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「では、全国大会の方針はこれで決定ということで」

 地区予選に全力で挑むWestaの一方で、予選は眼中にないグループもある。
 Number ∞ の幹部会議では、早くもアキバドームでのことが検討されていた。
 会議はつつがなく終わり、さて閉会というところで一人の二年生が手を上げる。
 次期部長候補の一人、及川だった。

「皆さん、ほんまにこれでいいんですか?
 どうせいつも通りやれば全国上位に入れると、惰性で考えていませんか?」
「な、何やいきなり。先輩たちに失礼やろ!」

 もう一人の候補である早乙女が止めるが、反乱した二年生はそのまま続ける。

「なぜ全国優勝を目指さへんのですか! 頂点を獲ろうという気概が見られません!」
「あー、及川」

 部長の鏡香が、いつものニヤニヤ顔で後輩を制する。

「それを言うのはお前で十人目くらいや」
「あ、そ、そうですか。やっぱり同じ話はされてましたか……」
「せやけどなあ、優勝目指す言うても具体的な道筋が見えへんねん」

 鏡香の冷めた言葉に、他の幹部たちもうんうんと首を縦に振る。

「過去に二回優勝はしてるけど、その時のメンバーも『何で優勝できたか分からへん』って話やしね」
「ましてや今回は羽鳥が強すぎるからなあ。頑張っても割に合わへん」
「え、羽鳥先輩は確かにすごいですけど、さすがにそろそろ飽きられませんか?」

 及川をかばったわけではないが、早乙女がつい異を唱える。
 が、鏡香が後釜たちに向けたのは諦めの表情だった。

「アイドルのライブで、一番客が入るのはいつやと思う?」
「それは……あ、ファイナルライブですね……」
「そういうこと。今回で引退となると、どうしてもブーストがかかる。
 特に羽鳥みたいな、個人で絶大な人気を持つ奴はな。
 ま、私たちの学年は運が悪かった。優勝したいならお前たちの代で目指してや」

 後輩二人は、そう言われて殊勝にうなずく。
 鏡香としては、そろそろ次期部長を決めねばならないが。
 今ので少しだけ、及川がリードだろうか。



 *   *   *


 大阪でそんな噂をされているとは知る由もなく、羽鳥静佳は豊公園を散歩していた。
 長浜城の横を通り過ぎると、琵琶湖の湖水が見えてくる。

鶏足寺けいそくじ、今なら空いてるかなあ」
「空いてはいるけど、紅葉はとっくに散ってるやろ」
「びわ湖バレイの新しいテラスも、まだ行けてへん」
「ええと……練習が厳しすぎるって苦情?」
「そうやないけど、もっと惟月と色々行きたかったなあって」

 にこやかに微笑まれ、マネージャーの惟月は赤くなった顔を伏せる。
 が、今は大事な時期。この散歩が終われば再び練習だ。

「今回が最後のチャンスなんや。引退ブーストのかかる今こそ、かつてない有利な状況。
 必ず全国で優勝して、最後の花道を鮮やかに飾ろう」
「うん、楽しみにしてるね。でもブーストがかかるのは私だけとちゃうやろ?」
「そうやな……」

 高海千歌、渡辺曜、桜内梨子。
 内浦の奇跡を起こした彼女たちも、今回が最後のラブライブ。皆は惜しみつつ大いに投票するだろう。
 静佳ひとりには厳しすぎる強敵だが、だからといって諦めるわけには――。

「惟月、ちょっと止まって。誰かに尾けられてる」
「え!?」

 制止した静佳が、冷たい目で林の中をにらむ。
 果たして、そこからバラバラと現れたのは……。

「忍者!? 何で!?」

 惟月が仰天した通り、忍者装束に身を包んだ、五人ほどの集団だった。
 静佳たちを取り囲み、十字手裏剣を印籠のように突き付けてくる。

「我々は甲賀女学院、忍術系スクールアイドル『忍Dollにんどーる』!」
「羽鳥静佳! 貴様ひとりのせいで、他の滋賀のグループは影が薄いままや!」
「近江の民の恨み、今こそ晴らすでござる!」

