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 体育館の舞台裏で、吹奏楽部の演奏が聞こえている。
 既に衣装に着替えた七人のWestaに、一人だけ制服の晴が話しかけた。

「私だけ何もしないのもなんやから、一応花歩に協力しとくけど」

 別にいいのに、と顔に出てしまう花歩に構わず、晴は話を続けた。

「校内向けのライブは、ファーストライブの一日目以来や。
 ラブライブを見ていない生徒には、夕理が盛大に転んだ印象のままかもしれない」

 晴以外の心配そうな視線が、思わず夕理へと向く。
 だが花歩に偉そうに色々言ってきたのだ。自分が弱いところは見せられず、夕理は強気の視線を返した。
 そして晴の目は、先ほどから花歩だけを向いている。

「それを払拭できるかは、今回の出来にかかっている。というわけで花歩、よろしく頼むで」
「単にプレッシャーかけてるだけやないですかああ!」
「なーに。今のお前なら跳ね返せると信じてのことや」
「ううっ、喜ぶところなんですかね」
「払拭というなら」

 と、静かに声を上げたのは姫水だった。

「『羽ばたけ!』については、私も地区予選のリベンジになります」
「姫水……」

 少しの後悔を含む桜夜に、姫水は大丈夫という微笑を作った。

「羽鳥さんに飲まれた以前に、私はあの曲に不適格でした。
 スクールアイドルの素晴らしさを歌えるほどの愛は、私にはない。
 なので――」
(ははあ、また誰かの演技やな)

 パターンが読めてきた花歩は、頭に浮かんだ名前を挙げた。

「もしかして、勇魚ちゃん?」
「ううん、勇魚ちゃんは今回のライブには参加しない。
 それが彼女の選択だから、私も尊重したい。
 だから――今回はこの七人で、頑張ルビィ!」
「黒澤さん!?」

 同い年の小都子が思わず声を上げる。
 確かに、スクールアイドルへの愛においては全国的に有名な人だ。
 両手を胸の前で握りしめながら、姫水は沼津の先輩をその身に宿す。

「ルビィは何も取り柄がないけど、スクールアイドルが好きなことだけは自慢できるんだ!」
「そんなこと言うてはったねえ。全国優勝した今となっては昔の話やけど」
「ふふ、その精神だけお借りするということで」
「姫水も何でもアリになってきたなあ」

 笑いながら感心する立火に、実行委員の声が聞こえる。

『吹奏楽部の皆さん、ありがとうございました。
 続きましてはスクールアイドル部、Westaのライブです』

 歓声が聞こえる中、立火の手が火を形作り、すぐさま他の部員たちも続く。
 花歩の衣装の下には、小都子にもらった焚き火のアップリケも入っていた。

「ラブライブで負けてから色々あったけど、それも全ては今日のためや。
 ここから不死鳥のように羽ばたくで!」
『はいっ!』
「燃やすで、魂の炎!」
『Go! Westa!!』

 散開してステージに出て行く中、つかさの小さな声が届いた。

「花歩、頑張って」
「う、うん」

 親切で言ってくれてるのは分かるし、ひねた受け取り方かもしれないけど。
『一緒に頑張ろう』とは言ってくれなかった。
 それでも前を向こうとする花歩に、今度は反対側から声がかかる。

「最後に、一つおまじないを教えるわね」
「姫水ちゃん?」
「小さい頃の私が不安になった時、いつも勇気をくれた名前――」


 *   *   *


(これが――こっち側からの風景)

 花歩の眼下には、生徒と外部客でファーストライブ以上に埋まった体育館が広がる。
 真っ先に目に入るのは、最前列で両手を振る勇魚の姿。
 部長が挨拶している間に、素早く場内に目を走らせる。
 芽生、香流、汐里、光、クラスメイトたち、あと一応熱季。
 それに立火の母、祖母、勇魚の母……。

(天之錦の人も来てる! 次に対戦するんやもんな)
(ていうか、うちの親は……あ、いた)

