『今日は私たちのファーストライブに大勢来てくれはって!
後ろまで満員御礼でありがたいことです』
『ってどう見てもガラガラやんけ!』
『いやいや私には見えんねん。あのへんに幽霊のお客さんがね……』
吉本ではよくある自虐ネタだが、当人たちの気持ちを思うと、動画を見ている立火も胸が痛い。
五年前、Westaが発足して初めてのライブ。
観客は15人だった、と、当時の部誌にある。
『結構周りに声かけてたのにこれやもんなあ』
『でもμ'sの初ライブのことを考えたら、15人来てくれただけでも御の字なんやろか』
『やっぱり、他人の自由時間を使わせるのって難しいんやなあ』
部誌として残された文書ファイルには、初代部長のそんな所見が綴られている。
初代の人たちと直接会ったことはないが、この人たちが部を作ってくれたから今の自分たちがある。
あなた方が諦めなかったおかげで、今や数百人が訪れるまでになりました。
もし会えることがあれば、胸を張ってそう伝えたいものだ。
「ほな行ってくるでー」
家族に声をかけて、晴れ渡った皐月の空の下へ歩き出す。
今日は月曜日。
金曜には校内向け、土曜には校外向けのライブを行う。
あと四日間、ひたすら練習あるのみだ。
* * *
「晴が助っ人連れてくるって話やけど……」
ライブとなると撮影や音響の人手もいるため、一時的な協力者を仰ぐ必要がある。
去年は三年生が友達を連れてきていて、今年は景子あたりに頼もうと思っていたが……
晴がもっといい人材がいると言うので、そちらに任せることにしたのだ。
程なくして部室の扉が開く。
「お待たせしました」
「おっ、待ちわびたで……ってお前らか!」
「ど、どうも~」
気まずそうに顔を出したのは、去年辞めた三人の二年生だった。
桜夜と小都子も驚いて出迎える中、立火は晴に耳打ちする。
「おいおい。罪悪感につけこんで手伝わせてるんとちゃうやろな」
「滅相もない。皆自発的に協力してもらっています」
「そ、そうですよー立火先輩。大したことはできませんけれども……」
自信のなさそうな助っ人たちに、小都子は感極まった様子で、かつての仲間たちの手を握った。
「一時だけでも、またみんなと一緒に活動できて嬉しい。梓、真代、七恵。三人ともよろしくね」
「小都子……」
三人はぎこちない笑いを浮かべたり、顔を伏せたり。
口では違うと言っても、やはり小都子を残して逃げた罪悪感は大きいのだろう。
立火が軽さを装って勧めてみる。
「いやー、仲間ってええもんやな。どうや、これを機に部に復帰したら」
「い、いや、そこまではちょっと……」
「今から一年生の後塵を拝するのは……」
彼女たちがちらりと見た先では、姫水が優雅に微笑んでいる。
スーパールーキーの存在も良し悪しである。
立火もそれ以上は勧めず、晴が三人に業務の説明をするのを見守った。
桜夜が近づいてきて、しみじみとしたように言う。
「叶絵とあやかも来てくれたらええのになあ」
「受験生にそこまでは頼めへんわ。ま、気い向いたら見には来るんとちゃうの」
道を違えた生徒たちも、まだ同じ学び舎にいるのだ。
少しの縁でも大事にしたいものだった。
* * *
火曜日。
授業が終わるやいなや、勇魚と花歩は互いにうなずいて教室を飛び出した。
「ど、どうしたの? そんなに急いで」
「チラシ配り!」
背後に聞く級友の声に、大声で返事をする。
目的地は近所の中学校。
そちらの終業時刻の方が早いので、急いで行かないと中学生たちは帰ってしまう。
「あーあ、ライブ前は学校サボらせてくれへんかなあ」
「もー、花ちゃん! そんなん中学生から不良と思われるで!」
「はーい」
昼に二年生から借りた自転車の鍵を使い、二手に分かれて別の中学校に行く。
このチラシを受け取った子から、将来の後輩が現れるかもしれない。
そう考えると重要な仕事だ。
花歩たちがチラシを配っている頃、ステージメンバーたちは練習に打ち込んでいる。
『心に燃え上がる 赤く猛きフレイム!
