思い出の玉手箱 B面




    「メグ、どうしたの?」
    「きゃっ」
     いきなり詩織ちゃんに声をかけられて、私は思わず飛び上がりました。
     私の視線の先には一人の男の子。なぜだか気になって、気がつくといつも目で追
    ってた彼。
    「ふーん…」
    「ち、ち、違うの!」
     嬉しそうに微笑む詩織ちゃんに、私は真っ赤になって否定しました。
    「その、だから、そんなんじゃなくて、」
    「私から紹介してあげようか?」
     私は何も言えないままうつむいてしまいました。紹介してほしい。でも紹介して
    ほしくない。
     彼は詩織ちゃんの幼馴染みで、中学の時も詩織ちゃんと話してるのを見かけたこ
    とがあります。高校に入ってからは別人のように頑張り始めて、体育祭やテストで
    もかなりの成績をおさめていました。誰のために?詩織ちゃんのために…
    「詩織ちゃんは、主人さんのことどう思ってるの?」
    「公くん?ただの幼馴染み」
    「…かわいそう」
     思わず言ってしまった一言に、詩織ちゃんは苦笑します。
    「でも彼とは小さいときからずっと一緒で、裏も表も知ってる仲だもの。今さらと
     きめけって言われても無理な話じゃない?」
     そういうものなのかなぁ…。
    「それよりメグは?彼のことどう思ってるの?」
    「あ、ほら、詩織ちゃん。アクセサリーグッズ特売だって」
     私は必死でごまかして、その場をしのぎました。
    
     やっぱり気になるの、彼…
     でも私にはどうしようもありませんでした。話かける?無理よ…
    「メグ」
    「はぁ…」
    「メグってば」
    「え!?あ、詩織ちゃん…」
    「…また、彼のこと見てたんだ」
     見てるだけ。ただ見てるだけ。こんなの嫌だけど、でも私の足は前に進みません。
    「待ってるだけじゃ、恋は成就しないよ?」
    「…恋、なのかな…」
     正直言ってそれすら私には自信がありませんでした。だって男の子となんて話し
    たこともなかったし、今まですっと避けるようにしていましたから。
    「じゃあ、友達からでもいいじゃない。とりあえずそうやってため息ついてるより
     はいいと思うな」
    「そ、そうだよね…」
     詩織ちゃんがここまで応援してくれてるんだもの。ちょっと頑張ってみようよ。
    ね、愛。
    
    「ごめん、渡せなかった…」
     クリスマスパーティの帰り道、私は申し訳なさで彼女の顔を見られませんでした。
    やっぱり私って意気地なし…
    「まだバレンタインがあるよ。ね、次は大丈夫だから」
    「う、うん…」
     ごめんね詩織ちゃん。迷惑ばかりで。
    
    「わ、私…美樹原愛といいます。こ、これ、受け取ってください…」
     初めて彼に話しかけることができた日のことは、実はあまりよく覚えていません。
    とにかく頭の中が真っ白で、その日一日ぼーっとしてたような気がします。
     次の日、詩織ちゃんはにこにこしてました。
    「公くんにもメグのことよろしくって言っておいたからね。後はメグの頑張りしだ
     いよ」
    「あ、ありがとう…」
     なんだか今でも信じられませんでした。私があの人にチョコを渡せたなんて。
     チョコの中に入れた手紙には『友達になってください』と書きました。さすがに
    『つきあってください』とは書けないし…。でもこれから、どうしたらいいのかな…。
    
    Trrrrrr
    「ハイ、美樹原です」
    『えっと…主人公っていいますけど』
     え?え?ええっ!?
    「主人さん?あの、ご用件は何でしょう」
     やだ、声がうわずっちゃう…
    『今度の日曜日に動物園に行かない?』
     ‥‥‥‥!
    「は、はい…。よろこんで…」
    『それじゃ動物園の前で待ち合わせってことで』
     その後も何か答えたような気がするけど、気がつくと私は切れた電話を手にした
    まま呆然と立っていました。
     ほっぺたをつねってみます。夢じゃない…
     ど、ど、どうしよう詩織ちゃん!
    
