「いえーい! たーのしー!」
両手を上げた桜夜が、滑り台から水面へ盛大に突っ込む。
その後ろから姫水が微笑みながら。
そしてピースしたつかさが、スマートに着水した。
「あはは、それそれー!」
大はしゃぎの桜夜が、可愛い後輩たちに水をかけ始める。
「もー。先輩、全力で楽しみすぎっす!」
「あははは。プールに来て楽しまないでどうするんや!」
(本当、いつも子供みたいに無邪気で……羨ましい先輩ね)
日焼けしたくないのも事実だが、姫水にとっては楽しい振りをするのが辛い。
ぬるい水温も、水しぶきの感触も、現実のものとは感じられないのに。
もう義理は果たしたろうと、姫水はプールから上がった。
「では、私は休憩してきますね」
「え……」
便乗して姫水に水をかけようとしていたつかさは、そのまま固まる。
桜夜も慌てて手を伸ばした。
「も、もう? まだ二回しか滑ってへんのに」
「ごめんなさい。お二人は楽しんでくださいね」
髪から水滴を垂らしながら、姫水は人目を引きつつ去っていく。
つかさはしょぼんとして、顔半分を水に沈めるしかなかった。
(藤上さん、ほんまは来たくなかったんやろか……無理に誘って悪かったかなあ)
(でも、一緒に滑れて嬉しかった……)
その隣でじっと姫水を目で追う桜夜は、決意したようにプールから上がる。
「ごめんつかさ。私、姫水のとこ行くね」
「え? でも先輩、あんなにプール楽しみにしてたのに……」
「ん。でも今日来られたのって、姫水のおかげやから」
いつもアホなくせに、こんな時だけ先輩の顔をして、桜夜もこの場を離れていった。
(って、あたしいきなりぼっちかよ!)
理不尽な状況に、空の太陽を恨めしげに見上げていると……
「つ、つかさちゃ~ん」
なぜかヘロヘロになった花歩が、おぼつかない足取りで歩いてくる。
「来て早々なんで疲れてんねん」
「ううっ。勇魚ちゃんと光ちゃんの競泳にうっかり付き合ったら、こんなことに」
「アホやなー。あんな野生児どもに付き合うとか」
「いたたたた。脇腹が」
「ちょっ、大丈夫?」
慌ててプールから上がったつかさが、花歩の脇腹を揉み上げる。
「うーん、もうちょっとダイエットした方がええかも」
「どさくさに紛れて何してんねん!」
「冗談冗談。ほんま大丈夫? スライダーいける?」
「い、いける。せっかくのプールやし!」
二人で階段に向かいながら、花歩の目は隣の揺れる胸にどうしても吸い付けられる。
(相変わらずおっきいなあ……)
「いや~ん、花歩のエッチ」
「ち、ちゃうっ! そ、そんなに布が小さくて、スライダー平気なのかなって!」
「ポロリとか期待してんの? ほんまに花歩はいやらしいなあ」
「ちゃうからあああ!!」
一方で花歩に逃げられた勇魚はといえば。
(姫ちゃん……)
壁にタッチして顔を上げたところで、休憩所に歩いていく幼なじみが見えた。
行こうか迷ったが、小走りに後を追いかける桜夜が目に入る。
(うん、先輩がいてくれるなら安心やな!)
