この作品は「ときめきメモリアル2」(c)KONAMIの世界及びキャラクターを借りて創作されています。
白雪美帆、および隠れキャラに関するネタバレを含みます。

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 幼ごころの君 病に臥して、
 ファンタージエン ともに危うし。
 虚無の魔手 ここにもおよんで、
 やがてわたしも呑まれてしまう。


    ――ミヒャエル・エンデ 『はてしない物語』










妖精の国









『美帆ちゃん、美帆ちゃん。遅刻しちゃうよ』

 遠くで声を聞きながら、腕を伸ばして目覚ましを止める。
 隙を見つけて入り込んでくる冷たい空気。2月も末だが、春の気配もまだ早朝までは届いていなかった。
「ふぁい…。おはようございますぅ」
 渋々と毛布から顔を出す。時計を見ると確かにあまり余裕のない時間。寝ぼけまなこでもぞもぞと這い出し、中学校の制服に着替え始める。
「せっかくいい夢見てたのになぁ…」
『ふうん、どんな夢?』
「それはもう素敵な夢です。私がお菓子の塔の上で蛍糸の編み物を編んでいると、星くずの道を白馬の王子様がやって来て…」
 頭の中で妖精と話しながら、ふとカレンダーに目を止める。
 今日は15歳の誕生日。
 高校受験が終わり、卒業式は目前に迫った、中途半端な時期にまたひとつ歳をとる。
『大事な日なんだから、しっかりしないとね』
 まだ少し眠そうな美帆に、妖精は宙を舞いながら話しかける。
『今年が最後かもしれないんだから』
 中学生活の最後。
 義務教育の、決まったレールの最後。そして…
 二人で過ごしてきた、時間の最後。
「そんなことないですよ」
 ブラシを手に鏡の前に立ち、映る姿に首を傾げる。
 時々見間違える、もう一人の自分。
「…真帆とはずっと姉妹です」

 たとえ進む高校が違っても。



 最も強い絆があるなら、双子をおいて他にない。
 恋人でも幼なじみでも、過ごす時間は生まれ落ちて後のこと。
 双子だけは、生まれる前から一緒なのだ。

「まほちゃん、いっしょにえほん読も」
「いいよー」
「まほちゃん、サンタさん来てくれるかなあ」
「来るわよ。私たちいい子にしてたもん」

 ずっと重なってきた時間。
 1歳の時も、2歳の時も、3歳でも4歳でも、いつも美帆の記憶の中には妹が一緒にいた。
 一緒にいるのが当たり前だと思ってた。
「ごめーん美帆、見たいテレビがあるから」
「そ、そう…」
 結局は真帆も他の多くの子供と同じで、年が経つにつれ童話や空想への興味が薄れ、世間の流行を追うようになったけれど。
 それでも美帆はそう思っていたのだ。

 そうやって静止したまま、高校受験という最初の選択を迎える。
「私さ、きらめき高校に行こうかと思って」
 真帆が突然そう言い出したのは、2学期が始まった直後のこと。
「ほら、きらめきって設備が豪華じゃん。伊集院家がバックだし」
「そ、そうね」
 内心の動揺を隠しながら、美帆は努めて笑顔を作った。
「それじゃ私も志望先変更しないと」
 とたんに変わる真帆の顔色。