    「それじゃ、行ってらっしゃい」
    「う、うん…」
     詩織ちゃんに頼んで服装もチェックしてもらいました。髪もちゃんととかしたし、
    これで…
    「…メグ、右手と右足が同時に出てるよ」
    「ご、ごめんなさいっ!」
    「謝られても…」
     ほうほうのていで動物園にやってきた私を、彼はすでに待っていました。
    「ご、ごめんなさい。待たせてしまって…」
     ああ、もっと早く出てくるんだった。愛のばかばか。
    「いや、今来たとこだから気にしなくていいよ」
     主人さんて優しい…。
    
     動物園て大好きなんです。確かに自然の中の方がいいに決まってますけど、前に
    ある飼育係さんにいろいろ話を聞いて、本当に動物たちと仲がいいんだなって思い
    ました。私もそんな飼育係さんになってみたいな…
    「コアラ、可愛かったですね」
    「本当、可愛いよね」
     なんだか夢みたい、こんな風に一緒にいられるなんて。
     楽しい時間はあっという間に過ぎて、閉園時間になってしまいました。ついつき
    あわせちゃったけど、一日動物園でよかったのかな…。
    「あの…、ごめんなさい。私の好きなところばっかで…」
    「え?そんな、いいよ。俺は美樹原さんとどこか行きたかっただけだし」
     嬉しい…
    
    「で?」
     見晴ちゃんのわくわくした顔を前にして、私は思わず赤くなりました。
    「おー、赤くなるって事はぁ」
    「その後2人で食事とかっ?」
     あやめちゃんと見晴ちゃんに問いつめられ、私は言いにくそうに口を開きます。
    「…帰っただけ」
    「は?」
    「だから、そのあと家まで送ってもらって…」
     2人の目がとたんに白くなりました。やっぱり高校生のデートとしては変だった
    のかな…
    「何しにいったの」
    「…動物見に…」
    「あ、でもめぐらしいって思うな。とにかく楽しかったんだよね?」
     見晴ちゃんの必死のフォローに、私は思わずうなづきます。
    「すごく楽しかった…」
    「はー、さいですか」
     これが私の最初のデートでした。幸せ…
    
    
     どきどきどきどき
     私の手には映画のチケットが2枚。今日はなんと、彼をデートに誘おうと思うん
    です。
     あの後もときどき一緒に帰ったりしたし、私も少しは普通に話せるようになりま
    した。あとはどれだけ積極的になれるかだと思うし…
     あ、そうこうしているうちに主人さんが
    「あの」
    「ハーイ公ちゃん、日曜あいてる?」
    「なんだ、片桐さんかぁ」
    「あ…」
     私の声は向こうから飛んできた元気な声にかき消されてしまいました。片桐さん…
    「それじゃ美術館前で待ち合わせね。遅れても大目に見てね」
    「へーいへい。んじゃ俺も遅めに行くかな」
    「あははは…。そんなこと言っていつも時間通りに来るじゃない」
     いいな、あんなふうに話せるなんて…
     私は柱の影で、2人の会話をじっと聞いてました。自分でも情けないです…
     泣きたくなるのをぐっとこらえて、おそるおそる顔を出してみます。そこにはも
    う2人ともいなくて、私はいらなくなったチケットを手に、A組の教室へと入って
    いきました。
    「…詩織ちゃん、日曜日空いてる?」
    
    「片桐さんかあ…」
     映画の後、落ち込んでる私を詩織ちゃんは喫茶店まで引っ張ってきました。
    「でも、ただの友達って感じもするけどな。他人のことは気にしないで、メグはメ
     グなりにアプローチしてけばいいんじゃない?」
    「それは、そうなんだけど…」
     でもやっぱり気になります。主人さんて片桐さんといることが一番多いから…
    「とにかく来週デートに誘ってみること。絶対大丈夫だから、ね?」
    「う、うん…」
    
    「あの…、今度の日曜日、空いてますか?」
    「う、うん」
    「あの…、買い物につきあってくれませんか?」
     言っちゃった…
     お願い、断らないでください。断られちゃったら私…
    「いいよ。一緒に行こう」
     あ…
     勇気さえ出せば必ず報われるって、このとき知りました。
     デートで片桐さんのことを聞こうと思ったけど、思い直して一緒の時間を楽しむ
    ことにしました。他人は他人だから…
    
    「最近あいつもてるじゃん」
    「あやめっ!」
     た、他人は他人だから。
    「だーかーら!愛だってもちょっとランク上のアプローチしろってことよ」
    「ら、ランク上というと?」
    「無理矢理ホテルに連れ込むとかいろいろあるでしょーが!」
     あやめちゃんて相変わらず過激…
    「紫ノ崎さん、メグに変なこと吹き込まないでね」
     振り向くといつの間にか詩織ちゃんが立ってました。
    「なんだ優等生さん、いたの」
    「…何か言った?」
     火花を散らす2人に、私と見晴ちゃんは大慌てです。
    「ふ、藤崎さんは最近の主人くんどう思う?」
     見晴ちゃんの問いに詩織ちゃんは小さくため息をつきます。
    「うん…実は私も困ってるの。メグのことほっといて他の女の子とデートばっかり
     だし、ここは私が一言言ってやらないと…」
    「愛の恋愛なんだから愛が自分でなんとかすべきでしょ。そういうのを余計なお世
     話って言うのよ」
    「なっ…!」
     見晴ちゃんが必死であやめちゃんの口をふさぎ、私は詩織ちゃんを教室の外に連
    れ出します。
    「ご、ごめんね。あやめちゃんだって悪気があるわけじゃなくて…」
    「ううん、気にしてないよ。全然」
     詩織ちゃん、目が笑ってない…。
    
