この作品は小説「マリア様がみてる」(今野緒雪/コバルト文庫) の世界及びキャラクターを借りた二次創作です。
「ウァレンティーヌスの贈り物」のネタバレを含みます。
You're My Only Shinin'Star
最近、祥子さんに元気がない。
講義が終わった今も、大学の机に頬杖をついてぼんやりと宙を見ている。
「祥子さん」
いつものように少しの勇気を払って声をかけても……
彼女は物思いから帰ってこない。この人の視界に私が入っていないのは、慣れてはいるけど、やっぱりちょっと悲しかった。
「祥子さん、授業終わったよ」
「……ああ。美冬さん」
顔を上げて、気のない声を返す祥子さん。
彼女らしくない。けど何となく理由の想像はつくし、こうなるんじゃないかという予想も多少はあった。
「悩み事?」
「別に。そんな大層なものではないわよ」
「祐巳さんのこと、かな」
正解だったらしく、彼女はむっとしたように視線を逸らす。
普段ならこれで話は終わる。それ以上踏み込めるような立場じゃないし、そんな度胸もないのだけれど……
その日はつい口が動いてしまった。だって、あの子がいた頃と、今の祥子さんの表情はあまりにも違っていたから。
「……会いに行けばいいのに」
けれど予想以上に険しくなった彼女の目に、私は情けなくも即座に後悔した。
「――まだ、卒業してからたったの2ヶ月じゃないの」
教科書を鞄にしまいながら、不機嫌そうに祥子さんは言う。
今は6月の初旬。祥子さんと私――鵜沢美冬がこの大学に入ってから、2ヶ月ほどが過ぎた。
新しい生活とはいえ、私のしていることは大して変わらない。相変わらず祥子さんを見つめたり、なんとか機会を作って話しかけたり。
そして彼女もまた、相変わらず周りとも自分とも戦い続けていたのだった。
「大学生にもなって妹離れできないのかなんて、皆に笑われるような真似はしたくないわ」
「で、でも。そんなに難しく考えなくても、少し顔を見せるくらいいいでしょう」
「美冬さん」
ぴしゃり、と音がしそうな口調に、思わず震え上がる。彼女の厳しい性格は好きだけど、いざ自分に向けられるとやっぱり怖い。特に私の場合、この人に嫌われたら人生の終わりだ。
「私たち姉妹の問題に――」
「あ、いたいた。小笠原さん」
助かった。教室の入り口から飛んできた声に、ついそんな風に思ってしまった。
声をかけてきたのは数人の女子大生。祥子さんは表情を消して、何事もなかったように肩の髪を払う。
「あら、皆さん」
「お昼行かない? 私らは学食だけど」
「そうね、ご一緒させていただくわ」
大学での新しい友人たちに誘われ、優雅に席を立つ祥子さん。
「んじゃ行こ。鵜沢さんもどう?」
「え、ええ。喜んで」
こんな時もおまけである私は、同じく席を立って後を追った。
大学生になってからも、彼女は色んな意味で目立つ人だった。
まずは今まで縁のなかった人たち――平たく言えば男性諸氏がひっきりなしに声をかけに来たけど、私がやきもきするまでもなく、全員すげなくあしらわれて終わった。
物珍しさにやってきて、興味本位で根ほり葉ほり尋ねようとする女性諸氏も同様。
残ったのは今私の前を歩いている人たち。知性的には祥子さんと対等の話ができて、人格的には祥子さんのきつい性格を許容できるという……要するに私が高校二年生の頃の三薔薇様のようなできた方々。それにひきかえ私ときたら、授業にはついていくのが精一杯、背も相変わらず低いままで、どうしても劣等感を抱えてしまう。
結局今も、こうして後ろからとぼとぼついていくのが関の山だった。
「小笠原さんは今日もお弁当?」
「そうね」
「いいなぁ、料理人さんが作ってくれるなんてさ。半分ちょうだいな」
「よろしいですわよ。あまり食欲もありませんし」
ぴくん、と反応する私の耳に、同じことを考えたのか友達の一人が、身をかがめて口を寄せる。
「小笠原さん、最近覇気がなくない? 遅めの五月病?」
「え、ええと……」
「美冬さん、余計なことは言わないで頂戴」
私もその人も、思わず同時に首をすくめる。
結局何も言えず、黙ってついていくしかなかった。
『私たち姉妹の問題に――』
口出ししないで。
そう言おうとしたのだろう。それは、私はただの部外者だけど。
