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 東京の人間は冷たい、というわけではないのだろうけど。

 転校した学校で、姫水は遠巻きにされている感じだった。
 決して疎まれているわけではないし、話せばちゃんと会話はしてくれる。
 しかし大阪にいた頃のように、積極的に馴れ馴れしく近づいてはこなかった。
 これが普通で、大阪が変だったのかもしれないが。

「ねえ、藤上さんって大阪弁しゃべれるんでしょ?」

 そんな中で、クラスのリーダー格の子が、ありがたくも話しかけてきた。

「うん、今までは話してたよ」
「ちょっとしゃべってみてよ!」
「あ、ごめん。事務所の方から、ひょうじゅん語に直せって言われてるから……」
「そ、そう、じむしょ、じむしょね……」

 なぜだかプライドを傷つけてしまったようで、その子はすごすごと退散していく。
 事務所のレッスンも大阪の時より厳しく、放課後に誰かと遊ぶこともできなかった。

(でもまあ……いいか)

 そもそも姫水だって関西人のくせに、話しかけられるのに慣れ過ぎて、自分から話しかけるのは少し苦手だ。
 適度な距離感で付き合っていくのも、意外と性に合っているのかもしれない。
 誰であろうと、勇魚の代わりにはならないのだから。



「……勇魚ちゃんから手紙来てる」
「いさなちゃん!」

 嫌そうな顔の母から、分厚い封筒を受け取る。
 もう届くなんて、どれだけ早く書いてくれたのだろう。
 内容はいつもの雑談と変わらなかったが、それだけに引っ越した事実を一時忘れ、嬉々として何度も読み返した。

 数日経つうちに、他の友達からも次々手紙が届いてきた。
 母はうんざりした顔をしている。

「あのね姫水。これじゃ返事書くのも大変でしょう。あなたはレッスンも勉強も忙しいんだから、いっそ無視しても……」
「書くよ」

 手紙の束に深く感謝しつつも、姫水は冷静に言った。

「いさなちゃん以外は、だんだんへってくと思う」
「そ、そう。まあ……そうね」
「だから今とどいた分は、いっしょうけんめいお返事する」

 一か月後には予想通り、手紙の数は半減した。
 その中で勇魚だけが、変わらぬペースで送ってくる。
 お陰で新しい生活も寂しくはなかった、けど……

(声が聞きたいな……)

 そんな欲求が生まれながらレッスンを終え帰宅すると、母が誰かと電話していた。
 姫水の顔を見るや、母は電話口に何か言って、慌てて通話を切る。
 すぐにピンときて、靴を玄関に脱ぎ捨て詰め寄る。

「今のでんわ、いさなちゃんやろ!?」
「姫水、標準語」
「答えて!」
「……電話は遠慮してって言った」
「なんでっ……」
「だってあなた、勇魚ちゃんからかかってきたら絶対話し込むでしょう!」

 それはその通りだけど……
 恨めしそうな姫水の目から逃げるように、母はヒステリックに言う。

「もう大阪の生活とは切り離したいの。手紙は仕方ないけど、この家に大阪の空気を持ち込まないで!」

 ひどい。
 母の頼みをきっと勇魚は律儀に守るし、姫水からかけても困らせるだけだろう。
 彼女の声を聴く手段はなくなってしまった。

(いいよ、もう……。その代わり、ぜったいにいさなちゃんの声をわすれないから)

 そして折々送られてくる手紙を、姫水は頭の中で勇魚の声で読み上げる。

『ひめちゃん元気? カゼ引いてへん?』
『運動会たのしかった! たまたまうちが一ばんやったけど、みんながんばったで!』
『遠足は奈良に行ったで! 鹿さんがぎょうさんおってん。いつかいっしょに行こうね!』

 他の子からの手紙は少しずつ消えていき、とうとう勇魚だけになった。
 寂しいけれど、自然なことだと思う。思うから、姫水も自分から手紙は出さない。
 たった一本残ったロープだけを手に、漂うように生きていく。
 この一本だけは自然に繋がったままであると、少しも疑わなかった。


 *   *   *


 小学四年生になった。
 いつぞやのリーダー格の子が、偉そうに話しかけてくる。

「藤上さん、あなた本当に事務所の子なの? テレビとかでぜんぜん見ないんだけど?」
「そうね、お仕事あんまりなくて」

 丸一年が経過したが、芸能活動ははかばかしくなかった。
 チョイ役がいくつかと、お金にならない演劇、小さい雑誌のモデル程度。
 母が『事務所変えた方がいいんじゃ……』などと狼狽していたのを、冷めた目で見ていた。
 そうそう上手くいくはずもないことくらい、子供にだって分かるのに。

