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 一駅乗って天満てんま駅で降りる。
 大阪駅の隣とは思えぬ狭い駅前で、鼻に当たる水滴に、桜夜は曇り空を見上げた。

「うわ、降ってきた。30%なのに!」
「それは30%なら降ることもありますよ」
「勇魚は大丈夫かなあ」
「屋内で遊ぶらしいので、大丈夫とは思いますが……」

 そう言う自分たちはというと、雑然とした高架下を通り抜けた先は、雨でも安心のアーケードだ。

『天神橋筋商店街』

 人が行き交う狭い通りで、頭上にそんな案内板がかかっている。

「ここは天神橋筋四丁目、天四やな。
 もっと南の天一から続いてて、終点の天六まで2.6キロ。この数字はちゃんと覚えてるで」
「それが全部商店街なんですか? 歩くだけでいい運動になりそうですね」
「ふっふっ、なんと日本一長い商店街や。全部歩けば完歩証がもらえるで!」
「なるほど。賑やかで素敵な場所ですね」



 桜夜に案内されながら、店先を覗いて歩く。
 ドトールや携帯ショップなど、東京にもありそうな店を見たと思いきや、昭和創業と書かれた古そうなうどん屋もある。

「同じような店がたくさんあるんですが……ドラッグストアとか。競合しないんでしょうか?」
「潰れてないんやから何とかなってるんとちゃう? あ、おばちゃーん」

 と、桜夜が朗らかに駆け寄ったのは、店先で和菓子を売っている店だった。
 割烹着のおばちゃんが、顔を上げて二人を見る。

「おや桜夜ちゃん、今日は可愛い子連れてんねんな」
「せやろ、可愛いやろー? 私の後輩やねん」
「初めまして、藤上姫水と申します。ここは先輩の行きつけのお店なんですか?」
「せやねえ、小さい頃からよく来てくれてたで。あんまりしょっちゅうお菓子買うもんやから、心配になって止めたくらいや」

 その頃から浪費家だったのか……との姫水の心配をよそに、桜夜はえへえへと笑っている。
 が、おばちゃんは急にしんみりと顔を伏せた。

「それでもねえ、桜夜ちゃんはいつも明るくて可愛くて。商店街の人たちも、桜夜ちゃんに会うだけで元気をもらえたんや」
「も、もー、何や急に。照れるやないの」
「そんな桜夜ちゃんも、来年はとうとう大学生。この町を離れるかもしれないんやねえ……」
「お、おばちゃん、寂しいこと言わんといて……。よし、私もう受験やめよ! なんかもう受かりそうにないし!」
「コラッ、何をアホ言うてんねん! しっかり勉強して、親御さんを安心させたらなあかんで!」
「とほほ、はーい」

 くすくすと笑う姫水に、桜夜は照れながら大福とお団子を注文する。
 財布を出そうとする後輩を、先輩の手が押し留めた。

「今度こそ大丈夫! 私がおごるで」
「ですが……」
「地元でくらいカッコつけさせて!」


 *   *   *


「はい、ここが終点やー」
「お疲れさまでした」

 商店街のアーケードが途切れ、目の前の天六交差点は車が行き交う。
 空は割と明るいのに、雨足は強くなっていた。

「では、私はそこの駅から帰りますね」
「ち、ちょっと待って! まだ大福食べてないやん。私んち寄ってって!」
「え、でも急にお邪魔では……」
「もー、私と姫水の仲やろ?」
(どんな仲なんだろう……)
「それに私、傘持ってへんから。姫水が来てくれないと帰れへんし」
「なんで梅雨時に傘を持たないんですか」

 呆れながら、仕方なく相合傘で北へと向かう。
 どうにも評価の乱高下が激しい。
 少し見直したと思ったら、またすぐガッカリさせられる行動を取る。
 と、『ゆ』と書かれたのれんが目に入った。

「こんなところに銭湯があるんですね」
「私も時々入るでー。あ、私んちはあそこ」
「え……」

 桜夜が指さした先は、天空にそびえるタワーマンションだ。
 自分が品川にいた頃、住んでいたところより大きい。

「銭湯の近くにタワマンというのも、変わった取り合わせですね」
「そう? 大阪なら普通やで」

 話しながら、二人は地上二十階へと昇っていく。


「やあ、いらっしゃい」

 出迎えたのは、口髭をたくわえたイケメンなおじさまだった。

(お父様まで美形なんだ……)
「パパには前に話したやろ? この子が姫水。私と同じくらい可愛い子!」
「初めまして、桜夜先輩にはいつもお世話になっています」
「いやいや、ほんまはお世話してくれてるんやろ? 次のライブでも助けてやってや」
「もーパパ、余計なこと言わなくてええから! ほら姫水、上がって上がって」

 娘からほうじ茶の注文を受けて、ダンディ父は台所へと姿を消す。
 廊下を歩きながら、桜夜の背中越しの声が響いた。

「うちはママがバリバリ働くタイプやから、お弁当なんかはパパが作ってくれんねん」
「素敵なお父様ですね」
「せやろ! 大阪でもトップ10には入るパパやと思うで」

 基準不明なランキングに、苦笑しながら自分の父親を思い出……そうとして、姫水は何も思い出せなかった。
 元々娘に関心のない人だったが、娘の方はそれに輪をかけて関心がなかった。
 勇魚さえいればそれで良かったのだから。
 浮気がばれて離婚した時、心配そうに様子を見に来た勇魚に、放った言葉は覚えている。

