第10話 本当にやりたいこと
「ほんまにうちの部入って大丈夫!?」
長い長い話の後で、立火がまず尋ねたのはそれだった。
「いや楽しい部にするつもりやけど、ストレスも結構多いで? ネットで批判されたり、必死で頑張ったのに予選落ちとか……そういう事もある」
「分かっていますが、一年以内に復帰するには、その程度は乗り越えられないと話になりません」
そう言いながらも、本気で復帰したい情熱は特に感じられない姫水に、ますます立火は心配になる。
(無理しないで、女優の道はすっぱり諦めたら?)
(元々おかんに言われて仕方なくやってただけやろ?)
そう口から出かかるが、当人が自分の本心を分からない状態なのだから、言っても仕方ない。
分からないからこそ、復帰できる可能性だけは確保しておかねば、ということなのだろうけど……。
「四つの部の中では美術部が最もローリスクローリターンで、こちらはその逆と思っていました。この部に入ることになったのは、リスクを取れという運命なのでしょう」
「ううむ……」
「本人がいいと言うてるんやからええやないですか」
悩む部長に、マネージャーが端的に言う。晴としてはこんな掘り出し物をそうそう逃すつもりはない。
「病院には行ってんのやろ?」
「はい、お薬も飲んでいます」
「なら部長、医学的なことを我々素人が考えても仕方ありません。離人症はあくまで脳の機能障害です。そこは専門家に任せましょう」
「せ、せやな……身内に体弱い人がいるもんやからつい……」
体の病気や怪我なら止めるところだが、精神病については確かによく分からない。
それでもWinWinと言った以上、この子のために何かしないといけなかった。
「この話は他の人には……」
「知っているのは勇魚ちゃんと校長先生だけです。すみませんが内密にお願いします」
「なあ、私たちに何かできることはないんか?」
「でしたら、これは医学的な根拠は特になく、私が勝手に思うことですが」
身を乗り出す部長に、新入部員は落ち着いて答える。
「強い感情を見せていただければと思います。
プラスの感情かマイナスのそれかを問わず。
私と現実を隔てる壁を、打ち壊すほどの鮮烈な想いを目にすれば、何かが変わるかもしれないので」
「おお! それやったら大の得意や!」
ようやく笑顔の戻った立火が、立ち上がって元気よく請け負う。
「ええで。浪花の熱い魂、必ず姫水の心に届けたるからな!」
「はい、どうぞよろしくお願いします」
「っと、もうこんな時間か」
時計は五時二十分。
七年分の話はあまりに長く、今日はもう大した活動はできそうにない。
「普段はどうされてるんですか?」
「新人はまず衣装を着てもらって、歌とダンスの実力を軽く見る感じやね」
「では、それだけ済ませてしまいましょう。このまま帰ってしまっては、私はただの問題を抱えた女の子なので」
微笑む姫水の雰囲気が少し変わる。
入部したての一年生には見えない、プロの貫禄を帯びた姿に。
「少しはお役に立てるところをお見せします」
* * *
「お待たせしました~」
電話で呼ばれた小都子が姫水を資料室に連れて行き、部室に戻った時には五時半を回っていた。
「うわ姫水ちゃん、可愛い!」
「ありがとう花歩ちゃん。不勉強なものだから、小都子先輩に選んでもらったの」
「姫水ちゃんやったら何でも似合うとは思うんやけどね」
小都子が選んだのは、落ち着いた藤色の清楚な衣装。
その衣装替え時の少しの会話でも、姫水が優しく性格の良い子なのは十分理解できた。
それだけに小都子は少々複雑である。
一時間以上も話し込んでおきながら、立火と晴からは特に何もなく、表面上平和に姫水を引き渡されたのだから。
(――まあ、私は知らなくてええ話やゆうことやろな)
花歩も姫水の事情は知らないようだし、変な詮索はせず、ごく普通の一年生として接するべきなのだろう。
小都子はそんなことを考えていて、他の部員も姫水に注目していたので、それに気づいたのは夕理だけだった。
つかさが数秒間固まっていたことに。
「つかさ?」
「え? うん、何?」
「……ううん、別に」
瞬時に普段の態度に戻され、夕理は何も言えなかったが、つかさの内心は穏やかではない。
(またやられた!)
