「私だって心苦しいんや!」
「わ、分かってるって。誰も夕理ちゃんを責めてはいないから」
一緒に部室へ向かいながら、夕理は花歩に愚痴っている。
特別教室棟に踏み入れたところで、気まずそうに頼み込んだ。
「もう私には関わるなって、藤上さんに言ってもらえへん?」
「ええー、寂しいなあ。今のWestaってそんなグループで終わるの?」
「別にええやろ。馴れ合いは嫌い」
「もー……あ、部室もう開いてる」
中に入ると立火が難しい顔で、桜夜は進路指導で遅れる、と伝えてくる。
他の部員たちも集まって、しばらく待っていると……。
しなびた桜夜がやって来て、机に突っ伏し泣き始めた。
「もっと学力ついてると思ってたんや……。ねえ晴、最近は私も頑張ってたやろ!?」
「ですが大事なのは三年間の積み重ねですからね。
ましてや他の受験生は、夏からずっと勉強してきたわけですし」
「うあああああ!」
「晴ちゃん、もうちょっとオブラートに……包んでる場合とちゃうか」
年明けのこの時期に、部活と受験を両立するという無謀な生き方。
でも地区予選のように何とかなると、そう楽観していた桜夜に、厳しい現実が突き付けられた。
たまらず勇魚が慰めにかかる。
「合格発表はまだ先やないですか! 意外と受かってるかもしれませんよ!」
「ほんま!? 勇魚の言葉、信じていい!?」
「え……すみません、無責任なこと言いました……」
「ああああ終わりやあああああ!!」
「すみませんっ! すみませんっ!」
「あーもう、勇魚まで巻き込んでどうするんや」
桜夜の頭に手を置きながら、立火は苦渋の表情を小都子に向けた。
「正直、私も不安になってきた。前言撤回して悪いけど、今週は勉強に集中する。部室にも来ない」
「は、はい。私もその方がいいと思います」
「せやけど来週はもう二月や。必ず練習に戻ってくるから! みんな信じて待っててや!」
『はい!』
「立火……うう……」
「ほら桜夜。泣いても受験は待ってくれないんやで」
相方に支えられ出ていこうとする桜夜に、姫水が優しく声をかける。
「桜夜先輩、私も同じ状況です。残念ながら週末は惨敗でした」
「え、デート上手くいかへんかったん? ちょっと夕理~!」
「仕方ないでしょう!」
「ですが一敗した程度でくじけたりはしません。必ず立て直して再挑戦します。いいわよね、天名さん?」
「ぐ……藤上さんっ……」
今の桜夜の前で『いや一敗したなら諦めたら?』などと言えるわけがない。
渋々うなずく夕理に、桜夜は弱々しく笑って部室を出ていった。
(こういうことをするから好かれないのかしらね……)
内心で自虐的に笑う姫水は、勇魚のような天使にはなれない。
子供の頃はまだ近かったかもしれないが、世間に揉まれて、すっかり小賢しい人間になってしまった。
でも、とつかさの暖かな視線を受けながら思う。こんな自分を好きになってくれた人がいる。
必死で想いを届けた彼女の前で、まだ諦めるわけにはいかなかった。
「小都子先輩、この大変な時期に無用な波風を立ててすみません」
「ううん、私だってもちろん皆が仲良しなWestaであってほしいで。
でも世の中、どうしてもウマの合わない相手はいるから、ね」
「はい……桜夜先輩と違って、私は二敗したら潔く諦めます。
天名さん、だからお願い。もう一度だけチャンスをちょうだい」
深々と頭を下げる姫水を、夕理はじっと見つめている。
他の一年生たちも今さら圧力はかけず、黙って見守った。
「……次の日曜はどこへ行くんや」
「明日までに考えてくるわ。必ずあなたの心に響く場所を」
「ほんまにアホやな。私のために、貴重な休日を二日も使うなんて……」
顔を上げた姫水は、虚勢半分でにっと笑った。
「大阪でアホは誉め言葉でしょう?」
* * *
『藤上さんって、おもろないねん』
あまりにショックだったあの言葉を、一体どう覆したものか。
今夜は勇魚の部屋にお邪魔して、二人で頭を悩ませていた。
「やっぱり、姫ちゃんがおもろいことを言うしかないで!」
「ストレートな解決法だけど、自信がないなあ」
「それに立火先輩と桜夜先輩は、漫才をする余裕はないかもしれへん。
万一のために、うちらもできるようになっておこう!」
「そ、そうね。それじゃ、ここがアキバドームのつもりで」
二人で並んで仮想のステージに立つ。
五万人の観客を前に、勇魚は元気よくネタを振った。
「いやあ姫ちゃん、東京やねえ!」
「そ、そうね。やっぱり東京は……とってもええど~(江戸)」
「おお、姫ちゃんやるやん! なら大阪は?」
「何は(浪花)ともあれ、大きく栄えたい!(大阪)」
「あははは! 最高や! 夕ちゃんも笑い転げるで!」
「うーん、私には天名さんの冷ややかな目しか想像できない……」
と、姫水が持ってきたスマホが鳴る。
つかさからの電話だった。
『すっかり忘れてるみたいやけど、姫水がつまらないって言われたの初めてとちゃうで』
「え、前にあったかしら……あ!」
『思い出した?』
<つまんないなー藤上さんって>
夏のプール!
