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 KEYsの子たちとどんどん友達になった勇魚は、いつの間にか気位の高い部長まで攻略していた。

「KEYsってやっぱり紀伊とかけてるんですか?」
「な、何や。ダジャレで悪かったな!」
「え? そんなことないです! 郷土愛のあるええ名前やと思います!」
「そ、そう?」
「そういえば去年、『浦の星女学院のAqoursと名前が似てる』ってアピールしてましたよね!」
「わ、私はやりたくなかったんや! Aqoursが人気やからって、先輩たちが勝手に便乗して……」
「でも実際似てるやないですか! そういう縁を大事にするのって素敵です!」
「そ、そう?」

 ちょっと照れ顔の旬を見ながらみゆきは考える。
 あの小柄な子はいずれ柚に話しかけそうだが、ああいう押しの強さを柚にぶつけて大丈夫だろうか。
 それとも、そういう考えが過保護すぎるのだろうか。

 目の前でうつむいている子が入部して四ヶ月。色々と気を使ってきたが、柚の性格は何も変わらなかった。
 ならばと皆で手を差し伸べるのをやめてみたら、一日で死にそうになって、慌てて中止した。
 長い目で見たいけれど、自分たちはもうすぐ卒業だ……。

「柚ちゃん。結構時間経ったし、さっきの子に断ってくるよ?」
「え、いや、あの、でも、それは……」

 決められずにいる間に、広間に誰かが入ってくる。

「ただいまー」
(も、もしかして諦めて戻ってきたんやろか)

 一瞬期待する柚だが、残念ながらリボンの子ではなかった。

「いやー、おもろい肝試しやったで」
「あ、あはは……」

 立火は晴に首尾を報告し、そのまま何か話し込み始める。
 そしてつかさはトランプの手を止め、こっそりと花歩に尋ねた。

「どうやった?」
「抱き着いた気がするけど、パニくってて覚えてへん……」
「何やのそれ」
「あれ、夕理ちゃんは?」

 広間を見渡す花歩に、同じくトランプ中の小都子が優しい目で答える。

「何や分からんけど、頑張ってるみたいやで」
「? そうなんですか」
「それより花歩ちゃんも混ざらへん? つかさちゃん強すぎやねん」
「いやいや、まぐれですって」

 謙遜するつかさだが、花歩もゲームでは勝てる気がしない。
 それより先に、済ませたい用事があった。

「私はちょっと西浜先輩と話を……」
「みゆき先輩ー、この子が話があるそうですー」
「す、すみません」

 これまたトランプメンバーの和歌女生が、気を使って呼んでくれた。
 呼ばれた側は、柚を一人にするわけにはと一瞬ためらったが……
 当の柚が、もう迷惑はかけられないと立ち上がる。

「や、やっぱり私、行ってきます……」
「そう? 無理しやんとね」

 広間の中央で、花歩と柚の歩行が交差する。
 思い詰めた表情の彼女も気になったが、まずは自分のことと、花歩はみゆきの前に正座した。

「丘本花歩といいます。Westaの作詞担当になりたいと思ってます!」
「まだなってないってこと?」
「じ、実は採用されたのはまだ一度も……でも、次の曲の歌詞を担当することになりまして!」
「そっか、それで私に話を聞きにきてくれたわけや」

 KEYsの作詞担当である西浜みゆきは、近くの袋から果物を取り出す。

「光栄やねえ。みかん食べる?」
「あ、はい、いただきます」

 みかんの皮をむきつつ、さっそく花歩は話を切り出した。

「KEYsは歌詞に力を入れてるんですよね」
「まあ、歌詞でラブライブの順位がどれだけ上がるかいうたら微妙なんやけどね」

 少し寂しそうに笑う彼女に、先日菊間に聞いたアドバイスを思い出す。

『ぶっちゃけ、観客は歌詞に深い意味なんて求めてへんねん。
 プロの曲でも、歌詞カード見て初めて何言うてるのか分かったなんてザラやろ?
 客は語呂とリズムさえ良ければそれでええんや。
 その上で、どこまで文章に凝るのかは自分次第やね』

 確かに一度ライブで聞いただけで、全文を理解してくれる人は少ないかもしれない。
 苦労の割に報われないのはみゆきも感じているのか、みかんを食べながら愚痴めいたことを言う。

「『力入れてる割にこんなもん?』なんてこともよく言われるし」
「し、失礼なことを言う奴もいるもんですねー! とんでもないなー!」
「それでも、何か一つは売りが欲しくて、初代の人が選んだのが歌詞いうわけや。
 万葉集にも詠まれた『和歌』の浦やからね。行ったことある?」
「あ、すみません。ないです……」
「こんな場所」

