【注意】
このSSはTacticsの「ONE〜輝く季節へ〜」を元にした2次創作です。
七瀬シナリオ、茜シナリオ、繭シナリオのネタバレを含みます。

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 乙女になれると思ってた。
 王子様と素敵な恋をして、永遠に幸せになれると思ってた。

 でも違った。


 王子様なんて、いなかったんだ。






七瀬SS: Realism






 いつものように何事もなく過ぎていく時間。
 つまらない授業を片耳で聞きながら、あたしは灰白色の梅雨空を眺める。乙女を目指して物憂げに窓の外を見たりとか…、そんな余裕があったあの頃は良かった。嫌でもあいつの顔が見られた。
 求めた瞬間に理想はするりと逃げていく。

 あの日。あたしの日常が終わった日、何も知らずに、自分の部屋でゴミ箱を蹴飛ばしてた。ドレスなんて贈って、期待させるだけ期待させといてすっぽかした馬鹿。どんな言い訳を聞かせてくれるんだろうと枕の首を絞めながら期待してた。
 でも言い訳は聞かせてもらえなかった。
 翌朝、後ろの席に座る誰か。折原じゃない。数えてみると、いつの間にか座席がひとつ減ってる。担任はあいつの名前を呼ばず、出席簿を見ると折原の名前が消えていて、これは何かの悪い夢で、本当のあたしはベッドで熟睡してるんじゃないかと思った。
 ちょっと癪だったけど瑞佳に聞いてみる。
「あのね瑞佳。今日…、折原ってどうしたの?」
「え?」
 瑞佳の困った顔がなお、信じてた現実と目の前の現実を引き離す。
「ごめん…。それ誰?」

 灰色の雲が空を覆ってる。あの向こうに行けば、そこはずっと晴れてるのかな…
「…せさん。七瀬さん!」
「え? あ…っ」
 いつの間にか授業は終わってたみたいだった。心配そうな瑞佳があたしの前に立ってる。
「だ、大丈夫? なんかぼーっとしてたよ」
「あー…うん、平気」
「で、でも最近いっつもだもん。私心配だよっ…」
「なんてもないってばっ!」
 固まる瑞佳には悪かったけど、鞄を掴んで、そのまま薄暗い外に出る。
 商店街も、公園も、何も見ないで一目散に家まで走り、部屋に入ってドレスを取り出した。…ちゃんとあった。
「…ちゃんといたのよ、あいつはっ…」
 折原はこの世界に存在して、あたしの恋人になって、あたしと待ち合わせして…その証拠はこのドレスだけ。ただそれだけ。あの日から何度も、取り出しては抱きしめてた。
 袖を通して、いつものように外に出る。薄暗い空の下を、あの日と同じように公園まで歩いて。
 とん、と樹の幹に背を預ける。まだかな、まだ来ないのかな…。
「またあの人…居るわね」
「何か妄想癖でもあるのかしら…」
「(くっ…。ほっといてよっ)」
 あたし以外の誰も、折原が居たって信じてくれない。
 あたししか信じてあげられない。ドレスを抱きしめて、そのまま待ち続ける。あたし一人だけ世界から浮いてる。
 そして今日も…何事もないまま過ぎていく。


 夢を見る。

(王子様が来るよ)

 小さな女の子。まだお姫さまになる事を夢見てる。
 落ち着いた曲の流れる舞踏会。ロマンチックに、月の光の下で王子様が手を差し伸べる。幸せそうに笑って、手を取って踊る女の子。
 いつか12時の鐘が鳴って、魔法は解けて、舞踏会は跡形もなく、消えてしまうんだろうか。
(鐘は鳴らないよ)
 そんな場所がどこにあるのよ…。

(ここにあるよ)



