この作品は小説「マリア様がみてる」(今野緒雪/コバルト文庫) の世界及びキャラクターを借りた二次創作です。







トリコロール・フレシュ










 もうすぐ冬が来る。

 十一月も後半に入った。地球温暖化のせいなのかあまり実感はないが、カレンダーだけは日々容赦なく過ぎていく。
「冬が終われば、お姉さま方も卒業よね」
 放課後に薔薇の館へ向かう途中、隣を歩く由乃さんはあっさりと言った。
 祐巳がなるべく考えないようにしていた事なのに。
「やめてよ。そりゃ由乃さんは、卒業後も家は隣だから平気だろうけど」
「何言ってるの。お姉さまの事より、問題は私たちの事よ。もうじき山百合会のトップに立つんだから」
「うわぁ、それはもっと考えたくない…」
 選挙があるとはいえ、対立候補がなければあと数ヶ月で祐巳が紅薔薇さまだ。前々から分かっていたことながら、未だに想像がつかないし、自覚のしようもない。
「由乃さん、自信ある? あるなら表舞台は由乃さんと志摩子さんに任せて、私は雑用で…」
「何を情けないこと言ってるのよっ。自信があるかないかじゃないの。自信を持つの!」
「頼もしいわね、由乃ちゃん」
 大声で話していたのが聞こえてしまったのか、振り返ると、祥子さまと令さまが笑いながら歩いていた。
「あ、あら祥子さまにお姉さま。ごきげんよう」
「ごきげんよう。それにひきかえうちの妹ときたら」
「あうっ! い、いえ別に逃げようとかそういうのではなくてですね、ただちょっと心の準備が…」
「ああ、それなら丁度良かった」
 と、いつもの人のいい笑顔で話し出す令さま。
「志摩子にはもう話したんだけどね。クリスマスのミサの準備、あなたたち三人でやってみない?」
「私たちって…私と由乃さんと志摩子さんですか?」
「そう。大した仕事じゃないし、練習に丁度いいかと思って」
「どんな仕事でしょう」
「ミサ自体は神父さまにお任せだから、生徒への案内と、椅子並べの手配くらいかな」
 ほっと胸をなで下ろす祐巳。由乃さんと頷き合ってから、背筋を伸ばしてお姉さま方に答えた。
「はい、それくらいなら私たち三人にお任せください」
「そうね。大したことないんだから、つぼみとしての仕事も手を抜かないように。文化祭の報告書は今週中に刷っておくのよ」
「ハイ…」
 人使いの荒い祥子さまは、今日の用はそれだけだからと校門の方へ行ってしまった。令さまもそれを追い、その背中に「受験勉強頑張ってくださいねー!」と声をかけてから、由乃さんと一緒に薔薇の館へ。
 中には志摩子さんと乃梨子ちゃんが来ていた。
 志摩子さんは既に承知していて、それでは三人で話し合いましょうということになる。
 他に用事もないので、せっかく来てもらったのに悪いが乃梨子ちゃんには帰ってもらった。少し寂しそうだったけれど、この三人でやっていくのだから仕方ない。志摩子さんまで寂しそうだったけれど。この三人なのだから。

