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第8話 藤上姫水争奪戦

(さて、誰を紹介してもらえるんやろ)

 勇魚に頼まれて、今朝は早目にバス停に来ている。
 いつもは花歩より遅く出る芽生も、今は一緒のベンチで友を待つ。
 程なくして、朝の長居に勇魚の声が響いた。

「二人とも、おはよー!」
「おはよ、勇魚ちゃ……ん……」



 振り返った花歩の語尾が消えた。
 今日も元気な勇魚の右に、同じ制服を着た一人の女の子がいる。
 思わず息をのむほど、綺麗な子だった。

 背は部長と同じくらいに高い。
 さらさらのロングヘアが、朝日の中で輝いて見える。
 少女は双子の前に立つと、優雅という言葉そのままにお辞儀をした。

「初めまして。昨日東京から引っ越してきました、藤上姫水ふじかみ ひすいといいます」
「は、初めまして」
「ど、どどどうも。お、お江戸の方ですか……」
「もー花ちゃん、何を緊張してんねん」

 だっていかにも東京という感じの、洗練された雰囲気を漂わせている。
 かといってお高く止まっているわけでもなく、優しく微笑む姿は親しみやすさを感じさせた。

「元々生まれは大阪だから、そんなに構えないで。小学二年生まで勇魚ちゃんの近所だったの」
「三軒隣やってん! 物心ついたときから仲良しやで!」
「あ、そ、そうなんや。ならちょっと安心かも……」
「つまり二人は幼なじみってこと?」

 芽生の問いに、身長差のある二人は笑い合って同時に答える。

『そういうこと!』

 勇魚にそんな子がいたなんて知らなかった。
 花歩と勇魚の家は、小学校は別だが中学校は同じになる程度の距離だ。
 もしかしたら小さい頃、どこかですれ違ったことがあったのだろうか。

「というわけで、これから姫ちゃんとも仲良くしたってな!」
「ひめちゃん?」
「ああ。私、姫に水って書いて”ひすい”って読むの」
「なるほど。勇魚ちゃんてそういうあだ名つけるよね」
「なんか芸能人みたいな名前やな……って芸能人!」

 ずっと校内に流れていた噂を思い出し、花歩は恐る恐る姫水に尋ねる。

「そ、その、藤上さんは……」
「もーなんやねん水くさい! 姫水でええで!」
「いや何で勇魚ちゃんが言うの……コホン、姫水ちゃんが芸能人って噂があるんやけど」
「……ええ、一応女優って言っていいのかな」
「女優ぅぅぅぅぅ!!?」

 つい素っ頓狂な声を上げてしまう。そんなのは花歩にとって、まさに別世界の存在だ。
 それが今、本当に目の前にいるというのか。

「といっても、そんなに知名度はないけどね。二人とも藤上姫水なんて名前、初めて聞いたでしょう?」
「え、いやその……ちょっと芽生、物知りなんやから何か知らへん?」
「わ、私ドラマとかあんまり見いひんから……」
「気にしないで。同年代の中では中堅ってところかな」
「あ、そうなんやー」

 大人気女優では気が引けるし、あまりに売れてないのでは気を使う。中堅というのはありがたかった。
 そうこうしているうちに、住之江公園行きのバスが来てしまう。

「あー! めーちゃんとはここまでや!」
「またね姫水さん。家は近いから、そのうち遊びに来てね」
「ええ、是非」

 手を振る芽生を残し、三人はバスに乗り込んだ。


 *   *   *


「やった、一番後ろ空いてるで!」

 最後部の座席に、窓側から勇魚、姫水、花歩の順に座る。
 花歩の視線が、改めて隣に座る転入生へと向く。
 一瞬だけ、彼女が浮世離れしたような、現実から切り離されているような感覚を抱いた。
 きっとあまりに綺麗だからだろう。
 バスが動き出し、姫水が嬉しそうに花歩に笑いかける。

「花歩ちゃんのことは、ずっと勇魚ちゃんから聞いてたよ」
「そうなの? 何や恥ずかしいなー。変なこと言われてへんかった?」
「とっても一生懸命で優しいとか、人の痛みが分かるとか、やる時はやる子だとか」
「勇魚ちゃぁぁぁん! それ誉め殺しって言うんやで!」
「え、何言うてんの? 全部ホントのことやん!」