『別にどうでもええし、それより一緒に遊ぼ!』

(私って昔から、興味のない人にはとことん興味なかったのかなあ……)
 直接の原因ではないにしても、現実感を失う下地はあったのかもしれない。
 今目の前を歩く先輩は……どうだろう。
 危なっかしくて、放っておけない感じではあるけど――。


 桜夜の部屋は予想通りというか、女の子らしいながら雑然としていた。
 ぬいぐるみや少女漫画がそこここに転がり、壁にはベタベタと写真が貼られている。
 もう少し整頓すればいいのに……とは思うが、余計なことは言わず、写真の中の彼女を見る。

「立火先輩との写真ばかりですね」
「ば、ばかりってことはないやろ。ほら、クラスの友達のもあるし」
「ふふ、どの写真も楽しそうですね。こちらの男性の方は?」
「それはお兄ちゃん。大阪は暑いから嫌や言うて、仙台で働いてんねん」

 部屋がノックされ、桜夜父が冷たいほうじ茶を差し入れてくれた。
 高層階の窓を雨が打つ中、少しじめっとした梅雨の部屋で、二人で大福を頬張る。
 食べながらも、桜夜は決して黙らない。

「って感じで、お兄ちゃんてほんま残念なイケメンやねんでー」
「故郷を離れて一人でお仕事なんて、立派じゃないですか」
「まあ、そうなんやけどね。って姫水もそうやろ」
「あ……」
「中学生で働くなんてほんま偉いなあ。姫水が出てたドラマ、見たいんやけどなんか評判悪いやん。姫水だけの総集編とかないの?」

 桜夜は何も気にせず、平気で地雷原へ踏み込んでくる。
 話の流れがそちらへ向かうのは、そうせよという啓示なのだろうか。
『病気のこと、桜夜先輩に話してみたらどうやろ?』
 勇魚に責める気なんてあったはずがないのに、責め立てられるような感覚に押され、口を開いた。

「先輩は……」

 ごくり、と唾を飲み込んで。

「私が女優を休んで、大阪へ来た理由は気になりませんか?」
「あー、言われてみれば気になる。何でなん?」
(軽い!)

 早くも後悔し始めたが、もう後には引けない。
 覚悟を決めて、姫水は今だけ仮面を外した。

「内密にお願いしたいのですが――精神病です。離人症、といいます」


 *   *   *


「なんやよう分からへんかったけど、姫水も大変なんやなあ」
(言わなきゃ良かった……)

 団子をもぐもぐしている先輩に、姫水は本格的に後悔した。
 いや大げさに同情されるよりは、これくらい軽い方がいいのかもしれないけれど。
 それにしたってもう少し……。

「でも元気に部活できてるやん。そんな大したことないんやろ?」
「ですからそれは演技で……いえ、もういいです」
「どうやったら治るの?」
「私の壁を壊すような強い想いを見せてもらえれば、治るかもしれませんね」

 こんな何も考えてない先輩に、期待するようなことではないけれど。
 そう投げやりになっていた姫水は、カーペットに両手をつき、猫のようににじり寄ってくる桜夜の意図を掴めなかった。
 息の音が聞こえるほど顔が近づいても、まだ現実感が湧かず、何をしてるんだろうと思った。

 ちゅっ

「!!?」



 頬に感じた熱さに、思わず飛びすさる。
 いきなりキスしてきた先輩は、邪気のない顔でにこにこ笑っている。

「な、な、なー!」
「わ、姫水の驚いた顔って初めてや。そういうのも可愛いやん」
「一体何を……いえ、分かります。やりたかったことは分かります」
「そう、私のめっちゃ強い愛を見せてあげたんや! どう? 病気治った?」
「……これだけで治れば苦労はしませんよ」
「ちぇー、やっぱり唇にしてやればよかった」
「やめてくださいね」

 熱さが消えていくにつれ、元の通り、嫌なほど冷静な自分に戻っていく。
 でも、先ほどの一瞬だけは驚かされたのは事実だった。
 息づかいとともに、彼女の存在をはっきりと感じたのは。

(五分おきくらいにキスしてもらえば、もしかしたら治るかも……)
(って、そんなわけにもいかないわね)

 心の中で苦笑しながら、残っていた団子を口に入れる。
 僅かながら、何だか甘く感じられた。
 尊敬できる人というのとはやはり違うけれど――。
 もう少しだけ、ここにいたいと思った。

「驚かせてくれたお礼に、少し勉強を見て差し上げますね」
「うええ!? いやいや、学年一位の手をわずらわせへんでも」
「ちゃんと大学に受かって、立火先輩と一緒に卒業したいでしょう? 私にもお手伝いさせてください」
「ううっ、そういう言い方されると弱いで。ちょっと待って、準備するから」

 参考書を取り出す桜夜を見ながら、姫水の頭にSupreme Loveの旋律が流れてくる。

 予備予選、頑張ろう。
 今の自分には、可愛く見せる演技しかできないけれど。
 本当に可愛い人である、この先輩を皆に見てもらうために。


 本番まであと一週間。
 だが翌日の月曜日、大阪をとんでもない事件が襲う。




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