アイドル衣装姿の姫水に、またも見とれてしまった。
心の中で歯噛みする。本当に調子が狂う。だから入部してほしくなかったのに……。
「はいはーい! ほな自己紹介やな!」
つかさの願望とは裏腹に、すっかり歓迎モードの部室で桜夜が手を挙げる。
「私は三年生の木ノ川桜夜! うわ、間近で見るとほんま美人さんやなあ」
「恐れ入ります」
「まっ、さすがに私には負けるけど! 相手が悪かったんや、気にせんでええよ」
「お前のその根拠のない自信はどこから来るんや……」
「根拠なら目の前にあるやろ! ほらこの顔!」
「はあ、ほんまお得な顔やな。それどこで買うたの」
「いやあドンキで半額でね、って何でやねん!」
「ふふ、楽しそうな先輩ですね。よろしくお願いします」
くすくすと笑う新入部員に、桜夜は照れくさそうに頬を掻く。
花歩は既に知り合いなので、後は夕理とつかさだけだ。
「ちょうどええから花歩から紹介してもらおか」
「わ、私ですか!?」
「うわ、あたし花歩からどう思われてるんやろ。ドキドキしてきたなー」
「つかさちゃんプレッシャーかけるのやめて!」
部長の指示なので、花歩は仕方なく隣の夕理から紹介を始める。
「こちらは天名夕理ちゃん。作詞作曲を一人でこなしてんねん。昔からスクールアイドルを知ってて、めっちゃ詳しいんやで」
「よろしく藤上さん。最初にひとこと言うとくけど」
うわ、と部員たちが引く中で、いつものように歯に衣着せぬ声が響く。
「あなたは凄い女優なのかも知らんけど、スクールアイドルとしてはあくまで素人なんや。その点は謙虚にならなあかんで!」
「わああ! ごめん姫水ちゃん、この子ちょっと意識高くて!」
「ううん、確かにその通りよ。私はスクールアイドルのことはよく知らない」
偉そうな夕理にも嫌な顔ひとつせず、姫水は落ち着いて返した。
「天名さん、これから色々と教えてね」
「え、あ、うん……わ、分かればええんや……」
気勢をそがれた夕理に、桜夜が思わず立火に耳打ちする。
「ちょっと。夕理にムカつかないなんて、姫水って天使なん?」
「いちいち腹立ててるの桜夜だけやろ。まあ、一年生同士仲良くやれそうで何よりや」
つかさはその点安心やしな、と考えている立火の前で、最後のメンバーが紹介される。
「この子は彩谷つかさちゃん。器用で何でもできるし、明るくて友達も多くてカッコええねん」
(ちょっ、やめて! こんな完璧超人の前で、そんな持ち上げられても恥ずいだけやろ!)
心の中で悲鳴を上げるが、外へはおくびにも出さず軽く挨拶する。
「よろー。なんかテレビにも出てたんやろ? あたしなんかがお知り合いになってええんかなあ」
「そこまで大層なものじゃないわよ。知名度もないしね」
「ま、あたしはそんな真剣にやってへんから。藤上さんが入ったんやったら、もうあたしの出る幕はないかもね」
「そんなことはないと思うけど……」
(し、しまった、ちょっと卑屈すぎた!?)
少し眉を寄せる姫水に焦るつかさだが、救いの手のように校内放送が響き渡った。
『間もなく18時です。部活動を行っている生徒は……』
「おっと、あと15分か。姫水に一踊りしてもらうから、一人分スペース作ってー」
部長の指示に部員たちが机を寄せる中、つかさも椅子を手にしながら、ちらちらと姫水を見る。
あまり良い第一印象を持たれなかったろうか。
その姫水は、晴にノートパソコンで先日のPVを見せられている。
「この冒頭のとこだけちょっと踊ってみて」
「一応、通しで見ていいですか?」
「ん? ええけど」
1分45秒のPVを見終わると、姫水は目を離して簡単に言った。
「覚えました」
「は?」
「時間もないので、アカペラでいいですよね」
さすがに晴もぽかんとしている。
部員たちがついていけない中、視聴覚室の中心に開いたスペースで、姫水の歌とダンスが始まった。
(いやいやいや)
(そんなアホな)
(私たちだって、通しでやるまでには結構かかるのに……!)
呆然とする上級生たちの前で、先日花歩が苦労したサビ部分も通り過ぎ――
優雅にパフォーマンスを終えると、姫水はポーズを解いて困り笑いを浮かべた。
「やっぱりダンスは難しいですね。何箇所か上手くいきませんでした」
「ちょっ、ちょっと待って!」
まだ混乱している立火が、慌てて姫水に駆け寄る。
「一回見ただけで全部覚えたの!? ほんまに!?」
「この程度の記憶力がないと、ドラマになんて出られませんから」
「いやそれより歌ですよ、先輩!」
上級生の中では比較的歌唱力の高い小都子が、何とか気を落ち着けて姫水に尋ねた。
「えらい上手やったねぇ。何か習ってたん?」
「歌手方面にも手を広げる目的で、一年ほどレッスンを受けていました。結局そういう仕事は全然来なくて、怒った母にやめさせられましたけど」
(姫水のおかん、娘を振り回しすぎやろ……)
喜んでいいのか複雑なところだが、とんでもない戦力を手に入れたのは確かだ。
これならラブライブも――と思ったところで、先日の一件を思い出す。
思わず花歩へ目を向けるが、その先にあったのは苦笑いだった。
「やだなー部長。ここまで差があったら、もう笑うしかないですよ」
「そ、そう?」
(それに……)
『今までレッスンと仕事ばかりの日々だったから……』
『できればこの一年だけは、普通の日常を過ごしてみたい』
バスの中であんな言葉を聞いてしまった花歩は、とても暗い顔なんて見せられない。
自分が呑気に日々を過ごしている間、この子は厳しいレッスンを続けていたのだ。
どうしていじける事なんてできようか。
一方でダメージを受けていたのはつかさだった。
少し前に自分が言った言葉が、金のタライのように頭に落ちてくる。
『一応仲間内では、カラオケ女王って呼ばれてます♪』
(あたし単なるピエロやんか!)