「…せさん。七瀬さん!」
「あ…。うん」
 変わらない日々。変わらずに過ごす連中。いつになったら帰って来るのよあのアホ男…。
 みんなに忘れられちゃって…悔しくないんだろうか。
「ね、今日ひま? 繭のとこ行かない?」
 なんにも知らない笑顔で話す瑞佳。繭って誰だっけ…。
「繭ね、新しい学校で頑張ってるらしいよ。応援に行ってあげようよ。七瀬さんにも懐いてたもん」
「んー…ごめん、パス」
「七瀬さんっ」
 さっさと帰ろうとするあたしを無理矢理引き戻す。
「ね、何か怒ってない?」
「怒ってないわよ」
「怒ってるよっ。私が悪いことしたなら謝るよ。ちゃんと言ってよっ…」
「あのね瑞佳」
「うん」
「…あたしの機嫌悪いときに話しかけるなっ!」
 クラス中が振り返る。あの日以来ずっと機嫌が悪かったから、話しかけるのは瑞佳だけだった。その彼女が泣きそうになってるのを残して教室を出る。瑞佳が悪いんじゃないのは分かってるけど…あっさり幼なじみを忘れた奴に、好意的にはなれなかった。
「…待ち合わせ行かなきゃ」
 ドレスを着て。
 あの日の事を何度でも何度でも繰り返す。邪魔されたくない。


 ぽつん。
 鼻の頭に水滴が落ちる。傘持ってきてないわよ…。
「はぁっ…。何やってるんだろうなぁ、あたしっ…」
 膝を抱えて座り込んでも雨は止まない。こんな時こそ王子様の出番なのに、どこ行ってんのよ、ばかっ…。

「…濡れます」
 上げた視線に傘。一瞬期待したけど…それはピンク色の傘。長いおさげの女の子を見て、再び地面に視線を落とす。
「…風邪引きます」
 誰だっけ…どこかで見た顔。
「長森さん、落ち込んでました」
 うっ。クラスの奴だったわっ。
「かっ…代わりに謝っといて」
「…嫌です」
 渋々立ち上がって向き直る。傘を持つクラスメート。名前は思い出せない。
「…里村茜です」
「あ、あたしは七瀬留美よっ」
「知ってます」
「あそ…」
 ざぁっ…
 雨足が強くなる。ピンク色の傘。助かるけど…何だってろくに面識もなかった子が、傘なんか貸してくれるんだろう。
 怪訝な視線に、向こうもそのまま返す。無表情。たまりかねてあたしから口を開く。
「な、何の用っ?」
「…用はないです」
「どうせ変な奴とか思ってるんでしょっ!何とか言いなさいよ、何でドレスなんか着てるんですかとか…。こんなとこで何してるんですかとかぁっ」
「何してるんですか?」
「あのね…」
「…ラジオ体操ですか?」
「んなわけあるかっ!」
 怒鳴って、あわてて口を押さえた。あたしは乙女だから。
 少しの沈黙の後、雨を見て彼女が言う。
「…誰かを待ってるんですか?」

 息が止まる。何か答えようとしたけど、そんな勇気なかった。
「貸します」
 傘を押しつけて、ぱしゃぱしゃと雨の中を駆けていく女の子。置いていかれて、呆然と空を見上げて、そして今日もあいつが帰ってこないことを知った。


「里村、ちょっと」
「…はい」
 手招きされて数瞬の後、静かに席を立つ里村。
「な、七瀬さんヤキ入れるのはだめだよ…」
「せんわっ!」
 本気で心配してる瑞佳を置いて、2人とも廊下に出る。一応お礼言って傘を返して。
「さーて、知ってること洗いざらい話してもらいましょうか」
 って、これじゃ本当にヤキ入れてるみたいじゃない…。
「と、とにかく折原今どこ行ってんのよ!なんで戻って来ないのよっ!何か知ってるなら教えてよっ…」
「折原さんていうんですか」
 こいつも忘れてんじゃない…。
「私の幼なじみも消えてしまいました」
 そう切り出されて耳を疑う。自分以外にそんな事が起きてるなんて考えもしなかったから。
「みんな彼のことを忘れていって…。最後にはすっかり、この世界から消えてしまいました。今も消えたままです」
「なんで!…」
「…この世界が嫌だったみたいです」
 現実感のない会話。淡々とした口調が拍車をかける。
「よくある事です」
「何よそれ!」
「たぶん私たちが忘れてるところでも、誰かが消えてるんです」
 目を閉じた、静かな言葉が苛立たしい。何でこいつこんなに落ち着いてんのよ…。
「折原は違うわよっ…!」
「…そうなんですか」
「そうよっ!」
 あいつは違う。あいつがこの世界を嫌いになったとか、そんな事あるわけない。
「今日も待つんですか?」
「当たり前よ!」
 じっとこちらを見る視線に、あたしは言い訳のように言った。
「…乙女だもん」



