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「すみません……すみません……」
「夕理ちゃん……」

 閉め切った体育用具室内。
 畳んだマットの上でうわ言のように謝っている夕理に、小都子は言葉を失っていた。
 とはいえ、何かは言わないといけない。

「あ、明日があるから。ね? 明日しっかりやれば、今日のことは取り返せるから」
「ライブは一期一会です。明日どうなろうと、今日の観客には関係ありません……」
「ま、まあ、そうなんやけど……」
「それにきっと明日の客も、最後の曲には同じ反応をする……」

 その言葉で、転倒の理由を小都子も察する。
 そうでなければ、練習熱心なこの子がミスをするはずがないのだ。

「ごめんなさい小都子先輩。私の曲は敗北しました。
 あんなに手伝っていただいたのに。
 誰の心も掴めませんでした」
「だ、誰もは言い過ぎとちゃうかな。内心で感動してた人もいたかもやろ、ね?」
「あくびをしている人がいました……」
「え……そ、そう……」
「私に音楽の才能なんて全然なかった……」

 会場の冷めっぷりは、確かに小都子もショックだった。
 もう少し受け入れてもらえると思っていた。
 転んだおかげで同情されて良かったとすら言える。
 あの空気のままトラブルなく終わっていたら、一体どうなっていたのだろう。

(私はどうしたらええんや……)

 抱きしめて慰めてあげればいいのか、厳しく叱咤激励すればいいのか。
 迷ったが、この誇り高い子が、慰めを求めているとは思えなかった。

「夕理ちゃん、少し高望みしすぎや」

 心を鬼にして、小都子は敢えてそう言った。

「先輩……」
「誰かの心を動かすために、みんなみんな苦労してるんや。
 作曲家に限らず、アイドルでも、女優さんでも、芸人さんでも!」
「………」
「けれどそんなことが簡単にできるなら、世の中にはもっとヒット作品が溢れてる。
 実際はプロでもなかなか上手くいかなくて、四苦八苦してるんやないの。
 あなたはまだ部活を始めたばかりの一年生なんや。これから頑張って成長……」
「分かってます……。泣きごとを言う前に、もっと努力せなあかんのは分かってます!」

 失敗したか、と小都子に思わせるほど、夕理の声は苦衷に満ちていた。

「でも私、もうどんな曲を書いたらいいのか分からへん!
 あの曲は私の全身全霊で、今の私の全てでした。
 それが駄目なら、この先は何を書けばいいんですか!?」
「それは……」

 晴との会話が思い出される。
 彼女の言うように、世間受けする曲を書かせた方がいいのかもしれない。
 結果的にその方が、夕理は皆から称賛されて、幸せになれるのかもしれない。

 けれど同時に、姫水との会話も追想される。
 仕事でもないのに、書きたくもない曲を書いて何の意味があるのだろう。
 それが本当に、夕理が望むことなのだろうか。

 結局迷いを抱えながら、小都子は晴の頼みを拒絶した。

「夕理ちゃんの書きたい曲でええんよ……。
 私たちは、スクールアイドルなんやから」


 *   *   *


「今日はほんま助かった! 明日もよろしく頼むで!」
「は、はい。それはええんですけど……」

 客も帰り、関係者だけが残った体育館で、助っ人三人は体育用具室に目を向ける。

「あの子、大丈夫ですかね?」
「だ、大丈夫やって。小都子がついてんねんから」
「そうですね、小都子なら……。では、私たちは失礼します」
「お疲れ様!」

 かつての部員たちは帰り、現部員たちだけが残る。
 掃除をしようと各人がモップを手にしていると、体育館脇の入口から、つかさが恐る恐る顔を出した。
 近くにいた立火にあっさりと見つかる。

「つかさ? どこ行ってたんや」
「す、すみません。ちょっと野暮用で……あはは」
「まあ生理現象はしゃあないけど、次は事前に済ませとくんやで」
(うう……トイレと思われてる……)

 だが事実がバレるくらいなら、そう思われた方がよほどマシだった。
 同じ部の女の子にときめいて悶えてました、なんて知られたらもう生きていけない。
 まして姫水本人にバレたら、確実に気持ち悪い奴と思われて……