「いい! あんたは来なくてっ!」


 …それが、二人だけの国が崩れたあっけない顛末だった。


「妖精さん。真帆は私のことが嫌いなんでしょうか」
 結局そのまま普通に受験勉強をして、普通に別々の高校を受けて、どちらも受かってしまった。
 そして当然のように進路が別れることになる。…なるらしい。
『そんなことないよ』
「いいんです。分かってるんです。中学3年にもなって妖精さんやサンタさんを信じる姉なんて嫌がられて当然だって…」
 考えたくはないけど、世間の常識ではそうなるのだろう。みんなみんな、流行を追い、世俗に染まって、妖精の国を出ていってしまう。
『元気出して美帆ちゃん。美帆ちゃんはおかしくないよ』
「まあ、そうですか?」
『みんなが大人になるときに捨ててしまうものを、今も持ち続けているだけなんだよ』
「うふふ」
「くおらぁ、美帆っ!」
 ばんばんばん! 乱暴に戸を叩く音で、嫌々現実に引き戻される。
「遅刻しちゃうでしょっ! 呼びに行かされる方の身にもなってよねっ!」
「は、はぁーい」
 手早く髪を梳かし終わると、鞄を持って扉を開ける。
 目の前には見慣れた顔。さっきまで鏡に映っていたそれとよく似た…でも違う顔。
「ごめんね、ちょっと考え事してて」
「どうせまた妄想でも始めてたんでしょ」
「それより真帆」
 いつもの突っ込みをさらりとかわして、美帆は笑顔でこう言う。
「誕生日おめでとう」
「…うん。美帆も」


「放課後、一緒にプレゼント買いに行かない?」
 登校中にそう尋ねた美帆の提案は、あっさりと却下された。
「ごっめーん。友達と約束あるから」
 そう言ってさっさと走っていってしまう妹を、哀しげに見送る姉。
 昔は一緒にお互いのプレゼントを選んだのに…。
 いつも一緒に登校してたのに。
 いつからこうなってしまったんだろう。
「おっはよー、美帆ぴょん」
「あ、おはようございます」
 学校に近づくにつれ、何人かのクラスメートが話しかけてくる。
「あーあ、受験まであと1週間だよー」
「いーよね美帆ぴょんは、私立に決まってて」
「うふふ、頑張ってくださいね」
 返事をしながら前に目を向ける。真帆の周りにも同様に友人たち。
 双子が同じクラスになることはないし、真帆の友達を美帆は知らない。
 いつからと言うより、結構前からそうだったのかもしれない。
「美帆ぴょん、早くー。今日も占ってよ」
「ええ、いいですよ」

 机の上にタロットカードが並ぶ。
 友人たちが息をひそめて見守る中で、一枚ずつカードをめくる。
「落ち着いて行動すれば万事問題なし…と、出ています」
「わ、ほんと?」
「ええ、占いの結果は絶対です」
 にぎやかに上がる歓声。既に進路を決めた美帆と違い、公立校を受ける者はこれからが受験本番だ。
 初めての試練に不安も大きく、美帆の占いにでもすがろうと、頼んでくる事がここのところ多かった。
 カードを切り直し、次の依頼人と向かい合ったところで、入り口のところに目が止まる。
 首を出した真帆がきょろきょろとこちらを探していた。
 友人たちに断って席を立ち、笑顔で妹のところへ近づく。
「なあに? 真帆」
「いや、教科書借りようと思ったんだけどさぁ…」
 ちらり、と手の中のタロットへ目を向ける真帆。
「まだ下らない占いなんてしてんの」
「…そういうこと言ってると妖精さんの呪いが降りかかるんだから…」
「降りかかるかっ。だいたいガキっぽいのよねー。そんなん当たるわけないじゃん」
 ガタガタガタッ。
 さっきまで占いに一喜一憂していた少女たちが、聞き捨てならじと一斉に立ち上がった。
「うおっ!? な、な、なによっ」
「ちょっとぉー、人が何信じようと勝手でしょぉー」
「超ムカツクって感じー」
「ホ、ホントのこと言っただけじゃんっ」
「皆さん怒らないであげてください。ちょっと心が狭くて夢のない妹ですけど、根はいい子なんです」
「かばう振りしてさりげなくヒドいこと言うなっ! だいたいみんな遊びでやってるだけでしょ。本気で信じてるのなんて美帆くらいなんだからねっ!」
 早口でまくし立て、焦ったようにそのままくるりと背を向ける。
「真帆、教科書は?」
「やっぱいい、他のヤツに借りるっ」
 言い捨ててそのまま行ってしまった。背後からため息混じりの声。
「ほんっと、双子なのに似てないよねぇー」
「…でも、仲良しなんですよ」
 たぶん…
「ま、いーじゃん。それより早く続き占ってよ」
「そうそう」
「はい、わかりました」
 振り向いて、友人たちの顔を見て、急にさっきの言葉がまた聞こえる。
『みんな遊びでやってるだけでしょ』
『本気で信じてるのは美帆くらいなんだから』
 ‥‥‥‥‥。
 痛い言葉だったかもしれない。


