第20話 合宿! 天空の聖域
「では、一人三千円ずつ頼むで」
会計の晴に言われ、朝の校門で部員たちは財布を開く。
今日から合宿。
部費と補助金で足りない分は自腹だが、三千円で一泊夕食つきなら文句を言う者はいない。
桜夜もしっかり払っていて、姫水は安堵して話しかけた。
「今日はちゃんとお金足りたんですね。良かったです」
「ふふーん、さすがに合宿行かれへんかったら泣くからね。
言うても浴衣新調したから、あと二千円しかないんやけど」
「また無駄遣いして……ご厚意で交通費が無料でなかったら、大変なところでしたよ」
姫水の言う無料の交通手段は、ほどなくして現れた。
一台の普通車が目の前に止まり、どこか立火と共通点のあるおじさんが降りてくる。
「よっ。一年生は初めましてやな」
『今日はよろしくお願いします!』
「いやいや、そうかしこまらなくてええで。可愛い子とドライブなんて、今日はほんまええ日やなあ」
「何言うてんねんこのおっさんは。いらんこと考えてへんで安全運転で頼むで」
立火に手の甲でツッコまれ、おじさんはハハハと笑った。
(この人が部長のお父さんかあ……)
花歩が見る限り、よくいる大阪のおもろいおっちゃんという感じの人だ。
桜夜とは特に顔なじみのようで、気さくに会話している。
続いて六人乗りのミニバンが止まり、助手席から小都子が降車した。
反対側から降りたスーツの中年女性を、皆に紹介する。
「こちら、うちの運転手の川畑さんや」
「初めまして。お嬢様がいつもお世話になっております」
「お、お嬢様はやめて言うてるやないの」
学生たちが挨拶する中、立火の父は感心したように眺めていた。
「へええ、イカした運転手さんやなあ」
「こらこら、浮気したらお母ちゃんに言いつけるで」
「何がこらこらや、俺が嫁さん一筋なのは知ってるやろ。
さ、乗った乗った。うちの車小さいから、小さい子優先で頼むで」
『はいっ』
花歩、夕理、勇魚が順に乗り込もうとして、慌てて夕理が立ち止まる。
「な、何で私が真ん中やねん。端っこでええから」
「まーまー、そう遠慮しないで」
「うちらで夕ちゃんをサンドイッチや!」
二人に引きずり込まれるように、夕理の体は車内に消える。
桜夜はミニバンの方に乗り込みながら、それを見てニヤついていた。
「あっちの車かわいそー。夕理なんかいたら盛り上がらへんやろ」
「またそんなこと言うて。いい加減に仲良くしてくださいよ」
「小都子は夕理に甘すぎ! したかったら年下の方から頭下げるのが筋やろ。
てことで車も年功序列や! 晴は前!」
「どこでもいいですけど」
「一年生は後ろ!」
「へいへーい……って、えええ!?」
いきなり大声を出したつかさに、三千円を払っていた小都子が振り返る。
「つかさちゃん、どうかした?」
「い、いえ何も……あはは……」
固い動きで車に乗り込み、隣には当然ながら姫水が座った。
(高野山まで一時間半! 狭い空間で藤上さんと隣合わせ!?)
(いきなりイベント起こりすぎやろ!)
