北風が吹いても






 クリスマスでも仕事をする人はいますし、他のことで忙しい人も大勢います。
 年の瀬の迫った12月。私たち『彩』のメンバーも、クリスマスライブに向けて練習を続けていました。
「すまんみんな、実は新曲のことなんだが…」
 北風の吹く放課後。寒さに耐えて練習を終えた私たちに、申し訳なさそうに切り出す博人先輩。いつものように走る緊張に私は思わず身構えます。
「もう一度書き直したい」
「却下だ」
「まあ聞け巧実。ここのフレーズなんだがリフレインの回数がな」
「却下っつってんだよこの野郎!!」
「お、落ち着いてください巧実先輩っ!」
 博人先輩の胸ぐらをつかむ巧実先輩、あわてて止める私、冷静に成り行きを見守る康司先輩…とこれもいつもの光景。ああ、ただでさえ寒くてみんなイライラしてるんですから…。
「と、とにかく落ち着いて話し合いましょう! ねっ」
「いーや止めるな鈴音、今日という今日はこいつの身勝手には我慢ならん」
「全力を尽くしていい曲を作るのがいいバンドだろ! お前の音楽に対する情熱はその程度か」
「そーいう事は納期を守ってから言いやがれこのヘボ作曲家!!」
「なにをう下手に出てりゃこの遅刻常習犯!!」
「ああっもう……」
 文化祭の一件以来すっかり博人先輩のクリエイター魂が触発されてしまったらしく、何度も何度も曲を練っては書き直し。確かにどんどんいい曲になってはいますが、その度に練習の遅れる巧実先輩は怒るし、どっちの気持ちも分かるんですけど…。
「もう、康司先輩! ドラム磨いてないでなんとか言ってくださいっ」
「ん。まあため込むよりは発散した方がいいさ」
 2人はといえば康司先輩の言葉通り、若さをさんざん発散させたあげくとうとう殴り合いを始めました。私はおろおろするばかり。はぁ、分かってはいましたけど、つくづくロマンとは無縁なクリスマスになりそうです。


「…ごめんな、鈴音ちゃん」
「私はいいんですけど、ケンカはやめてくださいね?」
「あい…」
 すっかり薄暗くなった川べの道を、いつかと同じように並んで歩きます。
 最近は日が落ちるのも早く、練習時間も夏場ほどは取れません。でも正直言うとライブの方はそんなに心配してません。少し前までの私だったら不安で胃に穴が空いたかもしれませんけど、文化祭のバンドコンテスト、ぶっつけ本番で優勝してしまってからは結構自信もつきました。何とかなるもんですよ、うん。
 それよりも……
 何となく会話が途切れたまま歩く帰り道。
 長尾博人先輩。少し前に私が失恋した相手。すっかり大丈夫とはいきませんけど、いじけてても仕方ないので大丈夫だと思うことにしてます。でもぎこちなさは残っちゃうのかな…。
「鈴音ちゃんには迷惑かけてばかりだな」
「そんな事ないですよ」
 こんな言葉を交わしたいんじゃないのに。


