Storia Corta di Lemit
Tempo Sforzando
…ひもじい。
旅の途中で立ち寄った街。色んなお店がたくさんあって、天気もいいし、本当なら楽しい一日になるはずだった。
でも…朝ご飯食べてない。
なにしろ前のダンジョンでお金落としちゃって、王女だっていうのに思いっきり貧乏だったりする。なんでわたしがこんな目にあうのよ、ばかぁ〜。
「アイリスぅ〜、お腹すいたぁっ」
「困りましたねぇ、お金は昨夜の宿代で全部使ってしまいましたし…」
「あう〜〜」
仕方ないので近くの噴水広場に来たわたしたち。水をがぶがぶ飲んで空腹をごまかす。か、悲しすぎるっ…。
「お腹すいたすいたすいたーーー!」
「そ、そう申されましてもっ」
「ボクもすいたよぅ…」
「栄養素が足りないと学問的思考に差し障りがあるじゃないですか」
「…かき氷食べたいです」(ボソ)
「なによ、みんな文句が多いわよっ」
「最初に言い出したの姫さまです…」
「うーーっ」
ふっ、お腹がすいたら怒りっぽくなるって本当なのね。とりあえず黙ってても財布の中身がふえるわけじゃないので、みんなでベンチに座って作戦を練ることにした。
「ってバイトするしかないんだけど」
「ううっ、ボクを朝ご飯抜きで働かせるの…?」
「そのうるうるした目はやめなさいよっ! しょうがないでしょお金がなきゃご飯食べられないんだしっ」
「いやあレミットさんご存じない。仕事前に朝食を摂らないのは能率的にも非常によろしくないのですよ? いいですかそもそも脳の働きというものは」
「だーーっどいつもこいつも文句ばっかりうるさいわねっ! 少しは楊雲の態度を見習いなさいっ!!」
「(かき氷…)」
「…単に何も考えてないように見えますが」
「そ、それは単なる気のせいよっ。ああもうとにかくバイト親父を呼ぶわよ! バイトおやぢーーーっ!」
「ムフッ!!」
呼ぶと同時に植え込みの中から姿を現すバイト親父。ホント便利なやつよね…。
「アルバイトですかな? それでは、パートナーとバイト先を決めていただきましょうかね。ムフッ!」
「いや別にパートナーはいないけど」
「おや主人公さんはいつも2人ペアでバイトしてますがね、ムフッ」
「あんの女ったらしっっ!!」
「ひ、姫さま落ち着いてくださいっ。ええと案内人さん、今どんなお仕事がありますか?」
「こんな所ですね、ムフッ!」
言いながら帳簿を広げるバイト親父。
「あ、花屋さんだぁー。それじゃあボクはそこにするねっ」
「私は無難に本屋にしておきましょう」
「…メロディランド…」
「それでは私は喫茶店のお仕事をお願いします」
「みんなしっかり稼ぐのよ。訓練だってしなくちゃいけないんだからねっ」
びしっと号令をかけるわたし。さすがはリーダーって感じよね。
の、はずだったのに、アイリス以外の3人が冷たい視線を向けている。
「な、なによぅ…」
「…いえ別に…」
「なによなによっ! 言いたいことがあるならはっきり言えばっ!?」
「ボ、ボクは『どうしてレミットは働かないのかな?』なんてこれっぽっちも思ってないよっ?」
「言ってるわよ思いっきりーーっ!!」
ううーっ、わ、わたしに働けっていうのっ!? 王女のわたしにまともな仕事なんてできるわけないじゃないーーっ!