緊張して目を合わせないつかさを、姫水はちらりと見て考え込む。
(彩谷さん、居心地悪そう……。やっぱり私のこと苦手なのかしら)
誤解を乗せたまま、二台の車は高野山へと出発する。
* * *
「おばさんにはライブの時に会いました! 優しくて素敵な人ですね!」
一路南へ向かう車の中、さっそく勇魚が話し始めた。
花歩も大いに同意する。
「ちゃんと子供の応援に来てくれて、なんだか憧れちゃいます」
「せやろー? 俺が言うのも何やけど、最高の嫁さんやと思うで」
立火の父は信号で止まったところで、隣を肘で突っついた。
「なのに何でこんな、娘か息子かよう分からへんのが産まれたんだか……」
「よー言うわ、どう見てもアンタの遺伝子やろ!」
そんな会話を聞いて夕理は冷や冷やする。
親にあんなことを言われて傷つかないのかと思うが、立火は平気な顔で笑っている。
きっと自分には、一生理解はできないのだろう……。
「おばさんって怒ることはあるんですか?」
「んー? 滅多なことではないけど……」
花歩の質問に、運転手はハンドルを握りながら記憶をたどった。
「立火が産まれる前、競艇で五万円スッたことがあってなあ。さすがにあの時はめっちゃ叱られたで」
「ちょちょちょ、お父ちゃん!」
立火が焦る間に、案の定夕理の目が釣り上がった。
花歩と勇魚も慌てるが、事情を知らない父はきょとんとしている。
「何や?」
「あかんて、夕理はギャンブル大っ嫌いなんやから」
「そうなん? けどなお嬢ちゃん、おじさんは住之江を愛してるんや。やっぱ住之江いうたらボートやから、あの五万円は寄付みたいなもので……」
「そんなのボートレースの団体に行くだけやないですか! もっとマシな言い訳を考えてくださいっ!」
「ゆ、夕ちゃん! 歌でも歌いながら楽しく行こ! ねっ!」
早くも大騒ぎを始めながら、車は堺市を走っていく。
一方で橘車では――
「姫水は東京にいた頃は、湘南とか行ってたん?」
「一応女優なのでそういうのは無理でしたね。日焼けは大敵ですし」
「えー、そうなの? なら合宿も海はあかんかった?」
「ふふ。海だった場合は長袖で過ごしてました」
(桜夜先輩、藤上さんと喋りすぎやろ!)
座席の後ろを向いて話し続けている桜夜に、つかさは一人で歯噛みする。
今さらだが、この二人はいつの間に仲良くなったのだろう。
(藤上さんて完璧やから、意外とアホな子の方が相性いいのかなあ。勇魚もアホやし……)
(あたしもアホになった方がええんやろか)
『ウェーイ! テンション上げ↑上げ↑でマジいくしかないっしょー!!』
(いや無理……あたしの良識が邪魔をする……)
「つかさちゃん、今日はやけに静かやね?」
前方から小都子の声が飛んできて、慌ててごまかし笑いを浮かべる。
「べ、別にそんなことないですよ?」
「つかさ……私が姫水とばっか話すから焼きもちやな? くっ、なんて罪な先輩なんや!」
「全くそんなことないですから。マジで」
桜夜のことは放置して、とにかく姫水と何か話すことにする。
USJの時と違って周りが先輩ばかりなのが、少しやり辛いが……。
「ふ、藤上さんはお寺とかは好き?」
「そうね、歴史と文化に触れる体験は貴重よね。
いつか比叡山も行ってみたいかな。彩谷さんは?」
「うーん、あたしはあんまりやけど」
つかさはキリッとした顔で、髪をかき上げながらモーションをかけてみた。
「藤上さん、あたしに楽しみ方を教えてくれる?」
「え? 別に構わないけど……岸部先輩に聞いた方がいいんじゃない?」
「う、それは……」
前に座る先輩の三白眼が、じろりとこちらを向く。
「聞きたいならいくらでも解説するが?」
「いえいえいえ! 先輩のお手を煩わせるわけには!」
慌てて両手を振っている間に、車は和泉市に入る。
「巡る季節に思いをはせて」
「て、て……天下無敵の私たち」
「惨敗したばかりですよね」
「ただの歌詞やから!」
夕理にツッコむ立火の言う通り、これはスクールアイドルの間に伝わる『歌詞っぽいフレーズしりとり』。
誰が始めたのかは知らないが、暇つぶしと同時に作詞の練習にもなる優れものである。
作詞志望の花歩は、気の利いたフレーズを必死で考える。
「ち、ち……チャンス! 知恵の力で地球は回る!」
「うわ花ちゃん! 『る』はないやろ!」
「ご、ごめん、わざととちゃうから!」
「えー、るって……る、る、ルーマニアってどのへんやろ?」
「どこが歌詞やねん!」
夕理に即否定されて、勇魚は目を回しながら頭も回す。
「はわわ、ル……ルーレットがぐるんぐるん。あ」
これで勇魚の二連敗。
とほほ、と落ち込む姿をバックミラーで見ながら、立火の父は面白そうに笑った。
「スクールアイドルってのは大したもんやなあ。こないな頭使うもんとは知らんかったで」
「せやろ? 大した後輩たちやろ」
シートベルトをよじらせて、立火は体を後ろに向けた。
「夕理の作詞作曲、花歩の作詞、勇魚の衣装。これがあればあと二年は安泰やで!」
夕理と花歩が照れくさそうな一方で、勇魚は引き続きしょぼんとする。
「ううっ。うちはまだ何もできてませんけど」
「なーに、菊間先輩に色々教わったんやろ。これから頼りにしてるで!」
「それにひきかえうちの娘は。クリエイティブのクの字もないやんけ、誰に似たんや」
「アンタやアンタ! 私は運動担当やからええの」
「あ、トンネルや!」
勇魚が歓声を上げた通り、前方に開いた黒い穴に車は突入した。
「このトンネル、去年開通したばっかやねん」
「それはラッキーでしたね!」
立火父の情報に、花歩は不思議な運命を感じる。
こんなことでもなければ多分行かなかった高野山。
和泉山脈を通り抜け、一行はいよいよ和歌山に入る。
「………」
紀ノ川を渡った頃、橘車には静寂が降りていた。
喋り続けていた桜夜もさすがに話題がなくなり、抗議するように車内を見渡す。
「ちょっとぉー、何で私ばっか喋ってんねん。みんなもっと話してや」
「話題がないなら無理に話さなくていいと思いますけど……」
「東京人はノリが悪すぎや! せっかくの合宿やで!