「も~、勇魚ちゃ~ん」
不満そうな光が、思いっきり水をかけてきた。
「今は私と一緒なんだから、私だけ見てよ~!」
「わぶっ。もー、光ちゃんて結構甘えん坊さんやな」
「えへへ、暁子先輩にもよく言われる」
「ほんなら、もう一回泳ごっか!」
「うんっ、次も勝っちゃうよ!」
「うーん、なんで沈むんやろなあ」
立火の手につかまり、必死にバタ足をする小都子の下半身は、どんどん沈んでいく。
別に水が怖いわけではないが、とにかく沈むのだそうだ。
「ううっ。やっぱり、そう簡単には直りませんよね」
「まあまあ、普通にすれば人間の体は浮くもんなんやで。夕理、ちょっと足の方持って」
「あ、はい」
立火が手を、夕理が足を持って、水平になった小都子をゆっくりと離す。
ぶくぶくぶくぶく
「何でやねん!」
沈む体に立火がツッコミを入れると同時に、小都子が情けない顔を水面から出した。
「何でなんでしょうね……私、そんなに重いんやろか」
「体重は関係ありません。比重が水より軽ければ浮くはずです」
「つまり小都子は中身が詰まってるってことやな。私とか桜夜はめっちゃ浮くからなー」
「文字通り軽薄ということですね……ってふざけてる場合ですか!」
立火と夕理の漫才に、小都子は楽しそうに笑い出す。
カナヅチであろうとプールに来て良かった。
コーチ二人も微笑みあいながら、練習を再開する。
「ま、せっかく涼しいとこに来たんや。のんびりやってこ」
「はいっ、よろしくお願いしますね」
* * *
「ひーすーい」
体育座りで、人々をぼんやり眺めていた姫水の前を、可愛い水着が遮る。
「アイス食べる? この前のお菓子のお礼に買うてくるで」
「いえ、私は……」
「お金なら大丈夫! お小遣いもらったばっかやから!」
そういえば、もう九月なのだった。
当の桜夜が食べたそうにしているので、相手の願望に合わせる。
「それでは、お言葉に甘えます」
「おっけー。ちょっと待っててや」
嬉しそうに更衣室へ行った桜夜は、財布を手に売店へ直行した。
ほどなくして、カップを二個持って戻ってくる。
バニラアイスを食べながら、おいしい?と聞かれて、姫水は曖昧な答えしか返せなかった。
それで桜夜も思い出したように、眼前に広がるレジャー風景を見る。
「こんな最高のプール日和でも、姫水には現実に感じられへんのやな」
「はい……」
「なんか可哀想やね」
「はっきり言いますね」
「あ、ごめん。嫌やった?」
「いえ、変に気を使われるよりはいいです」
それは姫水の本音だった。
考え込んだ桜夜は、舌の上でアイスを味わってから明るく言う。
「でも、今日のことを覚えといたらええやん」
「え……?」
「いつか病気が治ったとき、思い出したらええやろ?
『あのときはラブリーな先輩とアイスを食べて、ほんま楽しかったなあ』って!」
屈託なく笑う先輩に、姫水も釣られて自然と微笑んだ。
「……はい。しっかりと覚えておきます」
「うん! そうそう、私これ以外に水着二着買うたんやけどー。
そっちにすれば良かったなあ。よりによって夕理とかぶるなんて」
「二人とも似合ってるじゃないですか」
「まあ夕理も見た目だけは可愛いけど……ってそんな話はええの!
他の二着もみんなに見せたいねん! 明日の部活は水着でやっていい?」
「変態みたいなこと言わないでください、まったく……」
休憩所で二人、空になったカップを横に、そんな下らない話をしばらく続ける。
そうして、そろそろ戻ってくださいと姫水が言おうとした時だった。
「ち、ちーっす」
「あれ、つかさ。休憩?」
「あはは、ちょっと遊び疲れちゃいましてー」
遊びの達人がこの程度で疲れるわけはないので、単なる口実である。
行動しなければ何も変わらないと、思い切ってここへ来たのだ。
「つかさが来てくれたんやったら、私は遊んでこようかな」
「他の一年は流れるプールに行きましたよ」
「おっ、ええやん。私も行こうーっと」
空気を読んでくれたわけではないだろうが、桜夜が立ち去って二人きりになった。
姫水の隣に座り、しつこく口実を言葉にする。
「いやー、ほんま疲れちゃって」
「普段の運動が足りてないんじゃない?」
「あはは、そうかもねー」
笑顔で返しながら、空気に触れる背中に冷や汗が落ちる。
(……ん? 部活サボったことに嫌味言われた?)