「それでは、どうしましょうか。先に報告書を作る?」
 テーブルの片端を囲むように座り、まずは志摩子さんが切り出した。報告書の原稿は既に祥子さまが作っているので、印刷とホッチキス止めだけの仕事である。
「単純作業だし、後でもいいんじゃない?」
「そうね。それじゃミサの話ね」
 志摩子さんが去年の資料を二人に配る。来月初旬までには実施計画書を先生に出さなければいけないらしい。
「でも年によって変わるものではないし、昨年と同じでいいと思うわ」
「あ、そうなんだ。じゃあ別に何も考えなくても…」
「反対はんたーい」
 いきなり手を挙げる由乃さんに、祐巳はぎょっとして顔を向けた。
「よ、由乃さん?」
「毎年同じなんて面白くない。もう少し工夫があってもいいじゃない」
「と、いうと?」
「クリスマス会よ! ミサの後にでもクラッカーを鳴らして、みんなで『メリークリスマース!』と大声で叫ぶのはどうかしら」
「あ、あのね由乃さん」
 こんなことを言い出されるとは予想もしていなかったのだろう。少しこわばった笑顔を浮かべながら、志摩子さんが答えた。
「クリスマスというのはお祭りではないのよ。個人でするのは構わないけど、学校ですることではないと思うわ。ましてや厳粛なミサの直後になんて…」
「もう、志摩子さんは真面目なんだから。いいじゃないみんなが楽しめれば」
「そういう問題じゃ…」
「そうだ、私たちでサンタをやるってのはどう? 一年生はトナカイ役。ミサが終わると同時に照明を落として、スポットライトを浴びて登場。みんなにキャンディをばら撒くの」
「そ、そんなふざけた企画、先生が認めてくださるわけないでしょう!」
「やってみなけりゃ分からないじゃない! 何よやる前から諦めちゃって!」
(あ、あわわわわ…)
 祐巳が口を挟めないでいる間に、いつの間にかヒートアップしている。さすがにまずいと、無理に笑顔を作りながら間に入る。
「ま、まあまあまあ。いきなり決めるのは無理があったよね! とりあえず明日までに各自で考えてくるってことで、ねっねっ?」
「…祐巳さんがそう言うなら…」
 由乃さんは不服そうに答え、志摩子さんも少し蒼白な顔で頷いた。
 かくして最初の会議は、僅か数分で解散することになった。
 この三人でやっていくはずなのに――早くも雲行きが怪しくなってきた。



 一日が矢のように過ぎて、そして翌日の放課後。
「祐巳さん、一緒に行きましょ」
「うん」
 クラスが同じだと、どうしても由乃さんとの行動が多くなる。たまには志摩子さんを呼んで行こうかとも思ったが――もし廊下で昨日のようなことになったらと思うと躊躇してしまう。先に行っているかもしれないし。
「由乃さん、昨日のはやっぱり無茶だよ。先生にカミナリ落とされるよ」
「うん、私もそう思う。ちょっと言ってみただけ」
「…あのねぇっ」
「まあ良かったじゃない、初めて志摩子さんとケンカできたんだもの」
 頭上に疑問符が浮かぶ祐巳に、由乃さんはにこにこしながら言った。
「あの人って、ああでもないと本気出してくれないから」
「それって…」
「もうすぐ三人でやってくんだしね。いつまでも他人行儀にしてられないじゃない」
 それは確かに、相変わらず志摩子さんは少し遠慮気味というか、本心をさらけ出さないところはある。
 もっと仲良くなりたいという意見には、祐巳も諸手を挙げて賛成するけど…
「その方法がケンカ?」
「そう、本気で斬り合ってこそ真の絆は生まれるのよ。昔の剣豪はそうしていたものよ」
「剣豪って…由乃さ〜ん」
 妙なところが体育会系な彼女に閉口しながら館に着くと、なぜか志摩子さんが入口で待っていた。
「志摩子さん?」
「由乃さん…」
 いつもながら綺麗な彼女は、けど何か、思い詰めたような顔をしている。
「ごめんなさい」
「へ?」
「その…昨日は、少し言い過ぎたわ。私のせいで由乃さんが不愉快な思いをしたんじゃないかって…」

「……」
 由乃さんも祐巳もあんぐりと口を開けていた。
 それは昨日は珍しく志摩子さんも声を荒げはしたが、どう考えても由乃さんの方が数倍は口が悪かったと思うが…。
 しかし眼前の友人は、どうやらそんなことで一日悩んでいたらしく、ふさぎこんだ顔で返事を待っている。
「あ、そう…」
 一方の由乃さんの顔は、見る間に能面のようになっていく。
「で、どうするの? 私の意見を採用してくれるの?」
「それは…そういうわけではないけど、でも由乃さんはせっかく意見を出してくれたのだし、私ももう少し配慮すべきだったと思うの。本当にごめんなさい」
「…気にしないで。あの程度でいちいち不愉快になるわけないでしょ」
 と、不愉快そのものの顔で言い捨てて、由乃さんは中に入っていってしまう。
 青ざめている志摩子さんに何と言っていいものやらわからず、祐巳もその後を追った。
 でもまあ、それだけなら由乃さんも多少失望しただけで済んだのだ。
 問題は、ビスケット扉をくぐると乃梨子ちゃんがいて、しかも机の上にはホッチキス止めされた印刷物が積まれていたことだった。
「なんで、資料ができてるのよ」
 由乃さんの凍った視線を浴び、志摩子さんはびくんと身を固くする。
「え、ええ、少し手が空いていたものだから昼休みに…」
「…乃梨子ちゃんには、手伝ってもらったの?」
「え? それは、その、乃梨子も手が空いていたから…」
 その乃梨子ちゃんは、嵐の到来を予感しているかのように、由乃さんと目を合わさない。
 そして由乃さんの険を含んだ声に、おろおろする志摩子さん。
 冷や汗まみれの祐巳。
 少しの沈黙の後、由乃さんがくるりと背を向ける。
「よ、由乃さん? あの、ミサの方向性を…」
「いい、志摩子さんの言うとおりで。私の意見は撤回する」
「そ、そう。でも…」
「悪いけど、具合が悪いから今日は帰るわ。優秀な白薔薇姉妹もいらっしゃるようですし!」
 扉を開けながら、ばしんと言い捨て――
「由乃さんっ!」
 思わず叫んだ祐巳の声は、閉じた扉に空しく跳ね返された。

