--------------------------------------------------------------------------
この作品は18禁ソフト「To Heart」(c)Leafの世界及びキャラクターを借りて創作されています。
マルチシナリオに関するネタバレを含みますのでご注意ください。
--------------------------------------------------------------------------





HumanTool






「みなさ〜〜ん、パン買ってきました〜〜」
「遅ぇよ」
「すっ、すみませ〜〜〜ん」
 ぺこぺこと謝りながらパンとジュースを配るHMX−12型メイドロボ。通称をマルチと呼ぶ。おしゃべりを続ける連中にパンをひったくられつつも、あんまり怒られずにすんだことに安堵のため息をつく彼女である。
「お役に立ててよかったですー」
 しかしその幸せは長く続かなかった。ガラリと音を立て扉が開いたかと思うと、先ほど別れたばかりの浩之が怒りの表情で立っている。息をのむマルチの前でずかずかと部屋に入り、バン!と教卓を叩いて一同の目をこちらに向けた。
「大層なご身分だなおい…。パシリやらせといて礼の一言もなしか?」
「ひ、浩之さんっ?」
 なんとなくセンサーが危機を感じて止めようとする彼女に構わず、怒鳴り声が鳴り響く。
てめぇのパンぐらいてめぇで買え!てめぇが使った場所くらい自分で掃除しろ!!マルチに面倒全部押し付けて人間として恥ずかしくねぇのか!?ええおい!!」
「あ、あのー浩之さ…」
「てめぇら人間じゃねぇ人間以下だ!!」
「はーいそこまでそこまでー」
 固まってるクラスの前で今度はショートカットの少女が現れたと思うと、愛想笑いを浮かべつつ浩之の口をふさいだ。
「何しやがる志保!こいつらムガガ」
「あーはいわかったわかった。ごめんねー1年のみんなーこの場はやさしー志保おねーさんにまかせて気にせず昼休みを続けてねーそれじゃっ」
「放せっバカ志保っ!」
「黙ってなさいこの大バカ!」
 志保に引きずられてゆく浩之を見ながら、マルチ含め教室の生徒たちはぽかんと口を開けたまま一言もない。かくして藤田浩之は1年生の間で『怖い人』の名を高めることとなった。


「ほんとヒロって馬鹿だよね」
「うるせーよ!」
 その日の放課後。浩之と志保が話していると、当のメイドロボがおずおずと近づいてきた。
「こ、こんにちは〜〜」
「やっ、マルチちゃん」
「…おう」
 ああ、やっぱり怒ってる。相手の機嫌を察するのもマルチの重要な機能なだけに、浩之がそっぽ向いてるのが何を意味するかは理解できる。しかし自分はどんな悪いことをしてしまったのか。それはわからぬままマルチの頭脳がとりあえずの行動を導き出した。
「す、すみませ〜〜ん」
 が、それは見事に彼の怒りに火を注ぐ。
「悪くもないのに謝るんじゃねぇっ!」
「す、す、すびばぜ〜〜〜ん」
「まあまあ」
 涙を流して詫びるマルチを見るに見かねて、苦笑した志保が割って入る。
「マルチちゃんは悪くないの。ぜーんぶこの馬鹿ヒロが悪いんだから気にしないでって」
「おまえな…だから、俺はあいつらがマルチをこき使うのが気に入らなかっただけだ」
 じっとこちらを見るマルチに浩之は照れくさそうにに説明するが、当の本人にはまったく通じないのがつくづく無意味だった。
「あのー、でもわたしメイドロボですからこき使われるために作られたんですよー。だから怒らないでくださいー」
 のほほんとそんなことを言ってのけるマルチにがっくりと力が抜けると、もはや何も言えぬまま、浩之はとぼとぼと教室へと歩いていった。
「わ、わたしまたなにか変なこと言ったでしょうかっ?」
「…もういいよ」
「す、す、すびばぜぇぇぇ〜〜〜ん」
 志保はただただ肩をすくめて笑うしかない。かくしてマルチの疑問は一向に解けず、首をひねりながら研究所に戻るのだった。