「有名な子役さんに会ったことがあるけど、やっぱりわたしとは住む世界がちがってたよ」
「そ、そうなの。まあそのうち人気出るわよ! 元気出しなさい!」

 逆に慰められてしまい、困り笑いを浮かべるしかない。

 事務所の方では、二つのグループ名がよく挙がるようになった。
 『A-RISE』。
 そして夏頃からは『μ's』。
 スクールアイドルという、学校の部活動でやっているグループなのだそうだ。
 歓迎する空気は事務所にはなく、自分たちと競合するかどうかなんて話をしている。

「いいなあ人気あって。少し分けてほしい」
「アマチュアの高校生相手に何情けないこと言ってんの」

 売れない俳優やアイドルが、そんな愚痴をこぼしている中、休憩中の姫水にも話題が振られた。

「姫水ちゃんの学校ではどう? μ'sは人気ある?」
「うちではあまり聞かないです。高校生のお姉ちゃんが夢中になってるとか、そんな話くらいです」
「さすがに小学校までは浸透してないか。まあ曲はなかなかいいわよ、『No brand girls』とか」
「そうなんですか、そのうち聞いてみます」

 とはいえ姫水は役者であってアイドルではないのだし、参考になるとも思えなかったので聞かずじまいだった。
 この時に触れていれば、その後の何かが変わったのかもしれなかったけれど。


 小学校にまで浸透してきたのは、変わり映えのない小学四年生が終わりに近づいた頃だ。
 勇魚の手紙だけを楽しみに過ごしていた中、普及し始めたスマホを持っていた一人の生徒が、クラスの皆に動画を見せて回っていた。

「これ、アメリカで撮ったんだって!」
「すごーい!」

 学校だけではない。東京のいたるところで、『Angelic Angel』なる曲の映像が流れている。
 仕事にそこまでの熱はないとはいえ、相変わらず売れない子役の自分と比べて少し落ち込む。
 春休みになって、隣の席だった子から電話がかかってきた。

「秋葉原で、μ'sがすごいライブをやるんだって! 一緒に見に行かない!?」

 もうすぐクラス替えで離れ離れなので、あまり親しくなれなかった姫水を最後に誘ってくれたのかもしれない。
 断るのも悪いと思い、四人ほどの集団に混ぜてもらって山手線で秋葉原へ向かった。

 駅を降りると大変な人だかりだ。
 周りは中学生か高校生のお姉さんばかりで、小学生の身長では何も見えそうにない。

「あっち! UTXのデッキなら見えるかも!」

 同行者の一人が指さす方へ、全員で急ぐ。
 頭上に大きなスクリーンが見えてきた。周囲には外国人のお客さんまでいる。

「あれで見てもいいと思うけど」
「えー!? ここまで来たんだから、生で見ようよ!」

 欲をかいた子供たちは必死で場所を探したが、どこも人の群れで、そうこうしている間に大音響の音楽が聞こえ出した。

「うわ、始まっちゃった」
「しょうがないよ。見えないけど歌だけ聞いてこ」
「そうだよ、この場にいることが大事なんだよ!」

 そういうものかと思いつつ、人垣の向こうで大勢が踊っているのを感じる。
 クラスメイトたちも音楽に乗って、ぴょんぴょんと跳ね始めた。
 姫水も倣おうとするが、いまいち乗り切れない。

(私、スクールアイドルのことよく知らないしなあ)
(急に誘われたから仕方ないけど、もう少し予習しておけば……)

 周りの人たちは皆、リズムに合わせて手を振っている。
 それがあまりに楽しそうで、楽しそうだからこそ。
 見えないライブを前に、世界で自分だけが疎外されているように、そんな風に思ってしまい――


『――あれ』


 奇妙な感覚に襲われた。
 自分を含め周囲の全てを、離れた場所から見ているような感覚。
 喧噪も、流れる歌も、ガラスの膜の向こう側のようで。
 何もかもが姫水とは無関係であるような、そんな――

(何、これ……)
(……気持ち悪い……)

 自分の身体に戻りたいのに、魂が離れたように戻れない。
 世界が現実なのか夢なのか、分からない不安に苛まれる。
 そんな姫水を辛うじて現実に引き戻したのは、歌詞の一節だった。

『自分から手を伸ばせば』
『面白くなる』

 自分の女優業について説教された気がした。
 もちろん作詞した人が知っているわけがないので、ただの思い込みだろうけど。
 思考が頭を通り過ぎるうちに、妙な感覚は消え失せていた。