 後ろで志摩子さんが、椅子に崩れ落ちる音が聞こえる。
「わ、私…な、な、なにか由乃さんの気に障ることを…」
「あ、あのね志摩子さん…」
「祐巳さま」
 それまで黙っていた乃梨子ちゃんが、志摩子さんに寄り添って言った。
「お姉さまには私がついてますから、由乃さまを追ってください」
「で、でも…」
「大丈夫ですから。お姉さまのことは私に任せて」
 …抗弁できなかった。
 愛想笑いを浮かべて、じゃあよろしくね、なんて言うしかない自分が、祐巳は情けなかった。

「由乃さん!」
 早足で歩いていく彼女に、必死で追いつく。
「いやほら、志摩子さんも善意でやってくれたんだと思うし」
「ええそうね。私を傷つけた償い、とか考えたんでしょうね。ばかにして!」
 憤懣やるかたない、といった感じで、由乃さんは喚き散らす。
「いつもああやって一人で抱え込んで、乃梨子ちゃんだけを頼りにして、私たちのことなんか全然信用してない」
「穿ちすぎだよぉ…」
「だってそうじゃない!」
 そう言って、悔しそうに親指を噛んで――

「結局志摩子さんは、乃梨子ちゃんにしか心を開かないのよ」


「――――」
 絶句した。
 あの時の思いがフラッシュバックする。桜の舞う季節に、自分たちには一度も見せたことのない穏やかな表情を、出会ったばかりの一年生に見せていた彼女。
 久しく忘れていたけど、あの時から何も変わっていないのだ。
 結局自分たちは、志摩子さんにとってはどこまでも『他人』なのだろうか。
 足を止めた由乃さんは、もはや投げやりな態度だった。
「もういい。もうあんな人知らない。あっちが壁を作るなら、こっちだってそうするまでよ。祐巳!」
「はいっ!」
「私たちは親友よね! 分け隔てなく何でも話せて、苦しいときは助け合える心の友よね!?」
 両手を握ってずいと迫ってくる由乃さんに、「あ、当たり前じゃない」と言う以外の何ができたろう。
「さすがは祐巳よっ! それじゃ一緒に帰りましょ。あ、私の家に遊びに来る? いやねえ遠慮なんてしなくていいのよ」
 一方的に引きずられていく祐巳。とりあえず…今は逆らわない方が良さそうだった。



