この作品は「Kanon」(c)Key の世界及びキャラクターを借りて創作されています。
真琴シナリオ、名雪シナリオに関するネタバレを含みます。

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Last regret








 春が来て、ものみの丘にも新緑が芽吹く季節。
 通り過ぎる風を聞きながら、無限に広がる草原に、わたしはぼーっと寝転んでいた。

「眠いなぁ…」
 薄目を開けてそう呟く。
 でも、この場所では眠れない。
 奇跡が始まり、わたしの横を通り過ぎて、そして終わってしまったこの場所では。

「…戻ってきてくれないかな…」
 何度呟いてみても、叶うはずがないって分かってた。
 もう遅いんだって…
 手遅れなんだって、分かっててもわたしはここで、ただぼんやりと空を見ていた。


「また、来ていたのですね」
 頭上から響く声に、ころんと首だけ横に向ける。
「水瀬さん」
 そう言ったのは制服姿の、相変わらず表情を見せない女の子。
 一つ下の学年だけど、雰囲気はわたしよりよっぽど大人っぽい。
「天野さんもね」
「私は、前からです」
 そのまま静かに隣へ腰を下ろし、わたしもよいしょと身を起こす。
 最初に会ったのは、あの最後の日に学校で呼ばれたとき。
 詳しいことは後から従兄弟に聞いた。
 わたしのした事と比べると、顔を合わせるのは少し気まずかった。

「相沢さんは、その後いかがですか」
「うん、元気だよ」
「そうですか」
 そう言って、遠くを見る。
「そうでしょうね」
「うん…」
 今も明るく振る舞っている、従兄弟の少年。
 辛くても、前を向こうとするその笑顔を思い出す。
「祐一は、後悔してないと思うから」

 わたしから見ても、祐一はできるだけのことをしたと思う。
 生命と引き替えにしてまで、人の温もりを求めた真琴に、精一杯の温かさで応えてた。
 祐一も、お母さんも。
 本当に暖かい気持ちで、真琴のこと大事にしてた。

「…わたしだけが、冷たい人間だね」

 ざあっ…
 膝を抱えたわたしの周りを、乾いた風が通り過ぎる。

「記憶喪失の家出少女が転がり込めば、訝しむのが普通です」
 遠くを見ながら、天野さんが口を開く。
「水瀬さんのとった対応は、人としてはむしろ親切な部類でしょう」
「でも…!」
 言いかけて、言葉が続かなくて、わたしはそのまま顔を伏せた。

 でも、心のどこかで真琴のこと疎んでた。
 祐一を取られちゃうと思って。
 お母さんを取られちゃうと思って。
 表面だけは笑顔を作りながら、なんでこの子がこの家にいるの? って、どこかでずっと思ってた。
 全ての事情を聞かされたときも、たぶん本気にしてなかった。

「本当に死んじゃうなんて、思わなかったんだよ…」


 あの日。
 軽い気持ちで真琴と雪だるまを作った、その日の夜。
 ようやく帰ってきた祐一の、胸に抱えた狐の死体を見て、わたしの体は凍り付いた。
 前足に鈴をつけたまま、真琴は庭に埋められた。
 埋めた後で、祐一は声を上げて泣いた。
 お母さんは自分の部屋で、たぶん声を出さずに一人で泣いた。
 わたしだけが泣く資格もないまま。
 ただ真っ青になって、全て取り返しがつかなくなったのを知った。

「後悔しているのですか?」
「してるよ…」
「真琴があなたに感謝しこそすれ、恨むわけもないでしょう」
「でも、してるよ…」

 もっと、できる事があったはずなのに。


 波がひとつ、またひとつと、草原を横切っていく。
 二人ともしばらく押し黙ったまま、その光景を眺めていた。


「…ここへは、子供の頃からよく来ていました」
 風に紛れるように、ふと天野さんの声が届く。
「私は、元々人付き合いの得意な方ではありませんでしたから」
「…そうなんだ」
「はい」
 彼女はちらり、とこちらを見ると、今ほどではありませんでしたが、と付け加える。
「ここへはよく来て、一人で本を読んでいたものです」
「静かなところだものね」
「狐が一匹、やって来るまではそうでした」
 ここでようやく、彼女が話そうとしている事に気付いた。
 思わず身が固くなる。
 中学2年の時だったそうだ。
 たぶん真琴と同じように、人に憧れた狐で…
 人の心を知りたくて、近づいてきたんだろうか。
「不思議なもので、人の輪に溶け込めない者はえてして動物となら仲良くなれるのです。
 私も…給食のパンを二人で分けたり。
 一緒に街の景色を眺めたり。
 そうやって静穏のうちに過ごしているうちに。
 ある日、要らないことを言ってしまいました」

 そこでしばらく言葉が途切れた。
 言い辛そうに視線をさまよわせている。
 わたしはただじっと待っていた。
 待って、そして小さな、か細い声がわたしの耳に届いてくる。


「『友達が欲しいな』…と、そう言いました」


 光景が浮かんでくる。
 この広い丘で、いつも一人ぼっちで。
 狐の頭を撫でながら、ぽつりとそう呟く天野さんの姿が。

 欲しかったのは人間の友達。
 一緒に話し合ったり、笑い合ったりしてくれる人…


 少しの間視線を逸らしたまま、彼女は沈黙を続ける。
 こんな風に自分の内面を語るのはたぶん苦痛なんだと思う。
 それでも話してくれる言葉に、わたしは真剣に耳をそばだてていた。

「その事は自分でもすぐに忘れてしまっていたのですが…。
 それから数ヶ月後のことでした」
 話が再開される。
「真琴の時と同じように、私の前にも一人の女の子が現れました。
 全ての記憶を失い、ただ私と友達になりたいという、その感情だけを持って」

