翌朝の三年五組。
教室の一角で、朝から険悪な雰囲気が漂っている。
「もう一回言うてみ！」
「おー、何度でも言うたるわ！」
立火と景子の大声に、クラスメイトが何だ何だと振り返る。
視線が集まる中、二人の部長の言い合いが教室に反響した。
「結局立火は、ラブライブを勝ち抜くための駒が欲しいだけやろ！？ 姫水ちゃん個人のことはどうでもええんや！」
「い、言いがかりや！ 私はあの子にもスクールアイドルを楽しんでもらおうと……」
「でもラブライブは勝ちたいんやな！？ 戦力欲しいんやな！？」
「そ、それは……いやでも、そこは大会出るならしゃあないやん！？」
「姫水ちゃんのこと何も知らんくせに！ ドラマも見てへんのやろ！」
「うぐぐ……」
（くっくっくっ、立火とは三年間同じクラスなんや。弱点も熟知してるでぇ）
押され気味の立火に、景子は内心でほくそ笑む。
（それはズバリ『人情』！ コイツ情に脆いからなー。情に訴えれば私の勝ちや！）
黒い笑みは表に出さず、悲しそうに切々と訴える言葉が続く。
「なあ、立火も分かってるんやろ？ あの子が何か深い傷を抱えて大阪に来たってことを……」
「せ、せやから、楽しくアイドルやって癒されてもらおうって」
「激戦区の関西地区予選のどこに癒しがあんねん！ 生き馬の目を抜くプロの世界から避難してきた子に、また競争と格差だらけの大会を味わわせるんか！？」
「それはっ……」
「盛り上がってるとこ悪いけど、ホームルーム始めんでー」
担任が来て中断されたが、隣の席で立火は苦しそうに俯いている。
十分なダメージを与えた結果に、景子は勝利を確信した。
＊ ＊ ＊
『なんて言われたんやけど、どないしょ……』
昼休みに右手で弁当をつまみながら、左手のスマホでメッセージを送る。
相手は情のカケラもないが、常に正しいマネージャーだ。
『何をその程度で動揺してるんですか。私の期待を裏切らないでくださいよ』
『でも景子の言うことも一理あるかなって……』
ラブライブを勝ち抜くための駒が欲しいだけ。
入学式から今までの行動を振り返って、それを否定し切ることができるだろうか。
『夕理もつかさも、結局私は駒が欲しくて勧誘しただけやったんかなあ』
『花歩は除外するんですね。まあ駒にもなりませんしね』
『そーゆー意味やなくて！ 花歩はほんまに、やりたくてやってくれてるって思てるから』
また花歩だけ特別扱いしていると思われてそうだ。
しかし晴は脱線に付き合う気はないのか、本題を送ってきた。
『確実ではないことなので、あまり言いたくなかったんですが』
お、と期待する立火を裏切らず、晴は解決案を提示する。
『私はおそらく、藤上が休業した理由を分かっています』
『ほんまに！？ 何なん！？』
『それは勧誘に成功してから話しましょう。外れていたら大恥なので』
そういえば昨日、姫水の耳元で囁くように話す姿は、いつもの晴らしくなかった。
あれはカマをかけていたのだろうか。
『ですが当たっていたなら、その解決のために私たちが動くことができます』
『おお』
『本人は周りに言わないつもりのようなので、あの子を助けられるのは、うちの部に入った時だけです』
『つまり入ってくれれば、WinWinってことやな！』
『WinWinです』
ウィンウィン！
立火の視界がぱっと開けた気がする。
夕理とつかさだって、きっとそういう関係になれるはずだ。
部長は箸を置くと、感謝の意を込めて両手でメッセージを送った。
『晴、いつもほんまにありがとな』
『全く世話のかかる部長ですよ』
晴らしい言葉で会話は終わり、立火は隣へ目を向ける。
いつもは一緒に食べている景子が、今日は冷戦中なので一人で食べている。
食事中だろうがお構いなく、立火は立ち上がると言葉で横殴りした。
「残念やったな景子！ もはや私の迷いは消えたで！」
「はあ！？ 何や突然！」
