「それじゃ今日の練習はここまで!」
「ありがとうございましたーーっ!」
 私立校のわりに水泳部以外はあまりぱっとしないきら校だったが、女子バスケ部は最近なかなか元気がいい。大黒柱・鞠川奈津江と名手・藤崎詩織を筆頭に、とりあえず全国大会出場へ向かって、もちろん優美もレギュラー目指して頑張っていた。
「あーもうだめー、死ぬー」
「このぐらいでなに言ってんの。紗衣ってばだらしないぞっ!」
「優美は元気でいいわよねぇ…」
 しかし部室でみんなが帰り支度を始める中、優美と紗衣(さえ)がちょっとロッカーをふさぐ形でしゃべっていたものだから、1人の少女に冷ややかな声を浴びせられる結果となった。
「邪魔」
 しーんと部室が静まり返る中優美があわてて道をあけるが、相手はぷいと視線をそらせたまま何も言わない。さすがに紗衣が食ってかかる。
「あんたねー!」
「お、落ち着いて紗衣っ!桂ちゃんごめんねっ!」
「‥‥‥‥‥‥」
 優美が必死で止めてる間に着替えを終えると荷物を持って部室を後にする。彼女の姿が消えたとたん、いっせいに非難と不平が輪唱した。
「なーにあいつ!」
「あーもう腹立つ!」
「ち、ちょっとみんなやめなさいよ」
「でもキャプテン!」
「チームメイトじゃない、ね?」
「…はぁ」
 奈津江と詩織が必死で沈静化をはかる中、ひとり優美は彼女の出ていった先を見つめて小さくため息をついていた。





優美BDSS: 子供以上、大人未満






 秋葉桂(けい)、最近転校してきたばかりの2年生。前の学校でもバスケをやっていたらしく、バスケ部に来たときは優美も仲良くしようと気軽に声をかけたものだった。が、
「あのね、優美早乙女優美っていうんだよ。これからよろしくね!」
「…あ、そ」
「‥‥‥‥‥」
 その態度で1日目で早くもほとんど全員の反発を買った。しかもバスケットの腕はかなり上手だったのでなおさら嫌われた。
「もうちょっとましなパス出してくれる?これじゃ試合で使いものにならないから」
「そ、そこまで言うことないでしょ!」
「優美ちゃん落ち着いてっ!」
「だってぇ先輩ぃぃっ!」
「ふん」
「〜〜〜〜〜!!」
 まあそんな感じで怒りここに極まれりといった優美は、その日の放課後下校の同伴者にぶちまけることになるのである。
「それでねその子ったらひどいんですよ。もう優美頭にきちゃうなぁ!ちょっとバスケットがうまいからってきっといい気になってるんですよね!許せませんよね!!」
「まぁまぁ、そうカッカしなさんなって」
「だってぇぇぇ〜〜〜」
 恨めしそうに見る優美に、憧れの先輩は苦笑して言った。
「きっとまだ転校してきたばかりで馴染めないんだよ。向こうも本当は仲良くしたいと思ってるんじゃないか?」
「そうかなぁ…でも普通あんな言い方されたら怒りますよぉ」
「そこを怒らずにうまく受け流してやるのが大人ってもんさ」
「大人…」
 その響きに惑わされた優美は歩きながらしばらく考えていたが、別れ道に来て急に高らかに宣言する。
「そうですよね!優美怒らないであの子と仲良くしてみます!だって優美大人だし!」
「そ、そお?」
 そんなわけで次の日から、部の中で孤立する桂にただ1人声をかける優美の姿が見られるようになった。親友の菱川紗衣はやめておけと言うのだが、一度突っ走ると止まらない優美である。
「ねえ桂ちゃん、バスケ上手だね」
「‥‥‥‥‥」
「子供のころからやってたの?優美尊敬しちゃうなぁ」
「尊敬する暇があったら練習したら?」
「あ、うん、そうだよね。さすが桂ちゃ…あ、ちょっと」
「‥‥‥‥」
 立ち去る彼女の一瞬振り向いた視線は『なんであんたにそんな馴れ馴れしくされなきゃなんないのよ冗談じゃないわよ』と無言の声を帯びていた。そんなこんなで優美の友達作戦はなかなか進展しないまま冒頭の出来事となるわけである。