 みゆきがスマホで和歌浦の写真を見せてくれた。
 ランニング中なのか、ジャージ姿の部員たちが海辺に映っている。



「工事やらで形も変わってしまったけど、昔は天橋立に並ぶ風光明媚な場所やったらしいよ」

 みゆきはそっと目を閉じて、その口からひとつの和歌が詠じられる。

「若の浦に 潮満ちくれば かたみ 葦辺をさして たづ鳴きわたる」
「ほえー……」
「山部赤人の歌や。私はこんな、思わず情景が浮かぶような歌詞を書きたいって思ってる。
 曲のテーマもあるから、毎回ってわけにもいかんけどね。
 あなたはどんな歌詞が書きたい?」
「え、ええっと」
「それが一番大切なところやで」

 少し考えた花歩は、正直かつ恥ずかしそうに願望を口にした。

「め、目立つというか……話題にしてもらえる歌詞がいいです。すみません、俗っぽくて!」
「あはは、まあ、アイドルはそういう気持ちも大事やからね」
「ううっ、私ほんまにその他大勢人間なので……」
「それやったら普通でも素直でもない、変化球な歌詞を心掛けたらええかもね。少し大げさなくらいに」
「な、なるほど!」

 みゆきは参考として、自分の歌詞ノートを見せてくれた。
 花歩のものとは比べ物にならないほど、細かく試行錯誤が書き込まれている。

「私はもうすぐ卒業やから、このノートは後輩に託すことになる。
 次の作詞担当はあそこの子」

 みゆきに指された子が、気付いてぺこりとお辞儀する。
 お下げに眼鏡の、いかにも文学少女という感じの子だ。
 彼女と三年間競うことになる花歩は、しかし普段は本なんてろくに読みやしない。

「もっと読書もせなあかんですね……時間がいくらあっても足りひんなあ」
「ふふ、まあ、高尚な文学だけが歌詞でもないからね。
 等身大のあなたの言葉でも、十分魅力的にはなると思うよ。
 冬のラブライブは、Westaの歌詞に注目やね」
「ま、まだ本番で書かせてもらえるかは分かりませんけど。
 でも頑張ってみます! 今日はありがとうございました!」
「あ、ついでやから猫の写真も見る? 和歌山電鐵のたま駅長が存命やった頃」
「何これかわいいぃぃぃ!!」


 *   *   *


 仏像たちに見据えられ、夕理は居心地の悪いまま一方的な人待ちをしていた。
 先ほど寺務所で、住職と話したことを思い出す。

「本堂を使いたい? 用途によるけど、何やろ」
「な、悩み相談……的なことです」

 夕理にしては歯切れが悪い。
 人付き合いが一番下手な自分が、他人の相談などおこがましいのは重々分かっている。
 ましてや相手は望んでもいなくて、身勝手な押し付けなのに。
 だが住職は、心得たように深くうなずいた。

「それなら結構。入って右の壁にスイッチがあるから、電気をつけてや」
「あ、ありがとうございます」
「君、かなり迷いを抱えているようやな」
「う……その通りです」
「それも結構。若いうちはどんどん迷いなさい。
 どうしても答えが出やん時は、いつでも相談に乗るで。そのための坊主や」
「は、はい……でも、まずは自力で頑張ってみます」

 そうして本堂に来てから、どれだけ経っただろう。
 着ているのは浴衣一枚なので、だんだん寒くなってきた。
 そもそもこんな格好で本堂に入って失礼だったろうか……などと今さら考えていると。

「こ、こんばんは……」

 木の扉の向こうから、柚がおずおずと顔を出した。

「来てくれたんや!」

 膝立ちになり、手招きして内陣のカーペットに向かい合って座る。
 喜びかけた心も、柚の暗い表情を見てすぐに縮小した。

「気の弱いアンタにしてみたら、単なる災難やったな。ごめん……」
「い、いえ、その……まあ」

 しかし今さら後には引けない。
 かくなる上は、せめて実のある会話をするしかない。

「私は、天名夕理」
「た、玉津柚……です」
「玉津さん。物は相談なんやけど」

 慣れないことをするのに何度か息継ぎしながら、人生最大レベルの真剣さで口を動かす。

「私に、何か話してみてくれへん?」
「ふえ!?」

 柚が混乱するのは当然である。そっちが話したいと言うから仕方なく来たのにと。
 何とか理解してもらおうと、焦りを抑えて必死で説明した。

「あ、あなたは人間関係に囚われすぎやと思う。
 嫌われたり迷惑かけるのが怖いから、足がすくんで話しかけられへんのやろ。
 一緒に部活をやっていく仲間でも、ううん、仲間やからこそ」
「うう……そうかも……」
「その点私は、明日でお別れやし後腐れないから!
 元から他人に大して期待してへんし、アンタが何言おうがどうでもええねん。
 ということで練習台として……どうやろ……」

