なる憧れなのか、そうでないのか。
 少なくともつかさへの憧れとは全く別物なのは、何となく分かるのだけど……。

(ま、まあ焦る必要もないやろ)
(あと十日以上も、部長と二人だけで過ごせるんや!)

 そう考えて練習を再開する花歩には想定外だった。
 まさか翌日に、この幸せな時間が終わりを告げるなどとは。


 姫水の嫌な予感は当たった。
 さすがの桜夜も、丸一日経って自らの指導力のなさに気付いたのだ。

「桜夜先輩、ここはこのままでいいんでしょうかっ!」
「そ、そうやなー。それでええんとちゃう?」
「はいっ!」

 自分でも自信のない答えなのに、信じ切っている後輩の瞳が痛い。
 机に戻って、勇魚に聞こえないよう筆談で尋ねた。

『私のコーチ、勇魚の役に立ってると思う?』

 聞かれた姫水は答えに困る。
 桜夜は純粋に後輩のためを思ってる。頭から否定したくはないけど……。

『勇魚ちゃんは嬉しそうですし、気持ち的には役立ってますよ。たぶん』
『ライブ的には役に立ってへんってことやん!
 もう本番間近やし、悔しいけど立火に任せた方がええのかなあ』
(そ、それはっ)

 立火と二人きりの時間を楽しんでる花歩を、がっかりさせないだろうか。
 いっそ自分がコーチを引き受ける?
 しかし立火だってもうすぐ卒業。できれば勇魚と一緒の時間を過ごさせてあげたい。
 それに本番を考えれば、勇魚と花歩は組んで練習すべきではある。

(そうよ……もっと花歩ちゃんを信じないと)
(花歩ちゃんは出会ったときから良識的で、気遣いのできる子だったじゃない)
(こんな程度のことで、勇魚ちゃんとの仲がこじれるわけがない……)

 胸騒ぎを封じ込めながら、姫水はノートに鉛筆を走らせる。

『先輩の指導力は別にして、勇魚ちゃんは花歩ちゃんと一緒に練習するのがいいと思います』
「ん、わかった」

 うなずいた桜夜は、せめて今日だけはと勇魚の練習を見に行った。
 役に立たない指導でも、一日くらいなら良い思い出になってくれると信じて。

 帰りのバスで、それぞれ楽しそうな友人たちを前に、姫水は笑顔を張り付ける。
 トラブルなんてない。こんな時期に起こしていいわけがない。花歩だって分かっているはずだ……。


 ――そして翌日。

「勇魚、今までよくやったで!
 もう私から教えることはない! 免許皆伝や!」
「ほんまですかっ! ありがとうございます!」
「てことで、あとは立火に任せるから」

 桜夜の口調は軽かったが、もたらされた結果は重かった。
 花歩の表情は能面のようになり、動かそうとしても動かず。
 皆は何てこったという視線を花歩に向け、気づかぬのは桜夜と勇魚の鈍感二人のみ。
 立火はぎこちない笑みを浮かべながら、普段通りの漫才を試みる。

「まだ三日目やんけ! 三日坊主かーい!」
「いいの! 勇魚のためを思えば、これが一番なんやから」
「そう……やな」

 晴から無言の圧力を受け、立火もそう答えるしかない。
 後輩は公平に扱え。勇魚だって、立火にとって掛け替えのない後輩なのだ。
 花歩と同じように、練習を見てやるべきだった。

 つかさも困り顔で、うがった目を桜夜に向ける。

(ほんまは部長さんと花歩が一緒なのが気に食わなくなって、勇魚を送り込んだんじゃ?)
(……んなわけないか。そこまで頭良くないって点は信頼できるし)

 ひどいことを考えながら練習開始。
 どこかぎくしゃくした通常練習を終え、さて居残りという時。
 勇魚は子犬のように花歩へと駆け寄った。

「今日からは花ちゃんと一緒や! えへへ、うちめっちゃ嬉しいで!」
「そ、そーやねー。私も嬉しいなー」

 どこか棒読みな返事を心配しながら、他のメンバーは部室を出ていく。
 せっかく立火が持ってきてくれた鏡も、二人で使うとなると半分しか映らない。
 抑えようとしても抑えようとしても、花歩の心の底には暗い声が渦巻き始める。

(何でや、勇魚ちゃん)
(何でそこまで空気読めへんの!?)
(親友なんやったら、私の気持ち分かってくれてもええやろ!?)

 無邪気に笑う彼女を前に、苛立ちと自己嫌悪が間断なく襲ってくる。
 当然、練習も精彩を欠き、とうとう勇魚も心配そうな顔に変わった。

「どうしたんや花ちゃん。調子悪いん?」
「あ、あはは、別に何でもないで……」
「何か悩みがあるなら言うてや! うちらは親友やろ!」
「………」

 立火も状況には気付いているが、気付かぬ振りで指導する以外に何ができたろう。
 そして帰りのバスの空気で、事態を察した姫水も目を逸らす。

(す、すぐに解決するわよ。二人は親友なんだから……)



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