現実感がなかったから、完全に記憶から抜けていた。
二例目とあって、さすがに姫水もしゅんとなる。
「私って根本的につまらない人間なのかしら……」
「そ、そんなことないで! うち、姫ちゃんといるだけでいつも楽しい!」
『そーそー。それに瀬良だって、最終的には意見を変えたやろ』
「あれは私が勇魚ちゃんの件で切れたから……」
夕理に同じことをしたところで、ドン引きされるのが関の山だろう。
悩んでいる姫水を、つかさの柔らかな声が包む。
『ま、参考になればってことで』
「う、うん、ありがとう」
電話を切ると同時に、勇魚は自分のスマホで済まなそうに検索を始めた。
「そういや最近、ゴルフラの活動全然チェックしてへん。光ちゃんごめん!」
「こちらも忙しかったしね。予備予選以来、何度かライブはしてるみたいだけど……」
先方のホームページを開いた途端、二人は固まった。
大きく書かれている次の予定は、運命としか思えぬタイミングだった。
幼なじみたちは互いに笑い合う。
「つかさって、本当に頼りになるわね」
「ほんまやね! うち、つーちゃん大好きや!」
「うん……私も大好きよ」
そして、その好きはたぶん勇魚のものとは違う。
条件さえ許せば友達以上になりたいと、確かにそう思ったのだから。
きっと近いのは夕理の方だ。
『私はずっと前から、つかさに恋してるし愛してる』
彼女のあの言葉がなければ、この想いも気付かなかったかもしれない。
同じ女の子を好きになった同士、何とかして手を繋ぎたかった。
* * *
「ゴルフラのミニライブ?」
翌日の部活で、きょとんとする夕理にスマホを見せる。
「次の日曜、大阪城公園で。
やっぱり天名さんに近づくには、スクールアイドルで攻めるしかないと思って」
「スクールアイドルをそんな風に使われること自体が不本意や。
……けど、確かに瀬良さんのライブには興味はある」
結局またお金で楽曲を買っているらしいけれど。
予備予選のあの結果を見ては、さすがに『たとえ負けても曲は自作しろ』とは言えない。
次の夏からは再び強敵となるライバルに、夕理は強くうなずいた。
「ええで。藤上さんに興味はなくても、有意義な見学にはなりそうやから」
「本当に遠慮なく言ってくれるわね。
でも私も、瀬良さんに会うのはこれが最後になるだろうしね」
色々と因縁のあった天才少女と、病気が治った状態で話しておきたい。
と、情報源のつかさが不思議そうに話す。
「あたしも気付いたとき驚いたけど、こんな時期にライブするんやな。
ファンの意識は全国大会に向いてるっぽいのに」
「どちらかというと新入生狙いやろな。告知にも『中学生大歓迎』と書いてある」
晴の考察に、姫水が驚いた目を向ける。
「え、高校受験の志望先ってまだ変えられるんですか?」
「そーそー、なんか知らんけど大阪は遅いんや。公立高の願書締切は三月」
「三月!?」
「うちは結構迷ってたから、時間があって助かったで!」
花歩と勇魚が一年前を思い返している。
そして小都子は次期部員募集の責任者だけに、中学生の動向は気になるところだ。
「つまり私たちは、全国大会が最大の宣伝になるんやねえ……成功すればやけど」
「失敗したら、有望な新人は京橋や難波に取られるかもな」
「そ、そうならないように頑張ろうね。
姫水ちゃんも夕理ちゃんも、何ならゴルフラのライブに乱入して、中学生の視線を奪ってきてもええよ」
「なるほど。流れによってはそれも有りですね」
「な、何を乱暴なことを言うてはるんですか! 小都子先輩ともあろう人が!」
「あはは、冗談やって。でも瀬良さんは、そういうの好きそうやからねえ」
まだ一月の末とはいえ、新人獲得の争いは既に始まっているのだ。
直接の勧誘はできない姫水だが、今できることはしておきたかった。
「天名さん、しっかり偵察してくるわよ!」
「なんか話がずれてきてる気がするで……別にええけど」