 甲賀の忍たちの剣幕に、静佳はマネージャーをかばうように前に立った。

「惟月、あなただけでも逃げて」
「な、何を言うてるの! 静佳は大勢のファンが待ってるんや。日陰者の私こそが犠牲になるべき……」
「何でそういうこと言うんや。あなたがあってのアイドル羽鳥静佳やろ」
「ちゃうっ。もう静佳は私なんていなくても……!」
「ええい、何をイチャイチャしておるか! 覚悟ー!」

 手裏剣を構えて襲い掛かる忍者に、抱き合った二人が思わず目を閉じた時だった。

「はいカットカットー!」

 明るく響いたのは、LakePrincess部長の椿の声である。
 後ろからは呆れ顔の雪江たちも出てくる。

「いやあ、さすが甲賀忍軍! 見事な迫力やったで」
「あ、どーもどーも。お招きありがとー」

 いきなりフレンドリーになった忍者と握手している部長に、静佳の微笑が突き刺さる。
 その目が全く笑ってないことに、惟月だけが気付いていた。

「……椿、あんたの差し金やったん?」
「ほら、大阪のやつらがバトルロードとかやってウケてたやろ?
 たまには私たちもああいう遊びが必要かなーって」
「羽鳥さんと直接対決できるとは光栄にござる~」
「へぇ~、それはそれは遠く湖南からどうもぉ」

 ゴゴゴゴゴゴゴ
 ここでようやく、椿も忍者たちも虎の尾を踏んだことに気づく。
 静佳の放つ天才のオーラは、既に周囲を圧倒していた。

「せやけど私の惟月を怖がらせた罪……ただでは済まんと思っといてや?」
「し、静佳! 私は大丈夫やから!」
「バトルロードやったっけ? 結構。全力で叩き潰してあげるねぇぇ!」
『ひいいい~~!』

 琵琶湖の渡り鳥も逃げ出すほどの、盛大な悲鳴が湖畔に響いた。


 *   *   *


「なんてことが滋賀であったようです」
「あはは……まあ、私たちのバトルが参考になったなら幸いや」

 苦笑しながら、立火は晴の前で部室の鍵を開けた。
 結果は聞かずとも、一方的にボコボコにされたであろうことは分かる。

「やっぱり最後まで、羽鳥には誰も勝てへんのかなあ」
「最後だからこそ余計に強いですしね。まあ部長と桜夜先輩も、多少は引退ブーストはあると思いますよ」
「多少かあ」

 授業が早めに終わった二人は、他校の話をしながら部員たちを待つ。
 今日は期末テスト前の最後の部活だ。


「あ、姫水……」
「……彩谷さん」

 部室へ行こうとして、隣のクラスの二人は廊下で鉢合わせした。
 周囲から上がる黄色い声に、どちらも営業スマイルで手を振って返す。
 一応ライバルということで、互いの距離は少し開けながら。

 渡り廊下で人が消えたところで、姫水がぽつりと口を開いた。

「先週のこと、あなたにお礼を言わないといけないんでしょうね」
「え!? べ、別に大したことしてへんけど」
「結果として花歩ちゃんと勇魚ちゃんは仲直りして、桜夜先輩の問題も解決した。
 みんな私の大事な人なのに、私は何の役にも立てなくて、何してたんだろう……」
「まーまー。一年生を集めて、きっかけを作ったのは姫水やろ?」
「そんなの誰でもできることじゃない……」
(姫水でも落ち込むことってあるんやなあ)

 桜夜についてはつかさは強引に投げただけで、何とかしたのは花歩のようだけど。
 どちらにせよ無力感に包まれている姫水に、つかさは頭をかきながら横を向いて言った。

「いくら完璧な優等生さんでも、得手不得手はあるやろ」
「え……」
「小狡いやり方とか、ちゃっかりした要領の良さはあたしの方が得意なんやから。
 そういうとこは頼ってもいいと思うけど」
「彩谷さん……」