 勇魚は本気でそう思い込んでるから始末が悪い。
 期待を裏切りそうで不安な花歩を、姫水は心から信頼した目で見ている。

「だからこうして一緒に通学できて嬉しい。これからよろしくね」
「こ、こちらこそっ!」

 走っていくバスの中で、三人の和やかな会話が繰り広げられる。
 東京のどのへんに住んでたの? 好きな食べ物は? LINE交換しよ。
 久しぶりの大阪はどう? という問いに、姫水は懐かしそうに目を細めた。

「まだ八歳だったから、近所の狭い範囲以外はそんなに記憶にないんだけどね」

 そうなると住吉区、東住吉区くらいだろうか。
 花歩も小二の頃の行動範囲はその程度だった。

「それ以外だと、天王寺の動物園が好きだったのは覚えてる。あそこは変わっちゃった?」
「七年前だよね。公園は最近綺麗になったけど、動物園は変わってないんとちゃうかな」
「今度みんなで行こ! 絶対やで!」

 勇魚の言葉に二人で頷く。初めて話す相手なのに、不思議と初対面の気がせず話しやすい。
 なので花歩はつい、余計な舌を動かしてしまった。

「でも女優さんが大阪に来ていいの? 仕事やり辛ない?」
「……お仕事は、今は休んでるの」
「え、そやったん? 何かあったの?」
「………」
(あ、ヤバい)

 花歩の顔から血の気が引いた。
 地雷を踏み抜いた実感がある。
 どうしてこう、すぐ調子に乗ってしまうのか。

「ご、ごごごめん! 言い辛いこともあるよね!」
「花歩ちゃんは、聞きたい?」
「え……い、いや、無理にとは」
「勇魚ちゃんがそうであるように、私も友達に隠し事はしたくない。聞かれたら正直に答える、けど」

 姫水の両手が、膝の上できゅっと握られている。

「できれば貴方には、貴方にだけは聞いてほしくない」
(え――)

 花歩にだけ、とはどういう意味だろう。
 何か嫌われることでもしてしまっただろうか。
 いや、先ほどまでの楽しく話す姿が嘘とは思えない。

 姫水が少し身を乗り出しているせいで、小柄な勇魚は隠れてしまっている。
 今、彼女はどんな顔をしているのだろう。

「や、やだなー、そう言われて聞くわけないやん。ごめんね、無神経なこと言うて」
「……ごめんなさい」
「そのうち全部話せるから!」

 耐え切れなくなったように、勇魚が姫水の陰から現れて叫んだ。

「たぶん一年後にはきっと!」
「私、一年で東京に戻るつもりなの」
「え……」
「芸能界に復帰できればの話だけどね。でも今までレッスンと仕事ばかりの日々だったから……できればこの一年だけは、普通の日常を過ごしてみたい」

 普通の、日常。
 花歩ができれば避けたかったそれを、切望する子がいるなんて思わなかった。
 この子は、特別な人なんだ。
 複雑な思いが胸に浮かびつつも、それを振り払って、花歩は新しい友人に断言する。

「それやったら私が適任やで! 何たって平凡さでは誰にも引けを取らへんからね」

 えっへん、と胸を張る花歩に、姫水と勇魚が同時に吹き出した。
 こうやって道化をこなせた時は、自分が大阪人で良かったと思う。

「……ありがとう、花歩ちゃん」

 嬉しそうな姫水に、先ほどの失敗を打ち消せたことを知った。
 興味がないと言えば嘘になるけど、休業の理由については以後考えないことにする。

(でも、一年で帰っちゃうのかぁ……)

 残念だけど、なおさらこの時間を大事にしないと。
 スクールアイドルとして、特別になることを諦めたわけではないけど……
 この通学バスの中くらいは、普通の高校生のままでいてみよう。