と、言いたいところだったけど役立たずと思われるのも嫌なので、口をもごもごさせてるうちに、ついついアイリスの方へ目が向いた。
すぐにアイリスがわたしをかばうように前に出る。た、頼んだわけじゃないもん…。
「あの、皆さんお気持ちは分かりますけど、姫さまはまだお小さいですし今日の所はご理解いただけませんか」
「子供扱いしないでよっ!」
「あああっ、申し訳ありません姫さまっ!」
ってせっかくのフォローにわたしが突っ込んでどうするのよっ…。
「そ、その、姫さまはこういったことに慣れてませんし」
「そ、そうなのよっ」
「まあ…仕方のないことです…」
「そうですねえ、所詮はお・子・さ・まですしねー」
「むかっ」
「下手に働かれて物壊されでもしたらたまりませんからね。せいぜいそこら辺で日がな一日ぼーっとした挙げ句、他人の労働の成果を味わうだけ味わって下さいよ」
「うきーーーっ!!」
「お、落ち着いてください姫さまっ! メイヤーさんもご飯抜きで気が立ってるんですっ!」
「はぁ…。もういいから早く行こうよう…」
「それではご案内いたしましょう。ムフッ!」
キャラットの一言で不毛な会話は終わり、みんなそれ以上何も言わずぞろぞろとバイト親父の後についていった。アイリスを除いては。
ベンチの前で突っ立ってるだけのわたしの、頭にそっと手が置かれる。
「姫さまも色々大変なのですから…。どうかお気になさらず、今日一日、普通の女の子のように遊んでいてくださいね」
「‥‥‥」
「それでは行って参ります、姫さま」
言い残して、みんなの方へ小走りに去っていくアイリス。
突っ立って、見送るだけのわたし。
そんな朝の光景だった。
…ひま。
ぐうぐうと鳴るお腹を押さえて、ただただベンチの上で時間が過ぎるのを待つ。
みんなもう仕事始めてるのかなぁ…。
天気のいい噴水広場。遊びに来た小さな子たちが、笑い声を上げて走り回ってる。でもさすがに仲間に入れてもらうわけにもいかない。
『今日一日、普通の女の子のように遊んで』
そんなこと言われたってわかんない…。
「ハハハハハ! 誰かと思えばくそガキではないか!」
突然響く笑い声。急速に頭痛がしてくる。
顔を上げるのも面倒だけど、とりあえず見るだけ見てやった。
「なんだ、掃除のおじさんか…」
「ぬおっ! きっ貴様この誇り高き魔族カイル・イシュバーン様に向かって何て事をッッ!」
「誇り高き魔族がなんでホウキとチリトリ持ってるのよ」
「こ、これはだな来るべき世界征服計画のための資金を調達するための重要な…。え、ええい! 気持ちよく広場を使えるのは誰のおかげだと思っている!」
「うるさいわねお仕事ご苦労様っ! ふんだっ!!」
「くっ、相変わらず可愛いげのないガキめっ!」
「なによバカ魔族に言われたくないわよ。ばーかばーかっ」
「ふんぬーーーっ!!」
ああっいきなり顔合わせるのがコイツだなんて、やっぱりわたしって世界一不幸な美少女だぁ…。
「フ、フン、だいたいどうしたこんな所に一人で」
「う…」
「ハハ〜〜ン、さては仲間に見捨てられたな? ま、オレの如き高い人徳を持ち合わせていない貴様では当然の結果という…」
ぐしゃ
「アガターーーッ!」
思いっきり足を踏んづけてやる。
「いい加減にしなさいよこのバカイル! かりにもわたしは第3王女なのよ!?」
「くうう、そんな肩書きに頼るとは情けないヤツめ。お前自身は何の力もない単なるガキだろうがっ!!」
「なっ…」
「光り輝くとはオレのように自分の力で輝くことを言うのだ! 他人の威光をカサに着るような輩など下の下のそのまた下だっ!!」
こ、こいつバカイルのくせによくも人が気にしてることを…。
普段なら百発ぐらい殴ってやるとこだけど、なにしろお腹すいてるから力が出ない。
だ、だいたいこんなバカ相手にしても仕方ないわよね…。ということでわたしはそのまま沈黙した。
「どうしたガキ。オレ様のスキのない言葉に恐れ入って声も出ないか、ハッハーーッ!」
「‥‥‥‥」
「お、おい…。何故うつむいている?」
「‥‥‥‥‥」
「な、何とか言わんかくそガキっ! これではまるでオレが…」
「女の子いじめてるわよ。ひどいわね」
「あんな事する人、嫌いです」
「げぇーーッ!!?」
いつの間にかわらわらと集まってるギャラリーに悲鳴を上げるカイル。
「い、いや、つまり、まあ貴様もオレのライバルの片割れである以上精進することだな! で、ではさらばだハハハーーッ!!」
ぎゃーぎゃーわめくとバカイルは弾丸のように走り去っていった。ふんだいい気味、あっかんべーだ。
「お嬢ちゃん、大丈夫?」
「だ、大丈夫よっ」
心配そうにかけられる声に、あわててわたしも逃げ出した。
