『ようこそ花咲く新天地へ!
ここは住之江 西のパラダイス
愉快な出会いがきっとある!』
歓声の中、既に身に沁み込んだ軽快なステップ。
Westaのお笑い面を象徴する曲に、生徒たちはノリよく手拍子を送っている。
入学式の時のタキシード風衣装に比べると、今回の衣装はあまり曲には合っていないが、四曲続けてやる以上は致し方ない。
一曲目はつつがなく終わり、暖まった体育館で立火が声を張り上げる。
「みんな、今日は大勢来てくれてほんまおおきに!
いよいよ全国に向けた挑戦が本格的にスタートや!
スクールアイドルは在校生の応援が命! 切に切によろしく頼むで!」
湧き上がる歓声の中、マイクは桜夜に切り替わる。
「新メンバーも入ってくれてんねんけど、説明する前にまずは見るのが一番やな!
次の曲は『星明りの未来』! 一年生、カモン!」
舞台袖から三人の一年生が飛び出し、メンバーの列に加わった。
「うおおおお! 姫水ちゃーーん!!」
(景子やかましいわ!)
ちゃっかり最前列を確保している景子が、藤色のサイリウムをぶんぶん振っている。
立火としては少し鬱陶しいが、盛り上げてくれるのはありがたくもある。
再度マイクを受け取り、姫水の肩に手を置きながらの立火の声が響く。
「PV見てくれた人もいると思うねんけど、今日は姫水参加バージョンや!
この日が初公開! お得やでー! ほな行ってみよう!」
そして始まる正統派な曲に、体育館も順当に盛り上がった。
『もう迷わない 胸に決意を秘めて
一人じゃないこと 今初めて気付いたよ』
”平凡な曲””普通のスクールアイドル曲”
一部の人からそんな批判を受けた。夕理も今改めて歌うと、これではNumber ∞の大衆的な曲をどうこう言えないと思う。
しかし、だからこそ自分らしい、自分にしか書けない新曲を用意したのだ。
その審判まで、あと二曲……。
拍手とともに曲が終わり、次へ行く前に自己紹介のMCが入った。
「まずはお馴染みのメンバーや! 初めて聞くでーって新入生は、名前だけでも覚えて帰ってやー」
上級生たちが一人ずつ、ギャグも交えながら自己紹介する度に、客席のそこここから歓声が上がる。
「立火せんぱーい!!」
「桜夜ちゃーん!!」
「小都子ー!!」
(へー、小都子先輩も結構人気あるんやな)
つかさが少し意外そうに、三年生に劣らない小都子への歓声に反応する。
見た感じ、声を上げているのはほぼ友達のようだ。単純に交友範囲が広いのだろう。
「さーて、ここからはフレッシュなルーキーたちの紹介や!」
部員たちの間に少し緊張が走った。
入部順とはいえ、一番不安な夕理からである。
少し前に出た彼女を、部長が大声で紹介する。
「まずは作詞作曲担当。頑張り屋の音楽少女、天名夕理や!」
「天名夕理です。真剣に取り組みたいと思います。よろしくお願いします」
パチ…… パチ…… パチ……
会場が一気に盛り下がった気がした。
ぺこりとお辞儀する夕理に、友達は当然いないし、PVでもファンはつかなかったらしい。
桜夜が表面上は笑顔ながら、内心では思いっきり毒づいている。
(こいつマジで不人気やな! 人気面では何の役にも立たへんやないか!)
夕理は気にしているのかいないのか、無言で後ろに下がった。
ちっとは笑えや、という声が客席から聞こえたのは気のせいだろうか。
少し引きつった顔で、立火の紹介が続く。
「続きましては我が部随一のおしゃれさん! 遊びの達人、彩谷つかさ!」
「もー、なんすかその紹介。どーも、よろしくお願いしまーす」
パチパチパチパチパチ!
「つかさー! ファイトー!」
軽い挨拶にも関わらず、クラスや中学からの友達が声援を送る。
そして前列左側から、いきなり大きな声が上がった。
「せーの、つかさちゃーん!!」
つかさが視線を向けると、顔も知らない人たちだ。
リボンの色からすると二年生だろうか。
(え、あたしにファンなんているんやな)
驚きはしたが、悪い気はしないので笑顔で手を振っておく。
振られた側は黄色い声を上げて喜んでくれた。
そしていよいよ……
「この前の争奪戦から一か月、いざ満を持してここに降臨や!