(な、何だったんだろう、さっきの)

 手を握ったり開けたりしてみる。間違いなく現実だ。
 いつの間にか全員曲は終わり、顔を上げると風船が秋葉原の空を飛んでいった。

 その後はそれぞれのグループが、順にパフォーマンスを始めたようだ。
 イベントは夕方まで続くそうなので、小学生たちは適度なところで退散しようとしたが……

「ホノカちゃんのサインがほしい!」

 一人がいきなり、そんなことを言い出した。

「祐子ちゃん、無茶言わないでよ……」
「だってぇ~! こんなチャンス二度とないかもじゃん!」
「でも藤上さんを付き合わせるわけには……」

 ちら、とこちらを見る四人に、一人で帰った方がいいのかな、とも考える姫水だったが。
(この子たちを残していくのも心配だなぁ)
 せっかく誘ってくれたのだから、せめて協力して恩返ししたい。

「わたしは大丈夫。書くものは持ってるの?」
「う、うんっ」
「それなら、行くだけ行ってみようか」
「ほんとっ!?」
「藤上さん、やっさしー!」

 大通りに繰り出したが、周りは同じ衣装のスクールアイドルが行きかうばかりで、小学生は自分たちだけだ。
 クラスメイトはすっかり萎縮しているので、大人に慣れている姫水が近くの高校生に尋ねる。

「すみません。μ'sのホノカさんを探しているのですが」
「μ'sの人たちならタイトーの方で見たよ」
「ありがとうございます」

 同級生の尊敬の目を集めながら、人をかき分け南下する。
 タイトーステーションに近づくにつれ、混雑が激しくなってきた。
 やはりμ'sを見たい、一言話したいという人は多いのだろう。

 途中、優しそうなお姉さんが人に囲まれているのを見つけた。
 μ'sの関係者か、もしかしたらメンバーかもしれない。
(何となく、小学生が好きそうな人の気がする)
 失礼な直感のもと、精一杯背伸びして手を振る。

「すみませーん!」
「あ、はい。や~ん、可愛い~! あなたたち小学生? 何年生?」
「四年生です。実はこの子がホノカさんの……」
「さ、ささサインがほしいんですっ!」
「穂乃果ちゃんのファンなんだぁ、嬉しいな。案内してあげるから一緒に行こう?」

 直感は当たったようで、お姉さんは周囲に詫びて、姫水たちを優先してくれた。
 同級生たちはぎくしゃくとついていきながら小声で話す。

(ど、どどどうしようことりちゃんだよ!)
(サ、サインもらったら?)
(い、いや、そこまでは厚かましいんじゃ……)

 本当、東京の子供は奥ゆかしい。
 結局姫水から頼み込んで、サインを書いてもらいつつ目的地へ向かった。
 会場の中心近くで、心から楽しそうに、周りと話している人を見つけた。
 快活で晴れやかなその人に、少しだけ勇魚を思い出す。

「穂乃果ちゃ~ん!」
「あ、ことりちゃん。どうしたの」
「うふふ、このお嬢ちゃまがサインをご所望ですよ~」

 ことりと呼ばれたお姉さんに背中を押され、サイン希望者の祐子は、口をぱくぱくさせて何も言えない。

「サイン? いいよ、何か書くものある?」
「はははいっ、こ、これに……」
「おっけーおっけー。はい、さらさらーっと」

 差し出されたノートに、慣れた調子でペンが走る。
 はいどうぞっ、と返された祐子は、すっかり感激して何度も頭を下げた。

「ありがとうございますっ! 宝物にしますっ!」
「小学生まで来てくれるなんて嬉しいな。スクールアイドルは好き?」
「は、はいっ! 大きくなったら絶対スクールアイドルになります!」
「そっか! うん、あなたくらいの歳の子まで受け継いでくれるなら、私も安心かな」

 隣にいた髪の長い人の眉が、ぴくりと動いた気がした。
 目的を達成した一同に、ことりが身をかがめて問いかける。

「みんなは、これからどうするの?」
「あ、そろそろ帰ります。品川に……」
「そっか、私が駅まで送ってくよ」
「いいんですかっ!」

 憧れの人たちにここまでしてもらえて、四人はすっかり夢心地だ。姫水も調子を合わせて喜んでおいた。
 そうして来た道を少し戻った時だった。
 後ろから厳しい声がする。

「穂乃果、幼なじみの目はごまかされませんよ!」
(幼なじみ!?)

