【注意】このSSは「虹色の青春」のネタバレを含みます。
秋穂SS: 出会えて良かった
「1年A組、秋穂みのりです」
「なるほど、マネージャーを志望した理由は?」
「しつこいからです。沢渡くんが」
「‥‥‥‥‥」
唖然としたコーチの後ろで苦笑してるのは当の沢渡くん。しょうがないでしょ、事実なんだし。
なんでも新入部員が大勢入ったわりにマネージャーは2年の人一人だけで、負担がかかりすぎだからもう一人くらい必要なんだって。それがなんでわたしなんだか分からないけどっ!でも入学したばかりで入りたい部もないしヒマだったから、一週間だけって約束で体験入部することにした。でなけりゃ絶対来なかったけど。
「あー、えへん。体験とはいえやるからにはしっかりやってもらう。詳しいことは虹野から聞くように。沢渡、案内してやれ」
「はい」
なんか昔のスポ根に出てきそうな堅物っぽいコーチに見送られ、わたしと沢渡くんは邪魔にならないようベンチの方に向かう。すぐ横で練習してるのはもちろんサッカー部。スパイクが地面を削り、ボールが蹴られる音がひっきりなしに響く。なんだか全員やたらと熱心でちょっと引いた。しかも数が多い。
「なんであんなに人数いるの?」
「ああ、それは虹野先輩が勧誘してきたから」
わたしがぼそっと言ったのを聞いて沢渡くんが答える。そういや部員が増えたからマネージャー募集してたんだっけ。確か虹野先輩ってのが今いるマネージャーの人で…
「…それって自分で自分の仕事増やしたんじゃない」
「でも虹野先輩そういうの苦にしない人だしね」
なら一人でやらせとけばいいのに…。と、考えたところで笛の音が鳴り響く。
「そこまで、お疲れさまでしたーっ」
ストップウォッチを持った女の子が、元気な声でそう言ってた。
どちらかといえば小柄なほうで、控えめなショートカットに、いかにも純粋ですって感じの優しい笑顔。
一目見て、永遠に気が合わなそうだと思った。
「秋穂みのりです」
「よろしく!虹野沙希です。嬉しいなぁ、一緒にマネージャーがんばろうね!」
「ただの体験入部です」
「あ、そうなんだ…」
思いっきりがっかりした顔。だからこういう人嫌い。
沢渡くんはさっさと練習に戻ってしまい、周りに知人もないままこの人の説明を聞かされるという妙な状況になった。
「みのりちゃん、サッカーは詳しい?」
「あ、全然知らないんです。すいません、沢渡くんに無理矢理連れてこられちゃって」
「ううん大丈夫!マネージャーの仕事は大変だけど、難しくはないから」
「大変なんですか…」
「あ、えと、でもみんなの役に立てるやりがいのある仕事よ!うん」
来るんじゃあなかった…。後悔先に立たず、今さら『やっぱり帰ります』とも言えず。
「それじゃ、今日のところはそこに座って見学しててもらえるかな?」
そう言われて仕方なく言うとおりにする。こんなの見ても面白くないんだけど…
サッカーボールが飛び交う中、しばらくぼーっと練習を見てた。
「マネージャー、ヤカンくれー!」
「あ、はーい」
「マネージャー、ユニフォームに穴が開いちゃって…」
「はいっ、直しておきます」
…ふぁ。
あ、さっきのコーチに怒られるってば。
でも数限りない部員を相手に、蟻のように一人で走り回ってるマネージャー。文句一つ言わずに一生懸命になって。この人なに頑張ってるんだろう?
そんなこと考えながら待ってるうちに練習が終わって、虹野先輩が駆け寄ってくる。
「ごめんねみのりちゃん、ほったらかしにしちゃって」
「いいです。忙しそうですから」
「うん…。できればもう一人くらい来てほしいね」
「『もう一人』って、わたしまだ入るなんて言ってませんけど」
「あ。あ、あははは。ごめんなさい」
ジト目のわたしに、あわてて撤回する虹野先輩。
「あ、あははは。それでね、来てくれたばかりで悪いんだけど、ユニフォームの洗濯手伝ってくれるかな」
「はぁ…」
なんでわたしこんな事してるわけ?
