応援合戦では上機嫌だった花歩だが、続く二人三脚で四位に沈んでしまい、陣地で溜息をつく。
「ごめん、勇魚ちゃんの足引っ張って……」
「何言うてるんや! 順位よりも、花ちゃんと息が合ったことの方が嬉しいで!」
「ううっ、私に合わせてくれてありがとう」
「あ、次もうちの出番や。行ってくる!」
「た、大変やね~。無理しないで」
花歩の心配をよそに、勇魚はまだまだ元気一杯だ。
しばらくして、次の競技のアナウンスが入る。
『続いてはお待ちかねの部活対抗リレー!
参加する21の部活のうち、まずは10組から!
ユニフォームはもちろん、バトンもそれぞれ個性的です!』
バレーボール、バスケットボール、新体操のリボン、書道の筆などなど……。
バトン代わりの用具を持つ面々の中、小都子も仕事から解放されスタートラインに立っていた。
(今日走れるのはこれだけやし、思いっきり走るで!)
その衣装こそアイドルのものだが、右手にあるのは普通のバトンだ。
石膏像を抱えた忍が怪訝そうに尋ねる。
「去年はマイク使てたやん。今年は普通やね」
「マイクはほら、向こう側にね」
小都子が指す方向――校庭の反対側では、第二走者の桜夜が確かにマイクを持っている。
「ふーん、何か企んでるみたいやな」
「滑らなければええんやけどねえ……不安で胃が痛い」
「絶対ウケますよ、小都子先輩!」
と、元気づける勇魚は今はボランティア部員だ。
両手には女の子と狼の人形をはめている。
「それはボランティアで使たん?」
「はいっ、保育園で! みんな喜んでくれました!」
「それは良かったねぇ。それにひきかえ忍は大変そうやな」
「見た目ほどは重ないけど、落としたら一発で粉々やな……」
ギリシャ人の首をしっかり持ち直したところで、いよいよスタートである。
パァン!
『先頭はバレー部! さすが鍛えられています!
ボランティア部も結構速いで!
バスケ部は遅れています! やはりドリブルしながらは辛いか!』
スクールアイドル部は中位集団。何とか前に出ようとする小都子を、桜夜が必死で応援する。
「抜くんやー! 小都子は可愛いからいけるー!」
「桜夜ちゃん、先に行かせてもらうね」
「え? うん」
まだランナーは少し遠いのに、友達の恵が少し横に離れる。
それと同時に……
「恵先輩!」
先頭を走っていたバレー部の二年生が、ボールを浮かせてジャンプサーブを放つ。
鋭い音とともに飛来したボールを、恵が綺麗にレシーブ。
それを走者がトスの形で取り、そのまま手渡してリレーを繋いだ。
見事な技に、観客から拍手が沸き起こる。
(くそっ、やるやないかバレー部。けど、最後に会場を沸かせるのはこっちや!)
悔しがる桜夜だが、人形を手に一生懸命走ってくる勇魚の姿に心を和ませる。
そのボランティア部が人形の着脱に手間取っている間に、小都子が五位で到着した。
「お願いします!」
「そっちもやで!」
桜夜へバトンが受け渡されると同時に、小都子へはマイクが渡される。
走り去る先輩に背を向け、小都子はトラックの内側に移動した。
(や……やるしかないんや!)
実行委員長の許可は取ってある。まあ丸投げされたので自分が処理したのだが……。
覚悟を決めて、マイクのスイッチを入れる。
「♪なんてったってー アーイードールー」
『おお!? 走り終えた橘さん、その場で歌い始めました! これは一体……』
「♪私はアイドルー」
『し、昭和や! これは昭和のアイドル運動会!』
放送部員の的確な表現の通り、古いアイドルソングをBGMに選手たちは走っていく。
生徒たちの目には、小都子が画面右下のワイプで歌っているように見えた。
響く笑い声と歓声に、ステップを踏みながらほっと安堵する。
(よ、良かったぁ。ウケたみたいや……)
それにしても恥ずかしいが、アイドルなのだから仕方ない。
発案した晴もやればいいのに……と恨みがましい目を向けるも、本人は平然と撮影している。
その間に桜夜が校庭を半周し、小都子は歌声をフェードアウトさせた。
「♪赤いスイートピー~」
マイクを受け取った桜夜が歌う中、第三走者の姫水は速度を上げていく。
『先頭は変わらずバレー部!