 姫水は立ち止まって、驚いたようにつかさを直視する。
 された方がどぎまぎしている間に、彼女はふっと微笑んだ。

「そんな風に言われたの、初めてかもしれない」
「そ、そう? まあ、姫水に勝とうなんて考えるのはあたしくらいやからな!」
「もっとも、彩谷さんが頼りになるかは別の話だけどね」
「やかましいわ! その認識、もうすぐ変えさせたるで!」

 笑いながら、ライバルの緊張感も取り戻しつつ、二人で部室に向かう。
 昨日の夜、桜夜から部員たちにメッセージがあった。卒業したら立火と暮らすと。
 花歩が背中を押してくれのだと。

(あたしと姫水も、先輩たちみたいになれへんかな……)
(姫水が女優を続けるなら、あたしがそばで支えられへんかな)
(……ワンチャンを得るためにも、とにかく地区予選で勝つ!)


 同じく特に役に立てなかった小都子は、廊下を歩く花歩に声をかけていた。

「花歩ちゃん、今から部活? ……あれ、勇魚ちゃんと一緒とちゃうの!?」
「勇魚ちゃんは掃除当番で遅れます。
 ちゃんと仲直りしましたって! 先週はすみませんでした」
「そ、そう、ならええんやけどね。あの……立火先輩のことは、大丈夫?」
「そっちも何ともないですってば。私、周りに心配かけてばっかやな~」
「……心配くらいしかできひんで、ごめんね」

 立火と桜夜が卒業後も一緒にいてくれるのは、二人が大好きな小都子には大歓迎だった。
 しかし裏にある花歩の気持ちを思うと、素直には喜べない。
 せめて二人のいなくなった来年、部長としてこの子を幸せにしなければ……。

「ミニ・ハリセンズの配信も見てたで。ほんまに楽しそうで、いいライブやった」
「ありがとうございます! 先輩は昨日は何してはったんですか?」
「うん? 朝から晩まで勉強」
「あ、そうやったんですか……」

 少し気後れする花歩と裏腹に、小都子はいきなりふっふっと笑い出した。

「見ててや~。今度の期末テストこそ、晴ちゃんをトップから引きずり降ろしてやるから」

 そのために部活は定時で帰っていたのだ。
 学生としては一番まっとうだった先輩に、花歩も尊敬の目を向ける。

「ついに小都子先輩が頂点に立つんですね!」
「ま、もし勝てても自慢にはならへんのやけどね。
 晴ちゃんは先輩たちの勉強を見てあげるんやから。
 でもええねん。私の自己満足や」
「頑張ってください!
 ……って人の応援してる場合とちゃうわ。全然勉強できてへーん!」
「あはは。明日からは頭を切り替えて頑張ろうね」


 部室に集まったメンバーの前で、部長は力強く号令をかけた。

「今日が終わればしばらくお休みや。
 もどかしいけど、どの学校も条件は同じ! テスト後の九日間で一気に完成させるで!」
『はいっ!』

 立火も桜夜も花歩も、色々と思うところはあれど、普段通りの態度に徹している。
 そして部長の目は、これまた普段通りの笑顔である後輩に向いた。

「勇魚も衣装のことはいったん忘れて、試験に集中するんやで」
「はい! でもだいぶ出来上がってるので、テストが終わればすぐ出せます!」
「そ、そうか」

 時間もないし、できれば四度目の没は出したくないが……。
 何にせよ実際に見てからである。今はジャージに着替え、今日の練習に打ち込み始めた。

『待ってるだけじゃ何も叶わない 戦わなきゃ何も得られない
 欲しいものがあるなら手を伸ばせ そのための人生なんだ!』

「うわっとっとっ」

 カララーーン
 桜夜のバトンが、床に落ちて音を立てる。
 ごめんごめん、と拾う彼女に、正面で見ていた晴が注意した。

「今はバトンは無理しないでください。
 土曜からバトン教室です。そこでのプロの指導に期待しましょう」
「うーん、六日間だけの教室で何とかなるんやろか」
「そこは私たちの頑張り次第やで!」

