TOP  



ステージ&コンサート:

バッドボーイズが活躍した時代は、ビートルズフェスティバルなどのイベントが多く、渋谷パルコ、新宿伊勢丹、横浜三越等々のデパートステージ回りの合間に、青山VAN99ホールや新宿ルイード他で演奏していました。
演奏のパターンは大体が「SHE LOVES YOU」や「ROLL OVER BETHOOVEN」などのノリの良い曲から始まり「LONG TALL SALLY」や「I'M DOWN」のようなシャウト系で終わらせる、さらに数曲はリクエストを取る方法が主でした。

それ以外にも、「題名のない音楽会」をはじめとする各テレビ番組やラジオ番組への出演もこなし、1975年の「イルカのビートルズ」と題したイルカのコンサート(青年館)でもバックで演奏。「She Loves You」と「僕と踊ろう」を演奏したと記憶しています。イルカはバッドボーイズをバックに「P.S. I Love You」他をそれは嬉しそうに歌っていました。

現在では、「MEET THE BADBOYS!」のLP及びCDが1980年代の終わりに再販され、さらには2008年10月にはバッドボーイズレコードデビュー35周年を記念して東芝EMIより当時の紙ジャケットでのCDが再版されており、一般にその音源を聴くことができます。

ここでは、伊勢丹屋上、日比谷野外音楽堂、中野サンプラザなどのステージの紹介を通して、このようなバンドがいまから35年も前に実際に存在していたことを、若いビートルズファンやビートルズカバーバンド・ライブハウスのファン、または、ビートルズコピーをアマチュアとして励んでいる方々にこれを機会にご紹介いたします。



 1974年8月17日(土)(午後):雨

  「ビートルズサウンドフェスティバル」東京・新宿伊勢丹百貨店屋上




今では懐かしいイベントです。まずはアマチュアバンド(高校生から社会人まで)によるビートルズ曲の演奏によるコピー度の優劣を付けるコンテストが行われ、トリをバッドボーイズが務めました。雨にも関わらず、多数の聴衆が伊勢丹屋上へと集まり押すな押すなの満員でした。(つけ加えると、翌1975年の夏にも再度ステージを受け持ちましたが、今度は雨どころかギラギラ照りつける真夏の暑い日となり、ジョージ川端がダウンするほどでした。)

このイベント会場でバッドボーイズを聴いた人たちは意外と大勢いて、あのアルフィーの坂崎さんも学生でその場にいらしたようです。



演奏曲目:

 第一部:1966年ビートルズ日本公演・演奏曲


 ROCK'N ROLL MUSIC
 SHE'S A WOMAN
 IF I NEEDED SOMEONE
 DAY TRIPPER
 BABY'S IN BLACK
 I FEEL FINE
 YESTERDAY
 I WANNA BE YOUR MAN
 NOWHERE MAN
 PAPER BACK WRITER
 I'M DOWN



第二部:リクエスト曲


 MAGICAL MISTERY TOUR
 I'M ONLY SLEEPING
 I'VE GOT A FEELING
 HELLO GOOD BYE
 AND YOUR BIRD CAN SING
 LONG TALL SALLY
 LADY MADONNA
 ROLL OVER BEETHOVEN
 BIRTHDAY
 YELLOW SUBMARINE
 HAPPINESS IS A WARM GUN
 BACK IN THE USSR
 ALL YOU NEED IS LOVE
 SHE LOVES YOU



 1974年8月24日(土)(6:00〜8:10 PM):晴

  「バッドボーイズビューティフルコンサート」東京・日比谷野外音楽堂



 (資料提供:コレクターK氏)

とにかくうだるような暑い日で、おびただしい数の蝉がけたたましい鳴き声を発していました。今のように自然がほとんど見えない東京では考えられませんが...。日比谷野外音楽堂(野音)で行われたコンサート(バッドボーイズビューティフルコンサート)では、シュリークスのイルカさんがお手伝いに、バズの東郷氏がイマジンのピアノ演奏に、コンサートを前半後半に分けて、第一部はビートルズ解散後のソロの曲、ビートルズ初期の曲、第二部は会場リクエストベースで3曲ずつリクエストをとり、それに応えて演奏するという画期的な試みでした。また、その模様もラジオで放送されたことも付け加えておきます。
リクエスト曲にバッドボーイズが応えられない時は、イルカデザインのTシャツとビートルズのポスターがお詫びの印としてプレゼントされました。(中にはバッドボーイズが普段演奏しない曲や演奏が難しいものをあえてリクエストして、ちゃっかりとプレゼントを受け取っている人たちもいました。)