 薔薇の館の空気が変わった。
 テーブルのこちら側には由乃さんが祐巳にぴったりくっついて、ひっきりなしに話しかけてくる。
 向こう側にはおどおどする志摩子さんに、乃梨子ちゃんがやはりくっついて、『お姉さまをいじめる気なら許さないから』という目を向けている。
 2つのグループの間には、見えない断崖が深さを増し…
 頼みの綱の三年生たちは、二年生に任せて安心して受験勉強に打ち込んでいるのか、今日も姿を見せてくれない。
「ねえ祐巳。このクッキーおいしいと思わない?」
「う、うん。そうね…」
「さすが私たちは親友ね! いつでも心が通じ合ってるのね」
 そしてちらりと志摩子さんの方を見てから、ふんと顔を逸らす由乃さん。
(うわぁ…。この人めちゃくちゃ子供だよ…)
 要するに志摩子さんが心を開いてくれないから拗ねて、当てつけに祐巳とベタベタしているのだ。ダシにされる方はたまったものではない。
 そして志摩子さんはといえば、殉教者のようにじっと耐えて何も言わず、それがまた由乃さんの神経を逆撫でする。
「ほ、ほら由乃さんも志摩子さんも! 早くミサのことを決めちゃおうよ、ね?」
「どうせ去年と同じでいいんでしょ。そうだ祐巳、今度の日曜に街へ遊びに行かない?」
「そ、それなら志摩子さんも一緒に…」
「あーら、誘っても無駄よ。優等生の白薔薇さまは、こんなことに付き合って下さるわけありませんもの」
 とうとう乃梨子ちゃんが切れて、机を叩いて立ち上がった。
「由乃さま、ひとこと言わせてもらいますけど!」
「や、やめて。乃梨子、いいのよ」
「でも…!」
「いいの…全部、私が悪いの」
 祐巳は頭を抱えたくなった。そういう態度が由乃さんの怒りを買うんだって、分かってるんだろうか、この人は。
 案の定、腹立たしさと悔しさで真っ赤になった由乃さんは、荒々しくビスケット扉を開けて出ていってしまった。
 残った祐巳が乃梨子ちゃんの非難の視線を浴びる羽目になって、ものすごく気まずい。
 おまけに当の志摩子さんは、放っておいたら首を吊りそうな顔をしている。
「え、ええと…志摩子さん、気にしない方がいいよ」
「ごめんなさい…。祐巳さんにも、不愉快な思いをさせてるわね」
「いやその、私は別にいいんだけどね?」
 ふう、と祐巳は息を吐く。どうやったら解決するんだろう。
「ね、志摩子さん。由乃さんがなんで怒ってるか、そろそろ気付いてるよね」
「薄々は…」
「だったら…」
「…ごめんなさい…」
 苦しそうに俯く志摩子さんに、祐巳は何も言えなくなってしまう。
 性格、と言うしかないのだろう。
 世の中には開放的な人もいれば、そうでない人もいる。それは仕方のないことなのかもしれないけど…
 …なんて考えてたら、乃梨子ちゃんに怒られた。
「何なんですか祐巳さま。お姉さまが悪いっていうんですか!」
「ち、違うってばっ。ただ由乃さんの気持ちも少しは分かるっていうか…」
「そうですか、祐巳さまは由乃さまの側なんですね。いいですそれで。私だけは何があっても志摩子さんの味方だから」
「の、乃梨子、あのね」
「志摩子さんは黙ってて!」
(あああああ…)
 解決どころか、どんどんややこしくなっていく。
 今からこんな調子では、四月からは一体どうなってしまうのだろう…。