景子の箸から玉子焼きが弁当箱に滑り落ちる。
相手も立ち上がったところへ、立火は腰に手を当て堂々と宣言した。
「詳しくは言えへんけど、うちの優秀なマネージャーが全部解決してくれんねん！」
「まーたアイツか……」
景子には理解できない。あの無愛想で冷血そうな後輩を、なぜ立火がこうも全面的に信頼するのか。
何でもかんでもあの子に相談する友人の姿が、景子としては正直歯がゆくもある。
「部長として恥ずかしくないんか？ あんた二年生にいいように操られてるやん」
「操られてるつもりはない！ 私と晴は一心同体少女隊や！」
「ふっる！ 向こうはそう思ってないかもよ！ 舐められてるんちゃうの！」
「ああ！？ うちの部員を侮辱する気か！」
朝に輪をかけて殺気立った雰囲気に、何人かの生徒が煽るような声を送る。
その期待に応えるように、二人の口論もヒートアップしていく。
「だいたい景子はいっつも口が悪いんや！」
「ほー、やんのかコラ？ 前から立火のこと気に食わんかったんや！」
「そういうこと言う！？ ええで、ここらで決着つけよやないか！」
「望むところや！」
熱気が頂点まで到達し……
とうとう二人は、周囲の願望通りの言葉を発した。
『表へ出ろ！！』
＊ ＊ ＊
「
「んー、じゃんけんでええかなって……」
美術部部長の晴奈と、吹奏楽部部長の鈴が、並んで廊下を歩いている。
この二人も友人同士だ。
放っておくと立火と景子に都合のいい勝負方法を決められそうなので、今から五組へ行って交渉しようというところだった。
「それはないやろ。やっぱり藤上さんに作品を見せて、どの芸術が一番か決めてもろたら？」
「それやと結局一年生に精神的な負担かけるやん」
「あかんか……うーん、とにかくあの子をモデルに絵を描きたい！」
「そんなん個人的にモデル頼めばええやろ！ こっちは人数マジでヤバいんやから、譲ってくれても良くない！？」
「でも別に譲る理由ないし……」
「この前わたしのプリン勝手に食べたよね？」
「せやったっけ？」
そんな会話をしていると、前方が騒がしいことに気付く。
目的地の三年五組から、二名の人影が肩をいからせ出てきたと思うと、階段を下りていった。
隣の六組から飛び出したツインテール少女が、慌てたように追いかける。
「ちょっと立火！ 何事やねん！」
「止めるな桜夜！ 女にはやらなあかん時があるんや！」
ぽかんと見送る晴奈と鈴の前で、五組の生徒の何やら嬉しそうな声が響いた。
「ケンカや！ ケンカやぁぁぁぁぁ！！」
＊ ＊ ＊
（昨日の私は何も見なかった！）
お昼を食べながら、花歩は今日何度目かの自己暗示をかける。
朝に勇魚からスマホを受け取ったときも、何とか自然に振る舞えたと思う。
あの光景が、姫水の休業理由に関係しているのは何となく分かる。
でも花歩にだけは知ってほしくないと、姫水にそう言われた以上は、一歩たりとも立ち入れない。
その勇魚は昨日も今日も六組に行っていて、隣の夕理は平穏な顔でお弁当をつまんでいる。
花歩もまた、勇魚に悪いと思いつつ、今日だけは親友の不在に感謝した。
と、窓際の生徒が花歩に声をかけてきた。
「ねー！ あれ、丘本さんとこの部長やんな？」
「ん？」
言われて近づき、窓の向こうの中庭を見てみると……
シュッ！ シュッ！
部長ともう一人が、背中合わせでシャドーボクシングを繰り広げている。
昨日に続けて驚愕の光景に、花歩の胃もそろそろ穴が開きそうだ。
「なんか殴り合い始めそうやけど……」
「どどどーいうこと！？ 夕理ちゃん、私たちも行こう！」
「アホらしい、私は無関係や」
「で、でもたぶん姫水ちゃんの取り合いやで！？」
「後で結果だけ教えて」
一見冷淡なようで、内心で怒りをため込んでいたのか、夕理はいきなり机に拳を打ち付けた。
「ああいう人たちがいるから大阪は柄が悪いって思われるんや……！」