 立火に言われ、笑顔でうなずく桜夜を見て、花歩の胸はちくりとする。
 さすがに何も感じないのは無理だけど、少しずつでも慣れていかないと。

 どこかの時点で、立火の相手は桜夜と決まっていたのだ。
 できればそれは、自分が入部した後であってほしかった。
 最初から何のチャンスもなかったとは思いたくない……。

 一方でつかさの胸も、別の理由でざわざわしていた。

(先輩たちに見せ場を作るのはいい。あたしとしても大歓迎や)
(せやけどそれに食われるんやったら、あたしがセンターになった意味はないで)

 二人とも、やる時はやる先輩だ。テスト明けにどんなバトン技術を引っ提げてくるやら。
 何度目かの練習の後、つかさは率直に晴へと尋ねた。

「観客の目から見て、現時点であたしのパフォーマンスはどうですかね」
「一年生としては大したものや。単独で見れば文句を言う奴はおれへんやろ。
 が、やはり姫水には届いてへん。並べられると見劣りする」
「そ、そうっすか……。あのっ、もっと難しいステップを入れるとか!」
「つかさ、落ち着くんや」

 センターに立つ後輩に、後ろから部長が肩を叩く。

「今でもかなり激しいんやで。ケガでもしたら一貫の終わりなのは、お前の頭なら分かるやろ」
「そうですけどっ……!」
「ひ、姫ちゃん! 何かつーちゃんを励ましてあげて!」
「何も言うことはないわよ。彩谷さんだってそんなの欲しくはないでしょう」
「くっ……当たり前や! まだ時間はあるんや、諦めへんで!」
「あのっ」

 と、割り込むように前に出たのは夕理だった。
 センターだけでライブをするわけではない。大事なのは総力戦なのだ。

「岸部先輩、私についてはいかがですか」
「は、晴ちゃん、私も!」
「思うに、小都子と夕理はこのライブの支柱や。
 センターと三年生の四人が我が強いから、二人は全体の調和を保てたらいいと思う」
「あんまり具体性はないですね」
「ま、まあまあ夕理ちゃん、そこはフィーリングでね。ありがと、晴ちゃん」

 姫水の相手がつかさになったので、必然的に小都子の相手は夕理になった。
 夕理は胸を借りるつもりだが、保護者気分の抜けない小都子は決闘しづらい相手だ。
 だが調和とバランスということなら、小都子の得意分野である。

 そして残る二人は、既に先輩たちから役割を聞いていた。

「私たちは殺伐とし過ぎないよう、一服の清涼剤のように、ですね!」
「花ちゃんとうちなら、神戸のとき以上に楽しい決闘にできます!」
「うんうん。可愛い方面は、今回は二人に任せるで~」

 にこにこ顔の桜夜の代わりが務まるかは分からないが、二人の力を合わせれば何とかなるはずだ。
 花歩と勇魚は、改めてしっかりと握手する。

 『バトル・オブ・オオサカ』だった頃も合わせれば、この曲の練習は既に三週間を超えた。
 仕切り直した気分で、中間仕上げのライブを重ねていく。


 部活を終えて昇降口に向かう晴に、後ろから声がかけられた。

「岸部先輩……私の評価を聞いていませんでした」
「なんや、お前が聞いてくるとは珍しいな」

 振り返った先にいたのは、思いつめた顔の姫水だった。
 いつも完璧な彼女には、晴も言うことはあまりない。

「これ以上進化したら、つかさが付いていけなくなるかもやで」
「知りません。彩谷さんが言い出したんですから、自力で何とかすべきです」
「自力で何とかできる奴や、とは思ってるんやな」