今こそさっけべー 灼熱のぉ! レゾナァァァァンス!!』
視聴覚室に熱いシャウトがこだまする。
セットリストの三曲目、『灼熱のレゾナンス』。
前回の地区予選で披露した、昨年の集大成といえる曲だ。
その時は八人だったが、今回は上級生と姫水の四人だけで行うことになる。
姫水の熱を込めた叫びに、立火は意外そうながらも感心する。
「姫水ってこういうのもできるんやなー」
「熱さを表現するのも演技の基本ですから」
「ちょっと観客煽ってみて?」
「さあさあ皆さん、声出していきましょう! んー? まだまだ元気が足りませんよー!」
(この子ほんまに何でもできるなぁ……)
桜夜としては少し複雑である。以前死ぬほど練習した曲を、あっさりマスターされたのだから。
とはいえ好きな曲なので文句は言わない。
昨年の曲を使うのは、今回のライブが最後かもしれないのだ。
「よし、灼熱はこれで完成! 後は若葉を徹底的にやるで!」
立火の言葉に、つかさと夕理もメンバーに入る。
そして桜夜のテンションは少し落ちた。
若葉の露に映りて ~growing mind~ などというクソ長い曲名からして気に入らない。
もちろん練習は真面目にやるけれども……。
* * *
水曜日。
歌とダンスはほぼ完成したが、MCの練習もしておかないといけない。
特に夕理が心配なので、立火と一緒に教壇の前に立った。
「これがうちの新メンバーや!って感じでまず夕理から紹介するから、一言挨拶したってや」
「分かりました」
夕理は少し考えてから、観客代わりの二年生たちに声を張り上げる。
「皆さん、最近のスクールアイドル界は堕落しています!」
「いきなり何言うとんねん!」
「ファンの質も落ちています! ブームに流されず、きちんと評価してください!」
「観客にケンカ売ってどないすんのやあああ!!」
立火の突っ込みに小都子は笑っていたが、隣の晴はにこりともしなかった。
部室の中へ冷たい声が響き渡る。
「ふざけるな夕理。真面目にやれ」
いきなりのマジな反応に、立火も夕理も凍りついた。
すぐに夕理が憤って抗議する。
「わ、私が真面目でないと……!?」
「ファンにサービスしろなんてことは、お前には言うだけ無駄やから言わへんけどな。
せめて無難な挨拶くらいできるやろ。部の足を引っ張るな」
晴の正論には、相変わらず何も言い返せない。
夕理は仕方なく、棘を抜いたぬるい挨拶を口にするしかない。
「……天名夕理です。真剣に取り組みたいと思います。よろしくお願いします」
「う、うん。そんな感じでええやろ」
立火の取り成しに、悔しそうに拳を握る。
つかさがバイトで不在なのがせめてもの救いだった。
『もっと我が道行ってるやん。それでこそ夕理やな』
そう言ってくれた彼女に、こんな妥協した姿を見られたくはなかった。
助っ人二年生の一人が、小声で小都子に耳打ちする。
「岸部さんって相変わらずやな」
「まあ、晴ちゃんやからねぇ」
そう返しはするが、小都子も晴と同じく感じている。そろそろ誤魔化しが効かなくなってくることを。
夕理の人に迎合しない性格と、皆に愛されることが必要なスクールアイドル。
その噛みあわなさに、間もなく審判が下されるのかもしれないと。
* * *
木曜日。
場を体育館に移して、リハーサルもつつがなく終わった。
練習は完璧。段取りもばっちり。
なのに小都子としては、どんどん不安になってくる。
「姫水ちゃん」
部室に戻って制服に着替える最中、小声で姫水に声をかけた。
特に夕理には聞こえないよう、できるだけ音量を落として。
「新曲、正直なところ姫水ちゃんはどう思てるん?」
「私ですか? 良い曲だと思いますが」
「いや、観客がそう思てくれるんやろかって……」
小都子や姫水がいくら個人的に好きでも、ラブライブでは意味はないのだ。
投票された数。それによって全ての勝敗が決まってしまう。
「姫水ちゃんはそういう事のプロやろ。みんなに支持されて、テレビにまで出た子や」
「そうですね。でも今は休業しています」
その声の抑揚のなさに、小都子は思わず息を止める。
別に怒っているわけではなく、姫水は淡々と言葉を続けた。
「休業中までマーケティングとか売れ線とか、そういうことは考えたくありません。
そんな打算は無視して、純粋にやりたいことができるのがスクールアイドルではないんですか?」
「……そう……そうやね……」
「すみません、生意気なことを言って」
困り笑いを浮かべている姫水に、小都子は心から後悔した。
この子に何を保証させようというのだろう。
姫水だって夕理と同じ一年生なのに。
小都子は袖に腕を通すと、ぱしんと自分の両頬を張る。
「あかんな、私が夕理ちゃんを信じなあかんのに!