(ま、まさかね。藤上さんがそんなに性格悪いわけが……)
「………」
相変わらず、姫水の方からは何も話してくれない。
桜夜とは楽しく会話していたのに、自分の何が悪いのだろう。
いや、桜夜みたいに一方的にアホな話でもすれば良いのかもしれないが……。
「日焼け止め大丈夫? 塗ってあげよっか」
「ありがとう。大丈夫よ」
「そ、それやったらアイスとか」
「さっき、桜夜先輩におごってもらったから」
健気なつかさにさすがに悪いと思ったのか、姫水は体を傾け相手を直視した。
どきりとするつかさに優しい声が届く。
「無理に誘ったかもって気にしてるんでしょう?
少なくとも来て後悔はしていないから、彩谷さんが悩むことはないわよ」
「そ、そう……うん……」
ならいいか、と状況に満足してしまう。
少なくとも目標は達成できたのだ。
水着で二人きりの時間を過ごせるだけで、十分ではないか……。
「おーい、彩谷さーん」
と、邪魔しに来たのはお邪魔虫だった。
「何やねん瀬良。勇魚と遊んでたんとちゃうの?」
「勇魚ちゃん、ちらちら藤上さんのこと気にしてばっかじゃけん。
ちょっと頭に来たから置いてきた!」
「そう、勇魚ちゃんが……」
嬉しそうな姫水にむっとして、光は腰に手を当て挑発的に言う。
「それで藤上さんは、結局何しに来たの? 座っててもつまんなくない?」
(やかましいわ! あたしと一緒にいるんやからほっとけ!)
「あなたが気にする必要はないわよ」
「ふーん、まあいいけど。ねー彩谷さん、一緒に泳ごうよ!」
「何であたしと……」
「ここにいても仕方ないじゃろ? 藤上さんのことはほっとこう!」
「~~~~!」
苛立ちを抑えられなくなり、立ち上がったつかさは光の背中を押して移動する。
ちらと後ろを見ると、微笑む姫水が『ごゆっくり』と手を振っていた。
プールの端まで来て、厳しく問い詰める。
「アンタさあ、藤上さんに何か恨みでもあんの!?」
「だっていつも取り澄ましてて、つまんないんだもん。
予備予選やコピー動画のことで、才能があるのは分かってるよ。
でも、本音で話さない人には興味が持てない」
「い、いや。確かに藤上さんはそういうとこあるけど、良いところも一杯あって……」
「その点彩谷さんは、コムズガーデンでケンカ売ってきたから面白いなって!」
「あんなことで気に入られたんかい!」
あれだって結局は、姫水を侮辱されて悔しかっただけなのに。
いい加減、この件には決着をつけたくなってきた。
夏の始まりから続く因縁は、夏の終わりに片付けないと!
プールサイドに座り、隣のブロックを叩く。
ちょこんと腰かける天才少女に、つかさは小声で話し始めた。
「藤上さんを本気にさせる方法、教えたろか?」
「あるの!? 聞きたい聞きたい!」
「実は……」
耳に口を近づけ、ごにょごにょと作戦を伝える。
ほうほうと光がうなずいた時だった。
「みんなー! これからアイドルの時間やでー!」
『!?』
場内に響いたのは、桜夜の大声だった。
* * *
桜夜の後ろにはワクワク顔の勇魚と、慌てふためく花歩が立っている。
「さ、桜夜先輩! ほんまにやるんですか!?」
「何言うてんの。アイドルが水着を着たら、普通はライブやろ?」
「どのへんが普通なのか全然分かりませんが!」
「花ちゃん花ちゃん! ええやん、文化祭のリハーサルやと思て!」
確かに観客に慣れた方がいいとは思うけど、水着でなんて……。
桜夜の見た目が見た目だけに、行き交う人も興味深そうに見ていく。
子供が何人か、面白そうに集まってきた。
泳いでいた夕理と立火も動きを止める。
「やめさせなくていいんですか?」
「うーん、アホのやることではあるけど……。
でも夏休みでどれだけ成長したのか、ここで見ておくのも手やな」
つかさと光も駆け付けたところで、音楽が始まった。
もちろん音源なんてないので口頭である。
監視員がじろりと睨んだが、単なる浮かれたアホと思われたのか、何も言われなかった。
「ちゃんちゃんちゃららちゃーん
ちゃららら らららーん」
(うう……私の曲がこんな形で)
赤くなる夕理の前で、フラワー・フィッシュ・フレンドが世に初披露される。
『それは一面の花畑
咲くのを待つ蕾たちの上を 空飛ぶ魚が跳ねていく』
(って、いきなりミスった!)