 口角を上げる晴に、姫水はそっぽを向いて回答を拒否した。
 改めて向き直り、晴は自分の考えを述べる。

「夏のラブライブの前、全国へ行ける条件を考えたことがある。
 一、つかさが本気になる。
 二、姫水の病気が治る。
 三、花歩と勇魚が使い物になる。
 四、夕理がもっと娯楽性のある曲を書く」
「……三つはクリア済み。残るは私の問題だけということですね」
「もちろん治そうと思って病気が治るなら苦労はない。
 それでも最後まで諦めないでほしい。お前が現実感を取り戻せば、奇跡はぐっと近づくんや」
「分かりました。何とかあがいてみます」

 指に繋いだままのバトンを、姫水はぎゅっと握りしめる。
 改善はしてきている。大切な幼なじみと友達。信頼できる先輩。自分に本気をぶつけてくるライバル。心から応援してくれるファンたち。
 だがそれだけ揃ってもなお、姫水と現実の間の決定的な壁は消えてくれない。
 この脳は、いったい何を求めているのだろう……。


 *   *   *


「あー、今日から部活できひんの辛いー」
「ごちゃごちゃ言わない。学生の義務を果たした上での部活やで」

 真面目に答えてお弁当を食べてる夕理に、花歩は声量を落として尋ねた。

「ここだけの話、つかさちゃんは練習続ける気やろ?」
「……口には出してへんけど、昨日の帰りにはそんな顔してた」
「いーなー、一夜漬けで済む人はー」
「あまり誉められたことではないけど……でもつかさも必死やからね」


 その日の授業が終わるやいなや、念を押すような放送が流れる。

『本日から部活禁止期間です。速やかに帰宅して試験勉強に励みましょう』
(そんないい子ちゃんでいられるかっつーの)

 ちょっと野暮用が、と言って友人との帰宅を断ったつかさは、こそこそと特別教室棟に向かった。
 校舎は静まり返り、人の気配はない。
 普段ここにいる生徒は帰ったか、図書室で勉強しているのだろう。

(あたしはどうせ、テスト前はいつも遊んでたんや)
(代わりに練習するってだけやで)

 鍵を借りられないので部室には入れないが、その前の廊下で十分だ。
 さっそく練習を始めようとすると――

「こらー! そこの生徒、何してるんや!」
「やば。って、生徒会長っ!」

 まさかの生徒会の見回りだった。
 ずんずんと近づいてくる忍に、つかさは気まずく視線を逸らす。

「彩谷さんやないの。小都子はこのこと知ってるの?」
「い、いえ、内緒っす……」
「あかんやろ、小都子に迷惑かけたら!」
「す、すいません……」

 相変わらず小都子一筋の人だ。
 見逃してくれる様子は皆無で、大人しく諦めるしかなかった。

「反省してます、もうしません! なのでこのことは先輩たちにはご内密に!」
「ダーメ。私が小都子に隠し事なんてするわけないやろ」
(くっそー!)



 首根っこをつかまれ、昇降口まで連行されてからとぼとぼ帰っていく。
 かくなる上は近所の公園で練習するしかない……寒いけど。


 その日の夜、小都子からお叱りの電話がかかってきた。

『つかさちゃん? 忍から聞いたで?』
「申し訳ありませんでしたああああ!」
『はぁ……いくらうちがゆるい学校でもね。
 堂々とそういう事されると、いずれ厳しくなっていくんや。つかさちゃんなら分かるやろ』
「……はい。マジで反省してます」
『もしかして、帰ってから練習してるの?』
「はい、公園で……日が沈むまでなのが歯がゆいですけど」
『暗くなった後は危ないからねえ……。
 うちに使ってない離れがあるけど、よかったら来る?』
「いいんですかっ!?」

