8月1△日午前 伊集院工業の工場見学の後
「外井、ちょっと止めて」
少し遠くてよく見えないが、道の向こうで女性がなにやら困っている。それだけならまだしもどこかで見たような気がする。
「やあ!やはり魅羅君ではないかね」
「い、伊集院君!?」
私の顔を見てあわてる彼女。そういえばすぐわからなかったのも当然で、学校での女王様然とした雰囲気がまったくない。アクセサリーもなければ着ているのもごく普通の安物だ。おまけに周囲には小学生ぐらいの男の子が6人ばかりいる。これは一体どう解釈すべきだろうか?
「お、おほほほほ。奇遇ですわね」
「はーーっはっはっはっ、いやまったく。その、何か困っていたようなので…」
もしかしたらまずい場面に来てしまったのだろうか。
鏡魅羅はじろじろと私と子供たちを見比べていたが、不意に1人の子供の頭に手を置くと私の方へ向き直った。
「実はこの子がお店に忘れ物をしてきたみたいで…。このかんかん照りの中あまりみんなを歩かせるのも心配だし、伊集院君申し訳ないんだけど子供たちを家まで送っていただけないかしら」
「は?」
「ほら、素敵なお車もあることですし」
なんかよく頼まれごとをする夏休みだなぁ…。みんな人を金持ちと思って使いたいだけ使ってないか?
「それじゃ明、案内してあげてね」
「う、うん」
「ちょっとっ!?」
私の返事を待たずに鏡は逆方向へ駆けていってしまった。後に残された6人の子供に、私は呆然とたたずむしかなかった。
「おっきい車ー」
「すげー」
「うわぁっ!て、手でべたべた触るものではありませんッ!」
「…外井、取りあえず全員車に乗せろ…」
「ああっ!ざ、座席に土足で乗ってはいけませんッ!」
「ええい人の髪を引っ張るんじゃあないっ!」
「こらみんな大人しくしろ!ご、ごめんなさいっ」
子供なんて嫌いだあっ!この6人は鏡の弟らしく、長男が1人だけ全員をなだめようと懸命である。彼は将来苦労しそうだ…
「兄ちゃん、魅羅姉ちゃんの友達?」
「あ、ああ。きら校一の美男美女と呼ばれていてねぇ。はーーっはっはっはっ」
「ふーん」
「‥‥‥‥‥」
この子は次男らしい。なんか憎ったらしいそうなガキだ…
「うわーん!映にいちゃんがいじめたあーー!」
「映!やめろって言ってるだろ!」
「おれ知らねぇよ!」
「ああーもう静かにしたまえ!」
「レイ様!ここから先は道が細くて通れませんッ!」
「なにいっ!?」
仕方がないので渋る子供たちをなだめすかして車から降ろすと、外井にはそのへんを回ってもらうことにして私たちは歩いて家へ向かった。太陽は容赦なく照りつけてくる。暑い。クーラーほしい。なんで私がこんな目に…
「着いたーっ」
顔を上げるとそこは鏡魅羅とはまったく似つかわしくない粗末な平屋だった。
…少し驚いた。
「そ、それでは僕は失礼するよ。はーっはっはっ」
「あ、今麦茶お出ししますからちょっと上がって待っててください」
「い、いやそんな気遣いは…」
くう、なんてできた長男だ。とてもあの高笑い女の弟とは思えん。(←人のことは言えんが)
「ささ、上がって上がって」
「ふ、服を引っ張るなぁっ!」
「お兄ちゃん遊んでー」
「なんで僕が子守をせねばならんのだ!」
鏡魅羅が帰ってきたころには、私はぐったりと疲れて柱に寄りかかっていた。麦茶はおいしいが子供はやかましい。おまけにこの家には扇風機しかない。
「あらあら、みんな遊んでもらってたの?」
「うんっ!」
「…それじゃ僕は帰るぞ」
「あら、まだお礼が済んでいませんわ。これからお昼にしますからご一緒して行かれたら?」
「‥‥‥‥‥‥‥」
普段の私ならさっさと帰ったに違いない。
だがあの鏡魅羅がこんなところでお姉さんをやっている…。学校の姿からは想像もできない。隠し通してきたのだろう。それをなぜ私には明かしたのか?…それが少し気になってそこに留まった。
台所に立つ鏡の隣に行ってみる。狭いので背の高い私たちが2人並ぶとそれだけで窮屈だ。
「驚かれましたかしら?」
「あ、ああ…」
問題が微妙なだけに逡巡していると、鏡はいたずらっぽそうにくすっと笑った。こういう表情も学校では見たことがない。驚かされてばかりだ。
「別に隠すようなことじゃありませんわ。恥でもなんでもないもの」
「‥‥‥‥‥」
…私が金持ちの一人娘だからか。
こういうプライドの高さはやはり鏡だと思うけど…
「それに秘密を持ってるのはお互い様みたいですしね」
「っ!」
ばっ!と思わず胸を隠す。そんなっ薄着だけど体型を完璧に隠すよう特注で出した服なのにっ!
「あら、本当に女の子でしたの」
「どどどどどどうしてっ」
「これでも一応モデル志望ですのよ」
…しくじった。甘く見ていた鏡魅羅。私は硬直したように彼女の料理を見つめている。後ろで子供たちが遊んでる声が聞こえる。
「その…このことは内密に…」
「わかってますわよ。でも、」
鏡は袋から出したそうめんをざっと鍋に入れた。
「たまには仮面を外して過ごすのもよろしいんじゃなくて?」
「‥‥‥‥‥」
こほん、と咳払いすると私はおずおずと申し出た。
「その…なにか手伝おうか」
「あら、それじゃそこのキュウリを洗って千切りにしていただけるかしら」
「わ、わかった」
数分後、私は手に包帯を巻いてもらっていた。
「包丁を持ったことがないならそうおっしゃればよろしいのに…」
「う、うるさいっ」
「だっせーの」
「こら、割!」
「‥‥‥‥‥(くっ)」
皿に盛られたそうめんを危うい手つきで食べる。まるで異次元にいるようだ。この私がこんなところでこんなことを…
「誰でも得手不得手はあるんだからそう落ち込むことはありませんわよ」
「それはそうだけど…」
「で、お味はいかがかしら?」
「…おいしい」
「そう、良かった」
確かに私は勉強とスポーツは得意なんだから別にこれくらいで落ち込むことはないし…でも弟6人の世話をしながら、それでも楽しそうな鏡を見て、どうしても劣等感を感じる私だった。
「ごちそうさま」
「引き留めてごめんなさいね」
玄関まで鏡が見送りに来てくれた。外に出るとやはり日差しは強烈に強く、でも前ほど不快ではないのは気のせいだろうか。
「…また学校が始まったらお互い嘘つきに戻るのかな」
「そうね…」
鏡はそれ以上答えなかった。彼女にもいろいろ事情があるのだろう。
「その前にまた遊びに来てもいいだろうか」
「ええ、もちろん歓迎するわ」
「…それじゃ」
「お兄ちゃん、またねー!」
窓越しに彼女の弟たちが手を振っている。お姉ちゃんだ、と言おうと思ったが面倒なのでやめた。
携帯電話で車を呼ぶと、私は外井にビニール袋を手渡した。
「お前にお土産だそうだ」
「…そうめん、ですか」
「…うん」
外井は一緒に入ってた紙コップにつゆをあけると、そうめんを一気にかきこんで車を発車させた。
つづく
戻る
新聞部に戻る