花歩の体は思うように動かない。
じろじろ見ていくプール客の前で、頭は真っ白になり、自分の作った歌詞すら思い出せない。
勇魚は勇魚で、相変わらず歌とダンスのどちらかが狂う。これでも夏休み前よりはだいぶ良くなったのだが……。
桜夜だけがさすがの経験量で、楽しそうにライブを終えた。
「住之江女子高校、スクールアイドル『Westa』でした!
ありがとうございましたー!」
まばらな拍手を残し、場は何事もなかったように平穏に戻る。
後には地面に手をつく花歩が残った。
「こ、ここまでボロボロになるなんて……。
私の夏休みの練習は何やったんや……」
「まあまあ、さすがに水着ライブは誰でも恥ずかしいやろ」
プールから上がった立火が慰めるが、それを差し引いても緊張しすぎた。
芽生に言われてイメトレなどもしていたのだが、やはりリアルとは違う。当日までに何とかしないと……。
一方で楽しくライブした勇魚も、技術的に不合格なのは自覚していた。
「光ちゃん、うちはどうやった?」
「うん、全然ダメだった!」
「そうやね……なんでうち、一度にひとつしかできないんやろ」
全国の舞台に立った光には、レベルが低すぎて逆に異次元である。
頭をかきながら済まなそうに言った。
「役に立ちたいのは山々じゃけんど、どうすれば直るのか分かんないや」
「おおきに、その気持ちだけで十分やで!
文化祭までまだ二週間あるんや。来週の土日もあるし、絶対に奇跡を起こすで!」
「さすが勇魚ちゃん!」
その光景に立火と桜夜もうなずき合い、一年生たちを激励する。
「いきなり本番を迎えるよりは、問題点が分かって良かったやろ」
「最後まで諦めないで、必ず華麗にデビューするんやで!」
『はいっ!』
「あれ、小都子先輩は?」
つかさがきょろきょろと、この場にいないメンバーを尋ねる。
夕理がプールの中から返答した。
「全然泳げるようになれへんから、ちょっと休憩に行ったで。会わなかった?」
「うーん、行き違いやったんかな。って、あたしらも行くんやった」
作戦を実行すべく、つかさと光も休憩所へ取って返す。
* * *
二人が舞い戻ると、小都子と姫水が雑談中だった。
「TVドラマはまだ話題になる作品もあるけど、実写邦画は最近あんまりやねぇ」
「問題は何なんでしょうね。アニメ映画は隆盛している以上、娯楽の多様化だけでは説明できませんし……」
(なんか知的な会話をしてる……)
少しひるんだ光だが、つかさの作戦通りに姫水の前へ仁王立ちした。
「藤上さんっ!」
「瀬良さん、まだ何か?」
「今日、勇魚ちゃんと全然遊んでないよね! それで平気なんだ!」
「それは……勇魚ちゃんを拘束する気はないし、離れてても友達だから……」
「言い訳だね! プールは特別な場所なのに!
