第23話 花開く時
「皆さん、夏休みはいかがでしたか。
本日から二学期、心を切り替えて勉学に励みたいところではありますが……」
始業式。体育館に響く校長の声は浮かない。
ごくりと唾をのむ生徒たちへ、仕方なさそうな通達が行われた。
「ニュース等でご存知の通り、大型の台風21号が近づいています。
新学期早々に残念ですが、安全のために明日は休校といたします」
『やったー』
少しだけ歓声が上がるが、大きくはならない。
25年ぶりの「非常に強い」台風で、近畿を直撃するかもしれないルート。
追加の休みも喜ぶ気になれず、皆は戦々恐々としていた。
1-3の教室でも、不安と気休めの混じった会話が交わされる。
「とりあえず文化祭は来週で良かったよね」
「学校によっては今週文化祭やろ? 大丈夫なのかなあ」
「まだ地震の復旧も終わってないところには、泣きっ面に蜂やで」
クラスメイトたちの視線は、先ほどから思いつめた顔の勇魚に向けられた。
「勇魚ちゃん、もし被害が出たらボランティアに行くの?」
「……行かなあかんと思う」
「もしそうなったら、スクールアイドルの方は……」
「ま、まあまあまあ! まだ分からへんやろ!」
花歩が必死に明るい声を出して、希望的な観測を述べる。
「前にもすごい台風とか脅かしといて、実際は大したことなかった時あったやろ?
今回もたぶんそんな感じやって!」
「そ、そうやね! ごめんね勇魚ちゃん」
「勇魚ちゃんは普段の心掛けがええから、きっと大丈夫や!」
慰める級友たちに、勇魚は曖昧な笑みを返すしかない。
防災の上ではこんな楽観的な思考は、良くないのは分かっているが……。
(お願い神様、勇魚ちゃんをいじめないで)
(予備予選は地震で、地区予選は豪雨で、デビューしようとしたら台風ってあんまりやろ)
(こんなに優しくていい子なのに……)
花歩が祈っているとスマホが鳴った。
今日の部活は中止にするという、部長からの連絡だった。
* * *
「うわああ……やばい」
翌日の午後、台風は神戸に上陸した。
丘本家の窓にも、恐ろしい勢いで雨と風が叩きつけてくる。
芽生の話によると、台風の東側が一番被害が大きいらしい。
要するに大阪は最悪の状況ということだ。
「神様は勇魚ちゃんに何の恨みがあるんや……」
「自然に悪意も敵意もないよ。物理法則に従ってるだけや」
冷静に言った妹は、眼鏡越しにじっと姉を見つめる。
「それより花歩、自分の方が心配なんとちゃうん」
「い、いやいやいや! 勇魚ちゃんが大変なときに、私の都合なんて」
「私しかいないところで取り繕ってもしゃあないやろ」
「うう……」
芽生の視線からは逃れられず、花歩はベッドに伏して正直にわめく。
「勇魚ちゃんがライブに出られなかったらどうしよおおお!
私一人でデビューなんて無理やあああああ!!」
その嘆きも、外の暴風にかき消されていく。
風雨の勢いが多少落ちてきた頃、つかさから部にメッセージが届いた。
『やばい』
『家が停電になった』
「ええ!? ちょっ、つかさちゃん大丈夫!?」
慌てて返信を送ろうとしたところへ、部長を始めとして次々お見舞いが届く。
花歩も送ったのと同時に、つかさは話を打ち切った。
『みんなありがと』
『スマホの電池が少ないから、切るね』
これから充電も冷房もない家で明日まで過ごすなんて……。
ニュースを見ると、かなりの広範囲で停電が発生しているらしい。
とんでもない事態になってしまった。
そして翌日、空は台風一過の晴天だったが……。
「ぎゃああ! 何やこれ!」
登校しようとした花歩は今日も叫ぶ羽目になった。
いつも使うバス停の屋根が、根元からぽっきり折れて道路側に倒れている。
後から来た姫水と勇魚も唖然とするしかない。
「こんなことって起こり得るのね」
「も、もしかして公園も!」
勇魚に言われて、道路を渡って長居公園を見に行く。
少し中に入っただけで、一目で分かる惨状だった。
大木があちこちで根元から倒れ、歩道がふさがれている場所もある。
「この分だと植物園も、しばらくは閉園でしょうね」
東にある長居植物園の方を見ながら、姫水が残念そうに言う。
気落ちしてバス停に戻り、台風の爪痕が残る街中を学校へと運ばれた。
到着した校内も、木の枝やら葉やらが散乱している。
「つかさちゃん、大丈夫やった!?」
三人で五組へ行くと、つかさが教室のコンセントで充電していた。
「おはよーっす。心配かけてごめんね」
「その様子だと、まだ復旧してないのね?」
「ま、まあね。関西電力もてんやわんやみたいや」
姫水が心配してくれてちょっと嬉しいつかさは、照れ隠しで大げさに肩をすくめる。
「いやー、電気のない生活ってマジで辛いで。冷蔵庫の中身がやばいから、家族総出で必死で片付けたり」
「つーちゃん、直らなかったらうちに泊まったらええよ! 汐里も喜ぶで!」
「ん、ありがと。でもさっき夕理と話して、泊めてもらえることになったから」
確かに家の近さを考えると、天名家の方がいいのだろう。
早く復旧することを願いつつ、それぞれ自分の教室に向かう。
そして3-5の教室では立火が怒っていた。
「あのタンカー、何してくれてんねんホンマ!」
「まあ酷い状況やけど、原因がはっきりするまでは叩かへん方が……」
未波に言われるが、立火は憤りを抑えきれない。
関西空港が水浸しになった上、連絡橋にタンカーが激突して使用不可能。関空は孤島と化した。
インバウンド頼みの関西経済には、とんでもない打撃である。
景子が難しい顔で腕組みして言う。
「黒門市場もガラガラらしいで。やっぱり外国人にばかり頼ってると、こういう時にあかんねんなー」
「こんなん誰も予想できひんわ!