「立火先輩、このモップ壊れてるみたいです」
「!!!」

 いきなり当の本人が、立火に話しかけてきた。
 反射的に、つかさの首が90度回転し、姫水を視界から外す。

「………」
(やっばあ……露骨に顔、背けちゃった……)

 姫水はもちろん、立火からも不審の目で見られている気がする。
 だが現状どうしようもない。とてもではないが、まともに姫水の顔を見られない。
 つかさは逃げるように掃除用具入れの方へ行き、後には姫水の前に、ただ顔を背けられたという事実だけが残った。

(彩谷さん、何か怒ってる?)
(天名さんを助けたかったのに、私が邪魔したから?)
(あの状況では仕方ないじゃない……まあ、私が嫌いならそれでもいいけど)

 もう興味もないように、立火とモップの話をしようとした時だった。

「夕ちゃん!」

 体育館内に勇魚の声が響く。
 用具室から、小都子に付き添われ、震えながら夕理が出てきた。
 全力のダッシュで近づいた勇魚が、泣きそうな目で夕理を覗き込む。

「夕ちゃん、大丈夫!? 元気!?」
「大丈夫やけど、元気なわけないやろ……」
「えっと、ほら、ラブライブ本番でなくて良かったやん! 本番やったら公式動画で一般公開されるとこやったで!」
「え、ラブライブってそうなの?」

 脅えて尋ねる花歩に、晴が横から実例を挙げる。

「前回の北海道予選で、優勝候補の一人がさっきの夕理以上に盛大に転んだ」
「そ、その動画が全世界に公開を? ひどくないですか?」
「甲子園のエラーだって、映像から削除してもらえるなんてことはないやろ」
「それはまあ、そうかもですが……」

 ラブライブの恐ろしさに、花歩まですっかり暗い顔だ。
 そんな事もあった、と思い出しながら、立火が晴に聞く。

「あの人、その後どうしてるんやろ」
「新しいグループで続けているみたいですよ」
「はー。さすが試される北の大地のお人、根性あるんやな」
「北の大地関係あります?」
「いや何となくのイメージで」

 などと雑談してみたが、夕理の血の気のなさは変わらない。
 良くない雰囲気に、立火は打ち消すように両手を鳴らした。

「そんなお通夜みたいにせえへんでも!
 四曲中三曲は何の問題もなかったんや。
 つまりライブ全体としては成功や言うても過言ではないと……」
「立火先輩、それはつまり」

 と、姫水が落ち着いた声で割り込んでくる。

「四曲目は失敗だったと、部長として判断されるということですね」
「え? い、いやあ~……それは……」
「取り繕っている場合ではないでしょう」
「ま、まあ……転んだことは別にしても、あまり反応は良くなかったかな……」
「やっぱり、そうですよね」

 姫水は壊れたモップを脇に置き、部員たちに頭を下げる。

「センターである私の責任です。申し訳ありません」
「ち、ちゃうっ……! どう考えても曲のせいやろ!」

 夕理が上げた声は悲鳴に近かった。

「藤上さんでも覆せないくらい、曲に魅力が足らんかっただけや!
 全ては私に才能がなかったから!
 その上転んでぶち壊しにして、デビューの日やったのに、こんな事になってごめん……」
「天名さん」
「スクールアイドルを嫌いにならないで……」
「ま、まあまあまあ! 犯人探しなんてしてもしゃあないやろ!」
「いや、責任は追及すべきですよ」

 フォローしようとする立火に、厳しく言うのは例によって晴である。
 また一年生がいじめられるのかと立火は身構えたが、指弾が向いたのは自分の方だった。

「撮影していた限り、姫水は十分よくやっていました。
 問題があったのは三年生のお二人です」
「私たち!?」

 立火と、先ほどから不機嫌そうに押し黙っている桜夜の体がびくりと動く。

「練習の時より悪かったですね。
 直前の灼熱が盛り上がったから、それとの温度差にやられたんとちゃいますか。
 部長はやり辛そうでしたし、桜夜先輩は――」

 全員の目が桜夜に向く。
 本人がモップを持って床を見ている中、晴が容赦なく切り捨てる。

「嫌々やっているのがにじみ出ていました。あれでは観客にも伝わります」
「そ、そうやったんか~。
 みんな申し訳ない、この通り! 明日はしっかりやるから!」

 両手を合わせ、ぺこぺこと謝る立火。
 反省は必要だが、それでもこの結果の方がいい。
 一年生が自分を責める姿を見るくらいなら、立火自身が非難される方がよほどマシだ。