つかさ、今日はほんまどうしたん?」
「い、いえ、別に何も……」
「彩谷様、ここから高野山に登ります。ご気分が悪いのでしたら先に休憩を取りますが」
「大丈夫っす! すいません!」
運転手の気遣いが心苦しいが、つかさとしては姫水の隣で緊張状態が続く。
正直、目の前に晴が座っているのがすごく嫌だ。
下手な会話をすると、姫水への気持ちがバレてしまいそうな気がする。
その晴はというと、いじっていたスマホを桜夜に取り上げられた。
「もー! 晴が団体行動嫌いなのは知ってるけど、少しは話してくれてもええやろ」
「では今から行くところの話でもしますか? 女人禁制の歴史が長かった高野山ですが、明治の近代化の波とともに解除されました。ケーブルカー側の入口には女人堂があり、以前はそこまでしか入れなかったということで、今も女性がよく参拝しています。さらに女人高野と呼ばれる慈尊院や室生寺では」
「ああ! やめて真面目な話は眠くなる!」
どうしようもないので、仕方なく小都子がお菓子を取り出した。
「桜夜先輩、クッキー食べますか?」
「食べるー!」
(子供か!)
車内は静かにはなったが、つかさはますます話しづらい。
しかしこれ以上好機を無駄にできないと、気になっていたことを聞いてみた。
「藤上さんさ、その……滋賀の人にやられたの、トラウマとかになってへん?」
「ああ、それはもう大丈夫。勇魚ちゃんと一緒に克服したから」
へーへーまた勇魚ですか……と内心でいじけているとは気づかず、姫水は優しく微笑んだ。
「今日の夜は、ちょっとした隠し芸を見せられると思うわよ」
「へえ?」
話の繋がりがよく分からないが、姫水らしからぬ単語を聞いて、かなり夜が楽しみになる。
曲がりくねった山道を三十分。立火の父にも疲れが見えてきた。
「お父ちゃん、大丈夫? 帰りは電車で下まで降りてもええで」
「何言うてんねん電車賃がもったいない。そろそろ着く頃……あれや!」
「わ!」
前方にお寺の巨大な門が見えてきた。
カーブのたび左右の二人に押しくらまんじゅうされ、うんざりしていた夕理も感嘆する。
高野山大門。再建とはいえ二百年を経た建造物を通り過ぎ、少し先の駐車場で車は止まった。
「はー、着いた着いた」
『ありがとうございました!』
「いやいや」
もう一台からも桜夜たちがお礼を言いながら出てくる。
つかさは結局大して話せなかったが、カーブの時にちょっと姫水の体が触れたので、それで満足した。
伸びをしている立火に父が尋ねる。
「ここまででええんか? 宿まで乗せてもええで」
「1kmくらいやから見物ついでに歩くわ。お父ちゃんはこれからマリーナシティやったっけ」
「釣りして適当に一泊してくる。ほな、明日の三時にな」
「おおきに! クエでも食べて贅沢してや!」
「あんな高いもんクエへんわ!」
もう片方の運転手は、これから橘家に戻って明日同じ道を来るらしい。
済まなそうに労う小都子に、仕事ですから、とクールに返していた。
二台の車は走り去り、荷物を持った九人は門へと向かう。
東大寺に次ぐ日本二位の大きな仁王像に見下ろされ、合掌して大門をくぐった。
寺域に入ったところで、立火が高らかに宣言する。
「いよいよ合宿スタートや! 気合い入れてくで!」
『はいっ!』
* * *
「お寺さんの中やのに、町が広がってるんやねえ」
小都子の言う通り、門の向こうには民家や商店が並び、普通の田舎町の感がある。
「2500人が暮らす宗教都市やからな。もう少し行けば寺院らしくなるで」
晴に先導されてしばらく歩くと、道行く観光客が徐々に増えてきた。
見渡しながらつかさが呟く。