 *   *   *


「立火先輩! ファンです!」
「こ、これ調理実習で作ったんです! 良かったら!」

 八時を過ぎて立火が登校すると、校門の前に出待ちがいた。
 制服からして、近くの中学生のようだ。

「おっ、私にくれるの? おおきに!」
「はははいっ! 新作のPV、とっても素敵でした!」
「めっちゃ嬉しいなぁ。次は来月にライブやるから、よかったら見に来たってな」
「絶対行きます! そ、それではっ!」
「車に気ぃつけるんやでー」

 近くに止めてあった自転車にまたがり、中学生たちはきゃあきゃあ言いながら自分の学校へ登校していった。
 もらった包みの中はクッキーのようだ。
 鞄にしまっていると、ジト目の桜夜が歩いてくる。

「相変わらずおモテになりますなぁ」
「おはようさん。妬かない妬かない」
「ふーんだ。私だってたまには貰ってんねんで」

 並んで歩きながら、徐々に立火の顔から笑みが消える。

「……でもな」
「ん?」
「去年はPV公開直後なら、もっと出待ちあったやろ。やっぱり人気落ちてるんとちゃうか……」
「こらっ!」
「うわっ」

 いきなり側頭部に、桜夜の軽いチョップが飛んだ。
 抗議しようとする立火の目に、真剣に怒っている相方の顔が映る。

「あの子たちがどんな気持ちでそれ渡したと思うの!? きっと何日もドキドキして、勇気を振り絞って来てくれたんやで!」
「………」
「それを去年と比べて人数がどうだの、ほんっっまに乙女心が分かってへん!」
「……せやな」

 鞄の中のクッキーが、急に重さを持った気がする。
 また入学式の日のように、焦って失敗を繰り返すところだった。

「ありがと、桜夜」
「分かればええねん」

 そんな真面目な話をしたのも束の間、結局はコントを始めながら昇降口まで歩く。
 上履きに履き替えたところで、妙な空気に気付いた。
 学校内がやけに騒々しい。

『転入生が来たでぇぇぇぇぇぇ!!』

 一年生の教室から、誰かの大きな声が響いた。


 *   *   *


「この子や! 藤上姫水ちゃん!」

 隣の席の景子が、美少女の映ったスマホの画面を押し付けてくる。
 立火の目から見ても、確かに一般人とは違うオーラを纏っていた。

「はー、別嬪さんやな」
「去年の『Rな女』ってドラマに出てて、むっちゃ可愛くてさ~。まあ脚本はクソやってんけど、この子のために頑張って最後まで見たで」
「その努力を別のことに使つこたら?」
「やかましいわ。とにかくその本人が転入してくるなんて! もう運命や!」

 うっとりとスマホを抱きしめていた新体操部部長・福家ふくいえ景子は、不意に真剣な目になり立火に宣告する。

「というわけで、姫水ちゃんは何としても新体操部がいただくから」
「おいおい、役者に新体操やらせてどないすんねん。どう考えてもスクールアイドルの方が向いてるやろ」
「女優とアイドルは別物やろ!」
「大して違わへんわ!」
「にしても、一時休業中って何があったんやろね」

 後ろの席の未波みなみが、『藤上姫水』をスマホで調べながらひとりごちる。
 その眼鏡に反射する多数の文字に、景子の表情が暗くなった。

「ほんまになあ。ネットではあることないこと書かれてるし……」
「芸能人さんは大変やな。未波は勧誘せえへんの?」
「漫研に? ないない。こんな光属性キャラ、うちに来られても困るわ~」
「よし、ライバルひとつ減った」
「まあ一番熱心なのは演劇部ちゃうの」
「それはそやろな」

 スクールアイドル部ほどではないにせよ、演劇部もなかなかの成績を残している。
 ましてや転入生はプロ女優。全力で勧誘しに来るだろう。
 立火が心の中で気合を入れ直しているところで、担任が来たので居ずまいを正した。

「あー、知っての通り一年に転入生が来たが」

 担任は開口一番、立火と景子の方を指して注意する。

「部活への勧誘は放課後まで自重するように。特にそのへん」
(うぐぐ)

