浜田さんWith Love
だってひたすら着メロ作っちゃったもん




今ではi-modeとez-webで、着メロのダウンロードができるようになってますね。
前はそういうのなかったから着信音自作の機能がついていまして、
耳コピーで拾ったメロディや携帯電話特有の音の割り振りを自分でアレンジしつつ
(音の長さや休符などを聞きやすいように)携帯電話に入力してた。
いろいろな曲を試して電話がかかってきたときにどんな曲だったらいいだろうかって、いつも考えてた。
浜田省吾の楽曲は、着メロの入力本を見ても「悲しみは雪のように」とほかにあと少しの曲が出てるって感じでした。
で、とうとう私は50曲くらい作っちゃったモンね。

それを同機種のみんながラクできるようにと、ロードアンドスカイにメールを書いて、

「インターネットにファイルを掲載させてちょ♪」 (註)実際に送った文面と異なることをここで断っておく。

とお願いしたら、
「掲載は、著作権の侵害にあたります。申し訳ございませんが、よろしくご了承下さい。」
っていわれてしまいました。
許可無く勝手にSHOGOさんのオフィシャル写真を転載して、壁紙にしているホームページたちのほうが
よほど目立つ形で数多く氾濫していて事務所さんがマユをひそめてもよさそうだけど、
それに対して警告せず目をつぶっているかのように私には見えているのですが・・・・・
(しかも公式サイトのBBSに「みなさん見に来てね」と宣伝までしてもその発言を削除されないというのに、この不公平感・・・。)
肖像の無断使用よりも、事前にお伺い立てて著作権者に許可を得て、
ファンが持ってる携帯電話で省吾さんの曲をならしたって、曲の宣伝になっていいじゃない・・・
と思うのだけど、それ素人考えですかね、ハイすみません。


1年経過してようやくJASRACさんが無料配信にも届け出制をもうけようとしてくださり、
少し前が開けました。現在認可申請中だそうです。認可されるまでは暫定としてJASRACに届け出るだけでインターネット上にファイルを公開しても良いことになっています。
公開できるぞぉ〜〜・・・ていうわけで届出いたしましたよ。
当サイトのTOPページにJASRAC認証マークのリンクを張ることが定められています。
さて、そうこうするうちに着メロ本にも当機種は載らなくなり、その機種を使う人々はきっとおそらく減少の一途。
i-mode機能つきへと機種変更なさっていることでしょう。
もはや私が掲載してる入力方法は誰が活用してくれるんだ?ってことに。
そして携帯電話も充電池容量がなくなって、買い換えてしまいました。
自作しなくてもダウンロードできてしまう機種なのよん。
無料配信といってもJASRACさんがwwwにおける配信に関する認可をとるまでのことで、
認可されれば著作権料はお支払いするわけで、いつまでこのファイルを公開できることか・・・。

<<・→ここから2001.7.1加筆→・著作物使用料の規定が認可されたことに伴い、届け出制による配信は終了し、配信(=着メロ入力方法のhtmlファイル掲載を含む)するためには許諾契約締結の上使用料を支払うこととなりました。昨年12月にロードアンドスカイオフィシャル着メロサイトがオープンしましたので、わたしの作成した着信音メロディは、任務終了しました。>>

さあ、それではここで省吾さんの紹介をしましょうか。

1998. 4.1より3年越しにコンサートツアーをされています。その間NEW ALBUMの制作期間はなく、
4枚のシングルレコードが出されました。2000. 9. 6までで104箇所をまわり、161公演をこなされています。
そして1999年夏に野外コンサートを3回行われました。
一箇所目(北海道)はシュミレーションゲームが高じて飛行機を操縦したくなった青年に乗っ取られた飛行機に
ほとんどのメンバーが乗りあわせていました。
3箇所目(東京)は雨天順延を余儀なくされました。
予備日をもうけていたものの、とんでもなくひどい大雨に関東地方は見舞われたのです。
翌日決行されることとなりましてその地面の芝の乾きに当日朝のスタッフの作業を考えるともう何も言葉で言い表せません。
また、その入場方法は整理番号順でした。
1万人単位で入場を処理するわけですから、どの箇所でも自己申告制の入場順となりました。
もみあい、いざこざはまったくおきませんでした。
ただ、順番通り入れるから、と待たされている間に案内されていた若い整理番号の持つファンが開場時にいたにもかかわらず大きな番号の人に先を越され、遅れをとってしまい残念な思いをしたという事実もあります。
私はバス到着の関係であとから入場しましたので、空いている芝生を探さねばなりませんでしたがまわりの皆様は私が前方に割り込む形になるにもかかわらず、おつめあわせしてくださいました。