 新しい学年にも慣れると、優美の誕生日も近くなる。
 もうすぐ17歳。世の中には18歳で成人となる国もあるから大人になる前の最後の1年だろうか?でも周りは皆優美のことを子供っぽいと言い、優美もうすうす自覚しないでもないような気はしていた。
「優美が大人なら桂ちゃんとうまく付き合えるのかなぁ…」
「やめときゃいいのに…」
「優美のどこが子供っぽいんだろ」
「自分のことを名前で呼ぶ大人がどこにいんのよ」
「うぐぐ」
 天気のいい昼休みの教室。優美は返事の代わりに自作の多少は進歩しているお弁当を口に突っ込んで唸っていたが、ふと廊下を歩く問題の人物の姿を見つけた。
「おーい桂ちゃ…むぐぐ」
 今度のはご飯を喉に詰めたのでなく、紗衣に口をふさがれた音である。
「ぶはっ、ひどいなぁ紗衣!」
「あんたまさか『一緒にお昼食べよー』とか言うつもりだったんじゃないでしょうね!」
「読心術?」
「読心術でなくても読めるわっ!あたしはヤだからねあんなのと一緒なんて!」
 優美は少し白い眼で紗衣を見ると、腰を下ろしてため息をつく。
「紗衣…もうちょっと大人になろうよ。優美みたいに」
「ハッ、嫌なことはできるだけ避けるのが大人でしょぉ。なるべくうまく立ち回って波風立てず生きてくのが大人ってもんよ」
「あんた将来ロクな大人にならないね…」
「ほっとけ!」
 優美は残りの弁当を押し込むと、バン!と勢いよく立ち上がった。
「とにかく優美諦めないんだもん!絶対桂ちゃんと仲良くなってみせるんだからね!」
 もぐもぐと口を動かしながら桂の後を追う優美を、紗衣は肘をついて見送りながら、小さなため息とともにしみじみと口にするのだった。
「ガキ…」

「桂ちゃーーん」
 きょろきょろと桂を探して体育館まで来た優美は、床に弾むバスケットボールの音を耳にした。この時間ならまだみんなお昼を食べていて体育館で遊ぶ者はいないはずだが?
「桂ちゃん…」
 桂は一人で練習していた。普段なら偉いと感心するところだが、なんだか今日はすごく悲しく見えた。
 バンッ
 バウンドしたボールをそのままゴールに入れる。こちらの方は見ようともしない。
「ね、ねえ」
 上履きを脱いで靴下のまま上がった。シューズは部室に置いてある。
「優美も手伝うよ。二人でやった方がうまくなるもんね!」
 バンッ
 完全に無視されてさすがにちょっとカチンとくる。自分はこれだけ譲歩してるのに…。
「ねえ!」
 ドリブルを遮るように割り込む優美を、桂は思いっきりにらみつけた。
「なんなのよあんた!」
「なにってことないもん!…はっ!怒っちゃダメだっ!」
 無理にひきつった笑顔を作って、友好的なつもりで腕を広げる。
「ねえ、そんな怒っちゃダメだよね。優美桂ちゃんと仲良くしたいだけなんだよ」
「…信じられない。私なんて嫌われ者だもの」
 そんなことない、という風に優美はにこやかに言った。
「だって優美大人だもん」
「っ!」
 パァン! 平手打ちの音が体育館に響いた。


 放課後、優美はうなだれたままとぼとぼと通学路を歩いた。叩かれた頬がまだちくちく痛い。
「そんな気を落とすなよ、雨降って地固まるっていうしさ」
「はい…」
「うーん…。ごめんな俺が余計なこと言ったせいで」
「せ、先輩のせいじゃないです!」
 自分が子供だった。「優美大人だもん」なんて言えば、「あんたは子供だけど大目に見てあげる」と言ったようなものである。(と紗衣に指摘されて初めて気づいたのだが) 実際は自分一人だけ子供だったのかもしれない。向こうにしてみれば優美の今までの態度すべて思い上がりと映ってたのかもしれない。
「もう嫌われちゃったかなぁ…」
「あんまり無理しない方がいいぞ。押してもダメなら引くのもまた大人だ」
「はぁ…」
 彼女は孤立してるから、自分がなんとかしてあげなきゃって思ってた。自分は何がしたかったのだろう?