 端っこの方で両親がはらはら顔で見ていた。
 心臓に悪いから行かないかもしれない、なんて言ってたのに、つい安心して笑ってしまう。
 緊張は全て克服したと、自分で思い込んでいる花歩にもう緊張はなかった。
 そして立火に手招きされ、全力の笑顔で紹介される。

「今日がデビューの一年生、丘本花歩や! 新しいWesta、温かく見守ったってや!」
「こんにちは! よろしくお願いします!」

 生まれて初めて、花歩ひとりに拍手と歓声が送られる。
 今から、この声援に必ず応えるのだ。
 立火の宣言が、体育館に高らかに響いた。

「まずは地区予選のリベンジや! 『羽ばたけ! スクールアイドル』!」


『私たちの手は小さくとも 集えば夢を生み出せる
 作ろう曲を ダンスを 衣装を 世界に一つのステージのため』


 色々あったこの曲も、とうとうこれがラストになる。
 逆に花歩には初めてのライブ。夏休みの日々を思い出し、練習通りの再現に集中する。
 それより多少余裕のある夕理は、隣に感じる姫水のパフォーマンスに感嘆していた。

(藤上さん、地区予選とは全然違う)
(スクールアイドルを好きな気持ちが、同じ舞台の私にまで伝わってくる)
(まるで本心みたいに!)

 負けたくない。
 姫水が最善の手段を取ったのは分かるし、花歩の気持ちが伝染したわけではないけど。
 でもやっぱり、借り物の想いに負けるのは悔しかった。

(私の作詞は、たぶんこの曲が最後)
(絶対に表現してみせる、私の愛を!)

 全身全霊を込めながら、夕理は自分が作った言葉を発していく。
 そういえば、先日立火が相談に乗った男子も来ているはずだ。
 スクールアイドルの素晴らしさを、今こそ全ての人に伝えるのだ!

『目指す空 理想へと今 羽ばたこう!』
『ハイ!』
『We are スクールアイドル!!』

 笑顔で一曲目を終え、ファーストライブで微妙な気分を味わった生徒も、今日は心から拍手する。
 きっとこれで、色々なものが払拭できた。
 満足した夕理の一方で、花歩は無我夢中のまま初めての曲が終わってしまった。

(え、え? もう終わり……?)

 毎日何時間も練習してきたのに、発表はたったの二分足らず。
 この寂しさと虚しさを、みんなずっと経験してきたのか。
 息つく暇もなく、立火の口上が始まる。

「次の曲は新人のデビュー用に作ったものや。
 ほんまはもう一人いる予定やってんけど、色々あって次回に延期になった。
 今日のところは花歩のパフォーマンスに注目したってや! 詞を書いたのも花歩やで!」
(も、もう始まる!)

 始まってほしくない。祭りが終わってほしくない。
 そんな後ろ向きの自分を断つため、先ほど教わったおまじないを全力で唱える。

(勇魚ちゃん! 勇魚ちゃん! 勇魚ちゃん!)
『花ちゃん!』

 返事が聞こえた気がした。
 ステージと客席に隔てられながらも、関係なしに二人の目が合う。
 勇魚がいる。何度も一緒に練習した記憶は、今も実感として残っている。

 勇気を出して、立火と姫水と同時に謳い上げる。
 二人の親友のために作られた曲名を。

「『フラワー・フィッシュ・フレンド』!」


『それは一面の花畑
 咲くのを待つ蕾たちの上を 空飛ぶ魚が跳ねていく』

 想いを込めて、指先まで丁寧に、でも元気に勢いよく。
 立火に励まされ、晴に注意され、姫水に磨かれたあの日々を、今こそ形にしていく。

『花開く時のため 水しぶきを振りかけながら』
(姫水ちゃん……)

 練習と同じように、姫水は自分の輝きを消し去った。
 一曲目のパフォーマンスが素晴らしかった分、客の目には劣化と映るかもしれない。
 それは花歩のためなのだから、花歩が補わないといけない。
 魔法の後押しを受けながら、必死で自分の輝きを解き放つ。