 昔は仲良しだった。
 美帆が一生懸命覚えた占いを披露すると、素直に感心してくれた。
「こっちが月のカードだから、恋の予感が的中…かな」
「すっごーい」
「あのね、カードには不思議な力が宿ってるの。カードさんを大事にしていれば、その気持ちに答えてくれるの」
 その言葉を姉妹とも信じてた。妖精の国を共有していた。
 そうでなくなるのは仕方ないのだろうか…
「妖精さん、どう思いますか?」
『うーん、誰でも変わってしまうんだよ』
「そうですね、寂しいですけど…」
『でも美帆ちゃんは僕たちの味方だよね? ずっとずっと、妖精の国にいてくれるよね?』
「ええ、もちろんです」
 当たり前のようにそう答える。
 美帆にはそれが当たり前だから…
「…ゆき、白雪っ!」
 大声に心臓が止まりかける。目の前に教師の顔。
 口をぽかんと開けたまま、あわてて弁解。
「ごめんなさい、妖精さんとお話ししてました…」
「‥‥‥‥‥」
 一瞬の静寂の後、クラス中を覆う大爆笑。教師は渋い顔で頭を振って教壇に戻り、美帆は真っ赤になって小さく縮こまっていた。
 みんなが笑う。
 誰も彼も、たぶん真帆にも、それが普通。
『…美帆ちゃんは違うよね?』
 美帆だけは…違うはずだから。


 昼休みにも、真帆は自分の教室で、美帆の知らない人たちと楽しそうに歓談していた。
「でさあ、今週のヒット曲が超いい感じでー」
「マジ? CD出るのいつ?」
 遠い世界の会話…。美帆にとっては。
「あれ、あんたの姉さんじゃん」
「え」
 振り返った妹は、一瞬複雑な表情をする。
「真帆、ちょっといい?」
 手招きして廊下に呼び寄せる。
「何よ」
「うん…」
「?」
「あのね…。やっぱり放課後、一緒に買い物行かない?」
「だから友達と約束あるって」
「…真帆は私より友達の方が大事なのね…」
「は? え、ち、ちょっとなんで泣くのよっ!?」
 何人かの生徒がじろじろ見ながら通り過ぎ、慌てて姉の背中を押して廊下に出る。
「と、とにかく人のいないところへっ!」
 そのまま屋上に続く踊り場まで走っていく。
「あーもう、何だってのよっ」
「少し落ち着いて話がしたくて」
「ってウソ泣きかいっ!」
 にっこり笑って隣を指し示す美帆。
 真帆は深々とため息をつくと、姉と並んで階段に腰を下ろす。
「で、なに?」
「どうして、私が同じ高校じゃ駄目なの?」
「何よ今さら…」
「聞きづらかったから。でも何か理由があるならちゃんと聞きたいの。教えて」
 憮然として横を向く真帆。聞きづらいと言うことは、言いづらいことなのに。
「…もう姉妹仲良くって歳でもないでしょ」
「どうして?」
 微笑んだままわずかに小首を傾げる姉。その態度が真帆には気に障る。
 そんなこと美帆には思いもよらない。
「いつまでもベタベタしてたってしょうがないじゃん。子供じゃないんだし」
「でも、今までずっと一緒だったでしょう?」
「今までは今まで、これからはこれからよ」
「…私のことが嫌なんだ」
「あのね…」
「私が妖精さんを信じてるから、それで鬱陶しくなって…」
「ちょっ、なに被害妄想入ってんのよっ!」
 ばんっ! と階段を平手で叩き、勢いで立ち上がる。
「誘ったわよ、私っ!」