 優美の部屋にはバスケットのゴールがかかってる。もちろん本物じゃなくて子供用の玩具だが、確かさんざん泣きわめいてようやく買ってもらったものだったと思う。今泣きわめいて相手してくれるのは先輩くらいだろう。少なくとも両親の前でやれば殴られるのがオチだ。
 ぽい、とビニールのボールを投げてリングを通す。一体なんだってこんな苦労をしてるんだろう?
「あーもう優美知らないっ!」
 泣いてもわめいても問題は解決しない。もう子供じゃないから。ううん、子供でもいい。無理に背伸びしようとしたのが間違いだった。優美は子供なんだから…
「おう優美、生きてるかー?」
 ノックする兄の声が聞こえ、優美はどよんとした目でドアを開けた。
「…なぁに、お兄ちゃん」
「おーおー、くさってるねぇ」
「どうせ優美は腐ったミカンだもん!お兄ちゃんみたいに気楽じゃありませんよーだ!」
 言われてもどこ吹く風の平気な顔で好雄は優美の椅子に腰を下ろす。その太い神経が今は実にうらやましい。
「秋葉桂のデータ、いるかい?」
「…先輩から聞いたんだ」
「ま、な。そうふくれた顔しなさんなって。人間気楽が一番よ。世渡りのことなら俺にまかせとけよ」
 好雄は優美を気遣って言ってくれてるのはわかる。優美はベッドに腰かけて、足をぶらぶらさせつつ考えた。でもうまく桂と付き合えたら、それで優美は満足なのだろうか。昨日まではそうだったかもしれないけど、今日の今日あんな失敗をした後で。
「ねえお兄ちゃん」
「ん?」
「大人ってなんだと思う?」
 うつむいたまま尋ねる優美に、好雄も少し視線を外した。
「…俺も大人について語れるほど大人じゃないからなぁ」
「…うん」
「でもな、なんで自分は大人になりたいかと考えるのも…。ああ駄目だ、こんな説教俺には似合わん。ま、後で親父かお袋に聞いてみな」
 優美が足をぶらぶらさせたまま答えないので、好雄は命より大事なメモ帳から1枚破くと優美の机の上に置いて部屋を出た。立ち上がって手に取ってみる。ずっとバスケをやっていた以外は、ほとんど空欄のままだった。たぶん誰にも自分のことは話さないのだろう。
「ねぇ桂ちゃん」
 彼女の名前を指でなぞりながら、優美はぼんやり聞いてみる。早く大人になりたいと、いつもそう思ってたのは誰だったろう。優美が子供だから思うことだった。でも桂のやってることだって大人だとは思わない。
「大人ってなんなのかなぁ…」
 ぼんやりとそんなことを聞きながら、その日の夜は更けていった。


 次の日から桂は優美が話しかけても無視するようになってしまった。
「桂ちゃ…」
「ちょっと優美!」
 ポニーテールを引っ張られて思わずリボンごと頭を押さえる。
「い、痛いなぁ紗衣!」
「あんたもういい加減にしときなさいって!」
 紗衣に言われてる間に桂はすたすたと次の練習に移る。目に涙を浮かべて優美は紗衣に振り向いた。
「ほらっ紗衣のせいで!」
「ちょっと来なさい」
「いたたたた、痛いようっ!」
 ほとんど馬のしっぽ扱いされるポニーテールに悲鳴を上げつつ、優美は体育館の外へ連れてかれた。
「あのさあ、優美って学習能力ないの?相手にひっぱたかれたのにまた同じことする普通?」
「そ、そんなの優美の勝手だもん!」
「あーそりゃ勝手ですけどねぇ。今まで黙ってたけどあんたってほんっとガキ。考えってもんがないの?ぶつかってけばそれでいいなんて小学生までだからね」
「考えてるよっ!考えてるけど…」
 いろいろ考えたけど、明白な答えが出るわけでもない。だってまだ大人じゃない。詳しいデータの埋まらない好雄のデータのように。
 でもあのメモにあった一番大事なデータ。彼女は小学校からバスケットを続けてて、中学でも活躍して、きら校に来ても真っ先にバスケ部に入部した。それで十分だから、好雄も優美に残してくれたのかもしれない。
「桂ちゃんもバスケットが大好きなんだよ。優美も大好きだもん。きっと友達になれたらすごく楽しい、一緒にバスケットができるんだよ。だから優美、絶対にやめないもん!」
「‥‥‥‥‥」
「…それでどうするかっていうと、やっぱり何も思いつかないんだけど…」
 紗衣はため息をついて頭を押さえた。本当に子供の言うことだ。バスケットボールが好きだから友達になりたいんだなんて、そんな甘いことよく言える。
 でも自分も優美のそういうところが好きなこと、だからこうやってお節介を焼いていることを、渋々ながら認めるしかなかった。優美を見放すほどの大人には、まだなってないしなりたくもない。
「あーもう、わかったわよ。勝手にやってみれば?どうせあんたの人生なんだし」
「言われなくたってそうするもん!やっぱり優美のお誕生会に呼んだ方がいいかなぁ?紗衣も来てくれるよね?」
「はーいはい。でもあいつ普通に呼んだって絶対来ないわよ。何か考えないとね…」
 長く話しすぎた。鞠川キャプテンも普段は優しいが怒ると怖いので、優美と紗衣は話を後にして小走りで練習に戻っていった。