ごめん姫水ちゃん。明日、お互いに頑張ろうね」
「はい、全力を尽くします」
そんな二人の会話を、つかさがこっそり聞き耳を立てていたが……
休業がどうこう、ということしか聞き取れなかった。
暖かくして早目に寝るように、との部長からの指示を受けて、部員たちは解散する。
つかさと一緒の電車の中で、夕理は明日のことを考えていた。
(余計なことはせえへんで、とにかく練習通りに……)
「夕理はさ」
つかさから声をかけられ、顔を上げる。
ライブの話題かと思いきや、全然関係ない話が鼓膜を打ってきた。
「藤上さんのこと、どう思う?」
「え……どうと言われても」
何とも言えず、夕理はしばし口ごもる。
「特に悪い印象はないけど、話す用事もないというか……友達の友達って感じ」
「ふ、ふーん」
そもそも夕理は人付き合いが苦手で、今は小都子&花歩と頑張って仲良くなろうという段階だ。
それ以上に手を広げる余裕はなく、姫水は今のところ『同じ部の人』でしかない。
誤魔化すように、つかさは軽く笑う。
「あ、いや、あたしも別に興味ないねんけどな? 結局なんで休業してるんやろなーって思って」
「……さあ」
「どっか身体悪くしたのかと思ったけど、全然元気やねんし」
「せやな」
「あれやろか。東京で何かやらかして、ほとぼり冷ますためにこっちに来てるとか?」
「あのさ、直接聞いたらええやろ。毎日顔合わせてんねんから」
「い、いやいやいや。あたしなんかに教えてくれるわけないやん」
別に仲良くもないし、と自嘲気味に呟くつかさに、夕理は顔を伏せる。
ライブ前日に、こんな話なんかしたくなかった。
それでも、どこかで覚悟していたことでもあり、夕理はそのままの姿勢で口を開いた。
「藤上さんと仲良くなりたいの?」
「は!?」
「それやったら協力するよ……いや、お前に何ができんねんと言われたらそれまでやけど……」
(私は、つかさの大勢いる友達の末席でしかないから)
だからつかさに好きな人ができたら、夕理は応援しないといけない。
不平など言えるはずがない。
それは友達としての義務で、逃れようのない責務だ。
つかさは少し黙っていたが、誤魔化すように勢いよく手を振った。
「や、やだなー。夕理なんか勘違いしてへん?」
「そう?」
「全然そんなんとちゃうって! どっちかというと藤上さんのこと少し苦手やし!
まあ部の空気悪くしたくはないから、上手く付き合ってくけどさあ」
「そう……」
その後は黙ったまま、二人は大阪港の上を運ばれていく。
弁天町駅で降りたとき、つかさが謝ってきた。
「なんかごめんね。ライブ前に変な話して」
「別にそんな……」
「明日、あたしなりに頑張るからさ。ライブ、成功するとええな」
「う、うんっ!」
元気を取り戻し、夕理は手を振ってつかさと別れる。
余計なことを考えるより、とにかくライブだ。
ずっと待ちわびた瞬間なのだから!