「ほら桜夜も謝って!」
「まあ、悪かったとは思うけど……」

 不満そうに口をとがらせていた桜夜だが……
 とうとう限界を越えたように、モップを放り出して大声で怒鳴った。

「でもしゃあないやろ! 私、夕理の曲嫌いやねん!!」
「ちょっ、お前ぇぇぇ!!」

 もはやフォローしきれなくなり、立火は感情のまま絶叫するしかない。

「アホか!? それを言うたらお終いやろ!」
「ならどないせい言うねん! 嫌いなものを好きな振りしたらええの!?」
「さーくーやー先輩~~!!」

 珍しく激怒した小都子が、桜夜の頬をつねり上げる。

「あなたという人はっ! 夕理ちゃんが落ち込んでる時に、気を遣ってあげることもできひんのですか!?」
「いひゃひゃひゃ、いひゃい! 暴力反対!」
「やめてください小都子先輩。結果を見れば、正しかったのは木ノ川先輩の方でした」

 静かに声を上げた夕理が、部長の前に進み出る。
 その体はもう震えてはいない。
 代わりに、切腹を覚悟した武士のような顔をしていた。

「今まで偉そうに他人を批判してきた私です。自分の時だけ免れようとは思いません。
 どんな処分も受け入れます。
 セットリストからあの曲を外していただいて構いませんし、私自身を外しても……」
「ま、まあ落ち着け! 場当たり的な対応をしてもしゃあない。
 明日の予定に変更はない! ええな!」
「……はい……」

 花歩と勇魚が、困ったように顔を見合わせている。
 つかさは先ほどから明後日の方を向いている。
 雰囲気の改善を諦めた部長は、時計を見て呟くように言った。

「そろそろ体育館を閉めなあかん。みんな、掃除続けるで……」


 暗い空気の中、その日の部活は終了した。
 終わり際、明日の午前中に何とかしよう!と立火は皆に言ったが、何とかなるのかどうか……。
 三々五々帰っていく部員を見ながら、立火が相方に声をかける。

「桜夜、泊まってく?」
「せやな……」

 それを聞いた小都子が、歩いていく夕理の背中に目を向ける。

(夕理ちゃんの家に泊まりたいけど、いきなり押しかけるのも迷惑やろな……)
(というか夕理ちゃん、家の話は全然せえへんけど)
(ご両親とは上手くいってるんやろか……)

 踏み込めるほどの厚かましさはなく、そのまま後輩を見送るしかなかった。


 *   *   *


 桜夜が立火の家に行ったので、駅へ向かうのは弁天組の二人だけだ。

(う……あたし、この状態の夕理と一緒に帰るのか……)

 思いつめた表情の夕理に、つかさの気分も重い。
 とはいえ、先ほど何もできなかった罪悪感もあり、どう励まそうかと考えていたが……
 その先を制するように、夕理から口を開いた。

「私、晩ご飯の買い物してから帰るね」
「え!? あ、そ、そう?」
「今日はほんまにごめん。また明日」
「あ、うん……」

 夕理が走っていく商業施設には、しかし入っているのは百円ショップくらいで、夕食の買い物をする場所ではない。
 気を遣わせてしまった。
 あまりに情けなくて、腹立ちまぎれに近くの柱を蹴った。

(あたしマジで何やってんの!?)