 一生懸命考えた提案だったが、だんだん自信がなくなってきた。
 つかさなら、いや自分以外のWestaの誰でも、もっとスマートにできたろうに。
 どうして自分はこうなのだろう……。
 そんな落ち込む姿に同情してくれたのか、柚は恐る恐る口を開いた。

「あの……それやったら、一つだけ……」
「う、うん、何?」
「私も……お昼の時から、天名さんが気になってた」
「わ、私を?」

 驚きで、思わず自分を指さした。
 まさかあんな出会いから、お互いに意識していたなんて。

「先輩相手にも物怖じせずに堂々と言えて。
 すごいなあ、って。
 なんで私は、あんな風になれやんのかなあって……」
「い、いや、光栄やけど。この性格のせいでよく嫌われてんねんで」
「そ、そうなんや。でも、嫌われてでも突き進めるのは……うらやましい」
「ならアンタも、別に私になら嫌われてもええやろ。
 私みたいになりたいんやったら、今だけ好き放題言うてみて!」
「そ、そう言われても……」

 さっきから無理強いしているようで心苦しいが、自分にはこんなことしかできない。
 後はぎゅっと口をつぐんで、柚から話してくれるのをひたすら待つ。
 優しい柚は何も思いつかなかったのか、当たり障りのない質問から始めた。

「え、ええと……みかんは好き?」
「普通」
「好きな食べ物は?」
「特にないけど、最近肉じゃががちょっと好き」
「KEYsのみんなはどう思った?」
「副部長さんはウチのと交換して欲しい」
「……スクールアイドルは、好き?」
「当然! 私が最も情熱を注いでることや」
「辛いこととか、なかった……?」
「一杯あった。一番は、全力で作った曲なのに会場は冷えまくって、ショックでライブ中に転んだことやな」
「う、うわあ……」
「でもその時も、仲間が手を差し伸べてくれたから……うん、今思えば、楽しかった」

 変な禅問答じみた会話は、そこでいったん止まる。
 柚は少しためらっていたが……。
 相手が望んでいるのだからと、初めて半歩だけ踏み出した。

「……自分のことは、好き?」
「う……」
「ご、ごめんなさい! ぶしつけなことを……」
「平気! 怖がらないで!」

 引っ込めようとする足を慌てて引き留める。
 そして、平気と言ったからには真摯に答えなければならない。
 自分の心を探り、一生懸命に言葉にする。

「好きとか嫌いとか考えたことはないけど……。
 基本的に間違ったことをしてるつもりはないし、少なくとも嫌いではないと思う。
 でも……最近は少しだけ。
 周りの優しくしてくれる人に、優しさを返せるようになりたいって。
 そこだけは直さなあかんって、思い始めてる、かな……」
「そ、そうなんや……」

 同じく優しさを享受するだけの柚は、膝の上の拳をぎゅっと握った。
 似ているようでいて、やはり根本的に違うのだ。

「私は……自分が嫌いや」

 初めて、質問以外のことを口にした。
 不毛なその言葉は、でも不毛ゆえに、この場でしか言えないことだった。

「もっと普通の性格に生まれたかった……」

 うつむく柚の前で、夕理は本日最大の難関に直面する。
 何と言ってあげれば良いのだろう。
 花歩なら何と言うだろうか。小都子なら。住職なら。
 たいていの慰めや激励は、とっくにKEYsの人が言ってそうな気がする。

(わ……私でしか言えへんことでないと、何の意味もない!)

