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 再びロープウェイに乗って山頂駅まで行くと、ヨーロッパ風の建物が出迎える。
 展望台から見えるのは、街の向こうにポートアイランドと神戸空港。
 売店でハーブを物色したり、資料館で様々な香りを嗅いでから、一同は園内を下り始めた。
 桜夜が小脇に抱えた上着を邪魔そうに持ち直す。

「山は寒いって思ったのに、めっちゃ暖かいやん」
「下界が二十度近くまで上がってますからね。でも明日からは一気に冷え込むようですよ」

 晴の情報に、立火は頭上の紅葉を眺めながら内心呟く。

(いよいよ冬の到来ってわけや……)

 十二月まであと一週間。冬のラブライブの決戦までもうすぐ。
 気の早いクリスマスの飾りを眺めつつ、花壇に目を向けるとハーブが植えられている。

「クリーピングタイム……うーん知らへん」
「チコリ……聞いたことあるかも!」
「ワイルドストロベリー……スクールアイドルのグループ名になりそうね」

 長居組の取り留めない会話の中、前方に温室が見えてきた。
 ハーブティーの喫茶店があるとの晴情報に、せっかくだからと立ち寄ることにする。


 九つのカップから、ハーブの香りが立ち上る。
 落ち着いた空気の喫茶店でも、勇魚は変わらず元気だった。

「ちょっと明日の話をしていいですか!」
「勇魚なら重い話にはならなさそうやな。ええでー」と部長。
「ありがとうございます! うち、もう一人の留学生に会えるのが楽しみです!」

 皆も先方のサイトにあった部員紹介を思い出す。
 インドネシア人の一年生。ヴィクトリアたちが卒業した後は、彼女がWorldsの顔になるのだ。

「言うてもまだ一度もライブしてへんよね。最近入部したんやったっけ?」
「そやで花ちゃん! 日本の生活に慣れるのが大変で、二学期になってから入ったんや。
 外国から来て苦労しながら頑張ってるなんて、うちも応援したいで!」
「勇魚ちゃんの気持ちが届くとええね。明日はライブに出るのかなあ」

 小都子の疑問に、晴がルイボスティーを揺らしながら見解を述べる。

「三年生が引退する前に、一度共演はしておきたいやろな。出る可能性は高い」
「ふうん。未熟な新人を使うとしたら、私たちにとっては有利やろか」
「とはいえデビューのご祝儀もあるからな。一概には言えへん」
「こらこら、二人とも」

 戦略的な話を始める二年生たちを、立火は苦笑いしつつ止めた。
 来年を思うと頼もしい限りだが、今はまだその時ではない。

「今日はリラックスの日やでー」
「あ、あはは……失礼しました」
「ついでにすみません、少し声量を落としてもらっていいですか」

 不意に夕理がささやき声で言う。
 何事かと目を向けると、隣でつかさがうつらうつらしていた。
 桜夜が微笑みながら、姫水に小声で話しかける。

「つかさ、早起きして一生懸命お弁当作ったんやろな」
「……そのようですね」
「よーし写真写真……」
「っ!」

 身の危険を感じたつかさが、はっと目を覚ました。
 夕理の恨みがましい視線を受けて、スマホを持った桜夜はごまかし笑い。
 立火が落ち着いて後輩をねぎらう。

「朝から大変やったんやろ。少し寝ててもええで」
「い、嫌っすよもったいない! こんな機会もうないのに!」

 眠気覚ましにレモングラスティーをあおる彼女に、他のメンバーも確かにと同意する。
 幾多のハーブに囲まれて、お喋りをしながら過ごす午後。
 神戸ならではの優雅な時間だった。


 *   *   *


「ちょっと長居しすぎた?」
「そうですね」

 満開のコスモスに見送られ、再びロープウェイで降りてきた時には、既に四時を回っていた。
 立火に答えた晴は、狂った予定をどうしたものか思案する。

「ほんまはUCCのコーヒー博物館に行くつもりやったけど」
「何それ晴ちゃん、面白そう」
「今から行っても間に合わへん」
「コーヒーも飲んでみたかったけどねぇ」

 とはいえハーブティーの後に実際飲んだら、お腹がタプタプになっていたかもしれない。
 晴は予定を変更し、立火へと提案した。

「異人館は除外と言いましたが、ここからなら近い。一館だけ行って締めにしましょう」
「おっ、それなら行きたいのがあるんやけど」
「分かってます」

 部長の考えはお見通しというように、晴は微笑んで名前を挙げた。

「英国館ですね」


 北野異人館のひとつ、明治42年にイギリス人技師の設計で立てられた英国館。
 洋風の通りを歩いて向かいながら、桜夜は昔の記憶を引っ張り出していた。

「前に来たとき行ったかなあ。大きいのに行ったのは覚えてるんやけど」
「風見鶏の館とうろこの家ですかね? あと覚えてるのは動物の……あ」

 花歩の目がつい姫水に向き、?という反応を返されて慌てて戻す。

(あの剥製だらけの館、動物好きの姫水ちゃんにはショックかもしれへんなあ)
(今は現実感がなくても、後で思い出したときにね)