 そんなある日の昼休み、私の机は殺気だった女の子達に取り囲まれていました。
「5千出すわ!」
「抜け駆けは卑怯よっ!」
「あの、落ち着きましょう皆さん…」
 ライブハウス「ゼロ」のクリスマスライブといえばレベルの高さで有名で、これに出られることはアマチュアバンドにとってはちょっとしたステータスです。「彩」はゼロのオーナーから出場してくれるよう頼まれたほどなので本来鼻が高いのですが…。関係者ということで何枚かチケットをもらったのを誰かが嗅ぎつけたらしいです。
「8千!」
「1万!」
「ち、ちょっと待って…」
「いい加減にしなさいよ、あんた達!!」
 喧噪を吹き飛ばすような一喝。見るとバッテンの髪飾りをシンボルにした女の子が、仁王立ちでこちらを睨んでました。
「美咲さんが困ってるでしょ! だいたいねぇ学生の分際で金にものを言わせようなんて態度が気に入らないのよ全くっ! あーほら散った散った!!」
 『何コイツ』という顔だった女の子達も、みのりちゃんの剣幕に渋々退散していきました。この迫力は見習いたいものです。
「ありがとう。みのりちゃん」
「いいのよ友達じゃない。で、チケットある?」
「‥‥‥‥‥」
 まあ元々みのりちゃんには聞いてもらいたいと思ってたからいいんですけど…。
「ありがとっ! 虹野先輩用にもう1枚…は、ないよね」
「ないです」
「…冗談だって。目が怖いよ」
「気のせい」
 はぁ、と小さくため息をつく私の前に、みのりちゃんが椅子を引いてきます。
「練習の方はどう?」
「いつも通りかな。新曲がちょっと危ないけど」
「またぁ? 懲りない先輩よね、本番て24日でしょ?」
「ううん、25日」
「あれ、そーだっけ。伊集院先輩のパーティと重ならなくていいけど」
 それに冬休みは25日からですしね。
「結構人来るんだ」
「うん、でも『彩』聞きにくる人はほとんど巧実先輩のファンかな」
「あー、さっきの連中みたいなのね。ルックス目当てで曲なんて聞いてないんだから入れてやることないのに」
「でもね、そういう人たちも感動させるような演奏をしようってみんな頑張ってる」
「あー…なるほど」
 腕を組んでうんうん、と頷くみのりちゃんに、私はくすっと笑いました。
「みのりちゃんがボーカルやってくれると助かるんだけどな」
「んー、それもいいけどね。やっぱわたしはサッカー部のマネージャーだし」
「そっか…。そうだよね」
 昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴って、みのりちゃんは軽く肩を叩いて自分の教室へ戻っていきます。
 午後の授業が始まりますが、私はぼんやりと窓の外を眺めていました。

 『彩』のメンバーは4人。
 文化祭後にメンバーを増やそうという話はありました。でも候補だった片桐先輩は軽く手を振って
「ソーリィ、確かにバンドも面白いんだけど、やっぱり私は絵に打ち込みたいの。片手間にやってもしょーがないしね」
 …って。もしかして私に気を使ってるんじゃないかって一瞬思いましたけど、そういうつまらない事を考えてるのは私だけだったみたいです。博人先輩にとっての作曲のように、片桐先輩の情熱の対象は絵を描くことで、それはバンドのボーカルと二足の草鞋で済むような甘いものではないのでしょう。
 私にとってはやっぱりキーボードを弾くことなんでしょうけど…。別にプロになりたいわけでもないし、少し前までは博人先輩の近くにいられるだけで嬉しかったけど、それも消えてしまったし。来年になって先輩たちが卒業した後は一体どうしたらいいのかな…。

「そこはそうじゃねぇだろ」
「いや、これでいい」
「良くねぇって!」
「作曲上の意図ってもんがなあ!」
「知るか!!」
 博人先輩と巧実先輩はは相変わらずですけど…。ぶつかり合うのはそれぞれの熱心さの現れだと思えば、喜ぶべきなのかもしれないですね。
「えーい勝手にしろ! けどな、これ以上固まらないようならクリスマスは『Tommorow』で行くぜ」
「いや、曲自体はこれでほぼ完成だ」
「信用できねーなあ…」
「まあ確かにこれ以上はいじりようがないって感じだな。でもさ博人、あんまり巧実に歌わせるような歌でもないな」
「ああ、まあな…」
 新曲は『Tommorow』のようなラブソングではなく、夢を追うことを歌ったドリームソング。歌詞は強い決意を表していますが、曲自体はどちらかというと聖夜らしく静かな感じです。巧実先輩のシャウトにはあまり合わないですね。
「私がボーカルやりましょうか?」
「え!?」
 言ってから我に返ります。
「あ、ご、ごめんなさい。駄目ですよね私なんて。人前で歌ったことなんてないですし…」
「いや…。なあ?」
「ああ、まあ、鈴音ちゃんがいいって言うなら…」
「え、え? 無理ですよそんな、大事なクリスマスライブなのに!」
「いや、気が進まないならいいんだ」
「え…えっと」
 大した考えもなしにものを言うなといういい見本です。
 でも先輩たちの視線を受けて、ふとひとつの光景が浮かびました。文化祭のバンドコンテスト。
 楽しそうに歌う片桐先輩の姿。
 私の中で何かのスイッチが入ります。『試したい』と…
「あの…。本当にやってみていいんでしょうか?」
「あ、ああ」
「まあ無理そうだったら巧実と変わればいいさ」
「そ、そうですね。無理だったら…」
 無理だったら…。