うぅーっ、お嬢ちゃんじゃないもんっ。
知らない顔ばかりの通りをとぼとぼ歩く。
みんなが帰ってくるまでどうしよう…。
そ、そうだ。
誰かの仕事にまぜてもらう…もとい手伝ってあげればいいのよ。
そうすれば『何もしなかった』ことにはならないもんね。うん、わたしって頭いいーっ。
「バイト親父ーーっ」
「ムフッ?」
「…あんたってホントにどこでも出てくるわね」
「ムフッ」
「それよりみんなのバイト先を教えてよ」
「ムフッ」
会話になってるんだかわからない会話の後、とりあえず4人のバイト先を聞き出した。
ここからは花屋が近いわね。よし、キャラットを手伝ってあーげようっと。
「いらっしゃー…あれレミット? どうしたの?」
「ふふん、わざわざ手伝いに来てあげたのよ。感謝しなさいよね」
「ええっ!?」
「…なによその嫌そうな顔は」
「べ、別にそんなことないよっ。おばちゃーん、友達が手伝いに来たんだけど、一緒に仕事していいかなぁ?」
「おや、お友達かい? 構わないよ」
「だって。よかったねっレミット!」
…これじゃわたしが手伝わせてもらってるみたいじゃない。
「でもレミット、お店の仕事なんてやったことないんでしょ?」
「ふんだっ、そのくらいやったことなくても簡単よっ」
とか何とか言ってるうちに客がやってくる。ま、ひとつわたしの商売上手なところを見せてやろうかしら?
「…お花さん」
「あははーっ、とっても綺麗ですねーっ」
「なにか探してるの? なんなら売ってやってもいいわよ」
べしっ
営業を始めたとたんにいきなり後ろからはたかれた。
「いったーーっ! なにするのよっ!!」
「…いいから、レミットは奥で花を差してて」
「うーーっ」
なによキャラットのやつ、ちょっと経験あるからってえらそうに。わたしより背が低いくせにっ。
「おや、こっちを手伝ってくれるのかい? それじゃその筒に水を入れて花を差しておくれ」
「は、はぁーい」
こーんな簡単な仕事をさせるなんて、バカにしないでよね。
筒に水を入れて、花を…。
……う。
なによこの筒、細すぎるんじゃないのっ。
うう‥‥
ええい、無理矢理入れちゃえっ!
…ぼきっ
あ゛
「レミット、何やったのっ!」
「はうっ! え、えと…」
「ひどい…。あんなに元気だったお花がこんな姿に…」
「いや、だから…」
「あれ、まあ」
「ごめんね、ごめんねおばちゃん…。ううっ…ひっく…」
「いいんだよお嬢ちゃん、お嬢ちゃんのその優しい心で花たちも救われたよ…」
…も。
もしかしてわたしが悪者っ!?
「な…なによなによっ、わたしが悪かったわよっ、ばかーーーっ!!」
「ああっレミット!?」
そのまま後ろを見ないようにして花屋を飛び出した。ふ、ふんだっ。わたしにはこの仕事は合わなかったのよっ。
ええい、次は楊雲のところにいくわよっ。
「…メロディランド」
乗り物がいっぱい。いいなぁ、乗りたいなぁ…。
じゃ、なくて。
楊雲探さなくちゃ。それにしてもあの暗い楊雲が遊園地なんて、ちょっと意外よね。
あの楊雲が…。
‥‥‥‥‥‥‥‥。
やな予感。
『 お 化 け 屋 敷 』
「イヤァァァァァァァァ!!」(楳図かずお調)
「レミットさん…何のご用ですか…」
「なんでこんなところで働いてるのよーーっ!」
「私にはうってつけの場所だと思いますが…」
そりゃまあ確かに…。
「ここのお化け屋敷はかなりのものです…。この世の全ての恐怖を集めた、さしずめ阿鼻叫喚生き地獄といったところでしょうか…」(フフフフフ)
「お前が怖いわーーーー!」
「…で、何のご用ですか…」
「うっ…」
とっとと回れ右して帰りたいところだったけど…。
使えないヤツと思われるのも嫌なので、とりあえず言うだけ言ってみる。
「や、楊雲の手伝いしようかと思って。あ、でも無理にってわけじゃないのよ」
「そうですか…分かりました…」
「ええっ!? べ、別に気を使ってくれなくてもいいのよっ。まだメイヤーとアイリスが残ってるしっ」
「いえ…ちょうど人手が足らなかったようですから…」
「…マジ?」
まじです。
と、楊雲の目が語っていた。
引きずられるようにお化け屋敷の中へ連れ込まれる。やっぱりわたしって世界一不幸な(以下略)
「レミットさんには…この着ぐるみを着て客を脅かしていただきます…」
「あの、暗くてよくわかんないんだけど、これってなんの着ぐるみ…?」
「‥‥‥‥。それではよろしく…」
「なんで答えないのーーーっ!?」
わたしが何したっていうのよぉ…。半分泣きながら物陰に潜む。もう怖すぎてお腹減ってるのも忘れた。
がさっ
「はうっ!」
あ、足音がするぅ。誰なのよぉ。
ゆっくりと姿を現したそれは…。
客だーーーーーーーーーーーーっ!!
