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『間もなく18時です。部活動を行っている生徒は、速やかに下校の準備を……』

 放送が淡々と流れる中、スクールアイドル部には重苦しい空気が流れていた。
 気まずそうな立火の顔面に、晴が言葉のジャブを叩き込む。

「一体どうするんですか、この状況」
「ど、どうって……」

 花歩が逃げ帰った後も、見学者は三々五々と訪れてきた。
 しかし立火の態度は変わらない。

『毎日練習! 休んでたら他の学校に勝たれへん!』
『ついてこられない奴はついてくる必要ないで!』

 その度に新入生たちは顔を見合わせ、こそこそと退出していく。
 そんな光景が繰り返された結果……
 初日の入部者はゼロ、仮入部すら一人もいないという状況だった。

「ま、まあ初日やねんし!」
「明日また頑張りましょう!」

 引きつった笑顔でフォローしようとする桜夜と小都子だが、晴の目は厳しい。一切容赦する気のない視線を部長に向ける。

「それ以前の問題や。そもそも日曜も活動するなんて話、私たちすら聞いてませんけど」
「な、なんや、去年も大会前はそんな感じやったろ」
「大会直前は仕方ないですよ。でも本来は月から土が活動日やないですか。それを部員に相談もなしに……」
「わ、私が部長や! 部長が決めて何が悪いねん!」
「ち、ちょっと立火!」
「晴ちゃんも落ち着いて……」

 空気が一気に険悪になる。
 思わず顔を伏せる立火も、状況のまずさは感じていた。
 それでも、本気で全国へ行こうと思うなら他にどうしろというのだ。

 恐る恐る晴の顔を見ると、そこにあったのは冷えに冷え切った瞳だった。



「確かに部長の決めたことやったら、二年生の私が文句を言えることではないですね」

 その声もまた、つららの雨のように冷たく刺々しい。

「けど新人が一人も入らへんかったら、それこそ全国なんて夢のまた夢や。その時は部長として責任を取っていただけるんでしょうね!」


 *   *   *


 夕日の中、立火はとぼとぼと帰途についていた。
 結局晴とは決裂したまま、なし崩しにその日の活動は終わった。

「……立火の気持ちも分かるよ」

 隣からぽつりと声がする。
 一緒に歩いていた桜夜の目は、少し昔、あの大阪城ホールのことを思い出しているようだった。

「あんなすごい先輩たちが、あれだけ練習しても予選落ちやもんな。あれ以上に練習せな、全国には行かれへんのやろな」
「せ、せやろ!? 私間違うてへんやろ!?」
「あー、けどなー、去年めっちゃキツかったからなー。全然遊べへんかったし……」
「どっちやねん! 桜夜はいっつも優柔不断なんやから」
「んー。私あんま頭良くないし、立火に任せるわ」
「結局丸投げやんか!」
「そういう事やなくて」

 立ち止まった桜夜は、立火の目を真っ直ぐに見て。
 ふと右手を伸ばし、人差し指で親友の頬にちょんと触れる。

「立火が決めたことなら、信じてついてくってこと」

 立火が固まっている間に、自他共に認める美少女は急にニヤニヤ笑い出す。

「ね、今の結構可愛かったやろ?」

 言われた側も、気が抜けたように苦笑いした。

「せやなー、できた嫁さんを持って私は幸せ者やなー」
「いややなあ、嫁さんなんて照れてまうわあ」
「うんうん、ちょっと競艇行ってくるからお金貸して」
「ただのゴクツブシやないかい! もう離婚や!」

 ぺし、と突っ込みを入れ、互いに笑い合う。
 去年はよくこうやって、漫才を繰り返していた。
 一つ学年が上がっただけで、何だか遠くのことに思える。

「あんまり思い詰めるのは立火らしくないで」

 別れ際、歩道橋の上で桜夜はそう言ってくれた。
 少し心は軽くなったけれど……
 状況は特に変わりはなかった。



「ただいま」
「はい、お帰り」

 道路に面したカウンターの向こうで、祖母が新聞を読みながら返事をよこす。
『たこ焼き 焔』
 古ぼけた看板のかかったこの店が、学校から徒歩五分に位置する立火の家だ。
 もっともたこ焼き屋は祖母が趣味でやっているようなもので、父は普通に会社に勤めている。
 家の中に入ろうとしたところで、つい弱音が口から出てしまった。

「……婆ちゃん。私、部長向いてへんのかも」

 その言葉に祖母は顔を上げると、新聞を折り畳んで、深々とため息をつく。

「はぁ、うちの孫がこんな根性なしやったとはね」
「こ、根性なし!? 私が!?」
「せやないの。始めたばかりのくせに、少し上手くいかへんかったらそんなん言い出して、根性なしやなくて何やねん」
「そ、それはっ……」

 何も言い返すことができない。
 新入生たちにはあんな偉そうなことを言っておいて。
 実は一番の根性なしは自分でした、なんて。
 言葉に詰まっている間に、近所の主婦が子供を連れて買い物に来た。

「1パックお願いします」
「おばーちゃん、こんばんはー」
「はい、こんばんは。すぐ焼くから、そこのベンチ座って待っててな」
「いらっしゃいませ……」
「ほら立火。ぼーっとしとらんで、はよお茶出さんかいな」
「わ、分かっとるわ……」

