衣装は不本意ながら過去の使い回しとした。ランキング低下が著しく、これ以上時間はかけられない。
水曜日には、ほぼダンスの形はできあがった。
木曜日は花歩も含めて歌の特訓。つかさは休み。
金曜日に仮撮影して、スクリーンに映し出されるそれを見ながら、あれやこれやと修正。
土曜午前に最後の撮影を行い、晴は動画の編集作業に入る。他のメンバーは手が空いたので、住之江公園をランニング。
そして昼休みにそれぞれお腹を満たしてから、午後一で動画をチェックし、部長からゴーサインが出て――
「うう、いつも緊張するなあ」
晴が動画をアップロードする後ろで、桜夜が胃を押さえている。
「好評でありますように! 叩かれませんように!」
「今さら心配してもしゃあないやろ。どんと構えといたらええんや」
そして晴の指が最後のクリックを行う。
動画が公開されるや、熱心なファンが早くも反応してくれる。
『Westaの新作や!』
『楽しみにしてました!』
『この子たち新入部員!? 可愛い!』
増えていくコメントに、つかさが感心したように言った。
「うわ、ここってほんまに人気グループやったんですねえ」
「今まで何だと思ってたんや。まあ、去年の先輩たちの遺産ではあるけど」
立火の自己評価としては、今回のPVは80点。
満点には遠いが、夕理とつかさはいくら優秀とはいえまだ新人だ。デビュー作としては上々である。
立火が花歩に時間を費やさなければ、もっと良くなった可能性はある。そこは晴の言うとおりだ。
それでも朝早く起きて一人で練習したし、やれるだけのことはやった。
三年生の抜けた穴が埋まるまで、今は少しずつ進んでいくしかない。
「いつまでも画面見ててもしゃあないで。次に切り替えなあかん」
「えー。一仕事終わったんやから少し休も?」
「言うても、ダラダラするのも性に合わへんし……」
「それやったら、花歩ちゃんのPVをみんなで見ませんか?」
小都子の提案に、当の花歩がびくりと体を震わす。
「い、いえあの、みんなで見るほどのものでは……」
「ええやんええやん、花歩と私の自信作やで」
「うう、部長がそう言わはるんでしたら」
動画自体は午前中に晴から渡され、昼休み中に穴が開くほど見ている。
ちゃんと衣装も着て、場所を中庭に移して撮影し、晴が一切手を抜かずPVにしてくれた。
それで十分すぎるほど満足して、花歩にとってはもう終わったものと思っていたのに。
その晴が許さんとばかりに厳しく言う。
「うちは自己満足して済むほど甘い部とちゃうで。いずれ花歩も世間の評価に晒されるんやから、今のうちに部内で慣れとけ」
「あうう……分かりました」
「まーあたしは基本誉めるよ? 夕理は知らんけど」
「私はスクールアイドルに関して嘘はつけへんから」
「二人ともお手柔らかにね!」
先輩たちは優しくしてくれるだろうけど、同じ一年生からの評価が怖い。
晴が前方の操作卓へ行って、パソコンにケーブルを繋ぐ。
大スクリーンにパソコンの画面が投影され、さっそく動画が再生された。
といっても本当にサビのところだけだ。すぐ終わってしまう。
「ちゃんとできてるやないの。花歩ちゃんにとって最初の一歩やねぇ」
「可愛いから100点!」
甘やかしてくれる小都子と桜夜に比べ、一年生の二人は……
「え、もう終わり?」
「終わりやねん……」
「いやーあたし感動したなー。さすが花歩やなー」
「めっちゃ棒読みなんやけど!?」
「……でも、まあ」
リピート再生されるPVをじっと見ながら、夕理は真摯に口を開いた。
「一生懸命頑張ったのは伝わるし、少しとはいえちゃんと成長してる。これが本来の、純粋なスクールアイドルのあり方やと私は思う」
「夕理ちゃん……」
「それはともかく言いたいことは山ほどあるから、後でレポート送るね」
「ぎゃあ! そこまでしてくれなくても!」
「なら私からも、動画作ってる時に色々気付いたから」
「は、晴先輩まで……ありがとうございます……」
ありがたいやら重たいやら。宿題を山ほど出された気分の花歩に、立火が面白そうに言う。
「なんか夕理と晴で逆のこと言うてきそうやな」
「そういうの一番困るんですが!」
「まっ、この先も色々言われるんや。取捨選択も大事やで」
「うう……そういうものですか」
その部長はPVの中で、花歩と合わせて歌い踊っている。
二人の差は歴然で、比べるのもおこがましい。
それでもいつか、少しでも近づくために……
(楽しいだけじゃないことにも、しっかり立ち向かわないと!)