ボランティア部はどんどん抜かされています。速かったのは最初の子だけのようだ!
新体操部が二位に浮上!
おっと、藤上さんが水泳部を抜いたで! スクールアイドル部が三位です!』
クラスの勝敗とは関係ないのに、走者が姫水とあって六組の陣地からは大歓声が飛ぶ。
それを受け、姫水は新体操部との差を縮めて、アンカーの立火へバトンを繋いだ。
「お願いします」
「良くやった!」
先行する景子を追って、立火が猛然と飛び出す。
そしてマイクのスイッチを入れた姫水は……
(昭和もいいけど、曲を知らなくて乗れない人もいるでしょうし)
時代を平成に切り替え、メジャー曲を歌い始めた。
「♪恋する~ フォーチュンクッキー~」
(ちょっ、それAKB何とかやろ!? 大阪なんやからNMB何とかにしてや!)
走りながらの立火は内心で愚痴る。もっとも立火自身は一曲も知らないのだが。
とはいえ知名度の高い歌に、観客は一層盛り上がり、立火もそれを背に全力で走る。
後はレオタード姿の景子と一騎打ちだ!
(100m走と違て、今回は部のみんなが繋いでくれたバトンや)
(必死で走るだけやなくて、勝たなあかん!)
だが、懸命に足を動かしても、相手との距離は縮まらない。
純運動部員に勝てるわけがない、という争奪戦の時の言葉を思い出す。
あの時と違って景子に油断はなく、工夫や根性の余地もなく、部員たちの助けもなく……
「部長ー! ファイトですー!」
花歩の応援も空しく、ゴールの時には逆に距離を広げられていた。
リボンを舞わせて観客にアピールする景子の後ろで、全体力を費やした立火は地面に崩れ落ちる。
『二位は新体操部!
スクールアイドル部は三位です! 運動部と互角に渡り合うアイドルというのも、なかなか大したものではないでしょうか!』
放送部員が同情的なことを言ってくれているが、自分の無力に地面を叩く。
姫水は運動部員に勝ったのに……。
(くそ……不甲斐ない部長やな……)
そんな立火を景子が見下ろしている。
争奪戦の借りを返した形になるが、口にしたのは別の言葉だった。
「立火は歌わへんの?」
「いやいや、終わった後まで歌ったらさすがに私物化やろ」
「アホ、うちの生徒はそんなん気にせえへんわ」
『アンコール! アンコール!』
既に姫水の歌は終わり、校庭中から四曲目を求める声が響いている。
笑顔の桜夜がマイクを差し出した。
「ほら立火。リーダーが歌わな話にならんやろ」
「……ったく。加減を知らない連中やな」
受け取った立火は、力を振り絞って立ち上がる。
たとえ走力で負けても、スクールアイドルにはまだできることがあるのだ。
第二グループの部員がスタートラインに並ぶ中、マイク越しの声が校庭に響いた。
「ほなBGM代わりに!
おなじみの曲で行くで! 『学園天国』!」
* * *
『ただ今の順位を発表します。
一位は六組、二位は一組、三位は五組……』
(はあ……あんまり貢献できひんかった)
玉入れを終えた夕理は、とぼとぼと陣地に戻ろうとする。
と、いきなり近づいてきたのは、仲の悪い先輩である。
「夕理~、何個入れた? 私は五個」
無視したいが、今日はほとんど他人と会話してない。
先日のUSJとの落差に、こんな先輩でもいいかと答えてしまう。
「四個です」
「勝ったあああ! これで上下関係がはっきりしたやろ!
今後は玉入れ先輩と呼んで、しっかりと敬うんやで」
「『頭がイレギュラーな先輩』の略ですか」
「意味わからんわ!」
続く綱引きも負けて、二組は見事に最下位である。
陣地の雰囲気も暗いが、しかし五位の三組との差は大差ではない。最後の競技で巻き返せる可能性はある。
それは三組も同じで、何としても逃げ切るつもりだった。
「お願い勇魚ちゃん、最下位は嫌や~」
「任せて! みんなのために頑張るで!」
『最終種目、クラス対抗リレーを始めます。選手の方は集合場所へ……』
放送を聞いて駆けていく勇魚を見送り、花歩は溜息をつく。
(はあ、勇魚ちゃんは点取ってるのに、私たちは情けないなあ)
(でも、リレーは強い人揃えたからいけるはず!)