三年生不在の中、晴が代理でセンターに入って練習が始まる。
スタンドに固定したスマホで撮影し、見返した動画の中心で踊るマネージャーに、小都子は笑いかけた。
「この調子で四月からはステージに立ってもええんちゃう?」
「いいわけないやろ。顔がどうこう以前に、もうレベルが違う」
一学期の頃はまだ多少の代理は務められたが、今はそこにいるだけの置物だった。
それはマネージャーにとっては、もちろん喜ばしいことだ。
「小都子も一年生も、この一年でここまで成長した。
特に花歩と勇魚。全国レベルとは言わへんけど、全国の舞台でも失望されない程度にはなったな」
「は、はいっ! ありがとうございます!」
「うわーん! 晴先輩ー!」
「いちいち抱き着いてくるな」
晴の手が勇魚を止めている間に、小都子もしみじみと実感する。
「やっぱり上の大会に進めれば、そのための練習も含めて成長できるもんやねえ」
だからこそ今回限りの奇跡ではなく、次もその次もこの機会を手に入れたい。
その椅子をずっと争うのであろうGolden Flag……。来年度はどんなグループになるのだろう。
* * *
二日経って、一月末日の木曜日。
三年生の教室では担任が挨拶していた。
「みんな、三年間お疲れ様。
と言いたいところやけど、大多数の者はここからが踏ん張りどころや。
一ヶ月後の卒業式、笑顔でまた会おう!」
『ありがとうございました!』
今日試験がある生徒はもちろん欠席で、景子も愛媛の大学へ行っている。
全員に会えるのは卒業式。
ラブライブ頑張って、という級友たちに手を振りながら、立火は鞄を肩にかけた。
「未波は最後まで真面目に出席したんやな」
「サボっても良かったんやけどね。ま、明日からは部屋に引きこもるで」
話しながら廊下に出ると、死にそうな顔の桜夜がいた。
昨日は二校目を受けて、またもボロボロだったらしい。そして明後日は三校目。
隣で支える叶絵と恵が、立火に気付いて訴えかけてくる。
「このアホに部活を続けさせた部長にも責任がある。何とかしろ」
「お願い広町さん。桜夜ちゃんを助けられるのは……あなただけや」
立火は真剣な表情に変わり、桜夜の顔を覗きこむ。
「桜夜、思い出すんや。後輩たちがどれだけ応援してくれたかを」
「うう……みんな……」
「姫水も夕理へのアタックを頑張ってる。次は一緒にライブに行くらしいで」
「うう、姫水……確かに夕理と仲良くなるのに比べたら、受験なんて大したことなかった……」
夕理ちゃんってどんだけ難儀なんや? と友人たちが内心でツッコむ中で、桜夜は何とか顔を上げる。
「気力が尽きそうやけど、頑張ってみる……。
立火も日曜が試験なのに、何もできひんでごめん」
「アホ、今までさんざん支えてもらったやろ」
照れもなく言い切る立火に、桜夜は嬉しそうに笑う。
穏やかな目で見ていた恵が、思い切ったように立火に話した。
「広町さんは、卒業したら桜夜ちゃんと暮らすんやもんね。これからずっと支えてあげてや」
「あ、ああ、二人とも受かればやけどな」
その恵の瞳が切なさを宿している気がして、叶絵に耳打ちする未波である。
「何かドロドロしたものを感じるんやけど」
「恵はそんな子とちゃうから!」
かくして何とか三校目を受けた桜夜だが、急に知力が上がるわけでもなく……
土曜の帰り際に来た涙目の報告に、傍観していたつかさもさすがに焦り出す。
「滑り止めは受かりますよね? 六校もあるんやから、一校くらい受けてるんでしょ?」
「あれ、聞いてへんかった? 滑り止めは受けてないって」
「ええ!? 桜夜先輩の頭でなんて無謀な!」
後輩たちの驚愕に、小都子は言い辛そうに説明した。
「先輩の成績で滑り止めって、要するにFラ……げふんげふん。
そんなところ受かっても、入ったら夕理ちゃんに馬鹿にされるからって」
「わ、私のせいにされても困ります! 確かにそういう話はしましたけど!」
「そもそも最初から無謀な話やった。もう桜夜先輩は戦力外と考えるべきかもな」