 引きずるような足取りで店内に入る立火の背中に、心配そうな声が届いてくる。

「立火ちゃん、何や元気ないですね」
「何だかねぇ。部活が上手くいってへんのやって」
「おねーちゃん、元気だしてー!」

 小さな女の子にまで心配されて、落ちるところまで落ちたものだ。
 弱々しく笑いながら、麦茶を注いだ紙コップをふたつ、客に手渡した。

「だ、大丈夫や。お姉ちゃんはいつだって元気やで!」


 *   *   *


 机上にはスマホの画面。
 夕食も風呂も済ませてから、立火は難しい顔で腕を組んでいた。

『泉先輩』

 電話帳にはその文字が浮かんでいる。
 今は福岡の大学にいる、前部長の番号だ。
 新学期早々、卒業生に泣きつくというのはいかがなものかと立火も思う。
 しかし卒業式のときに言ってくれたのだ。困ったことがあれば何でも相談してくれと。
(ええい、聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥や!)

 そう思い切って、電話をかけてみたのだが――

『は? そんなん知らんわ。立火が決めることやろ』

 あっさり言われて、思わず椅子からずり落ちかける。

「何でも相談しろって言うたやないですか!」
『確かに言うたけど、答えるとは言うてへん』
「それって詐欺とちゃいます!?」
「立火ー、声でかいでー」

 階下から父の声がして、慌てて口をふさぐ。
 声量を落として会話を続けようとする前に、向こうからの声が届いた。

『去年はどんどん練習が厳しくなってったな』
「……そうですね」

 四月の時点ではまだ普通だった。
 しかし三年生が優秀だったのと、晴の広報戦略が当たり、初めて予備予選を突破したあたりから変わっていった。
<もしかしてアキバドームまで行けるのでは……?>
 そんな期待と熱に浮かされ、夜は遅くまで残るようになり、朝も自主練という名目で早くから集まって……

『そのせいで今の代は四人しか残らなくて、正直申し訳ないと思ってる』
「そ、それは……!」
(辞めてった奴らの根性が足らんかっただけや)

 そう言いかけて、その言葉を飲み込む。
 今の自分がそれを言っていいのか。
 当時の二年生は二人が、一年生は三人が辞めた。
 立火は見送ることしかできなかった。

『けど、そこまでしたからこそ、うちの部史上で最高の結果を残せた』
「そ、そうです! その通りや!」
『何事も良い面もあれば悪い面もある。全部が全部満足する道なんてない。何を優先するかは誰かが決めるしかないんや』

 思わず息を飲んでいる間に、重々しい声は再度響く。

『立火、お前が決めるしかないんやで』


 *   *   *


「みんなごめん!」

 一晩中悩みに悩んで、ようやく出た結論は、朝一番で部員に謝罪することだった。
 三人を呼び出した廊下で、立火は両手を合わせて頭を下げる。

「私ちょっと焦ってたわ。先輩たちとの約束ばかり考えて、他のこと何も考えてへんかった!」

 桜夜と小都子の口から、ほっとしたような息が漏れる。
 晴も無表情のままではあるものの、深々と頭を下げた。

「私も昨日は言い過ぎました。ほんますいません」
「ええねんで、晴が遠慮なく言うてくれるから私も助かるんや」
「では活動時間は通常通り、平日の四時から六時、土曜の十時から十五時ということで」
「せ、せやな」

 本当にこれっぽっちの練習で、ラブライブを勝ち抜けるのだろうか。
 不安がよぎるが、しかし仕方ない。そういうご時世なのだ。
 もうスポ根の時代ではないのだ。
 無理に笑って、自分を納得させるように言葉を吐く。

「これからはホワイト部活っちゅうことで!」
「ガイドラインに従うならこれでもブラックなんですけどね。週休二日、土曜は三時間が基準ですから」
「マジか……」
「まあ学校側から何か言われない限りはいいんじゃないですか。ほな昼休みにでも、昨日見学に来てくれた子に伝えてきます」

 事もなげに言う晴に、桜夜が驚いたように口を挟む。

「え、全員顔覚えてんの?」
「こうなる可能性もあったので、意識して覚えてました。小都子、一緒に来てくれる? 私やと怖がられそうやし」
「う、うん。ええよ」

 目つきの悪い晴に頼まれた小都子が快諾する。
 立火としても何かしたかったが、何もできないことも分かっていた。
 情けない気持ちを押し殺して、せめてギャグっぽくしわがれ声を作る。

「ごほごほ。ほんまに苦労をかけるねぇ」
「それは言わない約束ですよ。あ、ホームルーム始まります」

 始業のチャイムが鳴り、メンバーはそれぞれの教室に戻っていった。
 立火も自分の席に着くと、隣の景子がからかうように声をかけてくる。

「聞いたで立火、スクールアイドル部自滅したんやって?」
「何を聞いたんや……」
「とんでもないブラック部活やって、学校中の噂やで。おかげでうちの部にも人回ってきそうで助かるわー」
「……死にたい……」
「え、ちょっと、マジ凹み? ま、まだ二日目やし、これから誰か来るって!」

 机に突っ伏して頭を抱える立火に、景子の慰めの言葉も届かない。
 晴が訂正に回ってくれたとしても、一度ついた悪評は消えないだろう。
 こういうものは悪い情報ばかり広まって、それを打ち消す方は広まらないものだ。
 もしかして自分は、取り返しのつかないことをしてしまったのかもしれない。

(このまま誰も入ってくれへんかったら)
(私は先輩たちに、どう償ったらええんや……)



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