めぐめぐ誕生日SS

愛ちゃんの小さなお茶会(前)





 長い長い夏休みが終わり、2学期の始まったある日のこと。
 きらめき高校最大の危険地帯といわれる理科室に、にこにこしながら駆けていく1人の少女の姿があった。久しぶりの再会に胸を躍らせながら、小さな影は扉の前で立ち止まる。
「あ、あの…。2人ともこん…」
「何度同じ事を言わせるのよこの低能!」
「ごめんなさいごめんなさいっ!」
「あの…」
 理科室の中は相変わらず喧噪に包まれ、普通に見れば美樹原愛とはあまり似つかわしくない場所である。それでもきら校では彼女だけが、部外者であるにもかかわらずなぜかいつも出入りしているのだった。
「あ、美樹原さん…」
「こ、こんにちはっ」
 白衣を着た少年の声に、愛の体があっという間に硬直する。ずっと会うのを楽しみにしていて、いろいろと話すことも考えてきたのに、いざ彼を前にするといつもの通りである。
「あ、あの…、あの…」
「ああまったくイライラするわね!」
「ひ、紐緒さんもこんにちは…」
「‥‥‥‥‥‥‥」
 挨拶の代わりに返ってきた冷たい視線に、ますます愛は小さくなる。
「ひ、紐緒さん。なにもそんな…」
「あなたは黙ってなさい」
「は、はい…。ごめんなさい…」
 そろって萎縮してる2人に、結奈は心の中で深々とため息をついた。
「で、なにか用があるの?ないの?」
「あの…、その…」
「どっちよ!」
「べ、別にないです…」
 おろおろしてる公の前で、愛は目に涙を浮かべて部屋を出ていこうとした。あわてて公が引き留める。
「み、美樹原さん!」
「は、はいっ!」
「こ、こんなこと気にしちゃダメだ!ほら、紐緒さんが横暴なのはいつものことだし、むしろこの程度ですんだのは幸いと言うべきで俺なんて普段はもっと酷い」
「この私にケンカを売るとはいい度胸ね!」
「あああっ美樹原さんを慰めたいあまりについ本音がぁぁーーーっ!」
「あの…、あの…」
 白衣のえり首をつかまれてずるずると引きずられていく公に、今度は愛がおろおろする番だった。でも公は引きずられながらも笑顔で小さく手を振って、それを見た愛も胸のそばで少しだけ手を振る。
「あの、それじゃ…」
 そう言って理科室を出た愛の顔は、入ってきたときと同様幸せそうだった。


「で、結局誕生日の話はどうなったのよ」
「えと…、ちょっとタイミングが…」
「まったくあんたは!」
「あやめぇ、あんまり大声出さないでよ…暑いんだし」
 これまた久しぶりに集まったJ組の3人の会話は、休み前と変わることはない。家は遠いもののしょっちゅう電話をかけていたため、ブランクも特に存在しないようだった。
「だいたい『もうすぐ自分の誕生日なんです』なんて言いずらいよね、ね?」
「う、うん…」
「なんか祝ってくれって言ってるみたいだし」
「う、うん…」
「でも言わなきゃ向こうは知らないままでしょうが!」
「う、うん…」
「まじめに聞いてるの!?」
「ご、ごめんっ!」
 ガラッ!
 突如勢いよく教室の扉が開く。息を切らせて立ちはだかる赤い髪の少女、愛がピンチになると必ず現れる、正義の戦士藤崎詩織である。
「紫ノ崎さん!また私のメグをいじめてるのね!」
「し、詩織ちゃん…」
「A組からどうやって聞きつけてくるのよ…」
「しかも私のメグっていったい…」
「よ、余計なことは気にしなくていいのっ!ね、メグ。メグは全然悪くないよ。みぃぃーーんな公くんが悪いんだから」
 そもそも彼を愛に紹介したのは詩織だったが、それだけになおさら責任を感じる彼女である。まったくもって幼馴染みとして情けないことこの上ない。
「ぬ、主人くんは悪くないよ…」
「ううん、悪の科学者の手先になって世界征服を企むなんて許せないわ。ね、メグ。他の男の子紹介してあげるから、もう公くんはやめにしない?」
「あ、あの…」
「さっさと帰りなさいよ」
「なによその言い方!」
「だいたいねぇ、あんたがよけいなお節介ばかり焼くのが悪いのよ!」
「なんですって!?」
 これまた1学期と変わることなく、愛をはさんで火花を散らす2人。見晴は嵐が過ぎるのを待つばかりである。
「めぐもいろいろと大変だね」
「ね、ねえ2人とも。けんかはやめて…」
「そ、そうだよ。一番辛いのはめぐなんだもの、ねえ?」
「う、ううん。私平気、久しぶりに主人くんの声が聞けたし…元気そうでよかった…」
 とたんに愛を見る友人たちの視線が急速に白くなるが、それすら愛は気づいていないようだった。
「なんかもう、ケンカするのもバカらしいわね…」
「うん…勝手にしろって感じだね…」
「(主人くん…)」
 詩織は深ーくため息をつくと、頭をふって自分のクラスへと戻っていくのだった。