深く疑問を感じながら無意味に放課後を過ごす。それが虹野先輩と出会った最初の日だった。
次の日から本格的にわたしのマネージャー生活が始まった。
といってもわたしなんてどう考えてもマネージャー向きじゃないわけで…
「マネージャー、タオル取って」
「目の前にあるじゃないですか」
「みのりちゃん、俺のプレイどうだった?」
「全然見てませんでした」
「と、とっても良くなってると思うよ。がんばって!」
なんで虹野先輩がフォロー入れてくるのよ…。相手におべっか使って楽しいですか?、とまでは言わないけどなんかやっぱりムカムカする。
だから、要するに、わたしには向いてないわけで!
水の用意。
タオルの用意。
笛ふき、タイム計り、応急手当に備品に会計。虹野先輩に教えてもらった仕事の何一つとして面白そうなのがないっ!なんでわたしこんな事する羽目になったんだろ…。
「もーっ、地面にはボールが転がってるし!」
「あの…、みのりちゃん?」
「なんですかっ!」
「な、なんでもないですっ!」
おまけにこの人。本当に先輩?頼りないし、人の言うことばっかり聞いてるし。マネージャーにはこういう人の方が向いてるんだろうけど。
「そういえば先輩、うちのサッカー部って強いんですか?」
ふとした質問に、虹野先輩は聞いてはいけないことを聞かれたかのように硬直し、無意味に手を握ってガッツポーズを作った。
「こ、これから強くなるよ!」
「弱いんですね」
「あうっ。でもみんな一生懸命頑張ってるし!沢渡くんも入ったし、みのりちゃんも来てくれたし」
「何度も言うようですけどわたしは体験入部ですっ!」
「あ゛…」
しゅんとなる虹野先輩。こ、この人って…。
絶対情にだけは流されちゃいけない。1週間の辛抱だからね…。そう、この時点で1週間でやめることを心に決めていた。
「みのりも色々大変なんだねー」
なんて呑気に言ってくれちゃってるのは友人の早乙女優美。
今日も放課後が来たけどまっすぐ部活に行く気になんて全然なれないから、とりあえず優美の教室行って愚痴言ってる。
「大変も大変、だいたいなんでマネージャー必要なの?自分のことは自分でやらせりゃいいじゃない!虹野先輩甘やかしすぎ!」
「えーっ、マネージャーいた方がいいよぉ。バスケ部なんてそういう仕事1年が全部やらされるんだもん。みんな練習に集中したいんだよ」
「じゃあ優美がマネージャーやれば」
「…あ、そろそろ練習行かなくちゃ」
優美は慌てて体育館へ行ってしまった。裏切り者…。
結局他に何かすることもないので、ブラブラしながらちょこっとグラウンドを見に行く。本当にちょこっとだったけど…やっぱり虹野先輩がいる。
「あ、みのりちゃん」
しまったっ。
「早いねみのりちゃん。偉いっ」
「ちょっと今後悔してます…」
「さ、それじゃみんなが来る前に練習の準備しましょ」
とほほ…。結局自由時間を仕事に費やすこととなり、ボールを引っぱり出して、薬がなくなったとかで保健室に取りに行った先輩の代わりに部室で留守番してた。やっぱり早めに来たらしい沢渡くんが声をかける。
「どう、マネージャーの仕事」
「ちょっとパス」
「そう?秋穂さんてマネージャー向きだと思うけど」
「わたしのどこをどう見たらそんな言葉が出てくるかなぁ!?」
沢渡くんは答えずににこにこ笑ってる。こういう何考えてんだかわかんないタイプも嫌い…って嫌いなやつしかいないよ、ここ…。
「まあせめて虹野先輩によけいな負担かけるのやめなよ」
「だって虹野先輩みたいな人嫌いだもん」
「言い切るねえ…」
「悪い!?」
だいたいこいつがすべての元凶じゃない!あーーっ殴ってやりたい!