     修学旅行、主人さんは片桐さんと一緒に見回ってました。
     クリスマス、主人さんは片桐さんと楽しそうに話してました。
     そして年が変わって、最上級生になって、みんな進路を決めはじめて…
    「だーっ!あと半年しか残ってないじゃない!」
     夏休みも特に何もなく過ぎ去り、あやめちゃんの言葉に私は思わず身を固くします。
    「あんたもさっさと何とかしなさいよっ!」
    「だ、だって…」
     やっぱり主人くんて片桐さんと仲いいし、実はすでにつきあってるんじゃ…
     そこへ休み時間を利用して、詩織ちゃんがやってきます。
    「メグ、私今度の日曜に公くんと出かけてくるから」
    「え!?」
    「この際片桐さんのことはっきり聞いてくるわ。楽しみに待っててね」
    「まーたよけいな事を…」
     あやめちゃんの言葉を無視して、詩織ちゃんは教室へ戻っていきます。
     でも、そんな、「ただの友達だ」とでも言ってくれるならいいけど、「俺は片桐
    さんが好きだ」なんて言われちゃったら!?
     でも次の月曜日、私が詩織ちゃんにおそるおそる結果を尋ねると、彼女はどうも
    複雑な表情をしました。
    「…ねえメグ、本当に公くんのこと好き?」
    「え…そ、その…」
     真っ赤になってうつむく私に、詩織ちゃんはますます困った顔をします。
    「好きだっていうなら仕方ないけど…そりゃケンカの強さで人の価値が決まる訳じ
     ゃないし…でも、もしもメグが不良にからまれたらと思うと、果たして彼にメグ
     を任せていいのかという疑問が…」
     詩織ちゃんはぶつぶつ言いながら教室へ入っていきました。一体何があったのぉ
    ーーー!
    
     クリスマス、片桐さんは来てないみたい。彼に話しかけてみようかな…
     でもなんとなく彼の横顔に見とれちゃって、結局話しかけられたのはパーティが
    終わってからでした。
    「あの…も、もし良かったら…一緒に帰りませんか?」
     主人くんは快く承知してくれました。よかった… 
     片桐さんは今日は来てなかったそうです。もし来てたら、どうしたのかな…
     と、遠くから猫の鳴き声が聞こえた気がしました。
     嫌な予感が胸をよぎりました。小さい頃から何度も経験した、悲しい出来事。
     私は思わず走り出してました。
    
     公園の隅の段ボール箱には、寒さで震えている小さな小さな子猫。
     どうしてこんな事ができるんだろう…。私は怒るよりも悲しくなって、そっと子
    猫を抱き取ります。
    「美樹原さん?」
     主人くんの声に慌てて涙目をこすって、彼に事情を説明します。
     毛布にくるまれた、小さな子猫。一人ではなにもできない…
     私は主人さんに家まで送ってもらいました。温めたミルクを子猫の前に置き、ぴ
    ちゃぴちゃとミルクをなめる姿を見つめます。頑張ろうね、何もできないけど…
     次の日、主人くんは私と一緒に猫の引き取り先を探してくれました。でも見つか
    らなくて、最後は伊集院さんにお願いすることになりました。2人とも、ありがと
    うございました。
    
     最後の年が明け、もうすぐ卒業。すでに就職の決まっていた私は、なるべくみん
    なの邪魔にならないようにしていました。
    「で、彼のことはどうするわけ?」
     あやめちゃんていつもズバリと聞いてくるんだから…。
    「えーとね…」
    「えーとねじゃないでしょうが」
    「あ、卒業式の日に告白するんでしょ。ね?」
     見晴ちゃんは言外に「しろ」と言ってましたが、私にはどうしても片桐さんのこ
    とが気になってました。どうしたらいいんだろう…
    