って、当たり前やないかい!
とかなんとか一人ボケツッコミして気を紛らすわたし。
「うぐぅ、怖いよぉ…」
「大丈夫だよ〜。ふぁいとっ、だよ」
やってきたのは泣き出しそうな女の子と平然とした女の子の2人組。ううう、こっちの方が泣きたいわよ…。
「うぐ?」
はっ、気づかれたっ。こうなったら飛びだすわよっ。
せーのっ。
「おーーばーー…」
ぐきっ
「けっ!?」
ずしゃーーーーっ!!
着ぐるみのすそを引っかけたわたしは、そのまま顔面ごと地面にめり込んでいた。
「うぐっ…。こういう時ってどう反応したらいいんだろうね…」
「わ、わたしに聞かれても困るよ〜」
そして数分後
「この位ならできると思ったのですが…」
「うう…」
「無理はしない方が良いということでしょうね…」
「ううう…」
まだ、鼻の頭がひりひりする。
「アイリスさんの言うとおり、広場で遊んでいてください…」
「で、でもっ」
「遊べるうちに遊ばないと、大人になってから後悔しますよ…」
それだけ言って、静かに出口を指し示す。
わ、わたし子供じゃないもんっ…
そう言いたかったけどこの状況では説得力ゼロなので、すごすごとメロディランドを後にした。
…ふんだ。
お化け屋敷なんかじゃなければちゃんと手伝えたもんっ。いーわよいーわよ、わたしには本屋という文化的な場所が最初から似合ってたのよっ。
教えてもらった本屋に入ると、メイヤーが女の子と何か話しているところだった。
「マンガ2冊を1冊の値段で売ってくれ? それはできない相談ですねえ」
「あぅーっ…」
すげなく断られてとぼとぼと立ち去る女の子。相変わらずの冷血ぶりね…。
「やあレミットさんではないですか」
「ちょっと、さっきの子かわいそうじゃないっ」
「何を馬鹿言ってるんです。品物を買うのにお金を払うのはこの世の必然、子供の遊びとは違うんですよ。いやはやまったく」
「きーーっ」
あーっ腹立つこのインテリっ。こんど寝てる間にマジックで眼鏡に落書きでもしてやろうかしらっ!