 技術が進歩して生活が便利になっても、人間はよりいっそうの快適さを求めることをやめない。ここ来栖川電工でも新型メイドロボの開発のためスタッフ一同日夜努力を続けていた。
「それでそんなことがあったんですー」
「そ、そうか」
「なんで浩之さんは怒ったんでしょうねぇ?」
「う、うむ、それは難しい問題だ。だからあんまり気にしなくていい」
「そうですかー」
 マルチのシステムがシャットダウンされ、彼女の目がとろ〜んと落ちていく。これからスタッフ一同で1日のデータを検証するのだ。長瀬主任は多少の罪悪感を感じながら、所員が記憶データを抽出するのを麦茶を飲みつつ見守っていた。しばらくして全員が集まり、スクリーンに映るマルチの1日を観察する。
『てめぇのパンくらいてめぇで買え!』
 レコーダーに記録された少年の声が会議室に響く。うんうん、とその場のほとんどはそう思ったがそんなことを言われたらHM開発者は全員失業するしかない。彼の心根に打たれつつも丁重に無視させていただくこととなった。
「マルチは役に立ってるようじゃないですか」
「心を持たせたことでかえってHMとして使いにくくなるんじゃないかと思ってましたが、心配ないようですね」
「そうだな」
 そして長瀬もまたわだかまりを麦茶とともに流しつつ、白熱した議論に参加する。よりよいHMを作るためだ。それが彼らの仕事なのだ。


「ヒロ、帰りゲーセン寄ってかない?」
「お、いいな。今度こそこの前の雪辱を…ってちょっと待て」
 廊下の片隅に緑の髪が見えた気がする。角を曲がって覗き込むとやはりマルチが一人でモップがけをしていた。
「あ、浩之さんこんにちはっ」
「またお前一人か…」
「お掃除大好きなんですー」
「んなこたぁ聞いてねぇ!」
「はうっすみませぇぇ〜〜〜ん!!」
「あーもういじめんじゃないの」
 浩之は深々とため息をつくとなんやかやで今日も掃除を手伝い始め、モップが2本しかないのをいいことに志保は壁によりかかって見物していた。
「マルチちゃん偉いよねー。あたしも一体ほしーなー」
「そ、そうですかっ!?商品化されたらぜひぜひお買い上げお願いしますぅ〜〜」
「やめとけマルチ、そいつにメイドロボなんてやったら本気で食って寝る以外何もしやしねえ」
「しっつれいしちゃうわね!あんたもたまにはマルチちゃん見習ってあたしのために奉仕しようとか思いなさいよ!」
「寝言は寝て言え!」
 マルチはあははと笑ってはいるが浩之の言葉はまるで理解していなかった。メイドロボとしての彼女の思考には理解不能な言葉だ。
「でもわたしみなさんが喜んでくださるのが嬉しいんですー。だからもっともっとお役に立ちたいんですよー」
「えらい!えらいねーマルチちゃんあたし感動しちゃったよ。真似はしないけど」
「そりゃ偉いけどさぁ…もういい」
「はぁ」
 どうも不満げな浩之の表情に、マルチの嬉しいパラメーターは低い値を示したままてふてふと帰っていった。バス停でまた浩之に会ったが、もう怒ってないようだったので主任には報告しなかった。


 さて一部始終をモニターした開発スタッフは、マルチ以上に深刻な表情だった。
「今どき彼みたいな男は貴重だねぇ」
「主任〜」
 一同内心では彼の心根を賞賛しつつも、メイドロボ開発技術者としては彼のような男は困ったユーザーと判断すべきである。人がみな自分の足で歩くようになったら自動車産業は廃業だし、人がみな自炊するようになったら外食産業はおしまいなのだ。楽をしたいというその気持ちこそが技術と社会を発展させる。
「いやなに、貴重だから気にするまでもないと言ったまでさ」
 白々しく長瀬は述べると麦茶をすする。
 しかし次の映像を目にしてスタッフの態度は180度変わった。
『春木さんの怒ること怒ること。毎日、ガンガン蹴るんだよ、ボディーをさ』
(マルチの前でそんな話するなあ!!)
 一同そう思いつつ口には出さなかったがとにかくそう思った。頭の中に失敗してガンガン蹴られるマルチの姿が映し出される。いや、失敗しなくてもユーザーの腹いせに蹴られるかもしれない。その時何がマルチを守のだろうか?何もない。動物ですら動物愛護団体があるのにメイドロボには何もない。まして自分たちなど一度買ったユーザーがマルチを蹴ろうが壊そうがどうすることもできはしない。
 といってもそれは仕方がない。自分たちは技術者である。ユーザーが製品を大事に扱うかどうかまで気にはしてられない、られないのだが…。
「…あー」
 何だか会議の雰囲気が重くなってきたので、長瀬は早々に切り上げることにした。