「わたしはこういう性格なの。好きなものは好き、嫌いなものは嫌い!虹野先輩みたいに我慢して周りに尽くすなんて冗談じゃない。自分に素直に生きて何が悪いわけ!?」
「別に悪くないけど」
「じゃあほっといて!」
沢渡くんはハァとため息をついて練習に戻っていった。いつか本当に殴ってやる…。
そうこうするうちに練習が始まる。疲れた体を引きずって今日もマネージャーの仕事。こういう時に限って時計の歩みが遅い。
「あのぅ…。みのりちゃん、マネージャーあんまり面白くない?」
わたしがぶつくさ言いながらユニフォーム洗ってると、虹野先輩がおそるおそるそう聞いてきた。
「全然面白くないです」
「そ、そう…。ごめんね」
「なんで先輩が謝るんですか!?」
「ご、ごめんなさいっ!でも試合になればきっと面白いよ。今まで頑張った成果が発揮されてね、それで」
「別にわたしたちが試合に出るわけじゃないじゃないですか」
「で、でも応援が力になるし!」
「なるわけないでしょ」
「みのりちゃん…」
半分涙目になってわたしを見る先輩。なによその顔は。わたしが何したってのよ!
試合というのは今度の日曜。練習試合なんだけど、1年生には最初の試合になる。
それの準備やらがまた必要で、わたしは洗濯が終わると部室でグラウンドの利用申請書だの何だのの書き方を教えられた。どうせ一週間でやめるんだからこんなの教わっても仕方ないのに…。おまけにせっかくの日曜が試合でパァだよ、は〜ぁ…。
「10時集合で、お昼は各自持参ですよね」
「うん、それなんだけどね」
何やら異様ににこやかな虹野先輩。猛烈に嫌な予感がする…。
「わたしちょっと考えたんだけど」
「ほー。言ってみてください、聞いてあげますから」
「わたしたちでみんなにお弁当作ってあげるっていうのはどうかな?」
「先輩…」
もしかして馬鹿ですか?
って言おうかとよっぽど思ったけどやめた。聞かなくてもわかるってば!
「どう思う?みのりちゃん」
「わたしはヤです」
「そ、そう…。ううん、仕方ないよね。わたしの我が侭だし。一人でやるから平気だよ…」
何よその『…』は。
「さあ!それじゃ頑張ってメニュー考えなくちゃ」
「やめてください」
「え?」
「やめてって言ってるんです!」
文字どおり、え?って顔でわたしを見る先輩。
他人に尽くすのが生きがいで、善意の塊で、そりゃあ偉いです。とても真似できませんね。わたしは自分のことが一番大事なただの凡人なんだから!
「先輩にそういうことされるとわたしの立つ瀬がなくなるってわかってます?みんなにお弁当作るぅ?そりゃ先輩の株は上がるだろうけど、それと比べられるわたしは白い目で見られるんですよ!?」
「そ、そんなことないと思うけど…」
無性に腹立つ!
「だいたいなんでそんなことする必要あるんですか!?喜んでもらいたいとか、役に立ちたいとか、あの人たちが部活やってるのは自分のためでしょ!先輩がいい子ぶるのは勝手ですけどね、こっちが迷惑するんです。わたしは他の人のために、なんてとてもじゃないけどできやしないんだから!」
「‥‥‥‥」
「あ、そうですね。乗り込んできたのはわたしでしたよね。お邪魔してすみませんでした。どーぞ好きなだけやってください。もう来ませんから、さよならっ!」
「ま、待って!みのりちゃ…」
「離してください」
言うだけ言って部室を出ようとするわたしを、虹野先輩が腕をつかんで引き止める。うっとーしい!
「ご、ごめんね。わたしが気にさわること言っちゃったんだよね。謝るから、だから…」
泣きそうな目でわたしを見る先輩。
完全にキレた。
「わたし、虹野先輩みたいな人大っ嫌いです!!」
そう怒鳴って、振り返りもせずに部室から駆け出した。
あんまり頭に来たからテニス部に頼み込んで、久々にラケットを振った。
自分でも変かなって思うくらいイライラして。どうせ一週間でサッカー部とはおさらばなんだし…あんな先輩になんて勝手にやらせとけばいいのに、でも気に障る。
「(みんなに喜んでほしいから?)」
媚び売って、点数稼いでるだけじゃない。いい子ぶって、ちやほやされて、あー腹立つ腹立つ腹立つ腹立つ腹立つ!