目の前に見えても、手が届くことはないなんてあらためて実感するのは、やはり気の重いことだった。
バレンタインの一件以来、私は祥子さんの取り巻きくらいにはなることができた。
幼稚舎の頃のことは本気で忘れてしまったようで、話をしても「そんなことあったかしら?」と首をひねっていたけど、贅沢は言えない。認識してもらえただけでも嬉しいことだ。
話をするようになったおかげで、彼女の志望大学も知ることができたし。
ただ問題があって、私の学力からはかなり厳しい……どころか、日本で一、二を争うような大学だったことだ。
それでも、逆にチャンスにしようと勉強会を申し込んで、微妙な表情ながらも承諾してくれた彼女に内心で万歳三唱して……
けれど結果は、彼女と私のレベルの差を実感しただけに終わった。
黙々と勉強する祥子さんと、恐る恐るわからないところを聞くばかりの私という光景は、勉強会と呼ぶには無理があったろう。
その日の晩、もうやめようかと思った。
いつまでこんなこと続けるんだろう。最初から、祥子さんは私なんかとは住む世界が違うって、分かってるくせに。
それに、彼女の心が私を向くわけがないのに。あの人には祐巳さんがいて、私なんて未来永劫、単なるクラスメイトの一人でしかないのに――
でも。
想像してみたのだ。祥子さんがいない毎日がどんなものか。
あの人の声を聞けない。
戦っているその瞳も、颯爽と歩く姿も、流れるような髪も、二度と見ることができない。
嫌だ、そんなの。
机に突っ伏して泣きたくなった。彼女が私を向いてくれなくても、私は彼女以外の方向を向けない。
それから死ぬ気で勉強して、滑り込みだけど何とか結果は出た。彼女と私の縁は卒業後も続けることができたのだ。赤くも太くもない糸だったとしても。
だから何やかやで、私はたぶん幸せなのだと思う。
今もこうして、大学の食堂でお弁当を食べている祥子さんを、間近で見ることができる。それだけでも過ぎた特権だ。
でも、私はそれでよくても、祥子さんは。それに祐巳さんは…。
「どうなさったの、美冬さん。人の顔をじろじろと」
「あっ。ご、ごめんなさい」
眉根を寄せる祥子さんに、私は慌てて俯いて、昼食のパンを口に押し込んだ。
梅雨の間、状況は大して変わらなかった。
彼女はずっと憂鬱そうにしているし、私もその原因に見当がついていながら、何をすることもできない。
気晴らしになればと一生懸命話しかけてみたけど空回りばかり。それならと遠回しに祐巳さんのことを口にすると、かえって頑なにさせてしまう。
「いいこと美冬さん。スール制度はリリアンの中だけのことなの。リリアンを卒業したのだから、妹からも卒業するのは当然じゃないの」
「そういうものなのかしら。…私は、スールを作らなかったから何も言えないけど」
「そういうものなのよ」
そうなのだろうか。何だかひどく寂しい。
あんなに仲の良い二人だったのに。
あの二人だからこそ、私も納得できたのに。
(祐巳さん、どうしているのかなぁ…)
祥子さんは送り迎えの車があるので一緒に帰れず、私はひとり電車で帰宅。がたんごとんと揺られながら、ついそんなことを考える。
あの表情豊かな下級生が妹になってから、祥子さんは少しずつ変わっていった。
彼女ばかり見ていた私は嫌でも気づいた。祐巳さんと一緒のときの彼女が、他では決して見せない優しい表情をしていること。
悔しくないと言えば嘘になるけど、祐巳さんにはとっくの昔に負けていたから。だから素直に祝福できた。幸せそうな祥子さんを見るのは、本当に嬉しかったのだ。
ただ、私にもすべきことはあった。
さんざん先延ばしにして、それでも残したまま卒業はできないと、ようやく二人を呼び止めたのは1月になってから。
あの日、紅いカードがどんな変遷をたどったのかを、正直に話した。
「ごめんなさい、とんでもないことをしてしまったわ。その上、今まで黙っていて…」
ただでさえ低い頭を下げる私に、祐巳さんは慌てて手を振った。
「そ、そんな。気になさらないでください。気持ちは分かりますし。その、お姉さまとは結局デートしましたから」
ずきん、と痛む心臓を押さえつける。これで傷つくなんて身勝手すぎる。
許してくれる彼女に感謝しようと、口を開きかけた……その矢先。