 最近、変な夢を見る。

 何もない世界。そこは無限に続くお城で…。

(女の子は王子様と、末永く幸せに暮らしました)

 女の子は幸せそうに笑ってる。でも
 末永く、ってどれ位なんだろう?
 王子様やお姫様が、いつか年老いて死んでいくなんて考えない。そんな事耐えられない。



 晴れる日もあれば降る日もある。今日も雨。
 最近、誰とも話してない。
「ねぇ、七瀬さん…」
 遠くでそんな声がする。お節介の瑞佳。あたしの事なんて放っておいてくれていいのに…。
 忘れてくれていいのに。
「七瀬さんっ…」
「あたしは用があるのよっ」
 出ていこうとするあたしを里村が見てた。悲しそうな瞳。非難の色はなかったけど、でも責められているようで、あたしは足早に教室を出た。
 帰宅して、部屋でドレスに着替えて、公園に出かけて、その繰り返し。
「あー、またヘンなお姉ちゃんがいるよー」
「うるさいわねっ!」
「ヘンなお姉ちゃんが怒ったぁっ」
 周囲の何もかもが頭にくる。
 好きで待ってるんだから邪魔しないでよっ…。
「はぁっ…」
 折原は来ない。
 代わりに来たのはピンクの傘をさした女の子。顔を背ける。
「ば、ばかみたいよねっ。あたしっ」
「はい」
「はっきり言うやつね…」
「…私も、馬鹿でしたから」
 静かに隣に並ぶ。ついこの前まで存在にも気づかなかったクラスメート。物静かで儚げで、乙女っていうのはこういう子のことを言うんだろうか。
「…幼なじみが消えた、って言ってたわよね」
「はい」
「何で里村はそいつの事覚えてるの?」
「‥‥‥」
 残酷な質問だった。
「…好きな人でしたから」
 過去形。
「過去形なんだ」
「…はい」
 仕方ない。
 待つのは辛いから。帰ってくるかどうかも分からない人を、待ち続けるのは辛いから。
「何で…」
「‥‥‥」
 里村に向き直ったあたしはたまらずに叫んでいた。
「何で待っててあげないのよ!」

 理不尽な抗議。
 待つのは辛いし、無意味だし、馬鹿なことで、ただの自己満足でしかないのかもしれなくて、でもだからこそ、待っていてあげて欲しかった。そんな女の子がいるんだって信じたかった。
 これが現実。
 これが現実なんだろうか。
「…私は、ふられたんです」
 静かな言葉。
 静かな態度。何もかもが癇に障る。あたしはふられてない! あいつはあたしの事好きだった! これから2人で、ダンスホールに行くんだから…!
「何よ根性なし! 要するに待つのに疲れたから諦めたんじゃないっ!」
 一方的になじって、あたしはその場から走り去った。あたしが悪いんじゃない。あたしが悪いんじゃないわ。
 雨に濡れたドレスが色を変えていく。
 ふられてなんかない。
 あたしは…




(誰を待ってるの?)

 大事な人。

(いつ戻ってくるの?)

 分からない…。でも待つことしかできないから。

 どうしてこんな事になっちゃったんだろう。ただあたしはあいつと、ずっと一緒にいたかっただけなのに。

(どんな事にでも必ず終わりは来るんだよ。知らなかった?)