PVが流れ続ける部室で、花歩はそう決意した。
* * *
「お、ランキング跳ね上がってるやん」
土曜の部活は三時で終わり。帰りの電車で扉に寄りかかっているつかさが、スマホを触りながら笑顔で言う。
熱心でない彼女も、自分のやったことが数字に出ればやはり嬉しいのだろう。
それは分かっているが、スクールアイドルに関して嘘はつけないのが夕理だ。
「人気ランキングはあくまで目安や。ラブライブ本番の結果とは必ずしもイコールとちゃう」
「けどまあ目安ではあるんやろ。それより曲叩きもあるみたいやけど、大丈夫?」
「へ、平気……」
夕理の曲に対しては、予想以上に批判が多かった。
『平凡な曲ですね。熱さが足りない』
『なんか普通のスクールアイドル曲で残念』
『Westaにこういう曲は求めてません』
四曲中で一番元気な曲でこうなのだから、他の曲ならもっと不評だったろう。
(そんなにテンション上がる曲がええんか! 音楽的な質の高さはどうでもええんか!)
脳内に湧き上がる不満を必死で追い払う。
それは言ってはいけないことだ。
「まあ去年と違うってだけで文句言うてる人もいるし、別に気にしなくても」
「でも何かを公表するってことは批判も受けるってことや。私も花歩にそうするんやから、自分のもちゃんと受け止める」
「じゃあ曲の方向性変えるの?」
「そうは言うてへん。受け止めるだけや」
「あはは……夕理らしい」
そう言うつかさはどうなのだろう。
つかさへのコメントは、割と好意的なものが多くて安心する。明るく華やかな彼女は、やはりアイドル向きなのだ。少しでも気を良くしてくれるといいのだけれど。
フェリーの船体が眼下を流れていったところで、思い切って聞いてみた。
「その……やってみてどうやった? スクールアイドル」
「まあダイエットにもなるし、ええんやない」
「そ、そう」
「でもね夕理」
ガラスの向こうを眺めながら、つかさは表情を変えずに言った。
「あたしが突如としてスクールアイドルの楽しさに目覚め、真剣に打ち込み始める、なんてことは天地がひっくり返ってもあり得へんからね。それだけは覚えておいて」
大阪南港の海が、陽の光を反射する。
夕理もまた表情を変えず、静かに答えた。
「うん……分かってる。無理強いしたりは絶対せえへんから」
複雑に波打つ夕理の思考は、次の駅で中断された。
いきなり大量の客が車内に押し寄せてきたのだ。
「うわ、インテックスで何かやってたんかな」
近くの国際展示場の名を出したつかさが、夕理をかばうように乗客を背にして立つ。
それでも圧迫には抗しきれず、その体が夕理に押し付けられる形になった。
(うわ! うわわわわわわ)
「夕理、大丈夫?」
「ごっごめん! ごめんなさい!」
「いや何で謝るの」
だってつかさの胸が、夕理の体に当たっている。
動き出す電車が二人を揺らし、増幅する感触に、夕理の体温がみるみる上昇する。
キスできそうな距離の彼女の唇から、視線を外そうとしても外せない。
大事な友達相手に、何て不埒なことを考えているのか!
「わっ私次の駅に用事あるんやった! 降りるから!」
「え、ほんまに?」
『トレードセンター前、トレードセンター前』
「それじゃっ!」
必死で人をかき分け、混雑しているホームから階段を上って改札を抜ける。
ようやく一息ついたと同時に、深く深く反省する。
不潔! 最低! つかさと一緒にいる資格がない!
ぽかぽかと自分の頭を叩く夕理を、通行人が奇異の目で見ていった。
(アホ! 私のアホ!)