「ところで何のご用です?」
「うっ…」
「ああ! 立ち読みですね。だったらこの『ファントッシ文明の歴史と遺産』がお勧めです。そもそもファントッシとは人形の…」
「店員が立ち読みを勧めるなっ!」
「どうせお金持ってないじゃないですか」
「ああもう、手伝いに来たのよ手伝いに! なにかすることない?」
「ないです」(キッパリ)
あっさり断言して、くるりと背を向けると本の整理を始めるメイヤー。こ、こいつはっ…。
「ね、なんかあるでしょ? せっかく来てあげたんだし」
「ありません」
「でもっ…」
振り返ったメイヤーの眼鏡が光った。
ような気がした。
「他人の仕事にちょこっと手を出して、形だけでもバイトした事にしよう」
「うっ…」
「やめてもらいたいですねえ、そういうの」
‥‥‥‥。
ズバリ言われた…。
「あなたの自尊心を満たすのに付き合ってるヒマはありませんのでねー」
「な、なによっ…。ばかあっ…」
それしか言えず、じりじりと出口に向けて後ずさる。
こ、こんなやつに頼らなくたってっ…わたしには…。
「アイリスさんの所へ逃げ込みますか?」
投げられる冷ややかな声。
「ま、あの人なら安心でしょうね。あなたにできそうな当たり障りのない仕事を必要もないのに割り振って、終われば『とても助かりました、姫さま』とかなんとか言ってくれるでしょうよ」
そう。
「あなたが何をしたでなくてもね」
だからアイリスのところには行きたくなかった。
今までずっと迷惑ばかりかけて。
それなのにアイリスは笑って許してくれて。
そしてまたアイリスに甘えて。
だから行きたくなかった。
でも…。
「でもっ…仕方ないじゃないっ…」
気がつかないうちに半泣きになってた。
「わたしっ…まだ13歳だしっ…」
「それで?」
メイヤーはこちらを向くと、じっとわたしの目を見据えた。
気持ちがどんどん後ずさる。
「ずっとお城にいたから…外のことなんてわかんないし…」
「‥‥‥‥」
「なんにも…できないし…」
どうして、アイリスに頼りたくないなんて思ったんだろう。
そんな力もないくせに。
「私は10歳の時に発掘を始めてましたよ」
冷ややかな声。
何人かの客たちが、いぶかしそうにこちらを見てる。
「自分のことは自分でやったし、他人に頼るなんてしたくないと思ってましたよ」
「なんでっ…そんな意地悪言うのよ!」
「意地悪?」
怒ってる…。
「子供扱いするなといつも言っていたのは誰ですか」
「……」
「自分がリーダーなのだと威張っていたのは誰ですか」
「…っ…」
「子供扱いされれば不平を言うくせに、都合が悪くなると子供の立場を利用する。一人前として扱えと言いながら、それに見合う仕事はしない」
余計なことするんじゃなかった。
おとなしく広場で待っていればよかったんだ。
「そうして手に入れた魔宝で、一体何を叶えようというんです?」
…目の前が真っ白になる。
客に声をかけられ、メイヤーは毎度とか言いながら仕事を始めた。手が震える。
その通りよ、分かってるわよ。
分かってっ…
震える手が勝手に動いて。
びしいっ!
気がつくと、ヤツの後頭部に思いっきりチョップしていた。
「いたっ!」
衝撃で眼鏡が落ちる。あわてて拾って、背中越しにこちらをにらみつけるメイヤー。
「暴力はいけませんね暴力は」
「よくもっ…言いたい放題言ってくれたわねぇっ…!」
「ホントの事じゃないですか」
「うるさいっ!!」
いくら怒っても、返ってくるのは呆れたような視線。
わたしの言葉に力はない。
「み…見てなさいよっ。さっき言ったこと、必ず後悔させてやるんだからあっ!」
「ほー、それは楽しみですよ」
「くっ…」
もう言うことなんてなかった。
わたしは本屋の床を蹴ると、矢のように表へ飛び出した。
悔しい。
悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい!!
陽も真上に差しかかった街の中を、歯を食いしばったまま駆けていた。
「なによなによなによなによ!!」
なんであそこまで言われなくちゃいけないのよ!
確かに役立たずだったわよ!
威張ってるくせに、結局はみんなに甘えてたわよ!!