「でぃやぁ!」
力いっぱい打ったレシーブがラインぎりぎりに決まる。けど空しいだけで、お礼言ってラケットを返した。
「秋穂さんテニス部入らない?」
「考えときます…」
空は夕暮れを過ぎてもう夜が来る。サッカー部も練習が終わった頃だろうか。先輩は…もう片付け終わったかな?関係ないけど。
「みのりちゃん」
警戒警報!
校門のところで虹野先輩が待ち受けてた。反射的にフェイントして駆け抜けようとするわたしの腕に、先輩がひしっ、と抱きついてくる。
「何すんですかっ!離してください!」
「お願い、話聞いて!」
「先輩と話なんてしたくない!」
「お願い…」
振りほどこうとして…
一瞬息が止まる。暗くてよく見えないけど、青ざめて、傷ついてて…なんでそんな顔するのよ!
「…ちょっとだけですよ」
渋々言って、先に立って歩き出す。
虹野先輩が無言で横に並んだ。
「さっきはすみません、酷いこと言って」
「う、ううん!そんな事ないよ」
「でも本当のことですから。わたし、先輩みたいな人嫌いです」
沈黙。
「あ、別に気にすることないです。わたしがあまのじゃくなだけ。普通の人なら虹野先輩一生懸命で偉いって思うでしょ」
「…そうでもないよ」
意外だったけど、虹野先輩は寂しそうに笑ってそう言った。
「わたし、子供のころ男の子たちから嫌われてたから」
「うそ」
「本当」
「女の子にじゃなくてですか?」
「うん、男の子から。わたしってお節介だったから」
ウソでしょ?
といってもウソつくような人じゃないし。余計なことしてかえって嫌われるなんて、それこそ馬鹿見るだけだってのに。
「…でも、お節介はやめないんですね」
「うん」
「なんでですか?」
「‥‥‥‥」
虹野先輩は言葉を探してるようで、そのまま何も言わなかった。言葉にできるようなものじゃないかもしれなかったから…わたしもそれ以上聞かなかった。
「あのね、みのりちゃん」
思い切ったように先輩が言う。
「やっぱりわたし、みんなにお弁当作りたいよ。みのりちゃんは迷惑かもしれないけど…許してもらえないかな」
だからー。
わたしの許可なんて別にいらないじゃない。わたしが勝手なこと言ってるだけなんだから。そういうのが嫌なのに。
「別に先輩がお弁当作るのは構いませんけど!」
自分でも頭の中がごちゃごちゃしてくる。こんな人と関わるんじゃなかった。
「みんな喜ぶでしょうけど。でもやっぱりわたし日曜でやめにします。マネージャーなんて最初から嫌だったんです。自分じゃ何もしないでただ応援するだけだし。お弁当作って、他人に尽くして頑張ってもらおうなんてやな感じ」
「みのりちゃん」
不意にびくっと立ち止まる。先輩がまっすぐこっちを見てる。いつもと変わらない静かな声だったけど、何故だかその場で動けなかった。
「嫌いなのは仕方ないけど、マネージャーの仕事を馬鹿にしないで。裏方だって大事な仕事なんだから」
「わ、わたしそんなつもりじゃ…」
言いかけて、自分の口をふさいで下を向く。…そんなつもりだった。
「ご…ごめんなさい」
「ううん、でも見ててね。わたしお弁当作る。精一杯みんなのこと応援するから」
駅に着いた。いつもの笑顔で、さよならを言って改札に消える虹野先輩。何故だか歩く気にならなくて、先輩の行った先をずっと見つめてた。
土曜日の練習後のミーティングで、虹野先輩は言う。
「えっと、明日のお昼なんですけど、みなさん持ってこなくて大丈夫です。わたしがみんなの分お弁当作ります!」