くそう。関空さえ使えていれば、来年くらいには東京の経済を抜いたのに……」
「どさくさに紛れて何言うてんねん! ダブルスコアで負けてるやろ!」
「あ、やっぱり?」
立火がごまかし笑いをしている間に、教師が来て授業が始まった。
後ろの席から、小声で未波が尋ねてくる。
「放課後は劇の練習はできそう?」
「……ごめん。うちの部、ちょっとピンチなんや」
「分かった。他の準備を進めとくから」
「堪忍な」
* * *
「勇魚、時間がない。今すぐどうするか決めてもらう」
放課後の部室。容赦なく詰問する晴の前で、勇魚が小さくなっている。
可哀想になった桜夜と小都子が口々に援護する。
「ちょっと晴ー。いきなりそれはないやろ」
「台風が来て昨日の今日なんやから……」
「別に勇魚が被災したわけでもないやろ。あくまで本人の良心の問題や。
選択肢は三つ。
1、ボランティアには行かず、ライブに向けて練習する。
2、ボランティアに行き、ライブは下手なまま参加する。
3、ボランティアに行き、ライブは諦める」
「う、うちは……」
「お前が何を選んでも、私たちは全力でそれに応える」
少し先走ってしまった晴は、冷静さを取り戻して部長に確認する。
「……ですよね、部長」
「その通りや。でも本人の選択だけでなくて、パートナーの意見も大事やろ。
花歩、ちょっと二人で廊下に行って話し合ってきて」
「は、はいっ!」
部長に言われ、皆の心配そうな視線を受けながら、花歩は勇魚と一緒に廊下に出た。
声が聞こえない距離まで離れた途端、勇魚は必死な顔を親友に向ける。
「花ちゃん、うちがいなくても大丈夫!?」
やはり、彼女の一番の心配はそれだった。
「勇魚ちゃん……」
「うちの前で遠慮や強がりは無しやで!
別にうちがボランティアに行かなくても、きっと行く人は大勢いるんや。
花ちゃんが不安なんやったら、うちは……!」
「でも、勇魚ちゃんは行きたいんやろ?」
ずばり言われて、勇魚は言葉が続かない。
花歩は優しい目で、親友の心を代弁した。
「勇魚ちゃんこそ遠慮はなしや。
初めてのデビュー、納得いくものにしたいって言うてたやん。
困ってる人を放っておくのも、十分練習できずにライブに出るのも嫌なんやろ?