 そんな感じで数日が経過。
 ミサの計画書は出せたものの、今後もこの状況が続くのかと思うと気が滅入る。
 昼休み、祐巳がお弁当を食べる気にもなれず机に突っ伏していると、コロッケパンを片手に蔦子さんがやって来た。
「どうしたの祐巳さん。暗い顔して」
「い、胃が痛い…」
 周りに真美さんがいないのを確認してから、蔦子さんへ涙ながらに事態を訴える。彼女はふんふんと頷いて。
「まあ、人間が三人集まれば派閥ができるっていうからねぇ」
「そんなこと言わないでよ〜。私はどっちとも仲良くしたいのに…」
 思えば今の薔薇さま方は、明らかに『祥子さま+令さま』&『志摩子さん』と分かれていたし、学年のこともあるからそれで上手くいっていた。
 さらに遡って前薔薇さま方は…聖さまと江利子さまが好き勝手やって、蓉子さまはその二人と均等に付き合っていたように思う。
 つまり蓉子さまほどの人格が必要ということか。私には無理、と祐巳は再び机に伏せる。
 そんな祐巳を眺めながら、パンを口に運ぶ蔦子さん。
「ま、非があるのは由乃さんでしょ。志摩子さんが誰に心を開こうが開くまいが、そんなの彼女の勝手じゃないの」
「うーん、それはそうなんだけど…そう言い切っちゃうのも少し寂しいなぁ」
「それは祐巳さんの都合」
「うう…」
「だからね、祐巳さんもやりたいようにやればいいのよ」
 きょとんとする祐巳に、蔦子さんは笑いがらパンの袋を丸めた。
「祐巳さんは三人で仲良くしたいんでしょう? だったらそのことだけ考えて、その目的のためだけに行動すりゃいいじゃないの。
 向こうが勝手にやってるんだから、この上相手の都合なんて考えてたら身動き取れないよ」
「そういうものかなぁ…」
「おっと、そう言ってる間にお客様だ」
 彼女が手を向けた方を見ると、令さまが教室の入口で手招きしていた。
 蔦子さんにお礼を言って廊下に出る。令さまの隣に祥子さまも来ていて、腕組みしてこちらを見ている。
「あ、あの。何か」
 事態を追求されるのかと思ったが、予想に反して、令さまがいきなり頭を下げた。
「ごめんね、祐巳ちゃん。由乃が迷惑かけてるみたいで…」
「い、いえいえいえ! 滅相もない」
「あの子、人見知りが激しいから。相手との距離に近いか遠いかしかないのよ。中間がないの」
 そう言って溜息をつく令さま。なるほど、と祐巳も思う。
 そして祥子さまが言葉を続けて。
「でも良かったのではなくて。今の段階で問題点が明らかになったのだし」
 言いながら、びしりと祐巳に指を突きつけた。
「いいこと祐巳、こういう時こそあなたの器が試されるのよ。何のために三人いると思ってるの。二人が仲違いした時に、もう一人が仲裁するためじゃないの」
「は、はい…。でも私なんかじゃ…」
「平気平気。祥子も偉そうなこと言ってるけど、協調性のなさでは由乃と似たようなものなんだから」
「何ですってぇ!」
「お、お姉さま落ち着いてっ」
 他の生徒たちがいるところでご乱心はまずい。令さまは祥子さまの腕を引いて退散しつつ、去り際に祐巳へと振り向いた。
「祐巳ちゃん、がつんと言ってやっていいからね。由乃って、相手が身内だと思うと際限なく甘えるから」
「はあ…」
「じゃ、よろしく」
「大丈夫よ。祐巳は私の妹なんだから」
 祥子さまも最後に嬉しい言葉を残して、教室へ帰っていった。
 よし、と祐巳は気合いを入れる。
 由乃さんじゃないけど、自信がないなんて言ってられない。持つしかないのだ。



 放課後に、由乃さんを階段の踊り場に呼び出した。
 屋上へ続く階段なので人通りはない。殺風景な場所だが、外は寒いから仕方がない。
「さて、由乃さん…あれ、何だかほっぺた赤くない?」
「うん、まあね。昼休みにちょっと乃梨子ちゃんとやり合っちゃって」
「ええー!?」
「平気平気。向こうのほっぺたも腫れてるから」
「全然平気じゃないでしょっ!」
 肩を落とす祐巳に、由乃さんはふんと胸を反らす。
「いいのよ、自分を隠すような人よりは。本気でかかってくる乃梨子ちゃんの方が、よっぽど良心的よ」
「由乃さんのそういうところ、江利子さまに似てるよね」
 由乃さんはもの凄く嫌そうな顔をした。
「ねえ…志摩子さんの気持ちも考えてあげようよ」
「何よ、気持ちって」
「由乃さんのこと好きだから、嫌われたくない、傷つけたくないって思ってるんじゃないの? 他人には結構きっぱり言うじゃない。会ったばかりの頃の静さまとか」
 あなたの妹になる気はない、と。静さまの申し出が頭に来たというのもあったのだろうけど、本来譲らないところは譲らない人なのだ。
 それが今はあんな風になっているのは、やはり相手が由乃さんだからだろう。
 だというのに由乃さんは、しばらく口ごもってから、半ば無理矢理にそっぽを向く。
「し、知らない。私はそんなこと望んでないもん」
「そんな自分の気持ちばっかり」
「いいでしょ別に。志摩子さんに押しつけてるわけじゃないじゃない。ただ向こうがああなら、こっちも友達とは思わないってだけよ。私はゆーみんがいれば十分よ」
「…ゆーみんって誰…」
「やっぱり親友といえばニックネームよねっ。私のこともあだ名で呼んでいいわよ。よしのんとか」
「遠慮しとく…。それにほら、二人でそういうことするとまた志摩子さんが落ち込むし」
「はあ? 志摩子さんって誰かしら? 私の友達にそんな人いないわ」
 駄目だこの人…。
 溜息をつく祐巳に、由乃さんは少し傷ついたように表情をこわばらせる。
「何よ…」
 そしてとうとう、言ってはいけないことを言ってしまった。