 いちいちそんな事考えながらなんて生きていけないわよ…!





 忘れ去られる前に、あたしの方が忘れ始める。
 その日は本当に、気づくと公園に立っていた。学校にいた記憶は…ない。現実との接点はもうない。
(こうやって消えていったのかな…)
 あいつは。
 そのことに気づいたとき、少し安心した。会えるんだ。会って、手に触れて、ずっと一緒に。
 もうすぐよね。もうすぐ王子様が来る。

 ピンク色の傘が揺れる。

「彼に本当に戻る気があるなら、待っていてもいなくても戻ってきます。
 戻る気がないなら…いくら待っても戻ってはこないです」
 そんな事聞きたくない。考えたくない。
 わざわざ言わないでよ。
「…もう、やめにしませんか」

 来てくれたのに。
 忘れ去られていくあたしのために来てくれたのに、向けたのは敵意を込めた視線だった。
「裏切り者っ…」
 待つのをやめて。
 自分だけ現実に戻って。卑怯だ。
「乙女のする事じゃないわ」
 愛想を尽かしてよかった。八つ当たりで酷いことばかり言ってるあたしに、声なんてかけるから悪いんだ。
「…乙女でなくてもいいです」 
 里村は引かない。
 少し考えれば、里村だって辛い思いをしたんだって分かるはずなのに。辛い思いをして、それでも選択して、選択しただけあたしよりずっと偉いんだって分かるはずだったのに、あたしはじっと耐えてる里村に、ただ罵声を浴びせ続けた。
「裏切り者。その程度の気持ちでしかなかったんじゃない! 一途じゃない、汚いわよっ…」
「綺麗でなくてもいいです。私はこの世界が好きです。この世界にも大事な人がいます」
「へえ!? 何よ大事な人って、新しい男に乗り換えたんだ!」
「…女の子です」
 幼なじみの、と困惑した顔でつけ加える。
「どっちだって同じよっ!」
 あたしには折原しかいない。折原がいればいい。他の誰も、何も、この世界も、無くなったっていいんだ。
「…あなたも、消えてしまいます」
 悲しそうな。
 ただ悲しそうな声。
 この世界を拒否する人がいること。
 他人だったら、あたしだって止めただろう。でも、自分だった。

「この世界が嫌い?」

 耳を塞ぐ。

「…この日常は、あなたにとって意味のないものなんですか?」

 膝を抱えて、何も見たくない。何も聞きたくない。
 意味なんてないっ…折原のいない日常なんてっ…!

「帰って…もう来ないで!」
 そう叫んだ。


 しばらくして顔を上げたあたしが見たのは…
 小さくなった、本当に小さくなってしまったピンク色の傘だった。





 里村を手ひどく拒絶したあたしは急速に消えていった。

「えっと…あ、七瀬さん」
 瑞佳もあたしを忘れることが多くなった。他の連中はもう見向きもしない。
 一度だけちらりと里村に目を向けたけど、黙って背中を向けたままだった。
「…ごめんね、瑞佳」
「え?」
「ううん…」
 消えていく。
 ううん、自分で自分の時間を止めたとき、
 その時にもうあたしは死んでたんだ。

 生きることをやめたあたしは、空っぽの存在。亡骸だ。
 ありもしない永遠にすがるだけしかできないんだ…


(えいえんはあるよ)


 夢を見る。

(ここにあるよ)

 そこは永遠の世界。
 誰かが消えることもなく、年老いることもなく、終わりがなくて、そして折原がいる。
「なんだ…」
 安心する。何の問題もないじゃない。一緒にいられる。ずっと折原と一緒にいられるんだ。