女優にしてスクールアイドル、藤上姫水!!」
「姫水ちゃああああああん!!」
「ひーすーい! ひーすーい!」
景子はもちろん、一年六組の生徒たちも狂喜乱舞している。
自らデザインした衣装を身にまとい、ステージ上のプリンセスは優雅に微笑んだ。
「転入したばかりの私がこんなに応援してもらえて、感激で胸が一杯です。皆さん、楽しんでいってくださいね」
『うおおおおおおお!』
(すっごい人気……)
後ろから見ていた花歩も、あまりの迫力に気圧されてしまう。
デビューのご祝儀的な反応もあるとはいえ、ここまでとは思わなかった。
体育館の反対側にいる勇魚も、きっと喜んでいるだろう。
一方で、あまりに人気の落差がある夕理が傷ついていないか、少し心配だけれど……。
「さーて、最高に盛り上がってきたところで!」
夕理とつかさは舞台裏に下がり、残る四人の瞳には、何かが点火したような光が宿った。
女神ウェスタの炎を得たように、立火のテンションも上がっていく。
「次は去年の地区予選曲や!
結果は惜しかったけど、卒業した先輩たちの思いも込めて!
あの時の大阪城ホールに負けないくらい、この体育館を熱くするで!」
会場の上級生、そして昨年からWestaを追っていた一部の一年生が一気に沸き立つ。
それ以外の一年生も、その雰囲気に今からの熱気を予感した。
「『灼熱のレゾナンス』! お前ら全員燃えてくでええええ!!」
それからの1分50秒は、その日のライブが最高に盛り上がった瞬間だった。
『心に燃え上がる 赤く猛きフレイム!』
『フレイム!』
『今こそ叫べ 灼熱のぉぉ』
『ハイ!』
『レゾッナァァァーーンス!!』
『ハイ! ハイ! ハイハイハイ!』
(これやこれ! やっぱりライブってのはこうでないと!)
桜夜は大喜びで、全力のエネルギーを込めて体を動かす。
普段は地味な小都子や優美な姫水も、今はキリリとした顔で熱く叫んでいる。
体育館内の全員が、高まるボルテージに一体化する中――
ただ一人だけが、その流れに逆らっていた。
(私はこんな曲、音楽とは認めへん!)
舞台裏の夕理は、拳を握りながら内心で叫ぶ。
会ったこともない去年の作曲者には悪いが、感情的に盛り上がっているからこそ、これが正しい音楽とは思えない。
(ただのドラッグやないか! 歌詞だってそれっぽい単語を並べただけや!
私は、私はこんなの……!)
それでも、現実に観客は喜んでいる。
自分の新曲は、この半分でも聞く人を動かすことができるのだろうか……。
(って、何を弱気になってるんや!)
(半分どころか、これに勝たな意味ないやろ! そうでないと予選を突破できひん……)
(大丈夫! 本当に良い音楽は、必ず聞く人の心を打つはず!)
唇をかんでいる夕理を、つかさがじっと見つめている。
駄目だった時に慰める方法を考えながら。
曲が終わった後も、しばらく会場の拍手と歓声は続いた。
立火が軽く手を上げ、ようやく空気が静まってくる。
「みんな、ほんまにありがとう! それでは次が最後の曲や!」
ええ~~、という館内の声が心地よい。
ここまでは、観客の心をきちんと掴めている。
だが去年の曲でいくら掴んでも、前に進んだことにはならないのだ。
『もっと聞きたいでーす!』
「おおきに、気持ちは嬉しいで! 続きは来月のラブライブでってことで、今日はこの曲で締めや!」
夕理とつかさが舞台に戻る中、立火の言葉が少し詰まる。
あかん、と脳内の立火が自分にビンタを張る。曲名を言うのが恥ずかしいと、一瞬思ってしまった。
(後輩が頑張って作った曲やろ! それでも部長か!)
すぐに躊躇を払い、意識的に大きな声で言った。
「”若葉の露に映りて ~growing mind~”!」
何人かの生徒たちが『は?』という顔をする。
すぐに曲が流れ出す。
クラシックか合唱コンクールかというような、意識の高い旋律。
腕を振り上げていた観客が、戸惑うようにその手を下す。
『若葉の頃 心かすかに芽吹きて
留まる露に 我と我が身を映す』
昔の歌人のような歌詞が、体育館を流れていく。
パフォーマンスを始めながらも、最も客席を気にしていたのは夕理だった。
観客たちはしん……としている。
それ自体は別に問題はない。質の高い芸術を目指した曲だ。騒ぐようなものではない、けど……
(それにしても、反応薄すぎとちゃうか……)
姫水の歌とダンスは完璧で、一年六組の生徒などは感激に目を潤ませている。
その意味では、全く反応がないわけではない。
だがあれは曲への反応ではなく、姫水のことが好きなだけだ。
曲は中盤に差し掛かり、夕理の不安は増大していく。
ちらりと見えた小都子の顔が、少し焦って見えたのは錯覚だろうか。
ここの一節、改良に改良を重ねて自信もあったのだけれど、観客の反応は特に変わらない……。
(き、きっと聞き入ってるんや!)