 そう決意した夕理は、正直に真正面から本音を投げた。

「私もうじうじした奴は嫌いや!」
「ひうう!?」
「あ、いや、ちゃうねん、ちょっと待って」

 泣き出しそうな柚をなだめながら、本音を追加する。
 単に嫌いなだけなら、話をしたくなるわけがないのだ。

「うじうじしてるところは嫌いやけど。
 でもあなたは基本的に善人みたいやし、練習も一生懸命やってた。
 人としてもスクールアイドルとしても、そのことの方が大事やと思う」
「天名さん……」
「そういうところから、好きになることはできると思う……」
「………」



 柚は少し放心したように、夕理の言葉を反芻していた。
 何がしかでも、参考になってくれると良いのだけど――。

 幾多の祈りが捧げられたであろう本堂に、静寂が落ちる。
 これが限界だった。
 くしゅん、と小さなくしゃみをした柚に、終わりであることを悟った。

「そろそろ戻る?」
「う、うん……」

 場所を使わせてもらったお礼に、一緒に仏像へ合掌する。
 菩薩や如来に救いを求める人もいれば、スクールアイドルに求める子もいる。
 住職に終わったことを報告し、広間に戻る途中に夕理はぽつりと言った。

「ごめん。結局大したこと言えへんで……」
「そ、そんな事は……」
「何か役に……立ちたかったんやけど」

 役に立ちたかったのだ。
 どんな理由であれ、スクールアイドルを選んでくれたこの子の。
 柚は足を止め、ふるふると頭を振る。

「そんな事ない……私、こんなに自分から話せたのは初めてや」
「無理矢理話させただけやけどな……」
「あう……あの……でも」

 柚もまた一生懸命言葉を選び、それを形にしてくれた。

「天名さんと話せやんかったら、Westaの人と誰とも交流できなかったから……」
「それやったら学校で練習するのと変わらへんし、合宿に来た意味がなかった?」
「う……うん……」
「あなたは多分、後で別の子に絡まれると思うけど」
「?」
「でも、私はその通りや。玉津さんしかいなかった」

 夕理は小さく息を吸って、まっすぐに見た。
 互いに縁遠く過ごしてきて、今この一瞬だけ道が交わった相手の瞳を。

「ありがとう。あなたと話せたから、合宿に来た意味はあったと思う」



 大広間に入るなり、旬が心配そうに立ち上がりかけたが、柚は大丈夫という風に微笑んだ。
 同時に勇魚に見つかり、馴れ馴れしく接近されておろおろしている。

(……最初から、佐々木さんに全部任せた方が良かったのかもやけど)

 でも、社会不適合な女の子同士だからこそ、伝わった何かもあったと思いたい。
 そんな夕理に、いつものように小都子の優しい声がかかる。

「夕理ちゃん、お疲れさま」
「は、はい」
「良かったら一緒にどう? 私、いま大貧民なんやけどね」

 カードを掲げた小都子の周りにはつかさと、KEYsの知らない人が二人。姫水はいない。
 ちらりとつかさを見ると、気まずそうに目を逸らされる。
 時刻は九時。勇気を出せないまま、ずるずるこんな時間になってしまったのだろう。

 だから早速、つかさからたくさん貰ってきた優しさを、少しでも返そうと思った。
 たとえ自分の心を殺してでも。

「藤上さん! トランプで勝負したいんやけど!」

 大勢の和歌女生に囲まれていた姫水が顔を上げる。
 つかさは慌てながらも嬉しそうな中、彼女は周りに惜しまれつつもこちらに来てくれた。

「天名さんが誘ってくれるなんて珍しいわね」
「たまにはええやろ」
「うーん、姫水ちゃんも強そうやなあ」

 困り笑いの小都子がカードを配る一方、KEYsの二人は大はしゃぎだ。

「ね、ね、プロ女優なんやろ? さっきのすごかったねー」
「また何か演技してみてや!」
「いいですよ。何をやりましょう?」
「えっと……トランプやから、勝負師っぽくとか」

 言われた途端、姫水に不敵な笑みが浮かぶ。

「フフフ……今から始まるのは魂をかけたゲーム!
 富豪と貧民、その壁を革命の炎が壊すぜ!」
「やり辛いわ!」

 夕理の抗議に、つかさを含め皆が笑い出す。
 配られたカードを取りつつ、柚の方を横目で見ると、勇魚に一方的に話しかけられていた。

(私も最初はあんなんやったなあ)
(玉津さん、頑張れ)

 合宿が終われば和歌浦で日常は続き、後は本人とKEYsがどうにかするのだろう。
 それはもう、夕理の関与できないことだ。

 でも、その前にあと一つ。
 あと一つだけ、彼女と自分のために何かできないだろうか……。


 *   *   *


「あー、また負けた!」

 KEYsの子とスマホゲームで対戦していた桜夜が、負け続けで大の字に横たわる。

「副部長さん、可愛いのに弱いですねー」
「ううー、パズルは苦手なの!
 ちょっと晴、仇取って! テトリスとか得意やろ?」
「懐かしいですね。でもそろそろ消灯時間ですよ」
「うそお!?」