『花はそこから動けないから 魚たちを憧れの目で 見送るしかないけれど』

 振り付けの中で、つかさと動きが交差した。
 コンプレックスでもあるの?と、いつかこの歌詞について彼女に聞かれた。
 あの時は否定したけど、本当は少しあった気がする。
 勇魚にもつかさにも、夕理にも姫水にも。確かな自分を持った全ての人に対して。

 でもそれはもう過去にしないと。
 だって今、根っこを地面から引き抜いて、花は自在に踊っている。
 憧れのままにしないため、曲はいよいよサビに突入する。

『フラワー・フィッシュ・フレンド 私たちは友達
 フラワー・フィッシュ・フレンド 輪になって踊るよ』

 センターの立火を支えに、姫水と完全に息の合った回転を見せる。
 ふと気づいて驚いた。
 立火は踊りながら、その目は花歩だけを見ている。
 最初に入部した一年生。何もなかったところから、ここまで成長した大事な後輩を。

(ぶ、部長! 私よりお客さんを見ないと!)

(……ええんや、これで)

 あまりにも嬉しそうな部長に、花歩は涙があふれそうになる。
 でもあと少し。同じ舞台、すぐ近くにいられる幸せを感じながら、最後まで笑顔で――

『咲き誇る花は もう見失わないね
 フラワー・フィッシュ・フレンド!』



 一瞬の静寂の後、体育館は拍手に埋め尽くされた。

(終わった……)
(上手くいったんや……)

 部長が挨拶と今後の宣伝をするのを聞きながら、花歩は自分に言い聞かせる。
 観客は皆笑顔で、特に不満はないように見える。
 好評だ。普通に好評……。

(あ……)
(……光ちゃん)

 いつも素直すぎる光の表情が、花歩の目に映った。
『ふーん、まあ良かったんじゃない』というその顔に、ぎゅっと拳を握りしめる。

(しっ……しゃあないやろ! 光ちゃんは全国を経験してきたばかりなんや!)
(私にいくら思い入れがあっても、客観的にはただの新人のデビューライブでしかない)
(最初の一歩としては十分やないか……)

 頭では分かっているのに、その頭に血が上ってくる。
 だってこのライブを、何人が一週間後まで覚えていてくれるだろう。
 全国で無数に行われているライブと、何が違うのだろう。

 デビューしてもなお、自分は大勢の中の一人でしかないのか!

「ほな、次の京都でも応援よろしく……え、花歩?」
「少しだけ、いいですか」

 立火に場を譲ってもらって、花歩は大きく息を吸い込んだ。
 高望みと分かっていても、押さえきれずに一気に開放する。

「丘本花歩! 丘本花歩です!!
 名前だけでも覚えて帰ってやーー!!!」

『!?』

 ステージの上も下も、全員が仰天する中。
 花歩はあふれ出す想いを、必死で次々と言葉にした。

「わっ……私はずっと、どこにでもいるモブみたいな存在でした。
 それをどうにかしたくて、部長に誘われてスクールアイドルになりました。
 すぐに変われたわけでもなくて、たくさん回り道もしたけど」

 入部した時の自分は、今この瞬間を想像していたろうか。
 しんと静まる館内で、花歩の締め付けられるような声だけが響く。

「色んな人に助けられて、今日やっとデビューできました。
 それはほんまに嬉しいし、拍手をありがとうございました!
 でも! これで満足はできひんねん!!」

 魂は叫びとなって体育館を震わせる。
 欲しいものがあった。
 それはアイドルとしては、隠すべきものなのかもしれない。
 でも止められなくて、止めたくなくて、花歩は自分の中身をさらけ出した。

「正直に言います!
 私はもっと目立ちたい! 人気者になりたい! 誉めてもらいたい!
 私はっ……唯一無二の自分になりたいんや!!」

 はあっ、と息が切れる。
 理想のアイドルとは程遠い、俗っぽくて美しくない欲望。
 口にしてしまった以上は取り消せず、どうにかして話を締める。

「なのであの、これからも私を。
 スクールアイドル丘本花歩を! どうかよろしくお願いします!!」

 深くお辞儀をすると同時に、冷静になってきた頭に後悔が襲った。
(あああ……私、何をアホなこと言うてるんや……!)
 恥ずかしさに顔が真っ赤になり、ぎゅっと目をつぶる。
 きっとお客さんだって、こいつ何言ってんねんと呆れ果てて……。