(あの目を閉じてる人は、別に寝てるわけやなくて、真剣に聞いてるだけで)
(みんなが無表情なのは、笑うような曲ではないからで――)
自分に言い聞かせながら、練習通りのステップを踏む。
もっとライブに集中しようと、今さらながらに思い直す。決して反応が怖くなったのではなく、そもそも気にするのが良くないと、視線を外そうとしたその瞬間……
夕理の目に、客席の一隅が映った。
そこにいる女生徒は。わざわざライブに足を運んだ、ファンであるはずのその子は。
ステージから少し目を外しながら、小さく口を開けて。
あくびを、していた――。
夕理の視界がガクンと下がる。
自分の歌声は止まり、代わりに小さく叫んだ気がする。
両手を床についたのと、足がもつれ転んだことを認識したのは同時だった。
(え……)
愕然として床を見ている夕理に、立火が跳ぶように駆け寄ってきた。
小都子の体も動きかけるが、タイミング悪く自分のソロパートのため何もできない。
歌いながら視界の隅で、部長が夕理の傍にしゃがみ込むのを見ているしかない。
「夕理! 大丈夫か!?」
「は……い」
「怪我は!? 足くじいたりしてへん!?」
「大丈夫……です、ただ転んだだけで……」
ひゅ、と変な息が漏れる。ただ転んだだけ?
取り返しのつかない失態――!
呼吸が苦しくなり、手が震える夕理の肩を、立火がぽんぽんと叩く。
「こんなのよくあることや。座って休んでてええで」
「い……いえ、でも、そんな……」
立火が歌うはずだったパートを、桜夜が歌う声が聞こえる。
こうしている間もライブは続き、自分のせいで立火が拘束されている。
また転んだらもう救いようがない。大人しく引き下がるべきだ。
「いえ――」
それが分かっているのに、反射的に夕理は立火の目を見た。
皆がライブを続ける中で、失敗した自分一人が座っている光景を想像する。
そんなの、許容できるわけがない!
「まだやれます! やらせてください!」
「……分かった。根性見せたれ!」
二人が立ち上がる前に、姫水が立火の斜め後ろから飛び出し、前のセンター位置で踊り始めた。
(姫水!? 何で後ろにおったんや)
もっと前からセンターにいなければならないはずだ。
さすがの姫水も混乱するほど、酷い状況ということか。
それでも何とか立て直そうと、立火と夕理はタイミングを見てライブに復帰するが……
既に曲は終盤に差し掛かっていた。
* * *
(夕理!?)
つかさの目の前で、夕理が床に倒れた瞬間。
何が起きたか理解できなかった。だって自分と違って真面目に練習していて、一番熱心な夕理が、どうして!?
すぐに部長が駆け寄り、何かを話しているが、自分は何をすればよいのだ。
初ライブでの重大トラブルに、いくら器用なつかさでも逡巡し、動きが止まる。
その時だった――
「彩谷さん」
耳元で綺麗な声が小さく響いた。
つかさの左肩と右腕に、優しい感覚が触れる。
「ここは先輩に任せて、あなたはライブを続けて」
「え――あ」
ここにいるはずのない姫水が、つかさの体を動かした。
背後から手を添えて、社交ダンスのように床の上を動き、所定の位置までつかさを連れて行く。
添えた右手を軽く繋ぎ、姫水はつかさの前面に出ると、くるりと踊るようにこちらへ振り向いた。
(藤上――さん)
まだ動けずにいるつかさに向かって、姫水は優しく微笑んだ。
大丈夫、と安心させるように。
二人の手は離れ、すぐに姫水はセンターへ戻っていく。
それからのことは、つかさはよく覚えていない。
そんなに真剣ではなかった練習だが、それでも身についていた記憶を頼りに、自動人形のように歌い踊り続けた。
何が起きたのか、まだよく理解できないままに――。
* * *
パチパチパチ……
観客も拍手していいのか困っている風で、互いに顔を見合わせている。
「以上、若葉の露に映りてでした!」
空元気でも、立火はとにかく声を張り上げた。
「ま、少しトチったところもあったけど、ご愛嬌ご愛嬌!