「カードのことは私がとやかく言うことではないけど、後をつけられたのは気分が悪いわね」
そんな私の甘えた気分を吹き飛ばす、容赦のない声が降った。
嫌われた。パニックになって、半泣きになりながら謝る私を、手で制して。
「同級生なのだから、堂々と隣を歩けば良いじゃないの。知りたいことがあるなら聞きにいらっしゃい。私だってそこまで人嫌いではないわ」
それだけ言って、くるりと身を翻すと、彼女は髪をなびかせて去っていく。
私は、ぽーっとした目で見送るばかりだった。祐巳さんには申し訳ないけど、正直言って彼女の存在なんて綺麗さっぱり忘れていた。
「美冬さまは、お姉さまが好きなんですね」
なのでいきなりそう言われたときは、心臓が口から飛び出しかけた。
「え! あ、あの、それは」
「え、ええと…」
祐巳さんは困っている。それはまあ、私だって同じ立場だったら対処に困るだろう。
それでも、いくら彼女より背が低いといっても、もうすぐ卒業する最上級生だということを思い出して…
無理にだけど、何とか穏やかに微笑むことができた。
「気になさらないで。私から見ても、あなたたちは一番の姉妹だと思うわ。祥子さんの妹になったのが、あなたで良かった」
「美冬さま…。あ、ありがとうございます!」
素直な心でお辞儀する祐巳さんを見て、私はあらためて思ったのだ。この二人が結ばれたのは、きっとマリア様のお導きだったのだろうと。
その時のことが記憶にはっきり焼き付いているから、だからなおさら今の状態が納得いかない。
それは、高校での先輩後輩なんて、卒業後は疎遠になるのが普通なのかもしれないけど…。
家に着いて自室に戻りながら、こんなことなら姉妹を作っておくべきだったなんて、本末転倒なことを考えたりした。
いや、自分が助言できないなら、誰か姉妹を作った人に聞いてみようか。
そうだ。
あの人がいた。祐巳さん以外で、祥子さんが名前を呼び捨てにする人。友人というスタンスでも私は一番になれなかったけど、この際それはどうでもいい。
引き出しの奥から卒業者名簿を引っぱり出す。
それほど交流のなかった人にいきなり電話するのは勇気が要ったけど、それでも思い切ってダイヤルした。
大好きな人の側にいるくせに、これ以上何もできないのは許せなかったのだ。
翌日。
構内を探し回って、ようやく図書館で見つけた祥子さんに、私はおずおずと話しかける。
「祥子さん、今日のお昼は空いていらっしゃる?」
「昼食以外に用事はないけど、何か?」
「その……令さんがこちらへ来るって」
祥子さんは本から目を離すと、困惑気味の視線を私に向けた。
「あなたが呼んだのではないでしょうね」
「ち、違いますっ! その、ただちょっと話を聞きたかっただけで」
本当にそれだけのつもりだった。それは、電話をした理由として祥子さんの最近の様子をそれとなく話しはしたけど。
『そういえば祥子にもしばらく会ってないなぁ。そうだ、明日そっちへ行くよ』なんて言い出すとは、まったく予想していなかったのだ。
ちなみに話の方は『由乃? 毎日会ってるけど?』とのことで、何の参考にもならなかった。
「まったく、あなたも相当のお節介ね」
「ごめんなさい…。あの、駄目だったら私が断って…」
「何よ、それじゃまるで私が令から逃げてるみたいじゃないの。よくてよ、会おうじゃない。会えない理由なんてないんだから」
変なところで意地っ張りな祥子さんは、指定の場所を聞き出すと本を返しにつかつかと歩いていった。
そして昼休み。
校門で待っていた私たちのところに、令さんが自転車を走らせてやって来る。
『ごきげんよう』と懐かしい挨拶を交わし、自転車を脇に止めて口を開く令さん。
「祥子、祐巳ちゃんに会えなくて元気がないんだって?」
…ここまでストレートな人だとは思わなかった。
「美冬さん…」
「わ、私はそこまで言ってませんっ!」
「でもそうなんでしょう。呆れた、卒業したからって遠慮しても仕方ないでしょうに」
私は毎日由乃に会ってるしね、と続ける令さんが妙に得意げなのが、祥子さんの癇に障ったらしい。
「あなたたちが特殊なだけでしょ。私と祐巳は従姉妹でも家が隣でもないんだから、ずっと一緒にいられるわけじゃない」
一気に言ってから、不意に…
彼女の瞳によぎる寂しそうな影に、私は胸の奥を掴まれた。