だからってっ…
「ばかーーーーっ!!!」
青空に向かって大声で叫ぶ。
道行く人たちがと振り返る。息が切れて、もう走れずに立ち止まる。
無力。
頭に浮かぶその言葉を、振り払うようにもう一度叫んだ。
「――バイト親父!!」
「ムフッ!?」
「ここを掃除してもらいてえんだが…」
「…ハイ」
連れてこられたのは街はずれの倉庫。
汚い。
くさい。
おまけに広い。中で徒競走ができそうなくらい。
「ホントに嬢ちゃんが一人でやるのかい?」
「やるも…やりますっ!」
「いや、綺麗になりさえすりゃあ俺ぁ何でも構わんがね…」
倉庫番のおっさんはぶつぶつ言いながら、身をかがめて掃除用具を手渡した。
その浅黒い腕を見て少し後悔する。
わたしの腕はその十分の一くらいの太さしかない。
「んじゃ、あんまり無理すんなよ」
「大丈夫っ!…ですっ」
ガラガラと扉を開けて、おっさんは出ていった。
ほこりまみれの倉庫を見渡し、あらためて後悔する。
「はぅーっ…」
ヤケになって賃金の高いバイト選んじゃったけど…。
夜までに終わるの? これ…。
ため息をつきながらホウキを手にしたとき。
『ふふん』
空の向こうでメイヤーが笑ったような気がした。
むかむかむか。
「やってやるわよっ!」
掃除くらいっ…
つもり積もったほこりをホウキで掃いて、とりあえずスペースを作る。
あらわれた床にはあちらこちらに黒い染み。
バケツと雑巾渡されたってことは、拭けってことよね…。
教えられた井戸に行って、水をくんで、雑巾をゆすいで
べちゃ、と床に置いたとたん、急に目の前がゆらゆらした。
(はぅっ…肝心なこと忘れてた…)
「どうだ嬢ちゃん、調子は」
おっさんが様子を見に来たとき、わたしは床にのびていた。
「どうしたっ!?」
「朝から…なんにも食べてない…」
「なぬぅ!?」
まわりが真っ暗になっていく。
なんでわたし、こんな所でこんな事してるんだろ…。
…なんで…
王宮。
磨き上げられた石畳の床。
冷たい景色。
『第一王子殿下』
『第二王子殿下』
『第一王女殿下』
『第二王女殿下』
『第三王子殿下』
『皆様、ご機嫌うるわしゅう』
誰もわたしの名は呼ばない。
父も兄も姉も、誰も。
王妃さまがお母さんでないことは、だいぶ前から知っていた。
(じゃあわたしのお母さんは?)
教えてくれないから聞いてみる。侍女に、兵士に、教育係に。
みな困ったように視線を逸らし、用があると言い逃げていく。
最後の一人をつかまえて、しつこく、しつこく聞いてみる。
「ええ…街に評判の美女がおりました。
身分は低かったものの、国王様は気に入られてしまい
この城へと無理矢理連れてらっしゃいました。
しかしなんとも困ったことに、子供が産まれてしまったのです。
それはもうお城は、上を下への大騒ぎ」
そしてわたしのお母さんは、お金をもらって雲隠れ。
わたしだけが残される。
だからわたしは王家の恥。
『下賎の血』
『王位継承権なんてとんでもない』
『いなくなればいいのに』
厄介だけど、放り出すこともできず。
だからみんな視線を逸らす。
…誰も。
誰もわたしを見てくれない。
「わたしはここにいるのに」
みんながわたしを馬鹿にする。
「わたしはここにいるのに!」
誰も聞くわけがない。
それだけの存在だから。
とりあえずの王女という、肩書き以外はなにもない。
それだけの存在だから…
「あ…」
固い長椅子の上。
小さな詰め所らしいところで、目の前にひげ面のおっさんの顔があった。
「目ぇ覚めたか」
「う…うん…」
「まあ食えや」
大きめのパンとミルク。思わず手を出そうとして、はっと手を引っ込めて、でもお腹がすごい音を立てて。
「…いただきます…」
真っ赤になったまま受け取って、もしゃもしゃと口に押し込む。涙が出るほどおいしくて、それがよけいに情けなかった。
「食ったら今日は早いとこ帰んな。これに懲りたら無理はしねえこった」
「もがもがっ!?」
「…食ってから喋れや」
「もがっ…ま、まだ掃除がっ」
「おいおい…無理って分かったろうが」
「む、無理じゃないもん!」
急いでミルクを飲み干して、長椅子から飛び降りる。冗談じゃない。バイトしに来たのに、倒れて食べて帰ったんじゃお話にもならない。
「大丈夫っ、ちょっとお腹がすいてただけなんだから! ほらもうこんなに元気っ!」
「あのなあ嬢ちゃん…こっちだって遊びじゃねえんだ」
「お願い……しますっ」
頭を下げる。
このわたしがこんな事…
そう聞こえてくる暗い声を押し込めて。
「そんなに金に困ってるのか?」
「そうじゃなくてっ…!」
薄い財布を開いてお金を恵もうとしてる。わたしは思わず悲鳴を上げた。
「そりゃお金もないけどそうじゃなくてっ…」
「お父さんとお母さんは」
「………いない…っ」
「そうか…」
「そ、その、仲間はいるけど…。待ってればお金持ってきてくれるけど…」
仲間?