 その日から猛練習が始まりました。

『なんだ鈴音、歌上手いじゃないか』
『そ、そんな事ないです』

 入学したときは、こんな事するなんてまるで予想してなくて。

『うーん、でも少し思い切りが足りないかな』
『は、はい…』

 何で今ここにいるのか、はっきり考えたことなんてなかったな…。



 そしてカレンダーは流れていきます。



 ジングルベルが聞こえる聖なる夜。
 たぶん世界のあちこちで繰り広げられているラブストーリーとはまったく無関係に、私たちは練習場で最後の詰めに入っていました。本番はもう明日です。
「寒い」
「寒いですね…」
「冬は寒いんだよ。文句言うな」
 練習場といっても康司先輩が見つけてきた小さな倉庫で、当然暖房なんてありません。本当ならライブハウスでリハーサルしたい所ですが、クリスマスイブなんてどこも満杯なので…。私たちにできるのはせいぜい寒さを吹き飛ばすように気合いを入れて演奏するくらいでした。
「あ〜〜ついてねぇ。本当なら今ごろ伊集院のパーティで女の子に囲まれてたんだけどなぁ」
「鈴音ちゃんがいるだろう。贅沢言うな」
「な、なに言ってるんですか康司先輩っ」
「ヘイヘイ、確かに俺たちは幸せ者ですよ」
「巧実先輩までっ!」
 赤くなる私を見て博人先輩が苦笑しています。もう…。
「後で差し入れが来るっていうから、それまで頑張ろうぜ」
「差し入れ? 誰だ?」
「え…と、片桐さん」
 …一瞬の言葉の澱み。
 あの人の名前を聞くのは複雑だけど、だからって博人先輩がそう過敏に気にしてたら私だって吹っ切りようがないのに…。
「さ、それじゃ始めるとするか」
 少しだけ漂った気まずさを振り払うように、康司先輩が手を叩きました。
「鈴音のボーカル中心に練習だな。博人、今さら曲変えるなんて言い出すなよ」
「今ので煮詰めに煮詰めた完成形だよ。俺の歌をよろしく頼む、鈴音ちゃん」
「は、はいっ」
 風邪なんてひかないよう細心の注意を払っていたので、喉の調子は万全です。だから練習ではなんとか聞けるようにはなってますけど、本番で本当に大丈夫なのかな。やっぱり今回は巧実先輩に任せた方がいいんじゃないかな。でもそれだと博人先輩の曲を完全に生かせないし…。
 迷いながらやっているので調子は今一つです。しばらくして、扉がノックされました。

「Good Evening! どう?調子は」
「こんばんは」
 入ってきたのは片桐先輩。それからええと…確か博人先輩の幼なじみの。
「詩織!? どうしたんだ?」
 藤崎先輩。文化祭の時はいろいろとお世話になった人です。
「Bad! せっかく来てくれた幼なじみにそれはないんじゃない?」
「あ、いや…」
「ま、とにかく入ってくれよ」
 苦笑する藤崎先輩を康司先輩が招き入れて、練習は一時休止になりました。片桐先輩と藤崎先輩が持ってきた袋から料理を取り出します。サラダ、ローストビーフ、七面鳥の丸焼きまで…。
「おいおい、ずいぶん豪勢だな」
「そうねー。せっかくタダだしね」
「…伊集院とこのか…」
「片桐さんて山ほどタッパー持ってきてるんだもの。私も何事かと思っちゃった」
「HAHAHA、細かいことは気にしない!」
 少し冷めてはいましたが、さすが伊集院家のシェフの腕は確かです。練習で結構体力使っていたので、私たちはしばらく黙々と食べ続けました。
「頑張ってるんだね」
 そのままになってる楽器たちを見渡して、不意に藤崎先輩がしみじみと言います。
「ま、俺たちはこれしか芸がないしな」
「イエース、でもそう言える芸があるってのは幸せなことよ」
「そうそう」
「でむ凄いよ。私なんて勉強とスポーツくらいしか取り柄ないもの…」
『いいじゃねぇかそれだけできりゃあ!』
 全員のツッコミが心の中で唱和しましたが、藤崎先輩は本気で言っているようです。と、博人先輩がぽつりと。
「何かを始めるに遅すぎるってことはないぞ、詩織」
 藤崎先輩と私が同時に顔を上げました。
「俺なんてさ、片桐さんと会うまではつくづくつまらない曲作ってたし、正直無駄な時間を過ごしてたと思う。今もプロとしてやってく程の実力はないよ。でも諦めたわけじゃない。人生は長いんだ」
「おっ、語るねぇ」
「茶化すなよ巧実…。お前はどうなんだ?」
「俺か? 一応プロ志望だけどな。康司は?」
「俺もできればそうなりたいなぁ。叔父貴のドラムを見て育ったんだし」
「みんなやっぱりそっちに進みたいんだね」
「鈴音ちゃんは?」
「えっ…」
 …答えられませんでした。
 すぐに藤崎先輩の声。
「あ、まだ早いよね。1年生だもの」
 私は小さな声で、はい…、と答えました。