 その『ベンの家』を通り過ぎ、二つ隣が英国館。
 入口ではユニオンジャックと、シャーロック・ホームズの看板が出迎える。

「わ、みんな見てや!」

 勇魚が大声を出して見上げた先では、大きなサンタの人形が二階の窓を覗き込んでいた。
 部員たちは喜ぶが、夕理だけは複雑な表情だ。

「ハーブ園でも思いましたが、十一月からクリスマスモードなのはどうかと思います」
「ははは、おかげで見られたんやからええやん。入るでー」
「広町先輩はここへ、ハンセルさんへの対策を練りに来たわけですね」
「いやあ、そこまでは考えてへんけど……でも多少でも、あいつの背景を知れたらええかなって」

 館の入口には仮装用に、五人分のインバネス・コートと鹿撃ち帽が用意されていた。
 一年生たちが五人のホームズになり、記念撮影。
 館内に入るとヴィクトリア朝時代の調度品が並び、夜には実際に使われるパブもある。
 きょろきょろ周りを見回しながら、勇魚は大いに感動した。

「ヴィッキー先輩はこういうところで暮らしてたんや!」
「いやいや。それ日本の古民家を見て、『日本人はこういうとこで暮らしてるんや』って思うようなもんやで」
「えへへ、そっか。花ちゃん頭いい!」
「せやけど、普通のマンションとかで暮らすあいつも想像できひんなあ」

 イギリスの空気に包まれながら立火が言う。
 それだけキャラが立っているということなのだろうが……。

 二階はベーカー街221Bを再現したホームズの部屋。
 推理道具や資料が散乱する部屋で、ホームズとワトソンの人形が生活している。
 窓の外にはさっきのサンタが張り付いていて、つかさが思わず苦笑した。

「こんなんワトソン君も腰抜かすで」
「姫水はそれは知ってる?」

 晴が指した先には、壁に白い跡がいくつもある。
 姫水は微笑んで、いつぞやのハリーポッターに続いてイギリス文学の知識を披露した。

「『愛国的なV.R.』ですね。
 ホームズが気まぐれでピストルを撃って、弾痕でヴィクトリア女王のイニシャルを作ったという」
「え、アパートの中で撃ったの!? 敷金返って来いひんやん」
「大家さんのハドソン夫人がどう対処したかは、原作には書かれてませんけどね」



 桜夜と姫水が話すのを聞きながら、立火はじっと壁を見る。
 ここでもヴィクトリア。イギリスでは一般的な名前。
 根性だけが自慢の立火も、一人で遠い異国に来る根性に勝てるかどうか。
 しかしいくら総力戦とはいえ、自分もせめて善戦はしないと話にならないのだ。

 隣の部屋には食卓にアフタヌーンティーのセット。
 外に出れば、自然をそのまま生かしたイングリッシュガーデン。
 特に小都子は気に入ったようで、熱心に写真を撮っていた。

「ええなあイギリス。行ってみたいなあ」
「いいですよね! うち、ヨーロッパの色んな国も行きたいです!」
「それも近くにあるけど、またの機会やな」

 晴の言う通り空は暗くなり始め、オランダ館やデンマーク館へ行く時間はなさそうだ。
 最後にサンタへ挨拶してから、一同は観光を終えた。

 目の前のバス停から、ループバスで三宮へ戻る。
 日が落ちていく街の中、立火がお腹をさすって部員たちに尋ねた。

「夕飯どうする? 入る?」
「最高のお昼で十分満足しました。明日はライブなんですから、帰って軽食を取る程度でいいと思います」

 弁当を作りすぎたつかさが気まずい思いをしないよう、夕理が即座に答えた。
 が、例によってブーブー言うのは桜夜である。

「えー? せっかく神戸に来たんや。軽食ならここで食べてこ~」
「晴ちゃん、何か軽い食べ物はある?」
「豚まんがある」

(豚まん!)

 姫水を除き、大阪人たちの目の色が変わる。
 豚まんの発祥地は神戸。
 しかし今や大阪のソウルフードでもある。
 明日の勝負を前に最適の食べ物と、つかさが不敵に笑う。

「いいっすね。551とどちらが上か、判定してやりましょうよ」
「私は二見の方が好きやけどな。
 それはともかく、豚まん発祥の老祥記ろうしょうきは並ぶ。三宮一貫楼いっかんろうでええやろ」

 晴が言っている間に三宮に着いた。
 本日特に料理の役には立たなかった二人が、せめてこれくらいはと買いに行く。
 日没後の駅のガード下で、豚まんが包まれるのを待ちながら、花歩は夕理に笑いかけた。