一瞬の静寂、続いて歓声。部員みんな喜んでる。沢渡くんも。少しはにかんで、嬉しそうな、本当に嬉しそうな虹野先輩。
わたし一人だけ膝の上でぎゅっと手を握っていた。
精一杯とか一生懸命とか。やめてよ白々しい。
…大っ嫌い。
いっそ雨で流れてくれればよかったんだけど、あいにくの晴天。
ベッドの中で時計を見る。8時。今ごろ虹野先輩はお弁当作ってるんだろうか。
「ふんだ、わたしには関係ないもんね」
なんてわざわざ声に出して言うわたしも馬鹿みたいだけど…。ベッドの中でしばらくゴロゴロして、ただただ時間をつぶす。何もすることない…最近何もすることないのが辛いなぁ。
結局、まだ集合時間には早いけど、起きて着替えて、バッテンの髪かざりをつけて学校へ行く。
「おはよう、秋穂さん」
「お…おはよ」
沢渡くんや、早く来た人が何人かグラウンド脇で筋トレなんかをやっている。たかが練習試合だってのに。
「虹野先輩なら合宿所だよ」
「だっ…だから何?」
「イヤ別に」
「(いつか蹴ってやる…)」
ここへ来てもやる事ないからしばらくうろうろして…。ま、とりあえず様子だけでも見ておこうかと沢渡くんたちの目を盗んで合宿所へ向かう。ってなにこそこそしてんだろ。
どうせ一人で一生懸命お弁当作ってるんでしょ…。
「ひ〜〜ん、間に合わないよぉ!」
…けど聞こえてきたのはそんな声。
合宿所の大きな台所から湯気が流れ出てる。わたしが壁際からそっと覗くと、先輩は50人分の料理相手に悪戦苦闘していた。
「こ、こっちはこれでいいかな…。熱っ」
「あ!」
思わず飛び出しちゃった…。一瞬固まった虹野先輩は、耳たぶを押さえたまま笑顔を向ける。
「おはよう、みのりちゃん」
「おはようございます…ってそれどころじゃないでしょ!火傷したんならちゃんと冷やさなきゃダメじゃないですか!」
「そ、そうよね。うん」
おたおたしてる虹野先輩の手をつかんで蛇口へ持っていく。もう…何してんだか。
「何してんですか?」
「あ、えとね、ちゃんと間に合うはずだったんだけどなんかここのガス台ひとつ壊れてて。でも大丈夫、絶対作るから!」
そう言う虹野先輩の目は寝不足みたいに赤くなってる。すぐ近くに家庭用の鍋。もしかして家でも何か作ってきたんだろうか。今朝だって何時に起きてきたんだか。
「ごめん、みのりちゃん。先に練習の準備始めてもらえるかな?わたしもすぐ行くから」
「いいですよ…って、先輩グラウンドの仕事もする気ですか!?」
「だ、だってマネージャーの仕事ほったらかすわけにもいかないし…」
そりゃそうだけどわたしもいるのに…。って、いや、やるなら勝手にやらせとけばいいんだけど、要領の悪い…。
「みのりちゃん」
出ていこうとするわたしに、虹野先輩が台所から顔を出してにっこり笑う。
「頑張るからね」
かぁっ
何故だか顔が赤くなって、わたしは振り返りもせずに駆けていった。何が『頑張る』よ、あんな無理ばっかして。
絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に…手伝ってなんかやるもんか!
試合前なので練習は軽め。でもマネージャーの仕事がないわけじゃなく、虹野先輩は合宿所とグラウンドを行ったり来たり忙しく走り回ってた。これじゃますます間に合うわけない。
「虹野さん、大変そうだなぁ…」
部員の何人かが口にする。だったら手伝ってあげれば!?って、練習してるんだからそうもいかないのは分かってるけど…あーーっもう!