 単語に反応して思わず振り向く。
 髪の長いお姉さんが、なぜか隣の穂乃果に食って掛かっている。

「……ごめん、ちょっとだけ待ってもらえる?」

 足を止めたことりが謝るが、光景から目を離せないのは子供たちも同じだ。
 遠巻きに眺める中で、詰め寄られた方はごまかすように笑みを浮かべた。

「や、やだなー海未ちゃん、何言って……」
「これで終わりと思ってませんか? 『やり遂げたよ最後まで』とでも思ってるんでしょう!」
「ぎっくぅ~! 何でバレたの……」
「穂乃果の考えることなんてお見通しです!」

 周囲の人ごみもぴたりと動きを止め、二人に視線を集中している。
 それを意にも介さず、何も恥ずかしいことはしていないと言わんばかりに、お姉さんは堂々と話を続けた。

「分かってますよね穂乃果。終わりはまだ先です」
「……うん……」
「スクールアイドルの素晴らしさを広めたい。そう言い出した私たちが、途中で投げ出すわけにはいかないでしょう」
「うん、ごめん。絵里ちゃんたちは今日こそ本当に最後で、私も何だか終わりの気がしてた。でも違うよね」

 穂乃果は軽く息を吸い込むと、自分に言い聞かせるように叫んだ。

「私たちには、もう一年あるんだ!」
「そうです! 新しいグループ名も考えないといけませんし、新入部員も集めないといけません。また忙しくなりますよ!」
「ありがと、海未ちゃん」

 穂乃果は春の日の青空を見上げ、まっすぐに手を伸ばす。

「あと365日、本当の最後まで、ちゃんとやり遂げよう!」



 周囲から拍手が起こり、二人に照れ笑いが浮かぶ。
 ことりはそれを優しい目で見ていたが、今の自分が保護者なのを思い出して、慌てて身を翻した。

「ごめんごめん、じゃあ行こ~」
「は、はいっ」

 小学生たちに詳しい事情までは分からなかったが、きっと良いことだったのだろう。
 一緒に歩くお姉さんが、どこか嬉しそうだから。

(最後までちゃんとやりとげる、かあ……)

 宙ぶらりんの姫水はこの先、何をすればやり遂げたと言えるのだろう。
 保護者の機嫌が良さそうなので、気になっていたことを尋ねてみる。

「さっきのお姉さんたちは、幼なじみなんですか?」
「うん。私も入れて三人とも、小さい頃からの付き合い」
「そうなんですね……あ、すみません。わたしも遠くに幼なじみがいるので」
「遠く?」
「……大阪です。もう二年会ってません」
「え、そうなの藤上さん?」
「言ってなかったっけ?」
「聞いてないよ~!」

 隣の席の子に抗議されてしまう。
 二年間同じクラスだったのに、そんな大事なことも話さずじまいだったのか。
 勇魚が聞いたらどう思うだろうと考えると、少し胸が痛い。

「大阪かぁ、確かに遠いね」
「はい。いつも手紙をくれるので、寂しくはないんですけど」
「二年間ずっと?」
「ずっとです。この先もずっと」
「そう……そうなんだ」

 小学生の無邪気な信仰を、ことりも信じたいかのように、少し宙を見上げた。
 その目は大阪よりもさらに遠く、海の向こうを見ているようだった。

「私が言うのも変だけど、どうか繋いだ手を離さないでいてね」
「は、はい……」

 秋葉原駅に着いてしまい、夢のような時間は終わった。
 お姉さんは優しく手を振りながら、イベントへと戻っていく。
 たぶん、二度と会うことはないのだろう。

 来た電車に乗ったところで、姫水は級友たちの笑顔に囲まれる。

「藤上さん! 今日は本当にありがとう!」
「こちらこそ、誘ってくれてありがとう」
「また同じクラスになれるといいね!」
「うん……そうね」

 心から笑うことはできず、姫水は当たり障りなく答えた。

「同じクラスになれたら、またよろしくね」


 何にせよ貴重な体験だったので、すぐに手紙に書いて送った。
(ライブ中の変な感覚は……あれは何だったんだろう)
 自分でも分からないので、そのことは省略する。
 春休みが終わる前に返事が届いた。

『スクールアイドル! 東京ではそういうのが流行ってるんやね』
『ミューズって石けんみたいやね!』
『おもろそうやから、うちも聞いてみる!』

 少しだけ安堵する。
 その後もレッスンが忙しくて、相変わらずスクールアイドルに手は広げられていないけど。
 勇魚の興味に繋がったのなら、あの場に行った意味はあったのだろう。



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