なら選択肢は一つしかないやろ」
「花ちゃん……」
花歩は入学式の日を思い出す。
あの時も一人で見学に行く勇気がなくて、目の前のこの子に泣きついた。
でも最後は勇魚に頼らず部室に行って、立火の手を取ったのだ。
「私はただデビューしたいだけとちゃう。
その他大勢でいたくないから、根性出してみる気になったんや。
こういうピンチを乗り越えてこそ、私は主人公になれるんやと思う!」
勇魚の大きな瞳が、頼れる親友の姿を映す。
浮かびかけた涙を拳で拭いた後は、もう迷いは消えていた。
「分かった。うちは今本当にしたいことをする。
少し遅れてまうけど、花ちゃんは先に行って待っててや!」
「うん! 勇魚ちゃんなら、きっとすぐ追いつくって信じてる!」
二人でしっかりと手を取り合い、部室に戻って決断を告げる。
了承されると同時に、勇魚は離脱してボランティア部へと向かった。
八人になったWestaで、一人減った振り付けを皆で調整する。
そうして勇魚の不在を実感していると、せっかくの花歩の主人公力も徐々にしぼんでくる。
(ううう……カッコつけたこと言っちゃった)
(この前のプールであんなんやったのに、私ほんまに大丈夫なんやろか……)
花歩が一人でデビューするまで、泣いても笑ってもあと十日――。
* * *
暗くなる前に早退させてもらったつかさは、お泊りの準備をして夕理の家へ向かった。
家の近い友達は他にもいるが、相手の親に気を使わずに済む点で天名家一択だ。
今の夕理なら泊まったところで、その後の責任を考える必要もないだろう。
実際、晩ご飯の席で夕理が話題にしたのは、他の子のことだった。
「部活が終わった後、ちょっと佐々木さんと話してきたんやけど」
「ほうほう?」
夕理お手製のアジフライを味わいながら、つかさは面白そうに耳を傾ける。
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「さ、佐々木さんっ」
ボランティア部で今後の打ち合わせを終え、昇降口に向かう勇魚を夕理が待っていた。
少し驚いた勇魚の目は、申し訳なさそうな色に変わる。
「ごめん夕ちゃん。名前で呼んでもらうのは、もう少し先になりそうや」
「……うん……」
「夕ちゃん? 何か悩みごと?」
「その……ボランティア、私も、行かなあかんとは思うんやけど」
これで三回目。さすがに良心の呵責に耐えきれなくなってきた。
口先だけで正義を唱える自分に比べ、彼女は善行を重ねているというのに。
だったら四の五の言わずに参加すれば良いのだが、ネットで読んだボランティアの心得に、尻込みせざるを得なかった。
『被災者の心情に寄り添った言葉や行動を心がけましょう』
(私には無理や……)
周りを元気づけられる勇魚と違って、周りを不快にしてばかりの自分には。
うつむいてしまった夕理に、勇魚はまず目の前の人物を助けるべく、明るく声を出した。
「夕ちゃん、ボランティアは義務感や罪悪感でやるもんとちゃうで!」
「う……うん」
「どうしても力になりたいなら募金したってや。
そしてうちの分も、花ちゃんのこと助けてあげてほしい!」
「そ、それは当然や!」
使命感を得た夕理が、顔を上げて力強く断言する。
「花歩は私のとっ……友達やねんで!
絶対にデビューを成功させるから、佐々木さんは安心して行ってきて!」
「うんっ! 今回はこっちで頑張ってくる。
そして次の京都でのライブでは、うちも今度こそデビューするで!」
そこで披露されるのは『なにわLaughing!』。
本人には内緒だけど、勇魚のことも考えながら作った曲だ。
今度こそ天災がないことを祈りつつ、夕理は心の中で練習した。
USJでの約束を守るために。
(頑張ってや……勇魚!)
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「うーん、二人とも偉いなあ」
ボランティアなんて行く発想すらないつかさは、呑気に味噌汁をすすりつつ感心した。
「夕理の人間関係、着実に進歩してんねんな」
「うん……少し延期になったけど、ちゃんと佐々木さんとも友達になれると思う」
だからこそ、つかさも依存されないと信じて泊まりに来てくれたのだ。
このまま余計なことを言わなければ、普通の友達として楽しい夜を過ごせる。
過ごせるのだけど……。
一番大事なことを、触れずに逃げるわけにはいかなかった。
「つかさの人間関係はいつ進歩するんや」
「……また藤上さんの話?」
「夏休み一杯を費やして、結局プールに行っただけやないか」
目標は達成できたが、あれで姫水との仲が進展したとは思えない。
二学期もこのまま、曖昧に何も変わらない状況を続けるつもりなのか。
つかさは一体どうしたいのか、いい加減はっきりして欲しい。
そう目で訴える夕理にも、つかさはごまかし笑いを返すだけだった。
「まあ、文化祭で何か起こりそうな予感はしてるんやけど」
「予感って……そんなん当てにしてもしゃあないやろ」