 始業式の日は半日で終わるが、愛は帰らずに校門でうろうろしていた。マラソンをしている運動部員をぼーっと見ていた彼女に、不意に元気な声がかかる。
「こんにちは!美樹原さん、今日も彼を待ってるの?」
「え…。う、うん…」
「そうなんだ、すごい根性ね!」
 青い髪の少女の言葉に、愛はそのままうつむいてしまう。マラソンの一団から呼ぶ声が聞こえ、彼女は「頑張って!」という言葉を残して走り去った。
「…根性とかじゃ、ないの…」
 別に根性とか頑張るとかではないのだ、愛にとっては。ただこれ以外なにも出来ることがない。スポーツは苦手で、勉強も特筆するほどではない。沙希のように料理が得意なわけでも、見晴のように明るいわけでもない。それでも彼に少しでも近づきたいなら…校門で待つ以外、愛に道はなかった。
「(主人くん、まだかな…)」
 愛の小さな体に、行き来する生徒たちも気づかず通り過ぎる。なんとなく心細くて、そのまま消えてしまいたくなる一瞬である。
「遅いわよ、さっさと歩きなさい!」
「こんな荷物持たされてどうしろって言うんですかぁ…」
 とたんに愛の顔がぱぁっと明るくなると、とたとたと声のする方へ走っていった。
「あ、美樹原さん」
「こ、こんにちは…」
「これから危険が怪しい実験らしいから近づかない方がいいよ」
「なかなかの誉め言葉ね」
「あ、あの…。手伝います…」
 愛の言葉に、思わずあんぐりと口を開ける2人である。
「あの…。だめですか?」
「ダメに決まったるでしょう!」
「いや、ホント危険だから…」
 愛の気持ちは嬉しいのだが、こうなると困惑するばかりだ。愛は愛で、真っ赤になってうつむいたままである。
 その姿を結奈は冷ややか〜な目で見つめていたが、不意に公から荷物をひったくると、スタスタと歩き出してしまった。
「ひ、紐緒さん!?」
「あなたみたいな腑抜けには手伝わせる気も失せたわ。もういいからとっとと消えなさい」
「で、でも…」
「二度は言わないわよ」
「ひ、紐緒さん…。ありがとうございます、嬉しい…」
 目を潤ませて感謝する愛からつつと視線を逸らすと、結奈は足早にその場を立ち去った。しばらく呆然としていた公だったが、あわてて愛の方を振り返る。
「あ、そ、それじゃカバン取ってくるから!」
「は、はいっ!」

 その日の晩、公はベッドに横たわったまま、じっと自分の手を見つめていた。
 今日の帰り道も公は緊張してあまり大したことは話せなかったのだが、それでも愛はずいぶんと嬉しそうだった。別れ道のところではずっと手を振って見送ってくれた。ここまでくると申し訳なくすらある。
「美樹原さん…自分で言うのもなんだけど、他にいい男がいくらでもいると思うよ…」
 しょせん自分は紐緒結奈の下僕である。隣に住む幼馴染みからも全然相手にされてない。あの純粋で汚れのない愛に、応えられるようになる日なんてくるのだろうか…。
 Trrrrrrr
「あ、はい。主人です」
 自作の電話機を取ってみれば、当の隣の幼馴染みからだった。
『公くん、ひとつだけ答えて…。9月5日って何の日?』
「は?」
 いきなりの質問に公は頭をひねるのだが、しばらく考えた後おそるおそる発言した。
「きゅ…救護の日?」
『…公くんのバカッッ!!!』
 ガチャン!
 電話が思い切り叩きつけられ、しばらく公は耳を押さえる。なんだか知らないが、また詩織に嫌われたようだった。
「はぁ…ごめん美樹原さん…」
 今も健気に生きている愛のことを思って、公はベッドに倒れ伏すのだった。