「え…?」
 虚を突かれたように固まる美帆。
「コンサートとか、カラオケ屋とか、一緒に行こうって誘ったじゃない! あんたの方で断ったんじゃない!」
「そ…」
 思い出した。確かに二、三度そんなことがあった。
 美帆にとってはそんな場所へ行くなど想像の外だったし、断られた真帆もやっぱりといった顔だったから、別になんとも思わなかった。
 何度誘っても同じだったろう。
「それはっ…そうだけど…」
「一緒にって、だって美帆私の好きなものに全然興味示してくれないじゃない! 漫画にもテレビにも興味ないんでしょ。私の事どうでもいいのは、美帆の方じゃない!」
「そ、そういうわけじゃっ…」
 狼狽する。だって、今までずっと妖精の国にいて。美帆はただ住み続けてるだけで…
 手を握りしめ、思わず美帆も立ち上がる。そんなの不公平だ。
「それを言うなら真帆だって、童話とか、空想とかに、全然興味持ってくれない――」
「そっ…それが普通でしょ! 私はフツーなの、美帆が変なのっ!」
「なんで!? 真帆だって昔は妖精さんもサンタさんも信じてたのに」
「そりゃ単に昔はモノを知らなかっただけでしょ! 今はいないって知ってるもん。それをいるって言ったって、白を黒って言ってるようなもんじゃない。私はこう見えても正直者なの!」
「それじゃ私は嘘つきだって言うの!?」
 妖精やサンタクロースは、嘘の存在。作り事だから…?
「そおよっ! サンタなんて本当に信じてるの? 親がやってるんだって美帆だって知ってるんでしょ!? なのに純粋ですってポーズだけ取って、バッカみたい!」
「わ…私は信じてるもの…っ!」
 俯いて、そう言う。ずっとそうしてきたんだから。
 真帆は冷たい目で姉を見ると、ため息一つついて肩をすくめる。
「ま、いいわよ。美帆は美帆で勝手にやれば。趣味も好みも全然違うんだから、離れるのが当たり前なのよ」
「ち、ちょっと待…」
 言いかけて、言葉が続かない。真帆の方が正しい。一緒にいたいと口では言っても、真帆の好みに合わせる気はないのだから。
 妖精の国を、出ていこうとは思わないのだから。
「‥‥‥‥」
 無言で階段を下りていく妹を、遠くの映像のように見送って。
『嘘つき』
 最後にそんな声が聞こえた気がした。


 残る昼休みを、教室に戻って友人のお喋りに付き合いながら、美帆は別のことを考えていた。
 真帆が妖精の国を出ていってしまうのは、寂しいけれど仕方ない。
 でも。
 妖精の国を追い出されたのは、本当に真帆だけ?
「私は信じてるもの」
「妖精さんもサンタさんもきっといる」
『親がやってるんだって美帆だって知ってるんでしょ!?』
 …どっちの言葉が重いんだろう。

(妖精さん、妖精さん、どこですか…?)
 彼の国の住人が、すぐに目の前へ現れる。
『どうしたの? 美帆ちゃん』
「ねえ、妖精さんはいますよね? 私は信じててもいいですよね?」
『‥‥‥‥』
 妖精は答えない。
『本当にそう思ってる?』
「え?」

『口先だけじゃなく
 本当に、心の底から
 妖精や、サンタクロースがいるって、本気で思ってる?』

 妖精の国にいる、自分の姿が薄れてく。
「そんなこと言わないでください。いるって言ってほしいんです」
『‥‥‥‥』
「どうして、私を連れていってくれないんですか?」
 それはそうだ。妖精は何も与えてくれない。
 だって妖精の姿も、声も
 結局は美帆が頭の中で
 想像で作りだしたものなんだから、そんなのは当たり前の――