(写真はコンサート司会者)


チューリップの上田雅利氏も客席右端の草むらの上に腰掛けて演奏を観賞していたことも印象に残っています。なお、この模様はラジオにてオンエアされる程のイベントでした。


ステージデザインは、コンサート前に出演した黛敏郎氏司会のNET「題名のない音楽会」で使用されたビートルズメンバー四人個々の特製写真パネル(非常に大きく、焼き付けるにはプールを使用したとのこと)をバックに飾り、城間(リンゴ)はなんとやぐらのように組んだ二階からリンゴサウンドを叩くようになっていました。

下の写真は、My Sweet Lordを演奏しているシーンです。リッキーのギブソンSGのサウンドがとても心地よいものがありました。実はこのシーンの前にイントロ部分でジョージ川端のギターストラップが外れるアクシデントがあり、弾き直しとなりました。

 


リクエスト演奏の部ではいつものビートルズ揃いのスーツ姿ではなく、川端(ジョージ)が麦わら帽子をかぶり映画HELP!の雰囲気を出すなど各人がラフな格好で演奏をし、違った一面を見せていました。コンサート終了と共に大きな虚脱感を覚えたことをはっきりと覚えています。それほど演奏には熱が入っておりました。


(写真はコンサート前「POWER TO THE PEOPLE」の音合わせをするバッドボーイズ。ビートルズスーツではなく、私服での珍しいショット。)




(写真はバッドボーイズ時代の清水仁) 

演奏曲目:


 第一部:バッドボーイズ選曲


 IMAGINE
 POWER TO THE PEOPLE
 MY SWEET LORD
 YOUR SIXTEEN

 ROLL OVER BETHOOVEN
 TWIST AND SHOUT
 I WANT TO HOLD YOUR HAND
 BOYS
 PLEASE MISTER POSTMAN
 SHE LOVES YOU




 第二部:オールリクエスト大会


 GIRL
 HONEY PIE
 <I CALL YOUR NAME>

 <HELTER SKELTER>
 <TOMORROW NEVER KNOWS>
 I'VE GOT A FEELING

 SHE'S THE WOMAN
 BIRTHDAY
 <FOR NO ONE>

 ROCK AND ROLL MUSIC
 HAPPINESS IS A WARM GUN
 BABY IT'S YOU

 ACROSS THE UNIVERSE
 IN MY LIFE
 DON'T LET ME DOWN

 SHE CAME IN THROUGH THE BATHROOM WINDOW
 LADY MADONNA
 IF I FELL

 <I'LL GET YOU>
 GOOD NIGHT
 IT WON'T BE LONG

 OH DARLING
 HEY JUDE

 <YER BLUES>


 括弧内<>はステージ演奏を行わなかった曲目



第三部:バッドボーイズ選曲


 YELLOW SUBMARINE
 NOWHERE MAN
 SGT. PEPPER'S LONELY HEARTS CLUB BAND

 A HARD DAY'S NIGHT
 I SHOULD HAVE KNOWN BETTER
 I'M HAPPY JUST TO DANCE WITH YOU
 AND I LOVE HER
 CAN'T BUY ME LOVE
 TELL ME WHY
 SHE LOVES YOU




 

 1974年12月13日(金)(6:00〜7:45 PM):雨

  東京・中野サンプラザホール

    (資料提供:コレクターK氏)


とうとうここまで到達したかと言えるバッドボーイズのピーク時であったと思います。なにしろ、あの中野サンプラザホールが満員になったのですから。それも雨で傘を持っての会場入り。リッキーは演奏途中で、「後ろの方のかた聴こえてますか?」、清水は「これだけ多くのお客さんが来てくれて本当にうれしい」などと興奮気味にステージから語っていました。ステージ司会はバズ+バズのマネージャーという少々興味深い(?)構成でありました。(ちなみに、バズとは当時「いつ〜だって、どこに〜だって..」のCMソングが大ヒットした二人構成のライトミュージック系著名アーティストでした。)

 ケンとメリー:BUZZ(資料提供:井上氏)