さて、2000年11月8日、省吾さん本人が1枚のCDに収めるべく切なくも決めざるを得なかった15曲のヒストリーアルバムが発売になりました。
どの店頭でも平積み、過去のアルバムの展示、店内に曲を流す、プロモーションビデオを流す、など大々的に販売促進宣伝されています。
このアルバムを作る中で、セルフライナーノーツも書かれ、初回盤購入者にはもれなくプレゼントされているようです。


2001年8月1日、先行シングル「君の名を呼ぶ」が発売、8月22日に4年間に発表した全シングル曲を含む12曲が収録された「SAVE OUR SHIP」が発売になりました。
バラード・ヒップホップ・ラップ・ジャズ等、DTMの最先端Pro-tools(プロトゥールス)により共同プロデュースの水谷公生さんと本人でほとんどを録音したそうです。
弦についてはツアーでのストリングスは4人編成の「カルテット」ですが、レコーディングでは、ファーストバイオリン6人・セカンドバイオリン4人・ビオラ4人・チェロ2人の16人編成によるちょっと豪華なストリングスアンサンブルだそうです。もちろんツアーメンバー”J.STRINGS”とそしてストリングスアレンジャーとしての”福田 裕彦”がレコーディングに参加しています。そしてMIXは、初のロンドンMIXで、やはりPro-toolsで、その上位機種を自宅スタジオに持つスティング氏から借りたそうです。



9月1日、全35公演の予定で会場をアリーナに設定したツアーがこれまでのコンサートツアーの延長として始まりました。
ツアーファイナルは、出身地広島で本人の誕生日(長いツアー人生で初の!)に予定されており、熱烈なファンの関心度が高いようです。
感想など書き込んでもらえるといいなと思い、BBSを設定しておきます。
おんざぼーど2001



8月18日には21年ぶりにTV出演(on NHK)をし、本人はこれで出演は最後というつもりで自ら企画演出しTV番組を制作、発表されました。6月のメキシコを中心に撮影された映像は荒野すらもみずみずしくとらえられ、落ち行く夕陽や燦燦と降り注ぐ太陽など、海と空と動植物とハートフルな省吾氏が印象的でした。
10月、12月には、第2弾、3弾、4弾の放送が予定されています。



・→ここから2001.12.1 加筆→・予定の第2弾/10月8日なのですが、放送時間になっても始まらない。チャネルはNHK総合TVですからよくありがちなお決まりの放送時間繰り下げです。1時間ちょっとがニュース番組になりました。前月に米国で同時多発テロが起き、この放送の日未明に米国はテロ犯の指導者が潜伏しているとされるアフガニスタンに対して空爆を開始。その為この日は直前のニュース10という番組が急遽放送枠拡大されたのでした。日付が9日に替わった頃、やっと 【浜田省吾”MUSIC ODYSSEY”】が始まりました。
この番組には、本人は演出・編集にタッチしなかったので、当日リアルタイムで(どうやら視聴率には気になった模様)画面をふいて正座して待ってた(笑)そうですよ。
それなのに!始まって1曲目「J.BOY」の2コーラスめにググーっと画面が左下へ縮小されて青背景があらわれ、映像右側にニュースの見出し、上に情勢のニューステロップが繰り返し繰り返し右から出てきて流れる。きっと抗議の電話しているファンがいるだろうなと思いつつあきらめていると、画面が元に戻ったり、また小さくなったり、戻ったりした。番組も佳境に入り最後の曲にかぶさって、ピピピッという信号音とともにさっきまでと違う速報テロップが...(泣)。そしてナレーターの時任三郎氏により締めの言葉がはじまると突如「ブチッ」と終わって「本日も空爆が始まった」とアナウンサーが出てきて「ニュースをお知らせします」となってしまいました。待てども待てども音楽番組には戻らず、解説員も出てきて対談による報道となり、後日再放送するとのテロップが出ました。

ビデオに録ったものを見るとですね、「愛の世代の前に」の時にニュースサイズになったり「君の名を呼ぶ」とかラブソングの時は普通サイズだったり、当番組スタッフが放送ルームに急遽来て操作していたのか?!と思うくらい計ったようになっていてですね、これはこれでひとつの社会報道番組?なんて思えるくらいです。。。放送時間は、あと3分何秒か残して...そこで切ってしまわずに終了まであと少し、緊急番組の開始を待って欲しかったが...。そしてずっと20年来出演することのなかった地上波TVに出ることになり 企画のときにはテロなんてなくて楽曲と結びつくはずもなかったのに、(「愛の世代の前に」は都内で新宿の高層群をバックにしての映像だった。ひょっとしてテロの後に「この曲だ」と思い、撮って番組に挿入したかも?)ましてや放送日に空爆が始まり、社会情勢が番組画面と同時に放送されるだなんて偶然とはいえ浜田省吾その人の星回りに、大きな力を感じたことでした。



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Ayako M.
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