 しかし戻った先ではちょっとした事件が起きていた。
「なんで私が試合に出られないんですか?」
 食ってかかってるのは桂で、かかられてるのは奈津江である。周囲を取り囲む部員たちに優美と紗衣も何事かと必死で割り込む。そこをいきなり桂ににらみつけられて、優美の顔から一瞬血の気が引いた。
「私の方が早乙女さんより技術は上だと思います」
「ち、ちょっと落ち着いてよ。参っちゃったな…」
 要するにインターハイのレギュラーの話らしい。一応優美はレギュラーの端っこに引っかかってたが、桂も入ったし他にも上手い人はいるしそのへんは試合ごとに決めるのだと思っていた。しかしどうやら桂は気に入らなかったらしい。あるいは昨日優美があんなことしたせいかもしれない。
「秋葉さん、確かにあなたの技術は皆が認めるところだわ」
 困惑する奈津江を見かねて、副キャプテンの詩織がずいと前に出た。
「でもバスケットボールは全員でやるものよ。あなたのプレイには他人に合わせようという気がまったくない。それではレギュラーとして使うわけにはいかないわ!」
「し、詩織!なにもそんなハッキリ言わなくても」
「詩織先輩の言う通りよ!だいたいあんたいきなり出てきて生意気なのよ!」
「優美ちゃんが可哀想でしょ!」
 いっせいに周囲の部員たちからブーイングの嵐が巻き起こり、それに対して桂の目がいっそう険しくなる。あわてて詩織が鎮火に入るがもう遅い。
「あのねみんな、私はただ秋葉さんに考えを改めてもらおうと…」
「そんなに嫌ならこの部出てきなさいよ!」
「そうよそうよ!!」
 桂はぎゅっと拳を握ったまま全員をにらみつけていた。誰も味方のいない自分がこうなることは分かっていたはずなのに、なんであんなことを言ったのだろう。
「みんなやめてよっ!」
 優美が桂をかばうように飛び出して、思わず桂は息をのんだ。でも考えてみれば優美ならやりそうなことだった。だから、
「余計なことしないで」
「桂ちゃんも、詩織先輩の言う通りだよぉ。上手なんだからもっとチームプレイをね」
「余計なこと言わないで!私は仲良しごっこやりにここに来てるんじゃないわ。なんであんたみたいに甘ったれたバスケしかできないやつがレギュラーやらなきゃならないのよ!」
 その言葉はさすがに許せなかった。ついさっき『バスケが好きだから』友達になりたいと言ったばかりなだけに自分のバスケを馬鹿にされるのは許せなかった。紗衣が止める暇もなく優美が切れた。
「桂ちゃんのわからずや!」
 ビンタなどではない、胸ぐらをつかんで床にたたきつけようとするのを奈津江があわてて掴んで止める。足をじたばたさせながら優美はわめいた。
「じゃあいいよ、優美が勝負して勝てばいいんだよね!勝負は1週間後だよ、今さら謝っても遅いんだからね!!」
「ちょっと優美ちゃん何言ってるのよ!」
「…いいわよ、それで」
 そう言って桂はきびすを返すと練習の途中にもかかわわらず体育館を出た。たぶん『出てけ』と言われたから一人で練習する気なのだろう。どうしてわざわざそんなことをするのだろう。どうして……
 はっとわれに返った優美は、自分に集まる視線にまた馬鹿なことをしでかしたことを知った。