(勇魚ちゃん、自分のために頑張ってもええんやで……)
「花歩ちゃん」
と、小声で呼ばれ我に返ると、目の前に姫水が来ている。
あまりに近い距離に、花歩も思わず声量を落とした。
「姫水ちゃん、リレーの選手やろ? 行かなくてええの?」
「お願い。勇魚ちゃんが何番目に走るか教えて」
「ええ!? 堂々とスパイ!?」
「この通り、友達のよしみで。どうしても知りたいの」
深々と頭を下げる姫水に、花歩もただならぬものを感じる。
姫水が必死になるのは、勇魚のためと決まっているのだ。
「……四番目。一二三一二三の学年順で走るから」
「ありがとう。このお礼は必ず」
姫水は短く言って、大急ぎで六組のリレー選手たちと合流した。
そこで再び深々と頭を下げ、何かを頼んでいる。
それを遠くに見ながら、花歩も何となく想像はついた。
(姫水ちゃん、もしかして……)
内心で呟く花歩の耳を、放送の声が打つ。
『綱引きで勝利した五組が二位に上がりました!
リレーの結果次第では逆転優勝もあり得ます。六組は逃げ切れるか!?』
* * *
「姫ちゃん、なんで――」
六人の第四走者の中で、勇魚は信じられない思いで、六組の選手を見つめていた。
花歩を除くWestaの面々も、並ぶ二人を驚きの目で見る。
「勇魚ちゃん、勝負しましょう」
「え、で、でも」
現実を受け止められず、勇魚は口ごもる。
幼稚園でも小学校でも、姫水と直接対決したことはない。
何となくそういう運命なのだと、すっかり油断していた。
「無理を言って並び順を変わってもらったの。勇魚ちゃんと同じ順番に」
「ええ!? な、何でや! うちのこと嫌いになったん!?」
「何でそうなるのよ。好きな人と真剣勝負をしたいと思うのは当然でしょう」
「う、うちには分からへん……」
「手を抜いたりしないでね。お願い」
「姫ちゃん……」
姫水はそれ以上語らず、構えている第一走者たちを黙って見守る。
バレずに手を抜くような器用さは、勇魚は最初から持ち合わせていない。
だから毎回後ろめたさを覚えつつも、全力で走って一位を取っていた。
でも、相手が姫水では別だ。
自分が勝ってしまっていいのだろうか。いや勝てるとは思わないけど、万一そうなったら……
パン!
ピストルの音にびくりとする。歓声とともにレースは始まってしまった。
前の三人が走り終える間に、結論を出さなければならない。
(みんな、姫ちゃんのこと完璧って思ってる)
(なのにうちなんかに負けたら、きっとみんなガッカリする)
(姫ちゃんの評判が下がってまうかも……)
第二走者にバトンが渡る。
姫水の六組は二位、勇魚の三組は三位だ。
(い、いや、大事なのは姫ちゃんの気持ちや!)
(とにかく真剣勝負すれば喜んでくれるなら、それでええやん!)
(姫ちゃんが望むことなら、うちは何だって……)
第三走者へのリレーで、先頭の一組がバトンを取り落とした。
一位が入れ替わって六組、二位は三組の状態で、勇魚たちへ向かって激走してくる。
よりにもよって一番目立つ状況!
(ああ、でも)
(それがあかんから、うちはWestaに入ったはずや)
(いつもいつも姫ちゃんの影にいないで、主役にならなって……)
『うちは、姫ちゃんと対等になりたい』
口で言うだけなら簡単。
本当に実現できるのかを、試せということなのだ。
「勇魚ちゃん」
名前を呼んで、風のように姫水は走り出した。
いつの間にか、その手にはバトンが握られている。
自分の方も、無意識に伸ばしていた手にバトンが叩きつけられる。
「お願い!」
「はいっ!」
三年生の先輩に答えて、勇魚はとにかく走り出した。
自分は勝ちたいのか、それとも負けたいのか。
分からないまま、全力で手足を回転させる。
「勇魚ちゃあああん! 走れーーー!!」
今日一番の大声で、花歩は絶叫した。
三組の勝敗はもうどうでも良くて、ただ、勇魚に勝ってほしかった。
姫水には悪いけれど、彼女はいつだって主役になれる。
でも勇魚が主役になるのは、体育祭の今日この日が、数少ないチャンスなのだ!
(藤上さん、頑張れっ……!)