晴が冷淡に突き放す。練習量が少なくて済む曲にしたとはいえ、相手は全国大会だ。
自分でセンターを経験して、崖っぷちの受験生では難しいと実感していた。
だが、姫水がむっとした顔で抗弁する。
「たとえ六校が全滅したとしても、まだ前期試験です。
中期と後期は難易度を下げて挑めばいいじゃないですか。
まあ、そういう話は進路指導の先生とするんでしょうけど」
「しかし後になるほど定員は減ってくんやで」
「桜夜先輩なら必ず何とかしてくれます!」
思わず感情的に返した姫水は、ぎゅっとこぶしを握って決意する。
「先輩を元気づけるためにも必ず報告するわ。天名さんと仲良くなれましたって!」
「頼むで姫水ちゃん! 部長も明日が二次試験や。二人とも勝って!」
「姫ちゃんの気持ち、夕ちゃんに届け!」
「私の目の前で言われても困るんやけど……」
「あはは。ま、夕理はいつも通りでええんちゃう」
暦は既に二月。
全国大会まで三週間を残し、ライブとしては早くも完成に近づきつつある。
しかし観客を笑わせる自信は相変わらずない。やはり三年生の力がどうしても必要なのだ。
* * *
(用があるから三十分早く来いって、何なんやろ……)
二度目のアタックとなる日曜日。
夕理が京橋駅で降りると、既に姫水が待っていた。
「私は時間通りに来たんやから謝らへんで」
「別に求めてないわよ。私こそ、早く来てもらってごめんね」
「用事って何やねん」
「そこでチョコを買いましょう」
「はああ!?」
目の前の京阪モールに向かいながら、理由は勇魚だと説明される。
『うちも光ちゃんに会いたいけど、二人のデートやから我慢するで!
そうや、光ちゃんにチョコ買ってってあげて!』
「って千円札を渡されたのよ」
「面倒な……そのへんのコンビニで買えば?」
「まあまあ。私も大阪のチョコ売り場を見ておきたかったから」
「こんなん日本全国変わらへんやろ」
モール内のバレンタイン特設会場では、無数の女子たちがチョコを物色している。
うんざり顔の夕理の前で、姫水は大袋を眺め出した。
「去年は小さめのを大量に用意したけど、それでも足りなくなる寸前だったの。
今年はどうしようかな」
「人気者は大変やな」
「天名さんだって、一年前に比べたら何倍にもなるんじゃない?」
「……まだ、贈るかどうかは決めてへん」
去年はつかさの一個だけ。
贈るとすればまずお世話になっている小都子だし、そうなると花歩と勇魚にあげないのも変だし、三年生も激励したい。
そして――つかさに渡すのか。渡すとすれば友チョコなのか、本命チョコなのか。
「あーもう悩ましい! 誰や、こんなイベント考えたの!」
「お菓子会社説のほかに、デパート説もあるわね」
「つまりこの店か! 私は流されへん、帰らせてもらうで!」
「あ、もうっ。すぐ買うから少し待って!」
結局そのへんのトリュフを買って、混雑する売り場から脱出した。
駅に戻るが、姫水は先週に比べて口数が少ない。
まさか怒った? と身構える夕理だが、姫水が向ける瞳は落ち着いていた。
「私、今日はノープラン戦法でいくつもり」
「何やそれ」
「下手に頭を使わない方が、天名さんには好かれるみたいだしね」
「な、何言うてるんや! 私が好きなのは小都子先輩やつかさみたいな知性あふれる……」
「その人たちも素直な真心を持っているし、それに花歩ちゃんや勇魚ちゃんも好きなんでしょう?
私にまだ、皆みたいな真心が残っているのか、自分でも分からないけどね」
(……何言うてんねん。残ってなければ、つかさが好きになるわけないやろ)
それを口に出すことはなく、隣の大阪城公園駅へ向かう。
駅の外に出て、姫水は天守閣の方角へ目を向けた。
「梅が咲いてるのよね。まだ少し早いかな?」
「見頃は再来週くらいやろな。藤上さんと行く気はないけど」
「そういうつれない態度にも慣れたわよ。さて――そろそろ時間ね」