「なんか、欧米の人が多いっすね」
大阪市内も外国人観光客は多いが、それに比べても白人の割合が高い。
「あっちでスピリチュアルな聖地として紹介されてるらしい。特にフランスで人気が高いとか」
「スピリチュアル! うんうん、そう言われるとええとこやなー。女の子はそういうのが好きやねん」
「一緒にしないでください、下らない。まったくもって非科学的です」
「ホンマつまんない奴やな!」
「何ですか!」
また喧嘩してる桜夜と夕理を放っておいて、一行は道路を進む。
左手に朱塗りの門が見えてきた。
先ほどの大門より小さいが、人が頻繁に出入りしている。
「これが中門、この中が
晴の後を追って、門をくぐり階段を上る。
そこは十を越えるお堂や塔が立ち並ぶ園地。
ひときわ目立つ朱色の塔に、勇魚が思わず大声を上げた。
「あの塔、テレビで見たことあるで!」
『しーっ』
お寺の中ということで、小都子と姫水に左右から注意された。
焦って口を手でふさぐ勇魚の前で、晴の解説が流れる。
「あれが
「どおりで綺麗ですねー。あたしお寺は興味ないけど、これは映えると思います」
「そう? 私はここまで綺麗やと有難味を感じない」
「晴先輩ってほんま渋いですね……」
「あっちの不動堂が私好みや。ちなみに鎌倉時代の建築で国宝」
「えっ、なんかボロいお堂にしか見えないっす」
そんな会話を隣で聞きながら、夕理は複雑な気分になる。
つかさよりも晴の方に趣味が近い自分がちょっと嫌だ。
広大な伽藍の中、六角経蔵を回したり、根本大塔の内部を見学しながら、しばしの時を過ごす。
場所が場所だけに大騒ぎもできず、全員が姫水ばりの優等生として振る舞うしかない。
投宿時刻の十一時が近くなり、立火が全員に声をかけた。
「よーし、そろそろ宿坊に行くでー」
「ううっ、真面目な写真しか撮れへんかった」
スマホを見ながら嘆いている桜夜が、目の前を歩く後輩を引き留めた。
「ねえ花歩。なんか面白いポーズやって」
「えっ、まずいですよお寺なのに」
「いやいや、大阪人はどんな時も笑いを忘れたらあかんで」
「不謹慎って炎上しますよ!」
無茶振りする困った先輩に、近くの姫水が助け舟を出す。
「花歩ちゃん、躍動感のあるポーズなんていいんじゃないかしら」
「そ、そう? えーい、躍動!」
パシャッ
「ええやん! 私、カメラマンの才能あるかもー」
満足した先輩の後を追いながら、花歩はとほほと伽藍を後にする。
「ううっ、ブログで使われるのかなあ」
「ふふ、海外に投稿してみたら? 聖地のフライングガールって」
「やーめーてー」
* * *
「ほんまにお寺に泊まるんやなあ」
目の前の光景に立火が感心する。晴以外は初めての宿坊だ。
無人の寺務所に声をかけると、奥から年配の僧侶が出てきた。
「やあ、いらっしゃい。時間どおりやな」
「二日間、よろしくお願いします!」
全員でお辞儀をし、下駄箱に靴を入れて寺に上がる。
年季の入った廊下を歩きつつ、寺の中を案内された。
「あっちが本堂やから、落ち着いたらご本尊にご挨拶してや」
「はいっ」
「そこが台所。自由に使ってええけど、終わったら全て元通りにするように」
「分かりましたっ」
「そして大広間が……」
長い廊下を渡り、短い階段を登ったところに合宿所はあった。
ふすまが開いていて、中から女の子たちの声が聞こえる。
立火が敷居をまたいだ瞬間、その中の一人と目が合った。
「フン……ようやくのご到着か」
ショートカットで気の強そうな女子が、腕を組んで値踏みする目で見ている。
彼女も含めて、オレンジ色の体操服を着た生徒が十名。
和歌山市から合宿に来た、