「みのりちゃんごめんね、部室に今日の相手の資料があるからコーチに渡してもらえるかな?読めばわかるようになってるから」
「は、はい。わかりました…」
「ごめんね」
また謝る。たったか合宿所に戻ってく先輩を苦々しく見送りながら、わたしは資料を取りに行った。部員の人たちは『なんで秋穂は手伝わないんだ』って思ってたかもしれないけど、わたしはそれも忘れて、虹野先輩のこと考えてた。
相手校の選手が到着する。試合が刻一刻と近づいてくる。
「秋穂さん、いいの?」
「な…なにが?」
「虹野先輩」
「わたしには関係ないでしょ」
ボール片手に沢渡くんがため息をつく。
「素直じゃないったら…」
「誰がっ!」
イライラする。
先輩と出会ってからずっと。何で?何でこんなに。
「…わたしらしくない」
「うん」
「同意しないでよ!」
「何かあったら呼びに行くから、とりあえず先輩の様子見てきてくれない?」
沢渡くんがそう言うから仕方なく…仕方なくだけど、2度目に合宿所へ行った。
「虹野先輩…」
相変わらず一人で台所にいた。進行状況は…。絶対間に合いそうにない。
「ごめん、みのりちゃん」
さすがに少し影しょって虹野先輩が言う。
「あんな偉そうなこと言っておいて、これじゃマネージャー失格だね、わたし…」
「だから最初から50人分なんて無茶だったんですってば!」
しゅんとなる先輩。いや、別に責めてるんじゃなくてえ!
「みのりちゃん、ひとつ頼まれてくれるかな」
「な、なんです?」
何だかわからないけど、何かを期待して。でも先輩の言葉は期待とは違った。
「試合、わたしの分も応援してあげて」
「…は?」
「ごめん。マネージャー失格だけど、お料理ほっとくわけにもいかないから…」
…そりゃあ。
作りかけでほったらかしにはできないだろうけど、みんなをお昼抜きにはできないだろうけど、何でそうなるのよ!
何でこんなイライラするのよ!
バン!
気がつくと、思いっきり壁を叩いてた。
「みのりちゃん…」
「それでいいんですか?応援したいんじゃないんですか?いつもの成果が発揮される日じゃなかったんですか!?」
「でも…仕方ないよ」
嘘つき。悔しいくせに、なんでそんなに我慢するの?わたし、わたしがいるのに。
「わたしに手伝えって言えばいいじゃないですか!」
…驚いた顔の虹野先輩。
わたしも驚いて。でも止まらない。手伝いたい。先輩が朝から作ってたお弁当、ちゃんと完成させてあげたい。
「ごめん」
ぺこっと頭を下げて、すぐに上げた先輩の顔は…雲が晴れたようにすっきりしてた。
「みのりちゃん。…手伝ってくれるかな」
「沢渡くん、あんた臨時マネージャー!」
「ええっ!?」
「わたしをサッカー部に引き込んだんだからそれくらいしなさい!」
沢渡くんに笛とストップウオッチその他を押しつけて、急いで合宿所にとって返す。中学の頃いろいろあって一応一通りの料理はできるから、すぐに調理に取りかかった。鶏肉をを虹野先輩から引き継いで、次々と唐揚げに変えていく。
「ねえ、虹野先輩!」
「うん?」
忙しく手を動かして、油の音にかき消されないようにわたしは大声を出した。
「なんのためにこんなことやってるんです?」
虹野先輩もサラダを取り分けながら、いつもの声で答える。
「この前みのりちゃんに聞かれてからいろいろ考えたんだけどね」
2人でやるとやっぱり早い。先輩の料理するところって初めて見たけど、すごく手慣れてる。今まで何人に作ってきたんだろう。
「やっぱり大した理由があるわけじゃないよ。やりたいからやってるだけ」
「なんでそんな事やりたいんです?尽くすのって他人のためで、自分のためじゃないじゃないですか!」
「ううん、そんな事ないよ。頑張ってる人が好きだから、一生懸命な人を見ると、その人がずっと頑張れるように何かしたいって思う。それで力になれるならそれが一番嬉しいもの。わたしにはこれくらいしかできないけど…ううん、これがしたいから」
思わず顔を上げて…虹野先輩がわたしを見てた。
「わたしができるのは応援だから、だから一生懸命応援する」
なんで…
そんな事を、そんな笑顔で言えるんですか?