「…ぴょん、美帆ぴょん?」
「え? あ、はい」
 顔を上げればただの教室だった。
 自分はただの中学生で、他の友達と何ら変わりなく。
 美帆だけが違うなんて、そんな事あるはずもなかった。
「もー、またあっちの世界に行ってる」
「うふふ、ごめんなさい」
 急いで調子を合わせる。
 こんなこと何度も繰り返してる。
「何のお話でしたっけ?」
「んー、だから、去年のクリスマスの話」
「今年こそは高校で彼氏作って過ごしたいなーって」
「そうですね。素敵な人が現れるといいですね」
 誰もサンタクロースの話なんかしない。美帆もそれに合わせる。
 それが普通。
 いや…
「で、でもっ…そんな事より、サンタさんに来て欲しいと思いませんか?」
 半ば無理矢理に、詰まった声を送り出す。
 みんなが笑う。冗談を言われた風に、またある者は少し困った風に。
「私は結構最近まで信じてたけどねー」
「美帆ぴょんは今でも信じてるん?」
「え…」
 呼吸が止まる。

『だって、いないって知ってるもん』
 同じ顔をした妹はそう言った。


 知ってる。
 本当は両親が買ったプレゼントだって、知ってる。
 妖精なんていないんだって知ってる。
 知りたくなんてなかったのに、でも、大人になるにつれて嫌でも知識は増えていく。信じていたものが、子供じみた嘘だったって気付いてく。

『信じてる』って、口先だけで言うのは簡単だけど。
『本当』にするのなら、嘘をつくか、それとも――


「…いたらいいんですけど、ね」


 こうして
 ありもしない妖精の国は、名実ともに消えた。




*       *       *




 そろそろ陽も落ちようという頃に、誰もいない公園の、小さなベンチに美帆の姿はあった。
 かさ…と右手の紙袋が音を立てる。
 去年まで、真帆へのプレゼントはお守りや幸運グッズだった。たぶんあまり喜んではもらえなかった。
 今年はCD屋に行って、最新のアルバムを買ってきた。ほしいって言ってたから。
 相手の喜ぶものを贈るのだから、プレゼントとしては正しい行為だろう。
 でも…
 また一つ、汚れたような気がした。

 草花の陰には妖精さん、植え込みの向こうには小人たち。
 子供の頃は本気でそう信じていた光景も、今はただの公園でしかない。
 特別な意味を探そうとしても、見つからない。無いんだから。
「もう、私は15歳なんですよね…」
 昔読んだ物語を思い出す。


 妖精の国、ファンタージエンは虚無の中に飲み込まれる。
 女王幼ごころの君が病に倒れたことによって。
 幼ごころ。おとぎ話を信じることのできた、子供の心は戻らない。
 強制的に送り込まれた『時間』の手で、否応なく大人にされる――…