 どうして最初から、こうしなかったんだろう。




「七瀬さんっ!」
 はっ、と我に返り、少し恨めしげに目の前の少女を見る。公園。待ち続けた場所。本当なら今日でもう最後だったのに。
「あのね瑞佳…」
「ほら、行くよっ!」
「ち、ちょっと、どこへよっ!」
「繭の卒業式だよっ!聞いてなかったの!?」
 強引に手を引かれる。瑞佳…繭…卒業式…。ただ単語が並ぶだけで、現実感を得られないまま、目の前に中学校が現れる。懐かしい匂い。遠くへ行ってしまった匂い…
「って、ぎゃーーっ!」
「みゅーーっ」
 ごきぃ!と首が鳴ってはさすがに現実に引き戻された。涙目で睨めば嬉しそうな繭の顔。幸い2本あったお下げは1本に減っていたので、ひょいひょいと繭の両手を必死で避ける。
「久しぶりに会ったのにそれかいっお前はっ!」
「みゅ〜♪」
「みゅ〜、じゃないわよっ!」
「あははーっ。繭、卒業おめでとうね」
「うん…ありがとう。おねえちゃんたち」
 卒業式。卒業式…。何にでも必ず終わりが来る。そんな事わざわざ最後に実感させてくれなくたっていいのに。
「うー…」
「な、なによ」
「うー…おねえちゃん何かへん」
「そ、そんなことないわよっ」
 本当ならあたしはいないはずだったから。
 式の始まる時間になり、繭は体育館へと戻っていく。あたしも瑞佳に父兄席へと引きずられる。
「月日の経つのは早いもんだよねぇ」
 居心地の悪い場所。よれよれのドレスを着て、一人浮いてるあたしの気も知らず瑞佳はのほほんとそう言った。このお節介女。ほっといてよっ。もう少しであいつのところへ行けたのに…
「七瀬さん?」
「な、何でもないっ」
「そう…」
 瑞佳から視線を逸らして、卒業生の群へ目を向ける。小さな繭。泣いてばかりだったあの子が、卒業式なんて嬉しいんだろうか。
 居心地が悪い。
 あたしはまだこんな所にいる…
「…繭ね、すごく頑張ってたんだよ」
 追い打ちをかけるように瑞佳が話し始める。
「こっちに移ったばかりの頃はね、いじめられてたりもしてたみたい、学校行きたくないって言ってたこともあったんだよ。でももう少しだけ頑張ろうって。嫌な目にもあったけど、その後で友達もできたし。一年間本当に頑張ったんだよ…」

 居心地が悪いはずだ。

 あたしのこの一年はなんにもだったから。
 なんにもなかった。なんにもしなかったから。

「卒業生、椎名繭」
 卒業証書を受け取る繭。見ていられない。
 ぎゅっと拳を握る。情けなさで涙が滲んだ。あの子に比べて、自分はあまりに惨めで、何も持ってなくて。繭も、瑞佳も、里村も、みんな少しずつ変わっていくのに、あたし一人時間を止めて、煤けたドレスに身を包んで…!
「ごめん…帰る!」
「七瀬さんっ!」
 見てられない。居たくない。人をかき分けて体育館の出口へと逃げる。後ろから瑞佳の声が飛ぶ。
「七瀬さんっ!待ってるからね!繭も私も、七瀬さんのこと好きなんだからね!3人でどこか遊びに行こうね!」
 今のあたしに、瑞佳や繭の10分の1の勇気もなかった。
「絶対だからねっ…!」

 ばかだ。
 ばかだ、あたし。





 今さら、大きなお城なんかいらなかったんだ
 いらなかったんだ、そんなもの

(わからないよ)

 わからないわよ

 だってずっと子供だったんだから…


 あたしは







 さっきまで日が射してたのに、急にうっすらと雲が覆う。でも霧雨。この程度なら傘もいらない。
 彼女もそうだった。
「…今日は傘、さしてないんだ」
「たまには濡れるのもいいです」
 力なく笑う。
 それ位しかできなかった。
 たぶん進路も決まったであろう里村の前で、あたしはよれよれのドレスに、これからどこへ行くのかも分からなくて。これが現実。
 あたしが目を背け続けてきた現実。
 一年間もの何もない、空っぽの時間を過ごせば、こうなるのは当たり前だった。
「…もう、取り戻せないよね」
「…はい」
 残酷…。
 この一年はなんにもだった。なんにもないまま…一番輝けるはずの季節を、過去の輝きにすがって捨てた。もう二度と戻ってこない。貴重だからこそ二度と取り返せない…。その現実が、今ごろになってあたしに襲いかかる。でも…それでもっ…