「何かいやらしいことでも考えてたのかな~?」
「ち、ちゃうの! 決してそんなつもりじゃ……ってつかさ!?」
「ちょっとお茶して帰りたい気分」
友達は軽やかに笑いながら、目の前の
「夕理、付き合うてくれへん?」
「う……うんっ!」
喜びを抑え切れず、踊るようにつかさの隣を歩く。
こんな土曜の午後を過ごせるなら、他に何を願う必要があるだろう。
スクールアイドルがつかさにとって、ダイエットの手段程度でしかなかったとしても。
それ以上を望むのは、罰が当たるというものだ。
* * *
勇魚も部活帰りというメッセージが来たので、花歩の家に寄ってもらってPVを見せた。
「うわー! 花ちゃん、ほんまもんのスクールアイドルやー!」
「あはは……まあ、少しだけやけどね」
花歩のスマホにある二十秒あまりの動画が、部室の時と同じく何度も再生される。
あまりに真剣に見続ける勇魚に、そろそろ恥ずかしくなって止めようとしたところで、芽生が紅茶を乗せたトレイを運んできた。
「お待たせ。砂糖はご自由に」
「めーちゃん、おおきにー!」
「そういや芽生の方はどうなの?」
「一年生は夏のラブライブが終わるまでは、ひたすら基礎練習」
「あー、そういう感じなんや」
考えてみれば四月の一年生なんて、他の部なら球拾いでもしている頃だ。
動画まで作ってもらえた厚遇に感謝しつつ、一時とはいえいじけた自分が恥ずかしくなる。
「代わりに冬は希望すれば誰でもメンバーになれるんやって。三年生はほとんど夏で引退やから」
「めーちゃんとこ、進学校やもんね」
「え、誰でもって、実力関係なしに?」
「そう。勝ち負けにこだわらないのが聖莉守のポリシーやねん」
それも少し極端のように花歩には思えるが、天王寺福音では当然のことなのだろうか。
数日前に芽生に見せてもらった、あちらの部長の写真を思い出す。
小白川和音。慈悲深い聖女のような人だった。
「勇魚ちゃんは今日の部活何やったん?」
紅茶に口をつけながら、芽生が話題を変える。
「老人ホームにお邪魔してきたで! お爺ちゃんもお婆ちゃんも喜んでくれはった!」
「そうなんや。勇魚ちゃんにぴったりやね」
「ちょっとボランティア部心配やったけど、ちゃんと活動してるんやな」
「でも外に出るのは月一回くらいやって。平日も週二日しかせえへんから、他のことでも人助けしないと!」
活動していないわけではないが、結構お手すきの部活のようだ。
博愛精神に燃える親友に、何とはなしに言ってみる。
「ねえ勇魚ちゃん。なら私を助けると思って、掛け持ちでうちに入部しない?」
「花ちゃんが助けを求めてる!? もちろんOKや! 何に困ってるの!?」
「いやあ、私以外の一年生が優秀すぎんねん。勇魚ちゃんなら私と同じくらいの下手さやろうから、いてくれたら安心かなって……」
「……さすがにうちも、そんな理由で入部したくはないで……」
「だ、だよねー! ごめん冗談!」
隣でくすくすと芽生が笑っている。恥ずかしい姉の姿を見せてしまった。
何にせよ、ここのところ激動の毎日だった。
明日の日曜日はのんびり遊びに行こう。
芽生がアイコンタクトしてきたので、了承して勇魚に伝える。
「私たち明日グランフロント行くんやけど、勇魚ちゃんも良かったらどう?」
「ごめん、明日は引っ越しの手伝いや!」
「誰か引っ越してくるの? 私たちも手伝おうか?」
「大丈夫! 二人家族やから、荷物も多くないって」
そう言ってから、勇魚の表情が不意に神妙になる。
「今まで口止めされてて心苦しかったけど……ようやく二人にも、あの子のこと紹介できるから」
「? あの子って?」
「月曜日のお楽しみ! ほなうち、そろそろ帰るね! PVめっちゃ素敵やった!」
紅茶を飲みほして、いつものように騒々しく勇魚は帰っていった。
残された芽生と顔を見合わせる。
月曜に何が起こるのだろう?
* * *
「今の双子ちゃんやない?」
「可愛いー」
駅へ向かう途中、すれ違った女子大生たちが小声でそんなことを言っている。
平凡な花歩の顔でも、ふたつ並んでいればこうして人目を引くのでお得な気分だ。
隣の芽生は相変わらず淡泊だけど、少しは喜んでいると思いたい。
「あれ、品川ナンバー」
その妹が、ふと前方を指さした。
このあたりでは珍しいナンバーの車が、長居公園通りを走り抜けていく。
花歩とすれ違う瞬間、助手席に座る人影が見えた。
顔までは分からなかったが、同い年くらいの、長い髪の女の子のようだ。
少し走ったところで、その車は右折して南下していく。
勇魚の家がある方角だ。
「ねえ花歩、もしかして」
「う……うん」
引っ越し。
転入生。
芸能人。
あの子を紹介できる。
さすがに鈍い花歩でも何となく感づいたが……
「まっ、明日勇魚ちゃんが話してくれるんや。それまで待とう」
「そうやね」
二人で合意して、長居公園を右に再び歩き出す。
「それにしても高校生にもなって姉妹でお出かけなんて、お互い寂しい青春やなー」
「そう? 私は花歩と一緒が一番楽しいんやけど」
「そ、そういうこと真顔で言わない!」
* * *
住宅地に入った車は、一軒の空き家の前で止まった。
その家の前で、勇魚が嬉しそうにぶんぶんと両手を振っている。
運転していた女性はなぜか気まずそうに目を逸らし、そこから動こうとしない。
代わりに助手席の扉が開き、一人の少女が車から降りる。
流れるようなロングヘアに、サイドから後ろへの編み込みが揺れる。
勇魚の姿を前に、胸が詰まったように声が出ずにいたが、ようやく絞り出された言葉は半ば泣き出しそうだった。
「……ただいま、勇魚ちゃん」
同じように胸いっぱいの勇魚が、弾かれたように走り出す。
身長差が10cmはある相手の体に、もう躊躇なく、満面の笑顔で抱きついた。
「お帰りなさい! 姫ちゃん!!」
<第7話・終>