 さすが、話の分かる先輩だった。
 電話のこちら側で尻尾を振っているつかさに、仕方ないなあという笑い声が届く。

『なら明日は、晴ちゃんの自転車借りるとええよ。私から伝えとくからね』
「お願いしますっ!」


 というわけで翌日の放課後、小都子と自転車を並べて堺へ向かった。
 阪堺大橋を渡りながら、冬の風に乗って質問が届く。

「晴ちゃんはどんな様子やった?」
「三年生をビシバシ勉強させてましたよ。桜夜先輩は既に涙目でしたし」

 その立火と桜夜も話は聞いていたようで、心配と激励の声をかけてくれた。

『くれぐれもオーバーワークには気を付けるんやで』
『つかさも姫水も同じくらい可愛いんやから、絶対いい勝負になるって!』

 センターを譲ってくれた三年生たち。
 練習場と自転車を貸してくれた二年生たち。
 何が何でも、期待に応えてみせないと……。

「さすが小都子先輩の家、豪邸っすねー」
「あはは。夕理ちゃんより先に、つかさちゃんを招くとは思わなかったなあ」
「もー、早く夕理のこと誘ってあげてくださいよ」
「いいチャンスがあればねえ。ほら、そこの建物や」

 和風の庭を横切った先に、渋い茶室が建っていた。
 中は十畳ほどの広間で、暖房をつけた先輩は、きょろきょろしている後輩を振り返る。

「靴下でやってもらうしかないけど、堪忍してや」
「大丈夫です、滑り止め付きのを持ってきました。
 何から何までありがとうございます。このご恩はいつか必ず!」
「うん……頑張って、つかさちゃん」

 自分の部屋に戻りながら、小都子は少し不安になる。
 身も心も全力で燃やしているあの子は、地区予選が終わったら燃え尽きてしまわないか。
 姫水との決着がついた後、つかさに何が残るのだろうか。

『あたし、来年も部活続けてるかはわかんないっす』
『何とか続けてもらえへん? 私、頑張って楽しい部にするから!』

(天神祭の日にそう話した時とは、色々状況は変わったけれど……)
(私が部長をするWestaに、つかさちゃんはいてくれるんやろか)
(って、今考えるべきこととちゃうな。勉強勉強!)
(勉……強……)

 何かを思いついた小都子は、つかさのところへ取って返していく。


 *   *   *


 晴の特訓で勉強量を蓄積し、そして土曜日。
 立火と桜夜は、いよいよバトン教室へと向かっていた。

「半額は部費から補助してもらったんや。しっかり学ばなあかんで」
「ま、受験勉強よりは気が楽やな。……ねえ立火」
「ん?」
「二人暮らししたら、家事の分担ってどうする?」
「こ、こんな時に話すこととちゃうやろ!」

 早足になる立火に、追いかける桜夜はにやにやと笑う。

「あー、照れてるんやろー」
「アホか! そもそも桜夜に家事できるんか?」
「え、全部やってくれるの? それならめっちゃ助けるけど」
「んなわけあるかーい! 意地でも半分は担当してもらうで!」

 などと話しながら、ビルの一階にある教室に入る。
 ジャージに着替えてレッスン室に行くと、レオタード姿の子供たちが奇異の目を向けた。

「なんかおっきいお姉ちゃんがおるでー」
「初めましてや! 今日は一緒に練習させてや」
「うへへ、可愛い子たちやなあ。お姉ちゃんの妹にならない?」
「つまみ出されそうな発言はやめろ!」

 その間に、バトンの先生であるおばちゃんがやって来た。
 子供たちと挨拶を交わしてから、高校生二人に向き直る。

「マネージャーさんから話は聞いてるで。スクールアイドルのライブに使いたいんやって?」
「そーなんですー。よろしくお願いしまーす」

 桜夜が軽く返す一方、立火は直立して深く頭を下げる。

「真剣にバトンを学ぶ人たちの場で、たった六日でつまみ食いしようとは失礼かもしれません。
 せやけど私たちにはこの方法しかないんです。どうかご教授お願いします!」

 桜夜も慌てて頭を下げ、先生は力強くうなずいた。

「結構、本気なのは分かったで。
 どんな形でも、トワリングに触れてもらえるのは嬉しいことや。
 遠慮なく鍛えるから、しっかりついてくるんやで!」
『はいっ!』

 こんな時期にバトンを習い始める高校三年生なんて、日本中で自分たちだけだろう。
 だが他人がやらないことをやってこそ青春というものだ。
 受験は晴が詰め込んでくれた知識を信じて、今はただバトンを繰っていく。



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