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「うおらああああ死ねええぇぇぇぇ!!」
「ちょっ!」

 唸りを上げて飛んでくるハリセンを、立火はすんでのところで回避する。

「ホンマに口悪いな! 死ねはないやろ!」
「はん、私流の気合の入れ方や! 立火こそアイドルなんてやってたせいで、刀が錆びてるんちゃうの!」
「ぬかせ!」
「おおっとおー!」

 立火渾身の一撃は、軽く景子にかわされる。
 勝負は早くも立火が劣勢だった。
 次々と打ち下ろされるハリセンの嵐に、防ぐのが精一杯だ。

「立火がお歌の練習やら衣装作りやらやってる間も、こっちは体動かしてたんや!」
「ぐっ……!」
「しょせんスクールアイドルなんて、運動部にも文化部にもなれないどっちつかずの半端者! 純粋な運動部員に勝てるわけがない!」
「や……やかましいわ! 黙って戦え!」

 高一の頃、二人の運動神経は互角だった。
 その後の二年間、景子から見れば、チャラチャラしたアイドルなんかにうつつを抜かしていたから、立火は相対的に劣化したのだ。
 その憤りを込めて、景子の攻撃はどんどん激しくなる。



「景子せんぱーい! さっすがー!」

 ギャラリーの一隅から上がる声に、ハラハラしながら見ていた桜夜の視線が向く。

「あいつら新体操部員やな。みんな、私らも声出そ!」
「ぶ、部長、ファイトですー!」
「が、頑張ってくださーい!」
「何とかしてください」
「え、マジでやるんすか……」
「R・I・K・K・A・A・りっかあ!」

 その声が届いたのかどうか、立火の眼の光が増した。
 不利な状況は変わらないながら、懸命に攻撃をさばき、虎視眈々とチャンスを狙っている。

(くそっ、相変わらず根性だけはあんねんな……)

 押しているのに勝負を決めきれず、景子が歯噛みしたその時。

「お姫様の登場や!」

 校舎の方から歓声が飛ぶ。
 出てきづらかったのか、情報伝達が遅かったのか、このタイミングで姫水が出てきた。
 傍らにはぴたりと勇魚が寄り添っている。
 立火から距離を取った景子が、笑顔で手を振った。

「姫水ちゃーん! すぐにコイツのしたるから、少し待っててなー」
「よそ見すんな!」
「――と思うのが命取り!」

 それは景子の罠だった。
 立火の武器は空を切り、カウンターで飛んできた相手の武器が、正確に風船を狙っている。

 バチーン!

 痛そうな音に、桜夜は思わず顔を背ける。
 辛うじて風船は外したものの、ハリセンはしたたかに立火の左肩を打った。
 材質は紙とはいえ、思い切り叩かれた時の痛さは桜夜も知っている。
 苦痛に歪む相方の表情を、自分も身が切られる思いで見ているしかなかった。

「立火……」
「負けた場合は、あくまで個人的な勝負として処理するしかないですね」
「ちょっと晴、最後まで信じてあげて!」
「そういうのは桜夜先輩にお任せします」
「もー!」

 だが確かに、それが自分の役目ではある。
 この場で唯一の三年生は、気を取り直して後輩たちに指示する。

「よし、スクールアイドルらしく応援するで!」
「というと?」
「歌って踊る」
「ええ……」
「何やねん! 一年生はともかく、小都子はできるやろ!」
「ス、ステージの上ならできますけど……ここでやるのは私の良識が邪魔を……」
「あーもういい! 私が手本見せたるから、手拍子お願い!」

 衣装は制服、目の前は死闘中という状況ながら、桜夜の意識は今まで六回経験したラブライブのステージに切り替わる。
 この場に来もしない夕理の曲は歌いたくない。
 自然と口をついて出たのは、入学式で歌った『Western Westa』だった。

「チャッチャッチャララ チャッチャ!」
「口で演奏!?」
「Welcome to Western Westa!」

 声を張り上げ歌う桜夜に、部員たちも慌てて手拍子を始めた。
 一人その場でダンスを繰り広げる姿に、観客たちもぎょっとして目が釘付けになる。

「ようこそ花咲く新天地へ! 
 ここは住之江 西のパラダイス
 愉快な出会いがきっとある!」
(アホのメンタルって凄い……)

 共感性羞恥に耐えつつ、つかさは心の中で戦慄している。
 景子も戦闘態勢は維持しながら、そちらへ意識が向かざるを得なかった。

「え、何なのコレ?」
(何しとんねん、あのアホは……)

 せっかくの桜夜の行動も、相方からはそんな感想だった、が――

(まあ――私もアホになるか!)