 その後は「何で康司先輩の目は細いのか」なんて失礼な話題で盛り上がりながら…。いつしか料理も片づき、ささやかなパーティは終わります。
「それじゃ、私たちはここらで退散するわ」
「あまり根を詰めないでね」
 博人先輩はバス停まで2人を送るため一緒に出ていきました。残された私たちは適当に音を合わせながら帰りを待ちます。
「藤崎先輩みたいな人でもあんな風に考えるんですね…」
「うん?」
 ふと変なことを言ってしまい、巧実先輩と康司先輩の怪訝な視線に慌てて弁解。
「あの、ほら私なんて何の能もなくて、藤崎先輩がああなら私は一体どうなるんだって…」
「そういう事はないと思うぜ」
「そうそう、歌も上手いしな」
「そんな…」
 そんな事ない。
 何かが喉に出かかります。ずっと胸の奥につかえていたこと。仕方ないって諦めてたけど…
「それじゃ何で、一度も私に歌えって言わなかったんですか?」
 今までも私向きの曲はあったのに。
 やっぱり何かが変わっていて、今日の私からはそんな言葉が出ました。

「う」
「まあ…なんだ」
「元々俺が騙してバンドに入れたようなもんだし、そこまでさせるのもさ…」
「…遠慮してたんですね」
「おいおい、そう拗ねるなよ」
 だってどうしたって、私だけ女の子で、私だけ1年後輩で。
 それはどうしようもない事だから…
「そう大した事じゃないって」
 いつものように落ち着いた康司先輩の声。
「まあ悲しい男のサガって程度のものでさ」
「でも――」
「大丈夫、俺たちは仲間だよ」

 …一瞬。
 自分の中に届くまでにそれだけの時間がかかって。

「なぁ、巧実?」
「あ、ああ」
 はっきりと頷く巧実先輩。
「って、そういう恥ずかしいことを真顔で言うなよな…」
「別に恥ずかしいことはないだろ」
「そうですよ」
 くすくす笑い出す私。恥ずかしくても、今さらな事でも、つかえていたものが少しずつ消えていく。少しずつでも――

「ただいまー」
「おう、練習始めるぞ」
「そうですね」
 キーボードの準備をしながら、しまったさっきみたいな話題は全員揃ってる時に振れば良かったと、少しだけそんな後悔をしましたけど。
 すぐに頭から追い払って、私は練習を再開しました。


 そして12月25日。
「熱いですね…」
 会場であるライブハウス「ゼロ」。高名なアマチュアバンドが集まるだけのことはあって、楽屋の熱気もかなりのものです。ヘヴィメタ・パンクス系の人も多く、外見で判断しちゃいけないと思いつつもちょっと物怖じしたりもします。
「大丈夫か? 鈴音ちゃん」
「あんま緊張すんじゃねーぞ」
「だ、大丈夫です! 平気ですっ!」
 1年前にはクリスマスのこんな時間にこんな事やるなんて考えもしなかったなぁ…。
 少し外に出て頭を冷やして来ようかとも思いましたけど、そろそろ始まるというので止めました。他の実力派バンドの演奏を聴けるチャンスですから。
 不意に楽屋まで聞こえてくる歓声。曲が始まり、飛び込んでくる音階のひとつひとつ。私はじっとそれを聞いていました。
 すぐに出番が近づき、準備を始める私に博人先輩が小さく耳打ち。
「鈴音ちゃん、本当に大丈夫か?」
「大丈夫ですよ。私って信用ないんですね」
「いや、そうじゃなくてさ」
「冗談です」
「…ごめんな」
 そんな先輩の顔を何度見てきたんだろう。
 いつ変わるんだろうってずっと思ってました。でも大事なのは、相手がどう思ってるかよりも、自分がどう思うかだって――