一方のつかさも、心の中で必死に祈っていた。
優勝を争っている五組の陣地で、姫水を応援なんてしたら袋叩きにされる。
だから声に出さずに念じるしかないのだけれど。
(藤上さんはいつだって完璧なはずや!)
(負ける藤上さんなんて見たないねん!)
(しかも相手が勇魚なんて――)
(決して勇魚が嫌いなわけではないけど!)
(でも幼なじみってだけで十分やろ!? これ以上、藤上さんにとっての特別にならないで!)
花歩の声援を受けて、そしてつかさの祈りも空しく、二人の距離は徐々に狭まっていく。
「姫水ー! 勇魚がすぐ後ろや、逃げてー!!」
桜夜の叫びに、姫水が状況を理解する。
嬉しい。
桜夜や六組の皆には悪いけど、クラスの勝敗には現実感が持てない。
自分の順位に対しても。
ただ、勇魚の本気だけが心を震わせた。
(でも、私だって負けない!)
体力の配分など考えず、姫水は速度を一段上げる。
遠ざかろうとする背中に、勇魚は必死で食らいつく。
(姫ちゃん!)
(姫ちゃん、姫ちゃん姫ちゃんっ……!)
身体能力を超える走りに、頭の中は真っ白だった。
ただ追いかける。
背中を追うだけの自分から抜け出すために。
『こ、これはすさまじいデッドヒート!』
見入っていた放送部員が、我に返って実況を再開する。
『さすがは藤上さん、簡単には追いつかせません!
それを追いかけるのは、ええと、一年三組の……』
放送席に近づいた小都子が、横からこっそり情報を伝えた。
『佐々木勇魚ちゃん! 藤上さんとは物心ついた時からの幼なじみだそうです!
しかもスクールアイドル部同士の対決や! Westaにこんな隠し玉がいたとは!』
立火と夕理も立ち上がり、自分のクラスそっちのけで声援を送る。
「二人とも!」
「頑張れ!」
残る距離はあと僅か。
スパートをかける両者の距離は、見た目にも分かるほど縮まっていき……
(ああ……)
絶望するつかさの前で、その差はゼロへと収束する。
バトンの動きは、シンクロするように同時だった。
三組の次の走者は、すぐに六組を追い抜きトップに立った。
「よっしゃ、行け行けーー!」
三組の陣地は大いに沸き、皆の興味はリレーの続きに移る。
その中で、精根尽き果てた幼なじみたちは、背中合わせでへたり込んでいた。
「負けちゃった」
「姫ちゃん……」
「勇魚ちゃんは、嬉しくない?」
「……うん。ごめんね、やっぱり姫ちゃんが勝ってくれた方が嬉しい」
「謝る必要はないわよ。私も似たようなものだもの」
姫水は体を後ろにひねると、勇魚の小さな体を抱きしめた。
「あなたがすごい女の子だって、みんなに知ってもらえて嬉しい。
大好きよ、勇魚ちゃん」
「………」
その光景を見るに堪えず、体育座りのまま膝に顔を埋める。
周囲は皆リレーに夢中の場で、晶だけが声をかけてきた。
「つかさ、顔色悪いで」
「何でもない……」
差がありすぎる。
勝てないと早々に諦めたつかさと、最後まで諦めず、ついには勝利した勇魚。
あの子はただ幼なじみなだけではなく、姫水の隣にいる資格を自ら証明した。
自分なんか、どうあがいても二人の間に入れるわけがない。
そう絶望する一方で、器用な頭は冷静に分析していた。
(藤上さんにアタックするだけでは駄目やな)
(あたし自身も変わらなあかん)
(具体的には、藤上さんへの劣等感を克服せな……)
「あ~~、そんなん無理! あたし特技ないし!」
体育座りのままゴロゴロ転がる友人を、晶が呆れた目で見る。
「体操着汚れるで」
「ええんや、どうでも。もう諦めようかな……」
そう呟くが、でも、諦めきれない。
こんな状況になっても、好きで好きでどうしようもない。
だってあんなにも綺麗なおへそが……
「ヘソの話はええねん!」
「ちょっと落ち着こう?」
「ああ! くそ~~!」
前方から立火の落胆した声が聞こえる。
どうやら五組のリレー選手は負け、逆転優勝はかなわなかったようだ。
優勝が六組なら、姫水の敗北はすぐ忘れられるだろう。
少し安堵すると同時に、そうやって完璧を求めてるから駄目なのだとも思う。
劣等感――。
宿題を一つ増やして、つかさの体育祭は終わった。