 立火はハリセンをくるりと回すと、マイク代わりにして大声で歌い出す。

「共に楽しもう 気苦労は投げ捨てて
 娯楽の殿堂 住之江女子高校!」
「え、え、えええええ!?」

 景子は混乱している!
 手拍子が小都子たちの周りに広がり、観客全体に伝わっていく。
 その光景を、姫水は微笑みを絶やさぬままじっと見ていた。

「ちょっ、何なん、何なん!?」
(今や!)

 慌てている景子に向けて、くるくると踊りながら攻撃範囲まで近づき……

『君らの前途に笑いあれ!』

 二人のスクールアイドルの声が合わさると同時に、ハリセンが一閃!

 パアン!

 景子の頭上で、風船が派手に破裂する。
 まさに勢い任せながらも、華麗なる逆転劇だった。


「立火!」
「桜夜!」

 割れんばかりの歓声の中、一直線に駆けってくる相棒を、立火は両手を上げて出迎える。

「いえーい!」
「ちょっ、ちょっと待って!」

 ハイタッチする二人に、納得いかない景子は抗議の声を上げる。

「何で急に歌い出したん!?」
「いやあ、ビビるかなと思て……」
「めっちゃビビったわコンチクショー!」
「はっはっは、勝ちは勝ちや!」

 そんな立火たちの前に、二つの人影が現れた。

「あ……」

 美術部と吹奏楽部の部長だ。
 成り行きとはいえ二人を無視して始めたことに、立火と景子は気まずい顔をする。

「ええと、そちらとの勝負は改めて放課後にってことで……」

 晴奈も鈴もそれには答えず、周囲を見回した。
 まだ続いている歓声と高揚。
 生徒たちの満足そうな笑顔と、その中に佇んでいるお姫様。
 友人二名は顔を見合わせると、互いに了解したように肩をすくめた。

「ここまで盛り上げられたらどうしようもないわ」
「私らも場のノリくらい分かるで」
「え、それって……」

 同じくノリを読んだ景子が、立火の右手を掴んで高々と持ち上げる。

「勝者! スクールアイドル部!!」

 再び校内は歓声に揺れる。
 景子はさっき叩いた左肩を気遣うように、軽く撫でて言った。

「姫水ちゃんのこと、酷使したら承知せえへんからな」
「しないって! ブラック言われて懲りてんねんから」
「ん」

 それ以上は恨み言もなく、サバサバした顔で校舎内に戻っていく景子。
 花歩が嬉しそうに、友達の方を指し示す。

「部長部長! 姫水ちゃんが待ってます!」
(うげえ……結局あいつ入部してくるの……)

 つかさが内心で毒づくが、外面には一切出さない。
 新入部員を迎えようと歩き出す立火に、桜夜が追いすがると、耳元で何かささやいた。

「……って感じで」
「え、ほんまに言うの?」
「絶対ウケるって!」

 しゃあないなー、と呟きながら、立火は歩を進めた。
 姫水の周りの生徒たちが、引く波のように離れていく。
 勇魚もその流れには逆らえず、幼なじみを残して距離を取るしかない。
 中庭にぽっかりと開いた空間の中を――

 立火は戦場より帰還した勇者のごとく、姫水の前へひざまずいて頭を下げた。

「姫様。こたびの戦い、辛うじて我らが勝利しました」

 一瞬きょとんとした生徒たちが、状況を理解して黄色い声を上げる。
 姫水もくすりと笑い、プリンセスとして優雅に答えた。

「お見事でありました」
「しかし私たちの前にあるのはより大きな試練、ラブライブ関西地区予選!」

 まるで一幅の絵画のようだった。
 生徒たちがきゃあきゃあ言う中、立火は顔を上げ、真摯な瞳で一年生を見つめる。



「これを突破するにはどうしても貴女の力が必要なのです。どうかお力添えいただきたい」
「都から落ち延びた私などで、どれだけお役に立てるかは分かりませんが」

 姫水は目を細め、たおやかに自らの胸に手を当てる。

「皆様の想いは伝わりました。この藤上姫水、スクールアイドルとして微力を尽くしましょう」

 一斉に拍手が沸き起こり、新たなスクールアイドルの誕生を祝福する。
(はー、さすが役者さん。ノリの分かる子やな)
 東京人にシャレが通じるか不安な立火だったが、これなら仲良くやっていけそうだ。