「呼びに行かされる方の身になってって、言わなかった?」

 薄暗くなった公園で、生まれてからずっと聞き続けた声がした。

 真帆。
 怒ったような、多少は心配そうな顔をしていた。
「…どしたの? なんか暗いし」
「妖精さん、見えなくなっちゃった」
「は?」
 そんな反応をされる自分の言葉を、自嘲気味に笑う。
「妖精さんなんて、いないんだよね…」
「ど、どうしたのよ? いきなり」
 思わず狼狽する真帆。昼休みの会話に思い当たり、もう一度姉の顔を見る。
「そりゃ…いないわよ」
「うん。どうしたって、常識的にはそれが現実だよね。
 それを認めれば妖精さんは見えなくなるし。
 認めないで、目を逸らすなら、嘘をつき続けることになるし。
 結局、本当の妖精さんはどこにもいない」
「当たり前じゃん…」
「昔は当たり前じゃなかったよ…!」
 涙を浮かべて抗議しても、されても、それでどうなるものでもない。
 昔とは違うんだから。
「とっ、とにかく…帰るわよ。お母さんが誕生パーティの準備してるし」
「やだ…歳なんてとりたくない」
「何言ってんのよ…」
「子供のままでいたかった。時間なんてほしくなかったのに。止まったままなら、私は純粋なままでいられて、真帆も一緒にいてくれて…」
「私は御免よ、そんなの!」
「‥‥‥‥」
 泣きそうな顔を上げたとき、言葉が途切れた。
 美帆の視線は妹を素通りして、公園の反対側を見ていた。
 真帆も振り返ろうとした瞬間、急に美帆が立ち上がって呟く。
「妖精さん…」
「え?」
「妖精さん!」
 そのままわき目もふらず、向こうへ走っていってしまう。
 何事? 一瞬真帆の背筋に寒気が走る。金縛りが解けて、あわてて追いかける。
 いい加減目を覚ませばいいのに。
 でもそれはそれで美帆じゃない気がする。
 だから強くは誘わなかったし、どうせ住む世界が違うなら、子供の頃のままでいられないなら、離れるのが一番だと思った。双子でも。双子だから…
「はあっ…。なんなのよ一体っ」
 公園の柵に近い植え込みの、一点を見つめたまま美帆は静止していた。既にすっかり陽は落ちて、街灯の明かりを頼りに目を凝らす。
 なんのことはない、ちり紙が一枚、風に吹かれて植え込みに引っかかっただけだった。
「妖精って、それ?」
「‥‥‥‥」
 すっかりしょげ返った顔でこちらを向く美帆。
 たまらず吹き出し、そのまま真帆の笑い声が響いた。
「はははは、あーっはっはっはー!」
「真帆ぉ…」
「い、一瞬マジでおかしくなったのかと思ったわよぉ…」
「…いっそその方が幸せだったよ…」
「ま、まあ美帆らしいじゃん。うくくく…」
「…もういい」
 さんざん妹に笑われて、憮然としたまま無言で歩き出す美帆。
 妖精だと思ったのに…
 薄れていく自分を、妖精の国に引き戻してくれると思ったのに。
 …でも。
「美帆?」
 立ち止まって、すぐに戻ってくる。ようやく笑い終えた妹の隣を通り過ぎ、植え込みに手を伸ばす。
 ちり紙をすくい取ると、丁寧に折り畳んでポケットに入れた。
「どーすんのよ、そんなもん」
「うん…。妖精さんに見えたんだし」
「でも妖精じゃないでしょ」
「いいの、それでも」
 顔を上げた美帆は、少し寂しげに微笑んで、でも同時に、何か宝物を見つけたような表情で言った。
「ごめんね。帰ろ?」

 冬の終わりの星空を眺めながら、並んで歩く美帆がぽつりと言う。
「妖精さんを最初に考えた人って、どうしてそんなこと思いついたんだろうね」
「さあ? さっきみたいに何かと見間違えたんじゃないの」
「そうね…」
 さっきの紙を取り出して、手のひらの上に載せてみる。
 それは単なる繊維の集まりでしかないのだけれど。
 美帆が、最初に見つけた誰かが、妖精を思い浮かべるのはどうしてだろう?
「ねえ、真帆」
「ん?」
「やっぱり、私と同じ高校じゃ駄目?」
「駄目」
「…私のこと嫌い?」
「だからさぁ…」
 そういうことを聞くな、と言いかけるのだが、すがるような美帆の目に、慌てて真帆は口ごもる。
「み…美帆はどうなのよ」
「私?」
「私、妖精もサンタも信じてないわよ。現代人だし、私みたいのは嫌いじゃないの?」
 ちょっと驚いて、でも美帆はいつものように笑う。
「私は真帆が好きよ」
「…そうなんだ」
「うん」
「じゃあ、私も…、美帆のことが好き」
 最後の方はほとんど聞き取れない小さな声で、言い終わるやいなや全力で走り出す。
 美帆があげたプレゼントを大事に握ったまま。
「ま、待ってよぉ」
「うるさいっ! さっさと帰るわよっ!」
 …良かった。
 もう一度紙をポケットにしまい、妖精の国には、新たな名前がつけられる。