「ああーもうどうしよう…」
「どうする気なんだか」
 紗衣のジト目に返す言葉がない。こうやって考えなしに突っ走るところ直そう直そうといつも思ってるのに、実行がちっとも伴わないのだ。
 でも過ぎたことをくよくよ言ってももう仕方ない。それにもしかして勝負して勝てば桂も優美のことを認めて打ち解けてくれるのではなかろうかと思えばまあこれで良かったのかもしれないし。
「優美が一向に進歩しない理由がよく判ったよ…」
「だ、だってほかにどうしようもないんだもん!とにかく1週間で特訓だよっ!」
「1週間で秋葉より上手くなれるほど世の中簡単なわけ?それじゃあたしが1年間も練習してきたのって一体何?」
「イヤミばっか言ってないで手伝ってよぉ〜。優美が桂ちゃんに勝てたらなんでも好きなものおごっちゃうよ」
「気象庁の梅雨明け宣言なみにあてになんないわね…」
 とりあえず明日の朝早く来て練習しようと言う優美と死んでもごめんだという紗衣の間で論争が起こりかける中、後ろからポンと優美の頭に誰かの手が置かれた。振り返ると馴染みの年長者二人が立っている。
「よっ、優美ちゃん」
「せ、先輩!?それにお兄ちゃんまで!」
「藤崎さんから聞いたんでな。正義のお助けマン参上ってとこか?」
「て、手伝ってくれるの?」
「ま、な」
 一瞬だけ、また頼ることに抵抗感を感じたが、そんなこと言ってる場合じゃないとすぐに振り払った。二人が手伝ってくれるのは別に優美が子供だからだけじゃないと思う。
「それじゃお願いしますね!よぉし、優美これからドリブルで家まで帰ります!」
「それは危険だからまた今度にしようね…」
「うぅ、それじゃ明日の朝絶対練習しましょうね。お兄ちゃんも起きなかったらたたき起こすからね!」
「へいへい、なんかいきなり後悔してきたよ俺は」
「んじゃあたしは別にいいよね」
「紗衣ぇぇ〜〜」
 4人で並んで校門を出ながら、ここに桂も一緒にいてくれたらきっと楽しいと思ったりもした。いや、必ずそうしてみせる。思い描いた未来を引き寄せようと思うのは、誰だって当たり前のはずだ。
 そんなことを考えていたから、桂自身が校舎の窓から優美たちをじっと見ていたのには、優美はまったく気づかなかった。


「ひー、つかれたよぉー」
 翌日から毎日優美の特訓が始まった。好雄はともかくもう一人の彼はバスケ部員だから優美も容赦なくしごかれる。「あいつも一応責任感じてるらしいぜ」とは好雄の弁だったが、正規の部活に加えてなのでへとへとである。おまけにマンガみたいにめきめき上達ともさすがにいかない。たまに付き合う紗衣もあきれ顔だった。
「なんでこんな苦労してるんだか…」
「別に苦労じゃないもん」
「もっと楽な方法あるんじゃない?」
「いいの!大変だからやってるんだよ!」
 そんなこんなで今日も足を引きずりながら家に帰り、ゆっくりとお風呂につかりながら桂のことを考えたりした。体を休めて部屋に戻ろうとすると居間からなにかいい匂いがする。行ってみれば父親がスルメとビール片手にプロ野球に見入ってるとこだった。
「ねえねえ、優美にもスルメちょうだい」
「なんだ、夕飯食べたばっかでしょうがない奴だな」
 スルメをかじりながらやっぱりこういうとこが子供っぽいのかと勝手に落ち込む優美である。
「ねえお父さん」
「なんだ?…ああくそ三振か」
「大人って大変だよね?」
「ん?」
 野球がCMに入ったので、サラリーマン歴ン十年の父はあらためて優美に向き直る。
「そりゃまあ大変だなぁ」
「子供に戻りたいとか思うときある?」
「うーん、それはないな」
「なんで?」
「そんなこと言ってたら大人として失格だからなぁ」
 そう言ってビールを一気に飲み干した。コン、とコップをテーブルに置いて、優美の目をまじまじと見る。
「どうしたんだ?いつも子供扱いするなとうるさいお前が」
「そ、そんなにうるさかったかなぁ?」
「この前だって買ってきた服がガキっぽいって文句言ってたじゃないかい。しかも3日後にはもう忘れて平気で着てるときたもんだ」
 いつの間にか母も来て皿の上のスルメを1つつまんだ。優美は返す言葉もなくスルメを取る。なんか3人で取り合ってあっという間にお皿の上は空になった。
「大人になるのも大変だってわかったんだよ」
「なに言ってんだい、早いとこ大人になってもらわないとこっちが困るよ」
「そうだぞ、うちは子供の成長を切に願う親だからな。別に面倒見るのがかったるいとかいうんじゃないぞ」
 憮然として口の中に広がる味を味わいながら、それでも優美もその方がいいと思う。今まではただ背伸びしようとしてただけ。今度からはちゃんと背を伸ばして…。
「お、なんかいい匂いするじゃにゃいか」
「もうないよお兄ちゃん」
「なんて冷てぇ家族だ!」
 だって大人になるのは大変だから。簡単なら別にしなくてもいい。大変だからこそ、逃げたら自分が情けないだけだと思うのだ。
「ねえお兄ちゃん」
「ん?」
「優美、桂ちゃんの気持ち分かれるようになるかな?」
 空っぽの皿をうらめしそうに見ていた好雄が、ぽんぽんと優美の頭を叩いた。両親も事情は知らなくてもなんとなく通じる。
「ぶつかりゃ何かが残るって」
 今はよく分からない。でも、だから、分かれるようになりたい。