 タイミングよく、昼休み終了五分前のチャイムが鳴った。
 食べかけの昼食を放置したままの生徒たちは、胃の中に片づけるべく大急ぎで戻っていく。

「いやあ、ええもん見せてもろたわ」
「やっぱりこの学校選んで良かったー」

 一年生たちもそう言って満足している中、花歩もまた、すれ違いざまに姫水へ手を振った。

「姫水ちゃん、これからよろしくー」
「よろしくね、花歩ちゃん」
「は、花ちゃん! 姫ちゃんのことよろしく頼むで、ほんまに!」
「う、うん、どうしたの勇魚ちゃん」
「あ、ううん……」

 花歩と一緒に三組へ戻りながら、勇魚の顔から不安は消えない。
 激戦区の関西地区予選。
 そこではお姫様として眺めるだけでは済まない。姫水自ら剣を取って戦わねばならない。
 本当に大丈夫なのだろうか?


 *   *   *


「その藤上さんはどこに?」

 放課後の部室。初対面の相手に少し緊張していた夕理は、当人の不在に空振りの気分である。

「立火先輩と晴ちゃんが面接やって。やっぱりプロ女優さんやし、込み入った話でもしてるんちゃうかな」
「そうなんですね」
(はーそうですか。いきなりVIP待遇っすか)

 また毒を吐いてる脳内に気付き、つかさは少し自分が嫌になる。
 こんなことを考えてるなんて、夕理が知ったらどう思うだろう。
 感づかれる前に、努めて明るい声で上級生に近づいた。

「桜夜先輩、今日はカッコ良かったですねー」
「ふふーん、そうやろ? やっぱりアイドルの恥はかき捨てやで! 小都子は修業が足りない!」
「ううう……精進します」



 進路指導室を借りられたので、向かい合って座る。ここなら話が漏れることはない。
 こちらには部長とマネージャー。
 机の向こう側には新入部員。
 お互い軽く自己紹介してから、どう切り出そうかと迷う前に、姫水が口を開いた。

「先輩は、私の症状に気付いているのでしょう?」

 その目は立火ではなく、真っ直ぐ晴を向いている。
 部長が少し緊張する中、晴は粛々と答えた。

「ネット情報と昨日の反応から推測しただけやから、外れてる可能性もあるけど」
「構いません。おっしゃってください」

 必要もないのに、さしもの晴も少し声を落としてしまう。

「――離人感・現実感喪失症」

 立火が聞いたこともない言葉の列に、姫水は微塵も表情を変えず、透明な声で告げた。

「正解です」

 ひとまず二人とも安堵するが、問題はここからだ。
 まずは上級生同士で説明を求める。

「何やのそれ?」
「短く言えば離人症。
 自分に対しては自身から切り離され、幽体離脱のごとく外から見ている感覚に陥る症状。
 周囲に対しては全てに現実感がなく、ドラマか何かのように思えてしまう症状です」
「よ……要するに精神病ってこと?」
「その用語も色々複雑なんですが、まあ一般的な意味ではそうです」

 立火の目には元気そうに映るので、身体的な病ではないのだろうとは思っていた。
 一方で会話も表情も健全そのものの様子に、精神的な病と言われてもピンとこない。
 晴が説明を続ける。

「一時的に自分を客観的に見ている感覚なら、誰にでも起こるものです。私も時々ありますし、だからこそ気づきました」
「私は全然ないで」
「部長は客観性とは無縁の人ですからね」
「でも、それが慢性的に起こるようなら、精神障害と呼ばれます」

 説明を引き継いだ姫水が、自分の右手を上げてじっと見つめた。

「私はこの手が、自分のものだと実感できません。
 自分が生きているのか死んでいるのか、何が好きで何が嫌いなのかもよく分かりません。
 失礼ながら、こうして話しているお二人のことも、遠い世界のように感じられます。
 私が現実として感じられるのは、ただ一人の幼なじみだけです」

 立火は言葉を失った。
 周囲とのやり取りも、先ほど昼休みに起きたことも、彼女にとっては何の現実味もなかったというのか。
 それなのに違和感なく完璧に振る舞っていたのは、全て女優ならではの演技だった?
 花歩が嬉しそうに話していた、登校するバスの中でのことも――?