藤上さんって勇魚ちゃんのこと、本当は大して好きでもないんじゃないの?」
「……何ですって?」
姫水の雰囲気が変わった。
つかさの予想通り、勇魚のことだとすぐキレる姫水に、隣の小都子が狼狽する。
「ち、ちょっと光ちゃん。急に何を言うてるんや」
「だって私の方が、絶対勇魚ちゃんのこと好きじゃけん。
幼なじみってだけで、一番の友達みたいな顔をしないでほしい!」
「瀬良さん……」
ゆらり、と立ち上がった姫水の目は、笑っているけど全く笑ってない。
「その軽い口が他人を不快にさせることを、少しは自覚した方がいいんじゃないかしら」
「おっ、やるかー? かかってこいやー」
しゅっしゅっと拳で空を切る光に、姫水はパーカーを脱ぎ捨てる。
麦わら帽子を外したその目は、もはや誰にも止められそうになかった。
「私が勇魚ちゃんをどれだけ想っているか……。
その身で理解できるようにしてあげる」
「すいません部長さんと夕理。ちょっとコース使わせてください」
「ん、つかさも泳ぐの?」
「いえ、あたしではなくて……」
他のコースはふさがっているので、開けてもらうと同時に事情を説明する。
「勇魚を取り合って姫水と瀬良が勝負!?」
「藤上さんはもう少し賢い人やと思ってたで……」
夕理の呆れ声を無視して、姫水は光ともどもプールに身を浸す。
小都子に連れられてきた勇魚が、上から半泣きで訴えかけた。
「ふ、二人ともうちの大事な友達やで! 争うのはやめてや!」
「ごめんなさい勇魚ちゃん。人には戦わなければならない時があるのよ」
「私が勝ったら京橋に転校してね!」
「ええー!? そんな話になってるん!?」
「なってないから。瀬良さん、そろそろ本気で怒るわよ」
(六王のやつ、もうちょっと後輩の教育をしっかりしてや……)
とはいえ立火も勝負事は好きなので、脇から一年生たちに号令を下す。
「よーい……スタート!」
両者とも強烈な勢いで壁を蹴った。
瀬戸内の人魚姫は腕をかき、矢のようなクロールで水中を進んでいく。
(飛び込みでは渡辺先輩に負けるけど、速さではスクールアイドルいちの自信はある!)
(島育ちの私が、都会人の藤上さんに負けるわけが……ってあれえ!?)
その都会人が、自分の横にぴったりくっついていた。
焦って必死に泳ぐ光を、極度に集中した姫水が容赦なく追いかける。
(別に私は、勇魚ちゃんの一番の友達なんて主張する気はない)
(東京にいた時にあれだけ酷いことをして、そんな資格がないのは分かってる)
(でも勇魚ちゃんは、こんな私を友達と思い続けてくれた)
(だったら、それ以上の想いを返さずにどうするの!)
『同時!』
25mの華麗なターンに、立火たちが思わず叫ぶ。
息継ぎで横を向くたび、光には姫水の泳ぎがどんどん綺麗になるように見えた。
勇魚以外のすべてを削ぎ落としていくような、儚い綺麗さだ。
そして壁にタッチする二人の手を、立火は目を皿のようにして注視し――
「……姫水の勝ちや!」
その判定に、Westaの面々はどっと沸く。
つかさが得意げに水着の胸を反らした。
「どうや、思い知ったか!」
「つかさちゃん、えらい鼻高々やね」
「え、ええやないですか別にー!」
小都子にツッコまれる一方で、勇魚は呆然とする光を心配そうに見ている。
「光ちゃん……」
が、当の光はといえば……
「すっ……ごーーーい!」
満面の笑みで顔を上げると、姫水の両手をしっかと握った。
「私を泳ぎで負かす人がいるなんて!