 そしてあっという間に1週間後はやってくる。なんにせよ自信だけはついた。
「よーし、優美頑張るからね!」
 1対1で先に10ゴール入れた方が勝ち。奈津江と詩織は重い気分で開始を宣言した。優美をレギュラーに選んだのはチームプレイを買ってであって個人の技術からではない。こんな勝手な勝負初めて、桂が勝ったら彼女をレギュラーにしなくてはならないのだろうか…。
 しかしそんな先輩たちの不安を振り払うように、優美は積極的に攻めに出ていった。
「えいっ!」
 桂も横っ飛びでかわしてドリブルに入ろうとするが、瞬時に優美が道をふさぐ。しぶといディフェンスに桂のシュートは優美の指に当たってわずかに外れた。
「速攻!」
 ゴールに近かった優美がわずかの差でリバウンドを取る。背は優美の方がいくぶん低いが、その分重心を低くしたスピードの乗ったドリブルで一気にゴールの前に詰め寄る。
「打っちゃえ優美!」
「うんっ!」
「くっ!」
 紗衣のかけ声とともに思い切ってシュートにいった。無謀な行動に反応の遅れた桂の手を逃れて、ボールはリングをくるくる回るとストンとネットに落ちる。
「やったぁ!」
「やるじゃない優美ちゃん!」
 いっせいに沸く歓声。ラッキーと言っても実力あってのラッキーである。奈津江と詩織も思わず見直した。
 バン!
 しかしその空気に苛立つように桂がボールを床に思い切りバウンドさせる。
「次!」
「あ、う、うん!」
 桂の素早い動きに優美は必死で食らいついていった。すぐに桂が取り返し、負けじと優美も速攻をかける。一進一退の攻防が続く中、周囲の声も大きくなっていく。
「優美の奴もなかなかやるもんだなぁ」
 2階席のギャラリー約2名の片割れが感心するように呟いた。
「確かに優美ちゃんも大した気迫だが…。相手の子の動きが悪いってのもあるな」
「…ま、あれじゃな」
 桂の味方は誰もいなかった。みんなが優美を応援していた。
 とうとう桂に逆転され、ボールだけを追っていた優美が8点目を入れて再度同点に追いつく。そこでようやく一息ついて周囲の状況に気づいた。桂が辛そうなことにも。
(桂ちゃん…)
 彼女もバスケが好きなはずだった。だから優美も友達になれると思ったのだ。
 でも今の桂のプレイは楽しさなんて何もないように見えた。ただ自分を傷つけるために。無表情なはずの彼女の顔が、必死で泣くのを堪えてるように。いや、泣くことも許されないで。
「何ぼーっとしてんのよ!!」
 桂と紗衣の同時の叫びにはっと我に返る。優美を抜き去った桂のシュートコースに必死で飛び出すが、心臓は今までにないほど悲鳴を上げていた。あっさりとフェイクに引っかかり、タイミングを外されたところに桂のシュートが決まる。9対8。もう後がない。
「…何考えてるのよ?」
 桂にキッとにらみつけられた。全身で同情を拒んでいる。自分が一人なのを知ってるのに、誰も近づけようとしないのだ。
(頑張らなくちゃ…)
 もう息が荒い。さすがに本来の実力の差は隠しようもない。応援の雨も桂の前ではかえって足枷となる。でもそんなこと考えてちゃいけない。大好きなバスケットボールだから、大好きな桂だから負けちゃいけない。
「いくよ!」
 桂のディフェンスの厳しさは変わらない。楽しくなんてないはずなのに。
 もし勝ったら、彼女は笑いながらバスケットボールをしてくれるだろうか。
「そこだ優美ちゃん!」
「はい!先輩!」
 2階からの声に体が反射的に反応する。周囲の視界から優美の姿が一瞬消えたように見えた。バスケ選手としては低めの身長を逆に生かして、身をかがめ下からくぐり抜けるようにダッシュでディフェンスを突破する。
「しまった!」
 抜かれはしたものの即座に反応する桂。レイアップしていては間に合わないので、優美は両手でボールを掴み下から放り投げるようにシュートを放った。
「よし!」
 特訓で練習した技がみごとに決まる。ゴールを通って落ちるボールに優美は思わずガッツポーズ、周囲からはいっせいにコールが起こった。
「あと1点!」
「あと1点!」
 はっと桂の姿を見て後悔する。でも必死で顔を振って頭の中から追い払った。
「さあ来い、桂ちゃん!」
 既に二人とも息は上がっている。にもかかわらず今まで以上の激しさでボールの取り合いは続いた。桂は辛そうだった。早く終わらせたがっているように見えた。
「あっ!」
 優美の手が桂からボールをはじき落とす。そのままドリブル。桂は追ってこなかった。コートの真ん中でぎゅっと拳を握りしめて、下を向いたままだった。優美がレイアップを放つ。いつも、シュートを打つときは期待と高揚感がわき上がるのに、今は心臓が刺すように痛いだけだった。
 バスッ
 音を立ててボールがネットに吸い込まれる。
「やったあ優美!」
「すごいすごーい!」
 紗衣を先頭に駆け寄ってくるみんなの姿に、一瞬優美は凍りつくような恐怖に似たものを感じた。誰も桂を見てない…。
「桂ちゃん…」
 仲間たちにもまれる優美がかろうじて手を伸ばす。しかしそれから逃れるように、桂はきびすを返すと体育館から走り去っていった。
「桂ちゃん!待ってよ桂ちゃぁん!!」