「まだ…間に合うかなぁっ…!」

 そんな事口にするのもおこがましいんだ。今までさんざん、里村に酷いこと言ったくせに。自分から時間を止めて、自分から消えようとしたくせに…!
『駄目です』
 その答えが怖くて、あたしは顔を上げられなかった。小さく震えていた。
 それでも、そんな自分が嫌だったから。
 顔を上げて。
 目の前にあったのは…里村の、見ただけではいつもと変わらない、でも何か暖かい
 笑顔だった。

「まだ…間に合います」

 あたしは泣いてた。
 あいつが消えてから始めて、あたしは泣いた。
「ひんっ…」
 霧雨がゆっくりと吹きつける中で。
 その女の子は細い手で、あたしの頬を優しく包んでくれた。こぼれる涙。確かな感触、暖かい…どんなにお礼を言っても足りない。

「ごめん…ありがとぉっ…」
「…クラスメートですから」

 感謝して。絆に感謝して。
 まだ間に合う。まだ…
 輝く季節を、あたしの手で取り戻すんだ。





 最後の夢を見る。

(えいえんはあるよ…)

 小さな女の子。昔のあたし。男みたいって言われるのが嫌で、お姫さまに憧れてて。王子様を夢見てて…?
 違う。
 あたしじゃない。嫌々剣道やってたわけじゃない。女の子に憧れてたけど、それでも剣道に打ち込んでた。辛かったけど、毎日頑張ってた。
 それが終わってからも、部長をやって、転校してからは乙女を目指して、それがあたしだったのに。どこで迷ったんだろう。
 絶望が作った少女が、扉へと手招きする。
「行かない」
 ”るみ”は不思議そうな顔をした。
(ずっと踊れるのに?)
「だからよ」
 引かれないと言ったら嘘になる。今だって憧れてる。
 でも行かない。
「あたしは…」
 それはあたしの、
 18年間生きてきたあたしの最後の意地。永遠の世界だから、辛いことも嫌なこともない世界だから、そんな所に行きたくなかった。そんな所に逃げ込む自分でいたくなかった。
 ここで消えたらあたしの18年は何だったんだろう。こんな所で消えるために今まで生きてきたんじゃない、あたしは――
「あたしは七瀬留美だっ!」
 扉が割れる。

 失った…
 王子様も。お城への招待状も。
 もう二度と手に入らない。でもいいよ。いいわよそれで。あたしは七瀬だから。

 あたしはこの世界で乙女になるんだ。






 季節は春。
 樹々の葉の向こうに暖かな日差しが見える。煤けたドレスを着て、樹の下に立ちながら、あたしはもう、あいつを待っていなかった。
 今日で最後にするんだ。帰ったらこのドレスを仕舞って。あいつとの時間を過去として終える。あたしのいなかった現実に戻るんだ。
 瑞佳はまだ友達でいてくれるかな。今までのこと謝らなきゃ。謝って、お礼言わなきゃ。2人でもう一度繭に会いに行こう。ちゃんと卒業おめでとうって言おう。里村、いっぱい話したいことがある。仲良くなれるかな。仲良くなりたい。きっとこれからいろんな事があって、いろんな人と出会って、いろんな――

「えぐっ…」
 ごめん。
 ごめんね、折原。
 あたし、もう待たないよ。今でも大好き。でも決めたから。もうここへは来ないから。
 手をぎゅっと握って、必死で涙を堪えて。泣かない。あたしは強くなるんだ。折原、ごめん。薄情だってなじってもいい。でも2人して消えたって仕方ないじゃない。仕方ないからっ…!