みんなは仲間なんだろうか。
「ならいいじゃねぇか、待ってれば」
「良くない…っ!」
あれは保護者というんじゃないだろうか。
みんな優しくしてくれる。
わたしの我が儘で始めた旅に、文句も言わずについてきてくれる。
それはわたしが子供だから…。
「だったら何で無理してバイトなんかする? 人の好意は素直に受けとくもんだろう」
「わたしっ…」
誰もわたしを当てにしなくて。
わたしも何もしないで。
「わたしにだって意地くらいあるわよ!」
思わず立ち上がって叫んでた。
「みんな優しくしてくれる。でもそれに甘えるなら、わたしは何も変わらない。優しくしてもらう価値なんてない。貰うだけで何も返せなくて、我が儘で、力もなくて、何もできなくて…」
『いなくなればいいのに』
無数の声に押しつぶされそうだった時間。
あそこから逃げ出しても、わたしが何か変わるわけでもない。
わたしが存在する意味はどこにもなく。
出来もしない仕事を引き受けて、途中のままで投げ出すの…?
「お願いしますっ…」
嫌だ。
この程度のことを投げ出すなら、旅なんてやめた方がいい。
あの城の中で一生飼われていればいい。
何のためにみんなを巻き込んでまで、この旅を始めたのよ…!
「意地ねえ…」
少しの沈黙の後、低く呟く声が響く。
思い上がってるだろうか。
差し伸べられる手を自分から振り払おうなんて。
でも…退けない!
「ようしわかった!」
大きく広い手で、ばしん!と背中を叩かれる。
「そこまでの覚悟があるなら何も言わねぇ、やるだけやんな。だがな嬢ちゃん、そこまで言うなら手助けはしてやんねえぜ」
「の、望むところよっ!」
チャンスができた。
もう四の五の言ってられない。おっさんの気が変わる前に、大急ぎで部屋を出る。
できることが残ってるんだ!
「待っててね、すぐ片づけるから!」
ぐ〜〜〜〜〜
パン1個じゃ足りなかったみたいだけど。
「…お腹がすいたくらいなによっ!」
かえって力を入れて床を拭く。
外にバケツの中身を捨て、新しい水をくんで、雑巾をゆすいで。
それを何度でも繰り返す。
腕はくたくたで、服は泥まみれ。
苦しい。
(余計なことするんじゃなかった)
(おとなしく広場で待ってればよかった、それだけでよかったのに)
何度もそう思って、でも思い出すのは昔の景色。
冷たい床。
冷たい壁。
冷たい視線。
二度とあそこには戻りたくない。
(何になりたかった?)
誉めてもらいたかった。
誉められるようになりたかった。
わたしに価値はあるんだって、認められるようになりたかったんだ。
大した覚悟もないままお城を飛び出したわたし。
ついてきてくれたアイリス。
パーリアの街で出会ったみんな。
その本当の仲間になりたいなら。
このくらい…
「――やり遂げないでどうするのよ!」
夜になっていた。
窓から入る月明かりを、頼っての仕事は大変だった。
でも…何にでも終わりはあるんだ。
少しずつでも進めていれば、いつかは終わるのは当たり前なんだけど。
でも…
「終わったんだ…」
その場にへたり込む。
もう手足の感覚もない。
座っていることもできずに、ごろんと仰向けに寝転がる。
でも終わった。
終えた。
たかが倉庫の掃除のバイトでも。
一人で最後までやったんだ。
「やったな、嬢ちゃん」
そんな声にも、顔だけ動かすのが精一杯。
ぐっと立てられた親指に、力は入らないけどVサインで返す。
「へへーんだ…軽い仕事だったわよ…」
「はは、違いねぇ。ほらよ」
寝転がったままの胸の上に、布でできた袋が置かれる。
中でちゃりん、と音がする。
「お金…」
「ああ、お疲れさん」
「わたしの…?」
「そうだ」
「わたしの…」
両手で袋をはさんで、目の前で確認して。
そのまま顔を覆いかくす。
「…泣いてんのか?」
「泣いて…ないもんっ…」
「そうか…そうだな」
掃除道具を片づけながら、おっさんは呟くように言った。
「ほらよ、立てるか?」
「た、立てるわよっ」
手を差し出される前に立ち上がる。少しよろめくけど、自分の足で。
意地っ張りで、負けず嫌い。
自分でもそう思うけど。
そういう自分がいる限りは大丈夫なのかなって、そんな風にも思えるから。
「これからどうすんだ?」
「あ…旅の途中なの。まだ先は長いし、すぐこの街も出発しちゃうと思う」
「そりゃ寂しいなあ」
「か、帰り道に寄ってあげるわよ。そしたらまた働かせてよね」
「おお、もうちょっと背が伸びてたらな」
「きっとすっごい美人になってるわよっ」
そしてぺこり、とお辞儀をして。
「…お昼ごちそうさま。おいしかった」
「気にするない。じゃ、閉めるぜ」
「うんっ」
倉庫の出口で振り返る。わたしの初めての仕事場。
こんなにも広い床を、わたし一人で片づけたのがまだ信じられない。
でもずっと形だけだったプライドが。
今は少しだけ確かになる。
「じゃね、おじさん」
「おう、仲間によろしくな」
「うんっ…!」
最後に手を振って、勢いよく表へ飛び出す。
見上げれば満点の星。
遮るものは何もなくて。
どこまでも広がる空気を、今は思い切り吸いこんで…
胸にお金を抱えたまま、自然と歩みが速くなる。
みんなは誉めてくれるだろうか?