 さて2学期の授業も始まった翌日、やっぱり愛は理科室に入りびたっていた。
「あの、紐緒さん…。よかったら、お茶にしませんか?」
「しないわよ」
「で、でも…。ドーナッツ作ってきました…」
「おお!これはうまそうですよ紐緒さん!」
「(ドーナッツ…。この世界征服を企む私の要塞でドーナッツ!!)」
 怒りに震える結奈をよそに、愛はさっさとお茶の準備を始めだす。
「あの、紐緒さんはコーヒーですよね。お砂糖入れないんですよね」
「誰がそんなもの頼んだのよ!!」
「ご、ごめんなさいっ!…お砂糖、いくつ入れますか?」
「(なんだか頭痛がしてきた…)」
 その様子を公はひやひやしながら見ていたが、不意になにか思い出したのか愛の方へ向き直る。
「そういえば美樹原さん、9月5日ってなんの日だか知ってる?」
「っ!」
 あやうくティーカップがわりのビーカーを落としそうになる愛に、公はあわてて駆け寄った。
「み、美樹原さん!大丈夫かっ!?」
「は、はいっ。だ、大丈夫です…」
 チャンスである。「私の誕生日です」とひとこと言えばいいのだ。
 でも愛の心はチャンスが来ると緊張するようにできていて、緊張してしまうとなにもできなくなる彼女だった。
「詩織は救護の日じゃないって言うんだよね」
「あの、えと…」
「あ、し、知らないならいいんだ。ごめん」
「は、はい…。ごめんなさい…」
 愛はうなだれて答えるしかなかった。本当にこういうとき、つくづく自分がいやになる。今までに何回、もたもたしてる間になにもかも逃してしまったことだろう。
「ど、どうしたの美樹原さん?俺なにか悪いこと言った!?」
「い、いえっ。その、なんでもないです…」
 あわてて答える愛の横から、白衣の手が伸びてビーカーをつかむ。結奈はコーヒーを一口すすると、誰にともなくぼそりと呟いた。
「相変わらずくだらないことやってるわね」
「や、やはり救護の日はくだらないでしょうか」
「あなたは存在自体がくだらないのよ!!」
「そんなぁっ!!」
 いつも通りの2人を、愛は少しだけうらやましそうな目で見つめていた。できれば2人とも来てほしいのだけど…。

「そういえば誕生会って具体的にどうする?」
 教室でどっぷりと落ち込んでる愛に、見晴はなんとか話題をそらそうと基本的なことを質問していた。
「う、うん…。この前行ったケーキ屋さんにしない?」
「あ、めぐの家に行く途中のね」
「2人には家と反対方向になっちゃうけど」
「歩いて10分じゃない。全然おっけー」
 もちろんそこには詩織もやってくる。放課後のひとときを、おいしいお茶とケーキで楽しめるはずなのだが。
「で、主人のことはどうするのよ」
「‥‥‥‥‥‥」
「あやめぇっ!」
「問題無視したって仕方ないでしょ!」
 いかにも、このまま黙って5日を迎えたところで、公がやってくるはずもないのである。自分で呼びに行かなくてはどうしようもないのだけれど、心のどこかで誰かがなんとかしてくれるのではと期待してしまう自分があさましくて嫌だ。
「やっぱり、行ってくる!」
「うんうん」
「…明日にでも」
「あのねぇ!」
「(気持ちはわかる、気持ちは…)」
 1人納得する見晴をよそに、9月3日もなにごともなく過ぎていったのだった。