「今……会ったって、いつかは卒業しなくちゃいけないのよ。一生続くわけじゃない。――リリアンにいた頃は、考えもしなかったけど」
…そう、なんだ。
あの頃は考えもしなかった。リリアンの中がすべてだったから。言われてみれば、姉妹なんて長くても二年間だけのことでしかない。
でも…
優しい目をしていた令さんが、ゆっくりと口を開く。
「でもね、祥子」
「でもっ…!」
それを、私が遮ってしまった。言わずにはいられなかった。
「でも、少しくらい抵抗したっていいでしょう? いつかは離れなくちゃいけないとしても、今離れる理由なんてない」
「そんなの、単に先延ばしにするだけではないの。何の意味があるのよ」
「だ、だけど。そうだ、祐巳さんの気持ちはどうなるの? きっと寂しがってる」
「あの子は強い子よ。今は妹もいるし、お祖母ちゃんの出る幕なんてないわ」
「そんなことない! どうして? そんな簡単に割り切れちゃうの…」
きっと、祥子さんが正しいのだろう。
私は無茶苦茶なことを言ってる。本人が割り切っているのに、私が口を出してどうするのだろう。
でも、あの頃の幸せそうな二人が頭から離れない…。
気まずい沈黙が流れた。
何か言わなきゃ、と気ばかり焦った私は、結局それ以上何も言えなくて。
しばらくして、不機嫌そうに祥子さんが口を開く。
「……行ったわよ」
え?
どんな予想からも外れた言葉に、まず意味が理解できなかった。
「見に行ったのよ。祐巳が寂しくて泣いてるんじゃないかって、こっそりと物陰から」
ぼそぼそと、祥子さんらしくなくそっぽを向いて言ってから…
半ば自棄気味の、大きな声が響いた。
「とっても元気そうだったわよ、祐巳はっ!」
石像のように固まった私の隣で、数瞬の静寂の後、令さんが笑い出した。
「あ、あはははは! な、なんだ、落ち込んでいた本当の理由はそれ?」
「何がおかしいのよッ! まったく、だから言いたくなかったのに…」
「ごめんごめん。あ、あはは…。それならまあ、仕方ないよね」
まだ状況を理解できず、ぽかんと間抜けな顔をしている私に、令さんはそっと耳打ちする。
「美冬さん、あなたの勘違いだったみたいよ」
さあっと血の気が引くのと、耳まで真っ赤になるのと、どっちが先だったろう。
「ご、ご、ご、ごめんなさいっ!!」
とにかく凄い勢いで頭を下げた。
とっくに会いに行っていたのだ。私があれこれ言うまでもなく、会いに行ったからこそあんな顔をしていて、それで…
どうしてこう、私は祥子さんのことになると、馬鹿なことばかりしてしまうんだろう。
「まあまあ。それは祥子はショックだったかもしれないけど、たぶん空元気でしょう。祐巳ちゃんのは」
「そんなことは分かってるわよ。でも、空元気だとしたって、祐巳が頑張ってるんだから私が弱音を吐けるわけないじゃない」
器の大きい二人の会話に、私は小さくなって消えてしまいたい気分だった。
祐巳さんだって。今や彼女は紅薔薇さまで、妹だっている。私みたいに、祥子さんのことだけ考えていれば良い立場とは違うのだ。
なのに自分を基準に考えて、寂しがいに決まってるなんて失礼なことを…。
「ごめん……なさい。本当に…」
「いいわ。私の方が隠していたのだし。あなたに心配させるような顔をしていたのは確かでしょうから」
「そうね。何でも一人で抱え込もうとする祥子が一番悪い」
「うるさいわね。こんな恥ずかしいこと人に言えるわけがないでしょう」
二人の気さくなやり取りが、なおさら手の届かない場所であるように思えて。
顔を上げられない私だったけど、その肩が軽く叩かれる。
「これに懲りずに、また心配してあげてね。祥子の一番近くにいるのは、今はあなたみたいだから」
それだけ言って、令さんは自転車にまたがり颯爽と帰っていった。
令さんはああ言ってくれたけど、応えられる自信がなかった。
今回のことだって、祐巳さんなら祥子さんの心をちゃんと汲み取って、支えになってあげられたのだろう。なのに私ときたら。
「あなたが落ち込んでどうするのよ」
呆れ半分、慰め半分で、祥子さんは言う。
「話してすっきりした部分もあるし、まるで無駄だったわけじゃないわ。少しはしゃんとなさい」
「は、はい」
反射的に背筋を伸ばす私に、祥子さんは校舎の時計台を仰ぎ見た。