まだ始めたばかりの一年生なんや、温かい目で見たってや!」
拍手の音が少し大きくなる。
真っ青になっている夕理を、小都子が心配そうに横目で見ている。
桜夜は最後まで笑顔でいようと試みるが、上手く笑えていない。
そんな中で、夕理が一歩前に進み出た。
「わ、私からも一言いいですか……」
「お、何か言いたい? ええでええで」
努めて平常通りにしようとする立火の前で、夕理はマイクを入れて、生徒たちに深々と頭を下げる。
「き、今日はほんまに済みませんでした!
もっともっと練習して、二度とこんなことがないようにします!」
皮肉なことに、今日一番の拍手が夕理に送られた。
暖かい住女生たちが、口々に慰めと励ましの言葉を送る。
「ドンマイー!」
「頑張れー!」
夕理の呼吸がなお苦しくなる。こんな声援が欲しいわけじゃなかった。
顔を上げると、先ほどあくびをしていた人が、笑顔で手を叩いていた。
あの人にとっては夕理の曲よりも、夕理が転んだことの方に心を動かされたのだ……。
* * *
(夕理……)
憔悴しきった彼女が、小都子に連れられて体育用具室に入っていく。
立火も何かしたいが、今は小都子に任せるしかない。
「アンケートにご協力お願いしまーす!」
「ネットでも受け付けてまーす!」
花歩と勇魚もショックだったろうに、気丈に自分たちの仕事をしてくれている。
次々と体育館を出ていく生徒たちを見ながら、立火はつい祈ってしまった。
アンケート、あまり厳しいことを書かれませんようにと……。
「おいこら立火!」
「ん?」
考え込んでいる立火に、舞台を叩いて注意を向けさせたのは景子だった。
「姫水ちゃんに何曲やらせてんねん! 酷使するな言うたやろ!」
「してへんって! こいつ、どんな曲でもすぐ覚えられんねん」
「そうですよ、福家先輩」
いつもと変わらない様子の姫水が、舞台から降りてくる。
「練習量は普通ですし、先輩たちは優しいですよ」
「ほんまにー? 立火にイジメられたらすぐ私に言うんやで?」
「人聞きの悪い……」
「あ、せっかくやからこのTシャツにサインしてもらえる? 『景子先輩へ(ハート)』って追記して」
「お前が酷使してるやんけ!」
「立火せんぱーい! 写真撮らせてくださーい!」
一年生のファンたちが駆け寄ってきたので、立火もファンサービスに移らざるを得なかった。
桜夜もノリノリで撮影会に応じている。
姫水の前にサイン待ちの列ができる中、つかさの友達が何人かきょろきょろして、近くにいた晴に質問した。
「あのー、つかさはどこかへ行きました?」
「そういえば、さっきから見かけへんな。トイレやろか」
小耳に挟んだ姫水が、サインを書きながら少しだけ眉をひそめる。
(お手洗いに行くなら一言伝えるべきでしょうに。いい加減な人ね……)
* * *
(やばいやばいやばいやばいやばい!)
ライブが終わるやいなや、こっそり抜け出したつかさが向かったのはトイレではなく。
体育館の裏で、真っ赤になった顔を必死に押さえていた。
(何これ何これ何これ!)
(藤上さん……藤上さん、藤上さんっ……!)
彼女が、助けてくれた――。
心臓の早鐘が止まらない。
気を落ち着けようとしても、その度にあの綺麗な声が脳裏によみがえる。
『彩谷さん』
全員の意識が夕理と立火に向く中、世界で二人だけ、姫水とつかさの間だけで交わされた会話。
助けてくれた事実が、自分一人だけに微笑んだ表情が、強烈に心に焼き付いている。
まるで王女様であると同時に王子様みたいな……。
(いやいやいや! 何を乙女みたいなこと考えてんねん!)
(あたしそんなキャラとちゃうやろ!? もっと擦れてて、恋とか愛とかどこか軽く見てて……)
なのに今は、彼女のことで頭が埋め尽くされている。
今まで目を背けながら、少しずつ積み重なっていたものが、とうとう爆発した感じだった。
その場にしゃがみ込み、自己嫌悪が口をついて出る。
「あたし何しとんねん……夕理が大変な時に……」
夕理と出会ってから三年、あの子がここまでのピンチに陥ったのは初めてだった。
小都子がついているとはいえ、つかさだって友達として、何かできることはあるはずだ。
なのに藤上姫水なんかに心を奪われて、こんなところで悶々としているなんて……。
自分に腹が立つが、今はどうにもできない。
とにかく、胸の高鳴りが収まってくれるのを待つしかなかった。