「仲間じゃないですか」

 虚を突かれたような先輩の顔。
 ふっと緩んで、ありがとう、と。こんな簡単な事がどうしてできなかったんだろうって。
 そう思うけど、今からでも遅くない。遅くないですよね、先輩。
「どうした、そろそろ行くぞ」
「ああ、分かってる」
「はい!」
 真っ先に飛び出す巧実先輩に、私たちも続きます。慣れ親しんだキーボード。今日は観客の目の前で。押し寄せる歓声と光の渦に飲み込まれながらその流れに乗って。目を走らせればみのりちゃん、片桐先輩、藤崎先輩、クラスの友達、私たちと同じようにバンド活動をしている人たち…
 もうそこには落ち着こうとか、練習通りにしようとかそんな考えも吹き飛んで、ライブという空間の中でただ美咲鈴音がいました。巧実先輩が2、3挨拶して、女の子たちの歓声の中でイントロが始まります。音を紡ぎ出す私の指。そして――



「お疲れー」
「お疲れさん」
 他のバンドの挨拶にも、頭を下げるだけで精一杯でした。負荷のかかりすぎた心臓はかろうじて生命を維持しています。
「生きてるか? ほら、座って休め」
「1週間分くらいのエネルギーを使い果たしました…」
「ははは、それだけ熱のこもった演奏だったって事だ」
 呑気に言ってくれる康司先輩に恨めしげな目を向ける私。だって本当に、無我夢中で、自分の気持ちすべてを思いきり出して…
 …自分の中に、こんな鼓動があったなんて知らなかった。
「鈴音ちゃんに歌ってもらえて良かったよ」
 差し出される紙コップ。顔を上げると、満ち足りた表情の博人先輩がいて。
 ああ、私はやり遂げたんだと…コーヒーを飲みながら、そんなことをぼんやりと考えながら、ようやく笑うだけの元気が戻ってきて、私はそのまま笑っていました。嬉しくて嬉しくて仕方がない、そんな自分がまた嬉しくて――私は笑っていました。


「あー、終わった終わった」
 軽く伸びをする巧実先輩の声。
 駆け抜けるような一日終わって、すっかり暗くなった帰り道。さっきまでの反動でしょうか、空気までも凍ったように静かです。
「これからずっと鈴音ちゃんがボーカルでもいいなぁ」
「ち、ちょっと博人先輩、無茶言わないでください」
「そうだぜ、元ボーカルの俺はどうなるんだ?」
「お前はクビだ」
「ちぇ、ひっでーの」
「ははは…」
 そして康司先輩が…みんなの気持ちを代弁するように。
「今までで最高の演奏だったな」


 ああ、そうか。
 このために私はいたんだ。私がこのバンドに入ったのは、今日のこの瞬間のためだったんだ…。
 真冬を乗せた北風が吹き付けます。でも…寒くない。

「じゃ、打ち上げにラーメンでも食べに行くか?」と、博人先輩。
「おう。俺いい店知ってるぞ」と、康司先輩。
「お前らな。女の子を前にラーメン屋はねぇだろ」と、巧実先輩。
「あれ。私、ラーメン大好きですよ?」…と、私。

 数瞬の沈黙の後、みんな一斉に吹き出して。笑いながら、夜の道を歩いていきます。
 北風が吹いても、自分はなんて幸せなんだろう。

「そうだ、大事なこと忘れてました」
「なんだ?」
 疑問を背にとたた…と小走りに前に出ると、くるりと振り向いて。
「メリークリスマス!」

 楽しき聖なる日を。
 先輩たちそれぞれに、それぞれの笑みが浮かんで。

「メリークリスマス」
「メリー・クリスマス」
「メリークリスマス…」

 少しだけ涙でにじんだ風景の中で。
 一瞬のきらめきでも、今のこの瞬間と、それを共有する仲間たちに――


 メリー・クリスマス




<END>



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