口にできなかった。料理が完成して、虹野先輩がお弁当箱を持ってくる。箱っていってもコンビニのお弁当の容器を洗ってため込んでおいただけみたいだけど。
分担しておかずを詰めながら、わたしはずっと俯いてた。
わたしは何してたっけ?
何もしてなかった。何もしないで、口先ばっかりで、心の中で虹野先輩のこと馬鹿にして、わたしなんて虹野先輩の10分の1も前に進まないで、冷めた顔して同じ所で寝転がってただけなのに。
楽しそうにお弁当を作る虹野先輩。無意味とか、点数稼ぎとか、そんなひねた事ばかり考えてたわたしと違って、ただ真っ直ぐに前を見る先輩は、わたしなんかよりずっと綺麗だ。
最後のお弁当が詰め上がる。
「よし、完成!」
2人同時に言って、思わず同時に笑い出す。
手を洗って、タオルで拭いて。それを虹野先輩の手がつかむ。
「行こ、みのりちゃん」
「は、はいっ」
小走りに合宿所を出ながら…小さく先輩の手を握り返す。
「あの…」
「うん?」
「ごめんなさい、今まで…先輩にいろいろ失礼なこと言ってました」
「そんなことないよ」
振り向く先輩。今までにないくらい、優しく微笑みながら。
「ありがと、手伝ってくれて。すごく嬉しかった」
「はい…っ!」
手伝って良かった。
虹野先輩の笑顔を見て、本当にそう思った。
「遅くなってごめんなさい。お弁当は出来上がりましたから、みんな頑張ってください!」
「おーーっ!」
「負けたら全員お昼抜き!」
「みのりちゃん、そりゃない」
みんなすっかり張り切っちゃって、単純ったら。そのせいかどうだか試合は終始こちらが押し気味。途中から交代した沢渡くんも活躍したみたいで、結果はきらめき高校の快勝。まあ見ててそれなりには面白かったんだけど、熱心に応援する虹野先輩見てた方が面白かったりして。
「やったあ!勝った、勝ったよみのりちゃん!」
「そうですねっ、虹野先輩!」
先輩と手を取り合って喜ぶわたし。やっぱり頑張ったならこうでなくちゃね。
お弁当運んでくるって言う先輩を引き留めて、部員の人たちに持ってこさせる。そのくらいさせて当然!芝生に座ってお昼ごはん。わたしも虹野先輩の隣に腰を下ろした。
「うん、うまい!」
「さすが虹野さん」
「みのりちゃんとの合作なのよ」
「わ、わたしは何もしてないですよ」
でも虹野先輩の料理って本当においしい。品目自体はごく普通なんだけど、やっぱり心込めて作ると違うのかな…。
「ね、みのりちゃん。みんな喜んでくれるよね」
「…そりゃまあ、あれだけ苦労させて喜ばなかったらひっぱたいてやるところですから」
「あはは…もう、みのりちゃんたら」
でも…報われるってこういうことなんだ。だったら人のために何かするのもいいかなって。幸せそうな虹野先輩見てたらそう思った。
「虹野さん、ちょっといい?」
「はーい」
「さっきの試合だけどさ…」
はぁ、やっぱり虹野先輩って人気者。わたし一人で独占するわけにもいかなくて、入れ替わりにお弁当を空にした沢渡くんが近寄ってくる。
「いつの間に先輩と仲良くなったの?」
「う、うるさいなぁっ」
ちょっと赤くなって、べーっと舌を出す。
「いーのっ。言ったでしょ、好きなものは好き!好きになったんだから仲良くしてもいいの!」
結局いつから好きだったんだろう?ほんとあまのじゃくだね。でもほら、分かったんだからいいじゃない。
「そういえば俺も言ったよね、秋穂さんはマネージャー向きだって」
「うう、シャクにさわるなあ…」
「ははは」
ま、サッカー部に誘ってくれたことは感謝してあげましょ。
あくまで虹野先輩がいたからだけど、ね。
お昼が終わって、片付けも終わって。