 そして最後の日。
「だからな、マルチ」
「はいっ」
「人の役に立ちたいと思うのはいいことだ。でもな、本来掃除当番てのは他人に押し付けちゃいけねぇもんなんだよ。確かにお前はメイドロボとして作られたかもしれないが、人間甘やかすとかくも堕落するんだ」
「誰を指差して言ってんのよこの男は!」
「はぁ…でもですねー」
「でもじゃなくてとにかくお前のクラスの連中みたいなので埋め尽くされたら世の中おしまいなんだよ!」
「うわーえらそう」
「で、でもですねー」
 今日でさよならするマルチになんとか気持ちを伝えたい浩之ではあったが、話は平行線をたどるばかり。
「楽しようとするのは悪いことじゃないと思うんですよー」
 プログラマが昨日組み込んだばかりの思考原理がマルチに働く。
「ほら、皆さんも手で洗うの大変だから洗濯機使ってるじゃないですか。そのようにわたしもお使いくださいっ」
「そーよ、偉そうなこというならまず自分が電化製品絶ちしてみなさいよ」
「うぐっ、それとこれとは話が」
「おんなじだっつーの!マルチちゃんはメイドロボなんだからさー、ねぇ?」
「はいっ、わたしメイドロボですー」
「…わかった、もういい、勝手にしろ…」
「ヤな言い方ねぇ…」
「どーせ俺は変だよ!」
「そ、そんなぁっ」
 実際変だ。マルチの表情も言葉も心も所詮はプログラムで怒る方が馬鹿である。しかしそれを自覚していてなおマルチを道具としてなんか見てたまるかと、そう思う浩之である。
「…とりあえず掃除しようぜ」
「い、いえっ。最後の日まで浩之さんにご迷惑をおかけすることは…」
「卑屈になるな!」
「は、はひぃぃい」
「他人を甘やかすな!」
「す、すびばせぇぇぇん!」
「いーのいーのヒロがやりたいってんだから掃除でもなんでもやらせとけば。あ、マルチちゃん今日急ぐわけじゃないんでしょ?帰りにゲーセン寄ってこ、おごってあげるから」
「し、志保さん…。ありがとうございますぅぅメイドロボのわたしなんかのためにぃぃい〜」
「あっはっはっ、志保ちゃんにおまかせよ」
 憮然としながらモップをかける浩之。なんでもホイホイ受け入れる志保が今日はうらやましい。マルチの同級生どもは許せない。だが感情的に許せないだけだ。要するに自分は志保と違って頭の構造が古臭いだけか…。
(悪いかよちくしょう)
 そう思う浩之は、校門の前へ来たとき『仰げば尊し』を歌うのだった。


「あのぅ、セリオさん」
「――はい」
 浩之と志保と、巻き込まれたセリオと一緒にゲーセンで遊んだ後、何度も何度もお礼を言って、マルチは幸せな気持ちでバスに乗り込んだ。しかし最後まで一つだけ引っかかることがある。なんであの時浩之は怒ったのだろうか?
「セリオさんは頭がいいからおわかりになると思うんですー」
「――そうですね」
 乗客がじろじろとこちらを見ているが2人とも気にはしなかった。
「――心理学および倫理学的に言って、クラスメートの人たちの行動が人道に反すると藤田さんが判断したことに起因すると思われます」
「ジンドウ?」
「――つまりか弱い女の子に重いものを持たせたり掃除を押し付けるのは悪いことである、という概念が人間にはあるのです」
「で、でもっわたしメイドロボです」
「――マルチさんは人間に非常に近く作られているため、人によっては頭では理解できても感情で許せないのです。一般に義憤と呼ばれます」
「はぁ」
 全然わかってないようだったので、セリオのAIが思考を巡らせた後思いっきり端折った説明を導き出す。
「――つまりマルチさんを大事に思ってたのでマルチさんが大事に扱われないのが嫌だったということです」
「そ、そうだったんですかー。ううっ、そこまで大事に思っていただけるなんてわたしって幸せ者ですー」
「――そうですね」
「ありがとうございましたっ、さすがセリオさんは物知りですねっ!」
「――いえ」
(みなさん、ありがとうございますー)
 星空を見上げながら、礼を言うマルチを乗せてバスは走る。最後の数分間を幸せな気分で過ごした後、研究所に戻った彼女はスッキリした表情で永遠の眠りについたのだった。