 校庭の隅の木の陰で、桂は小さく肩を震わせていた。なんと声をかければいいかわからなかった。彼女をこんな目にあわせたのは自分なのだから。
「ね、ねえ…」
 その肩に手を置いた瞬間思いっきり振り払われる。
「触んないでよ!!」
「ご、ごめんっ!」
 腫れ物に触ったように手を引っ込める。自分の考えなしのせいで泥沼に足を突っ込んでしまったような気がする。でもあのままではいつまでもあのままだった。何とかして飛び上がらないと…。
「ねえ、体育館に戻ろうよ!」
 びくん、と怖がるように桂の体が震える。
「桂ちゃんもあんなに一生懸命やったんだもん、みんな分かってくれるよ。それで今度はちゃんとチームプレイも考えれば試合にだって…」
「…なに言ってんのよ」
 涙を浮かべて優美をにらみつける。これで何度目だろう。
「戻れるわけないじゃない!みんな…。よかったわよね勝てて。私のこと追い出したかったんでしょ!よかったじゃない!」
「怒るよ!!」
 笑顔のベクトルが180度回転させられ、かっとなって優美は怒鳴った。怒鳴った直後に後悔と、それに桂にそんな風に言われたのが悲しくて地面を見る。それがまた桂をえぐる。自分が情けなくて、自分が嫌で、嫌で、前に進めない。
 それでも優美が手を伸ばす。
「子供みたいなこと言ってちゃ駄目だよ。大人にならなきゃ駄目だよ…。間違ってるの分かってて直さないんじゃ、いつまでたっても子供だよ」
「…自分だって子供じゃない…」
「うん、優美はまだ子供だよ。だから大人になりたいんだもん。子供のままじゃ嫌だから、大人になろうとしてるんだもん」
 それが前に進むこと。桂が背を向けて逃げてたこと。優美だってこの前気づいたばかりだった。気づいたのは桂のおかげだから。
 腕を伸ばして、手を取って、
「ねえ、一緒に頑張ろうよ。優美、桂ちゃんと友達になりたいよ。一緒に頑張って大人になろうよ。大人になろうって思おうよ」
 優美に手を握られても、桂は下を向いたままだった。
 少し時間が必要だと思って、そっと彼女の手を離す。
「あのね、今度の金曜日優美の誕生日なんだ。放課後に紗衣たちとお祝いしようって言ってるんだよ。桂ちゃんもおいでよ」
「‥‥‥‥‥‥」
「駅前のケーキ屋さん知ってるよね?あそこにみんな集まるんだ。きっと楽しいよ。だからおいでよ、ね?」
 優美がのぞき込んでも、桂は視線を逸らしてなにも言わなかった。優美は少しだけ寂しそうに、その場を後にしようとした。
「…偉そうに言われなくたって…」
 小さな声がかろうじて優美の耳に届いてくる。
「自分でも分かってるわよ…。分かってるけど…」
「それなら、あとはちょっと勇気を出すだけだよ」
 子供でいるのは簡単だ。泣いてわめいて、守られてればいい。
 大人になったら甘えられない。それでもみんな飛び出していく。少しずつ勇気を出して、一歩一歩前に進むために。それはただ年齢が上がるからじゃない。
「桂ちゃん、頑張れ!」
 小さくガッツポーズして、優美はその場を離れていった。