「そろそろ戻らないと、お昼が食べられなくなるわね。行きましょう、美冬」
「はい。……えっ?」
さっさと歩き出す彼女に、私は耳を疑ったまま動けないでいる。
「あ、あの。今、美冬って…」
「何よ、嫌なの?」
振り向いて、腰に手を当て不満げに言う祥子さんに、声も出せず、ぶんぶんと首を振る私。
「だっておかしいじゃないの。令は呼び捨てなのに、あなたはさん付けなんて」
「あ、あの、そのええと…。そ、それなら私も祥子って……呼んでもいいの?」
「聞いてどうするのよ」
また、呆れられてしまった。でも…
「好きなようにお呼びなさいな。嫌ならそう言うから」
こうやって、思ったことをはっきりと口に出せる姿に、ずっと憧れていた。
「え、ええ。祥子さ……祥、子」
彼女は何も言わなかったけど、柔らかな目で頷いて、再び歩き出す。
(祥子)
心の中で、もう一度言ってみる。胸が苦しい。
私にとって宝物のような名前。
私の人生のほとんどで、その名前を思わない日なんてなかった。
早足で校舎に戻る彼女を追いかける。梅雨が明けきらない雲の下で、慌てて転びそうになって…
つんのめる自分を支えた弾みに、とうとう、口からこぼれ落ちた。
「好き……」
彼女が足を止める。
私も思わず口を塞いで、でも一度出た言葉が消えるわけじゃない。
何を言ってるんだろう、今頃になって。手の届かない人だって、何度も自分に言い聞かせてきたのに。
彼女は一瞬だけ迷ったようだった。聞かなかったことにするかどうか。でも……
自分にも他人にも、中途半端ということを許さない人だった。
「それはどういう意味の『好き』かしら」
私の目を見つめながら、はっきりと。
私は崖際に追いつめられた。明確にさせることを彼女は要求している。逃げられない。
いや、逃げることはできるのだ。『友達として』と、そう言えばいい。
彼女だって、その答えの方が有り難いのだろうし――
「私……」
でも。
そうじゃないことを、私が一番よく知ってる。
ただの友達と思えればどんなに楽だったか。けれど、想うことだけは止められない。
「あ、あの…」
彼女は黙って聞いてくれる。
「こんな時に言うのは卑怯かもしれないけど。
私なんかが、おこがましいことなんだろうけど、でも。
でも子供のころから、私は……」
顔を上げて、堂々と言うのは無理だったけど。
届くだけの声は、出せたと思いたい――。
「ずっと好きでした――世界中で一番、あなたが好きです」
言ってしまった。
一生、言わないつもりだったのに。ああ、でも。
笑われるんじゃないかとか、迷惑がられるんじゃないかとか、そんな恐怖は、ないわけじゃないけど小さなものだった。私の好きになった人は、きっと真剣に答えてくれるから。
「ありがとう、気持ちは嬉しいわ。でも――」
だからその言葉も。
意外なほど、落ち着いて聞くことができた。
「ごめんなさい。あなたの気持ちには応えられない」
「――うん。知ってた」
奇妙な話だけど、どこかほっとしていた。
顔を上げる。笑えたかは分からないけど、そう努力して。
「でも、話がしたい」
「構わないわよ。もちろん」
「…見ていたい」
「ご自由に。見て面白いかどうかは知らないけれど」
「近くにいたい。――友達で、十分だから」
彼女は微笑む。そのたびに、心はどこまでも惹かれていく。
「物好きな人ね。正直、私はそこまで想ってもらえるほどの人間じゃないわよ。怒りっぽいし、好き嫌いも多いわ」
「うん、分かってるつもり。見ていた時間だけは自信があるから」
ちょっと複雑な表情の祥子に、私もようやく微笑むことができた。そして
「行こう」
初めて、私からそう言えて。
そして並んで歩き出す。見上げる横顔はやっぱり綺麗。手を取ることも、腕を組むこともできないけど。
それでも、私はこんなに幸せなのだ。
ねえ。
一生続くわけがないって、あなたは言ったけれど。
私はきっと、いつまでもあなたのことが好きだと思う。
一生だなんて言えないけど、側にいるね。できるだけ長く。
空にある星に、手が届くことはないかもしれないけど…
私にはあなただけが、たったひとつの輝く星だから。
<END>
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