 あたしは、ついに一歩を歩み出す。
 その時だった――


 がだんがだんがだんッ!!
「うぉぉぉーーっ…!」
 騒々しいわめき声。忘れるわけがない。慌てて両目を手でこする。
 土煙を上げて止まる自転車。
「お待たせっ、お姫さま」
「…格好悪いっ…!」
 一発殴ってやりたかった。でもそんな事は後でもできるから、今は文句を言いながら、荷台に乗って、忘れかけてたあいつの背中にしがみつく。
 石段を下りる自転車。全然理想じゃない。
「悪かった…七瀬」
 折原の背中が言う。
「お前の言うとおりだ」

 永遠はもういらない。
 なんだ…

「気づくのが遅いのよ、あほっ…」
 同じ所で立ち止まってたんだ。一年間も。同じように時間を止めて、ようやく一緒に出てきたんだ。
「…お前が引っ張り出してくれたんだ」
「ばかっ…!」
「ごめんな…お返しは必ずするから」
 お姫さまに助けられた、情けない王子様。喪服に古びた自転車。これが現実。でも好き。大きなお城なんかなくたって。
「…反省したならよし」
「偉そうな奴だなぁ…」
「誰のせいよっ!」
 凶悪に不格好なカップルは、注目を集めながら街の中を走ってく。とんでもなく恥ずかしいけど気にしない。

 これからたくさん、楽しいことが待ってるんだから。





*          *          *





 結局2人そろって留年。高校3年生をもう一度やり直すことになった。消えてしまった一年間はもう戻ってこないけど…。入学してきた繭と遊びながら、瑞佳の入った大学目指して頑張ってる。
 それは退屈な日常。
 少しずつ変わっていく日々の、些細な出来事。
「うわ、降ってきた。七瀬! 気合いで雲を消し飛ばせ」
「できるかっ!」
「なんだ。この前は校舎の壁を粉砕したじゃないか」
「いつやったっ! あんたこそ、彼氏なら傘のひとつも用意してなさいよっ!」
「うるさいっ、現実なんてこんなもんだ」
 仕方なく軒下で雨宿り。折原はひとっ走り近くのコンビニまで傘を買いに行く。現実なんてこんなもん。折原はカッコ悪くて、いい加減で、女の子の気持ちなんて全然わかってなくて。あたしはあたしで、ガサツで、乱暴者で、乙女ぶってるだけで。でも好き。大好き、そんなのもいいよね。
 …なんて考えごとができたのも束の間で、すぐ風向きが変わって容赦なく雨が吹き付けてくる。ちょっとだけ後悔する。
「ひんっ、目一杯おしゃれして来たのにっ…」

 そんな時に
 差し出されるピンクの傘。

「…デートの時は、天気予報くらい見ておくものです」
 物静かな女の子。きっと色んな辛い思いをして。
 それでも今ここに立ってる。少しは並べただろうか。
「さんきゅ」
「はい」
「元気でやってる?」
「…いつも通りです」
「そっか」
 傘を打つ雨の音。この雨もいつかは止んで、輝く太陽が顔を出すんだ。
「あっかねーっ! そろそろ行くよっ」
 道の向こうで黒髪の女の子の呼ぶ声がして。反対側からは傘をさした折原が走ってきて、立ち去ろうとする里村に、あたしはもう一度声をかける。
「大学、瑞佳と同じとこよね」
「はい」
「すぐに行くわ」
「…楽しみにしてます」
 その時には。
 みんなでどこかへ遊びに行こう。短い時間でも、綺麗なお城でなくてもいいから。楽しいことは自分で作るもんなんだ。
 ピンク色の傘が去って、かわりに黒い傘が差し出される。
「傘、1本でよかったよな?」
「え? う、うん、いいわよ」
「んじゃ、行くか」
「うんっ」
 ひとつの傘に2人で入って、あたしたちは歩き出す。雨の日だって、こんな楽しいこともある。

 そういうもんなんだよね。





<END>




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