 時計を見るともうすぐ十時。騒がしいパーティータイムも、あっという間に終わりがきた。

「はあ……名残惜しいけど、またね」
「はいっ、楽しかったです!」

 下級生に別れを告げ、Westaの陣地で布団を確保する。

「私まん中ー」
「場所なんてどこでもええやろ」
「夜中にムフフな事とかあるかもやん! てことで勇魚、隣においで~」
「桜夜先輩、お隣失礼しますね。勇魚ちゃんは私の隣」
(ちょ! 一瞬にして藤上さんの左右が埋まった!)

 密かに狙っていたつかさは落ち込むが、その浴衣がちょいちょいと引かれる。
 見ると勇魚がいつもの笑顔で、足元の布団を指さした。

「つーちゃん、ここ使う?」
「え? な、な、なんで」
「うちと姫ちゃんはしょっちゅう一緒に寝てるし! たまには変えるのもええやろ!」

 そう言って開けられた布団に、つかさはぺたんと座る。
 目の前には姫水の、桜夜と会話中の背中がある。

(まさか勇魚、あたしの気持ちに気付いてるんとちゃうやろな……)

 もしそうなら、恥ずかしさのあまりこの寺で尼になるしかない。
 いやでも、色恋に疎そうな勇魚がそんなはずは……。


 一方でスマホにアラームを設定していた小都子が、KEYsの方へ声をかけた。

「五時半にアラーム鳴りますけど、ごめんなさーい」
「朝のお勤めやろ? こっちからも三人行くからー」
「あ、そうやったんですね」

 花歩と顔を見合わせ安堵する。Westaはこの二人だけで、KEYsの方が真面目だ。

「夕理ちゃんも行ったらええのに。珍しいやろ」
「仏教を信じてへんのに行くのは失礼や」
「そうやで花ちゃん。うちも一時間以上じっとしてるなんて無理や!」

 移動してきた勇魚が、夕理の隣へごろんと横たわった。

「夕ちゃんと一緒に寝られるなんて嬉しいで!」
「ああ、うん……」

 寝相が心配だが、天使の寝姿と姫水が保証してたし……

(まあ、印象だけで決めつけた私もあかんかったな)

 反省しつつ布団にもぐりこむ。
 電気のスイッチは入り口側なので、立火が立ち上がって手をかける。

「――みんな、ここで残念なお知らせがある」

 不意に発せられた重い声に、全員が何事かと顔を向けた。
 立火は目を伏せて、悲しみに満ちた事実を伝える。

「実は……これで七月は終わりや」
『嘘やあああああ!』
『いつの間にそんなことに!?』

 そんなことは朝から分かっていたが、KEYsの子たちもノリ良く反応してくれた。
 桜夜と勇魚だけは、割と本気で頭を抱えている。

「んなアホな……もう夏休み四分の一終わったの……」
「うちの宿題全然進んでへん……」
「ははは。ま、八月も気合入れていくで!」
「やかましい、とっとと消せ!」

 旬に怒られ、笑いながら明りを消すことで、合宿一日目が終わる。
 そのくせ終わらせる気のない桜夜が、さっそく小声で喋りだした。

「ねー姫水。好きな人いる?」
「勇魚ちゃんが好きです」
「いや、そういうことやなくて……」
(藤上さ~ん、こっち向いて~)

 後ろで送るつかさの念が届いたのか、姫水は呆れたように桜夜へ背を向けた。

「もう。みんな疲れてるんだから、早く寝てくださいね」
「ちぇー」
(うわわ!)

 闇に目が慣れてきた中で、薄ぼんやりと彼女の姿が見える。
 今なら、どれだけ見ても何も言われない。
 しばしの時を見とれてから……
 顔の下半分を掛け布団に埋め、ささやく声を綿に吸わせる。

(今日、介抱してくれてありがとう)
(いつも、優しくしてくれてありがとう)
(トランプ、全然勝てへんかったけど、一緒にできて嬉しかった)
(……大好きや)
(面と向かって言えない、臆病なあたしでごめん……)

 来年の合宿、自分は部にいるか分からないし、姫水も東京に戻ってるかもしれない。
 だからきっと、こんな状況は最初で最後なのだろう。
 普段はこんなに早く寝ないし、あまり疲れてもいないから。
 高野山の夜、この二度とない時間に、一秒でも長く浸っていよう――。



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