「祐巳は、私と志摩子さんのどっちの味方なのよ!」


「由乃っっ!!」

 令さまに言われてすぐ実行するのも安易だとは思うけど。
 さすがにもうこうするしかない。友達ならなおさらだ。
 その由乃さんは、祐巳に怒鳴られるなんて微塵も思っていなかったらしく、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしている。
「ゆ、祐巳?」
「いー加減にしてよっ! 少しはこっちの身にもなってよ! 板挟みにされて、ここ数日どれだけ神経を使ってるか分かってるの!?」
「え、いや、その…だって、ねえ?」
「『ねえ』じゃないでしょっ! だいたい由乃さんは我が儘すぎ! いっつも一人で突っ走って、全然周りのこと考えてないじゃない!」
「な、何よぉ…」
 少しびくびくしながら、それでも懸命に虚勢を張る由乃さん。
「ふ、ふんだ、どうせ私はこういう人間よ。いーわよ別に。嫌なら友達やめてくれたって」
「本気で怒るよ!!」
「う…」
 さすがに後悔したように、由乃さんは口ごもった。
『友達をやめてもいい』なんて、親友でいたい相手に、絶対言ってはいけない言葉だ。
 しばらく押し黙ってから…それでも変わらない祐巳の怒り顔に、とうとう彼女も折れた。
「…ゴメンナサイ」
「…うん」
 祐巳の表情が柔らかいものに戻る。
 俯いている由乃さんの肩をぽんぽんと叩いて。
「ね、ちゃんと話をしよう? 由乃さんだって、本当なら志摩子さんと仲良くしたいでしょう?」
「そりゃ、そうできるならそうしたいけど…」
「なら、そのために努力しなくちゃ。ちょっとここで待っててね、志摩子さん呼んでくるから」
「ええ!? で、でも…」
「嫌なの?」
 祐巳の問いに、由乃さんは少し逡巡したものの、無理して強気を取り戻す。
「い、いいわよ。呼んできなさいよ。私は逃げも隠れもしないんだから」
「うんうん」
 身を翻して階段を下りようとする祐巳の背中に、彼女の声。
「ごめんね。…ありがとう、祐巳」
 嬉しさを感じながら、早足で階段を下りた。
 大事な友人たちのために何かできるのが嬉しい。
 祥子さまの言うとおり、こういう時のために三人いるんだって、そう言えることが。



 ビスケット扉をゆっくり開くと、中には白薔薇姉妹の姿のみ。
 二人の世界に、思わず祐巳は逃げ出したくなる。入学式のあの時のように。
 でも、二人だけの世界ではないのだ。志摩子さんが望むにせよ望まないにせよ、ここにいる以上は他の皆とも関わっていく。
 祐巳だってお姉さまが一番大事だけど、それは他の絆を否定することじゃない。
「志摩子さん」
 祐巳の姿を見るや、彼女は申し訳なさそうな顔になったが、敢えて祐巳は笑顔で応じた。
「志摩子さん、ちょっと来て」
「え?」
「由乃さんと話をして」
 祐巳と乃梨子ちゃんの顔へ視線を交互に向けてから、志摩子さんは下を向く。
「で、でも…」
「由乃さんのこと嫌い?」
「そ…そんなわけないわ!」
 俯きながらも、志摩子さんは小さく叫んだ。
「由乃さんの強さに、積極性に憧れてる。私にないものを沢山持ってる。
 でも、駄目なの。気軽に、構えないでって思っても、どうしてもできない。余計なことばかり考えて、自分が嫌になる…」
「…仕方ないよ。志摩子さんの性格だもの」
 度を越すほど真面目で、臆病で。けど祐巳はそんな彼女も好きだった。
「無理しなくていいから。そのままで、話だけしよう? 良くなることはあっても、悪くなることはないから」
「で、でも…私はもう、由乃さんに嫌われてしまったわ」
「そんなわけないでしょ」
 まったくこの人は、と笑いながら。
「あの由乃さんだよ? 嫌いな相手なら眼中にも止めない。志摩子さんのことが好きだから、あんなに突っかかってたんじゃない。
 行こう、仲良くしたいっていう意志があるなら。いいよね、乃梨子ちゃん?」
「…私が口出しすることではないですし」
「祐巳さん…」
 志摩子さんの綺麗な手が、ゆっくりと伸ばされる。
 祐巳は嬉しそうにその手を取った。思えばこの館に初めて足を踏み入れたとき、招き入れてくれたのがこの手だった。
 あの時から色んなことがあって、頼りになる人たちは卒業していって。
 もうすぐ三人で放り出される。でも大丈夫。志摩子さんの手を引いて館を出ながら、祐巳はそう実感する。この手を離したりはしないから。