「あ、あはは、ほな私だけ行ってきまーす」
夕理のことは諦めて、花歩一人で廊下に出る。
左手の階段から、晴と小都子が駆け下りてきた。
「先輩！ 何がどうなってるんですか！？」
「こっちにも分からん」
「と、とにかく靴取ってこよ？」
「私はこのまま行く」
行儀のよい二人と別れ、晴は上履きのまま外に出る。後で拭けば十分だ。
景子と暴力沙汰を始めようとしている立火の背に、怒りを含んだ声を投げる。
「部長～！」
「あ、晴……」
「何を勝手におっ始めてるんですか！ 作戦とちゃいますよ！」
「こ、これは藤上争奪とは関係ないねん。ただの個人的なケンカで……」
「周りはそう思ってませんが！」
立火がふと気づくと、周囲はもちろん、校舎の窓にもすっかり観客の壁ができあがっている。
面白いものが見られると胸躍らせるその期待は、個人の争いで済ませてくれそうにはない。
焦る立火に対し、景子は余裕の表情だ。
このまま立火を倒して、争奪戦から蹴落とせばよいのだから。
「岸部ちゃんやったっけ？ 年下はすっこんどいて。アンタみたいな頭でっかちに私らのハートは分からへんねん」
「景子、ええ加減に……！」
「へえ、あれを見てもそう言えますかね」
「コラー！ お前ら何をやっとんねん！」
「あ、ヤバ」
騒ぎを聞きつけた教師が大股で近づいてきた。
遅れてきた花歩も後を追いながら安堵する。
ギャラリーはがっかりしているが、これで騒動は収まるはずだと……
「あからさまにケンカする奴があるか！ そこは後で言い訳が立つよう、形だけでもスポーツとかにするとこやろ！」
「ええー！？」
「ごめん花歩ちゃん、うちの学校は先生もこんなやねん……」
一緒にいた小都子が申し訳なさそうにしている中、祭りの続行を認められた生徒たちはより一層盛り上がる。
「さっすが先生、話が分かるで！」
「誰かボクシングのグローブとか持ってへーん！？」
立火が周囲に呼びかけるが、そんなものが女子高から出てくるわけがない。
代わりに手を挙げたのは、ボブカットの三年生だった。
「藤上さんのことは残念やったけど、せめて勝負には一枚噛ませてもらうで」
「演劇部の柳瀬！」
「小道具、カモン！」
演劇部長が指をパチンと鳴らすと、部員たちがうやうやしく得物を運んでくる。
紙風船！
運動会用の帽子！
そして大阪名物ハリセン！
「こ、これは……確かに浪花の伝統スポーツや！」
（そうやったっけ！？）
花歩のツッコミは心の中に留まり、立火たちは風船を膨らませ始める。
もはや果し合いは避けて通れぬ状態だった。
止めることは諦めた小都子が、きょろきょろと周囲を見渡す。
「花歩ちゃん、そういえば夕理ちゃんは？」
「たぶん一人で食事続けてます……」
「そ、そう、夕理ちゃんらしいね」
「みんな～、こっちこっち」
ギャラリーの反対側で桜夜が手を振っていた。
そばにはいつの間にかつかさも来ている。
そちらへ駆けよる小都子たちに、桜夜は拳を握って熱弁する。
「こうなったらもうしゃあない。スクールアイドル部全員で立火を応援するで！」
「ハリセン勝負って何のバラエティっすか……まあアイドルっぽくはあるけど……」
つかさが呆れている一方で、晴はまだ少しむすっとしている。
ＰＶの時と違って、今日は完全に立火が悪い。
桜夜が手を合わせて相方を弁護する。
「晴～、立火のことそんなに怒らんといて」
「別に怒ってません」
「うちのクラスにまで聞こえててんけどな。立火のやつ、あの子に晴のこと悪く言われて切れちゃったんや」
「………」
「そ、そやったんですね。晴ちゃん、良かったね！」
「いや良くはないやろ」
小都子の仲裁は効かなかったが、晴の雰囲気からは少し険しさがなくなった。
そうこうしているうちに決闘者二人の頭に風船が装着され、ハリセンが構えられる。
騒々しかった中庭に、瞬時に静寂が訪れた。
柳瀬の手が高く上げられ――
「ファイッ！」