「今日、楽しかったね」
「……そうやな。三か所とも文化的やったし」
「欲を言うたら、もっと何度もみんなで遊びたかったな」
「うん……って何言わせるんや! そんなことが目的の部活とちゃうで!」
「あはは、そうやね。……これくらいが、丁度いいのかもね」

 駅の入口の方へ目をやると、部員たちと談笑する立火が遠くに見える。
 たまに遊ぶくらいが丁度いいのかもしれない。
 だって今日この日を、一生忘れることはないだろうから。


「むむむ、甘い……どっちが上やろ……」
「つーちゃん、どっちもおいしいで!」
「うんうん、いつだって勇魚の言う通りや!」
「桜夜先輩まで姫水みたいなこと言わないでくださいよ」
「彩谷さん、何か言った?」
「あの、岸部先輩……今日行った場所、どこも良かったです」
「なんや夕理にしては珍しい」
「晴先輩、カラシつけないんですか? うちのあげますよ!」
「私は豚肉そのままを味わいたいんや」



 駅前で豚まんを頬張る部員たち。
 さすがに外は冷えてきたので、湯気の立つ饅頭は天国の食べ物のようだった。
 そんな仲間たちを眺めながら、小都子は花歩に小声で尋ねる。

「花歩ちゃん、さっき夕理ちゃんと何話してたん?」
「あ、はい。えっと……」

 正直に話してから、立火に向けて弁解する。

「決して遊び足りなかったとか、不満があるわけではないですよ!」
「あはは、まあバランスも難しいからな。小都子、来年はどうするんや?」

 こんな休日を増やすのかどうか。
 玉ねぎと豚肉の具を味わいながら、次期部長は穏やかに言った。

「どうしましょうねえ。
 新入部員の中には、こういうの歓迎しない子もいるかもしれませんし。
 でも、お花見だけは絶対やりたいです」
「ああ、今年はそれどころとちゃうかったからなあ」
「せっかく隣に住之江公園がありますしね!」

 その時にはもう立火と桜夜はいないけれど、今さら湿っぽくなったりはしない。
 豚まんの包み紙を握りしめ、部長はイベントの終わりを告げた。

「ほな、帰るとするか! さらば神戸、また明日来るけど!」
「締まらへんなあ」

 桜夜に笑われながら、皆を率いて三宮駅に入っていく。
 笑顔の勇魚が、本日の案内人と並んで歩いた。

「神戸ってこんなに色々あったんですね! 晴先輩のおかげで勉強になりました!」
「あとは須磨や有馬温泉も神戸市やな。あまり神戸感はないけど」
「え、有馬ってだいぶ山の中ですよね。あんなとこまで神戸なんや!」
「そもそも面積が大阪市の倍以上やからな」

 へーと感心しながら、部員たちは改札をくぐる。
 帰りの電車に乗りこんで、ボックス席ふたつと補助シートに座って……
 発車する中、何か考えていた立火が皆に話し始めた。

「みんな、今日はほんまにありがとう。私の思いつきに付き合ってくれて」
「いえいえ! 部長が誘ってくれたおかげで、最高の一日でした」
「うちらの絆も、今まで以上に深まりましたよね!」

 花歩と勇魚がそう言ってくれる。
 目に見えない絆が、この一日でどれだけ深まったのかは分からないけど。
 部員たちの満足そうな顔を見れば、良い休日だったのは明らかだった。
 でも――これが最後だと、部長として言わねばならなかった。

「こういう気軽な楽しさは今日で終わりや。
 明日から地区予選当日まで、死闘と特訓の連続になる。
 辛いこともあるかもやけど、でも……。
 そこには別の楽しさもあると思うんや。
 どうか本当の最後まで、一緒に走っていってほしい!」
「全くもう……何ですか今さら」

 不満そうに口をとがらせる夕理だが、その目はどこか笑っていた。
 四人の先輩たちを真っ直ぐに見て、一年生を代表してはっきりと告げる。

「いいですか、私たちは好きで部活を続けてるんです。
 練習が苦しくても、戦いが厳しくても、やりたくてやってる事なんです。
 それを決して忘れないでください!」

 つかさは苦笑しながら、姫水は微笑みながら、代弁してくれたことに感謝する。
 色々抱えている自分たちでは、ここまで素直には言えないから。
 そして花歩と勇魚も笑顔でうなずくのを見て、立火は言葉もなく、小都子はそっと涙をぬぐった。
 桜夜の手が、立火の髪をわしゃわしゃかき混ぜる。

「今日の休みと今の話とで、完全にフル充電や! 明日は思いっきり放電するで!」
「……ああ! 必ずWorldsに勝つ!」

 背後に皆の声を聞きながら、晴は補助シートでフッと微笑む。
 孤独で自由な休日を、今日だけは捨てたかいがあったのだと。


 改めての決意とともに、電車は一路大阪へ戻る。
 九人の最後の休日は終わった。
 明日からは、九人の死闘が始まるのだ。



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