 上級生の内心を察したのか、姫水は自嘲的な笑みを浮かべる。

「一番困るのは日常会話ですね。そのままでは意識の外を滑り落ちていってしまうので、精神を集中させて聞く必要があります。昨日は一日中それをやって、最後には神経が焼き切れました」
「おいおいおい! 大丈夫なの!?」
「大丈夫です。今日はかなり慣れました」

 その言葉もやはり、どこか他人事のようだった。
 まだ完全に理解はできないが、異常であることは理解した立火は、肝心なことを尋ねる。

「……どうやったら治るの?」
「あまり研究は進んでいませんし、明確な治療法もありません。私に起きている程度なら日常生活を送れないこともないので、緊急性は低いのかもしれませんね」
「そ、そうなんや……」
「でも、本当にただ生活しているだけです。世界に対して何の彩りも、輝きも感じられない」

 晴と顔を見合わせる。
 問題を抱えているなら手助けできると、WinWinになれると思って勧誘した。
 しかし医者でもどうにもできないことを、一介の高校生に何ができるだろう。
 晴が探るように言葉を続ける。

「昨日調べた限りやと、精神的外傷トラウマによって起こることもあって、それを取り除けば治癒するようやけど」
「残念ながら、私に分かりやすいトラウマはありません。色々積み重なって徐々にこうなった、というのが正直なところです。ただ……」

 どこか世界から遊離していた姫水の目に、少しだけ彩度が戻った。
 ただ一人、自分と現実を繋ぐ幼なじみに思いを馳せたように。

「お時間さえよければ、私の過去を聞いていただけないでしょうか。今まで誰にも話せなかったので、多少は自分を取り戻せる可能性があります」
「も、もちろんや! なんぼでも付き合うで!」

 立火が強く断言し、晴も無言で頷く。
 嬉しさと、少しの痛みが入り混じった姫水の表情に、立火は理解した。
 この子は現実感を失っただけで、決して感情を失ったわけではないのだと。

「ありがとうございます。子供の頃からの話なので、長くなりますけど――」

 透き通った声が、進路指導室に流れ始める。

「私と、私の大切な幼なじみの話です」


 *   *   *


 姫水も花歩も部活なので、勇魚は一人で帰ってきた。
 二人を待っても良かったのだけれど、何となく一人になりたかった。
 制服から着替えて居間に降りると、妹がとてとてと近づいてくる。

「おねーちゃん、あそぼー」
「おっ、ええよ汐里。お姉ちゃんとお話しよか」
「うんっ」

 勇魚がこの子と同じ五歳の頃、毎日のように姫水と遊んでいた。
 ずっと一緒にいられることを、少しも疑わないままに。

「ねえ汐里。お姉ちゃん、少し昔話していい?」
「むかしばなし! ももたろうとか?」
「あはは、そーいうのとは少しちゃうかな。ちょっと待っててね」

 押入れを開けて、中からアルバムを一冊引っ張り出す。
 最初のページから、勇魚ともう一人の写真が続く。
 汐里からすれば一昨日知り合ったばかりの相手、それも十年以上前の姿なのに、すぐに気付いたようだ。

「ひめちゃんや!」
「汐里、よう分かったねえ」
「うち、ひめちゃん大好き!」
「お姉ちゃんも大好きや。ずっとずっと……大好きやねん」

 二人の距離が離れていた頃、勇魚は何度も、このアルバムを広げていた。
 どれだけ大事に思っていても、記憶は必ず風化していく。
 会えない時間が増していくたびに、それに抗うように、思い出を何度も反芻していた。

「ねえ汐里、聞いてくれる?」
「むかしばなし?」
「うん」

 妹の頭を撫でながら、勇魚はアルバムをめくり始める。


「うちと、うちの大切な幼なじみの話や」


<第8話・終>

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