演奏については、美しいコーラスの連続でビートルズのAbbey Road・B面を完全演奏し大喝采を受けましたが、何と言っても注目はバッドボーイズアレンジのビートルズサウンドメドレーではなかったか、よくもまあこれほど巧くつないだな〜と、これは私感です。

I'M DOWNでのリッキーのシャウトはさすが第一人者と唸らせる一曲であったし、THIS BOYでのリズムギター演奏技術も卓越していました。


<コンサート宣伝用チラシ>

演奏曲目:


 第一部:1966年ビートルズ
日本公演・演奏曲目


 ROCK'N ROLL MUSIC
 SHE'S A WOMAN
 IF I NEEDED SOMEONE
 DAY TRIPPER
 BABY'S IN BLACK
 I FEEL FINE
 YESTERDAY
 I WANNA BE YOUR MAN
 NOWHERE MAN
 PAPER BACK WRITER
 I'M DOWN




 第二部:会場リクエストからの
演奏曲目


 WHAT GOES ON
 I SAW HER STANDING THERE
 HELP!
 DEVIL IN HER HEART
 THIS BOY
 TWIST AND SHOUT
 チークを踊ろう
 DON'T LET ME DOWN




 第三部:ビートルズ解散後の
個人曲目


 BAND ON THE RUN
 MOTHER
 YOUR SIXTEEN
 BANGLADESH



第四部:アビーロードB面 +α


 HERE COMES THE SUN
 BECAUSE
 YOU NEVER GIVE ME YOUR MONEY
 SUN KING
 MEAN MR. MUSTARD
 POLYTHENE PAM
 SHE CAME IN THROUGH THE BATHROOM WINDOW
 GOLDEN SLUMBER
 CARRY THAT WEIGHT
 THE END


 GET BACK
 REVOLUTION
 BIRTHDAY




 第五部:ビートルズメドレー他


 BEATLES MEDLEY (13 SONGS)
 - A HARD DAY'S NIGHT
     〜 PLEASE PLEASE ME -

 [A HARD DAY'S NIGHT]
 [I SHOULD HAVE KNOWN BETTER]
 [BABY IT'S YOU]
 [DON'T BOTHER ME]
 [TELL ME WHY]
 [IF I FELL]
 [AND I LOVE HER]
 [LITTLE CHILD]
 [I SAW HER STANDING THERE]
 [ALL MY LOVING]
 [BOYS]
 [I'M HAPPY JUST TO DANCE WITH YOU]
 [PLEASE PLEASE ME]

 PLEASE MISTER POSTMAN

 アンコール曲:


 SHE LOVES YOU
 ビートルズが教えてくれた





 

その他のステージ印象・コメント

【他の方々からの貴重な情報も含みます】


 1973年7月4日(水):「アメリカ合衆国独立記念日の式典」

  場所:横須賀アメリカ海軍基地・体育館


約4500名の軍人および家族の見守る中で、バッドボーイズは10年前のビートルズそのままのコスチューム、楽器を使って、そっくりの演奏を行った。唯一の違う点はポール・マッカートニーの左利きに対して、バッドボーイズのポールは右利きであることだけだった。

結果は大成功に終わり、彼らは「Another Bealtes!!」と呼ばれ体育館の中はビートルズ再来と騒然となった。彼らは、何度も何度もアンコールを求められ40分の予定が1時間半にもなり、最後のリクエスト、リボリューションを演奏してステージを降りた。その後も興奮した海兵隊員は、ユニフォームのまま整列してバッドボーイズとの記念撮影を申し入れたのだった。
(当時の書き出しから)


 1973年11月28日(水)〜29日(木):「ニッポン放送・オールナイトニッポン出演」

  場所:ニッポン放送スタジオ


1973年10月5日にレコードデビューした直後の11月に、当時の人気ラジオ番組・オールナイトニッポンに出演。夜3時過ぎまで演奏をしました。
今を考えても、画期的な演奏方法で、まず電話でリクエストを取り、一曲出来ない毎に2000円を支払う(リクエスト者に対して差上げる)ルールを採用。結局6曲演奏できず、12,000円を支払うことになったバッド・ボーイズ。(ちなみに、その内の一曲"
Everybody's Got Something To Hide Except Me And My Monkey"は、北海道・小樽のライブハウス「レノンセンス」のマスターが当時リクエストしたとの事。)