「花ー歩、花ー歩」


 すぐ下の客席から、それは唐突に始まった。
 晴が何食わぬ顔で、両手を口の前で構えてコールしている。
 先輩へ憧れの目を向けた勇魚が、もっと大きな声で叫び出す。

「花ー歩! 花ー歩!」

 香流が大喜びで勢いよく手を振り。
 芽生がらしくもなく声を張り上げる。
 光も初めての経験に面白そうに流れに乗って。
 そして一気に、体育館中へと広がっていった。



「花ー歩!! 花ー歩!!」
「花ー歩!! 花ー歩!!」

(ああ……)

 笑いながら、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちる。
 欲しかったものを与えてもらい、花歩は鼻をすすって何度も頭を下げた。

「ありがとうございます! 私、これからも頑張りますっ……!
 もっともっと……えぐっ、一生懸命、やりますのでっ……」

 立火に優しく肩を抱かれ、初めてのステージから退場していく。
 舞台裏に下がっても、花歩を呼ぶ多数の声は届いた。
 これが最初で最後かもしれないと、花歩自身も分かっていて。
 嗚咽とともに、必死で耳に焼き付け続けた。


 *   *   *


 熱狂が終わり、観客も帰るか、次の演目を待つ中。
 勇魚はすぐには動けず、しばらくの間眺めていた。
 自分が立てなかった、空になったステージを。

(花ちゃん……)
「やーお疲れ。ええライブやったで!」

 不意に元気な声をかけられ、向いた先にいたのは京都の三人だ。

「天之錦の皆さん! 来てくれはったんですね!」
「再来週の打ち合わせついでにねー。勇魚ちゃんのことは立火から聞いてるで」
「台風の人助けを優先するなんて、立派な子やなあ」
「京都も鞍馬山がえらい被害に遭うてもうて……あんたはんを見習うて、何かせなあかんねえ」
「え、えへへ……」

 小梅に続いて葵と胡蝶も誉めてくれるが、勇魚の顔は浮かない。
 そもそも夏休み中に完璧に仕上げられていれば、台風が来ようが関係なかったのだ。

「どっちにしろライブに出られたかは分からないんです。
 うち、いくら練習しても歌とダンスが同時にできひんで……」
「あれ、そうやったん。それやと昔の胡蝶ちゃんと一緒やな」
「!?」

 何気なく言った小梅の言葉に、勇魚は弾かれたように胡蝶へ詰め寄る。

「そ、そうやったんですか!?」
「まあ、本来の日舞は自分では歌わへんからね」
「どうやって克服したんですか!? 教えてほしいです!!」
「………」
「あ、す、すみません、うち図々しくて……」

 だいたい次に勝負する相手なのに、塩を送れと言うのも無茶な話だろうか……。
 だが胡蝶は怒ったわけではないようで、持っていた扇子をぱたんと閉じた。

「よろしおす。私が少し稽古をつけてあげまひょ。
 勇魚はんやったね。次の週末、一度京都におこしやす」
「い、いいんですかっ!?」
「おー、胡蝶ちゃんの家元パワーなら何とかなるで!」

 小梅は気軽にそう言うが、部長の葵は心配そうに眼鏡を直す。

「安請け合いして大丈夫? 広町さん達が時間をかけても解決できひんかったんやで?」
「芸の道は人の道。元より確実な道なんてあらしまへん。
 けど、行き詰ったときは環境を変えるのが一番ですえ」
「はいっ! うち、どんなことでも試してみたいです!」

 胡蝶と連絡先を交換し、お礼をしてから仲間たちの方へ飛んでいく。
 一筋の光明が差してきた。
 花歩が魂ごと見せてくれた輝きに、次で必ず追いつくのだ。



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