 一方で長居組の三人は、バスの中で花歩がヘタレていた。

「私もう一生補欠でいい……」
「ちょっ、花ちゃん!」
「だって! あんなん自分に起こったら無理や! 絶対立ち直れへん!」

 輝くステージに立てば、自分も特別になれると思っていた。
 だがそのステージでは、魔物が牙をむくこともあるのだ。
 誰よりも練習していた夕理が、あんなことになるなんて……。

「花歩ちゃん、逃げていたら何も変わらないわよ」

 そう正論を吐く姫水だが、正論すぎて花歩には何も響かない。
 代わりに反対側の座席から、勇魚が諭すように言う。

「ねえ花ちゃん。夕ちゃんはスクールアイドルが大好きなんやと思う」
「う、うん。それは知ってるけど」
「そんな夕ちゃんが、自分の失敗のせいで花歩ちゃんの夢が挫けたって知ったら、きっと悲しむと思うねん!」
「う……」

 夢なんて大げさなものではないが、確かに夕理や北海道の人を言い訳にしているだけの気もする。
 花歩は反省すると、バスの座席で居ずまいを正した。

「せやね。私の未来の心配より、まず夕理ちゃんの心配やな……」
「うんっ。明日どう励ますか考えとこ!」
「さすがは勇魚ちゃんね」

 満足そうに微笑んでいる姫水に、冷静になった花歩は少し違和感を持つ。
 自分のセンター曲が失敗に終わったのに、やけに平然としているのだ。
 迷ったが、彼女なら怒らないだろうと聞いてみた。

「姫水ちゃんは、割と平気そうなんやね」
「ああ――うん」

 さっと笑顔を引っ込め、代わりに姫水が貼りつけたのは苦笑いだった。

「私が去年出たドラマ、それはもう酷い叩かれようだったから。
 それに比べたら、今日の反応なんてまだ良い方よ」
「そっかー。さすが修羅場をくぐってるんやねえ」

(……ごめんなさい、花歩ちゃん)

 嘘である。単に現実感がないだけだ。
 センター曲が不評だろうが、夕理が転ぼうが、つかさにどう思われようが、姫水には遠い世界の出来事でしかない。
 ライブをすれば何か変わるかと思ったけど、病状に変化はなかった。
 このまま、スクールアイドルを続けて改善するのだろうか……。
 そんな姫水を、勇魚が心配そうに見つめている。


 *   *   *


 何本か遅らせた電車で夕理が帰宅すると、家の鍵が開いていた。
 こんな時に、と、元から暗い気分がなお暗くなる。
 開け放した部屋を覗くと、鏡台の前で母が化粧をしている。

「……いたんや」
「またすぐに出てくけど」

 久しぶりに会った親は、こちらを向きもせず鏡越しに尋ねた。

「あんた、成績はどうなんや」
「……中間テストは再来週」
「そう。高校では少しは上手くやれてるの?」
「――っ!」

 よりによって今日それを聞くのか。
 直接は答えられず、憎まれ口を叩く選択肢しかなかった。

「か、関係ないやろ! どうせ私のことなんて興味ないくせに……!」

 母は化粧を終え、道具を片付ける。
 そうして玄関に向かう途中、吐き捨てるように言った。

「ほんまに可愛くない子」

 玄関の戸が開閉する音を聞きながら、娘はその場に立ち尽くす。
 可愛くない子。可愛げのない子。
 母だけでなく父もそう言うから、それは事実なのだろう。
 自分が誰からも愛されないことも、その原因が自分の性格であって、誰を恨みようもないことも、小学生の頃には自覚していた。
 今まではそれでも問題なかったのに……

(何でよりによって、スクールアイドルを選んでしまったんやろ)

 スポーツは点を取れば勝てる。芸術は技術があれば勝てる。
 でもスクールアイドルだけは、ファンから愛されなければ何の価値もない。
 そんな夕理とは相性最悪の種目を、なぜ好きになり、入部してしまったんだろう……。

 足を引きずるようにして、台所に向かう。
 お手伝いさんは三月末で解約されてしまった。
 高校生なら自炊くらいして当然と思うので、それは別に構わない。
 でも、こんな風にダメージを負ったまま料理をする状況は、想定していなかった。

 玄関のチャイムが鳴った。
 再び足を引きずるように、インターホンへ向かう。

『あたしやけど……』
「つかさ!?」



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