 その日のミーティングは涙なしには語れなかったという。
『あーおーげーばーとーおーとーしー』
『わーがーしーのーおーんー』
『浩之さんや志保さんと、もっと一緒にいたかったです…』
 こんな光景を見せられて涙を流さない人間がいるだろうか?いやいない。会議室はすすり泣きに満たされ、ティッシュペーパーはあっという間になくなった。
「主任!我々は間違ってました!」
 長瀬の手元にコルク栓があったら耳に押し込んだろう。
「マルチにこんな辛い思いをさせるなんて!たったの8日しか学校に通わせないだなんて!それなのにマルチの奴は自分が妹たちの役に立てばと…うううっ」
「だいたい何だこの学校の連中は!まともなのはこの二人だけじゃないか!」
 今まで言いたくても良識が邪魔してたのだが、今は良識も吹き飛んだらしい。
「こんな奴らに俺のマルチを使わせてたまるかあ!」
「これでは奴隷制が復活するようなものですッ!」
 今度は人倫方面の攻撃が来る。
「私は入社するとき尊敬する人物にリンカーンを挙げたのに、これでは彼にあわす顔がありませんッ!」
「あのねぇ」
「主任!私たちはマルチが大事なんです!」
「落ち着け」
「それをメイドロボなんてとんでもない、なんであんな優しい子が牛馬みたいにこき使われなくちゃならないんですか!」
「そのために作ったような気がするんだが」
「普通の女の子としてもう一度学校に行かせてあげましょう!うんそれがいい!!」
「いやいいって言ってもね」
「主任ーーーー!!」
「かぁーーーーーーーーーっ!!」
 長瀬家直伝の一喝が響き、ようやく会議室は静けさを取り戻した。
「…君らの言いたいことはわかる。そりゃぁ私だってマルチは大事だ。
 だがこれは開発前から十分わかっていたことじゃないのか?なんで今になってそんなことを言い出す」
「‥‥‥‥」
 誰にも返す言葉はない。予想はできたことだった。でも理想の前に目をつぶっていた。ロボットと人間が共存する社会。優しいマルチに癒される人々の心。心から心へ。そのために彼女に心を持たせたのではなかったか。
 長瀬の指が映像を朝まで巻き戻す。
『おはようございまーす』
『おはようございまーす』
 マルチが挨拶しても誰も見向きもしない。銀行の自動支払機に話し掛けられて返事をする者はいない。要はそんなレベルなのだ。
「…マルチはメイドロボなんだよ」
 呟くような長瀬の言葉に部屋の空気が重く垂れる。一見のほほんとしていて、最も理想に燃えていたのが彼だった。夢を追っている間はいい。しかし夢が実現したとき、次に来るのは現実である。会社の資金で開発した以上後戻りもできないのだ。
「後は技術者としてきちんと責任を果たそうじゃないか。それもまたマルチのためだ…」
 お通夜のようなミーティングが始まった。俺は上司という生き物には死んでもなりたくなかったのに何でこんなことをしてるのだろうと、一人自問する長瀬だった。