藤上さ……いや姫水ちゃん! こんなに大した人だったんだね!」
「まあ、水泳は背の高い方が有利だから……」
「そんなの関係ないけぇ! ね、ね、次は勇魚ちゃんと三人で泳ごう!」
「ううっ。二人が仲良くなってくれて、うちは嬉しいで!」
和気あいあいとした三人を、つかさが少し複雑な顔で見つめている。
(藤上さん、ほんまに勇魚のことばっかやな……自分でけしかけておいて何やけど)
(まっ、瀬良が認識を改めてくれて良かった)
(……勝ちさえすれば認めてもらえる、かあ)
そんなつかさの内心を知りようもなく、立火は頭上の時計に目を向けた。
そろそろいい時間だ。
「よし、もうひと泳ぎしたら帰るとするか!」
「あたし、桜夜先輩に伝えてきますね」
つかさは桜夜と花歩がいるウォータースライダーへ向かう。
夕理が一瞬躊躇したところへ、小都子が優しく声をかけた。
「夕理ちゃんも行ってきたら?」
「で、でも小都子先輩の練習は」
「残念やけど今日はここまでや。小都子、泳がせられなくてごめんな」
「いえいえ! 一朝一夕で何とかなるとは思ってませんし。せやから夕理ちゃん、ね」
「は、はい……」
ここのスライダーはカナヅチは使用禁止。
先輩二人に後ろ髪を引かれつつも、夕理は少し心を弾ませつかさの後を追う。
それを見送った後、立火が指し示したのは流れるプールだった。
「私たちは、最後に流されるとしよか!」
* * *
立火が借りてきたビート板のおかげで、小都子も沈まずに流水に乗れた。
「今日は何から何まですみません」
「何を言うてるんや、水くさい。プールの中だけに」
「ふふっ」
小都子が休憩した一時以外、立火はずっと付きっ切りでいてくれた。
それは嬉しいことだけど――。
「……あの、立火先輩」
「ん?」
「もし……もしも先日の話を気にされてるんやったら、それは私の本意ではないので……」
「………」
後輩が生き地獄を味わっている間、助けるどころか気づくこともできなかった。
あの過去は取り返しがつかないし、今日も結局泳がせられなくて、償いにもならない。
それは立火も分かってはいるが……。
小都子のビート板を掴み、流れを一時停止させる。
「先輩?」
「小都子は、後輩に甘えて欲しいやろ?」
「え? は、はい、それはもちろんです」
「なら、まずは自分が先輩に甘えなあかんやろ」
「……はい、ふふ、そうですね。その通りです」
立火は手を放し、再び二人で流されていく。
色々なしがらみや悩み事は、水の流れに全て溶かして。
クラゲのように漂いながら、ビート板に寝転ぶ小都子は、今だけは遠慮せず独占した。
いずれ、部長を受け継ぐ人の横顔を。
「来年の夏休みは、名古屋へ遊びに行きますね。その時にまた泳ぎを教えてください」
「……ああ、約束や」
花歩が帰ろうと呼びに来るまで、二体のクラゲはいつまでも流されていた。
* * *
「満足したー!」
プールを出た後、ご満悦の光は姫水に親愛の目を向けた。
「姫水ちゃん、ラブライブでは負けないからね!」
「そうはいかないわよ。私たちは次こそ必ず全国へ行く」
「あはは、やっぱりWestaの人って面白いなー。一年生だけじゃなくて……」
親愛の視線は上級生へと動く。
その先では桜夜が、スカートの前後を恥ずかしそうに押さえていた。
「体を張って笑いを取るなんて! さすがは大阪の人です!」
「ウケ狙いとちゃうから!」
下に水着を着てきた桜夜は、お約束通りに下着を忘れてきたのだった。
完全にアホを見る目の夕理の隣で、つかさがわきわきと指を動かす。
「早く何とかしてくださいよ。スカートめくりたくなるやないですか」
「鬼か!!」
「ほ、ほら桜夜先輩、お店ありましたよ」
小都子の指す先にはショッピングセンターがあり、ここなら下着も買えそうだ。
が、桜夜は脅えたように後ずさる。
「わ、私、まだ髪湿ってるし……。
店員さんに『こいつプール行くのにパンツ忘れたアホやな』って思われるやろ!?」
「事実やないか……」
「先輩が恥ずかしいんやったら、うちが買うてきます!」
「い、いや人に下着買わせるのも……ねえ?」
「どないせえ言うねん! とにかく入るで」
「ついでにお茶していきませんか?」
「おっ、ええなあ」
立火と花歩に先導され、一同は涼しい店内に入っていく。
桜夜だけは入れずうろうろしている。
心配で戻ってきた姫水の前で、太陽に向かって絶叫が響いた。
「あーもう、高校最後の夏休みやのに!
何でこんなオチやねーーん!!」
<第22話・終>