わたしのやったことを、認めてくれるだろうか?
少し不安になって、でも広場まで戻る必要はなかった。
「姫さま…」
アイリス。
「…お疲れ様でした」
楊雲。
「ま、あなたにしては上出来でしょう」
メイヤー。
「ボクもうお腹ぺこぺこだよー」
キャラット。
道路に出たところで、4人の姿が出迎える…。
「もうっ…なんでこんな所で待ってるのよっ…」
声が怒ってしまうのは、嬉しくて仕方ないから。
「それはですねー。仕事案内人氏に問いただしたところこちらに来ていると聞きまして」
「そーいうことを聞いてんじゃないわよっ!」
「姫さま」
答えを聞く前に、ぎゅっとアイリスに抱きしめられる。
「わっ…」
「よくやりましたね…」
暖かい胸。
(ああ、そっか)
簡単なことだったんだ。
何もできない自分に負い目を感じてたなら。
何かしさえすればそれで良かったんだ。
「アイリス…」
何度も救われて。
少しでもお返しができただろうか。
「偉かったですよ、姫さま」
「別に偉かないですよ。ようやくみんなと対等の事したってだけですし」
「悪かったわねっ」
ぷーっと膨らんで、アイリスの手をそっと離す。
そう、これで満足なんてしてられないね。
わたしの旅は今始まったんだから。
「ほら、早くごはん食べに行くわよっ」
「さんせーい!」
「そうですね、姫さま」
「お店が開いていると良いのですが…」
ぞろぞろと、街の明かりへと向かいながら。
メイヤーの隣に並んで、小声で話しかける。
「ありがと」
「何かお礼言われるようなことしましたっけ」
「対等に扱ってくれたから」
同情しなかったから。
返事はいつものような強い、自信を持った笑み。
「ま、そうでなくては困りますから」
「えーえーそうでしょうともっ」
「レミットーっ、ここの店開いてるよーっ」
「夜中に大声で呼ばないでよみっともないわねっ」
くたくたの体を引きずるようにして、いい匂いのするお店へとたどり着く。
「みんな、今日はわたしのおごりだからどんどん食べてよねっ」
「すぐ調子に乗る…」
「なんか言ったっ!?」
「ご馳走になりますね、姫さま」
にこにこと笑いながら。
「…姫さまも大きくなっていくんですね」
注文を終えた後、アイリスがぽつりとつぶやいた。
「…うん、早く大きくなりたい」
「少し寂しいですけどね」
きっと何かが変わってく。
そのための旅だから。
「でも、嬉しいですよ」
暖かい笑顔。
暖かい空気。
照れくさくて、下を向いて。
いつか、この旅が終わるとき。
今までたくさん貰ったことを、みんなにお返しできるかな。
少しずつでも返していけるかな。
そんなことを思ってる間に、湯気の立つ料理が運ばれてくる。
「わーい、いただきますっ」
「…いただきます…」
「いただくとしましょう」
「いただきます」
だから今は。
みんなとテーブルを囲める幸せを味わおう。
ひと仕事終えた後のご飯は、なによりおいしいはずだから…
「いただきまーすっ!」
<END>