 今日の愛はといえば理科室にも入らず、扉の前でぶつぶつなにか言っていた。
「『明日私のお誕生日なんです』『へぇ、そうなんだ』『みんなでお誕生会やるので、来ていただけませんか?』 う、うん。これで大丈夫だよね、たぶん…」
 昨日から100回は練習した言葉をもう一度実践すると、愛はおそるおそる扉を開ける。
「あの…」
「あ、美樹原さん。今紐緒さんに話しかけない方がいいよ」
「この流体方程式の解の一意性は保証されるか否か…ええい、たいした問題ではないから保証されると仮定するわ。するとこの問題自体がproperであることが導かれるから、ここは渋くRunge-Kutta法で決めるか、それとも有限要素法で華々しく一網打尽に…」
 机にかじりついて数式を書き散らかしている結奈を見て、初めて愛は大事なことを思い出した。
「(ど、どうしよう、紐緒さんをなんて言って誘うか全然考えてませんでした…。普通に誘っても絶対来てくれないよね。甘いもの嫌いだし…)」
 愛がうんうん悩んでる間に結奈の計算は終わったらしく、勢いよく立ち上がるとマントよろしく白衣をひるがえす。
「謎は全て解けたわ!主人君、明日は1日実験よ!」
「ええええっ!?」
 ひとつは公の口から、もうひとつは愛の心の中で同時に同じ叫びが上がった。
「じ、授業はどうするんですかっ!」
「あなた、私の実験よりくだらない授業の方が大事というつもりなの」
「あ、いえ、断じてそういうわけではなくてですね」
 思わず公は助けを求めるように愛の方を向くのだが――当の愛は、目に涙をいっぱいに浮かべて小さく震えていた。
 結局いつもこうなのだ。先に先に延ばしてぐずぐずしてばかり。
 いったい何度同じ事を繰り返せば気が済むのだろう。
「(ばか、愛のばか)」
「み…美樹原さん!!?」
 なんだか知らないがなにか彼女を泣かせるようなことをしてしまったらしい。あわてて駆け寄ろうとする公の耳に、今は一番聞きたくない声が飛び込んできた。
「公くんっ!!!」
「ひぇぇぇぇぇっ!!」
 狭い理科室に、公の絶叫が響きわたる。扉を蹴散らして入ってきた詩織は、赤い髪のせいではなく本当に火がついたようだった。
「し、詩織ちゃんっ!わ、私は大丈夫だから…」
「いいえ、今日という今日は許せないわ!メグがどんな気持ちでいるか、少しでも考えたことがあるの!?」
 何が何やらわからずたじろぐばかりの公の前で、愛は必死に詩織を止めようとした。実は詩織もそうだったのだが、もう自分でも止まらなかった。
「明日は、メグの誕生日なんだから…っ…」
 しんとした部屋の中で、詩織の涙声がしばし漂う。公はしばらく彫像のように固まっていたが…真っ赤になったままの愛を見て、ようやく事態を理解した。
「ご、ごめん美樹原さん!俺…」
「あ、あのっ」
 公に謝ってほしくなどなかった。それでは本当に自分はただの塀の中の子猫だから。
 彼の口をふさぐように、愛はどもりながら大急ぎで口を開く。
「あ、明日の放課後にお誕生会するんです。あの、それで…」
「明日は実験よ」
 黙って成り行きを見ていた結奈の口から、冷ややかな言葉が流れる。愛にとっては死刑宣告のようなものだった。
「ひ、紐緒さん!」
「私の方が先約でしょう」
「そ、それは…」
 そう、悪いのはすぐに言えなかった愛の方なのだ。それでも少しでもあがくように、声を振り絞って結奈に懇願した。
「あ、あの、紐緒さんも一緒に…」
「冗談じゃないわ」
「そ、それじゃ理科室でお誕生会しませんか?わ、私も実験手伝いますから…」
 それにはいと答えれば、さぞかし愛は喜ぶだろう。それをわかっていてなお、結奈はそれを受けるわけにはいかなかった。誕生パーティなどというものは結奈にとっては精神的虫歯菌であり、理科室はあくまで聖域でなくてはならなかったから。
「そう…ですか…」
 結奈の表情に、愛は空気の抜けた風船のようになってよろよろと部屋を出た。あとを追おうとする公を遮るように、詩織が愛の肩を支える。
「最っ低…」
 詩織の無言の視線はそう言っていた。打ちのめされた公は、もはや一言もなかった。
「さあ、さっさと実験を始めるわよ」
「…ハイ…」

<続く>





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