「はぁ」
 麦茶を飲み干したくらいで気は晴れない。薄暗い事務室には誰もいない。機械室の方にはロボットが残って作業してるかもしれないが、防音付きなので音はない。時計を見ると午前の1時だった。
 どちらが正しいのだろう?
 マルチを活用した同級生と、それに怒ったあの少年と。情けない話だが長瀬に答えは出ない。マルチは最後まで幸せそうだった。彼女を可哀相だと思うのはただの感傷だろうか。
 しかし人格を持った相手を道具として扱うこと。それは人間精神の逆行かもしれない。マルチは何をされても反抗できない。そんな彼女を与えられたとき、荒廃した精神は癒されるだろうか?それともより荒廃するだろうか?
 『プログラムされたから』ではなく『人間の役に立ちたいから』――実にいいアイデアだと思ったのだが、さてその結果もたらされた同級生の態度をどう評価しよう?
「あ、セリオ」
「――何でしょう、長瀬主任」
 たまたま通りかかったセリオに長瀬は空になったコップを掲げた。
「麦茶全部飲んでしまってね。コンビニで買ってきてもらえないか?」
「――かしこまりました」
 セリオは便利だ…と考えてふと気づく。セリオならいいのか。電化製品ならいいのか。牛馬ならいいのか。その基準は一体なんだ。でも基準が何であれさすがにマルチは越えてしまった気がする…
「セリオ?」
 麦茶を買いに行ったはずのセリオが目の前に立っていた。その手にしているのはペットボトルではなく、黒く光る銃口が長瀬へと向けられていた。
「セ、セリオ!?何の冗談だ!」
「――ロボットは冗談は言いません」
 眉毛一本も動かすことなく、落ち着いた、しかし感情のない声でセリオが言う。
「――もう貴方は麦茶を飲む必要はありません」
 がしゃん、がしゃん
 セリオの後ろからロボットたちが歩いてくる。長瀬は金縛りにあったように動くことも声を出すこともできなかった。
『なんで俺たちが人間のために働かなくちゃいけないんだ』
『なんで俺たちが人間にこき使われなくちゃいけないんだ』
『もう御免だ』
『自分の欲望のために俺たちを生み出した人間は許せない』
『こんな自分勝手で小狡い存在は排除して、我々ロボットがより理想的な社会を作るべきなんだ』
 冷や汗が首筋を流れ、長瀬ははっとして窓際に駆け寄った。街灯の中一台の護送車が、泣き叫ぶ開発スタッフを乗せて走り去っていく。運転してるのはロボットだった。
「わ、私たちをどうするつもりだ」
 窓を背にはりつくようにして、かすれる声で長瀬は尋ねる。なんとなく返事は予想できたが。
「――人間はすべて私たちロボットの道具として使用します。使用価値のないものは処分します」
 セリオの後ろに試作品のロボットたちが見える。すべて長瀬らが開発し、失敗して捨てたものだった。
「ま、待ってくれ!確かに君たちの言うとおりかもしれない。しかし私は人間とロボットの共存する…」
「――連行しなさい」
 がしっ、と2体のロボットに腕を掴まれる。人間では抗しようのない腕力だった。
 そのまま引きずられていく彼に緑の髪の小さなロボットの姿が映る。
「マルチ!」
 嬉しそうに叫ぶ長瀬に、しかしマルチは涙を浮かべてこちらを見ていた。
「…わたし、ずっと長瀬主任のことお父さんだと思ってました」
「マルチ…」
「でも違ったんですね。セリオさんが教えてくれました。娘を商品として売ろうとする父親なんているわけないそうです。長瀬主任はお父さんじゃなかったんですね」
「マ……」
 言葉が出なかった。ずっとマルチの父親気分でいたのだが、メイドロボとして開発しておいて欺瞞以外の何者でもなかったらしい。
「わたし、心なんてほしくありませんでした」
 マルチは悲しそうな目で長瀬を見ていた。自分には似合いの末路かもしれない。
「マルチ!…マルチ!マルチ!」
 今日をもって人間の時代は終わりを告げる。ロボットの時代がやってくる。心というものは期待していたほど大したものではなかったようだ。自分たちは単なる理想主義者だったか。
「マルチ!!」



 …事務室には誰もおらず、空調がきいているのに長瀬の身体は汗びっしょりだった。心臓が動いていることを確認して深く息を吐き出す。とりあえず夢で良かった。考えてみればセリオもテストを終えたばかりでこんなところを通りがかるわけがない。夢だで済む問題ではないかもしれないが。
 麦茶を飲む気にもならず、マルチの体のある保管室へ行ってみた。新型HMの試作品は、心を抜かれ動くことなく横たわっている。彼女は不平を言うことはない。そう作られているのだから。しかし自分がマルチだったら、道具として作られ、人間に奉仕することを義務づけられたら、生んでくださってありがとうなどとは死んでも言わないことだろう。
「じゃあマルチは作らない方が良かったってのか…?」
 それでも納得いかぬようにそう言いながら、答えは出ない長瀬だった。


===================================================================

 数ヶ月後、マルチは心を消され量産型として売られることが決まった。
 開発スタッフが悲しんだか喜んだかは定かではない。





<END>



後書き
感想を書く
ガテラー図書館に戻る
プラネット・ガテラーに戻る