パーソナリティは毛利久(本名:渋谷森久、東芝EMIの名物ディレクター)でした。そもそも東芝EMIの社員のため、本名の森久をもじって毛利久と名乗ってました。パーソナリティの期間は、1973.9.1〜1974.3.31でしたが、実はこの渋谷ディレクターはクレイジーキャッツを始め、加山雄三、越路吹雪、伊藤咲子、本田美奈子などのミュージシャンを手掛けた辣腕プロデューサーであったとの事です。
放送では、バッドボーイズ(特にジョン:リッキー)との掛け合いの裏話は大変興味深く、「"Meet The Badboys"のLPをリリースする際に、東芝EMI社内で、本家アップルレコードの手前、その是非についてもめて、ロンドンのアップルレコードへLPを送り聴かせた。そして、その音を聴いて、アップルレコードから『ここまで徹底してくれるなら、やってもOK。』との特別な許諾を得た」との事。(言い換えると、バッドボーイズはアップルレコードに承諾されたビートルズカバーバンドの世界第一号であるのではないでしょうか?それであれば、これは大変な事であり、単なるビートルズ・コピーバンドとは呼べないと思います。)
その上、毛利パーソナリティは「東芝EMIの石坂(敬一氏)君が今度ジョン・レノンに会いに行くので、このバッドボーイズの『Helpメドレー』を聴かせて、コメントをもらって欲しい。」とまで言われていました。



電話リクエストに応えるビートルズ曲の演奏


  • When I'm sixty-four
  • Happiness is a warm gun
  • Birthday
  • Chains
  • Love me do
  • Her majesty
  • Come together
  • Roll over Beethoven
  • Norwegian wood
  • One after 909
  • Help-Medley
    • You Like Me Too Much
    • Tell Me What You See
    • You've Got To Hide Your Love Away
    • Help!
    • The Night Before
    • Yesterday
    • Act Naturally
    • It's only love
    • I Need You
    • Ticket To Ride
    • You're Going To Lose That Girl
    • Another Girl
    • Help!
  • Honey pie




 1974年1月27日(日):午後1時〜「サブ祭」何かを求めて

  場所:東京・神田共立講堂


 <資料提供:コレクターK氏>


主催:サブミュージック、後援:東芝EMI株式会社
出演者:杉田二郎、オフコース、シュリークス、ザ・バッドボーイズ
入場料はわずか800円でした。

・当時サブミュージックに所属するフォーク系ミュージシャンの勢ぞろいですね。バッドボーイズもどちらかというと、ロックというよりはニューミュージックのカテゴリーに入っておりました。



 1974年3月11日(月):「SLADEコンサートの前座」

  場所:東京・新宿厚生年金会館大ホール


T-REX、デビッド・ボウイ、SWEETなどと共に英国グラムロックを広め音楽界に浸透させたSLADEの四人組が日本での初公演を行いました。もちろん会場は超満員。当時はまだ前座の風習がはっきりしており(米国ではウォームアップバンドなどとも言われますが)、会場に足を踏み入れたら、何とパールカラーのLudwigと書かれたドラムセットがステージに鎮座しており、THE BADBOYSと書かれているではありませんか。当時SLADEの大ファンであった上、数週間前にテレビ出演で見事な演奏を見せたバッドボーイズが前座とは、いやはや一粒で二度おいしいではないが、とても儲けた気分になりました。

リッキーはステージから「SLADEのようなすばらしいバンドの前座を務めされてもらい、とても光栄です。」などど緊張気味に語っていました。演奏は、ビートルズ日本公演演奏曲に数曲追加した構成で、狙った意図は悪くはなかったのですが(おそらくビートルズ〜レッド・ツエッペリン〜グラムロックと英国カラーで統一?)。しかし、SLADEのあのど派手でギンギラギン(知る人ぞ知る)の衣装と絞り出すようなボーカルと音量を期待して来た観客の大多数はバッドボーイズには無関心で、アンプの出力も足りず空気はとても冷ややかでした。しかし、少なくとも私はとても「うきうき」気分でしたが...。(SLADEの大音量とステージ面前まで駆け寄って聴いていたため、その後3日以上難聴で苦しみました...。)