「ねえ、虹野先輩」
「なあに?」
「わたし、サッカー部に入部します」
さっき決めたこと。今となっては当たり前のこと。先輩に笑顔が広がり、両手でぎゅっとわたしの手を握る。
「本当!?」
「はいっ」
「やったぁ!ありがとう、一緒にみんなのために頑張ろうね!」
「やだ、みんなのためなんてわたしには無理ですよ」
怪訝そうな顔をする先輩。だって無理だもん。そこまでいい子じゃないし。
「わたしは虹野先輩のために頑張るんです」
「は!?」
「迷惑ですか?」
「え?えと、その」
きゅっと先輩の手を握り返す。まだ虹野先輩みたいにはなれないから。わたしはこの人を応援する。虹野先輩の役に立ちたいから。
「…ありがとう」
分かってくれて、そう言って微笑む虹野先輩。ずっとこの笑顔が見られるように。
出会ってからまだ一週間も経ってないけど、でもこれがわたしの、新しい毎日のスタートだった。
「――で、今のわたしがいるわけです」
「ふぅん…」
目の前には恋敵が約1名。
練習が終わった夕暮れの用具室で、2人してロマンチックとはほど遠い汚いボールを磨いてる。これが最後の1個で、とりあえず今日の仕事はおしまい。
「みのりちゃんはただ虹野さん追いかけ回してただけじゃなかったんだ」
「失礼ですねえ。先輩、今までわたしのこと何だと思ってたんですか?」
「あ、いやー、ごめんごめん」
「ま、いいですけど」
一段落して、用具室を出てロックをかける。外はもう暗くなり始めて、校舎の灯りの向こう側にぼんやりと月が見えた。
更衣室で制服に着替えて、外へ出ると先輩が待ってる。カバンを手に並んで歩き出す。
「本当に好きなんです、虹野先輩のこと」
ぽつぽつとわたしが言うのを、先輩は黙って聞いていた。
「真っ直ぐで、一生懸命で、誰よりも優しくて。見てて危なっかしいとこあるけど、わたしが守ります。虹野先輩がずっと虹野先輩でいられるように、わたしが守りますから」
そんな偉そうなこと言う資格あるかどうかわからないけど。でもわたしの正直な気持ち。びっと指さして宣戦布告。
「先輩には負けませんからね!」
「手強いなぁ…」
「諦めますか?」
「いーや、負けないのは俺も同じ。根性で頑張らないと虹野さんに愛想尽かされちゃうさ」
顔を見合わせて、お互いにぷっと笑う。この人はわたしと同じ、絶対に虹野先輩の味方だから…ちょっとは心強いかな。ちょっとだけだけど、ね。
「あれ、2人ともまだ残ってたの?」
不意に校門のところで聞こえる、もう耳に慣れた一番の声。
「虹野先輩!」
「虹野さんこそ、まだ帰ってなかったの?」
「ちょっと委員会の仕事の手伝い頼まれちゃって…」
相変わらずだなあ…。でもそういうところが、わたしの好きな虹野先輩。
「もーっ、それならそうと言ってくださいよ。こんな人とボール磨きするくらいなら虹野先輩のお手伝いしたかったのに」
「こんな人ってねえ」
「さ、一緒に帰りましょ虹野先輩」
「あわわっ、み、みのりちゃんっ」
いつかのお返しっ。虹野先輩の腕にしっかりと抱きつく。
優しくて、あったかい空気。わたしの大好きな人。きっとこの人と出会うために生まれたんだって、そう思えるくらいあなたが好き。
「そういや虹野さん、今度の日曜空いてる?」
「こらっ、抜け駆けは許しませんよ!日曜はわたしとデートしてもらうんですっ」
「あはは…。それじゃ3人でどこか行こっか?」
あなたと出会って。何かが変わって、少しだけ好きな自分になる。頑張って、一生懸命になって、まだ遠いけど、いつまでも追いかけられるように。
だから何度でも言える。あなたが好き。
あなたが好きです。
<END>