* * *
ついにライブ当日。
二日間行ううち、今日は在校生がターゲットだ。
といっても金曜の平日なので、放課後が来るまでじりじりと待つしかない。
「あああ、胃が痛いぃぃぃぃ」
昼休み。昼食が喉を通らない花歩に、級友たちが呆れた目を向ける。
「丘本さんは出えへんのやろ? 緊張しても仕方なくない?」
「そうやねんけどお……」
「今からそれで、実際にレギュラーになった時どないすんの」
「ううう、考えたくない」
「花ちゃん花ちゃん! 初めてのライブなんや、楽しんでこ!」
勇魚は平気な顔でお弁当をパクパク食べている。
夕理は集中したいとかで、今日は同席してくれなかった。
あちらも緊張していないといいのだけれど。
午後三時半。その日の授業が終わった。
『本日四時から、体育館でスクールアイドルWestaのライブを行います。ご用とお急ぎでない方は……』
校内放送を聞きながら、花歩と勇魚は校門へ急ぐ。
帰ろうとする生徒たちに、最後の宣伝をするためだ。
「これからWestaのライブやります! よかったら聞いていってくださーい!」
西門に着いた勇魚が大声を張り上げるが、ここまで来て翻意する生徒はあまりいない。
女子二人組が、歩きながらひそひそ話している。
「あー、今日やったっけ」
「けどまあ去年に比べたらショボいやろ。藤上さんも結局は素人やし」
「せやな。もっと人気出たら行けばええか」
そう言って帰ってしまう生徒たちを、勇魚は寂しい思いで見送る。
(スクールアイドルってみんな音ノ木坂や浦の星みたいに、学校一丸になってくれるんやと思てた……)
とはいえそれは、生徒の少ない学校だからこそできた事なのだろう。
総勢720人の住之江女子高校では、全員の気持ちが一つになるのは元より不可能。
半分来てくれるだけでも360人だ。十分な人数なのだ。
気を取り直した勇魚は、再度元気に声を出す。
「ライブやりまーす! 姫ちゃ……藤上姫水ちゃんのデビューやでー!」
他のメンバーは舞台裏に集まっていた。
幕の隙間から体育館内を見ている晴に、立火が近づいて声をかける。
「客入りはどんなもんや」
「なかなかですね。今日は多目に、明日は少な目になると思います」
「そうなん?」
「姫水は校内では有名人ですが、校外ではそうでもないからです」
「なるほどなー」
立火は納得してうなずくと、薄暗い中で後ろを振り返る。
ステージメンバー六人は、既に先日作った衣装に着替えていた。
ライブまであと十五分。
桜夜が胃のあたりを押さえている。
「この時間帯ってどうにも中途半端やなー」
「小咄でもする? そういやこのステージ、アレが出るらしいで」
「なんでホラーやねん! で、アレって?」
「うん、アレやアレ。あかん思いつかへん」
「オチ考えてから喋って!」
五分前になり、晴が放送を入れる。
『間もなくライブを開始します。外にいる皆様は体育館内へお急ぎください』
舞台裏からは見えないが、予定では花歩と勇魚も戻ってきて、最後の誘導を終えて体育館の扉を閉める手はずだ。
立火、桜夜、小都子、姫水、つかさ、夕理。
六人が円陣を組み、部長が小声で最後の指示を出す。
「いよいよ新生Westaの初ライブや。ノリはよく、かつ落ち着いていくで!」
『はい!』
「燃やすで、魂の炎!」
『Go! Westa!』
音楽が鳴り始めた。
まずは先陣を切って、上級生三人がステージに飛び出す。
眼下に広がる生徒たちの海は、四百人くらいはいるだろうか。
改めて、Westaをここまで育ててくれた先輩たちに感謝しつつ――
その年のファーストライブは、立火たちの歌声で幕を開けた。
『Welcome to Western Westa!』