後日リッキー氏自らが語ってくれた舞台裏のことを少々付け加えます。

会場の雰囲気はそうであっても、ところがどうしてSLADEの見方は若干異なっていたようで。。。
SLADEのメンバーは舞台の袖から、それは興味深く熱心にかつ嬉しそうに見つめていたとのことです。マネージャー(元アニマルズのベーシスト)とも親しくなり、ベースの清水氏はアニマルズのファンでもあってサインをもらいとても喜んでいたとのこと。その後、そんなこともあってか英国の大衆紙The SUNに、日本にビートルズのコピーキャットあり!との見出しで紹介されたとのことだったそうです。グレートですね!(でもそんなことがあったなんてうっかりしていました。時間があればマイクロフィルムでその紙面を調査したいとWeb Masterは今しみじみ考えております。)


(後々日談:そして、小生はイギリスのThe SUNに実際電話連絡を入れました。見つかれば、ロンドンへ行った時に入手してくるつもりでした。ところが...。「確かにマイクロフィルムで残してはあるが、何年何日の何ページまでわからないと1974年だけでは調べようがない。また、調べるとなると、専任者が動くので、時給での費用がかかりますよ。」と電話口の女性に言われました。何かこう、悔しい気持ちでした。)


そして、最近分かった事ですが、Web Masterの友人(コヴェントリィ出身のイギリス人)の親戚の子供が通っている学校にSLADEのボーカリストNoddy Holder氏の子供も通っているとのこと。(ちなみにSLADEはバーミンガム出身)チャンスがあれば、何と紹介してくれる!とのこと。その日を楽しみにしています。


 1974年8月収録:

  「題名のない音学会」東京・渋谷公会堂


作曲家の黛敏郎氏司会のNET(現テレビ朝日)テレビ番組「題名のない音楽会」に出演をしました。この番組はミュージシャンというよりも音楽家に焦点を当てていたため、バッドボーイズが出演したことは当時画期的な出来事でありました。バッドボーイズはバックにオーケストラを置き数曲を演奏しました。何よりもビートルズ曲のカバーをやっていたことが出演のきっかけになった訳ですが、これを契機に「アーティスト」としても認知されるようになり、その後の活動にとって重要で意味のある出来事でした。


収録演奏曲目


 
I WANT TO HOLD YOUR HAND
 FIXING A HOLE
 WITHIN YOU WITHOUT YOU
 IF I FELL(オンエアされなかった)





 1975年11月(文化の日の前後):午後3時〜

  「一橋大学100年祭」一橋大学・本館側:池の上の特設野外ステージ


一橋大学の学祭でのフリーコンサートでバットボーイズがオープニングを飾りました。出演者は他に、かまやつひろし、アルフィー(まだ明治学院大学在学中でまったく無名の頃)、愛奴、山本コータローとウイークエンド他の豪華メンバーでした。

そこで、バットボーイズが午後3時くらいに「Venus & Mars」の演奏から始まり、オリジナル曲の「僕と踊ろう」まで全12曲ほど見事に演奏しました。その中でも注目は、レコードカットされていない「渚の二人」が歌われていたことです。

演奏はノリよりはむしろ、落ちついてじっくり聴かせるスタイルでした。また、同じ月の後半(19/20/21日)に来日/武道館で公演予定だったポール・マッカトニーについて、「前座ででも競演できればいいのだけれど、ポール・マッカートニーからのOKがまだない。」、「まだ、チケットもないね〜僕ら。」、「握手でもしてもらえれば...。」などとステージで語っておりました。



演奏曲


 1:VENUS & MARS
 2:LISTEN TO WHAT THE MAN SAID
 3:AWAITING ON YOU ALL
 4:STAND BY ME
 5:ROLL OVER BEETHOVEN
 6:HELP! (LP)のメドレー
 7:LONG TALL SALLY
 8:渚の二人(オリジナル)
 9:明日への願い(IT DON'T COME EASY)
 10:MY LOVE
 11:THE LONG AND WINDING ROAD
 12:僕と踊ろう(オリジナル)




(情報提供:江戸 茶利番 氏)


<寸評:WebmasterはHelp LPのメドレーが当時大好きで、テレビ出演(TBS)の際にも演奏していたことを記憶しています。ここでのHelpメドレーは完成度も高い仕上がりになっていました。>


 1975年11月9日:開場午後12時/開演午後1時

  「THE BADBOYS IN Bigtogether」東京・新宿Bigtogether

(コンサート宣伝用ポスター)
 
(コンサートチケット)


         


- Home Page Design HIDEX -