 ぎゅっ。
 分かっていたことなのに、無意識に手を握りしめる。

「記憶が戻るまでという条件で、両親は彼女を家に置くことにしました。
 私に友人を作らせたい、という思いもあったのでしょう。
 でも私は…人付き合いが得意な方ではありませんでしたから」

 もういいよ…。
 話の結末が、悲しい結末が見えたわたしはそう言いかける。
 言いかけて、ぐっと飲み込んで。
 わたしにできるのは黙って聞くことだけだった。

「それは、冷たい態度を取り続けました。
 仲良くしようと話しかけてくる彼女に。
 馴れ馴れしくされるのは嫌だと、そんなつまらない意地を張って。

 数日後に、彼女が熱を出して倒れたときも、義務感だけで看病していました」

 真琴が発熱したときのことを思い出す。
 あのときは、祐一が懸命に看病していた。
 わたしは…

 そして天野さんは、最後の言葉を紡ぐ。

「翌朝、一匹の狐が布団の中で冷たくなっていました。

 自分がどれほど取り返しのつかない事をしたか。
 私の願いを叶えようとしたあの子に、何という仕打ちをしてしまったのか…」

 膝に顔を埋め、その声も途切れ始めた。
「そして二度と、友達が欲しいなどと願わないことにしました。
 そんな資格などないのですから。

 私に比べれば、水瀬さんの心はまだ温かさを持ち合わせていたでしょう。どこかで真琴を拒絶しても、別のどこかでちゃんと真琴を大事にしていたのですから…」
「で、でもっ…!」
 泣き声に変わり始めた彼女の言葉を遮るように、わたしは思わず声を上げる。

「天野さんだって。真琴が救われたのは天野さんのお陰だよ。祐一もそう言ってたよ。
 前は失敗しちゃったかもしれないけど、今回で取り返せたはずだよ…」
「私が死なせてしまった子は、真琴とは別の狐です」
 機械的に告げられる冷たい事実。
 未来で何をしても、過去が変わるわけじゃない。
 もしまた真琴のような子が現れたら、わたしは今度こそ本当に仲良くしようとするだろう。でも…それが何なんだろう?
「‥‥‥‥‥」
 結局言える言葉もないまま、二人とも押し黙って、丘から見える街を見つめていた。


 空の色が赤く変わる。
 夕焼けに染まった草の中で、わたしの方からぽつりと切り出す。
「…帰ろっか」
「そうですね」
 立ち上がって、自分の制服の埃を落とし、何も変わらないまま、歩き出して…
「天野さんっ…」

 振り返る彼女に。
 さっきまでずっと、考えていた言葉を。
 一呼吸置いて、思い切って口にする。
「わたしと、友達になってくれないかな」

 怪訝そうな顔。
 一瞬の後、気付いたのか、僅かに辛そうに目を伏せる。
「それは…人の温もり、ですか?」
「え…。うん、そう…なのかな」
 自分の中に浮かぶ言葉のひとつひとつ。
 一生懸命取り出して、送り続ける。

「真琴と会うまでは考えたこともなかったよ。
 自分が人であることがどういうことなのかって。
 人として、人とと関われることがどういうことなのかって。
 わたしはそれを”使う”ことができるのに、ずっと無駄にしてたんだと思う」

 それは七年前の記憶。
 精一杯勇気を出して、相手に気持ちを伝えようとして。
 でも、結局何にもならなくて。
 傷ついただけで。

 だからわたしは、それからずっと避けてたんだと思う。
 待つだけじゃなくて、自分から他人に関わること。
 人の温もりを求め、人の温もりをあげること。
 真琴が教えてくれたこと…

「わたしは、天野さんと友達になりたいよ。
 それが…正直な気持ちだよ」

 ざぁっ…
 日没前の、冷たくなった風が吹き抜ける。
 断られるかもしれない。
 もう友達を作る気はないと、今言ったばかりの子に対して、図々しすぎたかもしれない。
 それでも、できることはしたかった。
 人だからできること――

 そして…
 それは単に、真琴のことを考えて言っただけなのかもしれないけど。
「そうですね。
 それも…いいかもしれませんね」
 そう言ってくれて。
 自分でもわかるほどの笑顔になりながら、その側に駆け寄る。
「私では、ご期待に添えないかもしれませんが」
「そんなことないよっ。それじゃ、”美汐ちゃん”だね」
「一足飛びに馴れ馴れしすぎます」
「うー」
「けれど…」
 夕日が見せた錯覚だったかもしれない。
 でもわたしの目には…
 彼女が少しだけ、優しい笑みを浮かべたように見えた。
「嫌ではないです」

 そう言って、恥ずかしそうに早足になって山道を下りていく。
「ま、待ってよ〜」
 その後を慌てて追いかけながら。
 森の中へ入る前に、もう一度だけ振り返る。茜色に染まる丘…奇跡の終わった場所。

 ねぇ、真琴。
 もっといろんな話をすればよかった。もっといっぱい遊べばよかったね。
 その後悔はたぶん消えない。
 でも、これを最後の後悔にするよ。
 もう同じことをしないように。
 人が持てる、温かい心を大事にするよ。

 だから今は…
 真琴。ありがとう、だよ。


 薄暗くなっていく森に入り、彼女の隣に並んで、色々なことをお喋りして。
 そしてわたし達は戻っていく。街の灯の中。人が暮らす場所。
 ものみの丘の狐が、いつかまたその中に入っていったとき。
 どうか得られるものが、わたしが今感じているような、温かなものでありますように。





<END>






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