 時間の流れの中で、手からこぼれ落ちたものもあるけれど…
 それなら今度は、自分の手で拾い直そう。




*       *       *




「事実だけを述べるなら、妖精さんもサンタさんも現実にはいません。
 でも『いない』ってどういうことでしょうね?
 それは『物理的にいない』ということ、手を触れることができないということです。
 だったら、物理的ではないところでは『いる』って言えませんか?
 妖精さん、サンタクロース。
 あるいは魔法使い、神様、妖怪、伝説上の人物。物語の中に登場する人たち、演劇の中で演じられる者たち。
 ありとあらゆる、人の想像が作りだした存在。
 全部合わせたらどれだけの世界になるのでしょう? 信じられないほど大きいですね。
 それはこの現実に存在するひとつの世界を、綿菓子のように覆っています。
 そのおかげで、世界はこんなにも広がりを増すのですから…
 私にとっては、それはいつまでも大切なものです。

3年A組 白雪美帆」



 『ひびきの高校卒業文集』と題された本を、真帆はぱたんと音を立てて閉じた。
「…屁理屈」
「言うと思った。妖精さんの言うとおりでしたね?」
「だから誰と話してんのよっ」
 あれから3年。
 美帆はわざわざ口に出して、妖精と会話するようになった。心の中のもう一つの世界を、確かなものとするように。
 真帆は真帆で最初の1年こそ別の高校に通っていたが、その後は結局ひびきのの制服を着て、時々美帆の顔を見に来るようになった。他人になりすますのが面白いだけだ…と本人は言い張っている。
「ほんと、よくそれで卒業できたもんよね」
「お互いにね。もう3年なんだね…」
 あれから3年。生まれてから18年。
 魔法や奇跡があるはずもなく、過ぎた時間は戻らない。
 でも、今は感謝している。
 通り過ぎた時間の粒、ひとつひとつに。
「なーんか私は一瞬で3年経っちゃった感じねー」
「時間どろぼうに取られてない?」
「誰よそれは…」
「うふふ。じゃ、そろそろ行こう」
 同じ顔、同じ制服の二人が廊下に出ると、すれ違う生徒がぎょっとして、眼鏡を拭きながら通り過ぎた。
 可笑しそうに笑う真帆。
 可笑しそうに、美帆は少し幸せそうに。
 進んだ道も、行き着く先も違うけど、姉妹であることは変わらないから。

 美帆はとある大学の文学部に進み、幻想文学を専攻することにした。
 演劇部でシナリオを書いた経験を生かして、自作の童話も作っている。
 意地でも妖精の国に住み続けるらしい。
「…ま、そこまで徹底できるのはある意味凄いわよ」
 とりあえず手頃な大学に進んだ真帆は、呆れ半分、感心半分でそんな風に言う。
 それを聞いて優しく笑う美帆。
「それじゃ、プレゼントを買いに行きましょう?」
「おっけえ。私はカラーマニキュアのセットね」
「私は童話の本がいいな」
「えー? 私が買うの? 恥ずかしいなぁ」
「まあまあ、妖精さんも一緒なんだから」
「はいはい…」
 子供の頃とは少し違う、それでも優しい笑顔。

 信じていた妖精の国はなくなってしまったけど…
 新しく創った妖精の国を、ずっと手に持ち続けて。




『昔々、妖精の国にふたりの女の子がいました。

 時間が経つにつれ、ひとりは国の外へ、ひとりは国の中へ

 別々の道を辿るのだけれど…

 でも双子の間では、そんなのは大したことじゃなくて

 今年もこれからも、一緒にお誕生日を祝うのです』






<END>





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