「なんか最近の優美って優美らしくない」
 5月16日。さすがにキャプテンも誕生日のお祝いより部活を優先させろとは言わないので、優美と友人数人は練習を早めに切り上げてケーキ屋へ向かった。
「そうかなぁ?」
 明らかに不満といった顔で、紗衣に対して口をとがらす。
「そうよ、単細胞のくせにいっちょこ前に考え事なんかして」
「どーいう意味っ!?」
 周りの友達もうんうんとうなずくので、ますます優美は傷ついた。
「そんなに変だったかなぁ」
「ま、ね。でも」
 そう言って優美におぶさる。重い〜、という声に紗衣はくすくす笑う。
「別にいいんじゃない?優美がいつも優美らしかったら、いつまでたっても優美は優美のまんまだし」
「…うん」
 変わりたい部分と変わりたくない部分と、理想の自分がどこかにある。少しでも近づけているだろうか。
「…秋葉さん、来るといいね」
 友人の一人がそっとそう言った。優美が一生懸命だったから、ここのみんなそう言ってくれる。でももしも来なかったら?口には出さないけど、少なくとも紗衣は二度と桂を許さないだろう。
 いや、来る。絶対来る。桂だって。
 入り口の前に立って、もう一度後ろを振り返る。17歳の自分は、彼女を招待できるほど大人になれただろうか。
 そんなことを考えながら、優美は店に入っていった。


 別にはっきりした理由があったわけじゃないのに、どうしても人とうまく接せなかった。いつの間にかみんなから嫌われてて。仲間に入れてほしいのに入れてもらえないのがあまりに惨めだったから、もう誰かに近づくのもやめた。最初から嫌われた方が楽だから。
 今はプレゼントの小さな箱を手に駅への通りを歩いている。あの子は喜んでくれるだろうか。他の子たちは、自分を見て嫌な気分にならないだろうか。
 足取りは重いし、心も重い。傷つくのは嫌。拒否されるのは怖い。
 優美の言っていた店が目に入った。近づくにつれて、中の様子が見える。優美の笑顔が目に入った。まわりの人たちと、楽しそうに話してた。
(行かない方がいいよ)
 和紙に墨汁がにじむように、その思いが心の中に急速に広がる。ただの言い訳だって、臆病なだけだって分かってるけど、分かってるけど…
 一生懸命選んだプレゼント。店の前に置いて逃げようとしたその時、
「あ…」
 ガラス越しに優美と目が合った。彼女の目が丸くなり、一瞬後に席を蹴って店の外に飛び出していた。桂の足は動けなかった。
 目の前で肩で息をして、顔を上げて嬉しそうに微笑む。
「来てくれたんだ」
「…こ、これ…」
 プレゼントを押しつけるように渡す。喜び一杯でお礼を言う優美の声も聞こえないほど、桂の心臓は早鐘を打っていた。プレゼントは渡した。あとは逃げてしまえばいい。そうすれば傷つかない、でも
「行こ!」
 優美がまた手を伸ばす。これで何度目だったろう?

(少しだけの勇気があれば)

 きっと誰でも大人になれる。自分の腕を伸ばして。
「桂ちゃん…」
 桂は優美の手を取った。上手く笑おうとして、その前に強く引っ張られる。
「ほら、行こ!早く!」
「う、うん」
 彼女が喜んでくれてる。そんな自分にようやくなれた…
 そしておずおずと店内に入ると、程度の差はあれみんな受け入れてくれる。紗衣も態度はそっけなかったけど、体をずらして桂の席を空けてくれた。小さな声でお礼を言う。きっとこれから仲良くなれる。
「ね、ね、桂ちゃんどのケーキにする?このお店はどれもお勧めだよっ!」
「落ち着いて座ってなさいよ、あんたの誕生日なんだから…」
「だって嬉しいんだもーん。ね、桂ちゃん」
「う、うん…」
 子供以上、大人未満。まだ大人というには遠くても、それぞれがそれぞれの道を、昨日よりも進めるように。
 子供以上、大人未満。完全な大人なんていないけど。それでも大人になりたいと、その思いはきっと力になる。大人として認められるように。自分で自分を認められるように。
 そして声が唱和する。桂の声も一緒になって。
「お誕生日おめでとう!」






<END>





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