「いやいや、あたしの女の勘ってよく当たるから」
つかさはリモコンに手を伸ばし、話を打ち切るようにテレビをつける。
ニュースはどこも台風の話だ。
「うわ、車めっちゃ引っくり返ってる。これ、前に行ったコスモタワーの近くやろ」
「……そうやな」
そうして少しぎくしゃくしつつ、二人きりの夜は更けていった。
就寝後、来客用の布団から聞こえる寝息に、ベッドの夕理は頭の中で呟く。
(私はつかさに、幸せになってほしいだけなんや……)
いつか心置きなく、つかさと二人の時間を過ごせる機会はくるのだろうか。
それとも全てが解決した時には、つかさは姫水の家に泊まりに行ってしまうのだろうか……。
* * *
翌日。今日も長居組はバスを待ちながら暗い顔である。
「今度は北海道で地震って……今年ほんまにおかしいやろ」
「勇魚ちゃん、そっちも行くの?」
「さすがに北海道は無理や。大阪で頑張る。
去年の九州の水害も、交通費を考えたら募金した方がいいって話になったんやって」
「確かに、それはそうよね」
倒れたバス停の屋根は撤去されてしまい、今後の雨の日を思うとますます憂鬱になる。
バスに乗り込んでから、気を取り直すように姫水が部の状況を話した。
「FFFのパートナー役、私がやることになったわよ」
「そうやったん? 姫ちゃんなら安心やね!」
「いやー、あんまり釣り合いが取れてへん気もするけど……」
文化祭のステージは二曲。
『羽ばたけ! スクールアイドル』の方は、元から両端に二名追加しただけの振り付けなので、一名減っても大した問題はなかった。
問題は花歩と勇魚がかなり目立つ『フラワー・フィッシュ・フレンド』の方。
勇魚の代役は姫水が立候補し、花歩の相方を完璧にこなした。
姫水が抜けた部分も何とか調整し、修正は一日で完了。
むしろ下手くそな勇魚が抜けたことで、ライブ全体の完成度は上がったのは皮肉である。
もちろん部員たちは、晴ですらそれを口にはしなかったけれど。
「勇魚の不運も、すべては美しさに嫉妬した神の意地悪! 堕天の力で対抗するわよ、リトルデーモン!」
「わー! ヨハネ先輩やー!」
「姫水ちゃん、全国行って演技に磨きがかかったよねえ」
「あはは。姫ちゃん、くれぐれも花ちゃんを頼むで! あれ、でも衣装は……」
「勇魚ちゃんのを使うわよ」
姫水が作った花の衣装はお蔵入り。勇魚が作った魚の衣装を、丈を直して使うことになった。
衣装だけでも、あなたをステージへ連れていく。
そう言われて、勇魚は嬉しそうにはにかんだ。
二人だけのランチで、夕理は箸を動かしつつ力説した。
「夏休みにあれだけ練習したんや、技術的にはもう十分やと思う。
せやからあと九日間、花歩は頑張ってメンタルを鍛えるべきや」
「それやんなあ。どうしたら緊張しなくなるんやろ」
慣れようにも、本番と同じ状況はそうそう作れない。
なので道行く人を野菜と思い込む練習とか、そういうことはしてきたのだが、あまり意味はなかった気がする……。
「こういうのは科学的にやらなあかんねん。図書館で色々本を借りてきたから、今日の放課後から特訓やで!」
「ありがと夕理ちゃん。わざわざごめんね」
「べ、別に、ライブを成功させるためや」
照れてご飯をかきこむ夕理は、今の花歩には本当に心強い。
彩谷家の停電は午前に復旧したそうなので、これで憂いなく練習に打ち込める。
つかさ、練習……。
花歩の箸が少し止まってから、ぽつりと尋ねる。
「技術的には十分って話やけど、つかさちゃんには追いつけてると思う?」
「え」
夕理は一瞬固まるが、婉曲ながらも正直に答えた。
「まあ、元々のスペックの差もあるから……。
でも、差は縮まってきてると思うで」
「そっか、まだまだ足りてへんかあ。あのね夕理ちゃん」
笑う花歩は、自分でも上手く笑えてないなと思った。
それでも、動く口はもう止まらない。
「私はつかさちゃんのこと好きやで。
それだけははっきりした前提として、敢えて言うんやけど」
「うん……」
「夏休みに週二しか練習に来なかった子には、絶対負けたくない」
「……花歩……」
案の定、夕理を困らせてしまった。
つかさは何も悪くないし、今も花歩の憧れだ。
こんなことを言う自分の方が嫌な子かもしれない。
でもやっぱり、努力が才能に勝てないのは悔しいのだ。
「ほ、ほら。私がつかさちゃんに勝てたら、向こうもやる気になるかもやろ?
『あたしが花歩ごときに負けるなんて! きー!』みたいな感じで」
「……つかさに限ってそれはないと思う」
「そうやね……」
花歩も言ってて望み薄とは思う。
『え、あたしに勝ちたい? どーぞどーぞ。何なら手え抜こか?』とか平気で言う子だ、つかさは。
だからこれは、単なる勝手な自己満足だ。
『別にフツーで良くない?』
いつかの冷めきった声は、今も耳に残っている。
そして今なら、はっきりと言い返せる。
『良くない!』
勇魚がいなくても、いや勇魚がいないからこそ。
必ず大輪の花を咲かせて、自分が望む自分になるのだ。