 行動が読まれている。
 隣で景子がそろそろと手を挙げた。

「あの、昼休みでもあかんでしょうか……」
「福家。お前は転入したての一年生に、ゆっくり昼飯を食う時間もやれへんのか? あん?」
「ごもっともで……」

 おそらく他のクラスでも、部長たちがこうして釘を刺されているのだろう。
 勝負は放課後まで待つしかなくなった。


 *   *   *


 姫水が転入した一年六組は、朝から蜂の巣をつついたような騒ぎだった。
 その音は隣の五組にも伝わってきて、つかさとしては非常に面白くない。

(PVの話題、すっかり消されてるやん! なんてタイミングの悪い……)

 近しい友達からは昨日遊んだ際に称賛されたが、それ以外のクラスメイトからも何か言われると思っていた。
 それが朝から転入生の話しかしていなくて、すっかり当てが外れた。

(いや、あたしはええねんけどな? 別に部活なんか本気とちゃうし。ただ夕理がガッカリするかなって)

 内心でブツブツ言い訳をしていると、隣に行っていた友人たちが戻ってくる。

「つかさは見に行かへんのー?」
「まだ混んでるやろ。空いたらね」

 そして二時間目の授業が終わり、三時間目の授業が終わる。
 短い休み時間に、そろそろいいかと席を立った。
 廊下に出ると、六組の教室内はまだ騒がしいものの、外はさすがに落ち着いていた。

(要は都落ちしてきたんやろ? どうせ大したことあるわけ……)

 すぐ隣の教室の入口から、ひょいと中を覗き込む。


 その瞬間。
 全てを奪われたように、つかさはその場で彫像と化した。



(えっ――)


 綺麗な子だった。
 周りの級友たちと談笑しているのに、一人だけ別世界の存在に見えた。

 流麗に微笑むその瞳に、吸い込まれてしまいそうになる。
 息ができないまま、少しも目を離せない。

 自分でも何が起きているのか分からないうちに――
 不意にその女の子が顔を上げたと思うと。
 こちらに向けて、嬉しそうに手を振ってきた。

(え、え? あたしに、笑いかけて――る?)


「ちょっとごめんなー、通してくれる?」

 突如として下から響いた声に、心臓が跳ね上がる。
 図らずも入口を塞いでいた自分の体を、慌てて脇に追いやった。

「こ、こっちこそごめん」
「おおきに!」

 髪を左右でお下げにした、背の小さな子だった。
 つかさの前をすり抜け、真っ直ぐ転入生のところへ行く。

「姫ちゃん、遊びにきたで!」
「勇魚ちゃん。休み時間のたびに来るの大変じゃない?」
「平気平気。東京と大阪の距離に比べたら、クラス三つ分なんて無いようなもんや!」

(ああ……何や、あの子に向けてたんか)

 まだ少し呆然としたまま、賑やかな六組を後にする。
 自分の教室に戻り、何歩か歩いたところで、急に現実が戻ってきた。

(美少女が自分に笑いかけてるって勘違いするとか! どこの男子高校生やねん!)

 恥ずかしさに赤くなる顔を押さえて、早足で自分の席につく。
 なんとか平静を取り戻そうとしているところで、周りの友達が話しかけてきた。

「どやったー?」
「ああ、うん……」
「言うほど大したことはなかったよね」
「え!? あたし思わず見とれたんやけど!」

 しまったと思ってももう遅かった。
 一瞬きょとんとした友人たちが、すぐニヤニヤ笑って問い詰めてくる。

「え~? 何々、つかさってああいうタイプが好みなん?」
「ち、ちゃうっ……あ、ほら、ドラマで見た顔やなーって」
「ほー、何てドラマ?」
「さ、さあ何やったかなー。帰ったら調べてみるわー」

 そのタイミングで教師が来たので、何とか追及を免れることができた。
 教科書を広げながら、声をひそめて隣の子に尋ねる。

「ねえ。結局あの転入生、何て名前やったっけ」
「ん? 藤上姫水さんやろ」
「そ、そっか」

(藤上――さん)

 ざわ、と全身が総毛立つ。
 嫌な予感がした。
 つかさの拠り所が、全て崩れ去りそうな予感が。

(同じ部は……ちょっと勘弁して欲しい)

 自身でも理由がよく分からないまま、つかさはそんなことを思った。



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