こんな本物が現れると知っていたら、カラオケ程度で粋がったりしなかったのに。
幸いにも誰も覚えていないというか、誰もつかさを気にしていないけれど……。
夕理ですら真剣な顔で、姫水の前に歩み出て頭を下げている。
「藤上さん、恥を忍んで頼むわ。私にも歌を教えてほしい。もっと上手くなりたいんや」
「――ええ、私でよければ喜んで」
「というか私たち全員、姫水ちゃんに教えを請わなあかんね」
「去年はちょっとダンスに偏重気味やったからな」
二年生が話している横で、三年生たちは盛り上がっている。
「これは割と本気で、予選に光明が見えてきたやろ!」
「行けちゃう!? 私たち全国行けちゃうんやない!?」
「絶対行けるで!」
明るい未来が現実化してきたところで、下校を告げるチャイムが鳴る。
立火と景子の口論で始まった、長い一日が終わった。
* * *
「お疲れ様でしたー」
昇降口で上級生と別れ、四人の一年生が下駄箱に手を伸ばそうとした時だった。
「姫ちゃん!」
小さな人影が姫水の前に飛び出す。
それまで落ち着いていた姫水の表情が、ぱっと明るくなった。
「勇魚ちゃん、待っててくれたの?」
「部活、どうやった? 大丈夫やった?」
「何もないわよ。そんなに心配しないで」
「ねえ。やっぱりうちもスクールアイドル部に――」
「それは駄目よ」
すっと姫水の顔が冷静になる。
予想外に反対され、勇魚が言葉を失う中、昇降口に言葉が続いた。
「もちろん、勇魚ちゃんが本気でアイドルをやりたいなら歓迎する。でも花歩ちゃんに誘われた時は、その気にはならなかったんでしょう?」
「それは……そうやけど」
「ま、まあその時は、ボランティア部がここまで暇とは思わへんかったしね?」
花歩がフォローするが、勇魚がスクールアイドルになることに積極的でなかったのは事実だ。
「さんざん甘えておいて何だけど、勇魚ちゃんの高校生活は私を介護するためにあるわけじゃない。本当にやりたいことをしてほしいの」
「姫ちゃん……」
「あなたはいつだって、他人のことばかりで自分は後回しなんだから……」
先ほどの勇魚以上に、今度は姫水の方が心配そうだった。
自分を思って言ってくれているのだ。
理解した勇魚は、少し俯いてから、元気に顔を上げる。
「せやね! もう少し考えてみる!」
「うん、その方がいいよ」
「あ、夕ちゃんもお疲れ様!」
「あ……うん」
お昼の席で顔見知りの夕理は、いきなり挨拶されて口ごもる。
率直に言って、勇魚は夕理の一番苦手なタイプだ。
(馴れ馴れしいし、やかましいし、大阪の悪いところを煮詰めたような子や……)
などと思われているとは露知らず、勇魚の視線はその隣へ動く。
「そちらさんは初めましてやな! うちは佐々木勇魚!」
「あ、ども。彩谷つかさや」
「つーちゃんやね!」
「どう呼んでもええけど。自分が花歩の友達で、藤上さんの幼なじみって子?」
「せやで! よろしくつーちゃん!」
その声で思い出した。初めて姫水を見に行った時のことを。
姫水はつかさではなく、この幼なじみに笑いかけていたのだ。
(ちっこいし、大したヤツではなさそうやけど……藤上さん、この子にはあんな風に笑うんやな……ふーん……)
「この四人が今の部員なんやね!」
「そうね、先輩たちを入れて八人」
「勇魚ちゃんが入ってくれたら九人。去年と同じ人数に回復するんやで!」
大歓迎の花歩。
心配そうな姫水。
少し嫌な顔の夕理。
内心複雑ながら、表には出さないつかさ。
四人の一年生の前で、勇魚は屈託なく笑って宣言した。
「うち、自分が何をやりたいのかもう一度探してみる。
もしそれがスクールアイドルやったら、うちも仲間に入れてね!」