 もちろん由乃さんは、ちゃんと待っていてくれた。
 手を繋いで階段を登りながら、由乃さんの顔が見えると同時に、声が降ってくる。
「志摩子さん、一度しか謝らないからね」
 驚く志摩子さんに、頭を下げて。
「…ごめんなさい」
「そ、そんな。私の方こそ」
「志摩子さんは謝らなくていいの! ついでに言うなら、私は志摩子さんを親友と思うことにしたわ。志摩子さんがそう思ってくれなくても、一方的にそう思うことにしたから」
「よ、由乃さん…。私は…」
 祐巳が手を引いて、踊り場に到着する。
 志摩子さんは俯こうとしたが、すぐに頭を振って、由乃さんの目を真っ直ぐに見た。
「…私も、親友だって思ってるわ。由乃さんの期待通りには、できる自信はないけど…」
「いいわよ、そんなの」
 由乃さんは綺麗なその人を思いきり抱きしめて、しばらくそのままでいてから、ようやく離して…
「ごめんね。私、焦ってた。もう少し時間をかけてでも、志摩子さんと仲良くなることにする」
「由乃さん…。祐巳さんも、私……ああもう、どうして言葉が出てこないの」
「じゃ、握手握手」
 祐巳が両手を出して、由乃さんと志摩子さんも両手を出して、それぞれを重ねる。
 まだ時間はあるのだ。
 あと一年と少し。ううん、その気になれば卒業した後だって。この手を離さない限り、いくらでも仲良くなれるんだから。




 薔薇の館で、目の前には一年生が三人。
 上級生は祐巳一人だけ。由乃さんは出かけている。志摩子さんと二人きりで。
 一応先生に寄り道の許可を取った上で、ケーキのおいしい喫茶店に行ったらしい。
「そんなことがあったんですか」
 ここしばらく用事がなかったのでご無沙汰だった瞳子ちゃんと可南子ちゃんは、祐巳の話に感心したように言った。
「白薔薇さまも意外と難儀な方でしたのねぇ」
「それがいいところなのかもしれないけどね。ねえ乃梨子ちゃん?」
「…そうですね」
「えーと…ごめんね。今日は志摩子さんを由乃さんに貸してあげて」
「ま、たまにはいいですけど…。祐巳さまは行かれなかったんですね」
「うん、今日のところは」
 由乃さんが二人きりを選んだのは、今の段階ではどうしても『由乃&祐巳』+『志摩子』になってしまうからだろう。
 やはり三人という人数は色々と複雑だけれど。
 でも丁度いいのだ。それぞれが他の二人と、手を繋げるんだから。
 今ごろあの二人はどんな顔で、どんな話をしているのだろう。想像してみて、祐巳は少しおかしくなった。

「そういえば、あなたたち三人はどうなの? 仲良くしてる?」
 お茶をしながらの祐巳の質問に、瞳子ちゃんが得意げに手の平を胸に向ける。
「あら、私と乃梨子さんは親友同士ですわよ。可南子さんもまあ、頭を下げて頼むなら友達にしてやらない事もないですわ」
「いつ私と瞳子が親友になったのよ…」
「祐巳さまがおっしゃるなら、こんな人たちとでも試練と思って仲良くしてみせます。ええもう祐巳さまのために仕方なく」
「あ、あのね、そうじゃなくて仲間としてね…」
「ひっどーい! 瞳子はこんなにも譲歩してるのにぃ」
「貴女が何をどう譲歩したっていうんです!」
「私はお姉さまさえいればいいもーん」
「ああもうっ! 三人とも仲良くしなさいっ!」
『ハイ…』
 まったくもう、とカップに口をつける祐巳に、乃梨子ちゃんがなだめるように極秘情報を明かす。
「そういえば、お姉さまと由乃さまが出かけるとき、二人で話していたのが聞こえたんです」
「何て?」
「『祐巳さんがいてくれて良かった』って」
 祐巳は照れ隠しに紅茶を飲み干しながら、それでもにやける顔を止められなかった。







<END>





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