    「どうするの?」
    「…片桐さんと話してみる」
    「…うん…」
     詩織ちゃんは優しく頷いてくれました。
    
    「お〜シャンゼリゼ〜〜」
     鼻歌を歌いながら美術室の道具を片づけてる片桐さんに、私はなんと言って話し
    かけたものか途方に暮れていました。「主人くんとはどういう関係ですか?」って
    聞けばいいのかな…。
     と、いきなり片桐さんがこちらを振り向きます。
    「あれ、美樹原さん、だっけ。ホワット、何か用?」
    「あ、あの…」
    「?」
     どうしよう…
    「な、なんでもないんです。それじゃ…」
    「そ、そう?」
    「メグっ!」
     はっと後ろを振り返ると、詩織ちゃんが心配そうな顔して立ってました。
    「詩織ちゃん…」
    「…ごめんね、最後に一度だけお節介させてね」
     そう言うと詩織ちゃんは、片桐さんの方へと向きます。
    「片桐さん、ひとつ聞きたいんだけど…公くんとはどういう関係なの?」
    「へ?公ちゃん?」
     いきなりの質問に片桐さんはハトが豆鉄砲を食らったような顔をしていました。
    「どうって…マイベストフレンド。大事な友達よ。そうねー詳しく解説すればもう
     少し長くなるかもしれないけど、今ちょっとたてこんでるし」
    「あ、あのっ…」
     詩織ちゃんにばかり頼っちゃダメ…そう思った私は、勢いで声を出しました。
    「わ、私…主人くんに告白してもいいですか!?」
     片桐さんはきょとんとしています。
    「そりゃいいけど…あっ」
     突然片桐さんはぽんと手を打ちました。
    「アイアンダスタン、よーやく判ったわ。別に彼とはそんな関係じゃないから心配
     しなくてもOKよ」
    「ほ、本当ですか!?」
     済んでみればただの取り越し苦労でしたが、その時の私にとっては天にも昇る心
    地でした。
    「それじゃ…」
    「イエース、あとは美樹原さんの勇気次第よ。いやーごめんね。私ってそっちの方
     鈍いから、全然気がつかなくって」
    「い、いえ、私が勝手に思いこんでただけだし…」
     でも良かった。後は卒業式の日に…頑張らなきゃ。
    
    「‥‥‥‥‥‥」
    「詩織ちゃん?」
     美術室を後にした私は、黙ってる詩織ちゃんの顔をのぞきこみます。
    「…また、余計なことしちゃったね」
    「え!?」
     私は驚いて立ち止まります。
    「だって別に私が口出ししなくても、メグ自分で告白するって言えたし…」
    「そ、そんなことない!」
     なんでそんなこと言うの?詩織ちゃんの手助けがあったから、私今まで頑張って
    これたのに。
    「詩織ちゃんが来てくれなかったら私あのまま帰っちゃってたよ。ありがと、詩織
    ちゃん」
     いつも私に勇気をくれた、一番大切な人…彼女のいない高校生活なんて、私には
    考えられませんでした。
    「詩織ちゃん、私ね…」
    「‥‥‥‥」
     きゅっ…
    「し、詩織ちゃん?」
     口を開き書けた私は、彼女の腕の中に抱きしめられていました。私はどうしたら
    いいかわからなくて、しばらくそのまま彼女に身を預けるしかありませんでした。
    「メグ…私、必要だった?」
     その時の詩織ちゃんの辛そうな声は、今でも耳に残っています。私は胸を突かれ
    たような思いで、自分の手で彼女を抱きしめました。
    「大好き…」
     中学のとき、初めて会ったときからずっと。それ以外の言葉なんて見つからない。
     しばらくして彼女は腕を放すと、いつもの明るい笑顔で私を元気づけてくれました。
    「それじゃ後は卒業式の日を待つだけね。ここまでこれたんだもん、絶対大丈夫よ」
    「う、うん…!」
    
    「そ、それじゃ行ってくるね」
    「頑張りなさいよ!」
    「結果報告待ってるからね」
     2人に見送られて私は教室を後にします。廊下の向こうでは、片桐さんが親指を
    上に向けて激励してくれました。玄関を降りて上を見上げると、詩織ちゃんが軽く
    手を挙げてくれます。
    (頑張って)
     頑張ろう、私の3年間を無駄にしないために。
     みんなに助けられて強くなった私。すべてこの日のためなんだから。
    
    
     伝説の樹の下へ、あの人が駆けてきます。
     私は胸に手を当てて、あの人の前に進み出ます。
     いつものように、踊り出す心臓を必死で押さえて。
     いつものように、なけなしの勇気を振り絞って。
     そして…
    
    
    
     …その後のことは、あなたもよく知ってますよね。
    
     本当に、あなたに会えてよかった。
     ずっと一緒にいましょうね。伝説がいつまでも伝わるように。
     今ならはっきりと言えます。…幸せです…って…
    
    
                                <END>

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